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my favorite things 151-160

 my favorite things 151(2015年1月29日)から160(2015年9月30日)までの分です。 【最新ページへ戻る】

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 151. 1976年のキリル・ボンフィリオリ『Something Nasty In The Woodshed』(2015年1月29日)
 152. 2012年のダンカン・ヘイニング『トラッドダッズ、ダーティボッパー、そしてフリーフュージョニアーズ』(2015年3月16日)
 153. 2012年のデヴィッド・アレン『サウンドバイツ 4 ザ レヴェレイション 2012』(2015年3月18日)
 154. 2000年のクリンペライ『不思議の国のアリス』ジャケット(2015年4月25日)
 155. 1940年の松崎明治『ANGLING IN JAPAN (日本ノ釣)』(2015年6月18日)
 156. 1979年のPeter Gabriel「Here Comes The Flood」(2015年7月23日)
 157. 初夏の七郎すもも(2015年7月24日)
 158. 1972年の『天澤退二郎詩集』(2015年8月29日)
 159. 1961年の天沢退二郎詩集『朝の河』(2015年8月30日)
 160. 2015年のユニティー・スペンサー『アーチストになれて運がよかった』(2015年9月30日)
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160. 2015年のユニティー・スペンサー『アーチストになれて運がよかった』(2015年9月30日)

Unity Spencer『Lucky to be an Artist』

 

イギリスの画家スタンレー・スペンサー(Stanley Spencer, 1891~1959)についての本を検索してみましたら、今年になって、ユニティー・スペンサー(Unity Spencer)の本『Lucky to be an Artist』が出ていることを知って、びっくりしました。版元はロンドンのUnicorn Press。本の編集は、ユニティーの一人息子ジョン・スペンサー(John Spencer)がしています。スタンレー・スペンサーの娘と孫が作った本というわけです。

画家スタンレー・スペンサーと画家ヒルダ・カーライン(Hilda Carline, 1889~1950)の間には、2人の娘、長女シリン・スペンサー(Shirin Spencer)、次女ユニティー・スペンサー(Unity Spencer)がいて、その次女がはじめて出した回想録です。スタンレー・スペンサーの娘たちが書いた本は今までなかったので、ゴシップ的関心もありました。

表紙に使われている絵は、スタンレー・スペンサーの出身校でもある美術学校スレイドを出たばかりのころの、ユニティの自画像(1954年)です。ユニティは、両親と同じ「画家」「アーチスト」であることを選んだわけです。

『Lucky to be an Artist(アーチストになれて運がよかった)』というタイトルからすると、ラッキーでハッピーな本を想像してしまいそうですが、ここでの「Lucky」は、ちょっと違うようです。ユニティは、20歳台後半から「depression(鬱)」と長く付き合い続けて、美術教師とし、てまた画家としてアートと関わることでかろうじて生き延びることができて、そのことが幸運(Lucky)だったという意味合いが感じられます。

20世紀前半のイギリスを代表する画家スタンレー・スペンサーの物語は1959年に終わり、そこまでの物語はいろいろな伝記に書かれているのですが、残された者たちの人生は、そのあとも続いていました。 端からは小さく見える世界かもしれないけれど、Unity(唯一)という独特な名前を持った女性にしか書けない回想録になっています。

スタンレー・スペンサーが生まれ、育ち、暮らした、クッカム(Cookham)の「Fernlea」と呼ばれた家は、スタンレー・スペンサーの私的作品の舞台となって、その作品世界を知る人には数々の細部のイメージを刻み続けてきましたが、この本で、スタンレー亡き後の「Fernlea」の様子を知ることができます。スタンレーが亡くなった後は、ユニティー・スペンサーが「Fernlea」の主となって、シングルマザーとして一人息子のジョンを育て、1984年に手放すまで、そこで暮らしていました。残念ながら、幸せな生活の場ではなかったようです。スタンレー・スペンサーの神話化された私的作品の舞台だった「Fernlea」は、その娘の鬱と孤独の場所に変わり、画家ユニティー・スペンサーの絵画作品の舞台でもありつづけたようです。そういう意味では「Fernlea」はアートの魔が棲みついていた場所といえるのかもしれません。

「鬱」な面ばかり強調してしまいましたが、ユニティー・スペンサーは、いま個展を開くと、ほとんどの作品が売れる、求められている画家です。この本は、人生いろいろあったけど、80過ぎまでちゃんと生きた女性の回想録でもあります。ただ、ユニティーの人生の物語であるはずなのに、父親の存在が彼女の存在をかき消すほど強く感じられて、「自立した女性」の回想録という枠には入れにくいのも確かです。それもまた人生でしょうか。

