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 しばらく「20世紀書店」が続きます。ほかの世紀にもお邪魔します。

 

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 320. 1896年の『ペイジェント(The Pageant)』(2020年9月20日)
 321. 1897年の『ペイジェント(The Pageant)』(2020年9月26日)
 322. 1931年の『談奇黨(党)』第3号とその異版(2020年10月11日)
 323. 1987年の『ROBERT WYATT』(2020年11月2日)
 324. 2009年の『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(2020年11月2日)
 325. 2020年のRobert Wyatt & Alfie Benge『Side by Side』(2020年11月3日)
 326. 1958年の『佐藤春夫詩集』と『堀口大學詩集』(2020年11月18日)
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326. 1958年の『佐藤春夫詩集』と『堀口大學詩集』(2020年11月18日)

1958年の『佐藤春夫詩集』と『堀口大學詩集』

1958年(昭和33年)の角川文庫。
佐藤春夫編『堀口大学詩集』と、堀口大学編『佐藤春夫詩集』です。

50年来の友人、佐藤春夫(1892~1964)と堀口大学(1892~1981)が、お互いの詩集を編むという趣向です。

それぞれ200ページほどの、文庫本らしい本です。
双子の詩集です。

考えてみると、今、お互いの作品を選んで、文庫本の詩集を編める詩人の組合せというのは、あるのでしょうか。
個々の選集なら、いくらでも思い浮かびますが、互選となると、なかなか思い浮かびません。

今が、詩人にとって友愛の時代でなく、孤立の時代ということなのでしょうか。

手もとにあるものは、古本屋さんで購入したもので、佐藤春夫編『堀口大學詩集』が1964年の4版、堀口大學編『佐藤春夫詩集』が1971年の21版。いずれも版を重ねていたようですが、今は絶版です。

 

刊行されたのは堀口大學選『佐藤春夫詩集』が先で、この互選詩集の企画に熱心だったのは、堀口大學のほうだったようです。

 

堀口大学編『佐藤春夫詩集』奥付

▲佐藤春夫編『堀口大学詩集』奥付
昭和33年10月30日初版発行
昭和39年1月10日4版発行
4版には、まだ検印が押されています。

佐藤春夫による「解説」冒頭部分を引用しておきます。
日付は昭和33年6月17日で、堀口大學編『佐藤春夫詩集』の刊行後です。
たぶん同時に刊行予定だったのが、遅れたのでしょう。

 堀口大學は同門の詩友で、少年の日から老年の今日まで五十年の友情を保つてゐる。僕にとつてはまるで分身のやうな氣のする彼である。
 分身であつて同一身ではない。彼は詩とともに酒を愛するが僕は酒は愛しない。彼は雷を爽快と稱するが、僕は雷は大のにが手である。彼には見かけによらぬ豪快なところがある。相似たところを要として友情を結んでゐるが似ないところの方が多いらしい。そこがかへつて友情を持續してゐる理由なのかも知れない。
 角川氏が僕と彼との選詩集を編ませようといふ理由も互に相似たやうな相似ないやうな點に興味を持つたからでもあらうか。ともかく言に訥に行に敏な彼は夙(つと)に事を成就してゐるのに、僕は今やつとこれを書いてゐるわけである。自分の事は自分でわかりにくいやうに分身のこともあまりわかりやすくない。あんまり近すぎては全體が視野に入らないわけである。その困難が、僕をして今までこの仕事をためらはせてゐたのである。さて追ひつめられてこれに立向ふ。
 五十年間、あまりに近くにあつた彼を適當な視野にまで追ひ退けることも容易ではない。そのままもとの近さまで歸つてこないのではないかといふ心配も伴ふし、それよりもどれくらゐ遠ざけたら、適當なのかその見界(みさかひ)がつきにくいのである。
 そこで見慣れてゐる隣人を行きずりの人と見做して彼の全詩集をひととほり目をさらしてみた。
 彼の初期の詩は彼の詩に對する稀有(けう)の愛好を示してゐるが決して稀有の才能を示したものではないやうに思はれる。回顧すれば五十年前、僕は今よりももつと無遠慮に彼の詩稿を見る毎に、一口に甘い甘い。(うまいうまいではないアマイアマイ)とまるでアマ酒屋の賣り聲のやうに云ひけなしたものであつた。それに對して彼は、
 「サトウ、甘いのも味だよ」
 と警句一番、にこやかに受け流したのもなかなか見上げたものであつた。
(後略)

 

堀口大学編『佐藤春夫詩集』奥付

▲堀口大学編『佐藤春夫詩集』奥付
昭和33年6月10日初版発行
昭和46年10月30日21版発行

堀口大學による「解説」冒頭を引用しておきます。日付は昭和33年4月。

 角川文庫の求めに応じ、佐藤春夫君と僕とで、互選の詩集を出そうではないかと話合ってからすでに三年ほどの歳月がすぎた。途中条件の点で文庫側との折衝に手まどり、お互にすぐには着手出来なかった事情もあったりして、ついに今日までおくれてしまった。それに文庫側担当者の退社による交替があり、僅かにそれに先んじて渡して置いた僕の選に成る『佐藤春夫詩集』の原稿が、そのどさくさまぎれに紛失、行方をくらますという挿話まであったりした。これには僕もいささかあわてた。それというのが、先きに選んだ春夫君の詩の表題のコッピーをとっておかなかったからだ。たださえもの忘れの激しい昨今、すでに一年以上も過ぎた今日、明確な記憶があるはずもない。一つだけ覚えているのは、各詩集の巻首をかざっている春夫君の自序の類を全部原文のまま再録したことだった。もともと春夫君の詩集には、殆んど例外なく、そのすべてに自序の類が添えられていて、文藻の極致を行く独得の趣き深い雅文で、その集の内容を説き、これを発表する当時の心境を伝えており、読者にとっては、これが有難い解説の役割もしてくれる一方、序そのものが独立のものとしても無二の名文章、集の内容をなす詩の作品と呼応して、いずれ劣らぬ高度の芸術品なのである。
 文庫版の『佐藤春夫詩抄』は今日まですでに五種以上を数えるのでないかと思う。だが詩人の原序の全文を一々採録しているのは、今度のこの角川文庫本が初めてではないか。いささか手前味噌の嫌いはあるが、読者にはよろこんでいただけるものと期待している所以だ。
 先きの失われた原稿の場合もそうであったが、今度やりなおしに際しても、二百頁を予定して春夫君の詩の拾捨に当った。文庫本としてはこの程度の厚さが最適、読者にも歓ばれると聞知するからである。この点は正に予定どおりに行ったと思ってよろこんでいる。
 内容の選択に当っては、専ら自分の好みに従った。これがなければ角川文庫がこの選を、僕に委託した意義がなくなると思うからだ。僕は自分が友の詩に対する場合、公平なそして冷静な批評家ではあり得ないと知っている。交友今や五十年になんなんとし、同じ時代に生き、同じ師につき、或る時は同じ大学に学び、また或る時期には同じ区内の街路ひと筋をへだてて向い合う二つの丘の中腹に、五百メートルの空気をすかし、阿(あ)と呼べば吽(うん)と答える近きに住み、さてはお互に終生詩を忘れずにやって来た仲合(なかあい)だ、折りにふれ時に発しての思い出や愛着が、或る詩篇に純粋批判による絶対価値とは別な比重を与えるのもまた理の当然、僕は怖れずにこれに従ったばかりか、却ってこれにおもねった位のものだ。だからこの選集にあふれる堀口好みの強い香気(決して臭気とは言わない)が気になる読者には、いささかお気の毒だが、我慢していただくよりほかに手はないと思っている。
(後略)

 

互選の詩集を出そうではないかと話合ってからすでに三年ほどの歳月がすぎた」とありますから、1955年には企画は始まっていたのでしょう。

佐藤春夫は「僕」と「彼」、堀口大學は「僕」と「春夫君」を使っています。

 

この堀口大學編の選集には、佐藤春夫の英詩訳が含まれていないのが残念。「解説」で、

先に二人で、互選詩集を出そうではないかと語り合った時、春夫君と僕はお互の訳詩も忘れずに容れようと約した。すでに吉田精一氏も言っていられるように、春夫君は訳詩家としても極めて秀抜、第一流の存在だ。今この集には彼の英詩の訳を悉く逸したが、これは僕の大きな手落(ミス)だった。真に名訳の名にふさわしいものが多数あるのだから、せめて一、二篇は加えたかった。

と、堀口大學は言い訳していました。

 

この、どこか珍しい生きもののようなところもある、互選詩集を続けて読んでみて、気づいたことを、いくつかメモしておきます。

 

     ◆◆◆

堀口大學編『佐藤春夫詩集』中の「未刊行詩集(抄)」に、原民喜(1905~1951)を追悼した「三月十三日夜ノ事」が選ばれています。
手もとにある21版では、

 結襟ノ服ヲマトヒ
 ヨキ服ハ壁ニカケ
 友ノタメ殘シ置キシハ
 ヌケガラニ似テ

とありますが、「結襟」はネクタイのこと、「詰襟」の誤植かと思われます。21版まで残っていたのでしょうか?


     ◆◆◆

2人の互選詩集を2冊続けて読んで素朴に思ったのは、堀口大學は「ああ」「おお」といった感嘆詞を平気で使いますが、佐藤春夫はなかなか使わないということです。

ちょっと気になったのは、もとは堀口大學詩集『新しき小径』(1922年、アルス)に収録されていた「私」という詩にでてくる「それなのにそれなのにああそれなのに」という一節。
堀口大學『白い花束』(1948年、草原書房)に収録の「心がはり」でも「それなのに それなのに ああ それなのに」と繰り返されていますが、その間の1937年、美ち奴(みちやっこ、1917~1996)の大ヒット曲に「ああそれなのに」があります。
作曲は古賀政男、作詞は星野貞志。星野貞志はサトウハチロー(1903~1973)のペンネームのひとつ。
サトウハチローと堀口大學の間で、「ああそれなのに」をめぐって、なにか交渉はあったのでしょうか?

 

     ◆◆◆

佐藤春夫が谷崎潤一郎夫妻との関係に煮詰まっていた時期に書かれ、『我が一九二二年』(1923年、新潮社)に収録された「浴泉消息」の一節。

   3 よほど快方に向ひました

 秋になつたら
 小さな家を持たう、
 小榻一椽書百巻
 さうして、
 煙草とお茶とのいいのが飲みたい、
 そこには花畑がいる、
 妻はもういらない
 童子を置いて住まう、
 童女でも悪くはない、
 さうだ、それよりさきに
 一度、上海に行つて
 支那の童女を買つて來よう、
 おもちやのやうに、着飾つた
 十三ぐらゐのがいい、
 木芙蓉の荅(つぼみ)のやうな奴はいくらぐらゐするだらう?

大正11年(1922)8月の日付のあるこの詩は、今なら、どんな風に書かれるのでしょう。
あるいは、書かれないのでしょう。
十三ぐらゐ」が「十四ぐらゐ」となっている版もあります。
これも大正の美的想像力の一面です。

 

     ◆◆◆

佐藤春夫や堀口大學の詩は、俳句や短歌の七五調に親しんでいる人には、読みやすい詩かとも思われますが、私は七五調がしみこんだ身体を持っていないので、ことばにつんのめってしまいます。

それでも、2人の互選詩集を読んでいると、見かけなくなったことばたちの響きに、心魅かれます。

例えば、堀口大學であれば、次のようなことば。

圓(まろ)み 見ね ほこりかに微笑 女(をみな) 牧歌(イツヂール) 正午(まひる) しつつこい 黙せしめよ やるせなの心 實(げ)に 戰(そよ)がせる風 氤氳(いんうん) 顔(かんばせ) しやつきりして 醉(ゑひ) 勞苦(いたつき) 氣(け)うとさ 輕(かろ)らかに 黝(くろ)ずめる 皓(しろ)い 半巾(はんけち) なりけらし 昨日(きそ) 蛇(くちなは) 色彩(あいろ)

例えば、佐藤春夫であれば、次のようなことば。

夕づつ 聞説(きくならく) 食(た)うべて 無才(むざえ) をみな 荒磯(ありそ) 沾(ひ)ぢて 昨日(きぞ) さしぐまる かぐろなる おぼすらめども 長息(なげ)けども 消(け)なば消(け)ぬべき 哂(わら)ひ 魯(おろか) 深切な おどろ髪 蹠(あなうら) とよもして啼く 狭霧(さぎ)らふ 海(わだ)の原 山樵(やまがつ) 鯨(いさな) 千種百種(ちぐさももぐさ) 魚狗(しょうびん) くわくこう 冰(こお)る 息(いこひ) 互(かたみ)に 汝(いまし) かかはら 鞦韆(ふららこ)の索(つな) おばしま さびしらに 麗日(うつひ)さす こなしやまぶき 朝にけに 地震(なゐ) 眸(ひとみ) 大人(うし) おもひすずろぐ客人(まらうど) 間(ひま) 珍重(うづ) 腕(ただむき) たまきはる 詩人(うたびと) 細乳(ほそぢ) つかさびと 塵土(ちりひぢ) 罵(のの)めき 旦暮(あけくれ) 朝夕(あさよひ) 大海(わたつみ) 道(い)ふ 肉(ししむら) 壊(く)えただれる

これらのことばが詩語としてある世界は、ここではない、とも感じます。

 

     ◆◆◆

この互選の『堀口大學詩集』と『佐藤春夫詩集』を、そこに収録されてる、佐藤春夫『魔女』を刊行し、堀口大學訳のグウルモン『シモオヌ』を出した、二人に縁の深い秋朱之介(西谷操、1903~1997)なら、どんなふうに装幀しただろうかと、想像します。

佐藤春夫編『堀口大學詩集』にも選ばれている堀口大學の詩「梨甫(リオ)」 「驪人」――いずれも『新しき小径』(1922年、アルス)に収録――は、秋朱之介が最初に立ち上げ個人出版所・書局梨甫(1929年に『イヴォンヌ』を刊行)、そして、1937年(昭和12年)に堀口大學訳・イヴァン・ゴル詩集『馬來乙女の歌へる』を刊行した驪人荘の名前のもとになっています。
秋朱之介にとって、堀口大學という存在の大きさを感じさせます。

ある時期の秋朱之介は、堀口大學の本を「芸術作品」として作るために、自分の持つすべての力を傾けたといっても過言ではありません。

 

秋朱之介が、1934年(昭和9年)、個人の限定出版所として立ち上げた「裳鳥会」最初の詩集に、堀口大學訳・グウルモン『シモオヌ』を選んだのは、慧眼だったと思います。

『月下の一群』(1925年、第一書房)に収録された詩のなかで、堀口大學が最初に翻訳したのがグウルモンの「シモオヌに呼びかける一聯の詩」でした。
堀口大學にとって最初の訳詩のこころみであり、堀口大學を「詩人」たらしめた詩ともいえます。

