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my favorite things 291-300

 my favorite things 291(2019年11月23日)から300(2020年2月15日)までの分です。 【最新ページへ戻る】

 

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 291. 1994~1997年の『THE RēR QUARTERLY VOLUME 4』(2019年11月23日)
 292. 1994年の江間章子『ハナコ』(2019年11月30日) 
 293. 1943年の『書物展望』五月號(2019年12月10日)
 294. 1990・1991年の『THE PRINTED HEAD』第1巻(2019年12月26日)
 295. 1992・1993年の『THE PRINTED HEAD』第2巻(2019年12月27日)
 296. 1993年~1996年の『THE PRINTED HEAD』第3巻(2019年12月30日)
 297. 1996年~の『THE PRINTED HEAD』第4巻(2019年12月31日)
 298. 2020年1月1日の桜島
 299. 1982年のチャクラ『さてこそ』雑誌広告(2020年1月25日)
 300. 1954年ごろの村 次郎自筆『風の歌』ほか6つの異版(2020年2月15日)
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300. 1954年ごろの村 次郎自筆『風の歌』ほか6つの異版(2020年2月15日)

1954年ごろの村 次郎自筆『風の歌』ほか6つの異版


第263回 1973年ごろの村 次郎詩集『風の歌』筆写版(2019年3月1日)」などでも書きましたが、児玉達雄と村 次郎の間には、深い結びつきがありました。村 次郎のことをもっと知るためにも、2011年に青森八戸で刊行された『村 次郎全詩集』を手にしたかったのですが、なかなか見つけられませんでした。
その『村 次郎全詩集』(2011年、村 次郎の会)をようやく入手することができました。
この機会に、手もとにある村 次郎「風の歌」の異版について、まとめておきたいと思います。

現在、わたしのもとに、児玉達雄さんの妹、大迫幸子さんのご好意で、児玉達雄さんの遺稿が入った7つの箱があります。
ほとんどが不定稿やメモで、文学書簡や雑誌類は少なかったのですが、そのなかに、村 次郎が児玉達雄に贈った、直筆の詩の清書原稿や手紙も少しだけですが、含まれていました。

 

次のような内容です。

【村 次郎の直筆原稿】

詩集『忘魚の歌』抄 村 次郎
村次郎直筆の清書原稿。制作年代は不明だが、1950年代。
児玉達雄に、村次郎が贈ったもの。
OKINAの400字詰め原稿用紙23枚。詩26編。
四隅を貼り合わせ。
「病院」「山彦」「寧日」「櫻」「花火」「路」「旅の手紙」「啄木鳥」「郷愁」「青い湯」「電報」「春里」「冬里」「寒村」「暮季」「寒」「花」「海」「底」「空」「秋」「蕪花群鷗」「原」「存在」「心」「應召の歌」

詩集 風の歌  村 次郎
村次郎直筆の手稿。制作年代は不明だが、1954年か1955年か。
児玉達雄に、村次郎が贈ったもの。
OKINAの400字詰め原稿用紙23枚
昭和24年「風の歌」22編全。
「序」「I」~「XX」「終」

《詩集途上作品》
村次郎直筆の手稿。制作年代は不明。
児玉達雄に、村次郎が贈ったもの。
400字詰め原稿用紙7枚。詩7編。
〈Toppanの原稿用紙〉
4-1~4-4「野面」「断崖」「名」「谺」
〈紀伊國屋製の原稿用紙〉
「彷徨」「少年」「年輪」

【村 次郎から児玉達雄宛書簡】

昭和29年(1954)11月4日消印 八戸 往復はがき 返信
昭和32年(1957)7月3日消印 八戸 3枚連続はがき 「餘業私集」に収録される8編の四行詩を書き送っています。
昭和43年(1968)年賀はがき 消印 八戸
便箋 8枚 封筒なし 時期不明。
御旅館石田家の便箋 8枚 封筒なし 時期不明だが、冬休みに帰郷するか問うているので、児玉達雄の京都大学時代(1956年3月以前)。また映画『幻の馬』の公開が1955年なので、1955年の書簡か。
御旅館石田家の便箋 2枚 封筒なし 時期不明。

これらの詩稿や手紙についての簡単な報告書として、2019年11月に『北と南』という小冊子を作り、ご遺族にお渡ししましたが、村 次郎の書簡はほかにもあったのではないかというお話でした。 残されていることを祈ります。

 

その冊子作成後、『村 次郎全詩集』(2011年、村 次郎の会)を入手することができたので、今現在、手もとにある村 次郎『風の歌』のヴァリエーションについて、改めてまとめておきたいと思います。

 

村 次郎(石田實、1916~1997)は、青森県八戸生まれで、慶応出身の詩人です。戦前から戦後にかけて、『四季』『歴程』『山の樹』『詩學』といった雑誌に詩を発表し、世代的には芥川比呂志、小山正孝、西垣脩、鈴木亨、矢山哲治、小山弘一郎、中村真一郎、堀田善衞、白井浩司、片山修三といった人たちを文学の仲間としていました。
村 次郎の詩でもっとも記憶されるものに、戦後すぐの昭和21年(1946)夏、慶応で同級だった片山修三が編集する雑誌『思索』夏季号に発表された「風の歌」という詩があります。残念ながら、この『思索』夏季号は未見です。

「風の歌」が、どういう経緯で発表されたか、村次郎が語っています。

応召することになったとき、何んとかして「風の歌」を遺したくて、当時は十五篇だけだったが、戦後帰って来てから二十篇として、それを定本としたのだった、その「風の歌」を三部書き纏め、一部は死んだ妹に託し、一部は白井浩司に預け、一部は自分で持って中国に征った。敗戦、中国から帰国の際持ち帰れないと知って、全部暗記しようとしたが駄目だった。でも二部残してあるので若しやと思って帰国したら、白井が無事に保管して呉れていて全作品が発見して嬉しかった。それで「風の歌」を発表したとき「白井浩司に」と献呈したのだ。妹の方は駄目だった。(圓子哲雄編『村 次郎先生のお話(文学篇)』(1999年、朔社)

その清新な詩は、戦時下そして戦後の文学青年たちが、書き写したい、暗誦したいと思う詩だったようです。〈中村真一郎が俺の「風の歌」を綺麗に書いてくれたものを、小池(光)が戦時中、紛失してしまった。〉(圓子哲雄編『村 次郎先生のお話(文学篇)』)という挿話も残されています。

正直に言うと、わたしは、この「風の歌」という詩のあまり良い読者ではないかもしれません。
いい例えではないかもしれませんが、立原道造が応召され戦地に行くことになったら、こんな詩を書いたのではないかという印象をもちました。
ただ、この詩が、そのぎこちなさもふくめて、読者を動かす何らかの本源的な力を持っていたことは感じます。

 

村 次郎は、家業を継ぐため、1951年ごろ、おおやけの場で詩を発表することを自ら禁じます。そのため「伝説の人」として、その詩を探し求める人がいました。

鹿児島出身の京都大学文学部の学生、児玉達雄(1929~2018)もその一人でした。
1950年代半ば、児玉達雄は、青森八戸の村 次郎にあてて手紙を書き、村 次郎は自ら清書した「風の歌」で答えます。


詩をおおやけにすることをやめた詩人にその詩集をのぞんだら、詩人から手書きの詩稿が届くという、おとぎ話のはじまりのような交流のはじまりです。

 

手もとにある、「風の歌」の各版の比較のため、それぞれの「序」「I」「XX」を引用してみます。

 

【1】 昭和21年(1946)『思索』夏季号に掲載された村 次郎の詩「風の歌」

これは未見です。

 

【2】 昭和23年(1948)あのなっす・そさえて版 村 次郎詩集『風の歌』

昭和23年版も未見。
昭和23年(1948)11月3日に八戸のあのなっす・そさえてから刊行された『風の歌』は、「序、I― XV、終」の17編の詩より構成。17編版の「XV」は、後の22編版の「XX」にあたり、ここでは「XV」を引用します。詩句に異同があります。

1985年に刊行された『忘魚の歌・風の歌』(村次郎詩集刊行会)の復刻版01

1985年に刊行された『忘魚の歌・風の歌』(村次郎詩集刊行会)の復刻版02

1985年に刊行された『忘魚の歌・風の歌』(村次郎詩集刊行会)の復刻版03

1985年に刊行された『忘魚の歌・風の歌』(村次郎詩集刊行会)の復刻版04

1985年に刊行された『忘魚の歌・風の歌』(村次郎詩集刊行会)の復刻版05

写真は、1985年に刊行された『忘魚の歌・風の歌』(村次郎詩集刊行会)の復刻版から。
1948年版は謄写版でしたが、1985年の復刻版では写植文字で組み直されています。
*テキストは1985年復刻版から。
*( )はルビです。
字は、【3】 昭和29年(1954)ごろ児玉達雄に贈られた村 次郎自筆の「風の歌」の異同個所です。

   序
 風よ おまへは
 確に人間だけを吹いてゐる時がある

    I
 待ってゐた
 萱草花(かっこばな)だった
 待ってゐた
 閑古鳥の啼聲だった
 西日に顔を赫めた風(おまへ)だけだった

   XV

 おなじことだった
 樹々と 鳥たちと おまへと
 それは畢竟僕ではなかったか
 それは幼年の日の積木細工ではなかったか
 僕の空しい努力がおまへによって倒され
 なほのこと僕によって倒され
 親しいものよ
 樹々よ おまへたちは枯れるだらう
 鳥たちよ おまへたちは飛び立つだらう
 ああ そして風よ おまへ
 おまへとは なんだらう
 僕の中におまへを おまへの中に僕を

*「かっこばな」というと、柳田国男『遠野物語』でも「死助(しすけ)の山にカッコ花あり。遠野郷にても珍しという花なり。五月閑古鳥(かんこどり)の啼(な)く頃、女や子どもこれを採りに山へ行く。酢の中に漬けておけば紫色になる。酸漿(ほおづき)の実のように吹きて遊ぶなり。この花を採ることは若き者の最も大なる遊楽なり。」とあって、「閑古鳥」と対になっていました。

 

【3】 昭和29年(1954)ごろ児玉達雄に贈られた村 次郎自筆の『風の歌』

昭和29年(1954)ごろ児玉達雄に贈られた村 次郎自筆の『風の歌』01

昭和29年(1954)ごろ児玉達雄に贈られた村 次郎自筆の『風の歌』02

昭和29年(1954)ごろ児玉達雄に贈られた村 次郎自筆の『風の歌』03

昭和29年(1954)ごろ児玉達雄に贈られた村 次郎自筆の『風の歌』04

詩集 風の歌  村 次郎
昭和16年―昭和24年制作。
村 次郎直筆の清書原稿。
昭和29年(1954)ごろ清書されたと思われる自筆原稿で、そこに、あのなっす・そさえて版(1948年)刊行後の「昭和24年」とあるので、その当時における定本(完成版)と思われます。
書き損じがないことが、この原稿の特徴のひとつです。
OKINAの400字詰め原稿用紙23枚。
「序、I― XX、終」の22編の詩より構成。
家業を継ぎ、詩誌に詩を発表することを自ら禁じていた村 次郎(石田實)に、大学生の児玉達雄は手紙で問い合わせたようです。
その返事として、村 次郎は自ら清書して『風の歌』全編を贈っていました。 その原稿が残されていました。
*( )はルビです。

   序
 風よ おまへは
 確に人間だけを吹いてゐる時がある。

   I
 待ってゐた
 萱草花(かっこばな)だった
 待ってゐた
 閑古鳥(かっこどり)だった
 西日に顔を赫めた風(おまへ)だけだった。

   XX
 絆とは 生きるとは
 鳥よ 花よ おまへ
 それは畢竟 僕ではなかったか
 それは幼年の日の積木細工ではなかったか
 僕の空しい努力がおまへによって倒され
 なほのこと僕によって倒され
 親しいものよ
 花たちよ おまへたちは散るだらう
 鳥たちよ おまへたちは飛び去るだらう
 ああ そして風よ おまへ
 おまへとはなんだらう
 僕の中におまへを おまへの中に僕を。

 

【4】 昭和32年(1957)ごろ児玉達雄が筆写した村 次郎『風の歌』

昭和32年(1957)ごろ児玉達雄が筆写した村 次郎『風の歌』01

昭和32年(1957)ごろ児玉達雄が筆写した村 次郎『風の歌』02

昭和32年(1957)ごろ児玉達雄が筆写した村 次郎『風の歌』03

昭和32年(1957)ごろ児玉達雄が筆写した村 次郎『風の歌』04

昭和32年(1957)ごろ児玉達雄が筆写した村 次郎『風の歌』 05

昭和29年(1954)ごろ、村 次郎から児玉達雄に贈られた『風の歌』清書原稿をもとに、児玉達雄が『風の歌』22編全編を一字一句違えず、書き損じがないように、丁寧に筆写しています。
この手稿は、鹿児島の古書店で入手した児玉達雄旧蔵書のなかにありました。
ハードカヴァー。背に「隨草」とある、見開きで400詰め原稿用紙になっている市販のノート。
このノートが廃棄されずに残っていてよかったです。よくぞ古本屋さんで拾い上げたと自分を誉めたいくらいです。

児玉達雄が村 次郎詩集『風の歌』を筆写したノートには、続けて、児玉達雄の散文作品「イギリスの娘っ子」「賛助作品」「春夜」「いもうと」が書き加えられていました。
追加された作品には、「57・11―」「62・1月」と日付が書かれています。ペン字の書体などから推測すると、昭和ではなく、西暦と考えられます。そこから、児玉達雄による『風の歌』筆写は、1957年11月以前の筆写と推定されます。
*( )はルビです。

