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 しばらく「20世紀書店」が続きます。ほかの世紀にもお邪魔します。

 

278. 1973年の天沢退二郎『光車よ、まわれ!』(2019年7月24日)

1973年の天沢退二郎『光車よ、まわれ!』見返し

 

 《見返しに地図のある本 その4》

雨と高い湿度の日が続いていますが、鹿児島はどうやら梅雨明けのようです。
今年の梅雨のあいだ、鹿児島市の、わたしの住む辺りは、線状降雨帯が居続けるような、ひどい雨はありませんでしたが、それでも、気象条件次第では、1993年の8・6水害のときのような、一気に水があふれ出す、激しい「想定外」の雨も、これからは「想定外」ではなく普通のことになるのではないかと感じます。

今年の雨も激しく降り続けるときがありましたが、思い返してみても、1993年の8・6水害の時の雨の降りかたは尋常でなく、今まで記憶している中では、いちばんの激しい雨でした。
8・6水害の時は、外にいて、直接、雨の強さを感じていたので、余計、記憶に残っているのかもしれません。
その日、夕方6時ぐらいに、天文館で雨宿りして様子を見ていましたが、雨脚の強さは半端なく、空を見てもこの雨はやまない、びしょ濡れになっても早く帰ったほうがいいと判断して、雨の中を歩いて帰ることにしました。
国道10号線沿いに歩いていくと、稲荷川にかかる戸柱橋は、もう封鎖されて通行止めになっていました。
緊急の事態ということで、日豊本線にかかる鉄橋のほうを渡っている人たちがいたので、普段は通れない鉄橋を渡って、稲荷川を渡りましたが、すぐそのあとに、稲荷川が清水小学校や国道10号線に急激しい濁流になってあふれだし、危ないところでした。
わたしの家は、少し高台にあったので、その浸水は免れました。

写真は、詩人・天沢退二郎の最初の小説、1973年の『光車よ、まわれ!』(1973年4月27日初版第1刷発行、筑摩書房)の見返しです。物語の舞台の地図になっています。
1973年のちくま少年文学館版の装幀・さしえは司修です。

『光車よ、まわれ!』は、泣いて笑って何も残さずきれいさっぱりするタイプの作品ではなく、心に食い込んで、しみいっていくファンタジーです。人によっては、そうした心へのしみわたり方を、たちが悪いと嫌うかもしれません。

天沢退二郎のファンタジーは、世界が、黒いもの、黒い水に覆われようとするなか、「光車」など闇の勢力に対抗できるものを求めながら、何とかして抵抗しようとする少年少女の物語です。
今、読みかえしてみると、精緻な構築物というより、寄せ集めの材料で急あつらえの構造物という印象も受けます。そのあちらこちらにある齟齬も魅力になっています。
天沢退二郎のファンタジーに数多く現れる水にまつわる表現は、詩的というより、日常的な顔をしながら、どんどん作品世界に浸潤してきて、不気味さを生み出す力はなっていて、その力は今も失われていません。
子どもたちがあっけなく死んでしまったり、異なるものに変容したり、行方知れずになる世界は、今読むと、2011年の震災前にあらかじめ書かれていた、厄災を予言するファンタジーでもあった、という気がします。

天沢退二郎のファンタジーも、ランサム・サーガのように、見返しに地図がある本です。
天沢退二郎はランサム・サーガの読者でしたから、見返しに地図を配することで、その系譜に連なったことを宣言したようなものです。

 

『光車よ、まわれ!』(2008年9月18日初版発行、ジャイブ・ピュアフル文庫)の地図

▲『光車よ、まわれ!』(2008年9月18日初版発行、ジャイブ・ピュアフル文庫)の地図
2008年の文庫版にも新たに描かれた地図が掲載されていますが、文庫版の制約で、地図は見返しにおかれず、中扉と本文の間に配置されています。
1973年版の地図とは、黒眼川や環状九号線の曲がりかたなど、違っています。35年の間に、物語の空間がねじれ、ゆがんだのかもしれません。

 

『光車よ、まわれ!』文庫版表紙

▲『光車よ、まわれ!』文庫版表紙
写真左の『光車よ、まわれ!』(2008年9月18日初版発行、ジャイブ・ピュアフル文庫)は、テキストは同じまま、2010年3月8日初版発行のポプラ文庫ピュアフル(ポプラ社)に移行しています。
写真右は、2016年6月5日発行の、ポプラ文庫ピュアフル版の第2刷です。
イラストはスカイエマ、カバーデザインは飯田武伸。

ジャイブ・ピュアフル文庫(2010年にポプラ文庫ピュアフルに以降)の「あとがき」に、

この物語の本文には、初版本の後、ちくま文庫版、ブッキング版のそれぞれの刊行字に若干の手入れをしたが、今回の文庫化を機会に、これまで気になっていた数箇所の字句をあらためた。これをもって、定本とする。

とあるので、「これまで気になっていた数箇所の字句」をチェックしてみたことがあります。
」がすべて「」になるとか、「よおし」が「よーし」になるような変更は別として、1973年筑摩書房初版本と2008年ピュアフル文庫の、大きな違いは次のような箇所でした。

《1973年初版》きちがいあつかいされるから。→《2008年定本》頭がおかしいと思われるから。
《1973年初版》きちがいなの。→《2008年定本》頭がおかしいの。
《1973年初版》車馬通行止め→《2008年定本》車両通行止め
《1973年初版》ヒメシオン→《2008年定本》ヒメジョオン
《1973年初版》へんに片ちんばな→《2008年定本》へんにちぐはぐな
《1973年初版》女の人のきちがいみたいな目→《2008年定本》女の人のあたまがおかしそうな目

車馬通行止め」ということばを変更するのは惜しい気がします。
1973年筑摩書房初版本と2008年ピュアフル文庫の見た目のいちばんの違いは、 小学校高学年以上対象の初版にあったルビが、だいぶ削られていることです。

この文庫版が著者によって「定本」とされていますが、司修のスクラッチボードを使ったさしえの1973年版が好みです。

 

『光車よ、まわれ!』 (1973年4月27日初版第1刷発行、筑摩書房)〈ちくま少年文学館4〉さしえ
▲『光車よ、まわれ!』 (1973年4月27日初版第1刷発行、筑摩書房)〈ちくま少年文学館4〉さしえ
異なる世界、この世のものではないもの、言葉にならない恐ろしいものがあると感じさせた司修のさしえでした。
オディロン・ルドンのエドガー・アラン・ポーに捧げた作品を知る前に、ルドン作品を見たような気になってしまった構図ではありますが。

 

『光車よ、まわれ!』 (1973年4月27日初版第1刷発行、筑摩書房)〈ちくま少年文学館4〉外箱と表紙

▲『光車よ、まわれ!』 (1973年4月27日初版第1刷発行、筑摩書房)〈ちくま少年文学館4〉外箱と表紙
小学校高学年以上向けの本で外箱のあるものの外箱は、貼り箱でない、ステープル綴じの外箱でした。
天沢退二郎のファンタジー本の外箱は、いずれもステープル綴じでした。

 

『光車よ、まわれ!』 (1973年4月27日初版第1刷発行、筑摩書房)〈ちくま少年文学館4〉表紙

▲『光車よ、まわれ!』 (1973年4月27日初版第1刷発行、筑摩書房)〈ちくま少年文学館4〉表紙

天沢退二郎にとって、最初の小説である『光車よ、まわれ!』は、緻密な設計図のもと隅々まで計算され尽くした構築物というより、その場その場で身近な材料を拾い集めながら積み上げっていったものが、何だか得体の知れないものをよびよせたような作品です。何だか得体の知れないものの全体像でなく、その存在がちらちらと垣間見えるだけなので、なおさら後を引きます。

「黒」と「水」を含んだことばが、目につく文章です。詩的に昇華されたというより、日常のことばが無造作に積み上げられているだけに見えるのですが、得体の知れない不気味なものが湧き出すように、しみ出すように生み出されています。
その「黒」や「水」を含んだことばを抜き書きをしてみたいところですが、瓦礫のバリケードになってしまい、寒々とした光景になりそうなので、今回はやめておきます。

若い読者を前提としているためでもないでしょうが、「ゆさゆさ」「どんどん」「ガタガタッ」「ぬるぬる」「ノコノコ」「ぶるぶる」「こそこそ」「ごしごし」「もぞもぞ」「ぶるぶる」といった反復することばも多く使われて、無邪気なようでいて得体の知れない恐ろしいものの温床になっているのではないかと思います。

物語の主要な登場人物たちは小学6年生ですが、彼らより少し年上の中学生のころに初めて読みました。
息つく暇もないほど面白い、という本ではありませんでした。黒い水があふれだすイメージが居座り、なんともいえない、ざわざわした気持ちが続きました。最初の地獄巡りの予行演習だったのかもしれません。

 

ランサム・サーガとのつながりということでは、『光車よ、まわれ!』の主要登場人物の川岡一郎と戸ノ本龍子(とのもとりゅうこ)は、「優しい少年と勇ましい少女」、「慎重な少年と勇敢な少女」あるいは「気弱な少年と気の強い少女」という組み合わせで、そういう意味でも、ランサム・サーガの系譜にあると思います。


1970年代にNHKで放送されていた少年ドラマシリーズというのがあって、1972年1月の『タイムトラベラー』から1983年6月の『だから青春 泣き虫甲子園』まで99作品ありました。
『タイム・トラベラー』(盛光社のジュニアSFシリーズ『時をかける少女』を先に読んだか、少年ドラマシリーズ『タイム・トラベラー』を見たのが先かで、世代が分かれるような気がします。ちょうど中学に入るころで、ドラマ先行でした。)、『怪人オヨヨ』(小林信彦のオヨヨものは角川文庫で読みました。)、『けんかえれじい』(子どもだったので、鈴木清順の映画より、こちらを先に見ました。ヒロインは竹下景子でした。)、『夕ばえ作戦』(これも盛光社のジュニアSFシリーズが先か、少年ドラマシリーズが先か。)、『霧の湖』(原作は久生十蘭の『肌色の月』。中公文庫版はドラマのあとに刊行されました。鹿児島出身の上原ゆかり主演。音楽は大野雄二。)など・・・、内容はほとんど忘れてしまっているのですが、夕方6時台という、子どもにもチャンネル権のある時間帯で、結構見ていたし、面白かったという記憶は残っています。

天沢退二郎のファンタジーが、NHKの少年ドラマシリーズで映像化されていたら、と思います。
たとえ特殊効果がどんなに貧弱でも、10代の想像力が思いっきり脳内補正をかけて記憶に残し続けたでしょうから、映像化されなかったのは残念な気がします。伝説的に語り継がれる作品になっていたんじゃないかと想像したりします。

 

今ならアニメ化という選択肢もあるのかもしれません。
2007年にNHKで放送された『電脳コイル』というアニメ作品の世界は、天沢退二郎のファンタジー世界と通じるものがあったような気がしました。
『電脳コイル』の大黒市立第三小学校6年3組、イリーガルとよばれる黒い電脳生物が住む古い電脳空間と子どもたちに伝わる都市伝説的なうわさ話、大黒市市役所空間管理室、コイル電脳探偵局、古い電脳空間づくりに関わった祖父母世代と、『光車よ、まわれ!』の流山寺小学校6年2組、水の悪魔とよばれる存在とそれに従うものたちと子どもたちのうわさ話、緑衣隊とよばれる大人の制服の集団、戸ノ本龍子をリーダーとする光車のグループ、魔術を使う祖父たちは、それぞれ対応しているように思えて、6年2組と6年3組は、まさに隣りのクラスのようでした。いずれも、子どもの遊びの世界が、クラスのなかで戦われている世界最終戦争と重なっているような世界です。

『電脳コイル』主要登場人物は「優しい少年と勇ましい少女」の組み合わせでなく、「優子」と「勇子」という2人の少女になっていました。
これもまた、ランサム・サーガや天沢退二郎のファンタジーという、見返しに地図のあった本で親しんできたキャラクターの変奏という感じでした。

 

『光車よ、まわれ!』 (1973年4月27日初版第1刷発行、筑摩書房)〈ちくま少年文学館4〉巻末広告

▲『光車よ、まわれ!』 (1973年4月27日初版第1刷発行、筑摩書房)〈ちくま少年文学館4〉巻末広告
執筆予定者が、飯沢匡、石牟礼道子、稲垣足穂、井上光晴、大岡昇平、小田実、開高健、金井美恵子、木下順二、なだいなだ、野坂昭如、野間宏、花田清輝、星新一、堀田善衛、真野さよ、三木卓、安岡章太郎、杉浦明平とあって、実現していたら、と思います。
金井美恵子はどんな作品を予定していたのでしょう。
箱入りの〈ちくま少年文学館〉シリーズは、100巻の〈ちくま少年図書館〉シリーズのようには続かず、ほかに、なだいなだ『おっちょこちょ医』、金石範『マンドギ物語』の2冊が刊行されて、残念ながら6巻で終わっています。

 

【2019年7月31日追記】
箱入りの〈ちくま少年文学館〉シリーズの第1回配本、辻邦生『ユリアと魔法の都』(1971年12月10日第1刷発行、筑摩書房)にはさまれていた、ちらしや巻末の「ちくま少年文学館*内容一覧」を見ると、〈ちくま少年文学館〉の当初の構想がわかります。

辻邦生『ユリアと魔法の都』(1971年12月10日第1刷発行、筑摩書房)外箱と表紙

▲辻邦生『ユリアと魔法の都』(1971年12月10日第1刷発行、筑摩書房)外箱と表紙

「筑摩書房新刊ニュース」(1971年12月)

▲辻邦生『ユリアと魔法の都』(1971年12月10日第1刷発行、筑摩書房)にはさまれた「筑摩書房新刊ニュース」(1971年12月)中の〈ちくま少年文学館〉紹介

〈ちくま少年文学館〉のちらし表 〈ちくま少年文学館〉のちらし裏

▲辻邦生『ユリアと魔法の都』(1971年12月10日第1刷発行、筑摩書房)にはさまれた〈ちくま少年文学館〉のちらし表・裏

巻末の「ちくま少年文学館*内容一覧」

▲辻邦生『ユリアと魔法の都』(1971年12月10日第1刷発行、筑摩書房)巻末の「ちくま少年文学館*内容一覧」

「ちくま少年文学館」の内容は、次のような予定になっていました。
上から順に「筑摩書房新刊ニュース」「ちらし」「巻末の内容一覧」の記述です。

天沢退二郎 都会を舞台に書いてみたい
天沢退二郎 大都会を舞台に
〈題未定〉天沢退二郎 大都会を舞台にした少年たちの冒険物語

石牟礼道子 海に生きる雄々しい少年の姿を
石牟礼道子 海に生きるたくましい少年
〈ぽんぽんちゃかどん〉石牟礼道子 海に生きる少年の雄々しいすがた

井上光晴 悪童といわれる少年のすがた
井上光晴 放浪する悪童の物語
〈悪い友だち〉井上光晴 悪童とよばれた少年の心と行動

飯沢匡 怪獣が現れててんやわんやの大騒動
飯沢匡 怪獣出現にてんやわんや
〈みんなのカーリ〉飯沢匡 怪獣があらわれて。てんやわんやの物語

大岡昇平 不思議の国のアリスを現代に登場させたら・・・
大岡昇平 アリスのみつけたふしぎ
〈アリスの忘れもの〉大岡昇平 不思議の国のアリスが今、あらわれた

小田実 トマとミコの旅行記
小田実 自分自身の地図を書こう
〈トマの地図・ミコの地図〉小田実 トマとミコの旅行。ふたりの作った地図

開高健 ほらふき男爵のようなゆかいな物語を書きたい
開高健 大ぼらふきの冒険譚
〈題未定〉 開高健 大ぼらふきのゆかいな冒険

金井美恵子 大冒険小説を書くつもりです
金井美恵子 すばらしい大冒険
〈題未定〉金井美恵子 島へ行った兄妹が出会った冒険は?

木下順二 自然のおそろしさと人間との闘い
木下順二 自然と人間の闘い
〈島が沈む〉木下順二 自然のおそろしい力と人間の闘い

「青い宇宙の冒険」小松左京
小松左京 宇宙におとずれた危機
〈青い宇宙の冒険〉青い宇宙をすくえ! SF冒険小説

杉浦明平 江戸末期の動乱に生きた高野長英のことを
杉浦明平 幕末に生きた男高野長英
〈逃亡者〉杉浦明平 江戸末期の動乱に生きた高野長英のすがた

「ユリアと魔法の都」辻邦生 美しい子どもの都をめぐるユリアの冒険

なだいなだ あわてもののお医者さんのことを
なだいなだ おっちょこちょ医の物語
〈おっちょこちょ医〉なだいなだ 失敗だらけのお医者さんと村人の交流

野坂昭如 ガリバー旅行記のような大冒険物語を
野坂昭如 胸おどる大冒険活劇
〈題未定〉野坂昭如 想像をこえる大冒険活劇

野間宏 新しい少年小説を
野間宏 自然の中に生きる
〈題未定〉野間宏 自然と都会を結ぶ少年少女たち

「ダンダン」長谷川四郎
長谷川四郎 ふしぎなふしぎな航海
〈ダンダン〉長谷川四郎 ツンとダンダンの姉弟がふしぎな航海へ

星新一 平凡な人物がまきおこす変テコな事件
星新一 凡人のまきおこす異常事
〈題未定〉星新一 あたりまえの人間たちの変テコ行動

堀田善衛 若者が放浪の旅に出て・・・
堀田善衛 放浪の日々
〈ワガワイハ犬デアル〉堀田善衛 ゆかいなワン公の目にみえる人間の世界

真野さよ 美しいメルヘンの世界への招待
真野さよ メルヘンの世界へ招待
〈青いねこ〉真野さよ 美しいメルヘンの世界へ招待

安岡章太郎 青春の心のゆらめきとかがやきを
安岡章太郎 青春の心のかげり
〈題未定〉安岡章太郎 青春の心のゆらめきをえがく

1971年の時点では、『光車よ、まわれ!』は〈題未定〉で「大都会を舞台」に予定されていたようですが、『光車よ、まわれ!』の世界は、確かに国立図書館はあるものの、大都市というより、小宇宙を含んだ小都市の物語という気がします。

やはり金井美恵子の「大冒険小説」は読みたかったですし、大岡昇平の『不思議の国のアリス』のバリエーションも気になります。
【追記ここまで】


ところで、『光車よ、まわれ!』には、1973年には気づくことができなかった、予想もつかない形で生まれた、愛の予言がありました。

中島みゆき

▲天沢退二郎『中島みゆきを求めて』(1986年、創樹社)と『中島みゆき ミラクル・アイランド』(1983年、創樹社)
『中島みゆき ミラクル・アイランド』(1983年、創樹社)に掲載された「諦めと洞察 中島みゆき論のための二つの手がかり」から膨らんで、天沢退二郎の中島みゆき愛は、『《中島みゆき》を求めて』 (1986年4月25日初版第1刷発行、創樹社。造本・装幀は中垣信夫)という1冊の本になっています。