ただ、堀口大學の「Simone」の訳語は、「シモオン」「シモオヌ」「シモーヌ」「シモーン」と揺れ続けています。

その揺れを、小澤書店版『堀口大學全集』などから分類してみると、次のようになります。

【シモオン】
『グウルモン詩抄』(1928年、第一書房) 11編
『グウルモン詩集』(1951年、新潮文庫) 11編
『月下の一群』(1981年、小澤書店版『堀口大學全集』第2巻) 2人称が「お前」。
 堀口大學訳詩集『月下の一群』(1925年、第一書房)には、
 「毛」「柊」「霧」「雪」「落葉」「果樹園」「庭」「水車」「寺」の9篇。
 堀口大學訳詩集『空しき花束』(1926年、第一書房)には、
 「野ばら(野うばら)」「川」の2篇。

【シモオヌ】
『シモオヌ』(1934年、裳鳥会) 11編

【シモーヌ】
『堀口大學全詩集』(1970年、筑摩書房)11編
『グールモン詩集』(1974年、彌生書房) 11編
『グールモン詩集』(1982年、小澤書店版『堀口大學全集』第3巻)11編。2人称が「君」。

【シモーン】
『月下の一群』(1955年、新潮文庫)

最終的には、「シモーヌ」で落ちついたようです。

佐藤春夫編『堀口大學詩集』は、『月下の一群』からの訳詩がほぼ半分を占め、「シモオヌ」連作からは、「毛」と「霧」の二編が選ばれています。よびかけは「シモーン」です。

 

残念ながら、秋朱之介の裳鳥会版『シモオヌ』(1934年)は手もとにないので、新潮文庫の『グウルモン詩集』を引っ張り出します。
これも古本屋さんで購入したもの。

 

堀口大學譯『グウルモン詩集』(新潮文庫)表紙堀口大學譯『グウルモン詩集』(新潮文庫)裏表紙

▲堀口大學譯『グウルモン詩集』(新潮文庫)表紙
昭和26年7月31日発行
昭和37年6月30日8刷


堀口大學譯『グウルモン詩集』(新潮文庫)目次01

堀口大學譯『グウルモン詩集』(新潮文庫)目次02

堀口大學譯『グウルモン詩集』(新潮文庫)目次03

▲堀口大學譯『グウルモン詩集』(新潮文庫)目次

ルミイ・ド・グールモン(Remy de Gourmont、1858~1915)の「シモオヌ(Simone)」連作のほかに、散文詩「かの女には肉體がある」も、秋朱之介は、裳鳥会から刊行しています。おそろしいことに、意に満たない仕上がりだったため、大部分を裁断しています。
ほかにも、裳鳥会では「邪なる禱」や「アマゾオヌへの歌」の刊行も準備していましたが、未刊に終わっています。

秋朱之介は、堀口大學訳のグールモンに惚れこんでいたようです。

 

堀口大學譯『グウルモン詩集』(新潮文庫)奥付

▲堀口大學譯『グウルモン詩集』(新潮文庫)奥付
堀口大學の文庫本解説「ルミイ・ド・グウルモン小傳」に「グウルモンは猫を愛した。彼の仕事机の上には何時もその愛猫がのどを鳴らして眠つてゐた」とあります。
猫好きの独身者にして詩人批評家という点では、ボードレールに連なる存在です。

岩波でも新潮でもちくまでも、現行の文庫本に、グールモンが1冊もないのは、とても寂しい話です。

 

     ◆◆◆

ところで、2020年11月6日の朝日新聞の天声人語で、堀口大學訳のグールモンの詩「落葉」を引用していました。

▼フランスの詩人ルミ・ド・グールモンに、恋人に呼びかける連作がある。「落葉」と題した一編は、〈シモオン、木の葉の散つた森へ行かう〉と始まる。そして〈シモオン、お前は好きか、落葉ふむ足音を?〉の言葉を何度も繰り返す▼〈夕べ、落葉のすがたはさびしい/風に吹き散らされる時落葉はやさしく叫ぶ!〉(堀口大学訳)。ひとりで歩くのも、誰かと歩くのもいい。朝に冬を感じ、昼に暖かさを楽しむ。そんな贅沢な季節である。

手近にある堀口大學訳「落葉」を比較すると、本ごとに少しずつ異同があります。天声人語は、「シモオン」「シモーン」「シモオヌ」「シモーヌ」のなかでは、「シモオン」訳で、小澤書店版『堀口大學全集』第2巻の『月下の一群』から引用しているようです。

『グウルモン詩集』(1951年、新潮文庫)
シモオン 木の葉の散つた森へ行かう。
シモオン お前は好きか 落葉ふむ足音を?
夕べ落葉のすがたはさびしい
 風に吹き散らされる時 落葉はやさしく叫ぶ!

『月下の一群』(1955年、新潮文庫)
シモーン、木の葉の散つた森へ行かう。
シモーン、お前は好きか、落葉ふむ足音を?
夕べ、落葉のすがたはさびしい
 風に吹き散らされると、落葉はやさしく叫ぶ
!〉

『月下の一群』(1981年、小澤書店版『堀口大學全集』第2巻)
シモオン、木の葉の散つた森へ行かう。
シモオン、お前は好きか、落葉ふむ足音を?
夕べ、落葉のすがたはさびしい、
 風に吹き散らされる時落葉はやさしく叫ぶ!

『グールモン詩集』(1982年、小澤書店版『堀口大學全集』第3巻)
シモーヌ 木の葉の散った森へ行こう。
シモーヌ 君は好きか 落葉ふむ足音を?
暮れ方 落葉のすがたはわびしい、
 風が吹き散らすと 落葉はやさしく叫ぶ
!」

 

「シモオヌ」が現実の恋人なのなのか、夢の恋人なのか、分かりません。
夢のなかの猫、のような気もします。

 

     ◆◆◆

秋朱之介(西谷操、1903~1997)が、1934年(昭和9年)、恋人「モト子」さんの名前をもじって「裳(モ)」と「鳥(ト)」で、個人出版の「裳鳥会」を立ち上げ、最初に企画・編集・装幀した本が、堀口大學訳・グールモンの「シモオヌ」連作11篇を収めた訳詩集『シモオヌ』です。

ちなみに、秋朱之介が「裳鳥会」の名を冠して、実際に刊行した本は、次の3冊。

ルミイ・ド・グールモン 堀口大學訳 田園詩『シモオヌ』(1934年6月)

ルミイ・ド・グールモン 堀口大學訳『かの女には肉體がある』(1934年7月、意に満たず、ほとんどを裁断)

堀口大學著 詩集『ヴェニュス生誕』(1934年9月)

いずれも艶っぽい「恋愛」詩集です。

恋人の名を冠した出版所で、恋愛詩集を刊行する。
そんな人は、日本で、ほかに聞いたことがありません。
しかも、そのことに、だれも気づいていない。
なんというか、「超」がつくほど、ロマンテッィクな男性ではありませんか、秋朱之介は。

自分の名前をもじった「裳鳥会」の名を冠して刊行された恋愛詩集のことを、当のモト子さん(秋朱之介の恋人、のちの夫人)は、どう思っていたのでしょうか。
届いていたのでしょうか。

話では、秋朱之介の本づくりに関心のうすい人だったそうです……。

 

残念ながら、裳鳥会の『シモオヌ』『かの女には肉體がある』は、実際に手に取ったことがありません。
『裳鳥』というちらし(広報紙)も作っていたようで、それがはさまった完本を、いつか手に取ってみたいものです。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

第314回(2020年6月21日)で、DEAF SCHOOLの「TAXI!」(1977年、Warner)を紹介しましたが、日本のアイドルがソロデビューシングルとして、「TAXI」をカヴァーしました。すごい企画力だなと感心するばかり。

プログレ的楽曲を歌い踊るアイドルグループ、XOXO EXTREME(キスエク)の一色萌の、両A面の7インチアナログ盤です。
「TAXI」の日本語カヴァーで、演奏もDEAF SCHOOLという、夢のような盤でした。

オリジナルで故エリック・シャーク(ERIC SHARK)のナレーション・パートだった部分は、一色進(あ、シネマの人だ!)のナレーションになっているのですが、「馬車道」など舞台を横浜に置き換えているところはさすがと思いつつ、よりクラシカルな美声の人を起用してもよかったのではないかという感想も持ちました。
なりすレコードの制作です。

MOE HIIRO「Hammer & Bikkle」ジャケ

MOE HIIRO「Hammer & Bikkle」ラベル

▲A side MOE HIIRO「Hammer & Bikkle」

A' side MOE Feat. DEAF SCHOOL「TAXI」ジャケ

A' side MOE Feat. DEAF SCHOOL「TAXI」ラベル

▲A' side MOE Feat. DEAF SCHOOL「TAXI」
一色萌「TAXI」のジャケットデザインは小田島等、イラストはスージー甘金。
ラベルのデザインは、スティッフ・レーベル(Stiff Records)など英盤を連想します。

 

Deaf Schoolのファーストアルバムのジャケット表

Deaf Schoolのファーストアルバムのジャケット裏

言わずもがなですが、Deaf Schoolのファーストアルバム『2ND HONEYMOON』(1976年、Warner Bros. Records)のジャケットがもとになっています。
デフスクールのアルバムジャケットでは、裏面が楽屋落ち的なメンバー写真になっているので、 一色萌の盤でも、そこまでフォローしていれば、言うことなかったのですが。

 

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325. 2020年のRobert Wyatt & Alfie Benge『Side by Side』(2020年11月3日)

2020年のRobert Wyatt & Alfie Benge『Side by Side』箱表紙

ロバート・ワイアット(Robert Wyatt)の歌詞本、その3です。

2020年9月に出たばかりの、Robert Wyatt & Alfie Benge『Side by Side』の限定版です。
版元は、Faber & Faber。

ナンバリングされ、2人のサインが入っています。
クロス装、クロス函入り。

アルフレーダ・ベンジ作品の、4枚のアートプリント付き。
高品質インクジェットによるもの。ジークレー(Giclée)というやつです。

210部限定。
i~xは、作者用。1~200を販売。
届いたのは、42番でした。
日本にもファンが少なからずいるので、かなりの数、入るのではと予想。

本文はスミ1色。図版をカラーにできなかったのかと思います。
序文はジャーヴィス・コッカー(Jarvis Cocker)。一般の読者も対象としたいという選択でしょうか。

「Side by Side」(並んで、いっしょに)というタイトル通り、ロバート・ワイアットのパートが1~90ページ、アルフレーダ・ベンジのパートが91~188ページと、半分ずつ分かち合っています。

 

本を買うのは控えよう、片付けることを考えようと意識しているのですが、この本は、ほしかった。

rough trade のサイトで購入しました。

 

ラフ・トレードの段ボールパッケージ01

ラフ・トレード印のガムテープに巻かれた段ボールパッケージ

 

ラフ・トレードの段ボールパッケージ

ラフ・トレードの段ボールパッケージは、二重になっていました。

 

縞模様のクラフト紙

本は、縞模様のクラフト紙に包まれています。

 

そして、Robert Wyatt & Alfie Benge『Side by Side』。
青い箱、青い本。

「Sea Song」が頭の中で鳴り出します。
海に通じている本だと思いました。

 

Robert Wyatt & Alfie Benge『Side by Side』01

Robert Wyatt & Alfie Benge『Side by Side』02

Robert Wyatt & Alfie Benge『Side by Side』03

Robert Wyatt & Alfie Benge『Side by Side』04

Robert Wyatt & Alfie Benge『Side by Side』05

Robert Wyatt & Alfie Benge『Side by Side』06

Robert Wyatt & Alfie Benge『Side by Side』07

Robert Wyatt & Alfie Benge『Side by Side』08

Robert Wyatt & Alfie Benge『Side by Side』09

 

Robert Wyatt & Alfie Benge『Side by Side』10

Robert WyattとAlfreda Bengeのサイン。

 

Marcus O’dair『Different Every Time: The Authorised Biography of Robert Wyatt』表紙

Marcus O’dair『Different Every Time: The Authorised Biography of Robert Wyatt』サイン

2014年に刊行されたワイアットの伝記、Marcus O’Dair『Different Every Time: The Authorised Biography of Robert Wyatt』(Serpent's Tail)もサイン本でしたが、本に直接書き込むのでなく、カードを貼り込むタイプでした。

 

『SHOOTING AT MOON: THE COLLECTED LYRICS OF KEVIN AYERS』

ワイアットの旧友、ケヴィン・エアーズ(Kevin Ayers、1944~2013)の歌詞を集めた『SHOOTING AT MOON: THE COLLECTED LYRICS OF KEVIN AYERS』も、2019年に出ていました。
こちらはフルカラーの本でした。
版元は、Faber & Faberの姉妹会社、Faber Music。

娘さんのGalen Ayersの編集で、ケヴィン・エアーズの手稿も積極的に掲載していました。
娘さんから見た一面というか、これでケヴィン・エアーズのすべて分かるというわけではありませんが、丁寧につくられた、好ましい本でした。

『Side by Side』も、アルフレーダ・ベンジという色彩にあふれた存在の特徴をもっと活かせばよかったのに、と思うのですが、でも、こうした形で本を残してくれただけでも、喜ばしいです。

 

締めくくりの、まとめの本が出る時期なのかなと、寂しさも感じます。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

Marcus O’dair『Different Every Time』(2014年)のときは、2枚組のベスト盤『Different Every Time』(domino)が出ました。

今回も、本の上梓に合わせるように、2004年に日本で編集されたアルバム『Robert Wyatt - His Greatest Misses』が、英dominoから再発され、始めてアナログ盤が作られました。2016年に休刊した音楽誌『ストレンジデイズ』の編集で、ワイアットの歌に重点をおいた、声がしみわたる好盤です。

今回の英dominoの再発盤は、2004年日本盤の編集デザインをそのまま踏襲しています。

ジャケットに使われている絵は、ワイアットが6歳頃に描いたもの。
こうした絵を残しておくような家庭に育った少年だったのだなと思います。

 

2004年盤CD 『Robert Wyatt - His Greatest Misses』01

2004年盤CD 『Robert Wyatt - His Greatest Misses』02

▲2004年盤CD 『Robert Wyatt - His Greatest Misses』
紙ジャケです。

 

2020年アナログ盤『Robert Wyatt - His Greatest Misses』ジャケット

2020年アナログ盤『Robert Wyatt - His Greatest Misses』裏ジャケット

▲2020年アナログ盤『Robert Wyatt - His Greatest Misses』ジャケット

CD1枚で75分収録でしたので、アナログ盤では2枚組になっています。
深緑色のヴァイナル盤です。

 

2020年アナログ盤『Robert Wyatt - His Greatest Misses』Side A

2020年アナログ盤『Robert Wyatt - His Greatest Misses』Side D

▲2020年アナログ盤『Robert Wyatt - His Greatest Misses』Side A と Side D

声の魅力。
ロバート・ワイアットの声が、音楽と結びついてくれて、よかった。

日本編集ということもあって、ワイアットが「ヒロシマ、ナガサキ」「こんにちは、ありがとう」ということばを繰り返す「Foreign Accents」がアルバム最後の曲に選ばれています。


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324. 2009年の『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(2020年11月2日)

