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 しばらく「20世紀書店」が続きます。ほかの世紀にもお邪魔します。

 

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 310. 1972年のエドワード・ゴーリー『アンフィゴーリー』(2020年5月28日)
 311. 1951年の日夏耿之介『明治大正詩史』改訂増補版(2020年5月31日)
 312. 1973年の『詩稿』24(2020年6月2日)
 313. 1933年の秋朱之介装釘・梶井基次郎『檸檬』(2020年6月10日)
 314. 1934年のアンドレ・ジイド著 淀野隆三訳『モンテエニユ論』(2020年6月21日)
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314. 1934年のアンドレ・ジイド著 淀野隆三訳『モンテエニユ論』(2020年6月21日)

1934年のアンドレ・ジイド著 淀野隆三訳『モンテエニユ論』

 

秋朱之介(西谷操、1903~1997)装釘の、アンドレ・ジイド(André Gide、1869~1951)著・淀野隆三(1904~1967)訳『モンテエニユ論(Essai sur Montaigne)』(1934年6月20日上梓、三笠書房・日本限定版倶樂部)の特色は、本文用紙に奢った、ということでしょうか。
上の写真のように、耳付きの越前特漉程村紙に「Essai sur Montaigne」の透かし文字が入った、贅沢な本文用紙が使われています。

ページをめくっていくと、ローマ字のタイトルや章を区切るオーナメントがよく出来ていて、ページのアクセントになっていると感心します。
ただ、これらは、元になったフランスのジャック・シフラン(Jacques Schiffrin、1892~1950)のプレイヤード版(Editions de la Pléiade)、『Essai sur Montaigne』(1929年)で、ルネ・ベン・サッサン(René Ben Sussan、1895~1988)がデザインしたものをそのまま流用しているようです。
どこが秋朱之介の独創なのかは、1929年のプレイヤード版『Essai sur Montaigne』との比較が必要です。

この『モンテエニユ論』は、1933年秋、竹内道之助(1902~1981、創業当初は、竹内道之助が名前を出さず、妻の竹内富子が三笠書房の発行人になっていました。三笠書店の印刷所・堀内印刷の娘です。)が三笠書房を創業した当初から、三笠書房の雑誌、秋朱之介編輯『書物』の誌面で、定価5円の読書家版のほかに1部100円の豪奢本刊行も予告されていました。1冊1円の「円本」が当たり前の時代です。

ただ、刊行が先延ばしされる本でした。『モンテエニユ論』の刊行は、当初の12月刊行の予定から、翌年1934年6月にずれこみます。

その間、『書物』誌掲載の広告でも、『モンテエニユ論』をどういう本にするかは揺れていて、その揺れを『書物』創刊号から振り返り、どういう経過で最終的な形にたどり着いたのか、振り返ってみたいと思います。

 

秋朱之介編輯『書物』小春號(創刊号)第一年第一冊

昭和8年9月25日印刷
昭和8年10月1日發售
三笠書房(東京市淀橋區戸塚町一ノ四四九)


【p69】秋朱之介「古鳩巣便書」
尚本社は今秋から毎月一冊以上の單行本を刊行してゆく。目下着手してゐるものではアンドレ・ジイドのモンテエニユ論、特筆すべき著作に法政大學教授、内田百間氏の隨筆集「百鬼園隨筆」がある。

 

秋朱之介編輯『書物』小春號(創刊号)第一年第一冊01

【p76】 『モンテエニユ論』最初の近刊広告
アンドレ・ジイド
モンテエニユ論
淀野隆三譯
おぼゑかき
*豪奢本・二百部限定
・自一番至十番・愛藏家本・原著者アンドレ・ジイド氏・フランス大使・飜譯者・刊行者等ヘノ寄贈書ヲ除キ内二部を頒布ス・定價壹百圓
*****自十一番至二百番・讀者家本・百九十部ノ内百六十部ヲ頒布ス・定價五圓
*大型本・本文十二ポイント及清朝組・用紙出雲産手漉雁皮紙・島根民藝會岩坂支部作製・絹絲手綴本・出雲雁皮紙ニツイハテ本誌掲載ノ太田直行氏の出雲紙ニツイテ參照アリタシ
*装綴・芹澤銈介・秋朱之介
*因ニ本書ニハ。帝國大學教授辰野隆博士カラ貴重ナ序文ヲ寄セラレルコトニナツテイル
*刊行臘月中旬(十二月)
希望者ハ申込アリタシ

秋朱之介は、『書物』創刊号で、芹澤銈介・秋朱之介の装釘で、「百圓」の豪奢本を1933年12月に出すと、宣言します。
この段階では、豪奢本10冊中8冊は、アンドレ・ジイドはじめ8人へ寄贈する予定です。
讀書家本の「五圓」という価格設定も高めですが、「百圓」は、教師・公務員の1か月の給料より高い、そんな豪奢本です。
表紙装幀がどういうものなるかの記述はありません。

 

1929年の世界恐慌以降、豪奢なつくりの限定本の世界はしぼんでいて、『モンテエニユ論』の元版になった、フランスの限定版出版、ジャック・シフラン(Jacques Schiffrin、1892~1950)のプレイヤード出版(Édition de la Pléiade)も、1931年からポケット版のプレイヤード叢書(La Bibliothèque de la Pléiade)で方向転換し、1935年、イギリスでは、ペーパーバックのペンギン・ブックスが誕生しています。
日本でも、1923年の関東大震災以降、昭和初期の円本(1926年の改造社の現代日本文学全集) 、岩波文庫(1927年創刊) 、1928年の新潮文庫(1914年創刊時はハードカヴァー)のペーパーバック化など、廉価化・ポケット化が世の流れになっています。

秋朱之介は、世の中の動きが見えていなかったとも言えますし、反時代的な本づくりを打ち出したのだ、とも言えます。

秋朱之介に堅実な出版ビジネスの展望があったとは考えにくいのですが、この時期、自分の思うがままに本を作れる条件がそろってしまったという、稀有な事態がおこっていたようです。

 

『書物』葭月號(2号)第一年第二冊

昭和8年10月25日印刷
昭和8年11月1日發售
三笠書房(東京市淀橋區戸塚町一ノ四四九)

 

葭月號(2号)第一年第二冊01

【p76】 刊行予告
モンテエニユ論
アンドレ・ジイド著
辰野隆博士序
淀野隆三譯
秋朱之介装
200部限定本内譯
東京日本限定版倶樂部昭和八年十二月臨時出版 三笠書房内
豪奢本拾部番號第壹番、AよりJまで頒價一部金壹百圓也用紙本文ジヤパン・ベラムペエパーすかし入り、表装山梨インデン皮、芹澤銈介加工、装釘秋朱之介、芹澤銈介
愛藏家本壹百玖拾部番號自第貳番至一九一番頒價一部金五圓也用紙本文ジヤパン、ベラムペエパーすかし入、装釘、秋朱之介
用紙全部耳付、本綴本、活字、十二ポイント又は清朝體、大型版四折本各册番號入

ナンバリングのシステムを「1~10(100円)/11~200(5円)」から「1・A~J(100円)/2~191(5円)」に変更。

愛藏家本が豪奢本、読者家本が愛藏家本になっています。
「豪奢本/愛藏家本」「愛藏家本/読者家本」の表現は各号広告で揺れています。

本文用紙が「すかし入」であることも、ここで表明。ジヤパン・ベラムペエパー(Japanese vellum)は、普通「局紙」や「鳥の子紙」のことです。

芹澤銈介(1895~1984)加工の「山梨インデン皮」の革装を予定していて、芹澤銈介は豪奢本のみの関わりのようです。山梨の、漆と鹿革を使った印伝皮を芹澤銈介がデザインする、という構想だったのでしょうか。

中央公論社刊『芹澤銈介全集』第廿五巻(装幀I、1982年』1月25日発行)、第廿六巻(装幀II、1982年3月25日発行)、第廿七巻(装幀III、1982年6月25日発行)に、芹澤銈介の装幀の仕事がまとめられていますが、そのなかに『モンテエニユ論』のものは見当たりません。

もっとも、全集で、すべてが網羅されているわけではないようで、秋朱之介に関連したものでは、芹澤銈介の三色総型染の江間章子詩集『花籠』も掲載されいません。
戦後、西谷操(秋朱之介)の操書房で、江間章子の詩集『花籠』を準備し、 芹澤銈介の三色総型染による表紙見本まで作られていたそうですが、未刊のまま終わりました。その表紙見本を佐々木桔梗(1922~2007)が入手して、所有していたことを 『江間章子全詩集』(1999年、宝文館出版)「解説」で書いています。

『モンテエニユ論』豪奢本がほんとうに100円で頒布されたかどうかはわかりませんが、少なくとも試作品は作られたのではないかと思います。存在するのであれば、見てみたいものです。


【p79】 秋朱之介「字幕」
それから十二月、雪が降る、人はせはしい、その月に田園交響樂、モンテエニユ論、中村秋一氏のレヴユウと舞踊、新村出博士の随筆集と書物の新年號をどうしても出さねばならぬ。

昭和8年(1933)~昭和9年(1934)の秋朱之介は、猛烈に忙しい日々をおくっています。

 

『書物』臘月號(3号)第一年第三冊

昭和8年11月25日印刷
昭和8年12月1日發售
三笠書房(東京市淀橋區戸塚町一ノ四四九)

 

臘月號(3号)第一年第三冊01

【p55】 日本限定版倶樂部新刊及近刊書目
*モンテエニユ論《臨時出版》アンドレ・ジイド著辰野隆博士序淀野隆三譯芹澤銈介、秋朱之介装二百部限定本内豪奢本十部愛藏家本一百九十部大型四折本マークすかし入耳付局紙豪奢本一百圓、愛藏家本五圓、十二月刊

『ドニイズ』『醉ひどれ船』『モンテエニユ論』『イザベル』いずれも秋朱之介装。

 

『書物』はつはる瑞月號(4号)第二年第一冊

昭和8年12月25日印刷
昭和9年1月1日發售
三笠書房(東京市淀橋區戸塚町一ノ四四九)

『モンテエニユ論』が刊行される予定の月のこの号に、淀野隆三・モンテエニユ論の記述はありません。

 

『書物』花月號(5号)第二年第二冊

昭和9年1月25日印刷
昭和9年2月1日發售
三笠書房(東京市淀橋區戸塚町一ノ四四九)

書物』花月號(5号)第二年第二冊02

【p63】 広告
アンドレ・ジイド著・淀野隆三譯
モンテエニユ論 二〇〇部限定
愛藏家本5部、1冊100圓、讀書家本195部1冊5圓
秋朱之介装、二月下旬刊
日本限定版倶樂部第二回
臨時出版

アンドレ・ジイドが20歳頃の肖像を使った広告。愛藏家本が10部から5部へ。「十二月刊」から「二月下旬刊」に。

 

【p73】で、「文藝雜誌《世紀》」創刊についての言及。
この春から純文藝雜誌《世紀》が淀野隆三、飯島正、北川冬彦、三好達治、丸山薫、青柳瑞穂氏等に依つて三笠書房から創刊されます。恐らく日本文壇を代表する雜誌とはなりませう。

『世紀』は、『モンテエニユ論』の翻訳者・淀野隆三が創刊・編集した文芸誌です。

 

『書物』桐月號(6号)第二年第三冊

昭和9年2月25日印刷
昭和9年3月1日發售
三笠書房(東京市淀橋區戸塚町一ノ四四九)

 

『書物』桐月號(6号)第二年第三冊01

【p66】
アンドレ・ジイド著・淀野隆三譯
モンテエニユ論 二〇〇部限定
愛藏家本5部、1冊100圓、讀書家本195部1冊5圓
秋朱之介装、三月刊厳守
日本限定版倶樂部第二回
臨時出版

レミ・ド・グールモン(Remy de Gourmont、1858~1915)の『仮面の書(Le Livre des masques)』(1898年)中の、フェリックス・ヴァロットン(Félix Vallotton、1865~1925)描くアンドレ・ジイドの肖像を広告に使用。

 

【2020年6月26日追記】

この広告を見ると、秋朱之介は『仮面の書』を知っていたのだと思われます。
ルミイ・ド・グウルモンは、秋朱之介お気に入りの作家であったと思われ、昭和9年(1934)、堀口大學訳で、裳鳥会から『シモオヌ』と『彼女には肉體がある』の2冊を刊行し、また、未刊に終わりましたが、『アマゾオヌへの歌』『邪なる禱』も準備しています。

それであればこそ、この『モンテエニユ論』より、グールモンの『仮面の書』のほうが、豪奢本にするにはふさわしかったのではないかと、思ったりします。ヴァロットンの描く詩人達の肖像画の黒い線を生かす形で、特注の手漉和紙に刷られた版がつくられていれば、伝説の本になったのではないかと思います。
もちろん、これは妄想で、そんな本は準備されていません。

 

『書物』桐月號(6号)第二年第三冊02

【p73】
「文藝雜誌 世紀 四月創刊」の広告

WEB上に公開されている、実践女子大学の紀要『實踐國文學』94号(2018年10月15日)掲載の棚田輝嘉・芦木亜彩湖・齋田祥子「淀野隆三草稿翻刻(上)」の淀野隆三自筆の履歴書(1964年)によれば、

一、昭和九年一月、法政大学予科講師、八月共産党員の嫌疑で、戸坂潤と共に馘首される。
一、昭和九年四月、文芸誌『世紀』を創刊、昭和十年六月に廃刊。
一、昭和十一年三月より郷里に帰り亡父の業を継ぐ(合名会社淀野三吉商会 )

とあり、淀野隆三にとっても、三笠書房で『世紀』を編集していた時期は、人生の変わり目だったようです。
淀野隆三は、戦後も、三笠書房と深く関わっています。

一、昭和二十二年八月よりKK高桐書院に入り、編集長、後代表取締役として良書の出版に努めて失敗、家産を 蕩尽する。
一、昭和二十五年一月、単身上京、KK三笠書房に顧問として入社、後、編集長、常務取締役、二七年三月倒産寸前の仝社を再建の方向に置くと共に、退社。
一、昭和二十五年九月、明治大学講師、二十七年四月、教授(文学部)、今日に到る。昭和三八年五月、仝大学 人文科学研究所長。

淀野隆三が、三笠書房の顧問、編集長、常務取締役だった時期、「第307回 1933年の三笠書房の《鹿と果樹》図(2020年4月30日)」で少し紹介した、弓が目印の三笠文庫も創刊されています。

『世紀』創刊号の表紙装画は棟方志功で、このころから秋朱之介は棟方志功に入れ込みます。そのことについては、「第256回 1934年の秋朱之介の裳鳥会刊『棟方志功画集』広告(2019年2月7日)」で書いていますのでご参照ください。

 

【p89】 秋朱之介「字幕」
今私が肌身、たましいまでも捧げたい仕事がある。モンテエニユ論、乳房、槿花戯書、イザベル、惡の華、マリイ・ロオランサン詩集、それに堀口大學氏著作刊行會別稱裳鳥會限定版倶樂部の第一回刊本シモオヌと同會臨時出版四十三部限定の贅澤刺繡裝の眞筆本「アマゾオヌへの歌」である。

待ちに待つたジイドのモンテエニユ論の原稿がやうやく編輯者の手に廻つた。法政大學の先生となられた淀野隆三氏の名譯、ここの愈々上梓の運びとなり着手いたしました。私はこの本を書痴王鈴木信太郎先生を驚かすために出來るかぎりのぜいたくを盡して作製します。