   序
 風よ おまへは
 確に人間だけを吹いてゐる時がある。

   I
 待ってゐた
 萱草花(かっこばな)だった
 待ってゐた
 閑古鳥(かっこどり)だった
 西日に顔を赫めた風(おまへ)だけだった。

   XX
 絆とは 生きるとは
 鳥よ 花よ おまへ
 それは畢竟 僕ではなかったか
 それは幼年の日の積木細工ではなかったか
 僕の空しい努力がおまへによって倒され
 なほのこと僕によって倒され
 親しいものよ
 花たちよ おまへたちは散るだらう
 鳥たちよ おまへたちは飛び去るだらう
 ああ そして風よ おまへ
 おまへとはなんだらう
 僕の中におまへを おまへの中に僕を。

 

【5】 昭和48年(1973)ごろ圓子哲雄が筆写したと思われる村 次郎『風の歌』

昭和48年(1973)ごろ圓子哲雄が筆写したと思われる村 次郎『風の歌』 01

昭和48年(1973)ごろ圓子哲雄が筆写したと思われる村 次郎『風の歌』 02

昭和48年(1973)ごろ圓子哲雄が筆写したと思われる村 次郎『風の歌』 04

昭和48年(1973)ごろ圓子哲雄が筆写したと思われる村 次郎『風の歌』 05

村 次郎の弟子を自認する青森八戸の詩人、圓子哲雄が書写したもの。
圓子哲雄が書写した村次郎の詩集はすべて児玉達雄に贈られていたようです。
また、圓子哲雄は主宰する詩誌『朔』を児玉哲雄に送るとき、毎回丁寧な手紙を添えていました。
残念ながら児玉達雄旧蔵の『朔』は散佚してしまったようです。それらの書簡が残されていればと思います。
1954年ごろ児玉達雄に贈られた清書原稿と比べると、この「序」「I」「XX」の3編では、「おまへとはなんだらう」が「おまへとは何だらう」となっていること以外は同一でした。

   序
 風よ おまへは
 確に人間だけを吹いてゐる時がある

   I
 待ってゐた
 萱草花(かっこばな)だった
 待ってゐた
 閑古鳥(かっこどり)だった
 西日に顔を赫めた風(おまへ)だけだった。

   XX
 絆とは 生きるとは
 鳥よ 花よ おまへ
 それは畢竟 僕ではなかったか
 それは幼年の日の積木細工ではなかったか
 僕の空しい努力がおまへによって倒され
 なほのこと僕によって倒され
 親しいものよ
 花たちよ おまへたちは散るだらう
 鳥たちよ おまへたちは飛び去るだらう
 ああ そして風よ おまへ
 おまへとはだらう
 僕の中におまへを おまへの中に僕を。

 

ことばを、詩を、肉体化する方法に、暗誦と筆写があります。
児玉達雄と圓子哲雄という2人の詩人に、その言葉を自分の血肉にしたいと思わせた村 次郎の「風の歌」は、そのことだけでも、たいした作品だと思います。

 

【6】『村 次郎全詩集』(2011年9月24日発行、村 次郎の会、青森県八戸市)収録の「風の歌」

『村 次郎全詩集』(2011年9月24日発行、村 次郎の会、青森県八戸市)01

『村 次郎全詩集』(2011年9月24日発行、村 次郎の会、青森県八戸市)02

『村 次郎全詩集』(2011年9月24日発行、村 次郎の会、青森県八戸市)03 『村 次郎全詩集』(2011年9月24日発行、村 次郎の会、青森県八戸市)04

『村 次郎全詩集』(2011年9月24日発行、村 次郎の会、青森県八戸市)05

『村 次郎全詩集』(2011年9月24日発行、村 次郎の会、青森県八戸市)06

『村 次郎全詩集』(2011年9月24日発行、村 次郎の会、青森県八戸市)07

「村 次郎全詩集」編集委員会
(代表)仁科源一、阿部幹、石田勝三郎、上野佳代子、上條勝芳、佐々木高雄、島脇一男、高橋寛子、中道敏夫、柾谷伸夫、るいけまさと
装幀・石田勝三郎

上下二巻に分かれ、次の詩集を収録しています。

  《巻 上》
 忘魚の歌
 風の歌
 途上
 「句集」向天唾集
 歸國
 餘業私集
 海村

  《巻 下》
 無神者にもひとしい僕の場合風景とは信仰なのかもしれない
 神樣の譚
 鮫角海岸段丘
 蕪花群鷗
 亡友想日集
 老殘集
 路傍集

 

『村 次郎全詩集』収録の「風の歌」は、昭和24年(1949)に書かれた〈詩集「風の歌」後記〉を収録しています。
昭和16年(1941)の発想からはじまる「風の歌」の成り立ちを、村 次郎自ら解説して「僕のかけがえのない青春の歌であり、僕の限界である事だけは明瞭である」と結んでいます。

*『村 次郎全詩集』編集上の留意事項として「作品の表記については、旧漢字、旧仮名遣いのままにしました。」「原則として作品の句読点は外しました。(句、散文詩も含む)」とあるので、児玉達雄に贈られた清書原稿にあったような句読点は外されています。
*朱字は、【3】の児玉達雄に贈られた清書原稿との異同個所です。「XX」は、冒頭から詩句が変更されています。
*( )はルビです。

   序
 風よ おまへは
 確に人間だけを吹いてゐる時がある

   I
 待ってゐた
 禪庭花(かっこばな)だった
 待ってゐた
 閑古鳥(かっこどり)だった
 西日に顔を赫めた風(おまへ)だけだった

   XX
 花たちよ 鳥たちよ
 絆とは 生きるとは
 ああ そして風よ
 おまへ
 それは畢竟 僕ではなかったか
 それは幼年の日の積木遊びではなかったか
 僕の空しい努力が おまへによって倒され
 なほのこと僕によって倒され
 親しいものたち
 花たちよ おまへたちとて 散るだらう
 鳥たちよ おまへたちとて 去るだらう
 ああ そして風よ おまへ
 おまへの中に僕を
 僕の中におまへを

 

【7】 平成30年(2018)刊行の『村次郎 選詩集』収録の「風の歌」

平成30年(2018)刊行の『村次郎 選詩集』01

平成30年(2018)刊行の『村次郎 選詩集』02

平成30年(2018)刊行の『村次郎 選詩集』03

管啓次郎選『村次郎 選詩集 もう一人の吾行くごとし秋の風』(2018年10月30日初版第1刷発行、左右社)
『村次郎 選詩集 もう一人の吾行くごとし秋の風』は、『村 次郎全詩集』のテキストをもとにしています。
『風の歌』からは、「序章」「II」「VI」「IX」「XII」「XX」の6編を選んでいます。

   序章
 風よ おまへは
 確に人間だけを吹いてゐる時がある


   XX
 花たちよ 鳥たちよ
 絆とは 生きるとは
 ああ そして風よ おまへ
 それは畢竟 僕ではなかったか
 それは幼年の日の積木遊びではなかったか
 僕の空しい努力が おまへによって倒され
 なほのこと僕によって倒され
 親しいものたちよ
 花たちよ おまへたちとて 散るだらう
 鳥たちよ おまへたちとて 去るだらう
 ああ そして風よ おまへ
 おまへの中に僕を
 僕の中におまへを

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

1985 Who Knows Where The Time Goes?

サンディー・デニー(Sandy Denny)のコンピレーション盤は、2010年CD19枚組の圧倒的なボックスをはじめ、いろいろ出ていますが、CDが登場して間もない時期にでた、1985年のCD3枚組『Who Knows Where The Time Goes?』(Hannibal)は、 今でも、いい盤だと思います。

そこから、1976年のホーム録音「By The Time It Gets Dark」そして、1974年のフェアポート・コンヴェンションで「Who Knows Where The Time Goes?」を。

時のゆくえを誰ぞ知る。
過ぎ去りしもののなかに、風の歌を聴くことができるのでしょうか。

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299. 1982年のチャクラ『さてこそ』雑誌広告(2020年1月25日)

1982年のチャクラ『さてこそ』の雑誌広告

 

古本屋さんで古い雑誌をひっくり返していたら、1980年代の、B4判の大きなサイズの『STUDIO VOICE』がありました。
まだ「Andy Warhol's Interview紙独占」と表紙にあります。

ある号の裏表紙を見ると、大好きなバンド、チャクラ(CHAKRA)のセカンド・アルバム『さてこそ』の広告「耳楽し」です。迷うことなく買い求めました。

渡辺音楽出版が、雑誌の裏表紙にチャクラの広告を出した時代もあったのだと、感慨深いものがあります。

 

その1982年1月号の『STUDIO VOICE』(Vol.74、1982年1月1日発行、流行通信)の表紙と巻頭インタビューはビートたけし。

『STUDIO VOICE』1982年1月号

 

チャクラのヴォーカル、小川美潮のインタビューべージもあります。見開きだと360✕500ミリ。

小川美潮のインタビューべージ

 

表紙2は、大貫妙子の『黒のクレール』の広告でした。

大貫妙子の『黒のクレール』の広告

 

縦のサイズが300ミリを超える雑誌は、CDジャケットの後にLPジャケットを見るような迫力を感じます。

 

文芸誌サイズのA5判雑誌と、縦のサイズが300ミリを超える雑誌を並べてみました。

縦のサイズが300ミリを超える雑誌

左から、
 『STUDIO VOICE』(Vol.74、1982年1月1日発行、流行通信)
 『宝島』(1973年11月1日発行、ワンダーランド)
 『Interview』(VOL.XX NO.5、1990年5月、Brant Publications)
そして、A5判の『臨時増刊 宝石 文壇作家推理小説代表作集』(第14巻第12号、1959年10月10日発行、宝石社)

ちなみに『臨時増刊 宝石 文壇作家推理小説代表作集』の収録作品は、

 大岡昇平「夕照」
 菊村到「片瀬氏の不幸と幸福」
 中村真一郎「不可能な逢引」
 佐藤春夫「女人焚死」
 椎名麟三「黄色い汗」
 曽野綾子「空飛ぶ円盤」
 小沼丹「バルセロナの書盗」
 加田伶太郎「眠りの誘惑」
 有馬頼義「現行犯」

小沼丹と加田伶太郎の掲載誌というのがうれしいです。

 

昨年の暮れに、1980年代の小川美潮・板倉文らのグループ、チャクラについて、予想外のことと驚いたことがありました。

チャクラの未発表ライブ音源集CD2枚組が、チャクラの大ファンである、チリの人、「Gonzalo Fuentes R.」氏によって出されていたのです。
音楽受容のグローバル化というか、日本のファンがぼやぼやしているうちに、世界のファンが先に動いてくれたというか、うれしい驚きでした。

その2枚組は、小川美潮さんのサイトでも購入可能だったので、直販で購入しました。
小川美潮さんのサインもいれていただきました。

 

CHAKRA『LIVE & UNRELEASED ARCHIVE RECORDINGS 1981-1983』04

CHAKRA『LIVE & UNRELEASED ARCHIVE RECORDINGS 1981-1983』02

CHAKRA『LIVE & UNRELEASED ARCHIVE RECORDINGS 1981-1983』03

▲CHAKRA『LIVE & UNRELEASED ARCHIVE RECORDINGS 1981-1983』(GMP01、2019年、GUERRILA MUSIC )
思っていた以上に、ぶっといライブの音です。40年近い時を超えて、こんな音源が出てくるなんて、世の中、捨てたものではありません。

 

ネットの面白さのひとつに、ミュージシャンから直に、CDを購入できるようになったことがあります。
小川美潮さんのサイトからも、CD-RやDVD-Rを何枚か購入したことがあります。
棚から引っ張り出してみました。

 

2006年12月2日のウズマキマズウ01

2006年12月2日のウズマキマズウ02

▲2006年12月2日のウズマキマズウの高円寺JIROKICHIでのライブを収録したCD-R2枚組。
白ラベルのCD-Rに小川美潮さんがたくさん書いてくださいました。
このときのウズマキマズウのメンバーは、
 小川美潮(Vocal)
 大川俊司(Bass、Acoustic guitar)
 Ma*To(Keyboards)
 BaNaNa-UG(Keyboards)
 Mac清水(Congas)
 whacho(Percussions)
 青山純(Drums)

 

2007年5月25日のウズマキマズウ01

2007年5月25日のウズマキマズウ02

▲2007年5月25日のウズマキマズウの高円寺JIROKICHIでのライブを収録したCD-R2枚組。
このときのウズマキマズウのメンバーは、
 小川美潮(Vo)
 大川俊司(B)
 板倉文(G)
 Ma*To(Key)
 BANANA-UG(Key)
 whacho(Perc)
 Mac清水(Perc)
 青山純(Dr)

 

2013年3月7日のフ・タウタフ01

2013年3月7日のフ・タウタフ02

▲2013年3月7日のフ・タウタフの下北沢 live bar 440 でのライブを収録したDVD-R。

 小川美潮/vocal
 葛岡みち/vocal
 渡部沙智子/vocal
 吉森信/piano
 大川俊司/bass
 小林武文/drums

2013年3月に亡くなった「~大川俊司に捧ぐ~」とある盤です。

 