その「はじめに」で、天沢退二郎が次のように書いています。

ところで《中島みゆき》と私は、私は中島みゆきさんにお会いしたことはないけれど、もう十数年来、つまりシンガーソングライター中島みゆきのデビューより何年も前からの御縁があるということを《中島みゆき》についてこれまで私が書いた文章やこれから書く文章が本になろうというからには、やはりまず書いてはじめとしなければなるまい。何といっても十数年前にこの私のペンが、中島みゆきという名の少女を生み出したのだから。
もっとも当の私自身は、そのことを忘れていたか、あるいはもっとはっきりいって、知らなかった。《中島みゆき》の熱烈なファンになり、つまりすっかり入れあげて何年もたって、たまたま自分が一九七二年に書いて七三年に出した長篇少年小説を読みかえす必要があって読みかえしていたら、なんとあざやかに、中島みゆきという名の少女が、ちょい出ではあれ二度も姿を見せているではないか。

何かの役に立つものではありませんが、これもまた、詩人の予言する力だったのかもしれません。
1973年刊の『光車よ、まわれ!』を、1980年代に読みかえしたとき、主人公たちの6年2組の学級委員が「中島みゆき」という名前であったことに気づいて、時間感覚がねじれたような気持ちになったことを覚えています。

 

天沢退二郎のファンタジー

▲天沢退二郎のファンタジー

見返しに地図のある本については、まだ続きます。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

ここで中島みゆきの歌を選びたいところですが、残念ながら中島みゆきのレコードやCDは手もとになく、詳しくもありません。
天沢退二郎のように入れこんだことはなく、ラジオを通して、たまに聴く存在でした。

代わりに、ということではないですが、『光車よ、まわれ!』と同じ1973年に発表された、ドクター・ジョン(Dr.John、1941~2019)の『In The Right Place』(1973年、ATCO)を。
アラン・トゥーサン(Allen Toussaint、1938~2015)のプロデュースで、バックのリズムセクションはミーターズ(The Meters)。


『In The Right Place』(1973年、ATCO)の三面ジャケット01

『In The Right Place』(1973年、ATCO)の三面ジャケット02

▲『In The Right Place』(1973年、ATCO)のアメリカ盤、三面になっているジャケットは、ジェイムズ・フロワノイ・ホームズ(James Flournoy Holmes)のイラストで、そこに描かれたクトゥルー的なもののけたちは、天沢退二郎の世界とも通じているようです。

 

『In The Right Place』(1973年、ATCO)ラベル01

『In The Right Place』(1973年、ATCO)ラベル02

▲『In The Right Place』(1973年、ATCO)ラベル
6月6日に亡くなったドクター・ジョンに続いて、このアルバムにミーターズのキイボードとして参加していた、アート・ネヴィル(Art Neville)が、7月22日に亡くなりました。1937年~2019年。81歳。

このアルバムのミーターズ(Meters)の演奏は最高としか言いようがありません。
このアルバムがきっかけで、ニューオリンズの音楽にどっぷりはまりました。

 

『In The Right Place』(Atlantic)ドイツ盤のラベル

▲『In The Right Place』(Atlantic)ドイツ盤のラベル。
最初に、このアルバムを手にしたのは、1973年のATCO盤ではなく、1970年代末か1980年代始めごろに出たドイツからの再発盤でした。
これも音の良い盤です。

確かな記憶ではないのですが、鹿児島市の都通り電停近くにあったIMFというレコード屋さんで、ドクター・ジョンの輸入盤もあるのかと思って、買ったような気がします。
1980年代にP-Vineレーベルが出していたブラックミュージックの編集盤のコーナーがあって、ニューオリンズものを買っていた記憶があります。

街に小さなレコード屋さんや本屋さんがあったころの話です。もう昔話です。
街の小さなレコード屋さんや本屋さんのことを記憶しているのは、何年生まれぐらいまでなのでしょう。


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277. 1937年のアーサー・ランサム『海へ出るつもりじゃなかった』(2019年6月29日)

1937年のアーサー・ランサム『海へ出るつもりじゃなかった』見返しの地図

 

 《見返しに地図のある本 その3》

前回に引き続き、ランサム・サーガの、見返しの地図を並べてみます。

アーサー・ランサム(Arthur Ransome、1884~1967)のツバメ号とアマゾン号のシリーズは全部で12冊。
イギリスのジョナサン・ケープ(Jonathan Cape)から、1930年から1947年にかけて刊行されています。
その緑のクロス装本の見返しには、手書きの地図があるのが特徴でした。

アーサー・ランサムの『海へ出るつもりじゃなかった(WE DIDN'T MEAN TO GO TO SEA)』(初版は1937年11月、Jonathan Cape)は、シリーズ第7作。
ツバメ号の子どもたちが北海に漂流してしまい、イギリスからオランダまで渡る大冒険で、シリーズの「ごっこ」的基調から離れた、ほんとうに死の危険と背中合わせのストーリーになっています。
写真は、その北海横断航路を記した、見返しの地図です。
手もとにあるのは1939年11月の第7刷。

 

本の見返しに地図があるということは、そこで語られる冒険はすでに終わっていて、例えば「無事帰り着いた」というような何かしらの決着がついているということを含んでいて、読者を不幸のどん底に落とし込むような展開はないと、多くの小さな読者を用心させない、安心させるという役割もあったのかもしれません。

一方で、これは一種のネタばらしになっていて、これから何が起こるか分からないという物語の推進力を失わせる負の面もあって、純粋に文章からの想像力だけで読むことを楽しみたいという人からは敬遠されそうです。

地図を見返しに配するということは、繰り返し読むことに耐える本だという作り手の自負の表明という面もあるのではないかと思います。
そして、ちょくちょく道に迷いがちな読者にとって、空間的な想像力のガイド、導き手になってくれます。
それに、手書きの地図を多色石版や多色木版で刷ったものを見返しに貼ってある本には、今どきの本にない味があって良いです。

 

*この項の書誌情報については、Wayne G. Hammond『Arthur Ransome: A Bibliography』(2000年、Oak Knoll Press)を参考にしました。日本語タイトルは、1967年~1968年のアーサー・ランサム全集(岩波書店)のものを使っています。

 

『海へ出るつもりじゃなかった(WE DIDN’T MEAN TO GO TO SEA)』(Jonathan Cape、初版1937年11月)の表紙

▲『海へ出るつもりじゃなかった(WE DIDN'T MEAN TO GO TO SEA)』(Jonathan Cape、初版1937年11月)の表紙
手もとにあるのはダストラッパー無しの裸本で、1939年11月の第7刷です。
1983年に活字を組み直したリセット新版が出て、現在も版を重ねています。

『海へ出るつもりじゃなかった(WE DIDN’T MEAN TO GO TO SEA)』 の口絵と扉

▲『海へ出るつもりじゃなかった(WE DIDN'T MEAN TO GO TO SEA)』 の口絵と扉

『海へ出るつもりじゃなかった(WE DIDN’T MEAN TO GO TO SEA)』 の刊記から

▲『海へ出るつもりじゃなかった(WE DIDN'T MEAN TO GO TO SEA)』 の刊記から

 

『ひみつの海(SECRET WATER)』(Jonathan Cape、初版1939年11月) の表紙

▲『ひみつの海(SECRET WATER)』(Jonathan Cape、初版1939年11月) の表紙
手もとにあるのはダストラッパー無しの裸本で、初版11刷後の1947年の新版第1刷です。
この作品から、第二次世界大戦中の出版になります。
1947年と1984年にリセット新版が出て、現在も版を重ねています。

『ひみつの海(SECRET WATER)』の見返しの地図

▲『ひみつの海(SECRET WATER)』の見返しの地図

『ひみつの海(SECRET WATER)』の口絵と扉

▲『ひみつの海(SECRET WATER)』の口絵と扉

『ひみつの海(SECRET WATER)』の刊記から

▲『ひみつの海(SECRET WATER)』の刊記から

 

『六人の探偵たち(THE BIG SIX)』(Jonathan Cape、初版1940年11月)の表紙

▲『六人の探偵たち(THE BIG SIX)』(Jonathan Cape、初版1940年11月)の表紙
手もとにあるのはダストラッパー無しの裸本で、1940年初版です。
1956年と1982年に活字を組み直したリセット新版が出て、現在も版を重ねています。

『六人の探偵たち(THE BIG SIX)』の見返しの地図

▲『六人の探偵たち(THE BIG SIX)』の見返しの地図
『六人の探偵たち(THE BIG SIX)』用に準備されていた地図は、空襲で版が破損したそうです。そのため、発行時期をクリスマス前に間に合わせるために、新たな地図を作らず、『オオバンクラブの無法者(Coot Club)』(1934年)の前見返しの地図を再使用しています。
ランサム・サーガは、おおくが10月か11月に出版されています。
クリスマス・プレゼントとしての需要があったようです。

『オオバンクラブの無法者(Coot Club)』(1934年)前見返しの地図

▲『オオバンクラブの無法者(Coot Club)』(1934年)前見返しの地図

『六人の探偵たち(THE BIG SIX)』の口絵と扉

▲『六人の探偵たち(THE BIG SIX)』の口絵と扉

『六人の探偵たち(THE BIG SIX)』の刊記から

▲『六人の探偵たち(THE BIG SIX)』の刊記から

 

『女海賊の島(MISSEE LEE)』(Jonathan Cape、初版1941年12月)の表紙

▲『女海賊の島(MISSEE LEE)』(Jonathan Cape、初版1941年12月)の表紙
手もとにあるのはダストラッパー無しの裸本で、1949年第8刷です。
ツバメ号とアマゾン号の面々が空想する中国を舞台に、長い休みの間に作り上げた冒険物語といった態の『女海賊の島(MISSEE LEE)』の刊行は、1941年12月5日で、太平洋戦争の直前でした。
1982年に活字を組み直したリセット新版が出て、現在も版を重ねています。

『女海賊の島(MISSEE LEE)』の見返しの地図

▲『女海賊の島(MISSEE LEE)』の見返しの地図

『女海賊の島(MISSEE LEE)』の口絵と扉

▲『女海賊の島(MISSEE LEE)』の口絵と扉

『女海賊の島(MISSEE LEE)』の刊記から

▲『女海賊の島(MISSEE LEE)』の刊記から

 

『スカラブ号の夏休み(THE PICTS AND THE MARTYRS)』(Jonathan Cape、初版1943年6月) の表紙

▲『スカラブ号の夏休み(THE PICTS AND THE MARTYRS)』(Jonathan Cape、初版1943年6月) の表紙
手もとにあるのはダストラッパー無しの裸本で、1944年第2刷です。
1984年に活字を組み直したリセット新版が出て、現在も版を重ねています。

『スカラブ号の夏休み(THE PICTS AND THE MARTYRS)』の見返しの地図

▲『スカラブ号の夏休み(THE PICTS AND THE MARTYRS)』の見返しの地図

『スカラブ号の夏休み(THE PICTS AND THE MARTYRS)』の口絵と扉

▲『スカラブ号の夏休み(THE PICTS AND THE MARTYRS)』の口絵と扉

『スカラブ号の夏休み(THE PICTS AND THE MARTYRS)』の刊記から

▲『スカラブ号の夏休み(THE PICTS AND THE MARTYRS)』の刊記から

「Book Production War Economy Standard」

▲1943年版なので戦時下の「Book Production War Economy Standard」 の印があります。
イギリスと日本が戦争していた時に出た本です。
イギリスでも戦時統制で、本は「戦時版」になって、紙など材料が制限されて制作されています。
戦時下の日本でも、出版物は、日本出版配給株式会社から「配給」されていたことと共通するものを感じます」。

 

『シロクマ号となぞの鳥(GREAT NORTHERN?)』(Jonathan Cape、初版1947年8月)の表紙

▲『シロクマ号となぞの鳥(GREAT NORTHERN?)』(Jonathan Cape、初版1947年8月)の表紙
手もとにあるのはダストラッパー無しの裸本で、1948年第5刷です。
1958年と1982年に活字を組み直したリセット新版が出て、現在も版を重ねています。

『シロクマ号となぞの鳥(GREAT NORTHERN?)』の見返しの地図

▲『シロクマ号となぞの鳥(GREAT NORTHERN?)』の見返しの地図

『シロクマ号となぞの鳥(GREAT NORTHERN?)』の口絵と扉

▲『シロクマ号となぞの鳥(GREAT NORTHERN?)』の口絵と扉

『シロクマ号となぞの鳥(GREAT NORTHERN?)』の刊記から

▲『シロクマ号となぞの鳥(GREAT NORTHERN?)』の刊記から

 

見返しの地図とは別の話ですが、ランサム・サーガの Jonathan Cape 版を、1930年の『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』から、1947年の『シロクマ号となぞの鳥(GREAT NORTHERN?)』まで12冊、見直してみて、その本文書体が、カズロン(Caslon)であることに、20世紀中頃の英国における、カズロン(Caslon)という書体への信頼を感じました。

カズロン(Caslon)は、どちらかというと、中庸というか、凡庸な書体にみえますが、全12巻、4000ページを超える、長い長い物語を支えるのに適した、よくできた書体だったわけです。
確かに、存在をあまり主張しない、読みやすい書体です。

そういう意味では、詩には向かない書体なのかもしれません。

 

ところで、手もとにある第5作目『オオバンクラブの無法者(COOT CLUB)』は、1982年の新組改版で、本文書体がカズロン(Caslon)ではなくなっています。
1980年代に、活版から平版に改版されたとき、本文書体が、カズロン(Caslon)から、平版用のベンボ(Bembo)と思われる書体に変更されてしまったようです。
約50年続いた、Jonathan Cape 版のカズロン(Caslon)時代は終わってしまったのですが、ランサムの意図とその時代を感じさせる書体で読みたいということなら、1980年以前の Jonathan Cape 版を選んだほうがいいです。

 

1970年ごろのMonotype社活字見本帳からカズロン(Caslon)

▲1970年ごろのMonotype社活字見本帳から、カズロン(Caslon)

 

見返しに地図のある本については、もう少し続きます。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

『Three Cheers For Our Side ~海へ行くつもりじゃなかった~』

ランサムの『海へ出るつもりじゃなかった(WE DIDN'T MEAN TO GO TO SEA)』を取り上げたので、フリッパーズ・ギター(Flipper's Guitar)のファースト・アルバム『Three Cheers For Our Side ~海へ行くつもりじゃなかった~』(1989年、ポリスター)を。

写真は、2006年に、フェリシティから再発された紙ジャケCD。

アルバムジャケットには「WE DIDN'T MEAN TO GO TO THE SEA!」とあって、定冠詞「THE」が付け加えられています。

「Three Cheers For Our Side」というタイトルは、ベルギーのクレプスピュール・レーベル(Les Disques Du Crépuscule)を代表する2枚組コンピ・レコード『The Fruit Of The Original Sin(原罪の果実)』(1981年)の、D面1曲目に収録されていたスコットランドのバンド Orange Juice の「Three Cheers For Our Side」からとられています。

「Three Cheers For ~」という表現は、ランサム・サーガでも使われていて、ナンシー・ブラケットは、さらに数を増やして「Three thousand million cheers」と、彼女らしい歓喜の声をあげていました。

この再発CDの発売元「フェリシティ(felicity)」も、Orange Juice の曲のタイトルにありました。


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276. 1930年のアーサー・ランサム『ツバメ号とアマゾン号』(2019年6月28日)

SWALLOWS & AMAZONS(1932年12月の新装画版第3刷)見返しの地図

 

 《見返しに地図のある本 その2》

1960年代後半から1970年代前半にかけて、小中学校でぼんやりとした日々を過ごした者にとって、放課後の学校の図書室でひときわ輝いている本の一群がありました。
いろんな子が借りるのであちらこちら傷んでいる江戸川乱歩の少年探偵団シリーズや南洋一郎の怪盗ルパン全集のことや、『時をかける少女』をはじめとする盛光社のジュニアSFシリーズが図書室にはなかったことも思い出されるのですが、岩波書店から出ていた、ハードカヴァーのドリトル先生もの、ナルニア国物語、そして、アーサー・ランサム全集12冊の白さがまぶしかった。

アーサー・ランサム全集の見返しの地図には、ほんものの冒険のにおいがしました。
いや、「ほんものの冒険」というのはちょっと違いますね。
ほんとうの夏休みのにおいがした、といったほうが適切かもしれません。

いつのまにかランサム・サーガと呼ばれるようになった、ツバメ号とアマゾン号のシリーズは、12冊あり、イギリスのジョナサン・ケープ(Jonathan Cape)から1930年から1947年にかけて刊行されています。
ロングセラーになっているので版も重ねて、いろいろな版があります。
状態の良いダストラッパー付きの初版の揃いを夢見たりしますが、そんな高望みはしません。適度に傷んだ本が分相応です。

手もとにあるのは、ダストラッパー(日本でいうカバー)のない裸本ばかりの、時期もバラバラの版ばかりですが、それでも、Jonathan Cape版で1冊ずつ、こつこつ集めて12巻そろえたときは、達成感がありました。

ジョナサン・ケープ版は、見返しの地図の発色だけでもうれしいのです。

そのランサム・サーガ12巻の見返しの地図を並べてみます。

上の写真は、アーサー・ランサム(Arthur Ransome、1884~1967)の『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』(初版は1930年にJonathan Capeから。1931年刊行の挿絵入り版の1932年12月刊行第3刷)の見返しにある地図です。小さな湖の地図ですが、北極・南極やアマゾン川を含む世界地図になっています。
この地図はスティーヴン・スパリャー(Steven Spurrier、1878~1961)が描いています。
1930年の初版では、この地図がダストラッパーとして使われていました。

 

*この項の書誌情報については、Wayne G. Hammond『Arthur Ransome: A Bibliography』(2000年、Oak Knoll Press)を参考にしました。 日本語タイトルは、1967年~1968年のアーサー・ランサム全集(岩波書店)のものを使っています。

 

SWALLOWS & AMAZONS(1932年12月の新装画版第3刷、Jonathan Cape)の表紙

▲『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』(1932年12月の新装画版第3刷、Jonathan Cape)の表紙
1930年7月の初版では、スティーヴン・スパリャーの挿絵が準備されていましたが、ランサムが受け入れず、見返しの地図やWild Cat Islandの地図のみを残して、本文は挿絵なしで刊行されました。

翌1931年9月「New illustrated edition」として、クリフォード・ウェブ(Clifford Webb、1895~1972)の挿絵が使われた版が刊行され、1937年の第12刷(挿絵なしの1930年初版から数えると、第2刷から第13刷)まで続きます。
手もとにあるのはダストラッパー無しの裸本で、1932年12月の新装画版第3刷です。