『モンテエニユ論』の遅延は、原稿入稿の遅れが理由だったのでしょうか。

秋朱之介の想定していた豪奢本の読者は、鈴木信太郎(1895~1970)だったようです。
秋朱之介は、鈴木信太郎の本を作りたかったのではないかとも思います。

 

『書物』余月號(7号)第二年第四冊

昭和9年3月25日印刷
昭和9年4月1日發售
三笠書房(東京市淀橋區戸塚町一ノ四四九)

 

『書物』余月號(7号)第二年第四冊01

【p6】
『世紀』四月創刊號広告
ここで使われている草花のカットは、朝鮮の創作版画家、李秉玹(イ・ビョンヒョン、Biyung H Li、1911~1950、東京美術学校出身)の作品。

 

『書物』余月號(7号)第二年第四冊03

【p34~35】 広告
ESSAI SUR MONTAIGNE
モンテエニユ論
アンドレ・ジイド著
淀野隆三譯
辰野隆博士序
秋朱之介装
二〇〇部限定版愈々
近日上梓

内豪奢本五部一部壹百圓
頒布本一九五部一部五圓
送料三十三錢
日本限定版倶樂部第二回
臨時贅澤刊本
三笠書房内 日本限定版倶樂部

豪奢本の部数が10部から5部になっています。

 

【p93】 秋朱之介「字幕」
四月は(略)淀野隆三譯モンテエニユ論(略)が刊行されます。

刊行予定が「愈々近日上梓」「四月」になりました。

 

『書物』余月號(7号)第二年第四冊02

【p97】 三笠書房圖書目録
アンドレ・ジイド・淀野隆三譯
モンテエニユ論 臨時出版
二〇〇部限定 内五部愛藏家本一部壹百圓 一九五部讀書家本一部五圓
秋朱之介装


【2020年6月29日追記】

『書物』余月號(7号)第二年第四冊と同じくして、『書物』臨時號(昭和9年3月25日印刷・昭和9年4月1日発行、三笠書房)という小冊子も刊行されています。その内容は「アンドレ・ジイド特輯」。
まず見かけることのない冊子で、川内まごころ文学館に寄贈されたものを見ただけなのですが、アンドレ・ジイドにあまり関心がなかったので、内容について、ちゃんと記録をとっていませんでした。淀野隆三もかかわっていた冊子だったのか、要確認です。

 

『書物』蒲月號(8号)第二年第五冊

昭和9年4月25日印刷
昭和9年5月1日發售
三笠書房(東京市淀橋區戸塚町一ノ四四九)

 

『書物』蒲月號(8号)第二年第五冊01

【p1】 広告
『世紀』五月號

 

『書物』蒲月號(8号)第二年第五冊02

【p31】 広告
ESSAI SUR MONTAIGNE
モンテエニユ論
アンドレ・ジイド著
淀野隆三譯
辰野隆博士序
秋朱之介装
二〇〇部限定版愈々
近日上梓

内豪奢本五部一部壹百圓
頒布本一九五部一部五圓
送料三十三錢
日本限定版倶樂部第二回
臨時贅澤刊本
三笠書房内 日本限定版倶樂部

 

『書物』蒲月號(8号)第二年第五冊04

【p88】三笠書房圖書目錄
アンドレ・ジイド・淀野隆三譯
モンテエニユ論 最新刊
二〇〇部限定 内五部愛藏家本一部壹百圓 一九五部讀書家本一部五圓
秋朱之介装

 

『書物』茘月號(9号)第二年第六冊

昭和9年5月25日印刷
昭和9年6月1日發售
三笠書房(東京市淀橋區戸塚町一ノ四四九)

 

『書物』茘月號(9号)第二年第六冊 01

【p3】 広告
『世紀」六月号

この『書物』茘月號(9号)第二年第六冊には、ドストイエフスキイ研究特輯ということもあって、『モンテエニユ論』の広告はありません。

 

『書物』七月號(10号)第二巻第七號
昭和9年6月25日印刷
昭和9年7月1日發售
三笠書房(東京市淀橋區戸塚町一ノ四四九)

【p124】 「日本限定版倶樂部消息」
夏、出版の暇な折專心限定版倶樂部の本に着手いたし度いと存じます。配本豫定としては、イザベルを七月十日迄に、惡の華を七月二十日迄に、モンテエニユは六月下旬迄に、マリイ・ロオランサン詩集を七月中旬迄に。

モンテエニユ論もロオランサンも五月中に校了になつてゐるのですが、紙や原色挿畫がをくれてゐる次第です。永いこと待つていただいただけのうめ合わせはきつと立派な美しい本にいたします。

特注した透かし文字入り手漉き紙の出来上がり待ちの段階のようです。

 

『書物』七月號(10号)第二巻第七號01

【p128】 フランス文學書 広告
モンテエニユ論 最新刊
アンドレ・ジイド 淀野隆三譯日本限定版倶樂部臨時出版二百部限定定價五圓送二一
これは二十世紀に生きて、新らしき時代の苦悩を最も眞摯に、身を以て體現せるジイドが、彼及び仏蘭西評壇の精神的祖先たるモンテエニユを論じた論文で、嘗ての切々たる人生探求者モンテエニユを新しく甦らせ、彷彿せしむるとともに、若き時代の代表的人性探求者としてのジイドその人の面貌を全面的に物語れる雄篇である。この評論の中に提示された所謂ジイド的問題は、モンテエニユを通じてその頂點に到達してゐる。從つてモンテエニユを、更にジイドその人を知らんとするものにとつて逸すべからざる大文章たることは言ふを俟たないであらう。淀野氏の譯文亦流麗にして雄勁、その獨自の思想とニユアンスとを傳へ得て餘するところがない。ここにこの決定譯を佛原書の限定版に倣ひ、越前特漉程村紙に透し文字入りとして、二百部の邦譯限定版となした。高邁なる批評的精神にあこがるる少數の選ばれたる讀者に贈る所以である。

プルウスト研究 近刊 シヤルル・ブロンデル 淀野隆三

 

二百部限定定價五圓」となり、百圓の豪奢本についての言及がなくなります。

佛原書の限定版に倣」った作りということになっていますが、 翻訳権や著作権については、不明です。

 

『書物』八月號(11号)第二巻第八號

昭和9年7月25日印刷
昭和9年8月1日發售
三笠書房(東京市神田區神保町三ノ六)

 

『書物』八月號(11号)第二巻第八號

【p41】 広告
アンドレ・ジイド著辰野隆博士序
淀野隆三譯二百部限定(實數一七〇部出來)
モンテエニユ論(日本限定版倶樂部臨時出版出來)
 これは二十世紀に生きて、新らしき時代の苦悩を最も眞摯に、身を以て體現せるジイドが、彼及び仏蘭西評壇の精神的祖先たるモンテエニユを論じた論文で、嘗ての切々たる人生探求者としてのジイドその人の面貌を全面的に物語れる雄篇である、この評論の中に提示された所謂ジイド的問題は、モンテエニユを通じてその頂點に到達してゐる。從つてモンテエニユを、更にジイドその人を知らんとするものにとつて逸すべからざる大文章たることは言ふを俟たないであらう、淀野氏の譯文亦流麗にして雄勁、その獨自の思想とニユアンスとを傳へ得て餘すところがない。ここにこの決定譯を佛原書の限定版に倣ひ、越前特漉程村紙に透し文字入りとして百七十部を邦譯限定となした。高邁なる批評的精神にあこがるゝ少數の選ばれたる讀者に贈る所以である。
定價一冊七圓(程村紙)五圓(鳥の子紙)送料二十一錢《既申込者には特に七圓の分を發送す》
申込所 三笠書房

七月号では「嘗ての切々たる人生探求者モンテエニユを新しく甦らせ、彷彿せしむるとともに、若き時代の代表的人性探求者としてのジイドその人の面貌を全面的に物語れる雄篇である」が、八月号で「嘗ての切々たる人生探求者としてのジイドその人の面貌を全面的に物語れる雄篇である」と文章が一部欠けてしまったため、文意がとりにくくなっています。

 

1933年10月の『書物』創刊号での告知以来、ようやく本が完成しました。
ただ、完成後に出された広告では170部限定で、本文用紙が「程村紙」のものが7円、「鳥の子紙」のものが5円となり、100円の「豪奢本」の文字は消えています。
170部が頒布本ということでしょうか。

 

【p130】 秋朱之介「篇什のちの文」
田園交響樂、モンテエニユ論、無からの創造、僕の彌次喜多、何れも大好評です。イザベルも今月は配本します。

尚近刊書として(略)アンリイ・ドラン著淀野隆三、高沖陽造譯「ニイチエとジイド」《九月刊三〇〇頁》が美裝刊行されます、特に本誌讀者の方の御註文を乞ひ度存じます。

 

『書物』九月號(12号)第二年第九冊

昭和9年8月25日印刷
昭和9年9月1日發售
三笠書房(東京市神田區神保町三ノ六)

 

『書物』九月號(12号)第二年第九冊01

【p53】モンテエニユ論広告
『書物』八月號p41のものと同じ。

 

『書物』九月號(12号)第二年第九冊02

【p130】フランス文學書 広告
『書物』七月號p128のものと同じ

 

     

手もとにあるアンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』(1934年6月20日上梓、三笠書房・日本限定版倶楽部)の書影も、参考までに並べておきます。
函は傷み、本文もだいぶシミがでている、状態のあまりよくないもので、すいません。
サイズは、菊倍判変型、紙装の表紙が200×292×17ミリ、本文は耳付きで三方裁ち落としておらず、天・地・小口とも表紙より1~2ミリほど小さくなっています。
文芸書のサイズというより美術書のサイズです。

 

アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』函背 アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』外箱・表紙

▲アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』の外函と紙装版表紙

この印象的な「ESSAI SUR MONTAIGNE」のタイポグラフィーは、プレイヤード出版(Editions de la Pléiade)『Essai sur Montaigne』(1929年)で、ルネ・ベン・サッサン(René Ben Sussan、1895~1988)がデザインしたものをそのまま流用しているようです。

『ESSAI SUR MONTAIGNE』の1929年プレイヤード版は、フランスのパリで作られた本ですが、装幀のルネ・ベン・サッサンは、エーゲ海に面したギリシャのサロニカ(Salonica、テッサロニキ・Thessaloniki)の出身。また、プレイヤード版を立ち上げたジャック・シフラン(Jacques Schiffrin、1892~1950)は、ロシア帝国(現アゼルバイジャンのバクー)出身です。国際的な才能がパリに集まっていたからこそ生まれた、20世紀ならではの出版物です。

ジャック・シフランは、1931年からポケット版のプレイヤード叢書(La Bibliothèque de la Pléiade)を立ち上げ、資金繰りに詰まったところを、アンドレ・ジイドの支援で、ガリマール書店で叢書を継続することになり、1940年までその編集を担当します。 しかし、 ユダヤ系であったため、1940年、反ユダヤ法でガリマール書店を解雇され、亡命をせざるをえなくなります。なんとかアメリカへ渡り、そこで出版社パンテオン(Pantheon)の創始者のひとりとなります。20世紀の出版の正と負の歴史を生きた人物です。

 

▲アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』表紙の折り目

▲アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』表紙の折り目

 

アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』口絵と扉

▲アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』口絵と扉

 

アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』序文と扉

▲アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』序文と扉
辰野隆の序文の日付は昭和9年(1934)5月1日になっています。

 

アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』章の冒頭

アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』章頭のイニシャル文字02

▲アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』章頭のイニシャル文字
章を区切るオーナメントも、ルネ・ベン・サッサン(René Ben Sussan、1895~1988)がデザインしたものをそのまま流用しているようです。
ただ、章の冒頭の朱色の「有」「通」のイニシャルに秋朱之介の存在を感じることができます。

こういう朱の使い方は、印刷の起原から行われてきた古典的なものですが、本という物体の持つ長所のひとつだと思います。

 

アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』見開き

▲アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』見開き
余白に朱で頭注のかたちで、モンテーニュからの引用ページを注記しています。

 

この日本版『モンテエニユ論』に、秋朱之介の色を見出すとしたら、本文用紙と章冒頭のイニシャルでしょうか。

アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』透かし文字

アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』章イニシャル01

アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』章イニシャル02

これは誰の字なのでしょう。
秋朱之介は達筆な人でした。

 

アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』奥付

▲アンドレ・ジイド著・淀野隆三訳『モンテエニユ論』奥付

奥付によれば、

昭和九年六月十五日印刷
昭和九年六月二十日上梓

本文及表紙用紙は越前杉原商店手漉
愛藏家本五部の用紙は出雲安部榮四郎手漉、
装釘は秋朱之介、
本書は二百部を限定刊行す、
その内譯、
自第一番至第五番冊子は愛藏家本定價一百圓、
自第六番至第百六十番冊子は定價七圓
自第百六十一番至第二百番冊子は定價五圓

とあり、定価100円の愛藏家本も、5部作られたとあります。

しかし、上梓された1934年6月20日以降に刊行された『書物』誌での『モンテエニユ論』広告には、「豪奢本」「愛藏家本」「百圓」の文字はなく、ほんとうに作られたのか定かではありません。そこで、芹澤銈介の関与もあったのか、なかったのか。

そもそも、『モンテエニユ論』豪奢本が、この世界のどこかに、存在するのかどうか。

さらには、これを言ってはおしまい、なのかもしれませんが、そもそも、100円の豪奢本をつくるのに、アンドレ・ジイドの『モンテエニユ論』が、もっともふさわしいテキストだったのか、という疑問がくすぶっています。

 

秋朱之介が選ぶべき本は、ほかにあったのではないか、という思いが消えず、もやもやする本です。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

録画がたまったテレビ番組をあれこれ見ていたら、佐藤良明のアメリカ文化についての講義があって、20世紀半ばに、エルヴィス・プレスリーとビートルズの音楽が、世界的な現象として、熱狂をまきおこしたことについて語っていました。
そのことを100年、200年のスパンで俯瞰的に振り返ったとき、それぞれの生まれた場所の果たした歴史的役割を補足的に語っていて、興味深かったです。

産業革命で織物業の機械化が進み、綿花の需要が急増して、ミシシッピ・デルタをはじめアメリカ南部のプランテーション(先住民を追い出して作られた)に綿花が植えられ、アフリカ系の奴隷が安価な労働力として集められます。

エルヴィス・プレスリーが生まれたメンフィスは、アメリカ内陸部の綿花の最大の集積地であり、メンフィスやニューオリンズに集められた綿花は、19世紀には最大の富を生む産業ルートであった大西洋航路で、その綿花の最大の受け入れ港、イギリスのリヴァプールに運ばれていたという歴史があったという話でした。

メンフィスとリヴァプールを結ぶものがあったからこそ、メンフィスからエルヴィス・プレスリーが生まれ、リヴァプールからビートルズが生まれた、とも受け取れそうな話でした。

もちろん、メンフィスとリヴァプールのつながりから、エルヴィス・プレスリーとビートルズの「熱狂をまきおこす」力が何故生まれたか説明できないのですが、では、なぜニューヨークやロンドンからエルヴィス・プレスリーとビートルズが生まれなかったのかという設問も、また、可能な気がします。