2014年4月26日の小川美潮 4to3 Band 01

2014年4月26日の小川美潮 4to3 Band 02

2014年4月26日の小川美潮 4to3 Band 03

2014年4月26日の小川美潮 4to3 Band 04

▲2014年4月26日の小川美潮 4to3 Band の原宿アストロホールでのライブを収録したDVD-R。
これにも小川美潮さんのサインをしてもらっています。

このときの小川美潮 4to3 Band のメンバーは、

 小川美潮(vo)
 今堀恒雄(g)
 Ma*To(Key)
 mecken(b)
 whacho(perc)
 Grico富岡(ds)
 ゲスト 葛岡みち(cho)

小川美潮バンドの常連だった青山純さんも、2013年12月に亡くなりました。

 

ライヴ会場で売られている小川美潮さん関連のCD-Rは、ほかにもいろいろあるようです。その全貌は分かりません。
掘り始めたら、大変そうです。
また、小川美潮さんのライブを聴きたい、そんな気持ちが高まってきました。

 

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298. 2020年1月1日の桜島

2020年1月1日の桜島01

2020年元旦。
初日の出を見ようと出掛けて、今日は桜島の月讀神社を初詣しようと思い立ち、桜島フェリーの乗り場へ。
タイミングが良ければ、海上で初日の出が拝めるかと期待。
7時15分発のフェリーに。

 

2020年1月1日の桜島02

2020年1月1日の高千穂

北に高千穂。

残念ながら、桜島に着くまでには初日の出は拝めませんでした。
7時30分のフェリーのほうがよかったか。

 

2020年1月1日の月讀神社01

2020年1月1日の月讀神社02

桜島の月讀神社へ初詣。

7時45分のフェリーで鹿児島へ戻る。

桜島の桟橋で、2020年の初日。

2020年1月1日の桜島03

2020年1月1日の桜島04

2020年1月1日の開聞岳

南に開聞岳。

2020年1月1日の桜島05

2020年1月1日の桜島フェリー

休日の朝の甲板に、乗客は少なく。

2020年1月1日の桜島06

日の光はまぶしく、冬の日差しとは思えないくらい、熱く、強い。

2020年1月1日の桜島07

 

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297. 1996年~(未完)の『THE PRINTED HEAD』第4巻(2019年12月31日)

1996年~(未完)の『THE PRINTED HEAD』第4巻

 

前回に続いて、アトラス・プレス(Atlas Press)の「THE PRINTED HEAD」叢書です。
その第4巻(VOLUME IV)を並べてみます。この第4巻は、最初の号から20年以上経ちますが、未完です。

「VOLUME IV」は、1冊20~128ページの、小冊子9冊が刊行されています。

外箱は、まだ作られていないようです。第1巻~第3巻のように、予約購読者向けのアンソロジーがあるのか、それとも、2017年刊の『APRIL FOOLISH ALBUM』で最後なのか、まだはっきりしません。

こわもての「the printed head(印刷頭)」の絵は「number 1/2」のみ使われ、1996年で、ひとまず役目を終えています。 第4巻では、ロバート・フラッド(Robert Fludd、1574~1637)の錬金術図像のようなパターンの表紙になっています。

刊行ペースが、1996年、1999年、2000年、2006年、2017年と飛び飛びになっています。
2006年の時点で、「46」番の予約更新をしていなかったので、2017年の『APRIL FOOLISH ALBUM』は、「46番」ではなく、『ロンドン・パタフィジック協会会報(Journal of the London Institute of ’Pataphysics)』の14/15合併号の付録として入手して、『THE PRINTED HEAD』第4巻(VOLUME IV)が継続中と知りました。

「Volume III」は300部限定で、No.1~50は、著者の署名入り(可能であれば)。No.1~12は出版者と著者に、No.13~200は予約購読者向け。No.201~300は予約購読者以外向け。 No.1~300までナンバリングされています。

 

Federico Garcia Lorca “THE UNKNOWN LORCA”表紙

Federico Garcia Lorca “THE UNKNOWN LORCA”ナンバー

Federico Garcia Lorca “THE UNKNOWN LORCA”奥付

1/2. Federico Garcia Lorca “THE UNKNOWN LORCA”
『知られざるロルカ』1996年、128ページ。1号と2号の合併号。
ダイアローグ、ドラマ企画、未完成戯曲、映画台本の選集。編集・翻訳はJohn London。
フェデリコ・ガルシア・ロルカ(1898~1936)は、スペインの作家。

Federico Garcia Lorca “THE UNKNOWN LORCA”予告

1996年時点の巻末の予告とはだいぶ違う形になりました。

 

Donald Parsnips & Adam Dant “AN A TO Z FOR THE EFFECTIVE USE OF YOUR CITY” 表紙

Donald Parsnips & Adam Dant “AN A TO Z FOR THE EFFECTIVE USE OF YOUR CITY” ナンバー

Donald Parsnips & Adam Dant “AN A TO Z FOR THE EFFECTIVE USE OF YOUR CITY” 奥付

3.Donald Parsnips & Adam Dant “AN A TO Z FOR THE EFFECTIVE USE OF YOUR CITY”
『あなたの街の効果的利用法大全』1999年、64ページ。著者のサイン。
アダム・ダント(1967~ )は、英国のアーティスト。「偶然研究所(the Institute of Coincidence)」創設者。ドナルド・パースニップスは、アダム・ダントの別人格の存在。

 

Jehan Sylvius & Pierre De Ruynes “THE DEVIL’S POPESS” 表紙

Jehan Sylvius & Pierre De Ruynes “THE DEVIL’S POPESS” ナンバー

Jehan Sylvius & Pierre De Ruynes “THE DEVIL’S POPESS” 奥付

4/5. Jehan Sylvius & Pierre De Ruynes “THE DEVIL’S POPESS”
『悪魔の女司祭』1999年、88ページ。4号と5号の合併号。
『La Papesse du Diable』(1931年)のIain Whiteによる翻訳。
ジャン・シルヴィウス(Ernest Gengenbach、1903~1979)はフランスの作家。
ピエール・ド・ルインス(Pierre Renaud、1894~1965)はフランスの作家。

 

Max Jacob “THE DICE CUP”表紙

Max Jacob “THE DICE CUP”ナンバー

Max Jacob “THE DICE CUP”奥付

6. Max Jacob “THE DICE CUP”
『骰子筒』2000年、80ページ。
『Le Cornet à dés』は1904年から1917年にかけて書かれた散文詩。その最初の部分の、Christopher PillingとDavid Kennedyによる翻訳。
マックス・ジャコブ(1876~1944)は、キュビズム・シュルレアリスムのフランスの詩人・画家。
北川冬彦(1900~1990)による翻訳『骰子筒 ― 散文詩集』(1929年、厚生閣書店)がある。

 

Hans Carl Artmann “THE SKEWED TALES” 表紙

Hans Carl Artmann “THE SKEWED TALES” ナンバー

Hans Carl Artmann “THE SKEWED TALES” 奥付

7. Hans Carl Artmann “THE SKEWED TALES”
『歪んだ物語』2000年、64ページ。アルトマン最晩年の署名。
ドラキュラやフランケンシュタイン主題の4つの短編のMalcolm Greenによる翻訳。
ハンス・カール・アルトマン(1921~2000)は、オーストリアの詩人。ウィーン・グループのメンバー。

 

Gerhard Roth & Günter Brus “ON THE BRINK” 表紙

Gerhard Roth & Günter Brus “ON THE BRINK” ナンバー

Gerhard Roth & Günter Brus “ON THE BRINK” 奥付

8/9. Gerhard Roth & Günter Brus “ON THE BRINK”
『瀬戸際で』2006年、128ページ。8号と9号の合併号。作家と画家のサイン。
1986年の作品のMalcolm Greenによる翻訳。
ゲルハルト・ロート(1942~ )は、オーストリアの作家。
ギュンター・ブルス(1938~ )は、オーストリアの画家。

 

10/11. Theo Van Doesburg & Michael White “WHAT IS DADA??? ” 表紙

10/11. Theo Van Doesburg & Michael White “WHAT IS DADA??? ” ナンバー

10/11. Theo Van Doesburg & Michael White “WHAT IS DADA??? ” 奥付

10/11. Theo Van Doesburg & Michael White “WHAT IS DADA??? ”
『ダダとは何???』2006年、96ページ。10号と11号の合併号。
テオ・ファン・ドゥースブルフ(1883~1931)は、オランダの美術家。オランダの前衛美術誌『デ・ステイル(De Stijl)』を創刊。
序文と翻訳のMichael Whiteは、イギリスの美術史研究者。

 

URMUZ “THE COMPLETE WORKS OF URMUZ” 表紙

URMUZ “THE COMPLETE WORKS OF URMUZ” ナンバー

URMUZ “THE COMPLETE WORKS OF URMUZ” 奥付

12. URMUZ “THE COMPLETE WORKS OF URMUZ”
『ウルムズ大全』2006年、48ページ。
Miron & Carola Grindaによる翻訳。
ウルムズ(Dimitrie Ionescu-Buzǎu、1883~1923)は、ルーマニアの作家。
ルーマニア前衛シーンのカルト的存在。

 

Alphonse Allais “APRIL FOOLISH ALBUM” 表紙

Alphonse Allais “APRIL FOOLISH ALBUM” ナンバー

Alphonse Allais “APRIL FOOLISH ALBUM” 扉

13. Alphonse Allais “APRIL FOOLISH ALBUM”
『四月馬鹿なアルバム』2017年、20ページ。ステープル綴じ。
奥付では2017年発行ですが、実際には2018年の刊行だったと思います。
『Album primo-avrilesque』のAnthony Melvilleによる翻訳。
アルフォンス・アレー(1854~1905)は、フランスの作家。
999部限定。No.1~200は、The Printed Head Volume IVの最終巻。

この小冊子は、Atlas Pressが2010年から刊行しているシリーズ『ロンドン・パタフィジック協会会報(Journal of the London Institute of ’Pataphysics)』の14/15合併号、Boris Vian, Alphonse Allais, Gavin Bryars, Thieri Foulc & others『EXEGESIS(注釈)』の付録にもなっていました。
『会報』も楽しみにしているのですが、その14/15合併号の付録『APRIL FOOLISH ALBUM』の刊記に「プリンテッド・ヘッド第4巻の最終号(the final issue of The Printed Head Volume IV)」とありました。
てもとにある本は、「46」番ではなく、「gidouille(ユビュの渦巻き)」のスタンプが押されたものです。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

AFTER DINNERの『THE SOUVENIR CASSETTE』01

AFTER DINNERの『THE SOUVENIR CASSETTE』02

1988年にカセットテープだけでリリースされていたAFTER DINNERの『THE SOUVENIR CASSETTE』が、ほかのライヴ音源も加えて、『THE SOUVENIR CASSETTE and FURTHER LIVE ADVENTURES』として、ReR MegacorpからCD化されました。このライヴ音源をはじめて聴くことができました。
音塊に耳福です。

HACOのサインの入ったカードがついていて、 300枚限定の盤のようです。
たまたま「THE PRINTED HEAD」シリーズと同じ数ですが、後に残るという点で、300は絶妙な数という気がします。

今回のCDは、カセットテープをもとに、Bob Drakeがリマスターしています。
Yasushi Utsunomiya(宇都宮泰)が手掛けたら、どうなっただろうと想像します。

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296. 1993年~1996年の『THE PRINTED HEAD』第3巻(2019年12月30日)

1993年~1996年の『THE PRINTED HEAD』第3巻外箱

前回に続いて、アトラス・プレス(Atlas Press)の「THE PRINTED HEAD」叢書です。
その第3巻(VOLUME III)を並べてみます。

「VOLUME III」は、1冊64~112ページの、無線綴じの小冊子11冊で構成されています。
「Number 1」には、8ページの小冊子も付録としてついていました。
黒の外箱とクリーム色の表紙には、こわもての「the printed head(印刷頭)」の絵が使われています。
「VOLUME III」から、刊行ペースが不規則になってきました。

「Volume III」は300部限定で、No.1~50は、著者の署名入り(可能であれば)。No.1~12は出版者と著者に、No.13~150は予約購読者向けで、外箱と1冊の付録付き。No.151~300は予約購読者以外向け。 No.1~300までナンバリングされています。 「Number 7」のみ、1000部。

 

1993年~1996年の『THE PRINTED HEAD』第3巻

 

Jacques Vaché “WAR LETTERS”表紙

Jacques Vaché “WAR LETTERS”ナンバー

Jacques Vaché “WAR LETTERS”奥付

Jacques Vaché “WAR LETTERS”付録

1. Jacques Vaché “WAR LETTERS”
『戦争書簡』1993年、64ページ。
ジャック・ヴァシェ(1895~1919)は、フランスのシュルレアリストの初期メンバー。
ガリマール刊『Les pas perdus』『Anthologie de L’humour noir』『La clé des champs』から。ジャック・ヴァシェ(1895~1919)は、フランスのシュルレアリストの初期メンバー。アンドレ・ブルトン(André Breton, 1896~1966)による紹介文。Paul Lentiによる編集・翻訳。
予約購読者への付録として8ページの小冊子Jacques Vaché『WHITE ACETYLENE THE BLEEDING SYMBOL(「白いアセチレン」「血を流すシンボル」)』Translated by Paul Lentiがついていました。

 

Unica Zürn “THE HOUSE OF ILLNESSES”表紙

Unica Zürn “THE HOUSE OF ILLNESSES”ナンバー

Unica Zürn “THE HOUSE OF ILLNESSES”奥付

2. Unica Zürn “THE HOUSE OF ILLNESSES”
『病の家』1993年、64ページ。
ウニカ・チュルン(1916~1970)はドイツの画家・作家。Malcolm Greenによる翻訳。最初は、最初は1977年に『Der Mann im Jasmin』の一部として刊行。1986年に『Das Haus Der Krankheiten』として刊行。
ウニカ・チュルンは、日本では、画家ハンス・ベルメール(Hans Bellmer、1902~1975)との関係や、みすず書房刊『ジャスミンおとこ』で知られています。