『ツバメ号tとアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』(1932年12月の新装画版第3刷、Jonathan Cape)の口絵と扉

▲『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』クリフォード・ウェブ挿絵版の口絵と扉
口絵や本文挿絵はクリフォード・ウェブの絵になっていますが、扉には「With illustrations by Clifford Webb」とあるものの、その上にはスティーヴン・スパリャーの描いたツバメ号とアマゾン号のエンブレムが残されています。

『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』(1932年12月の新装画版第3刷、Jonathan Cape)の刊記から

▲『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』1932年12月版の刊記から

『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』(1932年12月の新装画版第3刷、Jonathan Cape)に残されたスティーヴン・スパリャー

▲『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』クリフォード・ウェブ挿絵版に残されたスティーヴン・スパリャーによるヤマネコ島(Wild Cat Island)の地図。

 

第1作の『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』(1930年)と第2作『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』(1931年)では、最初、スティーヴン・スパリャーやクリフォード・ウェブといったプロの画家の挿絵が使われていました。
しかし、それらのプロの絵はランサムの意に満たない部分が多かったようです。
1932年の第3作『ヤマネコ号の冒険(PETER DUCK)』以降、挿絵はすべてアーサー・ランサムがすべて描くようになります。
1938年には、『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』と『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』もアーサー・ランサムの挿絵に差し替えられています。

ランサム・サーガの初期の段階では、どういう挿絵がいいのか、なかなか固まらなかったようです。

少年少女の長い夏休み・冬休みの冒険物語の挿絵として、プロの画家の絵より、ランサムのアマチュアな絵のほうがふさわしいというのは、この種の物語にとって大きな発見であり、新しい試みだったことは確かです。

その一方で、小説の作者が挿絵を描くことで、テキストに不可欠の挿絵ということになってしまい、ほかの画家の挿絵を寄せ付けないかたちになって、本としての別の可能性を摘んだという点では、惜しいと思います。

 

思い返せば、ランサム・サーガの挿絵をどうするか、まだ揺れていた1932年、同じJonathan Capeから、アーネスト・シェパードが挿絵を描き、見開きに地図のあるリチャード・ジェフリーズの『ベヴィス(BEVIS)』が刊行されています。

Richard Jefferies『BEVIS: THE STORY OF A BOY』1932年版見返しの地図

▲リチャード・ジェフリーズ(Richard Jefferies)『BEVIS: THE STORY OF A BOY』(1932年、Jonathan Cape)見返しの地図
この本を見るたびに思うのですが、もしかしたら、扉に「Illustrated by E H. Shepard」とあるアマゾン号とツバメ号の物語も、Jonathan Capeでは検討されていたのではないでしょうか。荒唐無稽な想像ではないという気がします。

ランサムが描く挿絵は、ツバメ号とアマゾン号のシリーズにとって大切な要素ですが、アーネスト・シェパードがランサム・サーガの挿絵を描いたなら、また別の、とてもいいものになったのではないかという思いが消えません。

 

ランサムの挿絵にさしかえられた『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』も掲載しておきます。

『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』1938年のランサムによる挿絵版(写真は1947年第25刷のもの) のダストラッパー

▲『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』1938年のランサムによる挿絵版(写真は1947年第25刷のもの) のダストラッパー
1938年10月の装画入り版第13刷(イラストなしの初版からは数えると第14刷) からランサムによる挿絵版に変わります。
写真は、1947年10月の挿絵入り版24刷(イラストなしの初版から数えると第25刷) 。
ランサム・サーガのダストラッパーは、ランサムの挿絵が使われるようになってから、その挿絵をコラージュしたものになります。

『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』1938年のランサムによる挿絵版(写真は1947年第25刷のもの) の表紙

▲『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』ランサム挿絵版の表紙

『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』1938年のランサムによる挿絵版(写真は1947年第25刷のもの)の見返しの地図

▲『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』ランサム挿絵版の見返しの地図
ランサム挿絵版でもスティーブン・スパリャーによる見返しの地図は残されています。

『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』1938年のランサムによる挿絵版(写真は1947年第25刷のもの) の口絵と扉

▲『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』ランサム挿絵版 の口絵と扉
口絵はクリフォード・ウェブの絵からランサムの絵に変わり、扉もスティーヴン・スパリャーの絵からランサムの描いたツバメ号とアマゾン号の旗に変わっています。
扉では、挿絵は「Illustrated by the Author with help from Miss Nancy Blackett」と、アマゾン号のナンシー・ブラケットの手を借りたかたちになっています。

『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』1938年のランサムによる挿絵版(写真は1947年第25刷のもの) の刊記から

▲『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』1947年版の刊記から
まさにロングセラーです。
1958年に新しく活字を組み直したリセット新版が出て、現在も版を重ねています。 

『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)』1938年のランサムによる挿絵版(写真は1947年第25刷のもの)に残ったスパリャー

▲『ツバメ号とアマゾン号(SWALLOWS & AMAZONS)ランサム挿絵版に残ったスパリャーの絵
ランサム挿絵版でもスティーヴン・スパリャーによるエンブレムとヤマネコ島(Wild Cat Island)の地図は残されています。

 

『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』(Jonathan Cape、初版1931年10月)の表紙

▲『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』(Jonathan Cape、初版1931年10月)の表紙
手もとにあるのは、1933年第4刷の裸本。
『ツバメの谷』はクリフォード・ウェブの挿絵入りで初版刊行。

『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』(Jonathan Cape、初版 1931年10月、写真は1933年の第4刷)の見返しの地図

▲『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』クリフォード・ウェブ挿絵版の見返しの地図

『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』(Jonathan Cape、初版 1931年10月、写真は1933年の第4刷)の口絵と扉

▲『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』クリフォード・ウェブ挿絵版の口絵と扉
口絵はクリフォード・ウェブ。
扉に「With illustrations by Clifford Webb」とありますが、その下にスティーヴン・スパリャーの絵も残っています。

『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』(Jonathan Cape、初版 1931年10月、写真は1933年の第4刷)の刊記から

▲『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』1933年版の刊記から

『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』(Jonathan Cape、初版 1931年10月、写真は1933年の第4刷)のページから

▲『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』クリフォード・ウェブ挿絵版のページから
右ページのツバメ号「SHIP'S PAPER」は、ランサム挿絵版にも引き継がれます。

 

1938年にランサムの挿絵にさしかえられた『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』も掲載しておきます。

『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』(1938年6月第8刷以降のランサム挿絵版)の表紙

▲『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』(1938年6月第8刷以降のランサム挿絵版)の表紙
手もとにあるのは1951年の第23刷の裸本です。

『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』(1938年6月第8刷以降のランサム挿絵版)の見返しの地図

▲『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』ランサム挿絵版の見返しの地図

『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』(1938年6月第8刷以降のランサム挿絵版)の口絵と扉

▲『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』のランサム挿絵版の口絵と扉
口絵はクリフォード・ウェブの絵からランサムの絵に変わり、扉もスティーヴン・スパリャーの絵がランサムの描いたツバメ号とアマゾン号の旗に変わっています。

『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』(1938年6月第8刷以降のランサム挿絵版)の刊記から

▲『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』1951年版の刊記から
やはりロングセラーの鑑です。
1961年にリセット新版が出て、現在も版を重ねています。 

 

『ヤマネコ号の冒険(PETER DUCK)』(Jonathan Cape、初版1932年10月)の表紙

▲『ヤマネコ号の冒険(PETER DUCK)』(Jonathan Cape、初版1932年10月)の表紙
手もとにあるのは1932年初版の裸本。

『ヤマネコ号の冒険(PETER DUCK)』(Jonathan Cape、初版1932年10月)の見返しの地図

▲『ヤマネコ号の冒険(PETER DUCK)』の見返しの地図

『ヤマネコ号の冒険(PETER DUCK)』(Jonathan Cape、初版1932年10月)の口絵と扉

▲『ヤマネコ号の冒険(PETER DUCK)』の口絵と扉
Based on information supplied by the Swallows and Amazons and illustrated mainly by Themselves
挿絵はツバメ号とアマゾン号のメンバーが描いたとありますが、もちろんランサムが描いています。
最初からランサムの挿絵で刊行された最初の本になります。

『ヤマネコ号の冒険(PETER DUCK)』(Jonathan Cape、初版1932年10月)の刊記から

▲ 『ヤマネコ号の冒険(PETER DUCK)』1932年版の刊記から
1983年にリセット新版が出て、現在も版を重ねています。

 

『長い冬休み(WINTER HOLIDAY)』(Jonathan Cape、初版1933年11月)の表紙

▲『長い冬休み(WINTER HOLIDAY)』(Jonathan Cape、初版1933年11月)の表紙
手もとにあるのは、1949年の第19刷です。

『長い冬休み(WINTER HOLIDAY)』(Jonathan Cape、初版1933年11月)の見返しの地図

▲『長い冬休み(WINTER HOLIDAY)』の見返しの地図

『長い冬休み(WINTER HOLIDAY)』(Jonathan Cape、初版1933年11月)の口絵と扉

▲『長い冬休み(WINTER HOLIDAY)』の口絵と扉

『長い冬休み(WINTER HOLIDAY)』(Jonathan Cape、初版1933年11月)の刊記から

▲『長い冬休み(WINTER HOLIDAY)』1949年版の刊記から
どの巻も、ほんとうにロングセラーになっています。
1961年にリセット新版が出て、現在も版を重ねています。

 

『オオバンクラブの無法者(COOT CLUB)』(Jonathan Cape、初版1934年11月)の表紙

▲『オオバンクラブの無法者(COOT CLUB)』(Jonathan Cape、初版1934年11月)の表紙
手もとにあるのは、1982年の新組revised editionの裸本です。
他の巻は緑の布装のハードカヴァーですが、1982年の新版は紙装のハードカヴァーです。
2011年の岩波少年文庫版では『オオバンクラブ物語』というタイトルになっています。

『オオバンクラブの無法者(COOT CLUB)』(Jonathan Cape、初版1934年11月)の前見返しの地図

『オオバンクラブの無法者(COOT CLUB)』(Jonathan Cape、初版1934年11月)の後見返しの地図

▲『オオバンクラブの無法者(COOT CLUB)』の見返しの地図
前見返しと後見返しで地図が違うのは、『オオバンクラブの無法者(COOT CLUB)』だけです。

『オオバンクラブの無法者(COOT CLUB)』(Jonathan Cape、初版1934年11月)の口絵と扉

▲『オオバンクラブの無法者(COOT CLUB)』の口絵と扉
図書館の処分本なので図書館印ボカしました。

『オオバンクラブの無法者(COOT CLUB)』(Jonathan Cape、初版1934年11月)の刊記から

▲『オオバンクラブの無法者(COOT CLUB)』1982年版の刊記から
1982年にリセット新版が出て、現在も版を重ねています。

 

『ツバメ号の伝書バト(PIGEON POST)』(Jonathan Cape、初版1936年11月)の表紙

▲『ツバメ号の伝書バト(PIGEON POST)』(Jonathan Cape、1936年11月第3刷)の表紙
手もとにあるのは、1936年の第3刷の裸本です。

『ツバメ号の伝書バト(PIGEON POST)』(Jonathan Cape、初版1936年11月)の見返しの地図

▲『ツバメ号の伝書バト(PIGEON POST)』の見返しの地図

『ツバメ号の伝書バト(PIGEON POST)』(Jonathan Cape、初版1936年11月)の口絵と扉

▲『ツバメ号の伝書バト(PIGEON POST)』の口絵と扉

『ツバメ号の伝書バト(PIGEON POST)』(Jonathan Cape、初版1936年11月)の刊記から

▲『ツバメ号の伝書バト(PIGEON POST)』(Jonathan Cape、1936年11月第3刷)の刊記から
1983年にリセット新版が出て、現在も版を重ねています。

 

ところで、全くの余談になるのですが、ランサム・サーガの表紙の背にも箔押しされている、Jonathan Capeのパブリッシャーズ・マークが気になります。

Jonathan Capeのパブリッシャーズ・マーク

出版社ジョナサン・ケープ(Jonathan Cape)は、ジョナサン・ケープ(Herbert Jonathan Cape、1879~1960)とレン・ハワード(George Wren Howard、1893~1968)が資金を持ち寄り、エドワード・ガーネット(Edward William Garnett、1868~1937)を編集者として、第一次世界大戦後の1921年に立ち上げた出版社です。

ランサムのツバメ号とアマゾン号シリーズのほか、ドリトル先生シリーズや007シリーズの版元、あるいは多くのノーベル文学賞受賞者を輩出した文芸出版社として知られ、現在はペンギン・ランダムハウス(Penguin Random House)の傘下にあります。

その100年近く使われ続けているパブリッシャーズ・マークですが、ざっと調べてみても、だれがデザインしたものか、分かりません。

ジョナサン・ケープが創業した1921年頃、こういう絵を描きそうな人として頭に浮かぶのは、エドワード・ゴードン・クレイグ(Edward Gordon Craig、1872~1966)やアルバード・ルザートン(Albert Rutherton、1881~1953)、クロード・ローヴァット・フレイザー(Claud Lovat Fraser、1890-1921) ら、舞台美術と関わりのある画家たちです。

クロード・ローヴァット・フレイザーで何か似た絵を見た記憶があると、フレイザー没後に出た作品集、Haldane Macfall『The book of Lovat Claud Fraser』(1923年、J.M.Dent & Sons)を見返していたら、1912年の項に、次のような Jonathan Cape のパブリッシャーズ・マークと類似する図版がありました。

Haldane Macfall『The book of Lovat Claud Fraser』(1923年、J.M.Dent & Sons)収録の図版

▲Haldane Macfall『The book of Lovat Claud Fraser』(1923年、J.M.Dent & Sons)収録の図版
図版は、University of Torontoのデジタル・アーカイヴから。

この絵をみると、Jonathan Capeのパブリッシャーズ・マークをデザインしたのは、クロード・ローヴァット・フレイザー、あるいはその絵を参考にしただれかが作成したものではないか、という推測がたちます。
クロード・ローヴァット・フレイザーは、ジョナサン・ケープが創業した1921年に亡くなっていますが、その1921年にジョナサン・ケープから出た『海賊たち(Pirates)』という本の挿絵を描いていますので、直接のつながりもあります。

 

印刷所のプリンターズ・マークや出版社のパブリッシャーズ・マークには、いろんな来歴があって、だれが描いたかが分かるだけでも面白いので、その集覧みたいな1冊があればいいなと思います。つくるのは大変だと思いますが。

 

なんやかやで長くなってしまいました。
ランサム・サーガの項、次回に続きます。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

「地図」がタイトルに入っているということで、トーマス・ドルビイ(Thomas Dolby)の『A MAP OF THE FLOATING CTY』(2011年、EMI)
を。
「浮遊都市の地図」というアルバムです。
スタジオ・アルバムとしては、1992年の『Astronauts & Heretics』以来、19年ぶりの作品でした。
長い長い旅をしていたのでしょう。

Thomas Dolby『A MAP OF THE FLOATING CTY』(2011年、EMI)

Thomas Dolby『A MAP OF THE FLOATING CTY』(2011年、EMI)の地図

地図もちゃんと付属していました。

 

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275. 1931年のケネス・グレアム『たのしい川べ』E・H・シェパードさし絵版(2019年6月22日)

1931年のケネス・グレアム『たのしい川べ』E・H・シェパードさし絵版見返し

 

 《見返しに地図のある本 その1》

本の見返しに、地図がある本が好きなんだと思います。

シェパードやランサム、天沢退二郎の本と、次々に見返しに地図のある本が思い浮かびます。
その地図が実際の読書体験に密接にかかわっているというわけでもないのですが、すくなくとも旅の「手がかり」になるものがあると、安心できるからかもしれません。

本を開くと、ふつう、何もない見返しがあります。
見返しは、本の表紙と本文を構造的につなぐところで、本文用紙とは別のじょうぶな紙が使われます。
無地のままのことが多いですが、そこに、地図があって、これから読まれる文章の舞台が空間化されていると、それだけでわくわくします。

これから何回かに分けて、自分の本棚から、見返しに地図のある本を抜き出したみたいと思います。

 

最初に紹介するのは、ケネス・グレアム(Kenneth Grahame、1859~1932)の 『たのしい川べ(The Wind In The Willows)』です。
E・H・シェパード(Ernest Howard Shepard、1879~1976)のさし絵が入った1931年版です。
冒頭の写真はその見返しで、川べに住む動物たちの住まいの地図になっています。

 

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 1931年第38版表紙

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 1931年第38版表紙
Illustrated by Ernest H. Shepard
Methuen & Co.
初版1908年。1931年第38版。この版ではじめて、アーネスト・H・シェパードのさし絵が使われました。
手もとにあるのはダストラッパーのない裸本です。
本文書体は、カズロン(Caslon)が使われています。両大戦間のイギリスでもっともよく使われた書体かもしれません。

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 1931年第38版口絵と扉

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 1931年第38版扉

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 1931年第38版の刊記

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 1931年第38版の刊記から。
これぞロングセラーという刊記です。

「Imprint」あるいは「Corophon」を「刊記」としました。日本の本の「奥付」にあたる部分です。扉の裏側にあるので、巻末にある「奥付」とすると、なんだかむずむずします。古めかしいことばですが、「刊記」としました。

【2019年7月8日追記】
手もとには、Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 1931年第38版の緑の革装版もありました。
表紙の革が傷んでいて、状態がよくないのが残念ですが、個人所有者が革装したものではなく、版元のMethuen社から出された革装版です。

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 1931年第38版の緑の革装版

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 1931年第38版の緑の革装版
表紙には、ネズミ、ヒキガエル、アナグマが箔押しされています。革の状態がよければ、とてもかわいらしい本だと思います。
本文は、見返しの地図を含めて 1931年第38版そのままですが、巻末の刊行案内がはぶかれています。
クロス装版とはちがい、天金がほどこされています。
1931年に出たもう一つの別の版、グレアムとシェパードのサインの入った200部限定版は、まだ手にしたことがありません。

『たのしい川べ(The Wind In The Willows)』の初版が刊行されたのは1908年ですが、最初にさし絵が使われたのは、1913年の第7版です。

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1913年第7版表紙

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1913年第7版表紙
Illustrated by Paul Bransom
Methuen & Co
1913年刊行『たのしい川べ』最初のさし絵入り版には、動物画を得意とするポール・ブランソム(Paul Bransom、1885~1979)が起用されました。
残念ながら、その絵は『たのしい川べ』の世界観とかみ合っているようには見えません。
手もとにあるのはダストラッパーのない裸本です。