 

1998STANLEY SPENCER STUDIO SALE

▲『STANLEY SPENCER STUDIO SALE』Thursday 5th November, 1998 CHRISTIE'S LONDON
1998年、シリン・スペンサーとユニティー・スペンサーは、姉妹で所有していたスタンレー・スペンサーの作品群をクリスティーズで売却しています。これはそのときのカタログ。相当な遺産になったはずです。

個人的に驚いたことがもうひとつあって、ユニティー・スペンサーは1930年生まれ。わたしの父と同い年だったということです。今までは考えもしなかったのですが、改めて、スタンレー・スペンサーは祖父の世代なのだなあと思い到って、何となく腑に落ちるところがありました。

 

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159. 1961年の天沢退二郎詩集『朝の河』(2015年8月30日)

1961年天沢退二郎詩集『朝の河』表紙

 

天沢退二郎の第二詩集『朝の河』です。1961年3月28日発行。國文社(国文社)から出ています。
カバーの写真は堀塚美保。 跋文「『朝の河』を読む人のために」は大岡信。

I 1959~60
朝の河/REVOLUTION/旅の暮し/陽気なパトロール/男の世界/HISTOIRE/時の男/朝市/血の日曜日/眼と現在/二つの顔/嫉妬
II 1959~61
分娩歌/INTERMEZZI/大洪水/太陽と街と鳥と/さむい空の部屋/広場の黒
III 1958
あなたのめのむこうにも/虹/白いうた

という目次です。1972年の青土社版『天澤退二郎詩集』収録の『朝の河』では、「II」に「風景」が追加され、「III」の三つの詩は『道道補遺』に移されています。

 

1961年天沢退二郎詩集『朝の河』カバー

▲『朝の河』カバー
昭和36年2月3日撮影の著者写真の背景に、1961年公開の東映映画『花かご道中』のポスターが見えます。

 

天沢退二郎著名

▲天沢退二郎の署名

 

『朝の河』目次と奥付

▲『朝の河』目次と奥付

 

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お遊びの続きです。メモがわりに、『朝の河』から「水」とむすびつく詩句を切り貼りしてみました。タイトルに「河」とあるだけに言葉で水びたしの詩集です。もちろん網羅的なものではありませんし、選択は恣意的です。

『朝の河』 1959~1961 水づくし

そのあたりに河が薄ぐろく照はじめる
風に曝された祠を孕女たちが流れ出る(「朝の河」)
稀れに 血の混った羊水が
男の襤褸の小さなのどを潤す(「朝の河」)
馬よりも不毛な榛色の処女たち
はるかな真昼の運河を
ひたすら遠ざかり続けるだろう(「朝の河」)

夜明けの街道を歩いていた男は
とつぜんに理解する
自分の後頭部が鉛の河のように透明なことを(「REVOLUTION」)
彼女はまっさおな手をさし上げ
冷たい湯気の音のなかで花になって絶える(「REVOLUTION」)
町ぢゅうの石が肉のように冷い汗をにじませる(「REVOLUTION」)
港のほうへ
霧がはげしく流れ
くろい甲冑に身を固めた家々の向うで
海の泥濘が裏切りの地平線を張る(「REVOLUTION」)

失神を繋いで飛ぶデッキから
白い少女ががらんどうの瓜を分娩する(「旅の暮し」)
青じろい腕が沼ばたけにあふれ(「旅の暮し」)
めいめいに砂丘を犯しては
ひと雫ずつの墓標をたてる
あとに粘っこい唾のキャラバン(「旅の暮し」)

床屋を密告しカミソリでコーヒーを沸かし(「陽気なパトロール」)
水たまりはかならず撮影し(「陽気なパトロール」)
みんな手を振り小便はたれ流し(「陽気なパトロール」)
髪は泥よけ耳は運河のリボンのように(「陽気なパトロール」)

そろって黒い糞壺にダイビング二度と浮いてこない(「男の世界」)