 

Peter Blegvad “HEADCHEESE”表紙

Peter Blegvad “HEADCHEESE”ナンバー

Peter Blegvad “HEADCHEESE”奥付

3. Peter Blegvad “HEADCHEESE”
ピーター・ブレグヴァド『頭チーズ』1994年、64ページ。
奇妙な味の小品集。著者のサイン。
『HEADCHEESE』については、「第199回 2009年の『黒いページ』展カタログ(2017年2月14日)」でも少し書きましたが、表紙違いの版があります。

Peter Blegvad “HEADCHEESE”表紙02

『Volume III』では、No.1~300以外に「X」印として、表紙違いの版があるようです。

 

Alfred Jarry & Henry Meyer “THE ANTLIACLASTS & Related Texts”表紙

Alfred Jarry & Henry Meyer “THE ANTLIACLASTS & Related Texts”ナンバー

Alfred Jarry & Henry Meyer “THE ANTLIACLASTS & Related Texts”奥付

4. Alfred Jarry & Henry Meyer “THE ANTLIACLASTS & Related Texts”
『THE ANTLIACLASTS』1994年、80ページ。
ジャリ12歳のときに書かれた、学生演劇。
シュルレアリスムの先駆者、フランスの作家アルフレッド・ジャリ(1873~1907)のテキスト『Les Antliaclastes』をヘンリー・マイヤーが漫画化したものと、もとになったジャリのテキストのPaul Edwardsによる翻訳。ヘンリー・マイヤーのサインとスタンプ。

 

Georges Limbour “4 STORIES”表紙

Georges Limbour “4 STORIES”ナンバー

Georges Limbour “4 STORIES”奥付

5. Georges Limbour “4 STORIES”
『4つの物語』1995年、64ページ。
ジョルジョ・ランブール(1900~1970)は、フランスの作家。コレージュ・ド・パタフィジックの関係者。1973年の『Contes et recits』のIain Whiteによる翻訳。

 

Pol Bury “PAINTINGS OF THE FORTUITOUS SCHOOL IN PUBLIC COLLECTIONS”表紙

Pol Bury “PAINTINGS OF THE FORTUITOUS SCHOOL IN PUBLIC COLLECTIONS”ナンバー

Pol Bury “PAINTINGS OF THE FORTUITOUS SCHOOL IN PUBLIC COLLECTIONS”奥付

6. Pol Bury “PAINTINGS OF THE FORTUITOUS SCHOOL IN PUBLIC COLLECTIONS”
『公共コレクション中の偶発派絵画』1995年、64ページ。
ポル・ブリ(1922~2005)。ベルギーのアーティスト。コブラ(CoBrA)やコレージュ・ド・パタフィジックの関係者。『L’Art inopiné dans les Collections publiques』(1982年)と『Guide des Musées de l’Art inopiné』(1988年)から、Terry Haleによる翻訳。著者のサイン。

 

Konrad Bayer “THE HEAD OF VITUS BERING”表紙

Konrad Bayer “THE HEAD OF VITUS BERING”ナンバー

Konrad Bayer “THE HEAD OF VITUS BERING”奥付

7. Konrad Bayer “THE HEAD OF VITUS BERING”
『ヴィトゥス・ベーリングの頭』1994年、64ページ。
コンラード・バイエル(1932~1964)はオーストリアの作家。1979年の『der kopf des vitus bering』のWalter Billeterによる翻訳。
1950年代の前衛集団ウィーン・グループ(Wiener Gruppe)のメンバー。
1000部刊行。

 

Paul Nougé “WORKS SELECTED BY MARCEL MARIËN”表紙

Paul Nougé “WORKS SELECTED BY MARCEL MARIËN”ナンバー

Paul Nougé “WORKS SELECTED BY MARCEL MARIËN”奥付

8. Paul Nougé “WORKS SELECTED BY MARCEL MARIËN”
『マルセル・マリエン選』1995年、64ページ。
ベルギーのシュルレアリスト・シチュアシオニスト、マルセル・マリエン(Marcel Mariën、1920~1993)が選んだポール・ヌジェ作品集。ポール・ヌジェ(1895~1967)は、ベルギーのシュルレアリスト・詩人。Iain Whiteによる翻訳。

 

Hans Henny Jahnn “THE NIGHT OF LEAD”表紙

Hans Henny Jahnn “THE NIGHT OF LEAD”ナンバー

Hans Henny Jahnn “THE NIGHT OF LEAD”奥付

9. Hans Henny Jahnn “THE NIGHT OF LEAD”
『鉛の夜』1994年、72ページ。
ハンス・ヘニー・ヤーン(1894~1958)はドイツの作家。Iain Whiteによる翻訳。
『Die Nacht aus Blei』(1956年)の邦訳『鉛の夜』は1966年に現代思潮社から佐久間穆訳で出ています。Malcolm Greenによる翻訳。
ヤーンの邦訳では種村季弘訳『十三の無気味な物語』(白水社)が有名。

 

10/11. “The College of ’Pataphysics A TRUE HISTORY OF THE COLLEGE OF ’PATAPHYSICS”表紙

10/11. “The College of ’Pataphysics A TRUE HISTORY OF THE COLLEGE OF ’PATAPHYSICS”ナンバー

10/11. “The College of ’Pataphysics A TRUE HISTORY OF THE COLLEGE OF ’PATAPHYSICS”奥付

10/11. “The College of ’Pataphysics A TRUE HISTORY OF THE COLLEGE OF ’PATAPHYSICS”
『コレージュ・ド・パタフィジック:コレージュ・ド・パタフィジック正史』1995年、112ページ。
10号と11号の合併号。Alastair Brotchie編、Paul Edwards訳。
『Volume 2』11/12.“The College of ’Pataphysics”の補巻。

 

“XIANA 2”ナンバー

“XIANA 2”奥付

12. “XIANA 2”
『シアナ2』1996年、64ページ。
予約購読者へのおまけのアンソロジー。150部。
次のような内容です。

Andrew Hugill ◆ Introduction to New Impression of Africa
Raymond Roussel ◆ New Impression of Africa
        Canto I
        Canto II
        Canto III
Jaquues Vaché ◆ The Bleeding Symbol
        (White Acetylene!)
HC Artmann ◆ (On Konrad Bayer)
Paul Edwards ◆ A College of ’Pataphysics Vocabulary

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

今年は、King Crimson最初のアルバム『In the Court of the Crimson King』の50周年でもありました。
CD3枚+ブルーレイ1枚の記念盤も出ました。このアルバムを買うのは何枚目になるのでしょう。

『In the Court of the Crimson King』の50周年01

『In the Court of the Crimson King』の50周年02

 

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295. 1992・1993年の『THE PRINTED HEAD』第2巻(2019年12月27日)

1992・1993年の『THE PRINTED HEAD』第2巻

 

前回に続いて、アトラス・プレス(Atlas Press)の「THE PRINTED HEAD」叢書です。
その第2巻(VOLUME TWO)を並べてみます。

「VOLUME TWO」は、1冊64~144ページの、無線綴じの小冊子10冊で構成されています。
黄土色が全体のカラーで、外箱と表紙には、こわもての「the printed head(印刷頭)」の絵が使われています。

「Volume TWO」は300部限定で、No.1~50は、著者の署名入り(可能であれば)。No.1~12は出版者と著者に、No.13~150は予約購読者向けで、外箱と1冊の付録付き。No.151~300は予約購読者以外向け。
No.1~300までナンバリングされています。

 

1992・1993年の『THE PRINTED HEAD』第2巻

 

Saint-Pol-Roux “PAUSES IN THE PROCESSION”表紙

Saint-Pol-Roux “PAUSES IN THE PROCESSION”ナンバー

Saint-Pol-Roux “PAUSES IN THE PROCESSION”奥付

1. Saint-Pol-Roux “PAUSES IN THE PROCESSION”
『聖体行列の仮祭壇』1992年、64ページ。
1893年の作品『Les Reposoirs de la procession』の英訳。サン=ポル=ルー(1861~1940)はフランスの象徴主義詩人。シュルレアリスムの先行者。
レミ・ド・グールモン(Remy de Gourmont、1858~1915)の『仮面の本(Le Livre des Masques)』(1896年)からサン=ポル=ルーの項も翻訳して収録。
Alistair Whyteによる序文。Andrew Mangraviteによる翻訳。

 

H. C. Artmann “SWEAT AND INDUSTRY”表紙

H. C. Artmann “SWEAT AND INDUSTRY”ナンバー

H. C. Artmann “SWEAT AND INDUSTRY”奥付

2. H. C. Artmann “SWEAT AND INDUSTRY”
『汗と産業』1992年、64ページ。
1967年の作品『Fleiss und Industrie』の英訳。ハンス・カール・アルトマン(1921~2000)は、オーストリアの詩人。著者のサイン。
Derk Wynandによる翻訳。

 

Alfred Jarry “CAESAR ANTICHRIST” 表紙

Alfred Jarry “CAESAR ANTICHRIST” ナンバー

Alfred Jarry “CAESAR ANTICHRIST” 奥付

Alfred Jarry “CAESAR ANTICHRIST” 近刊

3/4. Alfred Jarry “CAESAR ANTICHRIST”
『カエサル アンチ・キリスト』1992年、144ページ。ページ増で、3号・4号合併号。
1895年に刊行された『CAESAR ANTICHRIST』の英訳。
アルフレッド・ジャリ(1873~1907)は、フランスの作家。形而上学を超えてノンセンスもいとわない科学「パタフィジック」(形而超学、'Pataphysique〈仏語〉、'Pataphysics〈英語〉)の発案者。
Anthony Melvilleによる翻訳。Alastair Brotchieによる序文と注解。

この時期、Atlas Pressは、Alastair Brotchie編『THE COLLECTED WORKS OF ALFRED JARRY』(英語版アルフレッド・ジャリ全集)を準備中でした。

 

Oskar Panizza “THE COUNCIL OF LOVE” 表紙

Oskar Panizza “THE COUNCIL OF LOVE” ナンバー

Oskar Panizza “THE COUNCIL OF LOVE” 奥付

5. Oskar Panizza “THE COUNCIL OF LOVE”
『愛の会議』1992年、80ページ。
1893年の作品『Liebeskonzil』の英訳。オスカー・パニッツァ(1853~1923)は、ドイツの作家・精神科医。
アルフレッド・クービン(Alfred Kubin、1877~1959)の装画。
Malcolm Greenによる翻訳。
日本では種村季弘訳『性愛公会議』があります。
パニッツァは、この書で教会を冒涜したとして有罪となり服役。

 

Robert Desnos “MOURNING FOR MOURNING” 表紙

Robert Desnos “MOURNING FOR MOURNING” ナンバー

Robert Desnos “MOURNING FOR MOURNING” 奥付

6. Robert Desnos “MOURNING FOR MOURNING”
『喪に喪に』1992年、64ページ。
ロベール・デスノス(1900~1945)の最初の本。1924年の『Deuil pour deuil』の英訳。
Terry Haleによる翻訳。
ロベール・デスノス(1900~1945)は、フランスのシュルレアリスト・詩人・ジャーナリスト。

 

Gerhard Roth “THE AUTOBIOGRAPHY OF ALBERT EINSTEIN” 表紙

Gerhard Roth “THE AUTOBIOGRAPHY OF ALBERT EINSTEIN” ナンバー

Gerhard Roth “THE AUTOBIOGRAPHY OF ALBERT EINSTEIN” 奥付

7/8. Gerhard Roth “THE AUTOBIOGRAPHY OF ALBERT EINSTEIN”
『アルバート・アインシュタイン自伝』1992年、96ページ。ページ増で、7号・8号合併号。
1972年の『die autobiographie des albert einstein』の英訳。著者のサイン。
Malcolm Greenによる翻訳。
ゲルハルト・ロート(1942~)は、オーストリアの作家。

 

Jacques Rigaut “LORD PATCHOGUE & OTHER TEXTS” 表紙

Jacques Rigaut “LORD PATCHOGUE & OTHER TEXTS” ナンバー

Jacques Rigaut “LORD PATCHOGUE & OTHER TEXTS” 奥付

9. Jacques Rigaut “LORD PATCHOGUE & OTHER TEXTS”
『パチョーグ卿とその他の作品』1993年、64ページ。
ジャック・リゴー(1898~1929)は、自殺にとりつかれたフランスのダダ詩人。
テキストは1970年に刊行されたガリマール版『ÉCRITS』から。
Terry Haleによる翻訳。

 

Grayson Perry “CYCLE OF VIOLENCE” 表紙

Grayson Perry “CYCLE OF VIOLENCE” ナンバー

Grayson Perry “CYCLE OF VIOLENCE” 奥付

10. Grayson Perry “CYCLE OF VIOLENCE”
『暴力のサイクル』1992年、66ページ。
グレイソン・ペリー(1960~)は、イギリスの現代美術作家。グラフィック・ピカレスク・ロマン。著者のサイン。
クレイソン・ペリー最初の本の初版。

 