 

リヴァプールというと、デフ・スクール(Deaf School)が、まず思い浮かぶくちです。ビートルズのように世界中に熱狂をまきおこすムーヴメントをつくったわけではないですが、1980年前後のリヴァプールから生まれた音楽も大好きでした。
第308回」で紹介したピート・フレイム(Pete Frame)の描くファミリー・ツリーでも、Deaf Schoolを起点にした「Liverpool 1980: Eric's Progeny」は、隅から隅まで楽しめます。

デフ・スクールを一番最初に聴いたのは、NHKラジオの「若いこだま」だったか、渋谷陽一のラジオ番組だったのは記憶にあります。
曲はもちろん「TAXI!」(1977年、Warner)です。こういうアートスクール系の芝居がかった曲は好きです。

 

DEAF SCHOOL「TAXI!」(1977年、Warner)01

DEAF SCHOOL「TAXI!」(1977年、Warner)02

▲DEAF SCHOOL「TAXI!」(1977年、Warner)

SIDE TWOの「LAST NIGHT」は、「From the forthcoming album from Deaf School(デフ・スクールの新作アルバムから)」とありましたが、「TAXI!」のB面曲としては弱くて、Deaf Schoolの2ndアルバム『Don't Stop The World』には、未収録でした。

2003年の2枚組CD編集盤、Deaf School『What A Way To End It All (The Anthology)』などには収録されています。

 

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313. 1933年の秋朱之介装釘・梶井基次郎『檸檬』(2020年6月10日)

1933年の秋朱之介装釘・梶井基次郎『檸檬』

 

出版の常として、秋朱之介(西谷操、1903~1997)にも、いくつもの企画だけに終わった未刊行本があります。

秋朱之介『書物游記』(1988年、書肆ひやね)の「書目一覧」でも、《『檸檬』梶井基次郎著 昭和八年刊行予告(未刊)・稻門堂書店発行・限定五〇〇部・装釘秋朱之介》とあったため、梶井基次郎(1901~1932)の『檸檬』も、そうした未刊行本の1冊かと残念に思っていました。

ところが、秋朱之介が装釘した『檸檬』は、まちがいなく刊行されていました。きちんと探しておくべきでした。
先人の仕事も、文字通り受け取るだけでなく、時には疑うべきでした。

ここでの「稲門堂書店」は「稲光堂書店」のまちがいです。同じ頃、秋朱之介が準備中だった内田百閒『冥途』再劂版(1934年1月1日発行、三笠書房)の初版の版元が稲門堂書店だったため混同したのではないかと思われます。
『書物游記』は、秋朱之介を調べる上でいちばん頼りになる本ですが、「未刊」とあっても、改めて確認する必要がありそうです。

昭和8年(1933)12月1日発兌、武蔵野書院と稲光堂書店が連名で上梓した梶井基次郎『檸檬』は間違いなく存在し、その装釘は秋朱之介と考えられるのです。

状態のあまりよくない裸本ですが、その1933年稲光堂書店版『檸檬』を入手することができました。
ほんとうは、函付きの本なので、装釘という観点からも、函付きのものを紹介するのが筋なのですが、秋朱之介の装釘した『檸檬』がまちがいなく存在したということを、ここで書いておきたいと思います。

もっとも、1933年稲光堂書店版『檸檬』には、秋朱之介の名前はどこにもありません。
なぜ、この版が、秋朱之介の装釘と言えるのでしょうか。

 

その根拠は、1933年稲光堂書店版『檸檬』と全く同じ昭和8年(1933)12月1日に刊行された雑誌『書物』臘月號・第一年第三冊(三笠書房)に掲載された広告です。
『書物』は昭和8年(1933)から昭和9年(1934)にかけて「秋朱之介編輯」と冠して刊行されていた書物全般についての雑誌です。

 

これがその『檸檬』の広告です。

1933年12月梶井基次郎小説集《檸檬》広告

 梶井基次郎小説集《檸檬》

若くして死んだ天才梶井基次郎が唯一の創作集である。今日の日本の文壇に彼程の偉大な作品をもつ作家が幾人ゐるか。横光利一や雜誌作品を背景とした新作家達に絶讃され、日本の文壇からその死を惜まれなた大きな作家、梶井君の作品がその死後の今日あらゆる讀書階級から熱望されてゐるのを見ても、その作品が如何にすばらしいかは今更ここに喋々する迄もない。
作品そのものが證明してゐる。斯ふした作品こそ美しい書物として永久に保存さるべき性質のものであつて。當書店はその装釘を書物編輯者秋朱之介氏に依嘱しこゝに自家藏版五百部を限定として眞に梶井君の作品を愛する讀書家に問はんとす。幸ひ江湖諸士の讃助が得らるるならば刊行者としてもまた地下の梶井君としても之以上のよろこびはないであらう。終りに本書の装釘をこゝろよく引受けて下さった、友人秋氏に對して厚く御禮申し上げる。《發行者 三瓶勝》

*梶井基次郎著《檸檬》限定五百部各册番號入、秋朱之介氏装新四六版局紙表装定價一圓五十錢 發行所東京市淀橋區戸塚町一ノ五一二、稻光堂書店、振替東京三六一一二番、電話牛込四九三六番

稲光堂書店の三瓶勝が「當書店はその装釘を書物編輯者秋朱之介氏に依嘱」「本書の装釘をこゝろよく引受けて下さった、友人秋氏に對して厚く御禮申し上げる」と『檸檬』の広告で書いています。本に名前を載せられなかったことへの埋め合わせでしょうか。

この広告の記述に疑いを差し挟む理由はどこにもないので、1933年の稲門堂書店版『檸檬』の装釘は秋朱之介がしたということで間違いないでしょう。

 

同じ『書物』臘月號の編集後記「字幕」には、秋朱之介本人による次の記述もあります。(この「字幕」の文章は、秋朱之介『書物游記』p67でも読むことができます。)

この節書物装釘の依頼が多くみなお斷りしてゐますが、稻光堂刊、梶井基次郎著檸檬は近所の本屋の主人が直接來社されての懇望に斷りかねて、引受けることにした、内容もすばらしく立派なもの故愛書家に一本の購讀をすゝめる。

この言葉を文字通り受け取っていれば、『檸檬』が「未刊」だとは考えなかったのに、と反省しています。


秋朱之介は「近所の本屋の主人」と書いていますが、当時の稲光堂書店と三笠書房の住所は次のとおりで、
  稲光堂書店 東京市淀橋區戸塚町一ノ五一二
  三笠書房  東京市淀橋區戸塚町一ノ四四九(早大グランド上)
ご近所だったことも大きかったのでないかと思われます。

 

また、秋朱之介『書物游記』収録エッセイで、1980年代に書かれた「美しい本について」に、次のような記述があります。

佐藤春夫の本は、ダンピングに出ない本はない位売れなかった。『車塵集』なども、高田馬場の古本屋の店先に積んであったのを、ボクが全部買いしめたことがある。(p198)

単に収集自慢のように思われそうな記述ですが、佐藤春夫(1892~1964)の『車塵集』は、小穴隆一(1894~1966)の典雅な装釘で知られ、昭和4年(1929)に武蔵野書院から出た本です。
つまり、この記述にある「高田馬場の古本屋」は稲光堂書店で、そことの武蔵野書院との関係も推測できる記述になっています。

 

『書物』臘月號・第一年第三冊(1933年12月、三笠書房)表紙

▲『書物』臘月號・第一年第三冊(1933年12月1日發售、三笠書房)表紙
この表紙の猫の絵については「第238回 1934年の木下杢太郎『雪櫚集』(2018年7月12日)」でも書いています。ご参照ください。


梶井基次郎と秋朱之介が会ったことがあったか、という問題もあるのですが、これについては、今のところ分かりません。

ただ、昭和8年(1933)9月の三笠書房の創業から翌年の昭和9年にかけて、秋朱之介は、梶井基次郎『檸檬』出版のために奔走していた淀野隆三(1904~1967)と縁があったことも、秋朱之介の『檸檬』装釘につながったのではないかと考えています。

昭和8年(1933)9月の三笠書房創業時そして『書物』創刊時から、秋朱之介は、自ら立ち上げた日本限定版倶楽部の本として、アンドレ・ジイド著、淀野隆三訳『モンテエニユ論』の豪奢本を準備していて、昭和9年(1934)6月20日に発行するまで、紆余曲折あったという経緯があります。

 

秋朱之介装釘の『モンテエニユ論』について書きはじめると、話が横道にそれて長くなりそうなので、別の機会に書くとして、ここでは、梶井基次郎『檸檬』の刊行を簡単に振り返り、1931年版と1933年版の違いを比較しておきたいと思います。

1931年(昭和6年)5月15日、梶井基次郎『檸檬』、武蔵野書院から刊行。 生前唯一の刊行書。
紙装ハードカバー・函入り。梶井基次郎は結核のため兵庫で療養中。
梶井の友人の三好達治(1900~1964)や淀野隆三らが出版のため働き編集を手掛ける。

1932年(昭和7年)3月24日、梶井基次郎没。

1933年(昭和8年)12月1日、武蔵野書院・稲光堂書店から、梶井基次郎『檸檬』刊行。
本文は1931年版と全く同じままで、 表紙・扉・奥付だけを変えた版。装釘は秋朱之介。
フランス装・三方アンカット・函入り。
【2020年6月11日追記】この出版に連動するように、淀野隆三は、『文藝』12月号(1933年12月1日、改造社)に、梶井基次郎の未完の小説「瀨山の話」(淀野隆三編)、 『文學界』12月号(1933年12月、文化公論社)に「梶井基次郎に就いての覚書」を発表しています。

1940年(昭和15年)12月15日、十字屋書店から、梶井基次郎『檸檬』刊行。
1933年稲光堂書店版をもとにした版。

 

1931年版の奥付

1933年版の奥付

▲1931年版(上)と1933年版(下)の『檸檬』奥付
1931年版の写真図版は、昭和47年(1972)の近代文学館『精選 名著復刻全集』(ほるぷ)のものを使用しました。(以下同)

1931年版と1933年版で、武蔵野書院の発行・前田武、印刷の櫻井專吉は共通しています。
1931年版には、検印が貼られていません。
1933年版には、稲光堂書店の発行・三瓶勝の名前が加わります。著者検印には「梶井」と認め印が押されています。

『書物』臘月號・第一年第三冊(1933年12月、三笠書房)に掲載された『檸檬』広告は、三瓶勝の名前で書かれていました。
『書物』への広告では「限定五百部各册番號入」とありますが、ナンバリングはされていません。


WEB上で画像を検索すると、ヤフオクに出品されていたものや日本の古本屋サイトの画像などで、戦前に刊行された『檸檬』の画像を見ることができます。

そのなかに、不思議な1冊がありました。
showhanngg55さんのブログ『洋楽と脳の不思議ワールド』に《梶井基次郎創作集「檸檬」初版・・・The Lemon Tree》という回があって、そこに、昭和8年12月1日発行の『梶井基次郎創作集 檸檬』武蔵野書院・稲光堂書店版の写真が掲載されています。
同じ昭和8年12月1日発行でも、わたしの手もとにあるものとちょっと違います。
表紙に直にタイトルを印刷でなく、題簽が貼られています。子持ち罫のなかに、右→左の横書きで、
 郎次基井梶
  集作創
 ん も れ

とあり、扉の誤植が修正され、奥付では、検印紙を使って「稲光堂書店」の名前を消してあります。
同じ昭和8年12月1日発行でも、異版が存在するようです。

 

また、1940年に、十字屋書店から3番目の『檸檬』が刊行されているのですが、その奥付では、1933年版の「印刷 昭和八年十一月二十五日」「發行 昭和八年十二月一日」という日付と、「昭和十五年十二月十五日第二刷」「昭和十五年十二年二十日發行」という、昭和8年と昭和15年の日付が併記されています。1931年版ではなく、1933年版の「第二刷」ということなのでしょうか。
タイトルに使われている文字は、1931年版の梶井基次郎書のものでなく、1933年版の宋朝体の活字がそのまま使われています。
発行者は、武蔵野書院の前田武と十字屋書店の酒井嘉七、印刷は、 櫻井專吉でなく、塚田仁に代わっています。
検印の位置に「著編者検印証・東京むさし乃書院刊行書」というシールが貼られています

 

【2020年6月26日追記】

『三田文學』春季号・復刊第一号(1985年5月1日発行、三田文学会)を読んでいましたら、井伏鱒二と安岡章太郎の特別対談「昭和初期の作家たち」に次のような発言がありました。

安岡 そのころ(昭和三年頃)梶井基次郎はもう『檸檬』は出していたわけですね。
井伏 『檸檬』はその後に出したでしょう。女子大の前通りの角の古本屋(武蔵野書院)が出版したんです。豊坂のまがり角の家でした。あれはみんな案外注目したようですよ。
安岡 『檸檬』ぐらいの作品だと、かなり注目されるでしょう。
井伏 三好達治が、梶井をよほど買っていたようですね。二人、仲がよかったようで、梶井が亡くなったら、三好は急にショボンとした。

井伏鱒二にとって、武蔵野書院は、目白台の「古本屋」として記憶されていたようです。
いわゆる出版社の本ではなく、「古本屋」が出版した本の系譜をたどると、ちがった景色が見えるような気がします。

 

1931年版『檸檬』外箱と表紙、1933年版の『檸檬』表紙

▲1931年版『檸檬』外函と表紙、1933年版の『檸檬』表紙

1931年版は、局紙を表紙にしたハードカヴァー上製本。題と著者名は梶井基次郎の書。

1933年版は、局紙を表紙にしたフランス装。刊行当時は、ぱりぱりのまっさらな局紙の表紙で、単純な美しさがあったと思います。
右→左の横書きで印刷された著者名・タイトルを子持ち罫で囲み、思い切り左上に寄せています。表紙では、「檸檬」ではなく「れもん」。
1933年版は、天・地・小口の3方を裁ち落としていないため、1931年版よりサイズが大きくなっており、新刊で読むときにはペーパーナイフが必要な本だったと思われます。

1931年版 本文125×182ミリ 表紙130×188ミリ(四六判)
1933年版 135×200ミリ

 

1931年版『檸檬』表紙

1933年版『檸檬』表紙

▲1931年版(上)と1933年版(下)の『檸檬』表紙
写真の1933年版は痛みが激しくて見分けにくいですが、背には「れもん」とだけあります。

showhanngg55さんのブログに掲載された1933年版は、表紙も差し替えられていて、右→左の横書きで印刷された著者名・タイトルを子持ち罫で囲んだ題簽が貼られています。

 

1933年版のフランス装、表紙の折り込み

▲1933年版のフランス装。表紙の折り込み。

 

1931年版『檸檬』扉

1933年版『檸檬』扉

▲1931年版(上)と1933年版(下)の『檸檬』扉
1933年版の扉では「武蔵野書院」が「武蔵野書店」と誤植になっています。
showhanngg55さんのブログに掲載されたものでは、その個所が「武蔵野書院」と訂正されています。修正版がつくられたようです。

表紙や扉では、右→左の横書きですが、1933年版の外函の写真を見ると、函に貼られた題簽には、左→右の横書きで、表紙と同じ書体で、
 梶井基次郎
  創作集
 れ も ん