朝の河はさわやかなトマトを屠る
せきあげる悪汁は港にあふれ
その油黒い舌を岸壁に匍いのぼらせて
男たちの肉の剣を雑巾のように膨らせるのだ
霧のように街を侵す粘液の菜園(「HISTOIRE」)
あとは屠られた赤潮の舌の領分
河は時計のように新しく砂を押し流し
河口の洲にまっさおなバアを継ぎ足し(「HISTOIRE」)
日ぐれの河口に新しい商人たちの船が着くだろう
海岸通(バンド)をまだ白いすあしたちがゆききする
桃いろの喪の虹が港にたなびく(「HISTOIRE」)

するどい雲が動いていた(「朝市」)
耳底を水がながれていた
にわかに泥人形が駆け
つめたい波がぼくの唇を洗った(「朝市」)
ひどいのどの渇き(「朝市」)
かすかに河が
しきりに泣いた(「朝市」)
ぼくの貌の上で
黒い汁が滴り
すぐはじけて散った(「朝市」)

コールタールがゆっくりと鼻血をぬらし(「血の日曜日」)
下水孔の蓋がじりじりと動いた(「血の日曜日」)
黒ずんだ液体がたれて幾人かの足をとらえ(「血の日曜日」)
兵営の方で雷鳴がにぶく雲を砕いたが(「血の日曜日」)

みひらかれた硬い瞳いっぱいに
湿った壁が填っていた(「眼と現在」)
少女の首から下を海が洗っただろう
波にちぎれた腸やさまざまな内臓は
みがかれ輝いて方々の岸に漂いつき
それぞれ黒い港町に成長していっただろう
手足だけはくらげよりも軟かくすべすべして
いつまでも首の下に揺れ続けただろう(「眼と現在」)
ただ透った非常に高いひとつの声が
たくさんの小さな血の鞠となってちらばっていた(「眼と現在」)
ぼくらは黒い港町の廃墟をただ歩き回った(「眼と現在」)

家々は路地へはげしく湯気を噴いた
むきだしの背を刺しつづける壁の水には
読まれることのない文字が浮いては消える(「二つの顔」)
海が薄べったい波を送ってよこした(「二つの顔」)
なまぐさい塩水が迸り出て(「二つの顔」)
赤黒い瘡に湯気が散り
道の縁の細く深いどぶの青い水を
縫ってむすうの裸の男たち女たちが
音もなく泳ぎ流れ(「二つの顔」)
まだ暗黒の海から街々の上に(「二つの顔」)
そこここのどぶから
蝋化した人間たちがひとりまたひとり
身をもたげる(「二つの顔」)
痙攣するあなたの耳のうしろの
海のワイヤアがきれいだ(「二つの顔」)

目をこらしきみらは透明な果物の時間を読む(「嫉妬」)
すっかり砂利のにじんだ唇を唾でぬらし(「嫉妬」)
きみらは真赤な昼の月が漿液を散らすのを見上げ(「嫉妬」)
街路沿いの黒い河がふいに叫び声をあげて飛び(「嫉妬」)
血ばしったきみらの眼をやがて
半透明な魚の死骸が蔽ってしまう(「嫉妬」)

黄いろな涸河の渚づたい
死んだ母を担いだ男の夜が
まきほぐれて笑う空の方へ
きらめく舟を導きつつある(「分娩歌」)
絶えず白濁した液体を滴らすので
男の軌跡はひとすじ低く泡をたてる
いつの日か海がそこを襲うのだ(「分娩歌」)
死んだ母だけが男の内から外へ
これはまた噴水を吐きくだしながら走りだす(「分娩歌」)
早くも海から着いたあの悪血の身ぶるい唄が
きこえない(「分娩歌」)
男の脳では白いぶよぶよの港の幽霊が
吊られて揺れて膨れはじめているのだ
海からの河が網のように蝕む街の空で
男からいまぼくが産まれる(「分娩歌」)

喪あけの街を青々と潮が引いたあと(「風景」)
雲につめたい港を刻んだ男(「風景」)
わらいながら水を叩く(「風景」)
渇きが虹のように砂浜を蔽いだす(「風景」)
むきだし声がどこかで水煙をあげ
のびすぎた河が力なく街の上に失神する(「風景」)
ふたたび青々と潮が港を浸しはじめる(「風景」)
枝ごとにその濡れた内臓が
あるいは安ぴかな肉の宝石が吊るされる(「風景」)

曲り角の罠にごっそり吐血して(「INTERMEZZI」)
なまぬるい川にぶらさがり(「INTERMEZZI」)