The College of ’Pataphysics表紙

The College of ’Pataphysicsナンバー

The College of ’Pataphysics目次

11/12. “The College of ’Pataphysics THE TRUE, THE GOOD, THE BEAUTIFUL. AN ELEMENTARY CHRESTOMATHY OF ’PATAPHYSICS”
『コレージュ・ド・パタフィジック。その真善美。パタフィジックの基本文献集成』1993年、94ページ。
コレージュ・ド・パタフィジック(Collège de ’Pataphysique)が出していた会報の英訳アンソロジー。
翻訳は、Andrew Hugill、Iain White、Antony Melville。
英国の建築家Stanley Chapmanの署名。
チャップマンは、ウリポやフランスのコレージュ・ド・パタフィジック、ロンドン・パタフィジック協会のメンバー。

 

XIANA表紙

XIANAナンバー

XIANA奥付と目次

13. “XIANA”
『シアナ』1993年、72ページ。
Alastair Brotchie編のアンソロジー。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

『LOVE FROM THE PLANET GONG The Virgin Years 1973-1975』

今年もいくつかCDボックスに手を出しましたが、GONGのCD12枚+DVD1枚のボックス『LOVE FROM THE PLANET GONG  The Virgin Years 1973-1975』(2019年、Virgin、UMC)は、隅から隅まで楽しく聴けました。
ハードカヴァー64ページのブックレット1冊と、それとは別に、アルバム個々のブックレットは、ホチキスをはずして、個々に再構成できるように工夫してあって、印刷物も楽しめます。

権利関係がこじれていて、今までGONGのメンバーに全くお金を入れないBYG/CHARLEYから再発されていた1973年の『FLYING TEAPOT』が、今回はじめてVIRGINから、オリジナルマスター音源を使ってCD再発されたことも画期的でした。

 

おまけのステッカー

GONGの半公式サイトで購入したので、復刻版ポスターやステッカーが特典としてついていたのもの嬉しかったです。
おまけに釣られるというのも貧乏性なのでしょうが…。

 

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294. 1990・1991年の『THE PRINTED HEAD』第1巻(2019年12月26日)

1990・1991年の『THE PRINTED HEAD』第1巻外箱

 

外箱に貼られた題簽はだいぶ日焼けしています。

ダダ、シュルレアリスム、ウィーン・グループ、コレージュ・ド・パタフィジック、ウリポなど、非英語圏の前衛的な作品の英語翻訳を中心に、少部数出版を続けている、イギリスのアトラス・プレス(Atlas Press)が、1990年から続けている分冊形式の限定版叢書「THE PRINTED HEAD」の「Volume 1(第1巻)」です。

当時は「BCM ATLAS PRESS」と称していました。
1917年、ニューヨーク・ダダを象徴する雑誌『THE BLIND MAN』が、アンリ・ピエール・ロシェ(Henri-Pierre Roché、1879~1959)、ベアトリス・ウッド(Beatrice Wood、1893~1998)、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、1887~1968)の名前から「P・B・T」(「P」は「Pierre」、「B」は「Beatrice」、「T」はデュシャンのニックネーム「Totor」から)と冠していたように、「BCM」はメンバーのイニシャルではないかと思うのですが確かではありません。

「Volume 1」は、1冊20~48ページの、ステープル綴じの小冊子13冊で構成され、反伝統的な作品のアンソロジーになっています。
当初のもくろみとしては、1月に1冊ぐらいのペースで発行していくという考えだったのではないかと思います。

「THE PRINTED HEAD」ということばは、フランス語で、版を組んで最初に刷る初版を意味する「tirage de tête」を英語に直訳したもの。
表紙は統一されたスタイルで、「a」「t」「l」「a」「s」の5文字を使った「the printed head(印刷頭)」の絵がキャラクターとして使われ、各冊子のタイトルだけを貼り替える形になっているので、各冊で代わり映えはしません。

「Volume 1」は250部限定で、No.1~50は、著者の署名入り(可能であれば)。No.1~150は予約購読者向けで、外箱と1冊の付録付き。No.151~250は予約購読者以外向け。
No.1~250までナンバリングされています。

わたしは遅れてきた予約購読者で、「46」番でした。

 

1990・1991年の『THE PRINTED HEAD』第1巻外箱の題簽

1990・1991年の『THE PRINTED HEAD』第1巻13小冊子

▲『THE PRINTED HEAD』第1巻の外箱の題簽と13冊の小冊子を収めた様子

 

13冊の表紙と奥付、著者・訳者の署名を並べてみます。

Achim Von Arnim “GENTRY BY ENTAILMENT”表紙

Achim Von Arnim “GENTRY BY ENTAILMENT”ナンバー

Achim Von Arnim “GENTRY BY ENTAILMENT”

1. Achim Von Arnim “GENTRY BY ENTAILMENT”
『継嗣限定の紳士』1990年、44ページ
アヒム・フォン・アルニム(1781~1831)はドイツ・ロマン派の詩人。アンドレ・ブルトン(André Breton, 1896~1966)らシュルレアリストは、テオフィル・ゴーティエ(Théophile Gautier、1811~1872)の翻訳を通してアルニムを再評価。
「Die Majoratsherren」(1820年)のAlan Brownによる翻訳。

 

Cecil Helman “THE GOLDEN TOENAILS OF AMBROSIO P”表紙

Cecil Helman “THE GOLDEN TOENAILS OF AMBROSIO P”ナンバー

Cecil Helman “THE GOLDEN TOENAILS OF AMBROSIO P”奥付

2. Cecil Helman “THE GOLDEN TOENAILS OF AMBROSIO P”
『アンブローズ・Pの黄金の爪』1990年、40ページ
セシル・ヘルマン(1944~2009)は、南アフリカの医師・医療人類学者。 著者のサイン。

 

Albert Ehrenstein “TUBUTSCH” 表紙

Albert Ehrenstein “TUBUTSCH” ナンバー

Albert Ehrenstein “TUBUTSCH” 奥付

3. Albert Ehrenstein “TUBUTSCH”
『トゥブッチュ』1990年、28ページ
アルベルト・エーレンシュタイン(1886~1950)はオーストリアのユダヤ系の表現主義文学者。 『トゥブッチュ』は、1907年に書かれ、1911年に発表された作品。Malcolm Greenによる翻訳。初の英訳。
『ドイツ表現主義02』(1971年、河出書房新社)に吉村博次による翻訳収録。

 

Remy de Gourmont “STORIES IN BLUE, BLACK, VIOLET, GREEN & MAUVE”表紙

Remy de Gourmont “STORIES IN BLUE, BLACK, VIOLET, GREEN & MAUVE”ナンバー

Remy de Gourmont “STORIES IN BLUE, BLACK, VIOLET, GREEN & MAUVE”奥付

4. Remy de Gourmont “STORIES IN BLUE, BLACK, VIOLET, GREEN & MAUVE”
『青・黒・紫・緑・モーヴ色の物語』1990年、48ページ
レミ・ド・グールモン(1858~1915)はフランスの文学者。『青・黒・紫・緑・モーヴ色の物語』は1908年に出版。Frederick Reeves Ashfieldによる翻訳。

秋朱之介(西谷操、1903=1997)も、堀口大學訳でグールモンの限定版(1934年)を企画・刊行しています。限定版制作者にとって、魅力的な「こぢんまりさ」があるような気がします。

 

Oskar Pastior “POEMPOEMS” 表紙

Oskar Pastior “POEMPOEMS” ナンバー

Oskar Pastior “POEMPOEMS” 奥付

Oskar Pastior “POEMPOEMS” 近刊予告

5. Oskar Pastior “POEMPOEMS”
『詩詩』1991年、40ページ 。
オスカー・パスティオール(1927~2006)は、ルーマニア生まれのドイツの詩人。 著者のサイン。1973年の作品の抄訳。Malcolm Greenによる翻訳。

巻末に「Volume 2」の予告がありまずが、実際に刊行された「Volume 2」とはだいぶ内容が違います。

 

Harry Mathews “THE AMERICAN EXPERIENCE”表紙

Harry Mathews “THE AMERICAN EXPERIENCE”

Harry Mathews “THE AMERICAN EXPERIENCE”奥付

6. Harry Mathews “THE AMERICAN EXPERIENCE”
『アメリカン・エキスピアレンス』1991年、24ページ
ハリー・マシューズ(1930~2017)は、アメリカの作家。英語圏唯一のウリポ(Oulipo)のメンバー。著者のサイン。

 

Rikki Ducornet “THE BUTCHER’S TALES” 表紙

Rikki Ducornet “THE BUTCHER’S TALES”

Rikki Ducornet “THE BUTCHER’S TALES” 奥付

7. Rikki Ducornet “THE BUTCHER’S TALES”
『ブッチャーの話』1991年、32ページ
リッキー・デュコーネイ(1943~ )は1980年代から作品を発表しているアメリカの作家。スティーリーダンの曲「Rikki Don't Lose That Number(リキの電話番号)」(1974年)に登場する「Rikki」は彼女のことだそうです。 著者のサイン。
1980年に、231部限定で刊行されていた『THE BUTCHER’S TALES』(Aya Press)から。

 

Benjamin Péret “MAD BALLS” 表紙

Benjamin Péret “MAD BALLS” ナンバー

Benjamin Péret “MAD BALLS” 奥付

8. Benjamin Péret “MAD BALLS”
『水晶玉』1991年、32ページ。イヴ・タンギー(Yves Tanguy、1900~1955)の装画。
バンジャマン・ペレ(1899~1959)は、フランスのダダ・シュルレアリスム詩人。James Brookによる翻訳。

1928年頃に書かれたとされる作品。1954年に「Satyremont」名義で刊行。本の表紙には、『Les Rouilles encagées(Encaged Rust、とじこめられた錆)』とある一方、扉には「Les Couilles encagées(Mad Balls、水晶玉)」とある作品。

 

Xavier Forneret “THE DIAMOND IN THE GRASS” 表紙

Xavier Forneret “THE DIAMOND IN THE GRASS” ナンバー

Xavier Forneret “THE DIAMOND IN THE GRASS” 奥付

9. Xavier Forneret “THE DIAMOND IN THE GRASS”  followed by “THE GLOW WORM” by CHARLES NODIER
『草むらのダイヤ』1991年、20ページ
グザヴィエ・フォルヌレ(1809~1884)は、フランスの作家。シュルレアリストによって再発見。 Terry Haleによる翻訳。

 

Eric Basso “EQUUS CABALLUS” 表紙

Eric Basso “EQUUS CABALLUS” ナンバー

Eric Basso “EQUUS CABALLUS” 奥付

10. Eric Basso “EQUUS CABALLUS”
『エクウス・カバラス(馬)』1991年、24ページ
エリック・バッソ(1947~ )はアメリカの作家。 著者のサイン。

 

Marcel Mariën “THE LIFE AND DEATH OF LA BELLE DESIDERATA”表紙

Marcel Mariën “THE LIFE AND DEATH OF LA BELLE DESIDERATA”ナンバー

Marcel Mariën “THE LIFE AND DEATH OF LA BELLE DESIDERATA”奥付

11. Marcel Mariën “THE LIFE AND DEATH OF LA BELLE DESIDERATA”
『希望という女の生と死』1991年、48ページ
マルセル・マリエン(1920~1993)は、ベルギーのシュルレアリスト。 著者のサイン。Terry Haleによる翻訳。協力はMichael Richardson、Sarah Whitfield、Maecel Mariën。

当初は、Heiner Müllerの“Hamletmachine”が予定されていましたが、別の版元から出版されたため、差し替え。

 

Günter Brus “PICTUREPOEMS”表紙

Günter Brus “PICTUREPOEMS”ナンバー

Günter Brus “PICTUREPOEMS”

12. Günter Brus “PICTUREPOEMS”
『絵詩』1991年、48ページ
ギュンター・ブルス(1938~ )は、オーストリアのアーティスト。 著者のサイン。ブルスのペンとインクによる「Bild-Dichtung(Picture-Poem、絵詩)」の選集。Malcolm Greenによる翻訳。

 

Günter Brus “PICTUREPOEMS”表紙

Günter Brus “PICTUREPOEMS”ナンバー

Günter Brus “PICTUREPOEMS”奥付

Alastair Brotchie “DOCUMENTS PERTAINING TO UBIC GESTATION” 目次

13. Alastair Brotchie “DOCUMENTS PERTAINING TO UBIC GESTATION”
『ユビュ懐胎に関する文書』1991年、24ページ。「ユビュ(UBU)懐胎」をめぐる資料集。
アラステア・ブロッチーはアトラス・プレスの編集者。アルフレッド・ジャリの研究者。
13冊目は、150部限定で、予約購読者へのおまけになります。

 

ところで、この12月、Atlas PressのWEBサイトのニュース欄が、マルセル・デュシャンの「泉(Fountain)」をめぐって論争モードになっています。

発端は、2014年11月、『The Art Newspaper』が、ジュリアン・スポルディング(Julian Spalding)とグリン・トンプソン(Glyn Thompson)による記事「マルセル・デュシャンはエルザの便器を盗んだのか?(Did Marcel Duchamp steal Elsa’s urinal?)」という記事を掲載したことのようです。
その内容は、マルセル・デュシャンを有名にした、市販の便器をそのまま使った作品『泉(Fountain)』(1917年)はデュシャンの発案ではなく、ドイツ生まれのアメリカのダダ詩人エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン男爵夫人(Baroness Elsa von Freytag-Loringhoven、1874~)が発案者だったという主張です。男爵夫人の伝記『Baroness Elsa』(2002年)の作者であるアイリーン・ギャンメル(Irene Gammel)の主張をもとにした記事でした。