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1913年第7版見返し

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1913年第7版見返し
見返しに地図は使われていませんが、前見返しに絵が使われています。後見返しは無地です。
ブランソムの絵では、小さい動物たちは擬人化されていますが、シェパードやラッカムのさし絵のように着衣ではありません。

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1913年第7版扉

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1913年第7版扉

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1913年第7版の刊記

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1913年第7版の刊記から。

 

『たのしい川べ』は、いろいろな画家がさし絵を描いています。
アーサー・ラッカム(Arthur Rackham、1867~1939)のさし絵が入った版も同じMethuen社から出ています。
ラッカム装画版の見返しには地図はなく、無地です。

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 ラッカム装画版ダストラッパー

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 ラッカム装画版ダストラッパー
Illustrated by Arthur Rackham
Methuen & Co
英Methuen社からのラッカム装画版は、1951年が最初。
写真は1964年第10刷。状態の悪い本しか手もとになく、すいません。
ラッカム装画版は、1940年のアメリカのThe Limited Editions Club版が最初です。
ラッカムのさし絵は、シェパードとはまた別の、小さくて神経質なところもある動物たちの魅力を引き出しています。

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 ラッカム装画版表紙

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 ラッカム装画版表紙

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 ラッカム装画版口絵と扉

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 ラッカム装画版口絵と扉

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 ラッカム装画版の刊記

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』 ラッカム装画版の刊記から。

 

シェパード装画版も、それまで黒単色だったものが、1959年になって、8枚のカラー図版を加えた版が作られます。

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1959年版ダストラッパー

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1959年版ダストラッパー
Illustrated by Ernest H. Shepard
Methuen & Co.
8枚のカラー装画を加えた1959年版。写真は1960年第2刷。
本文書体は、ベンボ(Bembo)が使われています。

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1959年版表紙

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1959年版表紙

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1959年版見返し

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1959年版見返し

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1959年版扉

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1959年版扉

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1959年版の刊記

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1959年版の刊記

ケネス・グレーアム 石井桃子訳『たのしい川べ―ひきがえるの冒険―』

▲ケネス・グレーアム作 石井桃子訳『たのしい川べ―ヒキガエルの冒険―』(1963年11月29日第1刷発行、岩波書店)は、1959年版のさし絵が使われています。
写真は1996年4月5日発行の第35刷。

 

1971年には、シェパードの描いたすべての絵に彩色した版が刊行されます。

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1971年版ダストラッパー

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1971年版ダストラッパー
Illustrated by Ernest H. Shepard
Methuen & Co.
すべての絵に彩色した1971年版。
本文書体は、ポリフィラス(Poliphilus)が使われています。

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1971年版表紙

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1971年版表紙

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1971年版見返し

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1971年版見返し

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1971年版扉

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1971年版扉

Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1971年版の刊記

▲Kenneth Grahame『The Wind In The Willows』1971年版の刊記

 

アーネスト・H・シェパードと見返しの地図というと、まず、A・A・ミルン(Alan Alexander Milne、1882~1956)の、この本なのでしょう。
手元にあるのは、1970年刊の後刷りですが、参考までに掲載します。

A.A.Milne『Winnie-The-Pooh』 1965年改版第4刷(1970年)見返し

▲A.A.Milne『Winnie-The-Pooh』 1965年改版第4刷(1970年)見返し
With Decorations by E.H.Shepard
Methuen & Co
1926年の初版以後、56刷。
写真は、1965年改版第4刷(1970年)。

A.A.Milne『Winnie-The-Pooh』 ダストラッパー

▲A.A.Milne『Winnie-The-Pooh』 1965年改版第4刷(1970年)ダストラッパー

A.A.Milne『Winnie-The-Pooh』 1965年改版第4刷(1970年)表紙

▲A.A.Milne『Winnie-The-Pooh』 1965年改版第4刷(1970年)表紙

A.A.Milne『Winnie-The-Pooh』 1965年改版第4刷(1970年)口絵と扉

▲A.A.Milne『Winnie-The-Pooh』 1965年改版第4刷(1970年)口絵と扉

A.A.Milne『Winnie-The-Pooh』 1965年改版第4刷(1970年)の刊記

▲A.A.Milne『Winnie-The-Pooh』 1965年改版第4刷(1970年)の刊記から。
1926年10月14日初版以後、56刷。ロングセラーの鑑です。

 

1926年の『クマのプーさん(Winnie-The-Pooh)』、1931年の『たのしい川べ(The Wind In The Willows)』に続いて、1932年、リチャード・ジェフリーズ(John Richard Jefferies、1848~1887)の『ベヴィス(Bevis)』の新版でさし絵を描いたシェパードは、見返しに地図を描いています。

見返しに地図のある本は、シェパードの得意とするところだったようです。

 

Richard Jefferies『BEVIS: THE STORY OF A BOY』1932年版見返しの地図

▲Richard Jefferies『BEVIS: THE STORY OF A BOY』1932年版見返しの地図
Illustrated by E H. Shepard
Jonathan Cape
シェパード装画版は1932年が最初。『Bevis』の初版は1882年。
『Bevis』は、現在翻訳するには退屈な本に分類されるかもしれませんが、冒頭の子どもの好奇心が次々移ろっていく描写はすばらしいです。
ランサム・サーガの前触れになった本のひとつです。

Richard Jefferies『BEVIS: THE STORY OF A BOY』1932年版表紙

▲Richard Jefferies『BEVIS: THE STORY OF A BOY』1932年版表紙
手もとにあるのはダストラッパーのない裸本です。

Richard Jefferies『BEVIS: THE STORY OF A BOY』1932年版口絵と扉

▲Richard Jefferies『BEVIS: THE STORY OF A BOY』1932年版口絵と扉
この見返し・口絵・扉の絵だけでもわくわくします。
1932年新版の序文はE・V・ルーカス( (Edward Verrall Lucas、1868~1938)

Richard Jefferies『BEVIS: THE STORY OF A BOY』1932年版の刊記

▲Richard Jefferies『BEVIS: THE STORY OF A BOY』1932年版の刊記から。

 

『たのしい川べ』は、学校の「図書室」にあったのは把握していた本でしたが、読んだのは成人してからです。
小学校のころ、同じケネス・グレアムの『The Reluctant Dragon』(1898年)を訳したものは大好きで、繰り返し読んでいて、のんきな龍のように暮らしたいと思っていたくらいですから、そのとき、『たのしい川べ』に手を伸ばさなかったのが不思議です。
わたしが読んだ『The Reluctant Dragon』の翻訳は、石井桃子訳「おひとよしのりゅう」(1966年、学研)ではなく、『少年少女世界の文学6 イギリス編5』(1970年1月25日発行、小学館)に収録された、グレーアム・作、平井芳夫・文、矢車凉・画「人のいいりゅう」のほうでした。

『たのしい川べ』を読んだのは、金井美恵子の文章を読んでからだと思います。
確認してみたら、『おばさんのディスクール』(1984年10月25日初版第1刷発行、筑摩書房)収録の「魅惑された土地――ケネス・グレーアム」でした。
金井美恵子の本だけは今も新刊で読んでいますので、『たのしい川べ』をはじめて読んだの1984年以降のことだったようです。

 

見返しに地図のある本については、まだまだ続きます。
次回は、ランサム・サーガです。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

ピンク・フロイド(PINK FLOYD)の第1作『The Piper At The Gates Of Dawn』

ピンク・フロイド(PINK FLOYD)の第1作『The Piper At The Gates Of Dawn』(1967年、邦題『夜明けの口笛吹き』)を。
写真は、結成当初の中心メンバーだったシド・バレット(Syd Barrett、1946~2006)が亡くなったあとにリリースされた、2007年リマスターCD3枚組。
「The Piper At The Gates Of Dawn」というアルバム・タイトルは、ケネス・グレアムの『楽しい川べ』の第7章「The Piper At The Gates Of Dawn」からとられています。

石井桃子訳『たのしい川べ―ヒキガエルの冒険―』(1963年、岩波書店)では「あかつきのパン笛」 、ケネス=クレアム 岡本浜江訳『川べにそよ風』新訂版(1997年11月15日第1刷発行、講談社)では、「あかつきの笛の音」と訳されています。

ピンクフロイドの邦題にある「口笛」ではなく、「パン・フルート」です。

1913年版では、 第7章「The Piper At The Gates Of Dawn」の場面が口絵に使われています。
1931年のシェパード装画版でもパン・フルートが描かれています。

1913年版 「The Piper At The Gates Of Dawn」口絵

この章は、牧神が登場する、ほかの章とは肌合いの違う神秘的な章になっています。

 

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274. 1930年のエリック・ギル旧蔵『THE FLEURON』第7号(2019年6月18日)

1930年のエリック・ギル旧蔵『FLEURON』第7号

 

「稀覯本」といわれる本とは縁が薄く、遠くから見るばかりで、見られるだけで眼福ということで十分なのですが、それでも今、わたしが急にくたばって、ゴミとして処分されたら、まずいなと思う本も何冊かあります。
そういう本は、早めに然るべきところへ手放した方がいいのかもしれません。
これもそういう本の1冊です。

エリック・ギル(Eric Gill、1882~1940)旧蔵、スタンリー・モリスン(Stanley Morison、1889~1967)編の印刷研究誌『THE FLEURON』の第7号最終号(1930年、Cambridge University Press)です。

『THE FLEURON』第7号は、1000部の通常版(機械漉き紙版)と210部のデラックス版(手漉き紙版)があって、これは手漉き紙版(ただしナンバリングはされていません)で、エリック・ギルの蔵書として、三方金・赤モロッコ革で装幀しなおされているので、この形の本は、この1冊だけということになります。

 

エリック・ギルは、20世紀前半のイギリスで、ウィリアム・モリス(William Morris、1834~1896)のアーツ・アンド・クラフツ運動を実践的に引き継いで活動した、彫刻家・彫石家・タイポグラファー・著作家です。
20世紀なかばのイギリスのデザインや視覚表現には欠かせない存在でした。
ペンギン・ブックやフェイバーの本、ロールスロイスやBBC、英国の鉄道などで使われた文字には、エリック・ギルが刻んだ書体は欠かせません。
特に、ギル・サン(Gill Sans)は今もよく使われていて、どのパソコンOSにも標準装備されているゴシック体です。

 

エリック・ギル旧蔵『FLEURON』第7号の表紙

▲エリック・ギル旧蔵『THE FLEURON』第7号の表紙
1910年、ドイツのクラナッハ・プレス(Cranach Presse)版『オッデセウス(Die Odyssee)』の扉に使われたオデッセウス像が援用されています。
ちなみに、ジェイムズ・ジョイス(James Joyce、1882~1941)の『ユリシーズ(Ulysses)』のイギリスでの初版、The Bodley Head版(1936年)の表紙デザインを手掛けたのも、エリック・ギルでした。
エリック・ギルはジェイムズ・ジョイスと同い年です。

 

エリック・ギル旧蔵『FLEURON』第7号の見開き

▲エリック・ギル旧蔵『THE FLEURON』第7号の見開き
エドワード・ボウデン(Edward Bawden、1903~1989)がカーウェン・プレス(Curwen Press)のためにデザインした型紙を見開きに使っています。

 

エリック・ギル旧蔵『FLEURON』第7号の見開きに貼られた蔵書票

▲エリック・ギル旧蔵『THE FLEURON』第7号の見開きに貼られた蔵書票
エリック・ギルが、バッキンガムシャー(Buckinghamshire)のピゴッツ・ニア・スピーン(Pigotts near Speen)を拠点にしていた1928~1940年に使われていた蔵書票が貼られています。 

 

Curwen Pattern Paperの見本帳から。

▲Curwen Pattern Papersの見本帳から。
エドワード・ボウデンがカーウェン・プレスのために作成した型紙のページ 。
この型紙が最初に刷られたのは1928年9月。
この見本帳については、「第41回 1987年のデヴィッド・マッキッタリック『カーウェン・パターン紙の新見本帖』(2013年1月13日)」で、簡単に紹介しています。

【2019年6月20日追記】
「Pattern Papers」を「型紙」と訳すと、裁縫用の型紙と混同するので、「パターン紙」や「模様紙」としたほうがよさそうです。

 

エリック・ギルの蔵書を買い取った古書籍商の手紙

▲ピゴッツのエリック・ギルの蔵書を買い取った古書籍商の手紙
エリック・ギルの夫人メアリー(Mary Ethel Gill、1878~1961)が亡くなった後、ピゴッツにあったエリック・ギルの蔵書の一部を、イギリスの作家・古書籍商 G.F.シムズ(George Frederick Sims、1923~1999)が買い取っています。
手紙は、シムズがこの『FLEURON』を所有することになるアメリカのコレクターにあてた手紙で、本にはさまれていました。
たぶん、このコレクターが亡くなったことで、市場に出て、縁あって今は、わたしの手もとにあります。

 

エリック・ギル旧蔵『FLEURON』第7号の扉

▲エリック・ギル旧蔵『THE FLEURON』第7号の扉

 

エリック・ギル旧蔵『FLEURON』第7号の目次の一部

▲エリック・ギル旧蔵『THE FLEURON』第7号の目次の一部
p27~p60は、エリック・ギルの特集になっています。
本文は34ページですが、『THE FLEURON』誌お得意の張り込みや別刷りの見本が本文とは別に43ページ差し込まれているので、80ページ近い、大きな特集になっています。

 

エリック・ギル旧蔵『FLEURON』第7号の刊記01

▲ エリック・ギル旧蔵『THE FLEURON』第7号の刊記
「NO ―」とナンバリングはありませんが、1930年10月付けのスタンリー・モリスンの手書きサインがあります。
本号で大きな特集を組んだエリック・ギルへの贈呈本だと思われます。
プリンターズマークは銅版。

 

『FLEURON』第7号の通常版(機械漉き紙版)の刊記

▲『THE FLEURON』第7号の通常版(機械漉き紙版)の刊記
エリック・ギル旧蔵のものとは別に、クロス装の通常版(機械漉き紙版)も手もとにあります。
手漉き紙版とプリンターズマークを変えています。

 

エリック・ギル旧蔵『FLEURON』第7号のエリック・ギル特集ページから01

▲エリック・ギル旧蔵『THE FLEURON』第7号のエリック・ギル特集ページから
この墓碑銘の図版は、紙漉き版だけに貼り込まれています。

 

エリック・ギル旧蔵『FLEURON』第7号のエリック・ギル特集ページから02

エリック・ギル旧蔵『FLEURON』第7号のエリック・ギル特集ページから03

▲エリック・ギル旧蔵『THE FLEURON』第7号のエリック・ギル特集ページから
この号で、エリック・ギルについて解説を書いているポール・ボージョン(Paul Beaujon)は男性名ですが、アメリカ人女性ベアトリス・ワード(Beatrice Warde、1900~1969)のペンネームです。
当時イギリスの活字メーカーのモノタイプ社につとめ、1926年に離婚後、Paul Beaujon の名前で、専門誌で活字についての文章を発表し、活字改良で面白かった時代の先導者の一人になります。
エリック・ギルの賛美者で、エリック・ギルの裸婦画のモデルになり、一時期は愛人でもありました。

 

エリック・ギル旧蔵『FLEURON』第7号のエリック・ギル特集ページからPERPETUA紹介01

エリック・ギル旧蔵『FLEURON』第7号のエリック・ギル特集ページからPERPETUA紹介02

▲エリック・ギル旧蔵『THE FLEURON』第7号のエリック・ギル特集ページから
このエリック・ギル特集は、エリック・ギルが新しく彫り上げたローマン書体「パーベチュア(Perpetua)」の発表の場にもなっています。
Perpetua という名前は、3世紀のキリスト教の殉教者で、聖ペルペトゥアと聖フェリチタスの2人の聖女殉教者として知られる聖ペルペトゥアに由来し、『THE FLEURON』第7号では、聖ペルペトゥアと聖フェリチタスの受難録(The Passion of Perpetua and Felicity)の英訳32ページを、新しい書体 Perpetua で組むことで、実践的な見本としています。

装画もエリック・ギルの作品。ペルペトゥアの夢が描写されていますが、神と悪魔を白と黒で分け、白いものが黒いものを踏みつける表現は、現在の感覚では間違いなく拒否反応がおこります。

 

エリック・ギル旧蔵『FLEURON』第7号のエリック・ギル特集ページから新書体「PERPETUA」見本01

エリック・ギル旧蔵『FLEURON』第7号のエリック・ギル特集ページから新書体「PERPETUA」見本02

▲エリック・ギル旧蔵『THE FLEURON』第7号のエリック・ギル特集ページから新書体「PERPETUA」見本
手漉き紙版には、エリック・ギルの署名が書き加えられています。

 

『FLEURON』第7号のハインリッヒ・ホルツについてのページから

▲『THE FLEURON』第7号のハインリッヒ・ホルツについてのページから
「HEINRICH HOLZ」by RUDOLF KOCH

 

『FLEURON』第7号の1890年代のタイポグラフィーについてのページから

▲『THE FLEURON』第7号の1890年代のタイポグラフィーについてのページから
チャールス・リケッツ装幀のオスカー・ワイルド『スフィンクス』(1894年)のページ見本貼り込み
「AN UNACKNOWLEDGED MOVEMENT IN FINE PRINTING: THE TYPOGRAPHY OF THE EIGHTEEN-NINETIES」by A.J.A.SYMONDS

 

『FLEURON』第7号のページから01

▲『THE FLEURON』第7号のボドーニについてのページから
「THE OFFICINA BODONI」by FRIEDRICH EWALD
紙のテキスチュアとあいまって、活版印刷の美しさが際立っています。

 

『FLEURON』第7号のトマス・クリ―ランドについてのページから

▲『THE FLEURON』第7号のトマス・クリ―ランドについてのページから
「THOMAS MITLAND CLELAND」by D.B.UPDIKE
右の多色図版は、手漉き紙版のみ掲載。

 

『FLEURON』第7号の活字評のページから

▲『THE FLEURON』第7号の活字評のページから
Bruce Rogersがデザインした、モノタイプ社の新しい活字「セントール(CENTAUR)」と、15世紀ベネチアの書体をもとにモノタイプ社が新たに刻んだ活字「ベンボ(BEMBO)」の評ページに差し込まれた、新しい活字を使った印刷見本。

 

『FLEURON』第7号巻末の LAKESIDE PRESS の広告ページから

▲『THE FLEURON』第7号巻末の LAKESIDE PRESS の広告ページから
ロックウェル・ケント(Rockwell Kent、1882~1972)装画の『白鯨(MOBY DICK)』の見本ページ

 

『FLEURON』第7号巻末の広告ページから

▲『THE FLEURON』第7号巻末の広告ページから
ウォルター・ルイス(Walter Lewis)が Master Printer の時代の Cambridge University Press と、1927年創業の Randam House の広告。

 