とあります。

函の背文字は、「梶井基次郎 檸檬」とあり、背の「檸檬」の活字は、扉と同じ、宋朝体。
この書体を選んだのは、秋朱之介と思われます。

この宋朝体の「檸檬」は、昭和15年(1940)の十字屋書店版『檸檬』第二刷でも、そのまま同じものが使われています。

 

1931年版「檸檬」見出し

1933年版「檸檬」見出し

▲1931年版(上)と1933年版(下)の「檸檬」見出し
1933年版は面付けを間違ったのでしょうか。右ページに「檸檬」のタイトルがあります。

 

1933年版の「檸檬もくろく」

▲1933年版の「檸檬もくろく」
1933年版では、目次の前のタイトルが「檸檬」から「檸檬もくろく」になっています。


以上が、1931年版(武蔵野書院)と1933年版(武蔵野書院・稲光堂書店)との主な違いです。

 

目次と本文は、同じものが使われて、ページ数も全く同じです。

1931年版『檸檬』目次

1933年版『檸檬』目次

▲1931年版(上)と1933年版(下)の『檸檬』目次
目次は、1931年版と1933年版ともに、同じ版を使っています。

1933年版は、三方を裁ち落としていないので、1931年版に比べ、特に天側の本文余白が広くなっています。

 

1931年版『檸檬』6・7ページ見開き

1933年版『檸檬』6・7ページ見開き

▲1931年版(上)と1933年版(下)『檸檬』6・7ページ見開き
6ページから271ページまで、1931年版と1933年版は、同じ版を使っていると考えられます。

 

1933年版『檸檬』270・271ページ見開き

1933年版『檸檬』270・271ページ見開き

▲1931年版(上)と1933年版(下)『檸檬』270・271ページ見開き

111ページの「雪後」文末の日付が、1931年版も1933年版も「大正十五六月」で、「年」を加える修正もされていません。

 

1933年版『檸檬』が秋朱之介装釘のものだと知ると、函付きのものも手にしてみたいという欲がでてきます。

 

秋朱之介装釘の『檸檬』が出た10日後、昭和8年(1933)12月10日には、 秋朱之介装釘の中原中也訳『ランボオ詩集』(三笠書房)も出ています。

この時期の秋朱之介は、文学の神様に愛されて、何か運も引き寄せていたのでしょうか。
昭和を代表する、二人の若くして亡くなった「青春」の作家・詩人の本を装釘した人は、 ほかにいたのでしょうか。

 

あれこれ書いてきましたが、今回言いたいことはだたひとつです。

昭和8年(1933)12月1日発行、武蔵野書院・稲光堂書店版の梶井基次郎『檸檬』の装釘者は、秋朱之介だった。
この事実に尽きます。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

ドニー・ハサウェー(Donny Hathaway、1945~1979)

ドニー・ハサウェー(Donny Hathaway、1945~1979)のライヴ音源を。

「ダニー」でなく「ドニー」と書くのは、私が、ピーター・バラカン『魂(ソウル)のゆくえ』(1989年7月25日発行、新潮文庫)を読んで、ドニー・ハサウェーを聴き始めたからです。

『魂(ソウル)のゆくえ』では、ドニー・ハサウェーの『ライブ(LIVE)』(1972年)、『エクステンション・オブ・ア・マン(Extension of A Man)』(1973年)の2枚のアルバムを選んで解説していて、「このドニーの二枚のアルバムは現在はヨーロッパ盤が入手しやすいだろう」とあるのですが、手もとにあるアナログ盤は、この本を読んで買ったものなので、まさしくそのドイツ・プレスのATLANTIC/ATCO盤でした。

そのころ、鹿児島のレコード屋さんでも、ドニー・ハサウェイのこの2枚のヨーロッパ盤は買うことができたのでした。

1989年の暮れには、ダニー・ハサウェイの全アルバムが日本でもCD再発されて入手しやすくなりました。
1989年はドニー・ハサウェー再評価の年だったようです。

「数あるライヴ・アルバムの中でも最高の一枚」と評されるドニー・ハサウェイの『ライブ』ですが、2004年に、未発表音源を含む新編集CD、Donny Hathaway『THESE SONGS FOR YOU, LIVE!』(ATLANTIC/RHINO)がリリースされ、2010年のCD4枚組ボックスDonny Hathaway『Someday, We’ll All Be Free』(WARNER MUSIC FRANCE)と、2013年のCD4枚組ボックスDonny Hathaway『Never My Love: The Anthology』(ATCO/RHINO)に収録されたライヴ音源で、改めて、そのライヴのすばらしさに聴き惚れてしまいます。

これらのLPやCDに収録されているのは、1971~1973年のライヴです。
「What’s Going On」「You’ve Got A Friend」「Jealous Guy」「To Be Young, Gifted And Black」「A Song For You」「I Love You More Than You’ll Ever Know」といったカヴァー曲や、「The Ghetto」「Someday We’ll All Be Free」といった自作曲のタイトルの並びを見ただけでも、そのライヴが生み出す良い雰囲気の波が心地よく寄せてくる一方、この50年、何が変わり、どんな良いことがあったのかという思いにも沈みます。

50年近くたっても、その歌が「生」であり続けていることに、畏怖を感じます。

 

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312. 1973年の『詩稿』24(2020年6月2日)

1973年の『詩稿』24 表紙

 

古本屋さんに、『詩稿』24号(1973年8月20日印刷発行、印刷 やじろべ工房)がぽつんと1冊あったので、ありがたく入手しました。
井上岩夫編集発行の『詩稿』は、持っていない号を見つけると、うれしい雑誌のひとつです。
『詩稿』については、このサイトでも、何度か取り上げています。

第258回 1966年の『詩稿』10号(2019年2月22日)
第259回 1961年の『詩稿』1号(2019年2月24日)
第302回 1973年の『詩稿 25』と1976年の『詩稿 32』(2020年3月7日)

こうした雑誌を揃えるには、『詩稿』の関係者にあたるのがいちばんで、本気の収集家・研究者なら、ツテをたどって、そうすると分かってはいるのですが、古本屋さんで、ぽつぽつと、ゆっくり見つけるのが、ちょっとした楽しみになっています。

こうした詩誌の基本は、売り買いされるものではなく、贈り贈られる本ということなので、贈り贈られた人たちのもとに残っているのですが、鹿児島に「古本屋・古書店」という文化が続いていってほしくて、そこで買いたい、という気持ちがあります。

 

『詩稿』24号は、「夏目漠特集号」でした。

『詩稿』24目次

『詩稿』24 目次

巻頭詩 夏目漠「魚を食べる」 目次
夏目漠特集
夏目漠 作品十五篇 ―一九七三―
 「壜」「樹」「時間」「町に出る」「それでも」「解体のすすめ」「死せるもの」「死のすすめ」 
 「君の革命」「三島さん」「正確に、正確に」「私は愛す」「強きもの」「むつごろう」「影」
夏目漠 腐土と陽炎 ―管理社会下の現代詩―
児玉達雄 夏目漠論
井上岩夫 瞑想と饒舌の間 ―夏目漠論―
 一、わらいからの距離
 二、瞑想と饒舌の間」
福石忍 「必笑仕掛人」への期待 ―夏目さんの横顔―
井上岩夫 詩「云勿議」
潮田武雄 詩「華麗な殉死」
児玉達雄 詩「鬼が歌った・M市まで四十キロ」
大山芳晴 詩「かげぼうし」
真木登代子 短歌「雑詠五十首」
島尾敏雄 「夢日記」 昭和四十三年三月六日~十月十七日
井上岩夫 詩「止まるな丸田」
中山朋之 詩「無精卵」
井上岩夫 「後記」

 

井上岩夫は、「後記」で、「夏目さんについては、書き手をもっと準備すべきであったようだ。この人はもっとよくみえる大人たちよって語り直され、語り継がれることになろうが、詩稿がその先鞭をつけたことになれば目的は達せられたとしたい。 」と書いています。

原稿が集まってみると、悪くはないのだけど、思っていたのと違う仕上がりに戸惑ってしまう、この感じは分からないではありません。

夏目漠(1910~1993)より20歳下の児玉達雄(1929~2018)、福石忍(1930~1989)の文章が、井上岩夫(1917~1993)が思っていたほど、「夏目漠特集」にがっちり合わなくて――合わないことは、それはそれで貴重です―― 執筆者に1900年代生まれと同世代の1910年代生まれの人も加えていたら、もっといい特集になったと思います。

同じく、「後記」で、「人々の忘れた頃」、印刷仕事の「夏枯れどき」8月にでる詩誌と、自嘲しています。

 

24号前後の号の発行年月日とページ数は、

『詩稿』22号「児玉達雄特集号」 1971年9月18日発行・100ページ

『詩稿』23号 1972年10月10日発行・72ページ

『詩稿』24号「夏目漠特集」 1973年8月20日発行・122ページ

『詩稿』25号 1973年12月27日発行・78ページ

それまで、年1回ペースだったものが、25号は、24号から4か月と短い間隔で出ていますが、『詩稿』24号と25号の間に起こった1973年暮れのオイルショックが誌面構成に反映しています。

25号の「後記」で、井上岩夫は、「紙が貴重品となってしまったため、やむなく詩も二段に組んだ。印刷屋の私にしてみれば、こんなとき貴重な紙を私ごとに使うことに無謀なムダを意識しないわけにいかないが、冊誌を作るというただそれだけの楽しみが、なかなかソロバンを受けつけてくれない。」と記しています。

古い雑誌は、こうした形でも時代を写しています。

 

古本屋さんでは、『詩稿』24号と、重ねて置いてあって、たぶん同じ処から出てきたと思われる、『天秤宮』創刊号~第3号も、一緒に買い求めました。

 

『天秤宮』創刊号~第3号

鹿児島の宮内洋子が主宰する文芸同人誌。
鹿児島県立図書館には、2019年10月の第49号まであり、30年目の今年、第50号が出るのでしょうか。

詩・評論・エッセイ『天秤宮』1990. 1. 創刊号(1990年1月18日発行)
 発行者 宮内洋子

詩・評論・エッセイ『天秤宮』第2号(1990年11月発行)
 編集責任者 木佐敬久 発行者 宮内洋子

詩・評論・小説・エッセイ『天秤宮』第3号(1992年2月10日発行)
 編集責任 木佐敬久 宮内洋子
 編集協力 久井稔子
 発行 天秤宮社

『天秤宮』創刊号~第3号では、当時NHK鹿児島にアナウンサーとして赴任していた木佐敬久の長篇評論「宮沢賢治とシベリア出兵」が誌面の半分を占めていて、創刊号に第1章(100枚)、第2号に第2章(400枚)、第3号に第3章(250枚)が掲載されています。

第4号に第4章が掲載されているようで、一緒にあれば、言うことなかったのですが、そんなにうまく話は進みません。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

Filling Time with Killing Time ジャケット

Filling Time with Killing Time CD

マサカー(massacre)のアルバム『Killing Time』(1981年)がグループ名の由来かと思われる、キリング・タイム(Killing Time、ひまつぶし楽団)の、ベストアルバム『Filling Time with Killing Time』(1989年、SONY)です。

drumsの青山純(1957~2013)は亡くなりましたが、このグループの現在形に近いものを小川美潮の音楽で聴くことができるのは、幸せなことだと思います。

ジャケットにマヤ・ウェーバー(Maja Weber)の絵が使われているのも素敵でした。
マヤ・ウェーバーも2011年に亡くなったそうです。

 

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311. 1951年の日夏耿之介『明治大正詩史』改訂増補版(2020年5月31日)

1951年の日夏耿之介『明治大正詩史』改訂増補版01 1951年の日夏耿之介『明治大正詩史』改訂増補版02

このタイプの本としてはよく売れたのでしょうか、割とよく見かける3巻本です。
1948~1949年の日夏耿之介『明治大正詩史』改訂増補版全3卷(創元社)。手もとにあるのは、1951年に出た再版です。
初出は『中央公論』連載。初版は、1929年(昭和4)新潮社刊の上下2巻。

秋朱之介(西谷操、1903~1997)に関連して、堀口大學(1892~1981)と日夏耿之介(1890~1971)の関係に関心があったので入手したものです。
堀口大學は、秋朱之介にとって「詩父」であり、堀口大學の詩集も何冊か装幀・発行しています。また、日夏耿之介訳のエドガー・アラン・ポー「大鴉」の刊行も準備したこともあり、2人は、秋朱之介にとって、尊敬する先達でした。(「秋朱之介」という名前も、明らかに「日夏耿之介」を意識しています。)

第一書房の長谷川巳之吉(1893~1973)が刊行した詩誌『パンテオン』(Panthéon・汎天苑、1928年4月~1929年1月)は、堀口大學と日夏耿之介の2人(当初は西條八十も)を中心にした詩誌で、秋朱之介も「西谷操」の名で、「括弧」(パンテオン第4号、1928年7月3日発行)、「鎌倉の秋」(パンテオン第9号、1928年12月3日発行)の2編の詩を発表しています。

堀口大學と日夏耿之介は、詩の同志として、この『パンテオン』を共同で編集していたのですが、何か決定的な決裂があって、1929年1月3日発行の第10号で、『パンテオン』は廃刊になってしまいます。

その後継誌として堀口大學を中心として刊行された『オルフェオン』創刊号(1929年4月3日発行、第一書房)には、広告も含めて日夏耿之介の名前はありません。


長谷川巳之吉(編輯兼發行人)は、「パンテオン廢刊に就いて」という短い文章を『オルフェオン』創刊号巻末に寄せています。

パンテオンは突如廢刊の止むなきに到りました。出來ることなら大きな終刊號を出して此の雜誌の終りを飾りたいと思ひましたけれども遂に私の希望は空しくなつてしまひました。パンテオンがどうして廢刊になつたかといふ事に就いては他日ゆつくりとした時に書かうと思つて居ります。
堀口氏から右の事情を話された時、二人の眼はお互に涙で曇つて居りました。私は相變ず忙しい爲めにそれをつぶさに書いてゐる時間がありません。

また、堀口大學も『オルフェオン』創刊號の編集後記「字幕」で次のように記しています。

 メタフィジックな理由によつてパンテオンは出して行けなくなつた。
 殘念なことだが仕方がなかつた。
 終刊號を出したいと云ふ第一書房の希望もあつたが、これまた同じ理由が許さなかつた。 
 以上は舊パンテオン同人の一人として、舊パンテオンの讀者に申し上げて置く。
      *
 今度、私が編輯して、オルフェオンを出して行くことになつた。これはパンテオンのつづきではない。別のものとして見ていただきたい。
(後略)

「メタフィジックな理由」とは、どんな理由だったのでしょう。「言えない」ということを言う表現なのでしょうか。
その理由によって、堀口大學と日夏耿之介の詩誌『パンテオン』は廃刊になりました。

 

日夏耿之介『明治大正詩史』改訂増補版での、堀口大學についての記述を読むと、2人を知る秋朱之介(西谷操)は、2人の訣別をどう思っていたのだろうと思います。

 

【2020年6月10日追記】

昭和4年(1929)1月『パンテオン』での、堀口大學と日夏耿之介の訣別以後、どちらかの門下かと言えば、秋朱之介は堀口大學のもとにいったと考えられます。それでも、昭和8年(1933)から昭和9年にかけて、秋朱之介が創業したばかりの三笠書房で制作編集した『書物』誌では、もちろん堀口大學の存在が目立つのですが、『書物』葭月號・第一年第二冊(昭和8年11月1日發售、三笠書房)には、黄眠道人「訳本大鴉縁起」、『書物』八月號・第二巻第八號(昭和9年8月1日發售、三笠書房)には、日夏耿之介「黄眠病窓雜筆」も掲載されています。