Atlas Pressのアラステア・ブロッチー(ALASTAIR BROTCHIE)は、ドーン・アデス(DAWN ADES) とともに、その主張は誤りだと、反論「マルセル・デュシャンは泥棒ではない(MARCEL DUCHAMP WAS NOT A THIEF)」を『The Burlington Magazine』(December 2019)に掲載。
Atlas Press のホームページにも転載しています。

前衛芸術における女性アーティストの存在の重要さを見直す動きのなかで、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン男爵夫人の存在を称揚しようとするあまり、デュシャンだけでなく、同じく『泉』事件で重要であったルイーズ・ノートン(Louise Norton)やベアトリス・ウッド(Beatrice Wood)といった女性の存在を無視しているような形になっていることも指摘しています。

『The Burlington Magazine』は、「第269回 1928年の『ザ・バーリントン・マガジン』4月号(2019年4月7日)」で言及したものと同じ美術誌です。現在も刊行されています。

 

『3 NEW YORK DADAS + THE BLIND MAN』表紙

Atlas Pressは、2013年に『3 NEW YORK DADAS + THE BLIND MAN』という、とても素敵な本を刊行しています。
ここでの3人のニューヨークのダダとは、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp、1887~1968)、アンリ・ピエール・ロシェ(Henri-Pierre Roché、1879~1959)、ベアトリス・ウッド(Beatrice Wood、1893~1998)。
アンリ・ピエール・ロシェについては、「第284回 1999年の鶴ヶ谷真一『書を読んで羊を失う』(2019年9月27日)」でも少し言及しています。

内容は、クリス・アレン(Chirs Allen)によるアンリ・ピエール・ロシェ『Victor』の翻訳と、ロシェ・ウッド・デュシャンの3人が1917年に出した『THE BLIND MAN』1号・2号の復刻、それにウッドの回想『I Shock Myself』抜粋から構成され、ドーン・アデスの序文、ドーン・アデスとアラステア・ブロッキーによる注釈を加えて、1917年というアートの世界にとっての変わり目の年を複数の視点で知ることのできる1冊です。

この本をつくったドーン・アデスとアラステア・ブロッキーにとって、「男爵夫人説」は「間違いで不正直(wrong and dishonest)」なものとしか言いようがないのでしょう。

 

平芳幸浩+京都国立近代美術館編『百年の《泉》―便器が芸術になるとき―』表紙

日本でも、デュシャンの「泉」百周年ということで、平芳幸浩+京都国立近代美術館編『百年の《泉》―便器が芸術になるとき―』(2018年4月20日第1刷発行、LIXIL出版)が出ています。
幸か不幸か、256ページの本のなかで、「男爵夫人説」には触れていません。63ページに「註2:《泉》の作者はデュシャンではないという考えも根強くある。デュシャン以外の作者の可能性についての議論としては、例えば、Peter Maaswinkel Marcel, Duchamp: The Enigma of the Uriel, tredition GmbH, 2017を参照。」 とあるので、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン男爵夫人の名前を挙げずに言及したということになるのでしょうか。


〉〉〉今日の音楽〈〈〈

アトラス・プレスが取り上げるウリポ(Oulipo)の世界に見合うような音楽として思い浮かぶのが、石田彰がプロデュースする、富士山ご当地アイドル3776(みななろ)です。3776は富士山の標高3776メートルから付けられた名前です。

2015『3776を聴かない理由があるとすれば』01

2015年のCDアルバム『3776を聴かない理由があるとすれば』の収録時間は、3776秒=62分56秒。この数字の戯れにしびれます。
1秒=1mで、音楽的富士登頂がかないます。

 

2019『歳時記』01

2019年のCDアルバム『歳時記』は、その曲名だけでも圧巻です。

 01. 睦月一拍子へ調
 02. 如月二拍子嬰へ調
 03. 弥生三拍子ト調
 04. 卯月四拍子嬰ト調
 05. 皐月五拍子イ調
 06. 水無月六拍子嬰イ調
 07. 文月七拍子ロ調
 08. 葉月八拍子ハ調
 09. 長月九拍子嬰ハ調
 10. 神無月十拍子二調
 11. 霜月十一拍子嬰二調
 12. 師走十二拍子ホ調

数の戯れと無垢が、奇跡のように結びついた世界です。

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293. 1943年の『書物展望』五月號(2019年12月9日)

1943年の『書物展望』五月號・駒村悼追號表紙

第253回 1981年の『浮世絵志』復刻版(2019年1月21日)」で『書物展望』での大曲駒村追悼について少し書きましたが、気になっていたので現物も入手しました。水濡れがあって状態があまり良くないのが残念。
朱字で「駒村悼追號」とありますが、「駒村追悼號」でしょう。
大曲駒村(1882~1943)は、明治・大正・昭和初期の浮世絵・古川柳研究の推進役的存在だった人です。

表紙は、大曲駒村の蔵書票(大曲駒村の「写楽」風自画像)と蔵書印(紙魚樓人)。
蔵書票には「曲肱書屋蔵票」とあります。
「曲肱」は論語のことばで、枕を買えず自分の肱(ひじ)を枕に寝るような貧しい暮らしでも、正しいことをする楽しみはあるということを含意しています。

「曲肱書屋」に住む「紙魚樓人」、趣味人らしすぎる自称です。

 

『書物展望』五月號・駒村悼追號(1943年5月1日発行、書物展望社、編輯兼発行・斎藤昌三)の裏表紙

▲『書物展望』五月號(1943年5月1日発行、書物展望社、編輯兼発行・斎藤昌三)の裏表紙
大曲駒村が編集発行していた書物雑誌『あかほんや』(1930年)の表紙をアレンジしています。

 

『書物展望』五月號・駒村悼追號の編集後記「新富町便り」

▲『書物展望』五月號の編集後記「新富町便り」
冒頭に「〇決戦時下では折角櫻は咲いても見る人がない。花には氣の毒だが風流の時代ではない。」とあって、斎藤昌三も戦時下のテキストを書く人になっています。続いて、

〇前號の豫告に依つて本號の一部を駒村君の追悼記に割愛したが、期日が迫り過ぎてゐた故か三十餘名の依頼状に對し、三分の一の寄稿とはいさゝか物淋しい感がなくもない。今少し時間があつたら舊知の矢田挿雲、酒井三良、井上和雄、石井研堂の諸氏、少し近くでは尾佐竹博士、荷風翁その他俳友でも相當集つた筈だが、惜しいことをした。然し之れだけでも吾々の氣分は充分通じてゐると思ふ。

とありますが、「特輯 大曲駒村老追悼」には、笹川臨風、柳田泉、松本翠影、宮尾しげを、小熊幸司郞、吉田冬葉、魔山人、木下笑風、可山人、西島○丸、鈴木安藏、石川巖、小島烏水、齋藤昌三といった、十分に濃い面々が寄稿していて、駒村の人物がしのばれます。


『書物展望』五月號・駒村悼追號の目次

▲『書物展望』五月號の目次
目次を見ると、「特輯 大曲駒村老追悼」以外にも、「第267回 1939年の井上和雄『書物三見』(2019年3月18日)」「第268回 1936年の井上和雄『寶舩考(宝船考)』(2019年3月19日)」で取り上げた井上和雄(1889~1946)や、前回や「第227回 1990年の江間章子『タンポポの呪咀』(2018年3月16日)」ほかで取り上げた江間章子(1913~2005)の名前もあります。

特に、『書物展望』とつながりがあったとは思えない、江間章子の随筆「吾が文學」が掲載されていることに驚きました。
この号の執筆者のなかでは紅一点のようです。
どういう経緯で原稿依頼があったのでしょうか。気になります。

 

『書物展望』五月號・駒村悼追號の江間章子のページ

▲『書物展望』五月號に掲載された江間章子の「吾が文學」
江間章子が、『書物展望』に寄稿したのは、この1回だけのようです。

別れの悲しみを書くとき、現在では使うことのないような表現を選んでしまう、戦時下に書かれた随筆です。

文學について、私は心から語つた記憶を持たない」 という江間章子が、三年ぶりに満州から内地にもどった技術官の兄との対話で、「新京では本がよく賣れますよ、讀書熱はすばらしいものです、僕も近頃は小説も買つて讀んでゐるといふ。兄さんが小説を讀むとはねえと母が感心してゐた」という話になり、どういう作家が読まれているかというと「火野葦平、伊藤永之介、上田廣」 で、江間章子は、身近な人達からも小説を書かないかとすすめられます。
江間自身も「小説を書きたいと思ふように」なり、「いつものまにかまたゝくまに三人の女の子の母となって詩を書くのもやめずに、私は此の頃こんな心境にゐる」と書いたあと、小説的エピソードで、随筆を締めくくります。

その最後の部分を引用します。

(夫の)勤務先の新聞社から特派員として派遣されることがきまつたとき、私共は死といふことを何も考へなかつた。夫も私もお役に立つやうにと祈りたい心ばかりだつた。名譽だといふ抽象的なものも泛んでこなかつた。親達は安らかに喜んでくれたと思ふ。
 東京驛に極く身内だけで送つてかえり私は五つになる長女の手をひきながら、反省してもしきれないほど異状な興奮を頭に感じてゐた。
 夫は社に寄つて、往きますとだけ社會部の日誌に書いて行くのだと、家をいつものやうに朝出掛けた。同行の寫眞班はマライに行つて經驗のある日野さんである。
 萬一の場合は白い函を首にさげて進まなければならないのですからねと日野さんが云つたといふ。夫は前日、隊長殿あの旗をうたせて下さい、といふポスターを持つてきて僕の遺言だから壁にはつておけと云つた。私は客間の廊下に通じる扉にはりつけた。來る人達がこれはいゝですねと云ふ。
 私は子供の手をとりながら家へ戻るとき、ちやうど夕燒けの空と美しい富士の峯がはるかにのぞまれた電車のなかで、苦しみといふにはあまりにもつたいなこの別れの想ひが、畏れ多くも 上御一人から頂戴したものであることをつくづくと承知し、身に余る感激に涙した。
 生きていくのに苦しみがあつたときは 陛下から頂戴した苦しみであることを想へば小さな身のいとなみにも御光の照らされてゐることをもつたいなく、有難く、拜みたくなる。
 私の文字も此處に根をおろす氣がする。

昭和18年(1943)の文章です。昭和13年(1938)の文章でも、昭和23年(1948)の文章でもありません。

江間章子のような書き手も、戦地に向かう夫との別れを「この別れの想ひが、畏れ多くも 上御一人から頂戴したもの」「生きていくのに苦しみがあつたときは 陛下から頂戴した苦しみであることを想へば小さな身のいとなみにも御光の照らされてゐることをもつたいなく、有難く、拜みたくなる。」と書く時代だったのだなと思います。

随筆の題が「吾が文學」なので、最後の文の「私の文字」は、「私の文學」ではないかという気がしますが、「私の文字」は根をおろすことなく、傷となって、今も痛んでいます。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

ピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)のファンなのですが、ブレグヴァド氏は告知やSNSに熱心でないので、周辺をこまめにチェックしないといけません。
ふと検索をかけてみたら、 10月17日に、Anthony Moore and Peter Blegvad で、「Human Geography US」という、50分の新作を resonance.fmで放送していたことに気づきました。
えっ、「アメリカ人文地理学」!?これ何!?です。
歌ものでなく、朗読ものということもありますが、ひっそりと放送され、ほとんど話題になっていないのが、なんとも。

アンソニー・ムーアの企画のようで、アメリカの「路上(on the road)」もの。
20世紀アメリカの、ハードボイルドなセンチメンタル・ジャーニーといった趣の50分です。
ピーター・ブレグヴァドが、6人のアメリカ作家の作品抜粋を朗読し、 アンソニー・ムーアが、ギターとフィールド・レコーディング音源など音効担当。
朗読される6人の作家の作品は、20世紀書店の「路上」派コーナーの棚に並んでいそうです。

Jack Black (1871~1932) 『You Can’t Win』(1926)
Richard Brautigan(1935~1984)『Trout Fishing in America』(1967)
John Crowley(1942~ )『Little, Big』(1981)
Edward Dorn(1929~1999)『Way West』(1993)
Thomas Pynchon(1937~ )『Mason & Dixon』(1997)
Charles Willeford(1919~1988)『I Was Looking for a Street』(1988)

「Human Geography US(アメリカ人文地理学)」は、7つのトラックで構成され、次の順で朗読されます。

1. Pynchon
2. Black
3. Brautigan
4. Dorn
5. Willeford
6. Crowley
7. Brautigan again

mp3音源ですが、正規音源を soundcloud で聞くことができます。
聞き逃したことを遅れて気づくような者にとって、ありがたい時代です。

 

本棚に、トマス・ピンチョン(Thomas Pynchon)『メイソン&ディクソン(Mason & Dixon)』と、リチャード・ブローディガン(Richard Brautigan)『アメリカの鱒釣り(Trout Fishing in America)』の2冊はあったので、「Human Geography US」で朗読されている部分を引用してみます。

 

Thomas Pynchon『Mason & Dixon』

▲Thomas Pynchon『Mason & Dixon』(1997年、Henry Holt and Company)ダストラッパー。

トマス・ピンチョン(Thomas Pynchon)『メイソン&ディクソン(Mason & Dixon)』の「50」が、Anthony Moore and Peter Blegvad の「Human Geography US」冒頭を飾ります。

アメリカの北部と南部を地理学的に分けた「メイソン=ディクソン線(Mason-Dixon Line)」で知られる、天文学者チャールズ・メイソン(Charles Mason、1728~1786)とジェレマイア・ディクソン(Jeremiah Dixon、1733~1779)を主人公にした作品です。
新潮社から柴田元幸訳が出ています。