『FLEURON』第7号巻末の広告ページから02

▲『THE FLEURON』第7号巻末の広告ページから
右は THE GOLDEN COCKEREL PRESS の広告。

 

『FLEURON』第7号巻末の広告ページから03

▲『THE FLEURON』第7号巻末の広告ページから
ERIC GILL & RENE HAGUE の本と、THE NONESUCH PRESS の広告。

秋朱之介(西谷操、1903~1997)も、THE NONESUCH PRESS が出しているような本をつくりたいと公言していました。

 

『FLEURON』第7号の内容見本ちらし

▲『THE FLEURON』第7号の内容見本ちらし
1931年刊とありますが、第7号は1930年に刊行されています。

 

『FLEURON』第7号の通常版(機械漉き紙版)のダストラッパー

▲『THE FLEURON』第7号の通常版(機械漉き紙版)のダストラッパー
装画はエリック・ギル。

 

   『FLEURON』第7号の通常版(機械漉き紙版)の表紙背

▲『THE FLEURON』第7号の通常版(機械漉き紙版)のクロス装表紙の背

『THE FLEURON』のページをめくるのは、それだけで目と手の喜びだったのですが、過去が掘り起こされると、無邪気な喜びだけを語れなくなります。

 

Fiona MacCarthyが書いた伝記『ERIC GILL』

▲Fiona MacCarthyが書いた伝記『ERIC GILL』(Faber、初版は1989年、写真は1990年のペーパーバック)

1980年であれば、エリック・ギルは、芸術家らしい奇矯な生活をする変わり者には違いないが、20世紀前半のイギリスを代表する芸術家で、ウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツ運動を実践的に引き継いで活動した、彫刻家・彫石家・タイポグラファー・著作家と、無邪気に書くことができました。

しかし、墓場に持っていって知られないことにされることなく、アメリカのカリフォルニア大学に家族から寄贈されていたエリック・ギル15歳から58歳までの40冊の日記が、フィオナ・マッカーシーによって読み解かれて、エリック・ギルの性行動を明らかにした伝記が出版された1989年以降、エリック・ギルは、無邪気に賞賛できる対象ではなくなりました。

死後50年経って、その性的行動が、神との信仰と結びついて、あまりにも特異だと、頻繁な「casual liaisons」、妹や娘との「incest」、飼っていた犬との「bestiality」、それでいて夫婦仲は円満という、常軌を超えた存在であったことが知られるようになったからです。

エリック・ギルは、独自の思想から信仰と芸術活動の理想をもとめて、拡大家族的な芸術家・職人のコミュニティーをつくっていたのですが、現在、そういうコミュニティーがあって、そのグループの中で、ギルのような性行動が部外者に発覚したとしたら、児童相談所、警察、裁判所が介入して、有無をいわさずグループ解体に動くような事例です。
現在の核家族的倫理では全否定される行動です。

エリック・ギルと関係のあった娘のペトラ(Petra Tegetmeier、1906~1999)は、トラウマという言葉とともに語られるような不幸な生涯ではなかったようには見えます。
父親の行為はその「endless curiosity about sex」のためと語り、父親のことは生涯尊敬し、アーツ・アンド・クラフツの流れをくむ織物の織り手となり、幸せな結婚をし、おしゃべり好きで、芸術的な仕事につく6人の子どもたちにめぐまれ、92歳の天寿を全うしたと、イギリスの有名紙に追悼文が掲載されるような存在でした。
それでも、今の倫理は、エリック・ギルの行動を許すことはありません。

エリック・ギルは、20世紀なかばのイギリスのデザインや視覚表現には欠かせない存在でしたし、ロールスロイスのロゴにギル・サンが使われているように、今でも使われ続け、パソコンのOSにも標準装備されています。
しかし、「作品」の魅力は持続しているものの、「作り手」がその魅力をそぎ落としています。
1989年以降は、「paedophileが作った書体」という否定・拒絶も、その属性になっています。

 

Fiona MacCarthy『ERIC GILL』ペーパーバック版の表紙を見ると、 「liaisons」の相手であった裸婦(この裸婦画のモデルは、Paul Beaujon こと Beatrice Warde)と 「bestiality」の対象であった飼い犬、代表的書体「ギル・サン(Gill Sans)」、しかめっ面の険しい表情の肖像写真が使われていて、ある意味、扇情的な構成になっています。

 

作家 Guy Davenport と、New Directions の編集者 James Laughlin との往復書簡集(2007)を拾い読みしていたら、ダヴェンポートが、クレア・レイトン(Clare Leighton、1898~1989。1920~30年代にイギリスで活動した木版画家で、戦後はアメリカで活動)から聞いた話に、エリック・ギルが登場していました(1993年の書簡)。

Eric Gill. I used to work (as printer) to Claire Leighton, who used to pose for him.
She said he kept an erection the whole time. He was a pedantic eroticist.


エリック・ギルの普段着は、独自のアッパッパみたいな服でパンツ無しだったので、モデルから見て、性器の様子が見えていたようです
画家の会田誠が、裸婦モデルに対して勃起しない前提のことを語っていましたが、エリック・ギルの場合、その前提がなかったようです。
クレア・レイトンは笑い話にしていましたが、今だと、直接知る関係者がいなくなったことで、いっそう笑い話にならなくなっています。

性にかかわることで、正邪どんな方向からであれ、結果として不幸な体験になる関わり方だけは、勘弁してほしいです。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

『I TRAWL MEGAHELTZ』(2003年、Liberty)

Prefab Sprout のパディ・マクアルーン(Paddy McAloon)のソロ作『i trawl the MEGAHELTZ』(2003年、Liberty)から、「i'm 49」を。

2003年に、このアルバムが出たときは、まだ49歳前でしたが、あっという間に超してしまいました。

パディ・マクアルーンが失明寸前となり、深夜ラジオの電話相談番組を聴いて過ごしていた先の見えない時間から生まれたアルバム。
深夜の孤独や悲しみが微弱な電波となって宙を飛び交い、ひとときの間、錯覚のように、美しい音楽として響きます。

ラジオからサンプリングされた「I'm forty nine, divorced.」という声は、ほんとうに、どんづまりです。
そんな声も救われる世界でありますように。

 

2019年になって、Prefab Sprout 名義で『I TRAWL THE MEGAHELTZ』(2019年、SONY MUSIC)が再発されました。

『I TRAWL THE MEGAHELTZ』(2019年、SONY MUSIC)

もうソロもグループもない。Prefab Sprout イコール Paddy McAloon ということなのでしょう。


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273. 2014年の津原泰水『音楽は何も与えてくれない』(2019年5月25日)

2014年の津原泰水『音楽は何も与えてくれない』

 

思いがけない形で話題になっている、幻冬舎から上梓された津原泰水の2冊の本、エッセイ集『音楽は何も与えてくれない』(2014年5月20日第1刷発行)と長編小説『ヒッキーヒッキーシェイク』(2016年5月25日第1刷発行)です。
いずれも新刊として購入しました。

地元の 図書館に架蔵されているかどうか調べてみたら、鹿児島市立図書館には2冊ともありましたが、鹿児島県立図書館には『音楽は何も与えてくれない』だけで『ヒッキーヒッキーシェイク』がありませんでした。これは残念。

購入した動機は、ちょっと不純で、クラウス・フォアマン(Klaus Voormann)めあてです。わたしが10代のころは、「クラウス・ブアマン」と呼ばれていたベーシスト。説明はしません。音楽の伝説の現場にいた人です。

『音楽は何も与えてくれない』には、クラウス・フォアマンによる特別寄稿「ザ・ベースマンはハンブルグで生まれた」が掲載され、 『ヒッキーヒッキーシェイク』の表紙絵は、クラウス・フォアマンの作です。それだけでもすごい。

2009年に、クラウス・フォアマンのソロアルバム『A SIDEMAN'S JOURNEY』が出て、 その録音の旅を取材したドイツ Kick Film 制作の90分ドキュメンタリー「サイドマン ~ビートルズに愛された男~(All You Need is Klaus)」が、 NHKのBSでも2010年から2012年にかけて、何度か放送されたのですが、そのドキュメンタリーを見てからは、生きた伝説とはこの人のことだと、ずっと思っています。

 

『音楽は何も与えてくれない』(2014年、幻冬舎)のダストラッパー

▲『音楽は何も与えてくれない』(2014年、幻冬舎)のダストラッパー
著者自装 カバー写真/榎本壯三

『音楽は何も与えてくれない』に収められた、「月の女神の三つの高楼」(初出は『ユリイカ』2002年1月号「ビョークの世界」、青土社)に、事実誤認の個所があります。
できれば、校閲段階でチェックして、10年以上経過した2014年にアップデートして言及してほしかった個所です。

 肉声であることがふと疑わしくなるほど透きとおった歌声で、才人パディ・マクアルーン若かりし日々の歌曲を彩っていたのは、ウェンディ・スミスという可憐な金髪女性だった。かつて、ふたりを含むシンプルなギターバンド、プリファブ・スプラウトが東京公演をおこなっている最中、ウェンディ嬢は不意に、思いあまったように履いていた靴を脱いだ。そのまま歌い続けた。足が痛いと、つい脱いでしまう癖がある人なのかもしれない。演出にしては愛想のかけらもない所作で、実際、まだ痩身だった頃のマクアルーンにばかり見蕩れて、彼女の身長が変わっていることに気づかずにいた客は少なくなかったはずだ。
 さて、この原稿を書いている現在、まさに来日公演中であるビョークは、はたしてどのような衣装と化粧で聴衆の前に現れたものだろうか。私が肉眼でビョークを見たのは、一九九六年、『ポスト(Post)』発表後の日本武道館公演においてのみである、お世辞にも音響の良い会場とはいいがたく、また短いプログラムは、おおむねCDの「かろうじての再現」の域にとどまっており、印象は芳しくなかった。しかし書きたいのはそういった苦言ではない。当初、ビョークは、銀紗のワンピースを着ていた。最初から裸足だった。こちらは、間違いなく演出である。それなりの効果を奏していた、と思う。
 広いステージをぺたぺたと動きまわるビョークを眺めながら、私はしきりにウェンディ・スミスのことを思い起こしていた。ウェンディの粗忽さとビョークの周到さは、私のなかでみごとに陰陽をなしていた。アングロサクソン然として金髪を揺らしながら、ハイヒールを痛がって捨てたウェンディと、イヌイット然とした野性的な容姿に合わせ、最初から靴を履かなかったビョーク。まるで拮抗するふたりの女神を見合わせるようではないか。いうなれば、日神と月神。
 ちなみにウェンディ・スミスというのは、ヤング・マーブル・ジャイアンツの後進グループであるウィークエンドのレコードジャケット画を手掛けたりもしていた、なかなかの才媛であり、「育ちのいいコーラスガール」というだけの存在ではけっしてなかった。

残念ながら、最後の個所が間違った記述になっています。

わたしも、イギリスのウィークエンド(Weekend)やアメリカのザ・マグネティック・フィールズ(The Magnetic Fields)のアルバムジャケットの「Wendy Smith」というクレジットを見ながら、この絵をプリファブ・スプラウト(Prefab Sprout)のウェンディ・スミスが描いたのかと思ってきたのですが、プリファブ・スプラウトの天上的な歌声のウェンディ・スミスと、ウィークエンドのレコードジャケットで児童画のような鮮やかな絵を描いたウェンディ・スミスは、同姓同名の別人と気づいたときは、間違いを恥ずかしがる以上に、何か夢の魔法がとけて何か失ってしまったような気持ちになりました。

レコード会社にも正確な情報は行き渡っていなかったのでしょうか、1991年のザ・マグネティック・フィールズのアルバム『ディスタント・プラスティック・トゥリーズ(distant plastic trees)』(ビクター)日本盤CDの解説でも、伊藤英嗣が、次のように書いていますから、1990年代の洋楽好きは、歌って絵も描く、まぼろしのウェンディ・スミスを夢見ていたわけです。

さらに付け加えるなら、(『ディスタント・プラスティック・トゥリーズ』の)ジャケットの印象的なイラストを書いているのは、プリファブ・スプラウトのメンバーでもある女性、ウェンディ・スミス! 彼女は、ミュージシャンとしてデビューする前に、イラストレーターとして有名になっていたのだが、この特徴的なタッチで、ウィークエンドのシングルやアルバム、ヤング・マーブル・ジャイアンツ、ウィークエンド等を集めたコンピレイション・アルバムのカヴァーを手掛けていた訳だ。ぼくもそうだったのだが、当時からの音楽ファンが本盤を見たら、“あれっ、ウィークエンドの新しい編集盤かな?”と一瞬思ってしまうはず。多分。

別人だと分かっている今読むと、ちょっと恥ずかしい記述です。
Google検索が普通になるころまで、この勘違いは共有されていたようです。

 

the magnetic fields 「distant plastic trees」(1991、ビクター)

▲the magnetic fields 「distant plastic trees」(1991、ビクター) 日本盤CD

実際は、プリファブ・スプラウトのウェンディ・スミスは、パディ・マクアルーン(Paddy McAloon)のガールフレンドだったウェンディ・スミスで、ウィークエンドのジャケットを描いたウェンディ・スミスは、ヤング・マーブル・ジャイアンツのスチュアート・モクサム(Stuart Moxham)のガールフレンドだったウェンディ・スミス。
全くの別人です。

今なら、それこそWikipediaやdiscogsで検索するだけでも、同一人物ではないと見当がつきます。

さらに、やっかいなのは、ウェンディ・スミス(Wendy Smith)は同姓同名が多いようで、他にもアーチストとして活動している人が何人かいることです。混同するのも仕方ない面もありますが、やはり人違いは礼を欠きます。

津原泰水には、2014年の『音楽は何も与えてくれない』の「月の女神の三つの高楼」に付記して、20世紀の洋楽好きが夢想していた、まぼろしのウェンディ・スミスについて書いてほしかった。
せっかくの初めてのエッセイ集なのだから、それを指摘する編集者・校閲者がまわりにいてほしかった。

ウィークエンドのジャケットを描いたウェンディ・スミスは、現在、アメリカ・カリフォルニアで画家として活動しています。
彼女のウェブサイト「wendysmithartist.com」の履歴に、

 Cardiff Art College - Cardiff, Wales - Foundation Year 1977-78
 Trent Polytechnic - Nottingham, England - BFA Honors, First Class 1981

とありますので、こちらのウェンディ・スミスが、間違いなくウィークエンドのアルバムジャケットを描いた画家です。

 

渡辺亨『プリファブ・スプラウトの音楽 永遠のポップ・ミュージックを求めて』(2017年3月24日発行、DU BOOKS)

▲渡辺亨『プリファブ・スプラウトの音楽 永遠のポップ・ミュージックを求めて』(2017年3月24日発行、DU BOOKS)
2017年に出た、渡辺亨『プリファブ・スプラウトの音楽 永遠のポップ・ミュージックを求めて』に、わたしたちが夢見ていた、まぼろしのウェンディ・スミスについての言及がないかと思いましたが、そのことについて触れていませんでした。

1987年7月の来日コンサートについての文章で、「ウェンディ・スミスがサンディ・ショウのように裸足でステージに立っていたことも、忘れられない。」(p76)と書いていますので、津原泰水と同じ日に裸足のウェンディ・スミスを見ていたようです。
プリファブ・スプラウトをなまで聴いたことがないので、うらやましい限りです。


young marble giants、weekend、the magnetic filedsのために、裸足で歌うウェンディとは別人の、ウェンディ・スミスが描いた絵を並べてみます。

ウェンディ・スミスの絵が日本にも届くようになったのは、ヤング・マーブル・ジャイアンツのブックレット『words and pictures』に始まります。
このブックレットについては、「第38回 1980年のヤング・マーブル・ジャイアンツ『言葉と絵』(2013年1月10日)」でも触れています。

 

young marble giants 『words and pictures』(1980年)表紙

▲young marble giants 『words and pictures』(1980年)
 WORDS BY STUART MOXHAM
 DRAWINGS BY WENDY SMITH
young marble giantsは1978年、ウェールズのカーディフで結成されています。そのころカーディフのアートカレッジに通ってたウェンディ・スミスが、スチュアート・モクサムと付き合っていたことから、このブックレットが生まれました。
恋するドローイングです。

ブックレット『words and pictures』の表紙から、young marble giantsの特徴的なレタリングは、ウェンディ・スミスのアイデアだと分かります。

 


young marble giants 「COLOSSAL YOUTH」

▲young marble giants 「COLOSSAL YOUTH」(1980年、英オリジナル盤はrough trade)
2007年のdominoからの3枚組みリマスター再発盤。

ほかにも、スチュアート・モクサムが、young marble giants 解散後に立ち上げたグループ、the gistのシングル盤のジャケットもウェンディ・スミスが手掛けています。


weekend 「la Varieté」01

weekend 「la Varieté」02

weekend 「la Varieté」03

▲weekend 「la Varieté」(2006年、Cherry Red)
1982年~1984年に、rough tradeからリリースされていた Weekend 作品の編集盤CD。
Weekendは、アリソン・スタットン(Alison Statton)が、young marble giants 解散後、サイモン・ブース(Simon Booth)らと立ち上げたグループ。
cover art - Wendy Smith

 

weekend 「live at Ronnie Scotts」(2008年、Cherry Red)

▲weekend 「live at Ronnie Scotts」(2008年、Cherry Red)
1982年~1983年の Weekend のライブ音源を中心とした編集盤。
cover by Wendy Smith

 

the magnetic fields 「the wayward bus」1989

the magnetic fields 「distant plastic trees」1991

the magnetic fields 「the wayward bus / distant plastic trees」(1991、marge records)

▲the magnetic fields 「the wayward bus / distant plastic trees」(1991、marge records)
1989年の「the wayward bus」と1991年の「distant plastic trees」のカップリングCD。
1989年の『the wayward bus』には「TOKYO Á GO-GO」という曲が収録されているためか、アルバムジャケットに富士山らしき山が描かれています。
ウェンディ・スミスにアルバムジャケットを依頼したのは、STEPHIN MERRITTでしょうか。
慧眼です。
このころ、ウェンディ・スミスはイギリスを離れ、1980年代なかばから、ずっとアメリカで活動しています。

 

『ヒッキーヒッキーシェイク』(2016年、幻冬舎)のダストラッパー

▲『ヒッキーヒッキーシェイク』(2016年、幻冬舎)のダストラッパー
 装画/クラウス・フォアマン cover illustration by Klaus Voormann
 装丁/松木美紀 book design by Miki Matsuki

まごうことなきクラウス・フォアマンの作品で、ベースを抱えたTHYMEが前景にいるのも納得なのですが、小説を読んで思い描いたTHYMEの風貌との齟齬は感じています。
PARSLEY前景ヴァージョンだとどんなだっただろうと想像したりします。
あるいは、SAGE前景、ROSEMARY前景。