毛の根もとを洗ってひろがる重い
けむりが死のための土地から匍い進み
崖をずるずるとずり落ちながら
きれぎれに暗い虹をさっと懸ける
人間たちの青く粘る切口へ向けて(「大洪水」)
精巧な血の街を行く男の(「大洪水」)
女は赤い河の上にうずくまる
どこかに雨の音を聴きながら(「大洪水」)
女の歯がゆかに糸を引いて
断たれゆるやかに白い水が
その間から漏れはじめるが
肉の弧はけいれんしなおも張りつづける(「大洪水」)
青黒い街路になま唾があふれ
いっせいに夜の底を流れだす(「大洪水」)
水よりも透って静かに沈む方舟(「大洪水」)
濁流が引くにつれ
腐爛したノアの臭い裸体が
黒ずんだ臀部から徐々に露わにされる(「大洪水」)

落ちない氷のなかで光の(「太陽と街と鳥と」)
水玉が落ちないいっさんに(「太陽と街と鳥と」)
の上をなだれるコーヒー白いコーヒー(「太陽と街と鳥と」)
ちいさな泡をはじくそれは
きれいだきみのぬれている街は(「太陽と街と鳥と」)
あたしにはわかってるあたしは
立つんだわ走る雨をもちあげ(「太陽と街と鳥と」)
つめたい空がはがれ(「太陽と街と鳥と」)
ぬれたスカートの下で
わらうわよ街がすべって(「太陽と街と鳥と」)
ひろがっていく水がざらざらと(「太陽と街と鳥と」)
ふるえていない街
の水が低く低く吸いとられていく(「太陽と街と鳥と」)

青い男たちと港の旗のみえる部屋(「さむい空の部屋」)
水は窓ガラスを横ざまに吹き流れていったが(「さむい空の部屋」)
ちいさな闘牛士と鮮血の床に黒ずんだ
太陽を包んで匂っていた重い旗布(「さむい空の部屋」)

水は射ち出された(「広場の黒」)
すすの嵌った粘性のないそのしぶきは
とどかぬ舗道に踊る子ども
の指は汚れてた夏の川の記憶に(「広場の黒」)
水がまた飛んできて伸ばした手は(「広場の黒」)
もういけないのか血のたれる唇は遠くの(「広場の黒」)
もういけないのか青い汁を孕んだ紙ふぶき(「広場の黒」)

 

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158. 1972年の『天澤退二郎詩集』(2015年8月29日)

1972天澤退二郎詩集外箱

 

今日も鹿児島は雨です。今年の夏は、8月初めの10日間を除いて、6月、7月、8月と、雨と湿気にまといつかれていたような夏でした。

だからというわけでもありませんが、「水の人」天澤退二郎の本を、ぽつりぽつりと読む夏でした。天澤退二郎の読者としては、その新刊を待ち望んで買い求め始めたのは『欄外詩篇』(1991年)のころからなので、だいぶ遅れてきた読者です。天澤退二郎の散文形式の詩が好きで、初期の作品には手を出してこなかったのですが、この夏のあまりの湿気に、ここまで来たら水びたしになろうと、この夏の「課題図書」は天澤退二郎と決めました。

写真は、1972年に青土社から出た『天澤退二郎詩集』の外箱です。
1950年代と1960年代の詩をまとめた一冊で、本として出版された初期の五つの詩集を収録しています。
 ■『初期詩篇』 1950~1956
 ■第一詩集『道道』1955~1957
 ■『道道補遺』1957~1959
 ■第二詩集『朝の河』 1959~1961
 ■第三詩集『夜中から朝まで』 1961~1962
 ■第四詩集『時間錯誤』 1962~1965
 ■第五詩集『血と野菜』 1966~1969

紙の材質を生かした簡潔な構成に、小さく記憶に突き刺さる赤いカットを添えた装幀は、吉岡実。決まっています。

 

1972年『天澤退二郎詩集』箱と表紙

▲1972年青土社版『天澤退二郎詩集』外箱と表紙

 

1972年『天澤退二郎詩集』奥付
▲1972年青土社版『天澤退二郎詩集』奥付

 

1978年書肆山田版『道道 付*少年詩篇・道道補遺』 外箱

▲1978年に書肆山田から出た『道道 付*少年詩篇・道道補遺』
『道道』は1957年11月舟唄編輯部から出た天澤退二郎の第一詩集です。自費出版で300部。残念ながら手もとにはありません。題字は白崎隆夫で、同じものが書肆山田版でも使われています。
書肆山田の『道道』は、『道道』以前の『少年詩篇 1950~1956』と『道道』以後『朝の河』以前の『道道補遺』を加えた1冊です。