秋朱之介は日夏耿之介とのつながりを保って、日夏耿之介訳『大鴉』をつくることを諦めていません。実現しなかったのが残念です。


『パンテオン』第10号・最終号(1929年1月3日發行、第一書房)表紙

■『パンテオン』第10号・最終号(1929年1月3日發行、第一書房)表紙
編輯責任者 長谷川巳之吉

『オルフェオン』創刊号(1929年4月3日發行、第一書房)表紙

■『オルフェオン』創刊号(1929年4月3日發行、第一書房)表紙
堀口大學編輯
編輯兼發行人 長谷川巳之吉
『オルフェノン』創刊号には、西谷操(秋朱之介)の詩「ミヤよ」掲載。

 

『改訂増補 明治大正詩史』(卷ノ上) 表紙

『改訂増補 明治大正詩史』(卷ノ上) 表紙
昭和23年12月25日初版発行
昭和26年3月25日再版発行
巻ごとにビロード生地の表紙クロスの色を変えています。

『改訂増補 明治大正詩史』(卷ノ中) 表紙

『改訂増補 明治大正詩史』(卷ノ中) 表紙
昭和24年5月15日初版発行
昭和26年3月25日再版発行

『改訂増補 明治大正詩史』(卷ノ下) 表紙

『改訂増補 明治大正詩史』(卷ノ下) 表紙
昭和24年11月30日初版発行
昭和26年3月25日再版発行

 

日夏耿之介『明治大正詩史』改訂増補版で、堀口大學についての言及を引用してみます。
言わば、明治大正の詩の正史として目論まれた書なのでしょうが、かつての同志への言葉には、強烈なものがあります。

(卷ノ中)p325
 當時(大正はじめ)は詩を作る者眞に稀少であつて、たとへば、西條八十は牙籌に匿れ、堀口大學は異邦に情痴を漁り、生田春月は歌はず、竹友藻風書堆裡に埃となり、出野青煙肺を病み、今井白楊、三富朽葉變に水死し、佐藤春夫は散文に奔り、富田碎花風の如くに去來するのみ、木下杢太郎考古に耽り、茅野蕭々育英に韜晦し、服部嘉香壇を退き、加藤介春西埵に下り、高村光太郎彫塑に轉り、福田夕咲飛州に去り、人見東明、水野葉舟亦詩林を遁れ、詩人の影寥々枯燥して秋の葉の如くであつた。

(卷ノ中)p342
そのスバル派は明治最終期の詩壇を代表するに到り、白秋、杢太郎、光太郎、秀雄、茂(栗山)、青煙、藻風、春夫、大學等こゝに育つた。

(卷ノ中)p371注
(永井荷風の)奢侈(おごり)一篇の如き、よしんば譯出上に不備があつたにせよ、後の堀口大學の譯業などはその足下にも及ばぬ文語の本質的驅使があつた。

(卷ノ中)p384~386
(与謝野寛の)「リラの花」、(永井荷風の)「珊瑚集」に次いで出た譯集は、堀口大學の「昨日の花」(大正七年)で、ヴェルレエン、サマン、グウルモン、ラオオル、フォール、ジヤム、クロオデル、ヂュアメル、モレアス等十八詩人六十餘篇の佛詩を収め、普通語學力の正確に於ては嶄然儕輩をぬきんでていたが、日本語の使用に根元に於て幾多の危かしさがあつた。古語文語が全然板についてゐないのである。日本の文語の意味以上のニュアンスを語る準備が全くないのである。 (略)

明晰な叙景とまじらつて、およそ當時の譯詩に行はれた、蠟を喰むやうな死語の行列からは、大部分は脱出してゐる。大學の譯業はこの一卷にはじまつて打ちつゞく數卷に文語、口語を交へて、あらゆる諸傾向を移植したが、彼の貢獻の反響は善悪ともに、次第にその後の青年詩人に見えはじめた。

(卷ノ中)p385注
堀口大學の文語は、譬へば日本語の巧みな洋人が源氏物語の通讀にやつと成 したといふやうな危なかしい安心があるにとどまるが、その口語作の譯詩はそれに比べると杳かに堂に入つてゐた。

 

(卷ノ下)p1
享樂文學の傾向は、詩文壇兩面に鮮かな象(かたち)をあらはし、(略)春夫、藻風、青煙、好母、晶川、大學等の文學少年もこゝに集つた。

(卷ノ下)p72
大正十年三月茅野蕭々、北原白秋、三木露風、山宮允、竹友藻風、西條八十、日夏耿之介、やゝ遅れて柳澤健、堀口大學等が詩話會を退いたのはこの所因に基いた。

(卷ノ下)p89
(白鳥)省吾一輩が、齒牙にも掛けずろくろく論評も加へない詩人(その中には柳澤健、竹友藻風、茅野蕭々、堀口大學、その外が居る)の中には光彩ある詩感の所有者が夥しくゐる。一例をあげて斷言を下して見るならば、省吾が今日迄の作品と堀口のそれを比較するなら、その「着實なる現實味」に於て、省吾が不熟不徹底な民主思想の説明をくり返してゐるに對し、大學がその主觀を大膽に赤裸に歌うて憚らない(略)點で寧ろ少々卓れてゐる。たゞ、大學詩の赤裸性の奥に内在する主観の深嚴性の寡弱と乏少とが、彼の表て藝たる漁色篇價を著しく駄作愚品化して居るは當然である。

(卷ノ下)p105
大雅を志すといふ(藻風)もの
快活明朗をしたふ(西條)もの
秋と落葉と痴戀とを歌うた(堀口)もの
悲哀にうるほふ(日夏)もの
片隅の幸福を嘆く(生田)もの
樂生受用にかゞやく(柳澤)もの
病感に耽湎する(萩原)もの
遅れて情痴と哀愁をうたい出た佐藤春夫
晩年に臨んで初めて一家の風をなした若き希臘主義の詩人北村初雄

(卷ノ下)p115注
堀口の「スバル」時代は佐藤にも竹友にも出野にも室生にすらも及ばぬ未熟があつたが、それが次第に成熟に及んだのは確かに一の進展であつた。が、それは小さき文學少年の小さき展開にすぎなかつた。彼の努力と精進とは三十五歳以後であるを要する。この峠に於て慘しくも挫折してしまつたのは、その詩人的態度覺悟の不眞面目と遊戯的なるとに因る。

(卷ノ下)p114~117
 堀口大學は、譯詩「昨日の花」の後に「月光とピエロ」(大正八年)第一作集を出し、つゞいて「失はれた寶玉」(大正九年)の譯詩と「水面に書きて」(大正十年)を上梓した。
 「この詩人の將來を決定するにも足る人生に對する陶醉があつた。悲哀の連吟があつた。感情の氾濫があつた。詩念の自由があつた。特に、「雪」の
  雪はふる! 雪はふる!
  見よかし、天の祭なり!
云々の格調の正しい一篇にあらはれた表現の自由は、「秋」の破題
  今宵蕭蕭と風吹きて
  秋に痛める草の葉は
  悲しきさまにゆらぐかな
などに見られる七五正調の中にあつて、尚且つ彼が詩眞を自在に盛つて、昔の新體詩の陳套に陥つてゐないと同一の例證であり、「月光とピエロとビエレツトの唐草模様」には次の集にあらはれる動的な快活な輓近體の新傾向をはるかに暗示してゐる。」(「詩壇の散歩」二〇頁)かつて斯く評した筆者は更に次集について左のごとく論じた。「これには流俗の淫視を辱うするサッカリンのやうなセンティメンタリズムはない。これは、「民衆」に媚を呈して、しがない身賣の昨日今日の如何にもなさけなさすぎる救世軍の太鼓のやうな勇敢はない。しかし、こゝにも流俗はその時代の標語として擔ぐ人間味を夥しく受ける事は自由である。また、「民衆」の不斷に愛好する新鮮を嗅ぐことも自由である。それ計りではない。こゝには、昔乍らの遊戲の假面を被つた「まごころ」を發見する餘地さへもある。きびしい刺笑が反語的に人生を脅かす。こゝは新藥の製造所だ。甘たるい小學生のセンティメンタリズムがある。こゝは世界的歌舞の巷だ。卷頭「椰子の木」は彼の一面の代表的の詩である。
  なほ高く
  なほ大地より遠く
  天の方へと差のべたれど
  天はそこにもあらで
  天は理想のやうに
  いよいよ遠ざかり
  ふるゝ術もなきに
  紫の夕ぐれとなる」
     (同上二三-二四頁)
 輓近の「新らしき小徑」は、一切の古きものから去つて全く新らしい九折の山徑に彳んでゐる。彼を筆者は「六號活字で書くべきものを二號活字で書く事を否まない」男とかつて評したが、佳品も些かあれば拙作も夥しく、一集毎に、殉情曲から象徴派から未來派から立體派から等、等、等と無限に變化してゆくのが、彼の詩程であつた。堀口のこの變化性は、かれのフレクシビリティーをあらはし、受感性を示すものであり、同時に又、齡を加ふるに連れて重積しなければならぬ經驗が、一向に彼の精神生活の深刻性と個性の鮮やかなるものとを將來する能はざる「
魂の未熟」を暴露し、詩家としてのスケイルの淺薄を裏書きし、更に、その人間性の輪廓の狹小を雄辯に物語るものに外ならぬ。彼の輓近に及んで、特色づけられたその色情詩は、何等人間生活の本能的桎梏にまつはる痛烈深刻の體驗に根ざさゞる、遊戯的淫慾の文字上小技巧の小産物にすぎざる點に於て、共同後架の不良的樂書きにも如かざる、風俗史上の興味を牽く程度の價値あるものにすぎない。堀口大學は、爰に於て夙くも徒らに詩齢老いたる全き永久の小未成品たるにすぎないのである。

(卷ノ下)p162
(略)生意志の発展途上の拘束を欲せざる藝術行動そのもの又はその餘波で、之れと一見孔(はなは)だよく類似して、決してディレッタントでなく、ディレッタントの無計算操作を果し得ざるさがのガッチリ者に二名の脂粉派堀口大學、西條八十があつた。

(卷ノ下)p175
堀口は佛蘭西擬ひライト・ポエトリの作製に終始したが、措辭に魅力の美なく、正詩と街の民謡との中間存在であつた。西條は此時已に艶歌師であつた。

(卷ノ下)p178
小説に去つた佐藤が飄然之れ(詩話會)に加はるかと見れば、その同窓堀口はこの派に就かず、

(卷ノ下)p182
(大正十四年)二人の好き味利き鈴木信太郎、山内義雄の精審な飜譯がこの氣運に妥當な肉附けと類例とを付へた。堀口大學も譯書を續出し、初め語に拙く語彙に乏しき乍ら稚拙の妙があつた。(ヨネ・ノグチの初期日本語詩の如く)のち群小の新を少年讀者の向新性に媚びて營業的濫譯するに及んで齡せられなくなつてしまつた。

 

     

積まれた本の山に分け入っていると、イギリスの作家オズバート・シットウェル(Osbert Sitwell、1892~1969)の自伝5部作や、スコットランドの作家コンプトン・マッケンジー(Compton Mackenzie、1883~1972)自伝10巻本も出てきます。

裸本で安かったからというのもあるのでしょうが、何を考えて買ってしまったのか、笑ってしまいます。

 

『LEFT HAND, RIGHT HAND!』1945-1950

全体のタイトルは、『LEFT HAND, RIGHT HAND!』で、各巻の見開きに、オズワート・シットウェル本人の、たぶん実物大の手形が使われています。
相撲取りかと、ぎょっとしますが、偽りのない自伝であることの証なのかもしれません。

 

LEFT HAND, RIGHT HAND!

LEFT HAND, RIGHT HAND!
An Autobiography by OSBERT SITWELL
Vol.1: THE CRUEL MONTH
1945年、MACMILLAN & CO.

THE SCARLET TREE

THE SCARLET TREE
BEING THE SECOND VOLUME OF
LEFT HAND, RIGHT HAND!
An Autobiography by OSBERT SITWELL
1946年、MACMILLAN & CO.

GREAT MORNING

GREAT MORNING
BEING THE THIRD VOLUME OF
LEFT HAND, RIGHT HAND!
An Autobiography by OSBERT SITWELL
1948年、MACMILLAN & CO.

LAUGHTER IN THE NEXT ROOM

LAUGHTER IN THE NEXT ROOM
BEING THE FOURTH VOLUME OF
LEFT HAND, RIGHT HAND!
An Autobiography by OSBERT SITWELL
1949年、MACMILLAN & CO.

NOBLE ESSENCES OR COURTEOUS REVELATIONS

NOBLE ESSENCES OR COURTEOUS REVELATIONS
BEING A BOOK OF CHARACTERS
AND THE FIFTH AND LAST VOLUME OF
LEFT HAND, RIGHT HAND!
An Autobiography by OSBERT SITWELL
1950年、MACMILLAN & CO.

索引は、各巻ごとにあり、人の名前での検索はしやすい本です。
画家スタンリー・スペンサー(Stanley Spencer、1891~1959)らと同世代の人なので、言及される画家の名前をチェックするのが、楽しみだったりします。

 

Compton Mackenzie『MY LIFE AND TIMES』(1963~1971、CHATTO & WINDUS)

Compton Mackenzie『MY LIFE AND TIMES』(1963~1971、CHATTO & WINDUS)

OCTAVE ONE 1883-1891(1963年)
OCTAVE TWO 1891-1900(1963年)
OCTAVE THREE 1900-1907(1964年)
OCTAVE FOUR 1907-1915(1965年)
OCTAVE FIVE 1915-1923(1966年)
OCTAVE SIX 1923-1930(1967年)
OCTAVE SEVEN 1931-1938(1968年)
OCTAVE EIGHT 1939-1946(1969年)
OCTAVE NINE 1946-1953(1970年)
OCTAVE TEN 1953-1963(1971年)

索引は、2巻ごと偶数巻にあり、これも人の名前を調べやすくなっています。
大部の自伝の肝は、索引です。

手もとにあるものは、1~8巻が裸本で、9、10巻にジャケット(ダストラッパー)がついています。
スウィンギング・ロンドンと同時代とは思えない、コンプトン・マッケンジーの活躍した時代に合わせたような2色ジャケットのデザインは、エニッド・マークス(Enid Marx、1902~1998)。
秋朱之介(西谷操、1903~1997)と同世代の人。
名前から推測されるように、あのカール・マルクス(Karl Marx、1818~1883)の縁者です。

10巻そろえるなら、ジャケット(ダストラッパー)付きのほうがいいと思います。

Compton Mackenzie『MY LIFE AND TIMES』OCTAVE TEN

Compton Mackenzie『MY LIFE AND TIMES』OCTAVE TEN 1953-1963(1971年)のジャケット

 

     

積まれた本の山に分け入ると、こんな本もあったかと、ページをめくると、思わず読みふけってしまい、作業が進みません。

『Lost Classics』

『Lost Classics』
edited by Michael Ondaatje, Michael Redhill, Esta Spalding, Linda Spalding
2000年、Anchor Books

副題が「Writers on Books Loved and Lost, Overlooked, Under-rated, Unavailable, Stolen, Extinct, or Otherwise Out of Commission」
73人の書き手が、それぞれの「Lost Classic」となった1冊について書いたアンソロジーです。1人あたり3~4ページの短いものばかりですが、書き手の本への思いが強く、見かけ以上に密度が濃い本です。

パラパラめくっていたら、「ウリポ」という文学グループ当初唯一のアメリカ人のメンバー、ハリー・マシューズ(Harry Mathews、1930~2017)の文章が、目にとまってしまいました。
ハリー・マシューズが「Lost Classic」として選んだ1冊は、D’Arcy Wentworth Thompson『On Growth and Form』。

生物学者ダーシー・トムソン(1860~1948)の『成長とかたち』(邦訳に抄訳の『生物のかたち』)という本のことを、ハリー・マシューズが知ったのは1944年。
戦時中、父親は海外におり、母親と二人暮らしで、「Wainscott, Long Island」のコテージを借りて夏休みを過ごしていた14歳のとき。

母親の知り合いのところに夕食に誘われて行くと、 そこに、バウハウスが閉鎖されドイツからアメリカへ亡命した建築家のミース・ファン・デル・ローエ(Mies van der Rohe、1886~1969)も招かれていました。
大人たちが酔ってゴシップ・モードになると、14歳のハリー・マシューズがミース・ファン・デル・ローエの話し相手になります。

そこで、ミース・ファン・デル・ローエがハリー・マシューズ少年に熱く語ったのは、自分が作ってきた建築空間はすべて『On Growth and Form』に由来していたということ。 D’Arcy Thompson『On Growth and Form』という本と著者の名前が、ハリー・マシューズの胸に刻み込まれます。

そこで、次の告白。

During my late adolescence I was a book stealer. I loved books, not just to read but to own, and there was no way I could buy all I wanted. Because I stole for love, I stole self-righteously.