 

nero no.2 paris issue 2012/1/25 発売元 サンクチュアリ出版

▲『nero』no.2 paris issue (2012年1月25日 発売元・サンクチュアリ出版)
2009年のクラウス・フォアマン『A SIDEMAN'S JOURNEY』以降、日本でもクラウス・フォアマンの作品を起用したものがありました。
井上由紀子編集の『nero』の表紙もそのひとつ。ビートルズの「REVOLVER」ジャケット仕様で、フランスのロックバンド・フェニックス(Phoenix)を描いたもの。井上由紀子の『nero』も、発売元を、DIS Inc.、サンクチュアリ出版、主婦の友社、リトル・モア、スペースシャワーネットワーク、トゥーヴァージンズと渡り歩いて続いています。一人雑誌の鑑です。

GLAYの2014年のアルバム『MUSIC LIFE』(ポニーキャニオン)のアルバムジャケットも、クラウス・フォアマンが手掛けていました。

 

津原泰水の『ヒッキーヒッキーシェイク』は、幻冬舎の、今はないリトルマガジン『ポンツーン(PONTOON)』に、2013年7月から2015年6月まで2年間連載され、そのタイトルにクラウス・フォアマンの絵の部分が使われていました。

手もとに『ポンツーン(PONTOON)』のバックナンバーが残っていないか探してみたのですが、2015年以降のものしか見つけられませんでした。それ以前のものもあったと思うのですが、あったとしても容易に取り出せないところに置いてしまったようなので、ちょっと取り出すのは無理です。
掲載バックナンバーがそろっていれば、クラウス・フォアマンの大きな絵が作れたのに残念です。

2015年6月号の『ヒッキーヒッキーシェイク』最終回は、単行本の「68」までで、「※ご愛読ありがとうございました。続きは今秋発売予定の炭鉱本でお楽しみください。」と付記されています。
実際には2015年秋でなく、2016年5月に刊行されていますから、加筆・修正に時間をかけたのでしょうか。

 

津原泰水の本

▲熱心な小説の読み手ではなくなってしまいましたが、それでも、本棚を探すと、楽しく読んだ津原泰水の本が何冊か出てきました。

津原泰水『綺譚集』(2004年、集英社)には、「津原やすみ」の検印がおされています。
これは、喜国雅彦『本棚探偵の冒険』(2001年12月10日第1刷発行、双葉社)奥付の検印に続くもののように、当時は思いました。

『音楽は何も与えてくれない』収録の「弦楽器襲来」に「篆刻家としては未熟だった頃の父が彫ってくれた石印を、僕は未だに使っている。私見によれば、使われ摩耗していくことにによって印は育ち、枯淡へ到る。」とあります。
この『綺譚集』の検印に使われたものでしょうか。その石印であるなら、そこにも「譚」がありそうです。

『綺譚集』(綺は「糸偏に竒。2004年8月10日第一刷発行、集英社)奥付

▲『綺譚集』(綺は「糸偏に竒。2004年8月10日第一刷発行、集英社)奥付

津原泰水の本を読みはじめると、いろんな音が鳴り響きはじめます。
本に集中したいところですが、ゆっくりとしたペースの読書となり、いろんな音楽を聴く寄り道もはじまってしまいます。
大変です。

そして、それはとても楽しい時間です。


〉〉〉今日の音楽〈〈〈

クラウス・フォアマン『A SIDEMAN'S JOURNEY』(2009年、Universal)

▲クラウス・フォアマン『A SIDEMAN'S JOURNEY』(2009年、Universal)

90分ドキュメンタリー『サイドマン ~ビートルズに愛された男~(All You Need is Klaus)』によれば、1980年頃、アメリカでの生活が嫌になってしまい、DR.JOHNとのセッションをキャンセルして、ヨーロッパに帰ったようです。
このアルバム最後の曲は、そのDR.JOHNとのセッションで、「Such A Night」でした。

クラウス・フォアマンにとって、とりに戻りたかった忘れ物だったのでしょうか。

【2019年6月7日追記】
ニューオリンズのピアニスト・歌手、ドクター・ジョン(Dr.John、Mac Rebennack)が、2019年6月6日、亡くなったそうです。77歳。
ずっとずっと聴いてきた、音楽の宝物のような存在でした。
いちばんよく聴いたアルバムは、「Such A Night」も収録した『In The Right Place』(1973年、ATCO)。
Metersの演奏も最高です。


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272. 1987年の『みなみの手帖』第51号(2019年5月9日)

1987年の『みなみの手帖』第51号~54号

 

前回に引き続き、羽島さち(1917~2015)編集兼発行の『みなみの手帖』第51号から第98号終刊号までの表紙です。

第51号(1987年5月1日発行) 表紙 祝迫正豊
第52号(1987年8月31日発行) 表紙 祝迫正豊
 児玉達雄 詩「海峡綺談余聞」
 「あとがき」に「昨年十一月、鹿児島に帰って来られた児玉達雄さんの第一作です。」
第53号(1987年12月28日発行) 表紙 前田芳和
 児玉達雄 小説「走狗帖」
【2019年6月11日追記】「児玉学習教室(数学・英語)」の生徒募集広告
第54号(1988年5月1日発行) 表紙 前田芳和

 

『みなみの手帖』55~58

第55号(1988年9月1日発行) 表紙 日高いつ子
第56号(1988年12月28日発行) 表紙 日高いつ子
 片岡吾庵洞(片岡八郎)「石亀日記」連載開始。20回。第78号まで。
 児玉達雄「凍雲帖」
第57号(1989年5月1日発行) 表紙 白尾真
 児玉達雄「凍雲帖(承前)」
第58号(1989年8月31日発行) 表紙 白尾真
 児玉達雄「凍雲帖(完結)」

 

『みなみの手帖』59~62

第59号(1989年12月28日発行) 表紙 西村康博
第60号(1990年5月1日発行) 表紙 西村康博
第61号(1990年9月1日発行) 表紙 本兼光
第62号(1990年12月28日発行) 表紙 本兼光

 

『みなみの手帖』63~66

第63号(1991年5月1日発行) 表紙 立元史郎
第64号(1991年9月1日発行) 表紙 立元史郎
 創刊20周年記念掌編小説特集号
 児玉達雄「四月歌」
第65号(1991年12月28日発行) 表紙 天達章吾
第66号(1992年5月1日発行) 表紙 天達章吾
 平田信芳「石碑夜話」連載開始。15回。第81号まで。

 

『みなみの手帖』67~70

第67号(1992年9月1日発行) 表紙 重久哲也
第68号(1992年12月28日発行) 表紙 重久哲也
第69号(1993年5月1日発行) 表紙 東條新一郎
第70号(1993年9月1日発行) 表紙 東條新一郎

 

『みなみの手帖』71~74

第71号(1993年12月28日発行) 表紙 内川達
第72号(1994年5月1日発行) 表紙 内川達
第73号(1994年9月1日発行) 表紙 関好明
第74号(1994年12月28日発行) 表紙 関好明

 

『みなみの手帖』75~78

第75号(1995年5月1日発行) 表紙 竪山真知子
第76号(1995年9月1日発行) 表紙 竪山真知子
第77号(1995年12月28日発行) 表紙 永朱弘
第78号(1996年5月1日発行) 表紙 永朱弘

 

『みなみの手帖』79~82

第79号(1996年9月1日発行) 表紙 大嵩禮造
 創刊25周年記念掌編小説特集号
第80号(1996年12月28日発行) 表紙 田畑明美
第81号(1997年5月1日発行) 表紙 田畑明美
第82号(1997年9月1日発行) 表紙 村上明

 

『みなみの手帖』83~86

第83号(1997年12月28日発行) 表紙 村上明
第84号(1998年5月1日発行) 表紙 白浜ゆかり
第85号(1998年9月1日発行) 表紙 白浜ゆかり
第86号(1998年12月28日発行) 表紙 ミヤギタケオ

 

『みなみの手帖』87~90

第87号(1999年5月1日発行) 表紙 ミヤギタケオ
第88号(1999年9月1日発行) 表紙 大嵩文雄
第89号(2000年1月1日発行) 表紙 大嵩文雄
第90号(2000年5月1日発行) 表紙 実成義孝

 

『みなみの手帖』91~94

第91号(2000年9月1日発行) 表紙 実成義孝
第92号(2001年1月1日発行) 表紙 川崎浩
第93号(2001年5月1日発行) 表紙 大嵩禮造
 創刊30周年記念特集号
第94号(2001年9月1日発行) 表紙 岩田寿秋

 

『みなみの手帖』95~98

第95号(2002年1月1日発行) 表紙 文田哲雄
第96号(2002年5月1日発行) 表紙 大嵩禮造
第97号(2002年9月1日発行) 表紙 宍野勝文
第98号〈終刊号〉(2002年12月25日発行) 表紙 前畑省三

 

『みなみの手帖』に10回以上連載されていたのは、次のような作品。

栄喜久元「かごしま絵と文」 〈88回〉 創刊号~第96号
夏目漠「朱寥亭蕭条記」 〈16回〉 創刊号~第29・30合併号
五代夏夫「薩摩問わず語り」 〈17回〉 第24号~第44号
中村明蔵「隼人人物伝」 〈10回〉 第27号~第39号
芳即正「薩摩くるわ考」 〈19回〉 第37号~第55号
池畑耕一「熊襲から隼人へ」 〈20回〉 第44号~第63号
片岡吾庵洞「石亀日記」 〈20回〉 第56号~第78号
小川学夫「唄を追って」 〈20回〉 第65号~第86号
平田信芳「石碑夜話」 〈15回〉 第66号~第81号
唐鎌祐祥編「新聞集成鹿児島編年史」 〈24回〉 第73号~第97号
松原武実「跳梁する神々」 〈10回〉 第85号~第94号

五代夏夫「薩摩問わず語り」のように単行本化されたものもありますが、ここでしか読めない鹿児島文献も多数あります。

 

思えば、こういう地方誌を置いていた小さな本屋もなくなってしまいました。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

Kate Bushでは、『THE DREAMING』(1982年、EMI)がいちばんよく聴いたアルバムでした。
昨年末、待望のリマスター盤が出て、全アルバムを改めて聴くことができました。
体も心もいちばんぐっときたのは、『THE DREAMING』でした。

『The Dreaming』の多様な、無邪気で無慈悲な天使的コーラスは、からだに組み込まれていると改めて自覚しました。

 

Kate Bush 『THE DREAMING』(1982年、EMI)英国盤LPジャケット表

Kate Bush 『THE DREAMING』(1982年、EMI)英国盤LPジャケット裏

Kate Bush 『THE DREAMING』(1982年、EMI)英国盤LPラベルA

Kate Bush 『THE DREAMING』(1982年、EMI)英国盤LPラベルB

▲Kate Bush 『THE DREAMING』(1982年、EMI)英国盤LPジャケットとラベル。
初回盤の裏ジャケットにはバーコードがないので、今手もとにあるアナログ盤は再版以降の盤のようです。
当時購入したLPは一度処分してしまったので、手もとにあるのは、やっぱりCDよりアナログ盤がいいぞと、改めて中古で購入しなおしたアナログ盤です。

 

Kate Bush 『THE DREAMING』01

Kate Bush 『THE DREAMING』02

▲Kate Bush 『THE DREAMING』2018年再発CDのパッケージ

 

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271. 1971年の『みなみの手帖』創刊号(2019年5月9日)

1971年の『みなみの手帖』創刊号~4号


佐々木桔梗『日本の肉筆絵入本 北園克衛を中心に』(2003年11月1日発行、書肆ひやね)を読んでいましたら、次のような記述がありました。

長年月を賭けて挑戦すべきジャンルは、まだまだ残されている。詩の雑誌の表紙画一つでも、それが地方の同人誌であった場合、地元の公共機関にも保存されず、北園(克衛)が没して四半世紀、その地方詩壇の関係者も高齢化はすすみ、例え情報はあっても確認は大半が困難であろう。

これは北園克衛が表紙を描いた地方誌についての記述ですが、雑誌全般についても、そのことは感じます。
ある時期に確かな役割を果たした雑誌でも、そのバックナンバーをそろえるとなると、難しいことが多々あります。

1971年から2002年まで鹿児島で刊行されていた、羽島さち(1917~2015)編集兼発行の文芸誌『みなみの手帖』を画像検索してみましたら、なかなかひっかかりません。
ネット上では近過去が存在しないかのようです。

幸い『みなみの手帖』については、鹿児島県立図書館には羽島さち寄贈本が収蔵されているので、全号閲覧可能な雑誌ですが、合冊になっていて、全号の表紙を並べるようなことはできません。
『カンナ』や『詩稿』は、鹿児島県立図書館にも全号そろっていません。

【2019年5月31日追記】
青山毅『古書彷徨』(1989年3月27日発行、五月書房)収録の「渡辺外喜三郎氏と《カンナ》」によれば、青山毅にカンナ創刊の時期を尋ねられた渡辺外喜三郎は、次のように答えています。

「カンナ」の創刊発行年月日ですが、少々ごたごたしますが、この雑誌ははじめ学生同人誌「薩南文学」から出発、六号から「文苑」と改名――その「文苑」は三十四号までつづき、三十五号から「カンナ」となりますが――、私が責任を持ってやるようになったのは「文苑」第九号からで、「カンナ」のほんとうの創刊はそれからだと思っていますので、昭和三十一年五月三十日としてください。

改めて鹿児島県立図書館を検索してみますと、渡辺外喜三郎編集のものは、本館には140号~143号が見当たりませんでしたが、奄美図書館にはそろっていました。
残念ながら『薩南文学』1号・2号は本館にも奄美図書館にもないようです。

鹿児島県立図書館本館
・『薩南文学』 第3号(1953年12月)~5号(1954年2月) 薩南文学同人会
・『文苑』 第6号(1954年6月)~第8号(1955年3月) 第9号(1956年5月)~第34号(1964年1月) 文苑社
・『カンナ』 第35号(1964年4月)~第139号(1995年) 渡辺外喜三郎

鹿児島県立奄美図書館
・『薩南文学』 第3号(1953年12月)~5号(1954年2月) 薩南文学同人会
・『文苑』 第6号(1954年6月)~第8号(1955年3月) 第9号(1956年5月)~第34号(1964年1月) 文苑社
・『カンナ』 第35号(1964年4月)~第143号(1996年) 渡辺外喜三郎


縁あって、『みなみの手帖』創刊号から第98号終刊号までを全冊そろえることができたので、表紙を刊行順に並べてみます。

『みなみの手帖』 (1971年~2002年)

編集兼発行者 羽島さち
みなみの手帖社
題字 大嵩文雄(第2号より)

創刊号(1971年11月15日発行) 表紙 大嵩禮三
 黒田三郎の詩「風を喰う」、椋鳩十の随筆「ソローの話」
第2号(1972年2月10日発行) 表紙 大嵩礼造
第3号(1972年6月20日発行) 表紙 大嵩礼造
第4号(1972年10月25日発行) 表紙 前畑省三

 

『みなみの手帖』5~8

第5号(1972年12月25日発行) 表紙 前畑省三
第6号(1973年5月10日発行) 表紙 前畑省三
 焼酎特集号
 夢屋吉之助「深夜半眼」
 井上岩夫「焼き場の煙」
第7号(1973年8月25日発行) 表紙 文田哲雄
 児玉達雄 小説「乾魚と拳銃」
第8号(1973年12月28日発行) 表紙 文田哲雄
 児玉達雄 小説「四家屯に来た日本人」

 

『みなみの手帖』9~12

第9号(1974年5月28日発行) 表紙 文田哲雄
第10号(1974年10月15日発行) 表紙 所崎蕃
第11号(1974年12月27日発行) 表紙 所崎蕃
 楽石山人「天文館今は昔の物語」
第12号(1975年4月30日発行) 表紙 竹井勝志
 児玉睦子「私とかごしまおごじょ」

 

『みなみの手帖』13~16

第13号(1975年8月30日発行) 表紙 所崎蕃
第14号(1975年12月28日発行) 表紙 竹井勝志
第15号(1976年4月30日発行) 表紙 竹井勝志
 楽石山人「天文館今は昔の物語」
第16号(1976年8月31日発行) 表紙 白沢景則

 

『みなみの手帖』17~20

第17号(1976年12月28日発行) 表紙 白沢景則
 児玉達雄 詩「新年おめでとう 北国の街の動物園にやってきた野良犬が歌った」
第18号(1977年4月30日発行) 表紙 沼末男
 西郷隆盛特集
 片岡八郎〈「西郷隆盛」美談の虚像を剝ぐ!!〉
第19号(1977年8月31日発行) 表紙 沼末男
 西南戦争特集
 片岡八郎〈「西南戦争」は正義の戦いだったか?〉
第20号(1977年12月31日発行) 表紙 西田義篤

 

『みなみの手帖』21~24

第21号(1978年4月30日発行) 表紙 西田義篤
 大久保甲東特集
第22号(1978年8月31日発行) 表紙 西田義篤
第23号(1978年12月28日発行) 表紙 澤井祥
第24号(1979年4月1日発行) 表紙 澤井祥
 島尾敏雄「南島の漂い」

 

『みなみの手帖』25~28

第25号(1979年6月30日発行) 表紙 岩永浩一
 郷土作家掌編小説特集号
 児玉達雄「七家子(チイチアツ)」
第26号(1979年9月30日発行) 表紙 岩永浩一
 片岡八郎「鹿児島の三大行事を大いに笑う」
第27号(1979年12月28日発行) 表紙 児浦純大
第28号(1980年4月30日発行) 表紙 児浦純大
 児玉達雄「浜田遺太郎の作品鑑賞」

 

『みなみの手帖』29~33

第29・30号合併号(1980年8月31日発行) 表紙 西園和生
第31号(1980年12月31日発行) 表紙 西園和生
第32号(1981年4月30日発行) 表紙 川崎浩
 井上岩夫 詩「忘れ物」
第33号(1981年9月1日発行) 表紙 川崎浩
 片岡八郎「お由良さんと皇后さんと愛加那さん」
 松永伍一「批評としての旅」

 

『みなみの手帖』34~38

第34・35合併号(1981年12月30日発行) 表紙 西健吉
第36号(1982年5月1日発行) 表紙 西健吉
 創刊10周年記念掌編小説特集号
第37号(1982年9月1日発行) 表紙 久保剛
第38号(1982年12月31日発行) 表紙 久保剛

 

『みなみの手帖』39~42

第39号(1983年4月30日発行) 表紙 宍野勝文
第40号(1983年8月31日発行) 表紙 宍野勝文
 平田信芳「王子遺跡はなぜ残らないのか」
第41号(1983年12月28日発行) 表紙 犬童次夫
第42号(1984年5月1日発行) 表紙 犬童次夫

 