2009年の『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』表紙

ロバート・ワイアット(Robert Wyatt)の歌詞本、その2です。

1987年イタリアの『ROBERT WYATT』(Stampa Alternativa)に続いて、2009年フランスの『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(『ロバート・ワイアット MWプロジェクト集成』)です。
版元は、フランス北東部のボワ・ド・シャン(Bois-de-Champ)にある、詩と現代美術を専門とする活版印刷所 Æncrages & Co です。

フランスのアーティスト、ジャン・ミシェル・マルケッティ(Jean-Michel Marchetti)の企画で、ロバート・ワイアットと、ワイアットのパートナー、アルフレーダ・ベンジ(Alfreda Benge)の詩と、ワイアットの歌に触発されたマルケッティのグラフィック作品と、マルケッティによる詩のフランス語訳で構成されています。

『MW』(1997年、300部)、『M2W』(1998年、300部)、『M3W』(2000年、310部)、『M4W』(2003年、330部)、『MBW』(2008年、1000部)の5冊が出ています。『M2W』『M3W』『M4W』にはCDも付属していて、詩と美術と音楽を、本のかたちにしたシリーズです。

言わずもがなですが、MはMarchettiのM、WはWyattのW、BはBengeのBです。

揃っていれば、言うことないのですが、この5冊のなかで手もとにあるのは「MBW」(2008年)1冊だけです。

Æncrages & Coは、2007年5月に火災に遭い、印刷機や版、そして本の在庫が失われています。

そのこともあって、この、『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』は、この5作品をオフセット印刷で1冊にまとめることになったのではないかと思われます。『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』も、表紙だけは活版印刷で刷られています。
本の表紙にある「Phoenix」(フェニックス)というシリーズ名は、火事からの復活を意味しているのだと思います、

このアンソロジーには、「MW6」が追加されて、合わせて80編の詩が集められています。

判型は1987年の『ROBERT WYATT』(Stampa Alternativa)とほぼ同じサイズで、 7インチシングル盤より少し大きいサイズになっています。

この本にも、ワイアットのインタビューやパスカル・コムラードによるワイアットのカヴァーを収めたCDが付いてます。

初版では色つきだったページもすべてモノクロのスミ一色になっているのが残念ですが、テキスト的には、これ1冊で十分で、ほんとうによく出来た1冊です。
ただ、 アート作品としての「本」と考えたら、初版を手に取ってみたいものです。

 

『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』の付属CD

▲『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』の付属CD

 

『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』の外函つき01

『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』の外函つき02

▲『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』の外函つき
2010年には、索引を印刷した外函をつけたものも出ています。

 

▲『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』収録された『MW』(1997年)の表紙/扉

▲『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』収録された『MW』(1997年)の表紙/扉

 

『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』収録された『MW2』(1998年)の表紙/扉

▲『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』収録された『M2W』(1998年)の表紙/扉

 

『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』収録された「MW3」(2000年)の表紙/扉

▲『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』収録された『M3W』(2000年)の表紙/扉

 

『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』収録された『MW4』(2003年)の表紙/扉

▲『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』収録された『M4W』(2003年)の表紙/扉

 

『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』が初出の「MW6」の扉

▲『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』が初出の「MW6」の扉

 

手もとにある『MBW』(2008年)と、オフセット印刷の『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』に収録されたものを比較すると、初版をお持ちの方は、幸せ者だと思います。

 

『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(2009年)収録の表紙/扉

『MBW』(2008年)の表紙

▲『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(2009年)収録の表紙/扉(上)と、『MBW』(2008年)の表紙(下)
『MBW』(2008年2月)は、2007年5月の火災後、Æncrages & Coが最初に出した本です。
「Phoenix」(不死鳥)というシリーズの最初の本です。

 

『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(2009年)の図版01

『MBW』(2008年)の図版01

▲『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(2009年)のマルケッティの図版(上)と、『MBW』(2008年)のマルケッティの図版(下)

 

『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(2009年)のマルケッティによるベンジ像

『MBW』(2008年)のベンジ像

▲『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(2009年)のマルケッティによるベンジ像(上)と、『MBW』(2008年)のベンジ像(下)

 

『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(2009年)のマルケッティの図版02

『MBW』(2008年)のマルケッティの図版

▲『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(2009年)のマルケッティの図版(上)と、『MBW』(2008年)のマルケッティの図版(下)
『MBW』では、透ける紙に図版を刷っています。

 

『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(2009年)のワイアット手稿

『MBW』(2008年)のワイアット手稿

▲『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(2009年)のワイアット「Costa」手稿(上)と、『MBW』(2008年)のワイアット手稿(下)

 

『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(2009年)のマルケッティの図版

『MBW』(2008年)のマルケッティの図版

▲『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(2009年)のマルケッティの図版(上)と、『MBW』(2008年)のマルケッティの図版(下)
『MBW』では、透ける紙に図版を刷っています。

 

『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(2009年)の3人の写真

『MBW』(2008年)の3人の写真

▲『Robert Wyatt Anthologie du projet MW』(2009年)の3人の写真(上)と、『MBW』(2008年)の3人の写真(下)

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

2001年『MW pour Robert Wyatt』

2001年にリリースされた、ワイアット・トリビュートのアンソロジーCD『MW pour Robert Wyatt』(Æncrages & Co、In Poly Sons)。
『M2W』『M3W』に付属していたCDの音源などをもとに作られています。

 

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323. 1987年の『ROBERT WYATT』(2020年11月2日)

1987年の『ROBERT WYATT』表紙

ロバート・ワイアット(Robert Wyatt)の歌詞を集めた、ロバート・ワイアット&アルフィー・ベンジ(Robert Wyatt & Alfie Benge)『Side by Side』(いっしょに)が、9月に刊行されたのを記念して、ワイアットの歌詞本を並べてみます。

最初の本は、イタリアのマルチェロ・バラギーニ(Marcello Baraghini)が起こしたStampa Alternativa(その名のとおり「オルタナティブ印刷」)の一冊、『Robert Wyatt』で、これはイタリア語対訳付き。1987年の本です。

ジジ・マリノリ(Gigi Marinori)編集で、イタリア語によるインタビューと、1972年のマッチング・モール(Matching Mole)の「Signed Curtain」から1986年のニュース・フロム・バベル(News From Babel)の「Justice」までの歌詞が、英語とイタリア語訳で収録されています。

ワイアット作詞曲だけでだけでなく、「At Last I Am Free」などのカバー曲や「Shipbuilding」などの他者から提供曲も歌詞も収録されています。

判型は20×20センチで、7インチシングル盤より少し大きいサイズ。
歌詞の本ということでシングル盤を意識したのでしょうか。
96ページ。
紙は、ざら紙のようなもので、だいぶ焼けています。

Robert Wyatt「Chairman Mao」の7インチアナログ盤ついています。

 

『ROBERT WYATT』(1987、Stampa Alternativa)表紙

▲『ROBERT WYATT』(1987、Stampa Alternativa)表紙

 

『ROBERT WYATT』(1987、Stampa Alternativa)見開き

▲『ROBERT WYATT』(1987、Stampa Alternativa)見開き
マッチング・モールのアルバムには、歌詞カードが付いていなかったので、「God song」の歌詞が掲載されているこの本は嬉しかったです。

 

obert Wyatt「Chairman Mao」の片面盤のラベルSide A

Robert Wyatt「Chairman Mao」の片面盤のラベルSide B

▲付属の7インチアナログ盤のRobert Wyatt「Chairman Mao」の片面盤のラベル
なんというか、毛沢東手帳の赤色のレコード盤です。

B面には曲が収録されていません。つるつるです。

 

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322. 1931年の『談奇黨(党)』第3号とその異版(2020年10月11日)

1931年の『談奇党』第3号とその異版表紙


梅原北明(1901~1946)の『デカメロン』(大正14年・1925年)翻訳にはじまる、エロ・グロ・ナンセンスの時代は、当時の言葉で「エロ・グロ」「エロ出版」「好色文學」「エロ本屋」「稀書」「艶本」「エロ本」「珍書屋」「軟派出版」など形容される出版物を生み出し、その流行は昭和7年(1932)ぐらいまで続きますが、左翼とエロの出版物を発禁弾圧する流れで急速にしぼんでいきます。

そのブーム末期の昭和6年12月に、『談奇黨(党)』(以下「談奇党」で統一、發行所は洛成館)という雑誌が、その第3号で、「あれ程全盛を極めたエロ出版も、昭和五年の下半期からすつかり下火になつた」という認識のもと、「好色文學受難錄」(以下「好色文学受難録」で統一)という、「珍書屋」の裏事情を振り返る特集を組みます。

このサイトでは、西谷操(秋朱之介、1903~1997)について、いろいろ書いてきましたが、この『談奇党』第3号は、和2~4年(1927~1929)ごろの西谷操の「珍書屋」時代を知る上で貴重な資料です。

刊行された8号中、7号が発禁になった、いわゆる当時の「エロ雑誌」で、西谷操が在籍していた現代資料研究會編輯部、発藻堂書院、南柯書院などの、西谷操をよく知る関係者がかかわっていたと思われます。

唯一発禁にならなかった号が、「エロ記事」のない「特殊研究号」として、「エロ出版」に関わる人物たちの内幕を特集した、この第3号「好色文学受難録」でした。

 

この『談奇党』は、昭和初期の出版文化を知る上でも、貴重な資料になっているので、何度か復刻もされています。

2009年12月《文圃文献類従17》金沢文圃閣
谷永永一編・解題『性・風俗・軟派文献書誌解題集成―近代編』[編集復刻版]
第1巻 「特集好色文学受難録」『談奇党』第3号(洛成館編刊、1931年12月)、「特集現代軟派文献大年表」『匂へる園』第2輯(竹内道之助編・日本愛書家協会刊、1932年8月)

2017年12月《叢書エログロナンセンス 第Ⅲ期》ゆまに書房
『談奇党』『猟奇資料』全5巻
第2巻 『談奇党』第3号(昭和6年12月) 『談奇党』第4号(昭和7年1月) 『談奇党』新春特集号(昭和7年2月)

これらの復刻版は高価で、近くの図書館にそろっていればありがたいのですが、鹿児島県立図書館・鹿児島市立図書館には架蔵されていません。
1931年に刊行された元版の方が、入手しやすいです。

 

これら近年復刻されたものの外に、写真のような、緑の表紙のものも、手もとにあります。
出所が分からない、謎の版です。
この緑の表紙の版は、昭和6年(1931)12月発行のものと同じ版が使われているので、紙型の所有者が海賊版のようなかたちで出したものかも知れません。
昭和6年12月版と緑表紙版の違いは、 次のものが挙げられます。

 〇緑表紙には、表紙の「昭和六年十一月二十九日印刷 昭和六年十二月一日發行」の文字がない。
 〇緑表紙には、表紙の「第三號」の文字がない。
 〇昭和六年十二月版で、アリニン染料色の題簽だった「好色文學受難錄」が、緑表紙版では新組のゴチック体になっている。
 〇奥付のページの編集後記「編輯局だより」が、緑表紙版では削除されている。
 〇裏表紙のイラストが違う。

 

『談奇党』昭和6年12月版と緑表紙版の裏表紙

▲『談奇党』昭和6年12月版と緑表紙版の裏表紙

 

『談奇党』緑表紙版裏表紙の装画

▲『談奇党』緑表紙版裏表紙の装画
緑表紙版独自のものは、この装画だけで、唯一の手がかりです。
この装画には、記憶がある気がするのですが、思い出せません。
この『談奇党』緑表紙版が、どういう経緯でつくられたものか、ご存じの方、どうぞご教授ください。

 

『談奇党』第3号目次

▲『談奇党』第3号目次

 珍書屋征伐 耽好同人 3
 最近軟派出版史 志摩房之助 19
 エロ出版捕物帖 談奇黨編輯部 32 (本文では「エロ出版捕物綺談」)
 珍書手帖覚書 59
 現代談奇作家版元人名錄 談奇黨調査部 71

目次のイラストには、発禁になった『グロテスク』『奇書』『變態資料』『稀漁』といった「エロ雑誌」がさらし首になって様が描かれています。
耽好同人は、「耽好洞人」と名乗り『談奇党』の執筆者であった平井通(平井蒼太、1900~1971)かと思われます。江戸川乱歩の弟で、再評価されるべき存在です。
志摩房之助については、不明。
「談奇党編輯部」「談奇党調査部」と、執筆者はほとんど匿名ですが、珍書出版の内情に通じた人物と思われます。

貴重な資料ではありますが、いなくなった人間について好き勝手語っていて、意見に偏りのあることも前提としなければならない、そういうタイプの資料です。

 

『談奇党』第3号に掲載された「談奇作家見立番附」

▲『談奇党』第3号に掲載された「談奇作家見立番附」
西谷操は、「イヴオンヌ」で、上段の東方前頭。

出版物の発禁で、累計4年収監された宮武外骨(1867~1955)のような猛者は別格として、ここに名前が挙げられている作家たちは、ほとんど「発禁」になった作品とかかわりがあると思われます。

 

『談奇党』第3号に掲載された「エロ◇グロ發禁書見立番附」

▲『談奇党』第3号に掲載された「エロ◇グロ發禁書見立番附」
西谷操がかかわった本は、みな西方で、「イヴオンヌ」「ダス・フュンフェック」「ガミヤニ伯夫人」「ウヰンの裸體倶樂部」が入っています。

 

『談奇党』第3号奥付

▲『談奇党』第3号奥付
鈴木辰雄については不明で、発禁処分対策の名目上の名義人かと思われます。
『談奇党』を実際に動かしていたのは、文藝資料研究會編輯部から枝分かれしてきた、中野正人や大木黎二らと考えられています。
書局「洛成館」という発行所名も『談奇党』だけに使われて、『談奇党』休刊後は使われなかったようです。

この種の雑誌は、書店で売られず、通信販売が基本でした。見本ちらしで予約をとり、前払いの会員に頒布されました。会員名簿をもとにした出版です。
この方法は、秋朱之介の文芸美術書の限定本出版でも、踏襲されます。

「発禁」になるからこそ興味を引くというか、「発禁」になることが前提のようになっていて、留置場要員の発行名義人もいたのではないかと推測しています。

 

『談奇党』第3号にはさまれていたちらし「談奇党第三回通信」

▲『談奇党』第3号にはさまれていたちらし「談奇党第三回通信」
この種の雑誌は、はさみこまれたちらし類も重要で、本体だけでは、分からない情報も含んでいます。

検閲で伏せ字になった部分だけを、別便で郵送する仕組みもあったようです。
秘密を守る読者の名簿があって、個人宅へ郵送できる信頼関係がないと、成り立ちません。

 

『談奇党』第3号 談奇党編輯部「エロ出版捕物綺談」のページから

▲『談奇党』第3号 談奇党編輯部「エロ出版捕物綺談」のページから

「談奇党編輯部」による「エロ出版捕物綺談」は、登場人物の名前を仮の名前にして、くだけた口調で当時の珍書出版の裏舞台を面白おかしく書いたもので、10編の小話で構成されています。