Not all Roads lead to Philadelphia. Chesapeake means as much, and often more, to the Back Inhabitants as Philadelphia, ― so Roads here seldom run in the same sense as the West Line, but rather athwart it, coming up from Chesapeake, and going on, to the North and the West. Soon, lesser roads, linking farms and closer Markets, begin to feed into these Line-crossing roads, ― before long, on one or more of the Corners so defin’d, a Tavern will appear. It is thus, in the Back-Country, evident to all, however unschool’d in Euclid, that each time the Visto crosses a Road, there’s sure to be an Oasis but a few miles north or south.
 “Here’s how we’ll do it,” proposes Mason. “Whenever we come to a Road, one of us goes North, the other South, The one not finding a Tavern in a reasonable Time, returns to the Line, where he finds either the other waiting, or that the other has not yet return’d, ― in which case, he then continues in the same direction, either meeting the other returning, of finding him, already a dozen pints down.”
 East of Susquehanna, under this System, there prove to be Crossings where Inns lie both North and South of the Line, and on such Occasions, entire days may pass with each Surveyor in his own Tavern, not exactly waiting for the other to show up
, ― possibly imagining the good time the other must be having and failing to share. Later, across Susquehanna, there come days when the only Inns are worse than no Inn, and presently days when there are no Inns at all, and at last the night they encamp knowing that for an unforeseeable stretch of Nights, they must belong to this great Swell of Forested Mountains, this place of ancient Revenge, and Beasts outside the Fire-light, ―
(後略)

黒字の部分は朗読を省略しています。「.」の部分でなく「,」の部分で朗読は終わっています。

 

Richard Brautigan『Trout Fishing in America』

▲Richard Brautigan『Trout Fishing in America』 (オリジナル版は1967年。写真はDELLの1972年ペーパーバック版の1978年第10刷)
リチャード・ブローディガン(Richard Brautigan)『アメリカの鱒釣り(Trout Fishing in America)』は、47の断章から構成された小説。
藤本和子訳の晶文社本が懐かしいですが、今は新潮文庫に入っています。

トラック3と最後のトラック7が、『アメリカの鱒釣り』からの抜粋です。

トラック3は、「In The California Bush」から。

(前略)
 Pard was born of Okie parents in British Nigeria and came to America when he was two years old and was raised as a ranch kid in Oregon, Washington and Idaho.
 He was a machine-gunner in the Second World War
, against the Germans. He fought in France and Germany. Sergeant Pard. Then he came back from the war and went to some hick college in Idaho.
 After he graduated from college, he went to Paris and became an Existentialist. He had a photograph taken of Existentialism and himself sitting at a sidewalk cafe. Pard was wearing a beard and he looked as if he had a huge soul, with barely enough room in his body to contain it.
 When Pard came back to America from Paris, he worked as a tugboat man on San Francisco Bay and as a railroad man in the roundhouse at Filer, Idaho.
 Of course, during this time he got married and had a kid. The wife and kid are gone now, blown away like apples by the fickle wind of the Twentieth Century. I guess the fickle wind of all time. The family that fell in the autumn.
 After he split up with his wife, he went to Arizona and was a reporter and editor of newspapers. He honky-tonked in Naco, a Mexican border town, drank Mescal Triunfo, played cards and shot the roof of his house full of bullet holes.
 Pard

(後略)

Pard」で唐突に終わります。

 

最後のトラック7は、「The Mayor of the Twentieth Century」と「The Shipping of Trout Fishing in America Shorty to Nelson Algren」から。

「The Mayor of the Twentieth Century」から

(前略)
 He wore a costume of trout fishing in America. He wore mountains on his elbows and bluejays on the collar of his shirt. Deep water flowed through the lilies that were entwined about his shoelaces. A bullfrog kept croaking in his watch pocket and the air was filled with the sweet smell of ripe blackberry bushes.
 He wore trout fishing in America as a costume to hide his own appearance from the world while he performed his deeds of murder in the night.
 Who would have expected?
 Nobody!
 Scotland Yard?
 (Pouf!)
 They were always a hundred miles away, wearing halibut-stalker hats, looking under the dust.
 Nobody ever found out.
 O, now he’s the Mayor of the Twentieth Century! A razor, a knife and a ukelele are his favorite instruments.
 Of course, it would have to be a ukelele. Nobody else would have thought of it, pulled like a plow through the intestines.


「The Shipping of Trout Fishing in America Shorty to Nelson Algren」から

Trout Fishing in America Shorty appeared suddenly last autumn in San Francisco, staggering around in a magnificent chrome-plated steel wheelchair.
 He was a legless, screaming middle-aged wino.
 He descended upon North Beach like a chapter from the Old Testament. He was the reason birds migrate in the autumn. They have to. He was the cold turning of the earth; the bad wind that blows off sugar.
 He would stop children on the street and say to them, “I ain’t got no legs. The trout chopped my legs off in Fort Lauderdale. You kids got legs. The trout didn’t chop your legs off. Wheel me into that store over there.”
 The kids, frightened and embarrassed, would wheel Trout Fishing in America Shorty into the store. It would always be a store that sold sweet wine, and he would buy a bottle of wine and then he’d have the kids wheel him back out onto the street
, and he would open the wine and start drinking there on the street just like he was Winston Churchill.

(中略)

 I don’t know what happened to him. But if he comes back to San Francisco someday and dies, I have an idea.
 Trout Fishing in America Shorty should be buried right beside the Benjamin Franklin statue in Washington Square. We should anchor his wheelchair to a huge gray stone and write upon the stone:
     Trout Fishing in America Shorty
          20¢ Wash
          10¢ Dry
          Forever

黒字の部分は朗読を省略しています。

ピーター・ブレグヴァドの催眠術師のような深い声が、アメリカ各地をさまよい、アンソニー・ムーアがフィールドレコーディングした環境音と相まって、あるいは、あこがれの世界であったかもしれない、ビートニク的な「路上」の50分が生まれています。
アンソニー・ムーアとギターという楽器は、今まで強く結びついた印象はなかったのですが、ギターの響きは、感傷旅行には欠かせないようです。

 

Black、Dorn、Willeford、Crowleyの4作品の朗読個所のテキストがお分かりの方、ぜひ、お教えください。

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292. 1994年の江間章子『ハナコ』(2019年11月30日)

1994の江間章子『ハナコ』表紙カヴァー

 

秋朱之介(西谷操、1903~1997)最後の装幀本となった江間章子『タンポポの呪咀』(1990年、書肆ひやね)に続いて、書肆ひやねから刊行された、江間章子(1913~2005)の詩集『ハナコ』の表紙カヴァーです。装幀・編集は森孝一。
『タンポポの呪咀』については、「第227回 1990年の江間章子『タンポポの呪咀』(2018年3月16日)」でも書いています。

調べものの途中で、まったく別のものと考えていたものが、結びつく、あるいは、結びつきそうになる場面に気づくことがあります。
そこには別の可能性の芽があったのではないか、とわくわくしたり、結果として実を結ばなかったことを残念に思ったりします。

このサイトで、鹿児島の川内出身の出版人・秋朱之介について書いてきて、最近になって、児玉達雄(1929~2018)関連のことについて調べていますが、この2つが結びつくとは思っていませんでした。
しかし、 細いものながら、つながりがあったことに気づきました。世の中というのは、やはり、どこかでつながってしまうものなのでしょうか。

第263回 1973年ごろの村 次郎詩集『風の歌』筆写版(2019年3月1日)」「第265回 1992年の『児玉達雄詩十二篇』(2019年3月3日)」でも書きましたが、鹿児島に暮らす児玉達雄にとって、青森八戸の詩人・村次郎(石田實、1916~1997)とのつながりは大切なものだったと思います。
その村次郎が、慶応の学生時代、棟方志功(1903~1975)が装画を描いた堀口大學(1892~1981)の詩集が欲しかったことを語っていて、その本はまぎれもなく秋朱之介が制作した堀口大學詩集『ヴェニュス生誕』(1934年、裳鳥会)でした。
そのことについては、「第256回 1934年の秋朱之介の裳鳥会刊『棟方志功画集』広告(2019年2月7日)」に追記しました。

そして、『ヴェニュス生誕』のほかにも、つながりそうな線があったことに気づきました。
秋朱之介が最後に詩集の装幀をした江間章子ですが、1930年代に、慶応の学生と結婚しています。
まだ確認はとれていないのですが、どうもその慶応の学生は、村次郎と同級だったようなのです。戦後、『改造』の編集長となる、小野田政です。
もっとも、江間章子と小野田政は別れてしまうので、この話は、続きがないのですが、1930年代から1940年代にかけて、運命の歯車がかみ合えば、秋朱之介と村次郎がめぐり会うことだって、あり得ない話ではなかったのだなと思います。

 

江間章子と小野田政のことに気づいたのは、青森八戸の圓子哲雄が主宰する詩誌『朔』95号掲載の座談会でした。

青森八戸の圓子哲雄が主宰する詩誌『朔』95号

▲青森八戸の圓子哲雄が主宰する詩誌『朔』95号(1984年11日20日発行、朔社)
児玉達雄旧蔵のものです。村次郎の弟子を自認する圓子哲雄が主宰する詩誌『朔』は、1971年創刊(2015年までに179号)で、児玉達雄のもとには、毎号圓子哲雄の丁寧な手紙とともに送られていたようで、かなり初期からのバックナンバーが揃っていたと思われます。
残念ながら、蔵書処分のときに、ばらけてしまったと思われます。私は鹿児島の古本屋さんで11冊を購入しました。

その95号で、「八戸・詩歌・昔を語る」という座談会があり、その中に、江間章子についての言及がありました。
座談会の出席者は、草飼稔、船水清、村上重治、晴山要一郎。記録者は、圓子哲雄。
場所は、八戸市鮫町「石田屋」 ですが、 石田屋の主人、石田實(村次郎)は参加していません。

江間章子に言及した部分を引用します。

村上  菱山修三も「椎の木」に載せていたね。当時第一書房から三好(達治)の「測量船」、菱山の「懸崖」、丸山(薫)の「帆・ランプ・鷗」と次ぎ次ぎと詩集が出たね。「椎の木」には左川ちか、江間章子もいた。
船水  左川ちか詩集は今では求めるのは大変だが、当時はすぐれた女流詩人で、翻訳もやっていた。今日再評価されているようだね。江間章子の旦那が慶応で、確か村次郎と同級の筈だ。「改造」の編集長だったな。彼も何か小説を書いていたようだ。それはともかく当時の詩壇は「詩と詩論」がリードしていたね。安西冬衛、春山行夫は別として今の人はあまりシュールの詩人は読まれないようだな。
村上  当時の「詩と詩論」を読むべきだな。復刻版が出たと聞いたが手に入るかも知れない。江間章子は九州福岡の出身だな。
晴山  彼女は今も元気で、綺麗なお婆ちゃんだ。昨年彼女と三陸海岸で逢った時、「椎の木」の話をしきりに懐しがっていた。又書くといっていたよ。左川ちかについては伊藤整の彼女だったと言う噂があった。
船水  「椎の木」にはその他、柏木俊三、高松章、山村酉之助、山中富美子、阿部保、乾直恵、高祖保もいた。「椎の木」を僅かでも持っている人がいたら見たいね。今では珍らしいもの。「椎の木」は第一次が昭和二年からで、三好達治、伊藤整、丸山薫、乾直恵、高祖保らが活躍した。第二次は昭和三年から四年までで阪本越郎が編集担当者になるんだ。私らが入った第三次は昭和七年からということになる。

お酒を飲みながらの座談で、放談気味ですが、 〈江間章子の旦那が慶応で、確か村次郎と同級の筈だ。「改造」の編集長だったな。〉という発言には、突然、今まで気づいていなかった線がつながったように思いました。
江間章子は九州福岡の出身だな〉という発言は、江間章子の父親は会津出身で岩手に養子に入った人、母親は岩手の人ですので、別人と勘違いしていると思われます。

 

秋朱之介と同郷の、鹿児島の川内出身の出版人・山本実彦(1885~1952)の伝記、松原一枝『改造社と山本実彦』(2001年、南方新社)に、江間章子と小野田政の結婚の記述があります。

 十二月事件で、「改造」の編集方針は大きく転換をすることになる。昭和二十四年新年号から、先に馘首された編集長に代わって新しく入社した小野田政(後、産経出版社長、産経新聞専務)が編集長となった。
 小野田政は、「改造」創刊時に山本を中心に集まったメンバーのひとり小野田正の息子である。慶応大学在学中に詩人の江間章子と親の反対を押し切って結婚、子供もできたが、親からは勘当同然なので生活に困り、改造社の(山本)実彦を訪ねた。まだ改造社が御成門にあったころである(昭和十四年)。

 

江間章子は、70歳を過ぎてから、3冊の回想録、『埋もれ詩の焔ら』(1985年、講談社)『〈夏の思い出〉 その想いのゆくえ』(1987年、宝文館出版)、『詩の宴 わが人生』(1995年、影書房)を出していますが、そのなかでは、小野田政について、いっさい触れていません。

1999年に刊行された『江間章子全詩集』(宝文館出版)の佐々木桔梗による「解説」でも、結婚については、次のように書かれているだけです。

末娘の原因不明の病気看護等々、江間章子の半生も水路をゆくが如きものではなく、加えて最愛の母(思えば日本最初にスキーをした女性)の死や結婚生活への終止符(共に昭和三十年)等、悲しくもつらい日々もあった。