10代のハリー・マシューズは、本への愛ゆえに本を盗んでいた、という告白です。
それでも、『On Growth and Form』と出会うことはありませんでした。

1952年、妻と娘を連れてフランスへ移り住みます。そして、2年後、物価の安いマジョルカ島に移り住むことを決めます。
その前にロンドンで本を買っていくことにして、大手書店「Foyle’s」に行ってみると、 『On Growth and Form』の2巻本(Cambridge University Press, revised edition, 2 vols.)を初めて目にします。

お金のないハリー・マシューズは、すでに夫であり父親である自覚を持ちながらも、 どうしても、その本を所有したくて、翌日、人生最後の万引きをします。12冊以上のたくさんの本を買うことで、2冊の本をまぎらわせる方法を準備し、それは成功してしまいます。

それから、短い文章で時が過ぎます。父、母が亡くなり、離婚し、新しい家族をつくり、アメリカの大学で教えるようになり、 いろいろな土地を移り住んだことを簡潔に語ります。
その1000頁を超す大冊を手放すことはなかったけれど、ずっと読まないまま過ごします。
そして、1998年2月11日に読みはじめられ、同じ年の7月18日に読みおわります。
『On Growth and Form』からの全体と部分の関係について述べた文章を引用して、4ページながら、50年を超える長い時間と告白のつまったテキストは終わります。

 

本を盗んだ過去の告白。つまり、それまで40年、知られることがなかったということでしょう。
このことに口をつぐんだまま墓場まで持っていかなかったのは何故か。
いろんなことを考えさせられます。

人間関係で、「In 1952 I moved to France with my wife and daughter. 」「My marriage ended. 」とだけある妻は、画家・彫刻家のニキ・ド・サン・ファル(Niki de Saint Phalle、1930~ 2002)だったと考えると、家族にも秘密だったのでしょうか、知られていたのでしょうか、そのことで何か起きたのでしょうか。
「盗み」は、作家ハリー・マシューズに何をもたらしたのでしょうか。

 

そして、本を万引きするということで、逆説的に思い浮かんだのが、梶井基次郎の『檸檬』でした。

(略)そして軽く跳りあがる心を制しながら、その城壁の頂きに恐る恐る檸檬を据えつけた。そしてそれは上出来だった。
 見わたすと、その檸檬の色彩はガチャガチャした色の階調をひっそりと紡錘形の身体の中へ吸収してしまって、カーンと冴えかえっていた。私は埃っぽい丸善の中の空気が、その檸檬の周囲だけ変に緊張しているような気がした。私はしばらくそれを眺めていた。
 不意に第二のアイディアが起った。その奇妙なたくらみはむしろ私をぎょっとさせた。
 ――それをそのままにしておいて私は、何喰わぬ顔をして外へ出る。――
 私は変にくすぐったい気持がした、「出て行こうかなあ。そうだ出て行こう」そして私はすたすた出て行った。

一方、ハリー・マシューズは本を見つけた翌日、見つかることのないよう段取りを練って盗みを実行します。

 I spent an inwardly frantic, outwardly reasonable hour executing my theft, moving the two volumes separately and in stages from the middle of the second floor towards the ground-floor exit, camouflaging the manoeuvre by bringing books I planned to buy to the cashier nearest my point of escape. At last On Growth and Form was settled, not too conspicuously, on a rack between my cashier and the nearby door. I paid for my other books ―― over a dozen, as I remember ―― and on my way out picked up my covert objects of desire and walked out into Charing Cross Road. I did not look back. I did not run. I blessed the pedestrian throng.

檸檬を置く行為と、本を持ち去る行為は、対称的なのですが、似てしまいます。
「丸善」と「Foyle’s」という特別な場所があり、作業の緊張と成功の喜びがあり、「すたすた」とではありませんが、店の外へ出て、振り返らず、走らず、歩み去ります。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

massacre『Killing Time』01

massacre『Killing Time』02

『キリング・タイム(Killing Time)』つまり「ひまつぶし」というタイトルの、マサカー(massacre)というグループのアルバムがあります。
ギター/フレッド・フリス(Fred Frith)、ベース/ビル・ラズウェル(Bill Laswell)、ドラムス/フレッド・マハー(Fred Maher)の3ピース・バンド。
1981年のスタジオ・ライブ録音。
写真は、2005年のReRレーベルからの再発CD。

久しぶりに聴くと、その素早さ、切れが素晴らしく、改めて聴き惚れました。
目が覚めます。寝ぼけたままだといけません。


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310. 1972年のエドワード・ゴーリー『アンフィゴーリー』(2020年5月28日)

エドワード・ゴーリー『アンフィゴーリー』01

309. 2000年の『map』(2020年5月28日)

2000年の『map』

308. 1993年のピート・フレイム『ロック・ファミリー・ツリー完全版』(2020年5月14日)

1993年のピート・フレイム『ロック・ファミリー・ツリー完全版』4冊

307. 1933年の三笠書房の《鹿と果樹》図(2020年4月30日)

1933年の三笠書房の《鹿と果樹》図

306. 1973年の「カンタベリー・ファミリー・ツリー」(2020年4月22日)

1973 THE INCESTUOUS TALES OF CANTERBURY HEADS and sundry country cousins, urban ‘erberts, and Australian nomads

305. 1985年の『星空に迷い込んだ男 - クルト・ワイルの世界』(2020年4月14日)

1985年の『Lost In the Stars - The Music of Kurt Weill』

304. 2010年の『ロンドン・パタフィジック協会会報』第1号(2020年4月4日)

2010年の『ロンドン・パタフィジック協会会報』第1号

303. 1976年の別役実『虫づくし』(2020年3月15日)

1976年の別役実『虫づくし』表紙

302. 1973年の『詩稿 25』と1976年の『詩稿 32』(2020年3月7日)

1973年の『詩稿 25』と1976年の『詩稿 32』

301. 1911年のヘンリー・P・ブイ『日本画の描法』(2020年2月19日)

1911年のヘンリー・P・ブイ『日本画の描法』

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300. 1954年ごろの村 次郎自筆『風の歌』ほか6つの異版(2020年2月15日)

1954年ごろの村 次郎自筆『風の歌』ほか6つの異版

299. 1982年のチャクラ『さてこそ』雑誌広告(2020年1月25日)

1982年のチャクラ『さてこそ』の雑誌広告

298. 2020年1月1日の桜島

2020年1月1日の桜島01

297. 1996年~(未完)の『THE PRINTED HEAD』第4巻(2019年12月31日)

1996年~(未完)の『THE PRINTED HEAD』第4巻

296. 1993年~1996年の『THE PRINTED HEAD』第3巻(2019年12月30日)

1993年~1996年の『THE PRINTED HEAD』第3巻外箱

295. 1992・1993年の『THE PRINTED HEAD』第2巻(2019年12月27日)

1992・1993年の『THE PRINTED HEAD』第2巻

294. 1990・1991年の『THE PRINTED HEAD』第1巻(2019年12月26日)

1990・1991年の『THE PRINTED HEAD』第1巻外箱

293. 1943年の『書物展望』五月號(2019年12月9日)

1943年の『書物展望』五月號・駒村悼追號表紙

292. 1994年の江間章子『ハナコ』(2019年11月30日)

1994の江間章子『ハナコ』表紙カヴァー

291. 1994~1997年の『THE RēR QUARTERLY VOLUME 4』(2019年11月23日)

1994年の『ReR Records Quarterly Vol. 4 No.1』CD01

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290. 1989~1991年の『RēR RECORDS QUARTERLY Vol. 3』(2019年11月23日)

1989年の『RēR Records Quarterly Vol. 3 No.1』表ジャケット

289. 1987~1989年の『Rē RECORDS QUARTERLY Vol. 2』(2019年11月22日)

1987年の『Rē Records Quarterly Vol. 2』Vol1表ジャケ

288. 1989年のアルフレッド・ジャリ『DAYS AND NIGHTS』(2019年11月1日)

1989年の『DAYS AND NIGHTS』表紙

287. 1939年の『東京美術』(2019年10月24日)

1939年の『東京美術』16表紙

286. 1937年の『東京美術』(2019年10月23日)

1937年の『東京美術』12表紙

285. 1994年の渡辺外喜三郎「『カンナ』の流れとともに ―牧祥三先生の手紙―」(2019年10月13日)

渡辺外喜三郎「『カンナ』の流れとともに ―牧祥三先生の手紙」背

284. 1999年の鶴ヶ谷真一『書を読んで羊を失う』(2019年9月27日)

鶴ヶ谷真一の書物エッセイ

283. 2018年の龍星閣『澤田伊四郎 造本一路』と2019年の龍星閣『澤田伊四郎 造本一路 図録編』(2019年9月26日)

2018年の『澤田伊四郎 造本一路』と2019年の『澤田伊四郎 造本一路 図録編』

282. 1949年の鹿児島市清水町の写真(2019年9月23日)

1949年の鹿児島市清水町写真01

現在の清水町

281. 1947年の村松嘉津『プロヷンス隨筆』(2019年9月2日)

1947年の村松嘉津『プロヷンス隨筆』表紙

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280. 1938年のアーサー・ランサム『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』(2019年8月31日)

1938年のアーサー・ランサム『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』表紙

279. 1978年の天沢退二郎『オレンジ党と黒い釜』(2019年8月30日)

1978年の天沢退二郎『オレンジ党と黒い釜』見返しの地図

278. 1973年の天沢退二郎『光車よ、まわれ!』(2019年7月24日)

1973年の天沢退二郎『光車よ、まわれ!』見返し

277. 1937年のアーサー・ランサム『海へ出るつもりじゃなかった』(2019年6月29日)

1937年のアーサー・ランサム『海へ出るつもりじゃなかった』見返しの地図

276. 1930年のアーサー・ランサム『ツバメ号とアマゾン号』(2019年6月28日)

SWALLOWS & AMAZONS(1932年12月の新装画版第3刷)見返しの地図

275. 1931年のケネス・グレアム『たのしい川べ』E・H・シェパードさし絵版(2019年6月22日)

1931年のケネス・グレアム『たのしい川べ』E・H・シェパードさし絵版見返し

274. 1930年のエリック・ギル旧蔵『THE FLEURON』第7号(2019年6月18日)

1930年のエリック・ギル旧蔵『FLEURON』第7号

273. 2014年の津原泰水『音楽は何も与えてくれない』(2019年5月25日)

2014年の津原泰水『音楽は何も与えてくれない』

272. 1987年の『みなみの手帖』第51号(2019年5月9日)

1987年の『みなみの手帖』第51号~54号

271. 1971年の『みなみの手帖』創刊号(2019年5月9日)

1971年の『みなみの手帖』創刊号~4号

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270. 1913年のラルフ・ホジソン詩集『THE MYSTERY』(2019年5月8日)

1913年のラルフ・ホジソン詩集『THE MYSTERY』表紙

269. 1928年の『ザ・バーリントン・マガジン』4月号(2019年4月7日)

『Burlington Magazine(バーリントン・マガジン)』の1928年4月号

268. 1936年の井上和雄『寶舩考(宝船考)』(2019年3月19日)

1936年の井上和雄『寶舩考』長田神社にて

267. 1939年の井上和雄『書物三見』(2019年3月18日)

1939年の井上和雄『書物三見』長田神社にて

266. 1947年の『詩學』11・12月號(2019年3月7日)

1947年の『詩學』11・12月號

265. 1992年の『児玉達雄詩十二篇』(2019年3月3日)

1992年の『児玉達雄詩十二篇』と1994年『第二収』

264. 1958年の『森の泉 作品集 8』(2019年3月2日)

1958年の『森の泉 作品集 8』表紙

263. 1973年ごろの村 次郎詩集『風の歌』筆写版(2019年3月1日)

1973年ごろの村次郎詩集『風の歌』筆写版表紙

262. 1956年の『対話』(2019年2月27日)

1956年~1959年の『対話』

261. 1971年の『浜田遺太郎詩集』(2019年2月26日)

1971年の『浜田遺太郎詩集』箱表紙

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260. 1971年の福石忍詩集『遠い星』(2019年2月25日)

1971年の福石忍詩集『遠い星』箱表紙

259. 1961年の『詩稿』1号(2019年2月24日)

1961年の『詩稿』1号2号3号

258. 1966年の『詩稿』10号(2019年2月22日)

1966年の『詩稿』10号表紙

257. 1967年の『詩と批評』11月号(2019年2月21日)

1967年の『詩と批評』11月号表紙

256. 1934年の秋朱之介の裳鳥会刊『棟方志功画集』広告(2019年2月7日)

1934年の秋朱之介の裳鳥会刊『棟方志功画集』広告

255. 1934年の有海久門詩集『人生を行く』(2019年2月6日)

1934年の有海久門詩集『人生を行く』箱と表紙

254. 2018年の「言語と美術――平出隆と美術家たち」展のフライヤー・リーフレット(2019年1月21日)

2018年の「言語と美術――平出隆と美術家たち」展のフライヤー・リーフレット

253. 1981年の『浮世絵志』復刻版(2019年1月21日)

大曲駒村編輯の『浮世絵志』復刻版

252. 2019年1月1日の桜島

2019年1月1日桜島早朝a

251. 1942年の昭南書房版・石川淳『山櫻』(2018年12月16日)

1942年の昭南書房版・石川淳『山桜』表紙

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250. 1986年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』予約購入者へのおまけ(2018年12月5日)

1986年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』予約購読者へのおまけ

249. 2013年のサジー・ローチェ文/ジゼル・ポター絵『バンドやろうよ?』(2018年11月14日)