その中に「その八 上には上・珍書屋をペテンにかけた女の話」という文章があります。この話のモデルは、西谷操と思われます。
その冒頭部分を引用します。

 どの話も假名で恐れ入るが、何しろ四方八方にお差觸りが出て來るので、筆者にしたところで當人に何の恩も怨みもあるのぢやないから、かうしておくのが私の便利である。
 ――と前から謝つておいて、さて、これから話し出さうとする一席は、「上には上・珍書屋をペテンにかけた女の話」といふので、當にニユース・ヴアリユウ百パーセントの代物である。
 東京に近い或る港町の山の手に一人の珍書屋が住んでゐた。彼れの名は仁田小助と云つて三十前の若い青年であつた。はじめ彼は某生命保険會社の社員として永い間辛抱してゐたのだが、ふとした機會から珍書屋佐左木金太郎を知るよやうになつて、遂ひに珍書屋を志し、轉々として二三の珍書屋に雇はれ、スツカリと商賣のコツを飲み込んだところで、彼は獨立した。
 ところが、彼れは運がよかつたと見えて、第一回のプランは豫想の三倍以上も収益を見た。彼れは昨日までピイ〳〵してゐたのだが、今日ではジヤン〳〵金がフトコロで唸つてゐるのである。

ここには、西谷操のことと思われる記述が、次のように多く見られます。

〇「東京に近い或る港町」→ 横浜
〇「仁田小助」→ 西谷操本人が知らないところで、西谷操がおおやけにしていない本名「小助」を知らぬ顔で出しているところは、綱渡りというか悪のりというか、筆者の意図せぬ悪意を感じます。
〇「三十前の若い青年」→ 西谷操は明治36年(1903)2月12日生まれ。昭和4年(1929)当時、26歳。
〇「某生命保険會社の社員」→ 西谷操は逓信省貯金局に勤めていました。少しぼやかしています。
〇「珍書屋佐左木金太郎」→ 西谷操を珍書出版の世界に引き入れた上森健太郎の仮の名前でしょう。
〇「二三の珍書屋に雇はれ」→ 西谷操は、少なくとも、上森健太郎の文藝資料研究會編輯部、宮本良の發藻堂・南柯書院などに所属していました。
〇「彼は独立した」→ 昭和4年、横浜で書局梨甫を立ち上げます。
〇「第一回のプラン」→ 書局梨甫の『イヴォンヌ』は評判となり、西谷操の名を高めました。 この「第一回のプラン」は、横浜の書局梨甫の『イヴオンヌ』でなく、『ウインの裸體倶樂部』とも考えられます。『ウインの裸體倶樂部』は、昭和4年3月5日發行、發售所は文藝資料研究會編輯部ですが、譯者・西谷操、發售兼印刷者・西谷操と名義上は西谷操の本になっています。

「上には上・珍書屋をペテンにかけた女の話」の登場人物は、まちがいなく「西谷操」を「仁田小助」の仮名にして書いた文章です。
もっとも、名前だけ伏せて書かれた、実際におこった出来事の実録というより、話を面白くするために、かなり脚色が入っている読み物と思われます。
そのまま事実と受け取らないほうがよさそうですが、当時の西谷操を知る貴重な資料であることには変わりありません。

 

手もとにある『談奇党』は、第3号と昭和7年2月29日納本の『談奇党』新春特輯號の2冊だけなのですが、新春特輯號に収録された萩原寛「シヤワー・ルーム」という短篇小説は、横浜が舞台で、フランス帰りのタクシー運転手「西谷」という人物が登場します。目配せというか匂わせと思われます。この種の雑誌を調べていけば、もっと何か出てくるかもしれません。

とはいえ、『談奇党』が刊行された昭和6~7年(1931~1932)ごろ、『談奇党』の執筆陣にとって、西谷操の存在は「その後の消息は杳としてわからない」という認識だったようです。

 

以下に、「上には上・珍書屋をペテンにかけた女の話」全編を、改めて冒頭部分も含めて掲載しておきます。(『談奇党』第3号 42~48ページ)

 

  上には上・珍書屋をペテンにかけた女の話

 どの話も假名で恐れ入るが、何しろ四方八方にお差觸りが出て來るので、筆者にしたところで當人に何の恩も怨みもあるのぢやないから、かうしておくのが私の便利である。
 ――と前から謝つておいて、さて、これから話し出さうとする一席は、「上には上・珍書屋をペテンにかけた女の話」といふので、當にニユース・ヴアリユウ百パーセントの代物である。
 東京に近い或る港町の山の手に一人の珍書屋が住んでゐた。彼れの名は仁田小助と云つて三十前の若い青年であつた。はじめ彼は某生命保険會社の社員として永い間辛抱してゐたのだが、ふとした機會から珍書屋佐左木金太郎を知るやうになつて、遂ひに珍書屋を志し、轉々として二三の珍書屋に雇はれ、スツカリと商賣のコツを飲み込んだところで、彼は獨立した。
 ところが、彼れは運がよかつたと見えて、第一回のプランは豫想の三倍以上も収益を見た。彼れは昨日までピイピイしてゐたのだが、今日ではジヤンジヤン金がフトコロで唸つてゐるのである。
 一軒の主になつてみれば、いつまでも獨身でもあるまいといふので、彼れはかねて想思の仲である波止場近くの或るカフエー・ランデヴウのウエイトレスを引き入れて、妻としたのである。二人は幸福であつた。殊に、仁田君の恐悦は一と通りではなかつた。金は出來るし、思ふ女とは添ひ遂げる、これで不平があつたら、馬鹿か氣違ひだ!
 ところが、或る日のこと、妻は仁田君に云つた。
「あなた」
「何んだい?」
「あたしに、指環買つてくれない?」
「あゝ、よし、よし」
「ダイヤよ」
「それは困る! 何か外のものにしておいてくれ。この間もオニツキスを買つたぢやないか」
「でも、あんな松脂みたいな玉、あたし、キラヒ」
「でも、困るよ。そんなに指環ばかり買つて。僕等はまだそんな身分ぢやないからね」
「あら、あたし、ツマンないわ」
「仕方がない人だねエ。ぢや、こんど限りだよ」
「まあ、うれしいわ、あなた」
 ウフツ! 誰れだ? 笑ふのは! この頗るナンセンシカルな會話は、筆者がフザケて拵らへたものと疑ふ勿れ、世間の男女はどうあらうと、この仁田君夫婦にあつては、この會話は地のまゝで、事實はもつと甘いものと御承知ありたい。
 かうして、二人は喋々喃々と新しい生活に感激し合つてゐましたところ、三ケ月四ケ月經つうちに、妻の外出がだんだんひどくなつて來たのである。
「一體、この頃、僕の留守によく出かけるが、どこへ行くの?」
 仁田君にしたところで少し不安になつて來た。
「ごめんなさい! あなたにまだお話してなかつたけれど、親戚のところよ」
 妻君は少しテレ氣味だ。
「親戚つて、どこ? お前は親戚は東京に一人もないつていつか云つたっぢやないか」
「實は一人だけ親戚がありますの」
「何處に? 誰れだ?」
「東京に、あたしの兄さん!」
「兄さん? 初耳だ。お前は何故それを初めから云はなかつたのだ」
「だつて」彼女はからだをくの字に曲げた。
「あたしの兄さん、とても今貧乏してゐるんですもの。だから、あたし、恥しかつたのよ」
「ほお、そんなに貧乏してゐるのかい?」
「えゝ、とても」
「で、今、どこに、どうしてゐるの?」
「三等郵便局の事務員をしてゐますの。本郷春木町の染物屋の二階に間借りしてゐますわ。年は二十五」
「さうか! それは知らなかつた。それはよかつた。お前にもいゝ話相手が出來てよかつたねエ。」
 仁田君は妻を少しも疑らなかつた。
 それから間もなく、この新夫婦が別れなければならなくなつた。といふのは、仁田君が最近出した珍書のお灸で、東京の警視廳へ拘留を言渡されて半月の間家を留守にせねばならなくなつたからであつた。
 仁田君は留置場に這入るのは覺悟の前だが、心殘りなのはさびしい山の手の自宅へ一人彼れを待つてゐるであらう妻のことであつた。眞逆子供ぢやないから鼠に引かれることはないだらうが、何しても心配で溜らない。彼れは留置場の檻房で毎晩々々泣き明かした。
 やがて、苦悶轉々の十五日は過ぎて、仁田君は漸くにして放免になり、久し振りで東京驛からヨレヨレの着物で省線に乗つたが、内心不安はいや増すばかりであつた。何故ならば、妻が何事もなく家にゐるものであるなら、假りにも妻であつてみれば着替への衣類ぐらひこの日に持つて迎へに來てくれるはずである。それが來ないところを見ると、どうも何か變つたことが家にあるに違ひない。さう考へて仁田君は櫻木町へ着くが早いか、圓タクを飛ばしてわが家へ歸つて、玄關を見ると錠が降りてゐる。ハゝア、妻は何處か買物にでも出たらしい。彼れは錠を開けて玄關へ這入ると、これはどうしたことだ! 足元が踏み込めないほど手紙や新聞で一杯になつてゐる。
「して見ると、妻は、疾うにこの家にゐないのだな」
 さう呟くと、仁田君は溜らなくさびしくなつて來た。
 兎に角、座敷へ上つて、そこらをしらべたが、家財道具、簞笥の中の妻の衣類、すべてに異狀がない。仁田君はホツとして頬笑んだ次の瞬間、妻は、いつぞや話したところの本郷の兄のところへ行つてゐるにちがひないと氣がつくと、安心した。それ以上考へる必要がなくなつた。
 そこで、すつかり朝湯を使って、さつぱりした着物に着替へると、仁田君は妻戀ひしのあまりに、またぞろ省線電車に揺られて東京の彼女の兄の家といふのを訪づれたのであつた。
 ガタピシ云ふ染物屋の二階を上つてゆくと、妻と一人の若い男とが晝食の途中であつた。
「まあ、いつお帰りになつたの?」
 妻はびつくりして訊いた。
「今朝。家から出直して來たのだ。さびしかつたらう」
 仁田君の聲はなつかしさに震えてゐた。
 そこで、妻は仁田と兄とを引き合はせた。
「あなた、御飯は?」
「まだだよ」
「ぢや、この通り、汚いお膳ですけど、一膳いかゞ?」
「さうか! ぢや、御馳走になるかな」
 で、仁田君と妻の兄とは初對面に似合はず、いろいろと話を彈ませながら晝飯をすませた。
 仁田君は改めて部屋中を見廻した。成る程、妻がいつか云つた通り、妻の兄は隨分貧しいらしい。部屋には壁に袴が一つと帽子、机が一箇ある切りで、アトは何んにもなかつた。妻の兄は自炊のつらさを幾度も嘆いた。それを聞いて、仁田君はよろこばせるのはこの時とばかりに、
「ぢや、どうです? 一つそのこと、僕の家へ來てしまつたらどうです? その代り、出勤がちと辛いけれど、省線だから時間にしたら大してかゝりやしませんよ。どうです? さうすりや、飯はこの人が炊いてくれるし、僕だつていゝ話相手が出來ていゝといふもんだから」
 と、大いに親分を氣取つて、渡りに船のやうな話を持出した。
 しかし、兄は遠慮深かつた。妻も喜ぶと思ひの外、あんまり氣が進まないらしかつたが、さりとて惡い氣持のする筈がないのだつた。
「ねエ、さうしやうぢやないですか! そして、兄弟水入らずで、これから大いに働かうぢやないですか」
「さうですか。それほど仰有つてくださるのを無にするのも失禮ですから、ぢや、仁田さんの家へ同居させて戴きますかな」
「さあ、ぢや、善は急げといふことがある。明日にでも越したらどうです?」
「それもあんまり性急ですから、こゝへは今月一杯居ることにして、來月からおねがひしませう」
「それは御隨意に」
 といふわけで、それから間もなく、港町の山の手仁田君の家へ、妻君の兄は小やかな荷物を持つて引越して來た。
で、仁田君の家はこれまで夫婦水入らずの時とちがつて、兄貴が寝起きしてゐるのだが、義理と肉親とこそちがへ、かりにも彼女の兄といふのだから、少しもわだかまりなく三人仲よくくらしてゐたのである。
 ところが、(よく、ところが、を連發するが)實際、ところが、である!
 仁田君は又もや珍書を發行して巨利を博した。少くとも二十五六日間の回収豫定帰還に××圓は現金が飛び込んで來たから溜らない。妻君は又ぞろ「ねえ、あなた、買つて頂戴よヲ」が初まる。仁田君は盛大なるフエミニストでありサイノロジストであるところから、これ亦「うん、よし、よし」とばかりに、兄貴同伴で明日は野澤屋、今日は松屋と、やれ錦紗、やれお召と買ひ廻つてゐるうちに、縣警察部から「一寸來い」とやつて來た。
「なーに、直きかへつて來るよ。それに、兄さんがゐるから、こんどこそ僕は心配しないで行つてくるよ」
 仁田君は笑ひながら刑事と家を出て行つてしまつたまゝ、こんどは永い、二十九日留置とおいでなすつた。大體、留置処分はこの種のものに對しては一番×××が輕く、取調べも簡明にして容量を得てゐるが、縣でやられるとどこでも重い。
 それから、三十日目の朝、檻房から出されて、また久し振りで市電に乗つて、
「只今!」
 と威勢よく玄關外で聲をかけたが返事がない。よく見ると、またいつかのやうに錠が降りてゐる。やがて、錠を外づして玄關敷石の中へ這入ると、いつかのやうに手紙や新聞で足元が踏み込めなかつた―ということがない代りには、掃き清めた靴脱ぎ石の上に水莖の跡もいと危しげな一通の手紙が乗せられてあつたのである。
 仁田君、とり上げてよんで見ると、
 仁田小助様
 あたしは兄と一緒にこゝを出ます。二度とお目にはかゝ
 りません。お留守中五百圓ばかり現金が這入つて來まし
 たが、これは私が戴いてゆきます。それから、振替口座
 の方をしらべましたら、五百三十四圓七十五錢の帳尻に
 になつてゐましたから、とり敢へず四百三十四圓七十五錢
 也を引き出して、これは兄に持たせてやりました。百圓
 は殘してありますから、當分のお小遣ひにはお困りにな
 ることはないでせう。
 最後に、私の兄といふのは眞つ赤な僞りで、實は私の夫
 でございます。しかし、あなたにだつて私の純情を捧げ
 たことは、あなただけは知つてゐて下さるでせう。それ
 だけでも、あたしは何んだか罪が輕いやうな氣がします。
 では、左様なら。今後益々お仕事に精をお出しなさいま
 せ。たゞあんまり留置場などへ這入らないやうにお氣を
 附け下さい。
 女は、やつぱり、さびしいものですから。
                   貴 美 子 
「畜生ツ」
 仁田君ははじめて知る彼女の不埒に齒嚙みをして口惜しがつたが、もう追ひつくことぢやない。
 それから仁田君は四方八方、心當りはすべて訊ねてみたが、兩人の姿は杳としていまだに現はれないといふ話である。
世にもガツチリした女ではありませんか。
 兎に角、酢でも蒟蒻でも食へたものぢやないと云ふ珍書屋をペロリと一と口で喰つてしまつた手際なんか、とても駈け出しのそんぢよそこらのヤクザ女にや出來ない藝當である。

 