 

1978年書肆山田版『道道 付*少年詩篇・道道補遺』外箱と表紙

▲1978年書肆山田版『道道 付*少年詩篇・道道補遺』外箱と表紙

 

1978年書肆山田版『道道 付*少年詩篇・道道補遺』奥付

▲1978年書肆山田版『道道 付*少年詩篇・道道補遺』奥付

 

詩に現れる水というと、明るい水、春の水、流れる水、蘇生の泉などに傾きそうですが、深い水、眠っている水、死んだ水、重い水、血、濁った水、不純な水、荒れる水、暗黒の海と、天澤退二郎の詩に現れる水はさまざまに変化します。そこには、東日本大震災で大地を浸潤していく黒い水も、原子炉の周りの透明すぎる青い水も含まれているのでしょう。

あたりさわりのない言葉ばかり目にしていると、天澤のことばの水に触れると生き返る感じがするのでした。

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ちょっとしたお遊びですが、メモがわりに、『初期詩篇(少年詩篇)』『道道』『道道補遺』から「水」とむすびつく詩句を切り貼りしてみました。網羅的なものではありませんし、選択は恣意的です。

 

『初期詩篇(少年詩篇) 1950~1956』水づくし

俄かに、しめっぽい風が、西の方の一際(ひときわ)濃い松林の方から吹き渡って来た。(「夕立ち」)
そしてついに、大粒の冷たい雨粒が、叩きつけるように降って来たのである。恐ろしい夕立ちであった。夕立ちなどという形容を超えたもの凄い豪雨であった。ごうごうという松林の咆哮は、地をゆさぶるようだった。地面を突き抜かんばかりの勢で降下して来る雨滴と、それを吹き飛ばそうとする風と、弾き返そうとする笹葉との間に、三つ巴の激しい争闘が展開された。(「夕立ち」)
笹原は既に敗北して、容赦ない風と雨との攻撃の前にひれ伏し、それを弾き返すだけの力もない。だが風と雨との間の争闘はどちらが勝つとも見えなかった。まるで二匹の巨大な爬虫類のように、笹原の上を荒れ狂っていた。(「夕立ち」)

小鬼は、痩せてごつごつした両腕を胸にくみ、甘酸っぱい汁をしたたらす月の面を仰ぐ。(「松樹独白」)

私はぶどう色の少女の瞳から目をそらして、青ぞらの、セメダインの匂いのする小さな雲を見ながらそう云った。(「薔薇」)
そしてくずおれるようにひざを折ったかと思うと、にわかに両手で顔をおおってはげしくすすり泣いた。(「薔薇」)
するとあの真紅の花はいつのまにか枝から散って、赤茶けた砂の上に、まるで血のように、べたりと落ちていたのだった。(「薔薇」)

「花のコップで 光をのめば
水はサラサラ、カランカランカラン」(「春の歌」)

ごらんなさい
風が燃えていますよ
まるで桃いろの渦をまいて
ちらちらちらちら
燃えながら流れています(「林とぬけがら」)

……詩と林檎とではどちらが
水分豊かとお思いですか……(「詩と林檎」)

どこか遠くの細いガラス管のなかで
白い湯がしきりに沸騰している(「初夏」)
色あせた血紅玉髄(サアド)の目盛を焦(じ)らしながら(「初夏」)

悠然として川を下る落花一輪(「花について」椿)

谷川は水車小屋のオルガンを鳴らし(「花について」山百合)
蟻のゼビラは花弁の露に溺れて死んだ(「花について」山百合)

道は青い。青すぎる 沙漠の川。(「まひるの囚」)
メガネザルの 黒く湿った肌に 汗が流れる。足の下の青い流れは首すじへ 鉛のように沈み 眼球は融けて骨盤に粘る。(「まひるの囚」)
遙かなゆくての 旗竿のさきには 血みどろの肉片が ぴらぴらと 風にはためいて ぶらさがっている。(「まひるの囚」)

くらくらと 内向の波紋が定位する(「力学」)
僕は蛙のようにすきとおって その肌に吸いついた(「力学」)
気がつくと僕そのものは
おそろしいスピードで 花冠の底へ吸いこまれていたのである(「力学」)

つめたく沈んだのはらの闇のなかを汽車は黒い罪人のように走った。(「夜汽車」)