Suzzy Roche & Giselle Potter『Want To Be In A Band?』表紙

248. 1984年のNovember Books『The Christmas Magazine』(2018年11月12日)

1985年のNovember Books『Christmas Magazine』(1984年)広告

247. 1934年の倉田白羊『雜草園』(2018年10月24日)

1934年の倉田白羊『雜草園』

246. 1980年の鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』(2018年10月4日)

1980年の鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』マッチ01

245. 1931年~1932年の『古東多万(ことたま)』目次(2018年9月29日)

『古東多万』の第一年第二號目次

244. 1931年『古東多万(ことたま)』第一號(2018年9月20日)

1931年『古東多万(ことたま)』第一號

243. 1931年~1932年の『古東多万』の紙ひも綴じと糸綴じ(2018年8月31日)

1931年『古東多万』第1号

242. 2018年の『PETER BLEGVAD BANDBOX』(2018年8月10日)

2018年の『PETER BLEGVAD BANDBOX』外箱01

241. 1942年の新村出『ちぎれ雲』(2018年7月23日)

1942年の新村出『ちぎれ雲』表紙

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240. 1935年の『The Dolphin』誌第2号(2018年7月23日)

1935年の『The Dolphin』誌第2号

239. 1960年の石邨幹子訳 マリイ・ロオランサン『夜たちの手帖』特製本(2018年7月13日)

1960年のマリイ・ロオランサン『夜たちの手帖』特装本と普通本

238. 1934年の木下杢太郎『雪櫚集』(2018年7月12日)

1934年の木下杢太郎『雪櫚集』

237. 1992年の岡澤貞行『日々是趣味のひと』(2018年6月22日)

1992年の岡澤貞行『日々是趣味のひと』箱表紙

236. 1981年の『清水卓詩抄』(2018年6月21日)

1981年の『清水卓詩抄』表紙

235. 1978年のゲーリー・スナイダー『亀の島』サカキナナオ訳 (2018年5月30日)

1978年のゲーリー・スナイダー『亀の島』サカキナナオ訳表紙

234. 1956年の山中卓郎『坂の上』(2018年5月11日)

1956年の山中卓郎『坂の上』表紙

233. 1936年の柳亮『巴里すうぶにいる』(2018年5月9日)

1936年の柳亮『巴里すうぶにいる』

232. 1956年の『POETLORE(ポエトロア)』第8輯(2018年4月30日)

1956年の『POETLORE(ポエトロア)』第8輯

231. 1960年の石邨幹子訳 マリイ・ロオランサン『夜たちの手帖』(2018年4月5日)

1960年のマリー・ローランサン『夜たちの手帖』

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230. 1983年の高野文子『おともだち』(2018年4月4日)

高野文子『おともだち』表紙とアンドレ・マルティ挿画の『青い鳥』

229. 1936年の堀口大學譯『マリイ・ロオランサン詩畫集』(2018年4月4日)

1936年の堀口大學譯『マリイ・ロオランサン詩畫集』

228. 1936年の東郷青児『手袋』(2018年3月27日)

1936年の東郷青児『手袋』

227. 1990年の江間章子『タンポポの呪咀』(2018年3月16日)

1990年の江間章子『タンポポの呪詛』

川内まごころ文学館「川内の生んだもう一人の出版人」秋朱之介関連新収蔵資料展示

226. 1934年の山口青邨『花のある隨筆』(2018年2月12日)

1934年の山口青邨『花のある隨筆』

225. 1934年の水原秋櫻子『定型俳句陣』(2018年2月12日)

1934年の水原秋櫻子『定型俳句陣』

224. 1934年の山口青邨『雜草園』(2018年2月12日)

1934年の山口青邨『雜草園』

223. 1933年の富安風生『草の花』(2018年2月12日)

1933年の富安風生『草の花』

222. 1943年の昭南書房版『かの子短歌全集 第一巻』(2018年1月28日)

1943年の昭南書房版『かの子短歌全集 第一巻』表紙

221. 2017年のピーター・ブレグヴァド『GO FIGURE』(2018年1月20日)

2017年のピーター・ブレグヴァド『Go Figure』

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220. 1990年のピーター・ブレグヴァド『King Strut』(2018年1月20日)

1990年のピーター・ブレグヴァド『King Strut』

219. 1983年のピーター・ブレグヴァド『The Naked Shakespeare』(2018年1月20日)

ピーター・ブレグヴァド『The Naked Shakespeare』

218. 鶴丸城跡堀のカワセミ(2018年1月1日)

鶴丸城跡堀のカワセミ01

217. 1936年の伸展社版『醉ひどれ船』ちらし(2017年12月30日)

1936年の伸展社版『醉ひどれ船』ちらし

216. 1869年の「稚櫻豊暐姫命塚」(2017年11月18日)

1869年の「綾御衣裏寧姫命塚」

215. 1813年の金剛嶺石碑(2017年11月18日)

1813年の金剛嶺石碑

214. 1667年のタンタドの観音石像(2017年11月18日)

1667年のタンタドの観音石像

213. 1981年のScritti Politti「The "Sweetest Girl"」(2017年11月6日)

1981 C81

212. 1903年の川上瀧彌・森廣『はな』(2017年10月29日)

1903年の川上瀧彌・森廣『はな』

211. 1982年のThe Ravishing Beauties「Futility」(2017年10月17日)

1982年Mighty Reel

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210. 1925年の西谷操「狼は吠える」(2017年10月8日)

1925年の西谷操「狼は吠える」

209. 1992年の『ホテル・ロートレアモン』(2017年9月15日)

1992年の『ホテル・ロートレアモン』

208. 1935年の堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』(2017年8月29日)

1935年の堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』

207. 2016年の『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』 ILLUSTRATED by PETER BLEGVAD(2017年8月17日)

『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』

206. 1931年の佐藤春夫『魔女』(2017年7月25日)

1931年の佐藤春夫『魔女』

205. 1985年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』の予約購読者へのおまけ(2017年6月27日)

1985年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』の予約購読者へのおまけ

204. 1985~1986年の『Rē Records Quarterly Vol. 1』(2017年5月28日)

Rē Records Quarterly Vol. 1 No.1 back

203. 1932年の池田圭『詩集技巧』(2017年4月27日)

1932年の池田圭『詩集技巧』表紙

202. 2011年の『Emblem of My Work』展カタログ(2017年4月3日)

2011年の『Emblem of My Work』展カタログ

201. 1928年の佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』(2017年3月17日)

1928年の佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』背

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200. 千駄木の秋朱之介寓居から小日向の堀口大學の家まで(2017年3月16日)

小日向の鷺坂

199. 2009年の『黒いページ』展カタログ(2017年2月14日)

2009年の『黒いページ』展カタログ

198. 1934年の『西山文雄遺稿集』(2017年1月31日)

1934年の『西山文雄遺稿集』

197. 1967年の『笑いごとじゃない』(2017年1月14日)

1972年の『笑いごとじゃない』

196. 2017年1月1日の桜島

2017年1月1日の桜島01

195. 1978年のキャシー・アッカーの声(2016年12月31日)

2016年Peter Gordon & David van Tieghem「Winter Summer」裏ジャケット

194. 1934年のポオル・ジェラルデイ著・西尾幹子訳『お前と私』(2016年12月19日)

1934年のポオル・ジェラルデイ著・西尾幹子訳『お前と私』

193. 1974年の富岡多恵子『壺中庵異聞』(2016年12月15日)

1974年の富岡多恵子『壺中庵異聞』

192. 1995年の峯村幸造『孤拙優游』(2016年11月30日)

1995年の峯村幸造『孤拙優游』

191. 1980年の今井田勲『雑誌雑書館』(2016年10月27日)

1980年の今井田勲『雑誌雑書館』箱表紙

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190. 1971年の『海』の表紙(2016年10月24日)

1971年の『海』01

189. 1975年の堀口九萬一著・堀口大學訳『長城詩抄』(2016年10月17日)

1975年の堀口九萬一著・堀口大學訳『長城詩抄』

188. 1936年の『木香通信』6月号(2016年9月26日)

1936年の『木香通信』六月号

187. 1936年のモラエス『おヨネと小春』(2016年9月4日)

1936年のモラエス『おヨネと小春』箱と表紙

186. 1927年の『藝術市場』―避暑地ロマンス号(2016年8月19日)

1927年の『藝術市場』

185. 1968年の天沢退二郎『紙の鏡』(2016年8月5日)

1968年の天沢退二郎『紙の鏡』

184. 1970年の天沢退二郎『血と野菜 1965~1969』(2016年8月4日)

1970年の天沢退二郎『血と野菜』

183. 1946年のダーウィン夫妻『イッシイブッシイとトップノット』(2016年7月29日)

1946年のダーウィン夫妻『イッシイブッシイとトップノット』

182. 1990年のジョン・グリーヴス『ローズ・セ・ラ・ヴィ』(2016年7月21日)

1990年のジョン・グリーヴス『ローズ・セ・ラ・ヴィ』

181. 1953年の片山廣子『燈火節』(2016年5月18日)

1953年の片山廣子『燈火節』

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180. 1907年の『シャナヒー』年刊版第2巻(2016年5月17日)

1907年の『シャナヒー』年刊版第2巻

179. 1906年の『シャナヒー』年刊版第1巻(2016年5月16日)

1906年の『シャナヒー』年刊版第1巻

178. 1904年の『アイルランドの丘で狩りをする妖精女王マブ』(2016年5月10日)

1904Queen Maeve

177. 1942年の野村傳四『大隅肝屬郡方言集』(2016年4月28日)

野村傳四『大隅肝屬郡方言集』表紙

176. 1926年ダックワース版のハドソン『緑の館』(2016年4月22日)

1926GreenMansions01

175. 1948年のバーナード・ダーウィン『のんきな物思い』(2016年3月17日)

1948Every Idle Dream

174. 1989年の天沢退二郎詩集『ノマディズム』(2016年2月23日)

1989年の天沢退二郎詩集『ノマディズム』

173. 1946年と1956年の『折々のナーサリーライム』(2016年2月18日)

1946年と1956年の『折々のナーサリーライム』

172. 1935年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏と仲間たち』(2016年1月24日)

1935年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏と仲間たち』表紙

171. 桜島雪景色(2016年1月24日)

2016年1月24日桜島雪景色

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170. 1927年のダーウィン夫妻『トゥトロ・トゥ』(2016年1月18日)

1927年のダーウィン夫妻『トゥトロ・トゥ』表紙

169. 1966年の天沢退二郎『時間錯誤』(2016年1月17日)

1966年の天沢退二郎『時間錯誤』表紙

168. 1925年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏のおはなし』(2016年1月12日)

1925 The Rale Of Mr Tootleoo 表紙

167. 2016年1月1日の桜島

2016年1月1日桜島

166. 1964年のミス・リード編『カントリー・バンチ』(2015年12月31日)

1964 Miss Read Country Bunch

165. 1924年のジェフリー・ケインズ『サー・トマス・ブラウン書誌』(2015年12月12日)

A BIBLIOGRAPHY OF SIR THOMAS BROWNE

164. 1975年のAllen Toussaint 『Southern Nights』(2015年11月16日)

1975 Allen Toussaint Southern Nights

163. 1968年の松下竜一『豆腐屋の四季』(2015年11月11日)

1968松下竜一『豆腐屋の四季』

162. 1963年の天沢退二郎詩集『夜中から朝まで』(2015年11月10日)

天沢退二郎詩集『夜中から朝まで』

161. 1984年の品川力『本豪落第横丁』(2015年10月1日)

1984年の品川力『本豪落第横丁』

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160. 2015年のユニティー・スペンサー『アーチストになれて運がよかった』(2015年9月30日)

Unity Spencer『Lucky to be an Artist』

159. 1961年の天沢退二郎詩集『朝の河』(2015年8月30日)

1961年天沢退二郎詩集『朝の河』表紙

158. 1972年の『天澤退二郎詩集』(2015年8月29日)

1972天澤退二郎詩集外箱

157. 初夏の七郎すもも(2015年7月24日)

七郎すもも01

156. 1979年のPeter Gabriel「Here Comes The Flood」(2015年7月23日)

1979 Peter Gabriel Here Comes the Flood

155. 1940年の松崎明治『ANGLING IN JAPAN (日本ノ釣)』(2015年6月18日)

1940 ANGLING IN JAPAN Cover

154. 2000年のクリンペライ『不思議の国のアリス』ジャケット(2015年4月25日)

2000 Klimperei Alice au Pays des Merveilles

153. 2012年のデヴィッド・アレン『サウンドバイツ 4 ザ レヴェレイション 2012』(2015年3月18日)

soundbites 4 tha reVelation 2012_cover

152. 2012年のダンカン・ヘイニング『トラッドダッズ、ダーティボッパー、そしてフリーフュージョニアーズ』(2015年3月16日)

Trad Dads, Dirty Boppers And Free Fusioneers

151. 1976年のキリル・ボンフィリオリ『Something Nasty In The Woodshed』(2015年1月29日)

1976Bonfiglioli_Something Nasty

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150. 1949年の七高文藝部『啓明』最終刊号(2015年1月18日)

1949年の七高文藝部『啓明』最終刊号

149. 1995年ごろの片岡吾庵堂さん作「翔び鶴」(2015年1月10日)

片岡吾庵堂さんの翔び鶴

148. 1937年のダグラス・コッカレル『製本』(2015年1月5日)

1937Douglas Cockerell_Bookbinding01

147. 2015年1月1日の桜島

2015年1月1日桜島01

146. 1984年のジョージ・オーウェル『1984年』ファクシミリ版(2014年12月30日)

1984Orwell_dustwrapper

145. 1974年の天澤退二郎詩集『譚海』(2014年12月29日)

1974天澤退二郎詩集『譚海』

144. 2001年の岩田宏『渡り歩き』(2014年12月26日)

2001年岩田宏『渡り歩き』

143. 1980年の岩元紀彦監修『追悼文集 伯父 岩元禎』(2014年12月1日)

岩元紀彦監修『追悼文集 伯父 岩元禎』

142. 1985年のエドワード・リア回顧展カタログ(2014年10月7日)

1985Edward Lear01

141. 1977年の辻邦生『夏の海の色』(2014年8月29日)

辻邦生『夏の海の色』

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140. 1974年のロバート・ワイアット『ロック・ボトム』(2014年7月26日)

1974Wyatt_Rock Bottom01

139. 1998年の『河原温 全体と部分 1964-1995』展カタログ(2014年7月16日)

1998河原温_表紙

138. 1913年の半仙子『日當山侏儒戯言』(2014年6月30日)

1913半仙子『日当山侏儒戯言』表紙

137. 1917年の加藤雄吉『尾花集』(2014年6月27日)

1917加藤雄吉_尾花集_表紙

136. 1929年の島津久基『羅生門の鬼』(2014年6月12日)

1929島津久基_羅生門の鬼_箱

135. 1943年の『FLEURON』誌刊行20周年記念に催された食事会のメニュー(2014年4月25日)

1943年『Fleuron』誌20周年昼食会メニュー01

134. 1995年の平田信芳『石の鹿児島』(2014年2月27日)

平田信芳_石の鹿児島

133. 1983年のリチャード・カーライン回顧展カタログ(2014年2月8日)

1983Richard Carline_catalogue

132. 1971年のリチャード・カーライン『ポストのなかの絵』第2版(2014年1月26日)