サイノロジストというと中国学者(シノロジスト)のことですが、ここでは「サイ(妻)ノロジスト(のろける人)」で愛妻家のことでしょうか。
また、西谷操は、新橋の逓信省貯金局に務めていたとき、本郷の二階家に下宿していたので、「兄さん」に西谷操の経歴をかぶせている可能性もあります。

「又もや珍書を發行して巨利を博した」本では、神奈川県警に留置されているので、横浜の書局梨甫で出した本と思われます。
一方、「×××」の伏せ字は「警視廳」でしょうか。東京だと、出版の発禁処分手続きもスムーズに処理されたようです。

 

文中の会話が陳腐で、題材に書き手の技量が追いついていないのが残念です。

このような事件が、ほんとうにこの文章の通り起こったとは思えませんが、西谷操が「珍書」の世界から離れた理由の一端が推測されます。

横浜に書局梨甫があった昭和4年(1929)の後、西谷操は、珍書の世界から離れ、その消息が分からなくなります。
その理由が売上げの持ち逃げ事件だとすれば、話は分かりやすくなります。
昭和4年の秋、『イヴオンヌ』の発禁拘留中に、収益1000円(現在の500万円ほど)を持ち逃げされ、 書局梨甫はにっちもさっちもいかなくなって、1年ほど姿を消すことになったということでしょうか。

昭和6年(1931)になると、横浜の立町の五十澤二郎のやぽんな書房に居候し、川上澄生『ゑげれすいろは』などの制作を手伝っていたようです。
そこで、新たに以士帖印社を立ち上げ、佐藤春夫の詩集『魔女』の制作を準備していたことは、佐藤春夫からの秋朱之介あて書簡で分かっています。

 

『談奇党』第3号 「珍書手帖覚書」のページから

▲『談奇党』第3号 「珍書手帖覚書」のページから

 書局梨甫發行

 事務所は横濱の本牧にあつた。上森(健一郎)の所に半歳程食客をして、直ちに上森の後援で「ウインの裸體クラブ」を出したときは無難だつたが、獨立してからは殆んど滿足に刊行したものはなく、そのまゝ潰滅した。
「ウインの裸體クラブ」昭和三年十二月、ジベリウス著(これも宮本〈良〉の出たらめの名前)西谷操譯(ほんとうの飜訳者は不明)發藻堂書院時代に上森後援の下に刊行。
「イヴオンヌ」昭和四年八月。フランスの珍書。メリイ・サツクイツト作。西谷操譯。
「ガミアニ伯夫人」昭和四年十月。アルフレ・ド・ミユツセ作。羽塚高成譯、中絶未刊。
その他二三發表したらしいがいづれも未刊。

殆んど滿足に刊行したものはなく、そのまゝ潰滅した」と、情け容赦ない描写です。

 

▲『談奇党』第3号 談奇党調査部「現代談奇作家版元人名録」から「西谷操」

▲『談奇党』第3号 談奇党調査部「現代談奇作家版元人名録」から「西谷操」
談奇党調査部「現代談奇作家版元人名録」から、西谷操の項目と、西谷操とかかわりのあった竹内道之助と神波勇藏の項目を引用します。

 西谷操

 彼れがこの方面へ實際的に關心を持ち出したのは、「變態資料」發刊に依つてゞある。彼れは「或るマソキストの詩」といふ一連の詩を編輯部に投書した。これがそのチヤンスである。不幸にしてその詩は掲載にならなかつたけれども、彼れはそれ以来、徐々に上森に近づいて行つた。
 彼れはその頃までは逓信省某課の吏員として實直に働いてゐたが、當時擡頭した獵奇界の隆成に幻惑されたものと見えて、暫くして上森の事務所へ起居するやうになり、間もなく吏員を止めて、専心この方面で活動することになり、そのスタートを上森後援の下に「ウイーンの裸體クラブ」で切つたのである。
 偶々、上森から山中直吉へ經營が移り、更に山中から宮本良にその經營が移つてからも、「南柯書院」其他で大いに活躍したが、後同書院から袖にされたのを機會に、神波勇藏と共に横濱本牧に書局「梨甫」を設立して、『イヴオンヌ』他數篇の刊行を企畫して相當に動いたが、神波との間に疎隔を生じて分れ、以後獨自でやつて見たがうまく行かず、遂に、罰金未納に依つて、横濱刑務所へ収容され服役、出所後は極めて元氣なく、その後の消息は杳としてわからない。彼れも亦宮本などと同じやうに、もう少し自分を知つて行動すべきではなかつたらうか?

昭和6年ごろ、「その後の消息は杳としてわからない」と、『談奇党』の執筆陣がいる「珍書屋」の世界から、西谷操は離れたことが分かります。

 

 竹内道之助

  彼れは元、藤澤衛彦氏の下に雜誌「傳説」の編輯をしてゐたことがある。偶々、藤澤氏が梅原の「文藝資料研究會編輯部」同人となつた關係から、福山福太郎氏を知り、この福山氏が「編輯部」の三字を除いた「文藝資料研究會」を設立して、上森の手に移つた「編輯部」と分離するや、同會に招かれて機關雜誌「奇書」の編輯に關與し大いに活躍した。
學歷は詳にすることが出來ないが、性頗る重厚で寡言、ちよつと取ツつきにくい男であるが、頭も相當よく、なかなかの活動家である。
その後、福山氏が同研究會を解散するや、血縁の力強い後援を得て「風俗資料刊行會」を起して、酒井潔、原比露志、佐藤紅霞などの大物を同情者に迎えて、雜誌「デカメロン」を月刊し、傍ら、秀れた各種出版物を刊行してゐる。

竹内道之助(1902~1980)は、昭和8年(1933)、三笠書房を立ち上げるとき、編集者・装釘者として秋朱之介(西谷操)を招き、『書物』誌編集をまかせます。三笠書房の創立当初、発行名義人が、竹内富子になっているのは、竹内道之助の珍書出版の前歴のためと思われます。

 

 神波勇藏

 この人は元山中直吉が西洋家具商をしてゐた時の事務員であつた。山中が「文藝資料研究會編輯部」他二社を上森から引き繼いだ後も、彼れは出版の方へは手を入れなかつた。ところが、偶々、大彈壓のために山中が出版事業を宮本君に引き繼いだ時、宮本は彼れの座胸の好さと机帳面さとに惚れて入社を勸誘した。彼れの軟派出版界のスタートはこの時切らしたのである。以來、宮本は彼れの事務的才能に惚れ抜いてゐたが、青山倭文二のために内部的統率を失ひかけた宮本が、突如として解散を宣したので、これを機會に西谷操とゝもに獨立して書局「梨甫」を起して、まづ「イヴオンヌ」を刊行した。後、西谷と別れて現在では弟の彬君と水入らずで營業してゐるやうだが、大分以前とは方針を變へたらしいやうである。未だ無妻の好男子。母や弟妹を抱へて一生懸命に働いてゐるところ、流石に越後人の氣質に背かない。

西谷操とともに、横浜で書局梨甫を立ち上げた神波勇藏のその後については不明です。

 

    

神波勇藏については、ひとつ、珍品が手もとにあります。

『SITTENGESCHICHTE DES INTINE』01

『SITTENGESCHICHTE DES INTINE』02

『SITTENGESCHICHTE DES INTINE』03

▲『SITTENGESCHICHTE DES INTINE』(1930年)

「INTINE」は、誤植というか、「INTIMEN」ではないかと思われます。

『SITTENGESCHICHTE』というと、光文社や角川文庫に安田徳太郎(1898~1983)の翻訳があったエドゥアルト・フックス(Eduard Fuchs、1870~1940)の『風俗の歴史(Illustrierte Sittengeschichte)』(1909~1912)が思い起こされますが、これは、レオ・シドロヴィッツ(Leo Schidrowitz、1894~1956)の『Sittengeschichte』(全8巻)から、特に『Sittengeschichte des Intimen』(閨房風俗史)の巻の、女性の下着やコルセット、寝室の図版を無断借用して、複写し印刷し、一枚一枚貼り込みにして帙におさめ、通販の「珍書」として販売したものではないかと思われます。
モノクロの図版が27枚おさめられていました。これがすべて揃ったものなのかどうか分かりません。

戦前はフックスの『風俗の歴史』も発禁書でしたので、こうしたものでも、ドキドキして購入する人がいたのでしょう。

 

『SITTENGESCHICHTE DES INTINE』奥付

▲『SITTENGESCHICHTE DES INTINE』奥付
詩泉社には、ほかの刊行書目が存在するのでしょうか。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

『Coxhill / Miller. Miller / Coxhill.』(1973年、Caroline)01

『Coxhill / Miller. Miller / Coxhill.』(1973年、Caroline)02

今日は、刺激の強い本だったので、心が落ちつく音楽が聴きたくなります。

英Virgin傘下の廉価版レーベルCarolineから出た、『Coxhill / Miller. Miller / Coxhill.』(1973年、Caroline)。
キーボード奏者のスティーヴ・ミラー(Steve Miller、1943~1998)とサックス奏者ロル・コックスヒル(Lol Coxhill、1932~2012)の2人アルバム。
2人とも鬼籍に入りました。

廉価版レーベルなので予算も少なく、ジャケットはモノクロ、ラベル2色刷ですが、2人のポートレイト写真も文字組みも素敵です。
幸い、ジャケットに英国盤らしいコーティングをする予算はあったようです。

 

一度お金が足りないとき、カセットテープに録音して、中古レコード屋さんに売ったのですが、そのカセットテープは繰り返し聴きました。

結局、アナログ盤を買い直すことになりました。

 

Side 1ラベル Miller / Coxhill

▲Side 1ラベル Miller / Coxhill
「Chocolate Field」、お葬式で、かけてほしいくらいです。

 

Side 1ラベル Miller / Coxhill02

▲Side 2ラベル Coxhill / Miller

2007年に、2枚目のアルバム『The STORY SO FAR..... / .....OH REALLY?』とカップリングで、Cuneiformレーベルから、CD再発もされています。

 

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321. 1897年の『ペイジェント(The Pageant)』(2020年9月26日)

1897年の『ペイジェント(The Pageant)』表紙


『ペイジェント(The Pageant)』は、出版社が表紙を装幀しています。サーモン色というかラヴェンダー色(薄紫色)のクロスに6つの「鳩とオリーブ」が箔押しされたものが一般的のようです。
前回
紹介した、茶色クロスの『ペイジェント(The Pageant)1896』が作られた時期は、はっきり分かりません。本文自体は同じものです。

そして、その『ペイジェント(The Pageant)1896』に続き、翌年のクリスマス前に『ペイジェント(The Pageant)1897』が刊行されました。
版元は、ロンドンのヘンリー(Henry & Co.)。
印刷は、T. & A. コンスタブル(T. And A. Constable)。
最後のページでは、ハーフトーン図版制作のThe Swan Electric Engraving Companyの名が、前面に出されています。

『ペイジェント(The Pageant)1897』の最初に刊行されものの表紙は、1896年版と同じく、チャールズ・リケッツ(Charles Ricketts、1866~1931)がデザインした「鳩とオリーブ」が6つ箔押しされていて、写真のものとは違います。
これは、表紙を差し替えた版のようです。天地と小口は裁ち落とされ、赤く染められています。
どういう経緯で表紙が異なる版がつくられたのか、分からないのですが、『ペイジェント(The Pageant)』は、この2号で終わりました。

表紙は差し替えられていますが、本文の内容は「鳩とオリーブ」表紙のものと同じです。
ただし、この版では、最初の版にあった「序文(FOREWORD)」がなくなっています。

そこには、次のように、最初の版にあった表紙カヴァーや、表紙のデザイナーの名前が書かれていたため、はぶかれたようです。

THE OUTER WRAPPER IS DESIGNED BY GLEESON WHITE, THE CLOTH BINDING BY CHARLES RICKETTS, THE END-PAPERS BY LUCIEN PISSARRO.〈表紙カヴァー(THE OUTER WRAPPER)のデザインは、グリーソン・ホワイト、クロス表紙のデザインは、チャールズ・リケッツ、見返しのデザインは、ルシエン・ピサロ。〉

カヴァー付きのものは稀少で、実物を見たことはありませんが、表紙カヴァー(ダストラッパー)のデザインは、文芸編集担当のJ・W・グリーソン・ホワイト(Joseph William Gleeson White、1851~1898)がデザインしたものです。クリスマスを意識したのか、赤と緑を使って「ペイジェント(旗の行列)」を見え隠れさせている多色木版で、エドモンド・エヴァンス(Edmund Evans、1826~1905)制作とされます。本の世界の導入になる、魅力的な表紙カヴァーです。

この表紙カヴァー(THE OUTER WRAPPER)は、「YELLOW NINETIES 2.0」のサイトや、Paul van Capelleveenのブログ「Charles Ricketts & Charles Shannon」で見ることができます。

表紙カヴァー(ダストラッパー)・表紙・見返しのデザイナー名が記載されているのは、だれの作か分からないものが多い19世紀の本として、画期的でもあります。
表紙カヴァー・表紙・見返し・本文全体を見通した全体的な「ブック・デザイン」がなされていたと思われます。
そういう面では、20世紀的な本なのかもしれません。

残念ながら、この差し替え版のアールヌーヴォー的な草の曲線が特徴的な絵を、だれが描いたのか、記載はありません。
19世紀の無名へ一歩後退です。

 

『ペイジェント(The Pageant)1897』見返し

▲『ペイジェント(The Pageant)1897』見返し
『ペイジェント(The Pageant)1896』と同じ、ルシエン・ピサロ(Lucien Pissarro、1863~1944)によるデザイン。

 

『ペイジェント(The Pageant)1897』の口絵とタイトルページ

▲『ペイジェント(The Pageant)1897』の口絵とタイトルページ
口絵は、フランスの画家ギュスターヴ・モロー(Gustave Moreau、1826~1898)の「ヘラクレスとヒュドラ」。
モノクロのハーフトーン印刷。カラー図版に慣れた目を、わくわくさせる図版ではありません。
この号では、グリーソン・ホワイトが「ギュスターヴ・モローの絵画」を寄稿していています。

 

『ペイジェント(The Pageant)1897』目次

『ペイジェント(The Pageant)1897』目次

▲『ペイジェント(The Pageant)1897』目次
この時代の流儀なのか、「LITERARY CONTENTS」と「ART CONTENTS」の2つに分かれています。
ほとんどの図版を制作したThe Swan Electric Engraving Companyの、絵画複製技術の見本のような面もあったようです。

美術の本に写真図版が使われるのが当たり前になってきたのは、このころです。

 

『ペイジェント(The Pageant)1897』の本文見開き

▲『ペイジェント(The Pageant)1897』の本文見開き
右ページは、マックス・ビアボーム(Max Beerbohm、1872~1856)のファンタジー「YAI AND THE MOON」の冒頭。
「日本」を舞台にしたジャポニズム小説です。
舞台は「江戸湾(The Bay of Yedo)」にある「Hoakami」という村、そこの村長「Umanosuké」の娘「Yai」の恋物語です。「Yai」には、「Oiyâro」の息子で、大学を優秀な成績で出て科学的思考の持ち主の許嫁・求婚者「Umanosuke」がいるのですが、結婚の前日、「Yai」は、ほんとうに恋するもののもとへ行こうとして……、というお話です。
マックス・ビアボームは、これらの名前をどこから仕込んだのでしょうか。