『みなみの手帖』43~46

第43号(1984年9月1日発行) 表紙 大迫幸子
第44号(1984年12月28日発行) 表紙 田代紀之
 島尾ミホ「城址への思い」
第45号(1985年5月1日発行) 表紙 田代紀之
第46号(1985年9月1日発行) 表紙 岩下國郎

 

『みなみの手帖』47~50

第47号(1985年12月30日号) 表紙 岩下國郎
第48号(1986年4月30日発行) 表紙 大嵩禮造
 みなみの手帖創刊15周年記念みなみの手帖文学賞決定
 選評 島尾敏雄・五代夏夫
第49号(1986年8月31日発行) 表紙 中島征士
第50号(1986年12月28日発行) 表紙 中島征士

 

みなみの手帖の編集後記「あとがき」で、羽島さちは、春の鹿児島の楠の若葉について、繰り返し書いていて、同感同感と思いました。

第24号
★さて、菜種梅雨の洗禮を受けて樹々は、新芽を吹き、若葉をまとい、古葉はいさぎよく散り果てる。路傍の下水溝のふちに、石垣のすき間に春の花をつけはじめようとする雑草の可憐さは、思わず足をとめさせる。桜の花を賞(め)でたその眼を、足許の小さな命にも注いで欲しいと思う。

第26号
★夏の間は、舗道の並木の木陰はテクテク歩き専門の私には一息入れる格好の場である。なのに、やたら楠などせん定するものだから、肝心の眞夏にちっとも役にたたぬ始末。柳は伐っても伐ってもすぐ枝を張るからバッサリやらないといけない代物だが、楠なんてやたらチョンぎっていいものなのか?
数年前、地元新聞の投書欄にも再三並木せん定について意見が出ていたが、そのせいか、今年などは割合に楠の繁りがよくて、ずい分と助かった。
伐ることはたやすいが、育てるには時間がかかる。チョボチョボ葉をつけた楠なんて、毛の薄くなった中年男が立っている見たいで、あわれである。

第39号
★鹿児島の街は、今が一番いい。久留米つつじは満開。柳も銀杏も可愛い若葉をつけはじめた。が、何と言っても圧巻は楠若葉だ。
強烈で鮮明。胸苦しくなるほどの、むせ返る楠の体臭を感じる。
★一時、海紅豆が幅を利かして、鹿児島の「花」のように宣伝されたが、私は大いに不満だった。鹿児島には昔から「楠」があるじゃないか。それを、戦後移入の海紅豆を、鹿児島のシンボルのように植えまくって~と、ひとり、憤慨した物だ。
★銀杏や柳、ナンキンハゼは、落葉して冬に裸になるが、楠は若葉をつけながら、落葉していく。電車の窓から、日一日、若葉の数が増えていく様が眺められる。雨の夜、楠の枯葉が散り敷いた舗道を歩くと、洋画のシーンのような哀愁を感じる。

第45号
★楠の枯葉が舗道を埋めつくし、これもまたオツなものだ、と楽しんでいるうちに、うる紅色の可愛い新芽をだし、日に日にそれが若葉になっている。もうすっかり古葉を脱ぎ捨てていたのだ。電車、バスの窓辺の眺めを新鮮にしている。
楠の若葉のむせるような精気や、食べてしまいたい水々しい美しさについては、以前にも書いたのに、この季節になると、また、どうしても書かずにはおれないほど、私はこの季節、この楠若葉が大好きである。
★楠というと、必ず思い出すなつかしい風景がある。
私は川内の亀山小学校を卒業した。その校庭には楠の大木が何本かあった。学校の機関紙も「樟陰(しょういん)」と名づけてあった。私のつづりかたや、童謡を、毎号のせてもらった。
また、山や麓などのあちこちに樟脳たき小屋があって、その前を通ると、樟脳のいい匂いがプンプンしていた。私たちは「ああ、よか匂(にえ)じゃ!」と叫びながら鼻をヒクヒクさせて、小屋の周りを駆け廻ったものだ。

 

楠の若葉

側溝に積もる楠の落葉

確かに、楠の若葉と側溝に積もる楠の旧葉は、桜以上に鹿児島の春の象徴だと思います。

 

今回は第50号まで。次回に続きます。

 

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270. 1913年のラルフ・ホジソン詩集『THE MYSTERY』(2019年5月8日)

1913年のラルフ・ホジソン詩集『THE MYSTERY』表紙

269. 1928年の『ザ・バーリントン・マガジン』4月号(2019年4月7日)

『Burlington Magazine(バーリントン・マガジン)』の1928年4月号

268. 1936年の井上和雄『寶舩考(宝船考)』(2019年3月19日)

1936年の井上和雄『寶舩考』長田神社にて

267. 1939年の井上和雄『書物三見』(2019年3月18日)

1939年の井上和雄『書物三見』長田神社にて

266. 1947年の『詩學』11・12月號(2019年3月7日)

1947年の『詩學』11・12月號

265. 1992年の『児玉達雄詩十二篇』(2019年3月3日)

1992年の『児玉達雄詩十二篇』と1994年『第二収』

264. 1958年の『森の泉 作品集 8』(2019年3月2日)

1958年の『森の泉 作品集 8』表紙

263. 1973年ごろの村 次郎詩集『風の歌』筆写版(2019年3月1日)

1973年ごろの村次郎詩集『風の歌』筆写版表紙

262. 1956年の『対話』(2019年2月27日)

1956年~1959年の『対話』

261. 1971年の『浜田遺太郎詩集』(2019年2月26日)

1971年の『浜田遺太郎詩集』箱表紙

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260. 1971年の福石忍詩集『遠い星』(2019年2月25日)

1971年の福石忍詩集『遠い星』箱表紙

259. 1961年の『詩稿』1号(2019年2月24日)

1961年の『詩稿』1号2号3号

258. 1966年の『詩稿』10号(2019年2月22日)

1966年の『詩稿』10号表紙

257. 1967年の『詩と批評』11月号(2019年2月21日)

1967年の『詩と批評』11月号表紙

256. 1934年の秋朱之介の裳鳥会刊『棟方志功画集』広告(2019年2月7日)

1934年の秋朱之介の裳鳥会刊『棟方志功画集』広告

255. 1934年の有海久門詩集『人生を行く』(2019年2月6日)

1934年の有海久門詩集『人生を行く』箱と表紙

254. 2018年の「言語と美術――平出隆と美術家たち」展のフライヤー・リーフレット(2019年1月21日)

2018年の「言語と美術――平出隆と美術家たち」展のフライヤー・リーフレット

253. 1981年の『浮世絵志』復刻版(2019年1月21日)

大曲駒村編輯の『浮世絵志』復刻版

252. 2019年1月1日の桜島

2019年1月1日桜島早朝a

251. 1942年の昭南書房版・石川淳『山櫻』(2018年12月16日)

1942年の昭南書房版・石川淳『山桜』表紙

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250. 1986年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』予約購入者へのおまけ(2018年12月5日)

1986年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』予約購読者へのおまけ

249. 2013年のサジー・ローチェ文/ジゼル・ポター絵『バンドやろうよ?』(2018年11月14日)

Suzzy Roche & Giselle Potter『Want To Be In A Band?』表紙

248. 1984年のNovember Books『The Christmas Magazine』(2018年11月12日)

1985年のNovember Books『Christmas Magazine』(1984年)広告

247. 1934年の倉田白羊『雜草園』(2018年10月24日)

1934年の倉田白羊『雜草園』

246. 1980年の鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』(2018年10月4日)

1980年の鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』マッチ01

245. 1931年~1932年の『古東多万(ことたま)』目次(2018年9月29日)

『古東多万』の第一年第二號目次

244. 1931年『古東多万(ことたま)』第一號(2018年9月20日)

1931年『古東多万(ことたま)』第一號

243. 1931年~1932年の『古東多万』の紙ひも綴じと糸綴じ(2018年8月31日)

1931年『古東多万』第1号

242. 2018年の『PETER BLEGVAD BANDBOX』(2018年8月10日)

2018年の『PETER BLEGVAD BANDBOX』外箱01

241. 1942年の新村出『ちぎれ雲』(2018年7月23日)

1942年の新村出『ちぎれ雲』表紙

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240. 1935年の『The Dolphin』誌第2号(2018年7月23日)

1935年の『The Dolphin』誌第2号

239. 1960年のマリイ・ロオランサン『夜たちの手帖』特製本(2018年7月13日)

1960年のマリイ・ロオランサン『夜たちの手帖』特装本と普通本

238. 1934年の木下杢太郎『雪櫚集』(2018年7月12日)

1934年の木下杢太郎『雪櫚集』

237. 1992年の岡澤貞行『日々是趣味のひと』(2018年6月22日)

1992年の岡澤貞行『日々是趣味のひと』箱表紙

236. 1981年の『清水卓詩抄』(2018年6月21日)

1981年の『清水卓詩抄』表紙

235. 1978年のゲーリー・スナイダー『亀の島』サカキナナオ訳 (2018年5月30日)

1978年のゲーリー・スナイダー『亀の島』サカキナナオ訳表紙

234. 1956年の山中卓郎『坂の上』(2018年5月11日)

1956年の山中卓郎『坂の上』表紙

233. 1936年の柳亮『巴里すうぶにいる』(2018年5月9日)

1936年の柳亮『巴里すうぶにいる』

232. 1956年の『POETLORE(ポエトロア)』第8輯(2018年4月30日)

1956年の『POETLORE(ポエトロア)』第8輯

231. 1960年のマリイ・ロオランサン『夜たちの手帖』(2018年4月5日)

1960年のマリー・ローランサン『夜たちの手帖』

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230. 1983年の高野文子『おともだち』(2018年4月4日)

高野文子『おともだち』表紙とアンドレ・マルティ挿画の『青い鳥』

229. 1936年の堀口大學譯『マリイ・ロオランサン詩畫集』(2018年4月4日)

1936年の堀口大學譯『マリイ・ロオランサン詩畫集』

228. 1936年の東郷青児『手袋』(2018年3月27日)

1936年の東郷青児『手袋』

227. 1990年の江間章子『タンポポの呪咀』(2018年3月16日)

1990年の江間章子『タンポポの呪詛』

川内まごころ文学館「川内の生んだもう一人の出版人」秋朱之介関連新収蔵資料展示

226. 1934年の山口青邨『花のある隨筆』(2018年2月12日)

1934年の山口青邨『花のある隨筆』

225. 1934年の水原秋櫻子『定型俳句陣』(2018年2月12日)

1934年の水原秋櫻子『定型俳句陣』

224. 1934年の山口青邨『雜草園』(2018年2月12日)

1934年の山口青邨『雜草園』

223. 1933年の富安風生『草の花』(2018年2月12日)

1933年の富安風生『草の花』

222. 1943年の昭南書房版『かの子短歌全集 第一巻』(2018年1月28日)

1943年の昭南書房版『かの子短歌全集 第一巻』表紙

221. 2017年のピーター・ブレグヴァド『GO FIGURE』(2018年1月20日)

2017年のピーター・ブレグヴァド『Go Figure』

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220. 1990年のピーター・ブレグヴァド『King Strut』(2018年1月20日)

1990年のピーター・ブレグヴァド『King Strut』

219. 1983年のピーター・ブレグヴァド『The Naked Shakespeare』(2018年1月20日)

ピーター・ブレグヴァド『The Naked Shakespeare』

218. 鶴丸城跡堀のカワセミ(2018年1月1日)

鶴丸城跡堀のカワセミ01

217. 1936年の伸展社版『醉ひどれ船』ちらし(2017年12月30日)

1936年の伸展社版『醉ひどれ船』ちらし

216. 1869年の「稚櫻豊暐姫命塚」(2017年11月18日)

1869年の「綾御衣裏寧姫命塚」

215. 1813年の金剛嶺石碑(2017年11月18日)

1813年の金剛嶺石碑

214. 1667年のタンタドの観音石像(2017年11月18日)

1667年のタンタドの観音石像

213. 1981年のScritti Politti「The "Sweetest Girl"」(2017年11月6日)

1981 C81

212. 1903年の川上瀧彌・森廣『はな』(2017年10月29日)

1903年の川上瀧彌・森廣『はな』

211. 1982年のThe Ravishing Beauties「Futility」(2017年10月17日)

1982年Mighty Reel

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210. 1925年の西谷操「狼は吠える」(2017年10月8日)

1925年の西谷操「狼は吠える」

209. 1992年の『ホテル・ロートレアモン』(2017年9月15日)

1992年の『ホテル・ロートレアモン』

208. 1935年の堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』(2017年8月29日)

1935年の堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』

207. 2016年の『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』 ILLUSTRATED by PETER BLEGVAD(2017年8月17日)

『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』

206. 1931年の佐藤春夫『魔女』(2017年7月25日)

1931年の佐藤春夫『魔女』

205. 1985年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』の予約購読者へのおまけ(2017年6月27日)

1985年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』の予約購読者へのおまけ

204. 1985~1986年の『Rē Records Quarterly Vol. 1』(2017年5月28日)

Rē Records Quarterly Vol. 1 No.1 back

203. 1932年の池田圭『詩集技巧』(2017年4月27日)

1932年の池田圭『詩集技巧』表紙

202. 2011年の『Emblem of My Work』展カタログ(2017年4月3日)

2011年の『Emblem of My Work』展カタログ

201. 1928年の佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』(2017年3月17日)

1928年の佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』背

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200. 千駄木の秋朱之介寓居から小日向の堀口大學の家まで(2017年3月16日)

小日向の鷺坂

199. 2009年の『黒いページ』展カタログ(2017年2月14日)

2009年の『黒いページ』展カタログ

198. 1934年の『西山文雄遺稿集』(2017年1月31日)

1934年の『西山文雄遺稿集』

197. 1967年の『笑いごとじゃない』(2017年1月14日)

1972年の『笑いごとじゃない』

196. 2017年1月1日の桜島

2017年1月1日の桜島01

195. 1978年のキャシー・アッカーの声(2016年12月31日)

2016年Peter Gordon & David van Tieghem「Winter Summer」裏ジャケット

194. 1934年のポオル・ジェラルデイ著・西尾幹子訳『お前と私』(2016年12月19日)

1934年のポオル・ジェラルデイ著・西尾幹子訳『お前と私』

193. 1974年の富岡多恵子『壺中庵異聞』(2016年12月15日)

1974年の富岡多恵子『壺中庵異聞』

192. 1995年の峯村幸造『孤拙優游』(2016年11月30日)

1995年の峯村幸造『孤拙優游』

191. 1980年の今井田勲『雑誌雑書館』(2016年10月27日)

1980年の今井田勲『雑誌雑書館』箱表紙

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190. 1971年の『海』の表紙(2016年10月24日)

1971年の『海』01

189. 1975年の堀口九萬一著・堀口大學訳『長城詩抄』(2016年10月17日)

1975年の堀口九萬一著・堀口大學訳『長城詩抄』

188. 1936年の『木香通信』6月号(2016年9月26日)

1936年の『木香通信』六月号

187. 1936年のモラエス『おヨネと小春』(2016年9月4日)

1936年のモラエス『おヨネと小春』箱と表紙

186. 1927年の『藝術市場』―避暑地ロマンス号(2016年8月19日)

1927年の『藝術市場』

185. 1968年の天沢退二郎『紙の鏡』(2016年8月5日)

1968年の天沢退二郎『紙の鏡』

184. 1970年の天沢退二郎『血と野菜 1965~1969』(2016年8月4日)

1970年の天沢退二郎『血と野菜』

183. 1946年のダーウィン夫妻『イッシイブッシイとトップノット』(2016年7月29日)

1946年のダーウィン夫妻『イッシイブッシイとトップノット』

182. 1990年のジョン・グリーヴス『ローズ・セ・ラ・ヴィ』(2016年7月21日)

1990年のジョン・グリーヴス『ローズ・セ・ラ・ヴィ』

181. 1953年の片山廣子『燈火節』(2016年5月18日)

1953年の片山廣子『燈火節』

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180. 1907年の『シャナヒー』年刊版第2巻(2016年5月17日)

1907年の『シャナヒー』年刊版第2巻

179. 1906年の『シャナヒー』年刊版第1巻(2016年5月16日)

1906年の『シャナヒー』年刊版第1巻

178. 1904年の『アイルランドの丘で狩りをする妖精女王マブ』(2016年5月10日)

1904Queen Maeve

177. 1942年の野村傳四『大隅肝屬郡方言集』(2016年4月28日)

野村傳四『大隅肝屬郡方言集』表紙

176. 1926年ダックワース版のハドソン『緑の館』(2016年4月22日)

1926GreenMansions01

175. 1948年のバーナード・ダーウィン『のんきな物思い』(2016年3月17日)

1948Every Idle Dream

174. 1989年の天沢退二郎詩集『ノマディズム』(2016年2月23日)

1989年の天沢退二郎詩集『ノマディズム』

173. 1946年と1956年の『折々のナーサリーライム』(2016年2月18日)

1946年と1956年の『折々のナーサリーライム』

172. 1935年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏と仲間たち』(2016年1月24日)

1935年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏と仲間たち』表紙

171. 桜島雪景色(2016年1月24日)

2016年1月24日桜島雪景色

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170. 1927年のダーウィン夫妻『トゥトロ・トゥ』(2016年1月18日)

1927年のダーウィン夫妻『トゥトロ・トゥ』表紙

169. 1966年の天沢退二郎『時間錯誤』(2016年1月17日)

1966年の天沢退二郎『時間錯誤』表紙

168. 1925年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏のおはなし』(2016年1月12日)

1925 The Rale Of Mr Tootleoo 表紙

167. 2016年1月1日の桜島

2016年1月1日桜島

166. 1964年のミス・リード編『カントリー・バンチ』(2015年12月31日)

1964 Miss Read Country Bunch

165. 1924年のジェフリー・ケインズ『サー・トマス・ブラウン書誌』(2015年12月12日)

A BIBLIOGRAPHY OF SIR THOMAS BROWNE

164. 1975年のAllen Toussaint 『Southern Nights』(2015年11月16日)

1975 Allen Toussaint Southern Nights

163. 1968年の松下竜一『豆腐屋の四季』(2015年11月11日)

1968松下竜一『豆腐屋の四季』

162. 1963年の天沢退二郎詩集『夜中から朝まで』(2015年11月10日)

天沢退二郎詩集『夜中から朝まで』

161. 1984年の品川力『本豪落第横丁』(2015年10月1日)

1984年の品川力『本豪落第横丁』

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160. 2015年のユニティー・スペンサー『アーチストになれて運がよかった』(2015年9月30日)

Unity Spencer『Lucky to be an Artist』

159. 1961年の天沢退二郎詩集『朝の河』(2015年8月30日)

1961年天沢退二郎詩集『朝の河』表紙

158. 1972年の『天澤退二郎詩集』(2015年8月29日)