1971Carline_Post

131. 1994年のウィリー・アイゼンハート『ドナルド・エヴァンスの世界』(2014年1月7日)

1994DonaldEvans_cover

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130. 1978年の雅陶堂ギャラリー「JOSEPH CORNELL展」カタログ(2014年1月5日)

1978Cornell_雅陶堂_cover

129. 2014年1月1日の日の出(2014年1月1日)

2014年1月1日桜島の日の出01

128. 2010年の『クラシック・アルバム・カヴァー』(2013年12月11日)

2010Classic Album Cover_Royal Mail

127. 1934年の『藝術家たちによる説教集』(2013年12月1日)

1934Sermons by Artists_表紙

126. 1926年の南九州山岳會編『楠郷山誌』(2013年11月27日)

1926楠郷山誌_箱表紙

125. 1924年の第七高等学校造士館旅行部『南溟』創刊号(2013年11月26日)

1924南溟_表紙

124. 1974年の講談社文庫版『復興期の精神』(2013年11月17日)

1974年_花田清輝_復興期の精神

123. 1924年の箱入りの志賀直哉『眞鶴』と木村荘八『猫』(2013年11月9日)

1924志賀直哉_真鶴_木村荘八_猫_箱と表紙

122. 1912年ごろのスレイド美術学校のピクニック集合写真(2013年10月17日)

1912 Slade picnic

121. 1929年のアーサー・ウェイリー訳『虫愛づる姫君』(2013年10月8日)

1929Wale_The Lady Who Loved Insects_cover

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120. 2004年の『妄想フルクサス』(2013年9月30日)

2004Mousou Fluxus_cover01

119. 1937年のアーサー・ウェイリー訳『歌の本』(2013年9月22日)

1937_54_Waley Book of Songs

118. 1984年のガイ・ダヴェンポート『「りんごとなし」とその他の短編』(2013年9月12日)

1984Davenport_Apples & Pears

117. 1953年のゴードン・ボトムレイ『詩と劇』(2013年9月10日)

1953GordonBottomley

116. 1905年のゴードン・ボトムレイ『夏至の前夜』(2013年9月9日)

1905MidsummerEve_cover

115. 1985年の『さようなら、ギャングたち』(2013年7月31日)

1985So Long Gangsters

114. 1972年の島尾敏雄『東北と奄美の昔ばなし』(2013年7月14日)

1972東北と奄美の昔ばなし詩稿社

113. 1976年の『ジョセフ・コーネル・ポートフォリオ』(2013年7月4日)

1976Joseph Cornell Portfolio01

112. 1958年のエリナー・ファージョン『想い出のエドワード・トマス』(2013年6月26日)

1958Farjeon_Thomas_Oxford

111. 1887年のローレンス・オリファント『ファッショナブルな哲学』(2013年6月15日)

1887Oliphant_Fashionable Philosophy_cover

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110. 1938年の『聖者の物語』(2013年6月12日)

1938Marty_Histoire Sainte_cover

109. 1975年のハットフィールド・アンド・ザ・ノース『ザ・ロッターズ・クラブ』(2013年6月4日)

1975Hatfield and the North_The Rotters' Club

108. 1982年のアン・テイラー『ローレンス・オリファント 1829-1888』(2013年5月26日)

1982Anne Taylor_Laurence Oliphant

107. 1971年のドナルド・バーセルミ『ちょっとへんてこな消防車』(2013年5月16日)

1971Barthelme_fire engine

106. 1991年のウィリアム・ギブスン&ブルース・スターリング『ディファレンス・エンジン』(2013年5月10日)

1991THE DIFFERENCE ENGINE

105. 1992年の『五代友厚・寺島宗則・森有礼』(2013年5月8日)

1992reimeikan_mori arinori

104. 1957年の木山捷平『耳學問』(2013年4月28日)

1957Kiyama Shouhei Mimigakumon

103. 1924年のエドワード・ゴードン・クレイグ『木版画と覚書』(2013年4月23日)

1924 Gordon Craig Woodcuts cover 01

102. 1957年のエドワード・ゴードン・クレイグ『わが生涯の物語へのインデックス』(2013年4月17日)

1957Index_Gordon Craig

101. 1900年ごろのホフマン『英語版もじゃもじゃペーター』(2013年4月8日)

1900Struwwelpeter_cover

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100. 1959年の『グウェン・ラヴェラの木版画』(2013年3月26日)

1959Raverat_wrapper

99. 1977年の『レイノルズ・ストーン木版画集』(2013年3月24日)

1977ReynoldsStone_titlepage

98. 1981年の『九百人のお祖母さん』(2013年3月23日)

1981_900grandmothers

97. 1938年の『風車小屋だより』(2013年3月19日)

1938Daudet_Moulin_cover

96. 1935年の『薩藩の文化』(2013年3月13日)

1935Satsuma_bunka_cover

95. 1981年の『土曜日の本・傑作選』(2013年3月12日)

1981SaturdayBook_wrapper

94. 1975年の『土曜日の本』(2013年3月11日)

1975SaturdayBook_wrapper

93. 1973年の『土曜日の本』(2013年3月10日)

1973SaturdayBook_wrapper

92. 1972年の『土曜日の本』(2013年3月9日)

1972SaturdayBook_box_wrapper

91. 1971年の『土曜日の本』(2013年3月8日)

1971SaturdayBook_wrapper

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90. 1970年の『土曜日の本』(2013年3月7日)

1970SaturdayBook_wrapper

89. 1969年の『土曜日の本』(2013年3月6日)

1969SaturdayBook_box_wrapper

88. 1968年の『土曜日の本』(2013年3月5日)

1968SaturdayBook_box_wrapper

87. 1967年の『土曜日の本』(2013年3月4日)

1967SaturdayBook_wrapper

86. 1966年の『土曜日の本』(2013年3月3日)

1966SaturdayBook_box_wrapper

85. 1965年の『土曜日の本』(2013年3月2日)

1965SaturdayBook_wrapper

84. 1988年のケヴィン・エアーズのライブ(2013年3月1日)

1978KevinAyers_RainbowTakeaway

83. 1964年の『土曜日の本』(2013年2月28日)

1964SaturdayBook_wrapper

82. 1963年の『土曜日の本』(2013年2月27日)

1963SaturdayBook_wrapper

81. 1962年の『土曜日の本』(2013年2月26日)

1962SaturdayBook_wrapper

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80. 1961年の『土曜日の本』(2013年2月25日)

1961SaturdayBook_box_wrapper

79. 1960年の『土曜日の本』(2013年2月24日)

1960SaturdayBook_wrapper

78. 1959年の『土曜日の本』(2013年2月23日)

1959SaturdayBook_box_wrapper

77. 1958年の『土曜日の本』(2013年2月22日)

1958SaturdayBook_box_wrapper

76. 1957年の『土曜日の本』(2013年2月21日)

1957SaturdayBook_box_wrapper

75. 1956年の『土曜日の本』(2013年2月20日)

1956SaturdayBook_box_wrapper

74. 1955年のオリーヴ・クックとエドウィン・スミス『コレクターズ・アイテム』(2013年2月19日)

1955CollectorsItems_wrapper

73. 1955年の『土曜日の本』(2013年2月18日)

1955SaturdayBook_box_wrapper

72. 1954年の『土曜日の本』(2013年2月17日)

1954SaturdayBook_box_wrapper

71. 1953年の『土曜日の本』(2013年2月16日)

1953SaturdayBook_wrapper

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70. 1952年の『土曜日の本』(2013年2月15日)

1952SaturdayBook_wrapper

69. 1951年の『土曜日の本』(2013年2月14日)

1951SaturdayBook_wrapper

68. 1951年の『現代の本と作家』(2013年2月13日)

1951ModernBooksWriters_cover

67. 1950年の『土曜日の本』(2013年2月12日)

1950SaturdayBook_wrapper

66. 1949年の『土曜日の本』(2013年2月11日)

1949SaturdayBook_wrapper

65. 1948年の『土曜日の本』(2013年2月10日)

1948SaturdayBook_wrapper

64. 1947年の『土曜日の本』(2013年2月9日)

1947SaturdayBook_wrapper

63. 1946年の『土曜日の本』(2013年2月8日)

1946SaturdayBook_wrapper

62. 1945年の『土曜日の本』(2013年2月7日)

1945SaturdayBook_wrapper

61. 1944年の『土曜日の本』(2013年2月6日)

1944SaturdayBook_cover

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60. 1943年の『土曜日の本』(2013年2月5日)

1943SaturdayBook_wrapper

59. 1942年の『土曜日の本』(2013年2月4日)

1942SaturdayBook_cover

58. 1936年の『パロディ・パーティー』(2013年2月3日)

1936ParodyParty_cover

57. 1941年の『土曜日の本』(2013年2月2日)

1941SaturdayBook_rapper

56. 1953年ごろの『スティーヴンス=ネルソン社の紙見本帖』(2013年1月31日)

1953Specimens_cover

55. 1945年の岸田日出刀『建築學者 伊東忠太』(2013年1月29日)

1945Kishida_Ito Chuta

54. 1912年のチャールズ・T・ジャコビの『本と印刷についての覚書』(2013年1月27日)

1912CTJacobi_Books and Printing

53. 1903年の岡倉覚三『東洋の理想』(2013年1月26日)

1903Okakura_The Ideals Of The East

52. 1895年のウィリアム・モリス『世界のかなたの森』(2013年1月25日)

1895Morris_WoodBeyondTheWorld_title

51. 1969年ごろの『モノタイプ社印刷活字見本帖』(2013年1月23日)

1969MonotypeSpecimen

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50. 1958年の小沼丹『黒いハンカチ』(2013年1月22日)

1958OnumaTan_BlackHandkerchief

49. 1902年のゴードン・ボトムレイ『夜さけぶもの 一幕劇』(2013年1月21日)

1902Bottomley_Crier_cover

48. 1955年の『詩人と画家 ゴードン・ボトムレイとポール・ナッシュの往復書簡』(2013年1月20日)

1955Bottomley_Nash_Correspondence

47. 1945年のトム・ジェントルマン『ブラエ農場』(2013年1月19日)

1945BraeFarm_cover01

46. 1957年の岩波書店版『漱石全集 書簡集一~五』(2013年1月18日)

1957Souseki_letters

45. 1980年のノエル・キャリントン『キャリントン 絵・素描・装飾』(2013年1月17日)

1980Noel Carrington

44. 1970年の『キャリントン 手紙と日記抜粋』(2013年1月16日)

1970Carrington

43. 1892年のマードック,バートン,小川『アヤメさん』(2013年1月15日)

1892Ayame-san01

42. 1910年のポンティング『この世の楽園・日本』(2013年1月14日)

1910Ponting_ LOTUS-LAND JAPAN

41. 1987年のデヴィッド・マッキッタリック『カーウェン・パターン紙の新見本帖』(2013年1月13日)

1987_A New Specimen Book of Curwen Pattern Papers

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40. 1969年の『岩下壮一 一巻選集』(2013年1月12日)

1969IwashitaSoichi

39. 1860年のモクソン版『アルフレッド・テニスン詩集』(2013年1月11日)

1860Moxon_Tennyson

38. 1980年のヤング・マーブル・ジャイアンツ『言葉と絵』(2013年1月10日)

1980YMG

37. 1927年の『七高さん』(2013年1月9日)

1927_7kousan

36. 1936年のグウェン・ラヴェラ『逃亡』(2013年1月8日)

1936Runaway_Raverat

35. 1899年のメアリ・フェノロサ『巣立ち』(2013年1月7日)

1899OutOfTheNest

34. 1906年のメアリ・フェノロサ『龍の画家』(2013年1月6日)

1906DragonPainter

33. 1961年のジュニア鹿児島編『ニコニコ郷土史』(2013年1月5日)

1961niconico_history

32. 1940年のジョン・ファーリー『刻まれたイメージ』(2013年1月4日)

1940JohnFarleigh

31. 1939年と1946年の『トワエモワ』(2013年1月3日)

1939ToiEtMoi

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30. 1963年の『シルヴィア・ビーチ 1887-1962』(2013年1月2日)

1963SylviaBeach

29. 謹賀新年(2013年1月1日)

2013HappyNewYear

28. 1984年のカトラー文・ベンジ絵『ニワトリになったハーバートくん』(2012年12月31日)

1984Cutler_Benge

27. 1970年のアーサー・ウェイリー『Madly Singing in the Mountains』(2012年12月30日)

1970ArthurWaley

26. 1925年のウェイリー訳『源氏物語』(2012年12月29日)

1925Genji_Waley

25. 1931年のウィリアム・ローゼンスタイン『人と思い出』(2012年12月28日)

1931WillRothenstein

24. 1949年の梅花艸堂主人『夢』(2012年12月27日)

1949Baikasodo_yume

23. 1947年の加藤一雄『無名の南畫家』(2012年12月26日)

kato_mumeinonangaka1947

22. 1963年の岩本堅一『素白随筆』(2012年12月25日)

sohakuzuihitsu1963

21. 1978年のブライアン・イーノ&ピーター・シュミット『オブリーク・ストラテジーズ』(2012年11月2日)

Oblique Strategies1978

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20. 1982年のロバート・ワイアット『シップビルディング』(2012年10月30日)

Wyatt_Shipbuilding1982

19. 2000年のピーター・ブレグヴァド『リヴァイアサンの書』(2012年10月29日)

Blegvad_leviathan2000

18. 1910年のジェームズ・マードック『日本史・第一巻』(2012年10月27日)

Murdoch_Japan1910

17. 1903年のジェームズ・マードック『日本史』(2012年10月26日)

Murdoch_Japan1903

16. 1861年のエドモンド・エヴァンス『THE ART ALBUM』(2012年10月24日)

Evans1861_Art Album

15. 1898年のカーライル『衣装哲学』(2012年10月23日)

Sartor Resartus

14. 1861年のジョン・ジャクソン『木版論』(2012年10月22日)

Jackson_Chatto_Wood Engraving

13. 1937年のフランシス・ブレット・ヤング『ある村の肖像』(2012年10月21日)

Young_Hassall_Portrait of a Village

12. 1974年の坂上弘『枇杷の季節』(2012年10月20日)

坂上弘_枇杷の季節

11. 1952年のグウェン・ラヴェラ『Period Piece』(2012年10月19日)

Raverat_Period Piece

10. 1919年の『ルパート・ブルック詩集』(2012年10月16日)

Rupert Brooke Raverat

09. 1942年の松崎明治『釣技百科』(2012年10月14日)

matuzaki_tyougyo1942

08. 1966年のキース・ロバーツ『パヴァーヌ』(2012年10月11日)

impulse1966

07. 1983年の島尾ミホ『海嘯』(2012年10月11日)

simaohiho_kaishou

06. 1933年の内田百間『百鬼園随筆』 (2012年10月11日)

hyakkienzuihitu

05. 1964年のケヴィン・エアーズ最初の詩集(2012年10月10日)

1964Ayers_Bookle

04. 1936年の「国際シュルレアリスト広報」第4号(2012年10月9日)

1936SurrearistBulletin

03. 1921年のクロード・ローヴァット・フレイザー(2012年10月8日)

The Luck of the Bean-Rows

02. 1899年と1904年の『黄金時代』(2012年9月26日)

1904年の『黄金時代』表紙

01. 1945年の『青い鳥』(2012年9月22日)

青い鳥01


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