 

『ペイジェント(The Pageant)1897』に収録された、ルシアン・ピサロの木版

▲『ペイジェント(The Pageant)1897』に収録された、ルシエン・ピサロの木版
ハーフトーン印刷の複製図版が続くなか、5色の多色木版で刷られた図版は新鮮です。
エドモンド・エヴァンス(Edmund Evans、1826~1905)制作とされます。

 

『ペイジェント(The Pageant)1896』『ペイジェント(The Pageant)1897』2冊を手にして、気になったのが本の重さです。
試しに測ってみたら、1128gと1206g、2冊とも1kgを超えていました。ちょっと重すぎます。

この本には、「軽さ」も必要だったと感じたので、日本製の紙が使えていたらな、と思ってしまいます。


 拾い読み・抜き書き

THE STEVENS-NELSON PAPER CORPORATION Price List

第56回 1953年ごろの『スティーヴンス=ネルソン社の紙見本帖』(2013年1月31日)」で簡単に紹介した、スティーヴンス=ネルソン社(THE STEVENS-NELSON PAPER CORPORATION)日本紙など高級紙を輸入していた会社で、戦前は、「Japan Paper Company」という名前で、「日本紙」を名乗っていました。
『見本帖』には、1953年7月の「Price List」も挟まっていました。第56回で紹介したリストと重なりますが、「Price List」に載っている日本紙と思われるものもリストアップしてみます。

 Goyu
 Hanakurabe
 Hosho
 Inomachi
 Kinwashi
 Kitakata
 Kochi
 Mokuroku
 Moriki White Laid
 Natsume No.4002 no.4007 No.5000 No.5000A No.5001 No.5002 No.5003 No.5004 No.5017 No.5019 No.5020 No.5023 No.5024
 Okawara
 Omi
 Sekishu
 Shizuoka Vellum No.0 No.1 No.2 No.3
 Shogun
 Tokugawa
 Toyogami
 Tsuyuko
 Unryu

これらの紙のことを追っていくことができたら、別の本の歴史の扉が開けるような気がします。


〉〉〉今日の音楽〈〈〈

小川美潮「おかしな午後/窓」(2020年、Sony Music Direct)ジャケット

小川美潮「おかしな午後/窓」(2020年、Sony Music Direct)A面

小川美潮「おかしな午後/窓」(2020年、Sony Music Direct)B面

小川美潮「おかしな午後/窓」(2020年、Sony Music Direct)

1990年の素晴らしいアルバム、小川美潮『4 to 3』(Epic Sony)から、「おかしな午後」「窓」が選ばれて、7インチのドーナツ盤になりました。

1990年ぐらいになると、アルバムは、CDとアナログ盤の両方で出されることなく、CDだけ出ることが多くなり、『4 to 3』に収録された曲がアナログ盤になるのは、はじめてです。

せっかくアナログ盤を出すのなら、アルバム『4to3』すべてをアナログ盤にしてもらいたかったのですが、無理だったのでしょうか。
『4 to 3』は、10曲収録されて、収録時間は、52分11秒。
「デンキ」「Four to Three」「夜店の男」「野ばら」「On the Road」5曲で、25分47秒。
「記憶」「ほほえみ」「天国と地獄」「窓」「おかしな午後」5曲で、26分22秒。
LP1枚におさめるには、ちょっと窮屈でしょうか。

アルバムの収録時間も、アナログ盤LPだと、A面B面で合わせて40分、CDだと60分という感じになったのも、1990年ごろからでしょうか。

 

『4 to 3』は、まちがいなくアナログ盤があったほうがいいアルバムですが、CDというフォーマットでも、パッケージを含めて、ひとつの完成形でした。

 

小川美潮『4 to 3』(1990年、Epic Sony)

小川美潮『4 to 3』(1990年、Epic Sony)

 

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320. 1896年の『ペイジェント(The Pageant)』(2020年9月20日)

1896年の『ペイジェント』表紙

319. 2020年の台風一過(2020年9月7日)

多賀山椎の実

318. 1937年のモーゼス・スーパー・ファイン(2020年8月21日)

1937年のモーゼス・スーパー・ファイン01

317. 1988~2003年の『青い花』(2020年8月5日)

1988~2003年の『青い花』

316. 1986年のやまぐち・けい『詩文集 白い樹とサモワール』(2020年8月4日)

1986年のやまぐち・けい『詩文集 白い樹とサモワール』

315. 1993年の青山毅『島尾敏雄の本』(2020年7月19日)

1993年の青山毅『島尾敏雄の本』表紙

314. 1934年のアンドレ・ジイド著 淀野隆三訳『モンテエニユ論』(2020年6月21日)

1934年のアンドレ・ジイド著 淀野隆三訳『モンテエニユ論』

313. 1933年の秋朱之介装釘・梶井基次郎『檸檬』(2020年6月10日)

1933年の秋朱之介装釘・梶井基次郎『檸檬』

312. 1973年の『詩稿』24(2020年6月2日)

1973年の『詩稿』24 表紙

311. 1951年の日夏耿之介『明治大正詩史』改訂増補版(2020年5月31日)

1951年の日夏耿之介『明治大正詩史』改訂増補版01 1951年の日夏耿之介『明治大正詩史』改訂増補版02

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310. 1972年のエドワード・ゴーリー『アンフィゴーリー』(2020年5月28日)

エドワード・ゴーリー『アンフィゴーリー』01

309. 2000年の『map』(2020年5月28日)

2000年の『map』

308. 1993年のピート・フレイム『ロック・ファミリー・ツリー完全版』(2020年5月14日)

1993年のピート・フレイム『ロック・ファミリー・ツリー完全版』4冊

307. 1933年の三笠書房の《鹿と果樹》図(2020年4月30日)

1933年の三笠書房の《鹿と果樹》図

306. 1973年の「カンタベリー・ファミリー・ツリー」(2020年4月22日)

1973 THE INCESTUOUS TALES OF CANTERBURY HEADS and sundry country cousins, urban ‘erberts, and Australian nomads

305. 1985年の『星空に迷い込んだ男 - クルト・ワイルの世界』(2020年4月14日)

1985年の『Lost In the Stars - The Music of Kurt Weill』

304. 2010年の『ロンドン・パタフィジック協会会報』第1号(2020年4月4日)

2010年の『ロンドン・パタフィジック協会会報』第1号

303. 1976年の別役実『虫づくし』(2020年3月15日)

1976年の別役実『虫づくし』表紙

302. 1973年の『詩稿 25』と1976年の『詩稿 32』(2020年3月7日)

1973年の『詩稿 25』と1976年の『詩稿 32』

301. 1911年のヘンリー・P・ブイ『日本画の描法』(2020年2月19日)

1911年のヘンリー・P・ブイ『日本画の描法』

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300. 1954年ごろの村 次郎自筆『風の歌』ほか6つの異版(2020年2月15日)

1954年ごろの村 次郎自筆『風の歌』ほか6つの異版

299. 1982年のチャクラ『さてこそ』雑誌広告(2020年1月25日)

1982年のチャクラ『さてこそ』の雑誌広告

298. 2020年1月1日の桜島

2020年1月1日の桜島01

297. 1996年~(未完)の『THE PRINTED HEAD』第4巻(2019年12月31日)

1996年~(未完)の『THE PRINTED HEAD』第4巻

296. 1993年~1996年の『THE PRINTED HEAD』第3巻(2019年12月30日)

1993年~1996年の『THE PRINTED HEAD』第3巻外箱

295. 1992・1993年の『THE PRINTED HEAD』第2巻(2019年12月27日)

1992・1993年の『THE PRINTED HEAD』第2巻

294. 1990・1991年の『THE PRINTED HEAD』第1巻(2019年12月26日)

1990・1991年の『THE PRINTED HEAD』第1巻外箱

293. 1943年の『書物展望』五月號(2019年12月9日)

1943年の『書物展望』五月號・駒村悼追號表紙

292. 1994年の江間章子『ハナコ』(2019年11月30日)

1994の江間章子『ハナコ』表紙カヴァー

291. 1994~1997年の『THE RēR QUARTERLY VOLUME 4』(2019年11月23日)

1994年の『ReR Records Quarterly Vol. 4 No.1』CD01

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290. 1989~1991年の『RēR RECORDS QUARTERLY Vol. 3』(2019年11月23日)

1989年の『RēR Records Quarterly Vol. 3 No.1』表ジャケット

289. 1987~1989年の『Rē RECORDS QUARTERLY Vol. 2』(2019年11月22日)

1987年の『Rē Records Quarterly Vol. 2』Vol1表ジャケ

288. 1989年のアルフレッド・ジャリ『DAYS AND NIGHTS』(2019年11月1日)

1989年の『DAYS AND NIGHTS』表紙

287. 1939年の『東京美術』(2019年10月24日)

1939年の『東京美術』16表紙

286. 1937年の『東京美術』(2019年10月23日)

1937年の『東京美術』12表紙

285. 1994年の渡辺外喜三郎「『カンナ』の流れとともに ―牧祥三先生の手紙―」(2019年10月13日)

渡辺外喜三郎「『カンナ』の流れとともに ―牧祥三先生の手紙」背

284. 1999年の鶴ヶ谷真一『書を読んで羊を失う』(2019年9月27日)

鶴ヶ谷真一の書物エッセイ

283. 2018年の龍星閣『澤田伊四郎 造本一路』と2019年の龍星閣『澤田伊四郎 造本一路 図録編』(2019年9月26日)

2018年の『澤田伊四郎 造本一路』と2019年の『澤田伊四郎 造本一路 図録編』

282. 1949年の鹿児島市清水町の写真(2019年9月23日)

1949年の鹿児島市清水町写真01

現在の清水町

281. 1947年の村松嘉津『プロヷンス隨筆』(2019年9月2日)

1947年の村松嘉津『プロヷンス隨筆』表紙

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280. 1938年のアーサー・ランサム『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』(2019年8月31日)

1938年のアーサー・ランサム『ツバメの谷(SWALLOWDALE)』表紙

279. 1978年の天沢退二郎『オレンジ党と黒い釜』(2019年8月30日)

1978年の天沢退二郎『オレンジ党と黒い釜』見返しの地図

278. 1973年の天沢退二郎『光車よ、まわれ!』(2019年7月24日)

1973年の天沢退二郎『光車よ、まわれ!』見返し

277. 1937年のアーサー・ランサム『海へ出るつもりじゃなかった』(2019年6月29日)

1937年のアーサー・ランサム『海へ出るつもりじゃなかった』見返しの地図

276. 1930年のアーサー・ランサム『ツバメ号とアマゾン号』(2019年6月28日)

SWALLOWS & AMAZONS(1932年12月の新装画版第3刷)見返しの地図

275. 1931年のケネス・グレアム『たのしい川べ』E・H・シェパードさし絵版(2019年6月22日)

1931年のケネス・グレアム『たのしい川べ』E・H・シェパードさし絵版見返し

274. 1930年のエリック・ギル旧蔵『THE FLEURON』第7号(2019年6月18日)

1930年のエリック・ギル旧蔵『FLEURON』第7号

273. 2014年の津原泰水『音楽は何も与えてくれない』(2019年5月25日)

2014年の津原泰水『音楽は何も与えてくれない』

272. 1987年の『みなみの手帖』第51号(2019年5月9日)

1987年の『みなみの手帖』第51号~54号

271. 1971年の『みなみの手帖』創刊号(2019年5月9日)

1971年の『みなみの手帖』創刊号~4号

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270. 1913年のラルフ・ホジソン詩集『THE MYSTERY』(2019年5月8日)

1913年のラルフ・ホジソン詩集『THE MYSTERY』表紙

269. 1928年の『ザ・バーリントン・マガジン』4月号(2019年4月7日)

『Burlington Magazine(バーリントン・マガジン)』の1928年4月号

268. 1936年の井上和雄『寶舩考(宝船考)』(2019年3月19日)

1936年の井上和雄『寶舩考』長田神社にて

267. 1939年の井上和雄『書物三見』(2019年3月18日)

1939年の井上和雄『書物三見』長田神社にて

266. 1947年の『詩學』11・12月號(2019年3月7日)

1947年の『詩學』11・12月號

265. 1992年の『児玉達雄詩十二篇』(2019年3月3日)

1992年の『児玉達雄詩十二篇』と1994年『第二収』

264. 1958年の『森の泉 作品集 8』(2019年3月2日)

1958年の『森の泉 作品集 8』表紙

263. 1973年ごろの村 次郎詩集『風の歌』筆写版(2019年3月1日)

1973年ごろの村次郎詩集『風の歌』筆写版表紙

262. 1956年の『対話』(2019年2月27日)

1956年~1959年の『対話』

261. 1971年の『浜田遺太郎詩集』(2019年2月26日)

1971年の『浜田遺太郎詩集』箱表紙

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260. 1971年の福石忍詩集『遠い星』(2019年2月25日)

1971年の福石忍詩集『遠い星』箱表紙

259. 1961年の『詩稿』1号(2019年2月24日)

1961年の『詩稿』1号2号3号

258. 1966年の『詩稿』10号(2019年2月22日)

1966年の『詩稿』10号表紙

257. 1967年の『詩と批評』11月号(2019年2月21日)

1967年の『詩と批評』11月号表紙

256. 1934年の秋朱之介の裳鳥会刊『棟方志功画集』広告(2019年2月7日)

1934年の秋朱之介の裳鳥会刊『棟方志功画集』広告

255. 1934年の有海久門詩集『人生を行く』(2019年2月6日)

1934年の有海久門詩集『人生を行く』箱と表紙

254. 2018年の「言語と美術――平出隆と美術家たち」展のフライヤー・リーフレット(2019年1月21日)

2018年の「言語と美術――平出隆と美術家たち」展のフライヤー・リーフレット

253. 1981年の『浮世絵志』復刻版(2019年1月21日)

大曲駒村編輯の『浮世絵志』復刻版

252. 2019年1月1日の桜島

2019年1月1日桜島早朝a

251. 1942年の昭南書房版・石川淳『山櫻』(2018年12月16日)

1942年の昭南書房版・石川淳『山桜』表紙

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250. 1986年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』予約購入者へのおまけ(2018年12月5日)

1986年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』予約購読者へのおまけ

249. 2013年のサジー・ローチェ文/ジゼル・ポター絵『バンドやろうよ?』(2018年11月14日)

Suzzy Roche & Giselle Potter『Want To Be In A Band?』表紙

248. 1984年のNovember Books『The Christmas Magazine』(2018年11月12日)

1985年のNovember Books『Christmas Magazine』(1984年)広告

247. 1934年の倉田白羊『雜草園』(2018年10月24日)

1934年の倉田白羊『雜草園』

246. 1980年の鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』(2018年10月4日)

1980年の鈴木清順『ツィゴイネルワイゼン』マッチ01

245. 1931年~1932年の『古東多万(ことたま)』目次(2018年9月29日)

『古東多万』の第一年第二號目次

244. 1931年『古東多万(ことたま)』第一號(2018年9月20日)