昭和30年(1955)に小野田政と別れたことがわかります。
江間章子『詩の宴 わが人生』(1995年、影書房)では、昭和30年について、次のように書かれています。

 昭和三十年七月、母は急性肝硬変で、三週間近く入院して、亡くなった。祖母とおなじ六十歳だった。いまとちがって、鼻にチューブを入れる医療でなく、昏睡状態が続いたはての、自然死といっていい、安らかな最期であった。祖母とおなじ六十歳だった。当時は、ラジオ歌謡、童謡、純情少女小説など書いていたものの、私の最もお金のない時代であった。文字通りの、母の〈野辺の送り〉を済ませた。

母親の死を書き、「私の最もお金のない時代であった」とは書いても、離婚のことには、いっさい触れていません。

 

江間章子『ハナコ』(平成6年5月30日発行、書肆ひやね)表紙

▲江間章子『ハナコ』(平成6年5月30日発行、書肆ひやね)表紙

江間章子『ハナコ』(1994年、書肆ひやね)扉

▲江間章子『ハナコ』(1994年、書肆ひやね)扉

江間章子『ハナコ』(1994年、書肆ひやね)口絵

▲江間章子『ハナコ』(1994年、書肆ひやね)口絵
口絵のジャコメッティ作品のテーブルの足の形が、2年後の『ハナコ』特装版の外箱のアイデアのもとになっています。

江間章子『ハナコ』(1994年、書肆ひやね)本文見開き

▲江間章子『ハナコ』(1994年、書肆ひやね)本文見開き
江間章子 詩 林光 曲の「ハナコニ摑マルヨ ハナコカラ逃ゲロ」と「ハナコ症候群」の楽譜を掲載。
林光(1931~2012)の「ハナコ*解題」も収録。

江間章子『ハナコ』(1994年、書肆ひやね)奥付

▲江間章子『ハナコ』(1994年、書肆ひやね)奥付

   江間章子『ハナコ』1994年版と1996年特装版の背

▲江間章子『ハナコ』1994年版と1996年特装版外箱の背

2年後に、特装版が作られています。

 

江間章子『ハナコ』特装版(平成8年8月8日、書肆ひやね)外箱と表紙

▲江間章子『ハナコ』特装版(平成8年8月8日、書肆ひやね)外箱と表紙

   江間章子『ハナコ』特装版(1996年、書肆ひやね)外箱に使われた古裂

▲江間章子『ハナコ』特装版(1996年、書肆ひやね)外箱に使われた古裂
『江間章子全詩集』(1999年、宝文館出版)の佐々木桔梗の「解説」によれば、『タンポポの呪咀』特装版に使われた「古代ダマス織布」の余りが使われています。
佐々木桔梗は、「先般の詩集『ハナコ』の本文総雁皮紙刷りという特別版(平成八年八月刊)の差込みケースの平に細長い波形の窓をあけ、残った織地をこの窓の部分に用いた。この細い窓は同著のカラー口絵、ジャコメッティのシュールレアリズム風なテーブルの足のデザインが生かされたもの。」と説明していますが、ダマス織布とならぶと、外箱の紙の選択が残念な本です。

江間章子『ハナコ』特装版(1996年、書肆ひやね)表紙

▲江間章子『ハナコ』特装版(1996年、書肆ひやね)表紙

江間章子『ハナコ』特装版(1996年、書肆ひやね)の著者署名

▲江間章子『ハナコ』特装版(1996年、書肆ひやね)の著者署名

江間章子『ハナコ』特装版(1996年、書肆ひやね)奥付

▲江間章子『ハナコ』特装版(1996年、書肆ひやね)奥付
限定五拾部内 著者本 第参番

 

『江間章子全詩集』(1999年、宝文館出版)外箱と表紙

▲『江間章子全詩集』(1999年、宝文館出版)外箱と表紙

『江間章子全詩集』(1999年、宝文館出版)表紙

▲『江間章子全詩集』(1999年、宝文館出版)表紙
表紙クロスの、この紫が似合う人は、ほかに浮かびません。

『江間章子全詩集』(1999年、宝文館出版)の著者署名

▲『江間章子全詩集』(1999年、宝文館出版)の著者署名

『江間章子全詩集』(1999年、宝文館出版)奥付

▲『江間章子全詩集』(1999年、宝文館出版)奥付
山田野理夫編。
佐々木桔梗の「解説」では、「第188回 1936年の『木香通信』6月号(2016年9月26日)」で紹介した、秋朱之介のテキスト「梨の花白く咲く頃」を引用して、秋朱之介の江間章子への入れ込みようを特筆しています。
さらに、戦後間もない時期、秋朱之介(西谷操)の操書房で、江間章子の詩集『花籠』刊行が準備され、芹沢銈介の総型染の表紙見本も残されていると書いています(その表紙見本は、1999年当時、佐々木桔梗が所蔵)。

江間章子は、秋朱之介(西谷操)の横浜本牧の自宅を訪ね、そのとき、秋朱之介宅の離れを仕事場にしていた山本周五郎を紹介されたことを回想しているので、その訪問は、詩集『花籠』の相談もあってのことだったと思われます。
残念ながら、江間章子の第一詩集『春への招待』(1936年、東京VOUクラブ出版)に次ぐ、第二詩集になるはずだった『花籠』は、刊行されませんでした。
何があったのか分かりませんが、刊行されていれば、間違いなく、後の世代にとっても垂涎の1冊になったのではないかと思います。
惜しい話です。


江間章子詩集『花籠』(1947年、操書房)は、準備されながらも上梓されなかった本の1冊として、西谷操『水中花』(1936年、昭森社)やノワイユ伯爵夫人・石邨幹子訳『限りなき心』(1956年、昭森社)などとともに、幻の本棚に並んでいます。

 

『埋もれ詩の焔ら』(1985年、講談社)表紙カバー

▲『埋もれ詩の焔ら』(うもれしのほむら、1985年10月21日第1刷発行、講談社)表紙カバー
1930年代のモダニズム詩人、左川ちか(1911~1936)、饒正太郎(1912~1941)、伊藤昌子(生没年不詳)らの回想と、江間章子が選んだ彼らの詩で構成されています。
この本の印刷・装幀は、1930年代の様式でなされるのがふさわしい、と思います。

『埋もれ詩の焔ら』(1985年、講談社)表紙カバー

▲『埋もれ詩の焔ら』(1985年、講談社)表紙カバー
口絵は、1935年に来日したジャン・コクトー(Jean Cocteau、1889~1963)が、江間章子におくった署名。
「えま・しょうこ」で知られていますが、このときは「えま・あきこ」で書いてもらったようです。
この絵は、『タンポポの呪咀』の表紙に使われることになります。

『埋もれ詩の焔ら』(1985年、講談社)の献呈署名

▲『埋もれ詩の焔ら』(1985年、講談社)の献呈署名
アマゾンマーケットプレイスで「可」の古書を購入しました。
届いた本が、江間章子から佐藤朔(1905~1996)への献呈本で、驚きました。

 

『朔』134号(1997年5月26日発行、朔社)

▲『朔』134号(1997年5月26日発行、朔社)
児玉達雄旧蔵の『朔』134号は、佐藤朔と松井さかゑの追悼号でした。表紙の赤ペン字は児玉達雄のもの。
巻頭に佐藤朔の詩「青銅の首」を掲げ、佐藤朔追悼を寄稿していたのは、鈴木亨、新藤千恵、佐岐えりぬ、中村真一郎、白井浩司の5人。
白井浩司の「佐藤朔氏への挽歌」は、追悼というより、批判であり訣別の文章でした。

この『朔』134号には、坂口昌明の46ページの長詩「月光に花ひらく吹上の」も掲載されています。
青森八戸で刊行されている詩誌ですが、鹿児島の人間が読んでも充実した内容でした。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

『仙波清彦・摩訶不思議~千手披露』(2019年、SONY MUSIC)01

『仙波清彦・摩訶不思議~千手披露』(2019年、SONY MUSIC)02

『仙波清彦・摩訶不思議~千手披露』(2019年、SONY MUSIC)03

▲『仙波清彦・摩訶不思議~千手披露』(2019年、SONY MUSIC)
邦楽囃子仙波流の少年時代から数えると、2018年は芸歴50年ということで、2019年に出たCD2枚組のベスト盤。
1983年から2003年のはにわものを中心に選曲されています。
ほんとうなら、2枚組のベスト盤でなく、ボックスが欲しい音楽家です。

小川美潮が歌い、水滴が大河になる、「水」を。

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291. 1994~1997年の『THE RēR QUARTERLY VOLUME 4』(2019年11月23日)

1994年の『ReR Records Quarterly Vol. 4 No.1』CD01

前回に続いて、ヘンリー・カウ(Henry Cow)のクリス・カトラー(Chris Cutler)が編集長として発行していたレコード(CD)+マガジンの写真を並べています。

1991年の「Vol 3 No 3」から少し間を置いてつくられた1994年のVol. 4から、LPはCDになり、アルバム名から「RECORDS」がとれて、『THE RēR QUARTERLY』になります。

上の写真は、1994年の『THE RēR QUATERLY VOLUME 4 NUMBER 1』(1994年、RēR Megacorp-RēR 0401)のCDジャケットです。
選曲、カヴァーとインレイのアートワークは、クリス・カトラー(Chris Cutler)。
ブックレットのレイアウトは、Dirk Vallons。

 

『THE RēR QUATERLY VOLUME 4 NUMBER 1』CDレーベル面

▲『THE RēR QUATERLY VOLUME 4 NUMBER 1』CDラベル面
CDラベル面の魚の絵は、ピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)によるもの。

『unfiled MUSIC UNDER NEW TECHNOLOGY RēR / RECOMMENDED SOURCEBOOK 0401』表紙

▲『unfiled MUSIC UNDER NEW TECHNOLOGY ReR / RECOMMENDED SOURCEBOOK 0401』(1994年、ReR)表紙
『RēR Records Quarterly Magazine』という誌名も、『unfiled SOURCEBOOK』(unfiled MUSIC UNDER NEW TECHNOLOGY ReR / RECOMMENDED SOURCEBOOK)に変わりました。
編集クリス・カトラー(Chris Cutler)
表紙デザインTroy Rapp。表紙写真クリス・カトラー。
制作Counter Productions。A4サイズ112ページ。1500部。

『unfiled MUSIC UNDER NEW TECHNOLOGY RēR / RECOMMENDED SOURCEBOOK 0401』目次

▲『unfiled MUSIC UNDER NEW TECHNOLOGY RēR / RECOMMENDED SOURCEBOOK 0401』目次
口絵はカラーで、ピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)の作品。魚の腹をさばくと宝石が出てくる図で、CDのレーベル面にも使われています。
ほかにも図版で「Ulysse Nardin」「Self-made Men」という作品を掲載。

 

『THE RēR QUATERLY VOLUME 4 NUMBER 2』CDジャケット

▲『the RēR quarterly volume 4 number 2』(1997年、RēR Megacorp-RēR 0402)CDジャケット
カヴァーとCDラベル面の写真は、クリス・カトラー(Chris Cutler)
デザインは、David Butterworth。

『THE RēR QUATERLY VOLUME 4 NUMBER 2』CDレーベル面

▲『the RēR quarterly volume 4 number 2』CDラベル面

『unfiled MUSIC UNDER NEW TECHNOLOGY RēR / RECOMMENDED SOURCEBOOK 0402』表紙

▲『unfiled MUSIC UNDER NEW TECHNOLOGY RēR / RECOMMENDED SOURCEBOOK 0402』(1997年、ReR Megacorp)表紙
編集クリス・カトラー(Chris Cutler)
表紙写真Kersten Glandien。
制作Counter Productions。
印刷Herbert Robinson。A4サイズ88ページ。1000部。

『unfiled MUSIC UNDER NEW TECHNOLOGY RēR / RECOMMENDED SOURCEBOOK 0402』目次

▲『unfiled MUSIC UNDER NEW TECHNOLOGY RēR / RECOMMENDED SOURCEBOOK 0402』目次
ピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)のイラスト作品「Attic」を掲載。

 

この「0402」号をもって、1985年から続いた『THE RēR QUATERLY』は、ひとまず役目を終えます。

 

『オール・アバウト・チェンバー・ロック&アヴァンギャルド・ミュージック Rock In Opposition』(2014年、マーキー・インコーポレィテッド)

▲『オール・アバウト・チェンバー・ロック&アヴァンギャルド・ミュージック Rock In Oppositionとその周辺』(2014年11月21日初版発行、マーキー・インコーポレイティド)
ヘンリー・カウなど、RECOMMENDEDレーベル系のミュージシャンについての、いろんなことを知ることのできる本ですが、『THE RēR QUATERLY』については、情報が薄かったです。

Benjamin Piekut『HENRY COW: THE WORLD IS A PROBLEM』

▲Benjamin Piekut『HENRY COW: THE WORLD IS A PROBLEM』(2019、Duke University Press)
ヘンリー・カウの本格的な評伝・研究書がアメリカのデューク大学の出版局から出ました。まだ手をつけていないので「出ました」とだけしか言えませんが、メンバーの協力のもと、しっかりリサーチされた本のようです。
図版には、そんなに力は入っていません。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

『Henry Cow A cow cabinet of curiosities』

2008年の40周年ボックスのときの、予約者特典CD『Henry Cow A cow cabinet of curiosities』から、「Half the Sky」を。
故リンゼイ・クーパー(Lindsay Cooper)の曲です。1978年のライブ音源。

 

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