1972天澤退二郎詩集外箱

157. 初夏の七郎すもも(2015年7月24日)

七郎すもも01

156. 1979年のPeter Gabriel「Here Comes The Flood」(2015年7月23日)

1979 Peter Gabriel Here Comes the Flood

155. 1940年の松崎明治『ANGLING IN JAPAN (日本ノ釣)』(2015年6月18日)

1940 ANGLING IN JAPAN Cover

154. 2000年のクリンペライ『不思議の国のアリス』ジャケット(2015年4月25日)

2000 Klimperei Alice au Pays des Merveilles

153. 2012年のデヴィッド・アレン『サウンドバイツ 4 ザ レヴェレイション 2012』(2015年3月18日)

soundbites 4 tha reVelation 2012_cover

152. 2012年のダンカン・ヘイニング『トラッドダッズ、ダーティボッパー、そしてフリーフュージョニアーズ』(2015年3月16日)

Trad Dads, Dirty Boppers And Free Fusioneers

151. 1976年のキリル・ボンフィリオリ『Something Nasty In The Woodshed』(2015年1月29日)

1976Bonfiglioli_Something Nasty

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150. 1949年の七高文藝部『啓明』最終刊号(2015年1月18日)

1949年の七高文藝部『啓明』最終刊号

149. 1995年ごろの片岡吾庵堂さん作「翔び鶴」(2015年1月10日)

片岡吾庵堂さんの翔び鶴

148. 1937年のダグラス・コッカレル『製本』(2015年1月5日)

1937Douglas Cockerell_Bookbinding01

147. 2015年1月1日の桜島

2015年1月1日桜島01

146. 1984年のジョージ・オーウェル『1984年』ファクシミリ版(2014年12月30日)

1984Orwell_dustwrapper

145. 1974年の天澤退二郎詩集『譚海』(2014年12月29日)

1974天澤退二郎詩集『譚海』

144. 2001年の岩田宏『渡り歩き』(2014年12月26日)

2001年岩田宏『渡り歩き』

143. 1980年の岩元紀彦監修『追悼文集 伯父 岩元禎』(2014年12月1日)

岩元紀彦監修『追悼文集 伯父 岩元禎』

142. 1985年のエドワード・リア回顧展カタログ(2014年10月7日)

1985Edward Lear01

141. 1977年の辻邦生『夏の海の色』(2014年8月29日)

辻邦生『夏の海の色』

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140. 1974年のロバート・ワイアット『ロック・ボトム』(2014年7月26日)

1974Wyatt_Rock Bottom01

139. 1998年の『河原温 全体と部分 1964-1995』展カタログ(2014年7月16日)

1998河原温_表紙

138. 1913年の半仙子『日當山侏儒戯言』(2014年6月30日)

1913半仙子『日当山侏儒戯言』表紙

137. 1917年の加藤雄吉『尾花集』(2014年6月27日)

1917加藤雄吉_尾花集_表紙

136. 1929年の島津久基『羅生門の鬼』(2014年6月12日)

1929島津久基_羅生門の鬼_箱

135. 1943年の『FLEURON』誌刊行20周年記念に催された食事会のメニュー(2014年4月25日)

1943年『Fleuron』誌20周年昼食会メニュー01

134. 1995年の平田信芳『石の鹿児島』(2014年2月27日)

平田信芳_石の鹿児島

133. 1983年のリチャード・カーライン回顧展カタログ(2014年2月8日)

1983Richard Carline_catalogue

132. 1971年のリチャード・カーライン『ポストのなかの絵』第2版(2014年1月26日)

1971Carline_Post

131. 1994年のウィリー・アイゼンハート『ドナルド・エヴァンスの世界』(2014年1月7日)

1994DonaldEvans_cover

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130. 1978年の雅陶堂ギャラリー「JOSEPH CORNELL展」カタログ(2014年1月5日)

1978Cornell_雅陶堂_cover

129. 2014年1月1日の日の出(2014年1月1日)

2014年1月1日桜島の日の出01

128. 2010年の『クラシック・アルバム・カヴァー』(2013年12月11日)

2010Classic Album Cover_Royal Mail

127. 1934年の『藝術家たちによる説教集』(2013年12月1日)

1934Sermons by Artists_表紙

126. 1926年の南九州山岳會編『楠郷山誌』(2013年11月27日)

1926楠郷山誌_箱表紙

125. 1924年の第七高等学校造士館旅行部『南溟』創刊号(2013年11月26日)

1924南溟_表紙

124. 1974年の講談社文庫版『復興期の精神』(2013年11月17日)

1974年_花田清輝_復興期の精神

123. 1924年の箱入りの志賀直哉『眞鶴』と木村荘八『猫』(2013年11月9日)

1924志賀直哉_真鶴_木村荘八_猫_箱と表紙

122. 1912年ごろのスレイド美術学校のピクニック集合写真(2013年10月17日)

1912 Slade picnic

121. 1929年のアーサー・ウェイリー訳『虫愛づる姫君』(2013年10月8日)

1929Wale_The Lady Who Loved Insects_cover

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120. 2004年の『妄想フルクサス』(2013年9月30日)

2004Mousou Fluxus_cover01

119. 1937年のアーサー・ウェイリー訳『歌の本』(2013年9月22日)

1937_54_Waley Book of Songs

118. 1984年のガイ・ダヴェンポート『「りんごとなし」とその他の短編』(2013年9月12日)

1984Davenport_Apples & Pears

117. 1953年のゴードン・ボトムレイ『詩と劇』(2013年9月10日)

1953GordonBottomley

116. 1905年のゴードン・ボトムレイ『夏至の前夜』(2013年9月9日)

1905MidsummerEve_cover

115. 1985年の『さようなら、ギャングたち』(2013年7月31日)

1985So Long Gangsters

114. 1972年の島尾敏雄『東北と奄美の昔ばなし』(2013年7月14日)

1972東北と奄美の昔ばなし詩稿社

113. 1976年の『ジョセフ・コーネル・ポートフォリオ』(2013年7月4日)

1976Joseph Cornell Portfolio01

112. 1958年のエリナー・ファージョン『想い出のエドワード・トマス』(2013年6月26日)

1958Farjeon_Thomas_Oxford

111. 1887年のローレンス・オリファント『ファッショナブルな哲学』(2013年6月15日)

1887Oliphant_Fashionable Philosophy_cover

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110. 1938年の『聖者の物語』(2013年6月12日)

1938Marty_Histoire Sainte_cover

109. 1975年のハットフィールド・アンド・ザ・ノース『ザ・ロッターズ・クラブ』(2013年6月4日)

1975Hatfield and the North_The Rotters' Club

108. 1982年のアン・テイラー『ローレンス・オリファント 1829-1888』(2013年5月26日)

1982Anne Taylor_Laurence Oliphant

107. 1971年のドナルド・バーセルミ『ちょっとへんてこな消防車』(2013年5月16日)

1971Barthelme_fire engine

106. 1991年のウィリアム・ギブスン&ブルース・スターリング『ディファレンス・エンジン』(2013年5月10日)

1991THE DIFFERENCE ENGINE

105. 1992年の『五代友厚・寺島宗則・森有礼』(2013年5月8日)

1992reimeikan_mori arinori

104. 1957年の木山捷平『耳學問』(2013年4月28日)

1957Kiyama Shouhei Mimigakumon

103. 1924年のエドワード・ゴードン・クレイグ『木版画と覚書』(2013年4月23日)

1924 Gordon Craig Woodcuts cover 01

102. 1957年のエドワード・ゴードン・クレイグ『わが生涯の物語へのインデックス』(2013年4月17日)

1957Index_Gordon Craig

101. 1900年ごろのホフマン『英語版もじゃもじゃペーター』(2013年4月8日)

1900Struwwelpeter_cover

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100. 1959年の『グウェン・ラヴェラの木版画』(2013年3月26日)

1959Raverat_wrapper

99. 1977年の『レイノルズ・ストーン木版画集』(2013年3月24日)

1977ReynoldsStone_titlepage

98. 1981年の『九百人のお祖母さん』(2013年3月23日)

1981_900grandmothers

97. 1938年の『風車小屋だより』(2013年3月19日)

1938Daudet_Moulin_cover

96. 1935年の『薩藩の文化』(2013年3月13日)

1935Satsuma_bunka_cover

95. 1981年の『土曜日の本・傑作選』(2013年3月12日)

1981SaturdayBook_wrapper

94. 1975年の『土曜日の本』(2013年3月11日)

1975SaturdayBook_wrapper

93. 1973年の『土曜日の本』(2013年3月10日)

1973SaturdayBook_wrapper

92. 1972年の『土曜日の本』(2013年3月9日)

1972SaturdayBook_box_wrapper

91. 1971年の『土曜日の本』(2013年3月8日)

1971SaturdayBook_wrapper

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90. 1970年の『土曜日の本』(2013年3月7日)

1970SaturdayBook_wrapper

89. 1969年の『土曜日の本』(2013年3月6日)

1969SaturdayBook_box_wrapper

88. 1968年の『土曜日の本』(2013年3月5日)

1968SaturdayBook_box_wrapper

87. 1967年の『土曜日の本』(2013年3月4日)

1967SaturdayBook_wrapper

86. 1966年の『土曜日の本』(2013年3月3日)

1966SaturdayBook_box_wrapper

85. 1965年の『土曜日の本』(2013年3月2日)

1965SaturdayBook_wrapper

84. 1988年のケヴィン・エアーズのライブ(2013年3月1日)

1978KevinAyers_RainbowTakeaway

83. 1964年の『土曜日の本』(2013年2月28日)

1964SaturdayBook_wrapper

82. 1963年の『土曜日の本』(2013年2月27日)

1963SaturdayBook_wrapper

81. 1962年の『土曜日の本』(2013年2月26日)

1962SaturdayBook_wrapper

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80. 1961年の『土曜日の本』(2013年2月25日)

1961SaturdayBook_box_wrapper

79. 1960年の『土曜日の本』(2013年2月24日)

1960SaturdayBook_wrapper

78. 1959年の『土曜日の本』(2013年2月23日)

1959SaturdayBook_box_wrapper

77. 1958年の『土曜日の本』(2013年2月22日)

1958SaturdayBook_box_wrapper

76. 1957年の『土曜日の本』(2013年2月21日)

1957SaturdayBook_box_wrapper

75. 1956年の『土曜日の本』(2013年2月20日)

1956SaturdayBook_box_wrapper

74. 1955年のオリーヴ・クックとエドウィン・スミス『コレクターズ・アイテム』(2013年2月19日)

1955CollectorsItems_wrapper

73. 1955年の『土曜日の本』(2013年2月18日)

1955SaturdayBook_box_wrapper

72. 1954年の『土曜日の本』(2013年2月17日)

1954SaturdayBook_box_wrapper

71. 1953年の『土曜日の本』(2013年2月16日)

1953SaturdayBook_wrapper

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70. 1952年の『土曜日の本』(2013年2月15日)

1952SaturdayBook_wrapper

69. 1951年の『土曜日の本』(2013年2月14日)

1951SaturdayBook_wrapper

68. 1951年の『現代の本と作家』(2013年2月13日)

1951ModernBooksWriters_cover

67. 1950年の『土曜日の本』(2013年2月12日)

1950SaturdayBook_wrapper

66. 1949年の『土曜日の本』(2013年2月11日)

1949SaturdayBook_wrapper

65. 1948年の『土曜日の本』(2013年2月10日)

1948SaturdayBook_wrapper

64. 1947年の『土曜日の本』(2013年2月9日)

1947SaturdayBook_wrapper

63. 1946年の『土曜日の本』(2013年2月8日)

1946SaturdayBook_wrapper

62. 1945年の『土曜日の本』(2013年2月7日)

1945SaturdayBook_wrapper

61. 1944年の『土曜日の本』(2013年2月6日)

1944SaturdayBook_cover

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60. 1943年の『土曜日の本』(2013年2月5日)

1943SaturdayBook_wrapper

59. 1942年の『土曜日の本』(2013年2月4日)

1942SaturdayBook_cover

58. 1936年の『パロディ・パーティー』(2013年2月3日)

1936ParodyParty_cover

57. 1941年の『土曜日の本』(2013年2月2日)

1941SaturdayBook_rapper

56. 1953年ごろの『スティーヴンス=ネルソン社の紙見本帖』(2013年1月31日)

1953Specimens_cover

55. 1945年の岸田日出刀『建築學者 伊東忠太』(2013年1月29日)

1945Kishida_Ito Chuta

54. 1912年のチャールズ・T・ジャコビの『本と印刷についての覚書』(2013年1月27日)

1912CTJacobi_Books and Printing

53. 1903年の岡倉覚三『東洋の理想』(2013年1月26日)

1903Okakura_The Ideals Of The East

52. 1895年のウィリアム・モリス『世界のかなたの森』(2013年1月25日)

1895Morris_WoodBeyondTheWorld_title

51. 1969年ごろの『モノタイプ社印刷活字見本帖』(2013年1月23日)

1969MonotypeSpecimen

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50. 1958年の小沼丹『黒いハンカチ』(2013年1月22日)

1958OnumaTan_BlackHandkerchief

49. 1902年のゴードン・ボトムレイ『夜さけぶもの 一幕劇』(2013年1月21日)

1902Bottomley_Crier_cover

48. 1955年の『詩人と画家 ゴードン・ボトムレイとポール・ナッシュの往復書簡』(2013年1月20日)

1955Bottomley_Nash_Correspondence

47. 1945年のトム・ジェントルマン『ブラエ農場』(2013年1月19日)

1945BraeFarm_cover01

46. 1957年の岩波書店版『漱石全集 書簡集一~五』(2013年1月18日)

1957Souseki_letters

45. 1980年のノエル・キャリントン『キャリントン 絵・素描・装飾』(2013年1月17日)

1980Noel Carrington

44. 1970年の『キャリントン 手紙と日記抜粋』(2013年1月16日)

1970Carrington

43. 1892年のマードック,バートン,小川『アヤメさん』(2013年1月15日)

1892Ayame-san01

42. 1910年のポンティング『この世の楽園・日本』(2013年1月14日)

1910Ponting_ LOTUS-LAND JAPAN

41. 1987年のデヴィッド・マッキッタリック『カーウェン・パターン紙の新見本帖』(2013年1月13日)

1987_A New Specimen Book of Curwen Pattern Papers

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40. 1969年の『岩下壮一 一巻選集』(2013年1月12日)

1969IwashitaSoichi

39. 1860年のモクソン版『アルフレッド・テニスン詩集』(2013年1月11日)

1860Moxon_Tennyson

38. 1980年のヤング・マーブル・ジャイアンツ『言葉と絵』(2013年1月10日)

1980YMG

37. 1927年の『七高さん』(2013年1月9日)

1927_7kousan

36. 1936年のグウェン・ラヴェラ『逃亡』(2013年1月8日)

1936Runaway_Raverat

35. 1899年のメアリ・フェノロサ『巣立ち』(2013年1月7日)

1899OutOfTheNest

34. 1906年のメアリ・フェノロサ『龍の画家』(2013年1月6日)

1906DragonPainter

33. 1961年のジュニア鹿児島編『ニコニコ郷土史』(2013年1月5日)

1961niconico_history

32. 1940年のジョン・ファーリー『刻まれたイメージ』(2013年1月4日)

1940JohnFarleigh

31. 1939年と1946年の『トワエモワ』(2013年1月3日)

1939ToiEtMoi

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30. 1963年の『シルヴィア・ビーチ 1887-1962』(2013年1月2日)

1963SylviaBeach

29. 謹賀新年(2013年1月1日)

2013HappyNewYear

28. 1984年のカトラー文・ベンジ絵『ニワトリになったハーバートくん』(2012年12月31日)

1984Cutler_Benge

27. 1970年のアーサー・ウェイリー『Madly Singing in the Mountains』(2012年12月30日)

1970ArthurWaley

26. 1925年のウェイリー訳『源氏物語』(2012年12月29日)

1925Genji_Waley

25. 1931年のウィリアム・ローゼンスタイン『人と思い出』(2012年12月28日)

1931WillRothenstein

24. 1949年の梅花艸堂主人『夢』(2012年12月27日)

1949Baikasodo_yume

23. 1947年の加藤一雄『無名の南畫家』(2012年12月26日)

kato_mumeinonangaka1947

22. 1963年の岩本堅一『素白随筆』(2012年12月25日)

sohakuzuihitsu1963

21. 1978年のブライアン・イーノ&ピーター・シュミット『オブリーク・ストラテジーズ』(2012年11月2日)

Oblique Strategies1978

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20. 1982年のロバート・ワイアット『シップビルディング』(2012年10月30日)

Wyatt_Shipbuilding1982

19. 2000年のピーター・ブレグヴァド『リヴァイアサンの書』(2012年10月29日)

Blegvad_leviathan2000

18. 1910年のジェームズ・マードック『日本史・第一巻』(2012年10月27日)

Murdoch_Japan1910

17. 1903年のジェームズ・マードック『日本史』(2012年10月26日)

Murdoch_Japan1903

16. 1861年のエドモンド・エヴァンス『THE ART ALBUM』(2012年10月24日)

Evans1861_Art Album

15. 1898年のカーライル『衣装哲学』(2012年10月23日)

Sartor Resartus

14. 1861年のジョン・ジャクソン『木版論』(2012年10月22日)

Jackson_Chatto_Wood Engraving

13. 1937年のフランシス・ブレット・ヤング『ある村の肖像』(2012年10月21日)

Young_Hassall_Portrait of a Village

12. 1974年の坂上弘『枇杷の季節』(2012年10月20日)

坂上弘_枇杷の季節

11. 1952年のグウェン・ラヴェラ『Period Piece』(2012年10月19日)

Raverat_Period Piece

10. 1919年の『ルパート・ブルック詩集』(2012年10月16日)

Rupert Brooke Raverat

09. 1942年の松崎明治『釣技百科』(2012年10月14日)

matuzaki_tyougyo1942

08. 1966年のキース・ロバーツ『パヴァーヌ』(2012年10月11日)

impulse1966

07. 1983年の島尾ミホ『海嘯』(2012年10月11日)

simaohiho_kaishou

06. 1933年の内田百間『百鬼園随筆』 (2012年10月11日)

hyakkienzuihitu

05. 1964年のケヴィン・エアーズ最初の詩集(2012年10月10日)

1964Ayers_Bookle

04. 1936年の「国際シュルレアリスト広報」第4号(2012年10月9日)

1936SurrearistBulletin

03. 1921年のクロード・ローヴァット・フレイザー(2012年10月8日)

The Luck of the Bean-Rows

02. 1899年と1904年の『黄金時代』(2012年9月26日)

1904年の『黄金時代』表紙

01. 1945年の『青い鳥』(2012年9月22日)

青い鳥01