1931年『古東多万(ことたま)』第一號

243. 1931年~1932年の『古東多万』の紙ひも綴じと糸綴じ(2018年8月31日)

1931年『古東多万』第1号

242. 2018年の『PETER BLEGVAD BANDBOX』(2018年8月10日)

2018年の『PETER BLEGVAD BANDBOX』外箱01

241. 1942年の新村出『ちぎれ雲』(2018年7月23日)

1942年の新村出『ちぎれ雲』表紙

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240. 1935年の『The Dolphin』誌第2号(2018年7月23日)

1935年の『The Dolphin』誌第2号

239. 1960年の石邨幹子訳 マリイ・ロオランサン『夜たちの手帖』特製本(2018年7月13日)

1960年のマリイ・ロオランサン『夜たちの手帖』特装本と普通本

238. 1934年の木下杢太郎『雪櫚集』(2018年7月12日)

1934年の木下杢太郎『雪櫚集』

237. 1992年の岡澤貞行『日々是趣味のひと』(2018年6月22日)

1992年の岡澤貞行『日々是趣味のひと』箱表紙

236. 1981年の『清水卓詩抄』(2018年6月21日)

1981年の『清水卓詩抄』表紙

235. 1978年のゲーリー・スナイダー『亀の島』サカキナナオ訳 (2018年5月30日)

1978年のゲーリー・スナイダー『亀の島』サカキナナオ訳表紙

234. 1956年の山中卓郎『坂の上』(2018年5月11日)

1956年の山中卓郎『坂の上』表紙

233. 1936年の柳亮『巴里すうぶにいる』(2018年5月9日)

1936年の柳亮『巴里すうぶにいる』

232. 1956年の『POETLORE(ポエトロア)』第8輯(2018年4月30日)

1956年の『POETLORE(ポエトロア)』第8輯

231. 1960年の石邨幹子訳 マリイ・ロオランサン『夜たちの手帖』(2018年4月5日)

1960年のマリー・ローランサン『夜たちの手帖』

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230. 1983年の高野文子『おともだち』(2018年4月4日)

高野文子『おともだち』表紙とアンドレ・マルティ挿画の『青い鳥』

229. 1936年の堀口大學譯『マリイ・ロオランサン詩畫集』(2018年4月4日)

1936年の堀口大學譯『マリイ・ロオランサン詩畫集』

228. 1936年の東郷青児『手袋』(2018年3月27日)

1936年の東郷青児『手袋』

227. 1990年の江間章子『タンポポの呪咀』(2018年3月16日)

1990年の江間章子『タンポポの呪詛』

川内まごころ文学館「川内の生んだもう一人の出版人」秋朱之介関連新収蔵資料展示

226. 1934年の山口青邨『花のある隨筆』(2018年2月12日)

1934年の山口青邨『花のある隨筆』

225. 1934年の水原秋櫻子『定型俳句陣』(2018年2月12日)

1934年の水原秋櫻子『定型俳句陣』

224. 1934年の山口青邨『雜草園』(2018年2月12日)

1934年の山口青邨『雜草園』

223. 1933年の富安風生『草の花』(2018年2月12日)

1933年の富安風生『草の花』

222. 1943年の昭南書房版『かの子短歌全集 第一巻』(2018年1月28日)

1943年の昭南書房版『かの子短歌全集 第一巻』表紙

221. 2017年のピーター・ブレグヴァド『GO FIGURE』(2018年1月20日)

2017年のピーター・ブレグヴァド『Go Figure』

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220. 1990年のピーター・ブレグヴァド『King Strut』(2018年1月20日)

1990年のピーター・ブレグヴァド『King Strut』

219. 1983年のピーター・ブレグヴァド『The Naked Shakespeare』(2018年1月20日)

ピーター・ブレグヴァド『The Naked Shakespeare』

218. 鶴丸城跡堀のカワセミ(2018年1月1日)

鶴丸城跡堀のカワセミ01

217. 1936年の伸展社版『醉ひどれ船』ちらし(2017年12月30日)

1936年の伸展社版『醉ひどれ船』ちらし

216. 1869年の「稚櫻豊暐姫命塚」(2017年11月18日)

1869年の「綾御衣裏寧姫命塚」

215. 1813年の金剛嶺石碑(2017年11月18日)

1813年の金剛嶺石碑

214. 1667年のタンタドの観音石像(2017年11月18日)

1667年のタンタドの観音石像

213. 1981年のScritti Politti「The "Sweetest Girl"」(2017年11月6日)

1981 C81

212. 1903年の川上瀧彌・森廣『はな』(2017年10月29日)

1903年の川上瀧彌・森廣『はな』

211. 1982年のThe Ravishing Beauties「Futility」(2017年10月17日)

1982年Mighty Reel

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210. 1925年の西谷操「狼は吠える」(2017年10月8日)

1925年の西谷操「狼は吠える」

209. 1992年の『ホテル・ロートレアモン』(2017年9月15日)

1992年の『ホテル・ロートレアモン』

208. 1935年の堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』(2017年8月29日)

1935年の堀内敬三『ヂンタ以来(このかた)』

207. 2016年の『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』 ILLUSTRATED by PETER BLEGVAD(2017年8月17日)

『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』

206. 1931年の佐藤春夫『魔女』(2017年7月25日)

1931年の佐藤春夫『魔女』

205. 1985年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』の予約購読者へのおまけ(2017年6月27日)

1985年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』の予約購読者へのおまけ

204. 1985~1986年の『Rē Records Quarterly Vol. 1』(2017年5月28日)

Rē Records Quarterly Vol. 1 No.1 back

203. 1932年の池田圭『詩集技巧』(2017年4月27日)

1932年の池田圭『詩集技巧』表紙

202. 2011年の『Emblem of My Work』展カタログ(2017年4月3日)

2011年の『Emblem of My Work』展カタログ

201. 1928年の佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』(2017年3月17日)

1928年の佐佐木信綱・佐佐木雪子『竹柏漫筆』背

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200. 千駄木の秋朱之介寓居から小日向の堀口大學の家まで(2017年3月16日)

小日向の鷺坂

199. 2009年の『黒いページ』展カタログ(2017年2月14日)

2009年の『黒いページ』展カタログ

198. 1934年の『西山文雄遺稿集』(2017年1月31日)

1934年の『西山文雄遺稿集』

197. 1967年の『笑いごとじゃない』(2017年1月14日)

1972年の『笑いごとじゃない』

196. 2017年1月1日の桜島

2017年1月1日の桜島01

195. 1978年のキャシー・アッカーの声(2016年12月31日)

2016年Peter Gordon & David van Tieghem「Winter Summer」裏ジャケット

194. 1934年のポオル・ジェラルデイ著・西尾幹子訳『お前と私』(2016年12月19日)

1934年のポオル・ジェラルデイ著・西尾幹子訳『お前と私』

193. 1974年の富岡多恵子『壺中庵異聞』(2016年12月15日)

1974年の富岡多恵子『壺中庵異聞』

192. 1995年の峯村幸造『孤拙優游』(2016年11月30日)

1995年の峯村幸造『孤拙優游』

191. 1980年の今井田勲『雑誌雑書館』(2016年10月27日)

1980年の今井田勲『雑誌雑書館』箱表紙

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190. 1971年の『海』の表紙(2016年10月24日)

1971年の『海』01

189. 1975年の堀口九萬一著・堀口大學訳『長城詩抄』(2016年10月17日)

1975年の堀口九萬一著・堀口大學訳『長城詩抄』

188. 1936年の『木香通信』6月号(2016年9月26日)

1936年の『木香通信』六月号

187. 1936年のモラエス『おヨネと小春』(2016年9月4日)

1936年のモラエス『おヨネと小春』箱と表紙

186. 1927年の『藝術市場』―避暑地ロマンス号(2016年8月19日)

1927年の『藝術市場』

185. 1968年の天沢退二郎『紙の鏡』(2016年8月5日)

1968年の天沢退二郎『紙の鏡』

184. 1970年の天沢退二郎『血と野菜 1965~1969』(2016年8月4日)

1970年の天沢退二郎『血と野菜』

183. 1946年のダーウィン夫妻『イッシイブッシイとトップノット』(2016年7月29日)

1946年のダーウィン夫妻『イッシイブッシイとトップノット』

182. 1990年のジョン・グリーヴス『ローズ・セ・ラ・ヴィ』(2016年7月21日)

1990年のジョン・グリーヴス『ローズ・セ・ラ・ヴィ』

181. 1953年の片山廣子『燈火節』(2016年5月18日)

1953年の片山廣子『燈火節』

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180. 1907年の『シャナヒー』年刊版第2巻(2016年5月17日)

1907年の『シャナヒー』年刊版第2巻

179. 1906年の『シャナヒー』年刊版第1巻(2016年5月16日)

1906年の『シャナヒー』年刊版第1巻

178. 1904年の『アイルランドの丘で狩りをする妖精女王マブ』(2016年5月10日)

1904Queen Maeve

177. 1942年の野村傳四『大隅肝屬郡方言集』(2016年4月28日)

野村傳四『大隅肝屬郡方言集』表紙

176. 1926年ダックワース版のハドソン『緑の館』(2016年4月22日)

1926GreenMansions01

175. 1948年のバーナード・ダーウィン『のんきな物思い』(2016年3月17日)

1948Every Idle Dream

174. 1989年の天沢退二郎詩集『ノマディズム』(2016年2月23日)

1989年の天沢退二郎詩集『ノマディズム』

173. 1946年と1956年の『折々のナーサリーライム』(2016年2月18日)

1946年と1956年の『折々のナーサリーライム』

172. 1935年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏と仲間たち』(2016年1月24日)

1935年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏と仲間たち』表紙

171. 桜島雪景色(2016年1月24日)

2016年1月24日桜島雪景色

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170. 1927年のダーウィン夫妻『トゥトロ・トゥ』(2016年1月18日)

1927年のダーウィン夫妻『トゥトロ・トゥ』表紙

169. 1966年の天沢退二郎『時間錯誤』(2016年1月17日)

1966年の天沢退二郎『時間錯誤』表紙

168. 1925年のダーウィン夫妻『トゥトロ氏のおはなし』(2016年1月12日)

1925 The Rale Of Mr Tootleoo 表紙

167. 2016年1月1日の桜島

2016年1月1日桜島

166. 1964年のミス・リード編『カントリー・バンチ』(2015年12月31日)

1964 Miss Read Country Bunch

165. 1924年のジェフリー・ケインズ『サー・トマス・ブラウン書誌』(2015年12月12日)

A BIBLIOGRAPHY OF SIR THOMAS BROWNE

164. 1975年のAllen Toussaint 『Southern Nights』(2015年11月16日)

1975 Allen Toussaint Southern Nights

163. 1968年の松下竜一『豆腐屋の四季』(2015年11月11日)

1968松下竜一『豆腐屋の四季』

162. 1963年の天沢退二郎詩集『夜中から朝まで』(2015年11月10日)

天沢退二郎詩集『夜中から朝まで』

161. 1984年の品川力『本豪落第横丁』(2015年10月1日)

1984年の品川力『本豪落第横丁』

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160. 2015年のユニティー・スペンサー『アーチストになれて運がよかった』(2015年9月30日)

Unity Spencer『Lucky to be an Artist』

159. 1961年の天沢退二郎詩集『朝の河』(2015年8月30日)

1961年天沢退二郎詩集『朝の河』表紙

158. 1972年の『天澤退二郎詩集』(2015年8月29日)

1972天澤退二郎詩集外箱

157. 初夏の七郎すもも(2015年7月24日)

七郎すもも01

156. 1979年のPeter Gabriel「Here Comes The Flood」(2015年7月23日)

1979 Peter Gabriel Here Comes the Flood

155. 1940年の松崎明治『ANGLING IN JAPAN (日本ノ釣)』(2015年6月18日)

1940 ANGLING IN JAPAN Cover

154. 2000年のクリンペライ『不思議の国のアリス』ジャケット(2015年4月25日)

2000 Klimperei Alice au Pays des Merveilles

153. 2012年のデヴィッド・アレン『サウンドバイツ 4 ザ レヴェレイション 2012』(2015年3月18日)

soundbites 4 tha reVelation 2012_cover

152. 2012年のダンカン・ヘイニング『トラッドダッズ、ダーティボッパー、そしてフリーフュージョニアーズ』(2015年3月16日)

Trad Dads, Dirty Boppers And Free Fusioneers

151. 1976年のキリル・ボンフィリオリ『Something Nasty In The Woodshed』(2015年1月29日)

1976Bonfiglioli_Something Nasty

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150. 1949年の七高文藝部『啓明』最終刊号(2015年1月18日)

1949年の七高文藝部『啓明』最終刊号

149. 1995年ごろの片岡吾庵堂さん作「翔び鶴」(2015年1月10日)

片岡吾庵堂さんの翔び鶴

148. 1937年のダグラス・コッカレル『製本』(2015年1月5日)

1937Douglas Cockerell_Bookbinding01

147. 2015年1月1日の桜島

2015年1月1日桜島01

146. 1984年のジョージ・オーウェル『1984年』ファクシミリ版(2014年12月30日)

1984Orwell_dustwrapper

145. 1974年の天澤退二郎詩集『譚海』(2014年12月29日)

1974天澤退二郎詩集『譚海』

144. 2001年の岩田宏『渡り歩き』(2014年12月26日)

2001年岩田宏『渡り歩き』

143. 1980年の岩元紀彦監修『追悼文集 伯父 岩元禎』(2014年12月1日)

岩元紀彦監修『追悼文集 伯父 岩元禎』

142. 1985年のエドワード・リア回顧展カタログ(2014年10月7日)

1985Edward Lear01

141. 1977年の辻邦生『夏の海の色』(2014年8月29日)

辻邦生『夏の海の色』

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140. 1974年のロバート・ワイアット『ロック・ボトム』(2014年7月26日)

1974Wyatt_Rock Bottom01

139. 1998年の『河原温 全体と部分 1964-1995』展カタログ(2014年7月16日)

1998河原温_表紙

138. 1913年の半仙子『日當山侏儒戯言』(2014年6月30日)

1913半仙子『日当山侏儒戯言』表紙

137. 1917年の加藤雄吉『尾花集』(2014年6月27日)

1917加藤雄吉_尾花集_表紙

136. 1929年の島津久基『羅生門の鬼』(2014年6月12日)

1929島津久基_羅生門の鬼_箱

135. 1943年の『FLEURON』誌刊行20周年記念に催された食事会のメニュー(2014年4月25日)

1943年『Fleuron』誌20周年昼食会メニュー01

134. 1995年の平田信芳『石の鹿児島』(2014年2月27日)

平田信芳_石の鹿児島

133. 1983年のリチャード・カーライン回顧展カタログ(2014年2月8日)

1983Richard Carline_catalogue

132. 1971年のリチャード・カーライン『ポストのなかの絵』第2版(2014年1月26日)

1971Carline_Post

131. 1994年のウィリー・アイゼンハート『ドナルド・エヴァンスの世界』(2014年1月7日)

1994DonaldEvans_cover

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130. 1978年の雅陶堂ギャラリー「JOSEPH CORNELL展」カタログ(2014年1月5日)

1978Cornell_雅陶堂_cover

129. 2014年1月1日の日の出(2014年1月1日)

2014年1月1日桜島の日の出01

128. 2010年の『クラシック・アルバム・カヴァー』(2013年12月11日)

2010Classic Album Cover_Royal Mail

127. 1934年の『藝術家たちによる説教集』(2013年12月1日)

1934Sermons by Artists_表紙

126. 1926年の南九州山岳會編『楠郷山誌』(2013年11月27日)

1926楠郷山誌_箱表紙

125. 1924年の第七高等学校造士館旅行部『南溟』創刊号(2013年11月26日)

1924南溟_表紙

124. 1974年の講談社文庫版『復興期の精神』(2013年11月17日)

1974年_花田清輝_復興期の精神

123. 1924年の箱入りの志賀直哉『眞鶴』と木村荘八『猫』(2013年11月9日)

1924志賀直哉_真鶴_木村荘八_猫_箱と表紙

122. 1912年ごろのスレイド美術学校のピクニック集合写真(2013年10月17日)

1912 Slade picnic

121. 1929年のアーサー・ウェイリー訳『虫愛づる姫君』(2013年10月8日)

1929Wale_The Lady Who Loved Insects_cover

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120. 2004年の『妄想フルクサス』(2013年9月30日)

2004Mousou Fluxus_cover01

119. 1937年のアーサー・ウェイリー訳『歌の本』(2013年9月22日)

1937_54_Waley Book of Songs

118. 1984年のガイ・ダヴェンポート『「りんごとなし」とその他の短編』(2013年9月12日)

1984Davenport_Apples & Pears

117. 1953年のゴードン・ボトムレイ『詩と劇』(2013年9月10日)

1953GordonBottomley

116. 1905年のゴードン・ボトムレイ『夏至の前夜』(2013年9月9日)

1905MidsummerEve_cover

115. 1985年の『さようなら、ギャングたち』(2013年7月31日)

1985So Long Gangsters

114. 1972年の島尾敏雄『東北と奄美の昔ばなし』(2013年7月14日)

1972東北と奄美の昔ばなし詩稿社

113. 1976年の『ジョセフ・コーネル・ポートフォリオ』(2013年7月4日)

1976Joseph Cornell Portfolio01

112. 1958年のエリナー・ファージョン『想い出のエドワード・トマス』(2013年6月26日)

1958Farjeon_Thomas_Oxford

111. 1887年のローレンス・オリファント『ファッショナブルな哲学』(2013年6月15日)

1887Oliphant_Fashionable Philosophy_cover

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110. 1938年の『聖者の物語』(2013年6月12日)

1938Marty_Histoire Sainte_cover

109. 1975年のハットフィールド・アンド・ザ・ノース『ザ・ロッターズ・クラブ』(2013年6月4日)

1975Hatfield and the North_The Rotters' Club

108. 1982年のアン・テイラー『ローレンス・オリファント 1829-1888』(2013年5月26日)

1982Anne Taylor_Laurence Oliphant

107. 1971年のドナルド・バーセルミ『ちょっとへんてこな消防車』(2013年5月16日)

1971Barthelme_fire engine

106. 1991年のウィリアム・ギブスン&ブルース・スターリング『ディファレンス・エンジン』(2013年5月10日)

1991THE DIFFERENCE ENGINE

105. 1992年の『五代友厚・寺島宗則・森有礼』(2013年5月8日)

1992reimeikan_mori arinori

104. 1957年の木山捷平『耳學問』(2013年4月28日)

1957Kiyama Shouhei Mimigakumon

103. 1924年のエドワード・ゴードン・クレイグ『木版画と覚書』(2013年4月23日)

1924 Gordon Craig Woodcuts cover 01

102. 1957年のエドワード・ゴードン・クレイグ『わが生涯の物語へのインデックス』(2013年4月17日)

1957Index_Gordon Craig

101. 1900年ごろのホフマン『英語版もじゃもじゃペーター』(2013年4月8日)

1900Struwwelpeter_cover

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100. 1959年の『グウェン・ラヴェラの木版画』(2013年3月26日)

1959Raverat_wrapper

99. 1977年の『レイノルズ・ストーン木版画集』(2013年3月24日)

1977ReynoldsStone_titlepage

98. 1981年の『九百人のお祖母さん』(2013年3月23日)

1981_900grandmothers

97. 1938年の『風車小屋だより』(2013年3月19日)

1938Daudet_Moulin_cover

96. 1935年の『薩藩の文化』(2013年3月13日)

1935Satsuma_bunka_cover

95. 1981年の『土曜日の本・傑作選』(2013年3月12日)

1981SaturdayBook_wrapper

94. 1975年の『土曜日の本』(2013年3月11日)

1975SaturdayBook_wrapper

93. 1973年の『土曜日の本』(2013年3月10日)

1973SaturdayBook_wrapper

92. 1972年の『土曜日の本』(2013年3月9日)

1972SaturdayBook_box_wrapper

91. 1971年の『土曜日の本』(2013年3月8日)

1971SaturdayBook_wrapper

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90. 1970年の『土曜日の本』(2013年3月7日)

1970SaturdayBook_wrapper

89. 1969年の『土曜日の本』(2013年3月6日)

1969SaturdayBook_box_wrapper

88. 1968年の『土曜日の本』(2013年3月5日)

1968SaturdayBook_box_wrapper

87. 1967年の『土曜日の本』(2013年3月4日)

1967SaturdayBook_wrapper

86. 1966年の『土曜日の本』(2013年3月3日)

1966SaturdayBook_box_wrapper

85. 1965年の『土曜日の本』(2013年3月2日)

1965SaturdayBook_wrapper

84. 1988年のケヴィン・エアーズのライブ(2013年3月1日)

1978KevinAyers_RainbowTakeaway

83. 1964年の『土曜日の本』(2013年2月28日)

1964SaturdayBook_wrapper

82. 1963年の『土曜日の本』(2013年2月27日)

1963SaturdayBook_wrapper

81. 1962年の『土曜日の本』(2013年2月26日)

1962SaturdayBook_wrapper

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80. 1961年の『土曜日の本』(2013年2月25日)

1961SaturdayBook_box_wrapper

79. 1960年の『土曜日の本』(2013年2月24日)

1960SaturdayBook_wrapper

78. 1959年の『土曜日の本』(2013年2月23日)

1959SaturdayBook_box_wrapper

77. 1958年の『土曜日の本』(2013年2月22日)

1958SaturdayBook_box_wrapper

76. 1957年の『土曜日の本』(2013年2月21日)

1957SaturdayBook_box_wrapper

75. 1956年の『土曜日の本』(2013年2月20日)

1956SaturdayBook_box_wrapper

74. 1955年のオリーヴ・クックとエドウィン・スミス『コレクターズ・アイテム』(2013年2月19日)

1955CollectorsItems_wrapper

73. 1955年の『土曜日の本』(2013年2月18日)

1955SaturdayBook_box_wrapper

72. 1954年の『土曜日の本』(2013年2月17日)

1954SaturdayBook_box_wrapper

71. 1953年の『土曜日の本』(2013年2月16日)

1953SaturdayBook_wrapper

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70. 1952年の『土曜日の本』(2013年2月15日)

1952SaturdayBook_wrapper

69. 1951年の『土曜日の本』(2013年2月14日)

1951SaturdayBook_wrapper

68. 1951年の『現代の本と作家』(2013年2月13日)

1951ModernBooksWriters_cover

67. 1950年の『土曜日の本』(2013年2月12日)

1950SaturdayBook_wrapper

66. 1949年の『土曜日の本』(2013年2月11日)

1949SaturdayBook_wrapper

65. 1948年の『土曜日の本』(2013年2月10日)

1948SaturdayBook_wrapper

64. 1947年の『土曜日の本』(2013年2月9日)

1947SaturdayBook_wrapper

63. 1946年の『土曜日の本』(2013年2月8日)

1946SaturdayBook_wrapper

62. 1945年の『土曜日の本』(2013年2月7日)

1945SaturdayBook_wrapper

61. 1944年の『土曜日の本』(2013年2月6日)

1944SaturdayBook_cover

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60. 1943年の『土曜日の本』(2013年2月5日)

1943SaturdayBook_wrapper

59. 1942年の『土曜日の本』(2013年2月4日)

1942SaturdayBook_cover

58. 1936年の『パロディ・パーティー』(2013年2月3日)

1936ParodyParty_cover

57. 1941年の『土曜日の本』(2013年2月2日)

1941SaturdayBook_rapper

56. 1953年ごろの『スティーヴンス=ネルソン社の紙見本帖』(2013年1月31日)

1953Specimens_cover

55. 1945年の岸田日出刀『建築學者 伊東忠太』(2013年1月29日)

1945Kishida_Ito Chuta

54. 1912年のチャールズ・T・ジャコビの『本と印刷についての覚書』(2013年1月27日)

1912CTJacobi_Books and Printing

53. 1903年の岡倉覚三『東洋の理想』(2013年1月26日)

1903Okakura_The Ideals Of The East

52. 1895年のウィリアム・モリス『世界のかなたの森』(2013年1月25日)

1895Morris_WoodBeyondTheWorld_title

51. 1969年ごろの『モノタイプ社印刷活字見本帖』(2013年1月23日)

1969MonotypeSpecimen

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50. 1958年の小沼丹『黒いハンカチ』(2013年1月22日)

1958OnumaTan_BlackHandkerchief

49. 1902年のゴードン・ボトムレイ『夜さけぶもの 一幕劇』(2013年1月21日)

1902Bottomley_Crier_cover

48. 1955年の『詩人と画家 ゴードン・ボトムレイとポール・ナッシュの往復書簡』(2013年1月20日)

1955Bottomley_Nash_Correspondence

47. 1945年のトム・ジェントルマン『ブラエ農場』(2013年1月19日)

1945BraeFarm_cover01

46. 1957年の岩波書店版『漱石全集 書簡集一~五』(2013年1月18日)

1957Souseki_letters

45. 1980年のノエル・キャリントン『キャリントン 絵・素描・装飾』(2013年1月17日)

1980Noel Carrington

44. 1970年の『キャリントン 手紙と日記抜粋』(2013年1月16日)

1970Carrington

43. 1892年のマードック,バートン,小川『アヤメさん』(2013年1月15日)

1892Ayame-san01

42. 1910年のポンティング『この世の楽園・日本』(2013年1月14日)

1910Ponting_ LOTUS-LAND JAPAN

41. 1987年のデヴィッド・マッキッタリック『カーウェン・パターン紙の新見本帖』(2013年1月13日)

1987_A New Specimen Book of Curwen Pattern Papers

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40. 1969年の『岩下壮一 一巻選集』(2013年1月12日)

1969IwashitaSoichi

39. 1860年のモクソン版『アルフレッド・テニスン詩集』(2013年1月11日)

1860Moxon_Tennyson

38. 1980年のヤング・マーブル・ジャイアンツ『言葉と絵』(2013年1月10日)

1980YMG

37. 1927年の『七高さん』(2013年1月9日)

1927_7kousan

36. 1936年のグウェン・ラヴェラ『逃亡』(2013年1月8日)

1936Runaway_Raverat

35. 1899年のメアリ・フェノロサ『巣立ち』(2013年1月7日)

1899OutOfTheNest

34. 1906年のメアリ・フェノロサ『龍の画家』(2013年1月6日)

1906DragonPainter

33. 1961年のジュニア鹿児島編『ニコニコ郷土史』(2013年1月5日)

1961niconico_history

32. 1940年のジョン・ファーリー『刻まれたイメージ』(2013年1月4日)

1940JohnFarleigh

31. 1939年と1946年の『トワエモワ』(2013年1月3日)

1939ToiEtMoi

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30. 1963年の『シルヴィア・ビーチ 1887-1962』(2013年1月2日)

1963SylviaBeach

29. 謹賀新年(2013年1月1日)

2013HappyNewYear

28. 1984年のカトラー文・ベンジ絵『ニワトリになったハーバートくん』(2012年12月31日)

1984Cutler_Benge

27. 1970年のアーサー・ウェイリー『Madly Singing in the Mountains』(2012年12月30日)

1970ArthurWaley

26. 1925年のウェイリー訳『源氏物語』(2012年12月29日)

1925Genji_Waley

25. 1931年のウィリアム・ローゼンスタイン『人と思い出』(2012年12月28日)

1931WillRothenstein

24. 1949年の梅花艸堂主人『夢』(2012年12月27日)

1949Baikasodo_yume

23. 1947年の加藤一雄『無名の南畫家』(2012年12月26日)

kato_mumeinonangaka1947

22. 1963年の岩本堅一『素白随筆』(2012年12月25日)

sohakuzuihitsu1963

21. 1978年のブライアン・イーノ&ピーター・シュミット『オブリーク・ストラテジーズ』(2012年11月2日)

Oblique Strategies1978

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20. 1982年のロバート・ワイアット『シップビルディング』(2012年10月30日)

Wyatt_Shipbuilding1982

19. 2000年のピーター・ブレグヴァド『リヴァイアサンの書』(2012年10月29日)

Blegvad_leviathan2000

18. 1910年のジェームズ・マードック『日本史・第一巻』(2012年10月27日)

Murdoch_Japan1910

17. 1903年のジェームズ・マードック『日本史』(2012年10月26日)

Murdoch_Japan1903

16. 1861年のエドモンド・エヴァンス『THE ART ALBUM』(2012年10月24日)

Evans1861_Art Album

15. 1898年のカーライル『衣装哲学』(2012年10月23日)

Sartor Resartus

14. 1861年のジョン・ジャクソン『木版論』(2012年10月22日)

Jackson_Chatto_Wood Engraving

13. 1937年のフランシス・ブレット・ヤング『ある村の肖像』(2012年10月21日)

Young_Hassall_Portrait of a Village

12. 1974年の坂上弘『枇杷の季節』(2012年10月20日)

坂上弘_枇杷の季節

11. 1952年のグウェン・ラヴェラ『Period Piece』(2012年10月19日)

Raverat_Period Piece

10. 1919年の『ルパート・ブルック詩集』(2012年10月16日)

Rupert Brooke Raverat

09. 1942年の松崎明治『釣技百科』(2012年10月14日)

matuzaki_tyougyo1942

08. 1966年のキース・ロバーツ『パヴァーヌ』(2012年10月11日)

impulse1966

07. 1983年の島尾ミホ『海嘯』(2012年10月11日)

simaohiho_kaishou

06. 1933年の内田百間『百鬼園随筆』 (2012年10月11日)

hyakkienzuihitu

05. 1964年のケヴィン・エアーズ最初の詩集(2012年10月10日)

1964Ayers_Bookle

04. 1936年の「国際シュルレアリスト広報」第4号(2012年10月9日)

1936SurrearistBulletin

03. 1921年のクロード・ローヴァット・フレイザー(2012年10月8日)

The Luck of the Bean-Rows

02. 1899年と1904年の『黄金時代』(2012年9月26日)

1904年の『黄金時代』表紙

01. 1945年の『青い鳥』(2012年9月22日)

青い鳥01


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