霧のような雨がさァと通って
あとは妙に赤茶けた代赭土(ラドル)の畑道(「植物と友情」)
ぼくだって黝い雨後の樹芯ぐらいは
考えてわるいわけではないのだが
さりとて友人もたいせつなものさ(「植物と友情」)
だから いま そのぼくが
白いガラスの案山子みたいな友人を
ステッキにぶらさげてあるいて行くと
膝小僧までびしょぬれだ(「植物と友情」)

青らんだ石の記憶が
一方で透った風の航跡のようにうすれ
また 底の方につめたく浸みわたりはじめる
少しずつ たそがれの砂の帳を切崩しながら
そしてやがては 僕の胸膜を
蹣跚(よろめ)くばかり深々と水びたしにするのだ(「晩夏」)

ひび割れた舗道をひとすじほそく
どこからかの水が這っていたところで
ほんとうはつまらないのではないか(「(ほんとうは……)」)

 

『道道 1956~1957』水づくし

青ざめた泥濘はインクの襞のかなしさ(「ぼくの春」)

青い道が捨てられた川のように
林のかげへ消えている(「道標第二」)

ぼくは入り乱れる支流を探りながら
しんと涸川のような街道に出る(「渇いた道」)
くもり空が苦しく記憶を揺する(「渇いた道」)

……雨のあとのじめじめ濡れた林のなか
  朽葉の下の蜥蜴の下の朽葉の下の……(「行軍」)

ぼくのめざすものは夏 土瀝青(アスファルト)の逃げ水(「道標第七」)
木のけむりよりも柔かな雲のひかりがそそいでいる(「道標第七」)

長雨のあとの粘土の斜面に何度も滑って転びながら(「雲と崖と」)

雪野の面には 涙ぐんだ(「喪神」)

乾いた舗道あざむかれはてた涸川だ(「かげの底(道標第十)」)
腫れぼったい雲のふちが街のうしろへもくらく垂れる(「かげの底(道標第十)」)

はてしない雲のぬかるみ 青ずんだ道の石(「道標第十二」)

一枚また一枚と ちぎるたびに
樹液のすきとおるにがさを傷口に噛みしめて
木は幹のおくから髄のような自分を抜きはがす(「木の晩夏」)
水よ いま流れないでくれ
皮面まであふれよせる汗は苔にむなしく(「木の晩夏」)

 

『道道補遺 1957~1959』水づくし

こんな雨の日は街がなぜしんとするのだろう(「白い道」)
雨はぼくのすぶ上にあってぼくの顔をぬらし
いやそれはさっきから 音もたてずに
ぼくの髪や肩をこんなに湿らせ浸透している(「白い道」)
雨はそのぼくという在り方にそうて流れ浸みてくる…………(「白い道」)
いちめんの雲の疲れきった充実
そこからおりてくる細雨はそれよりももっとそらぞらしい
ぼくはこうして見捨てられたのだ(「白い道」)
樹は道は壁は屋根は丘は 雨のなかに
もうけっして人間をふりかえろうとはすまい(「白い道」)
ぼくの意識が雫のようにガラスに当ってひろがった
こんな雨の日 街はなぜしんとするのだろう(「白い道」)

――誰もいないこのふうけいのとりでに何とはしらず
  水のように漲りひきしまっているものら――(「祭」)

そら一めんすっかり曇っていれば
雲ひとつないのと同じことだ(「リフレーン」)

ぼくらはよごれた雲の下で野宿をした(「白いうた」)
ぼくは雲のようにすきとおらないぼくらだった(「白いうた」)

水っぽい地平線に
赫い紅がくらく林のように落ち
その向うには黴くさい土の市街が
際限なく崩れかえしている筈だった(「虹」)
なま温い雲の湿度が漂っているだけで
何ひとつ近づくものはなかった
沼地から生れたときのまま
ぼくらの裸体をおおいつくしていた軟泥は
いつかかさぶたのように重くかわき
ぼくらは希薄な水の唄のように走っていた
そのぼくらとはすかいに灰色の湿地帯を
汽車はまだ僅かに動いていた(「虹」)
はるか地の果てには
いつからか黄色い虹の帯がひろがり
雲はそのあたりからみにくく硬直しはじめていた(「虹」)

ぽちゃぽちゃと濡れぼったい樹木たちは
両側にずうっと並んでしりぞき
ひそひそと囁きあいながら
みんなこっちを覗っている
雨空が青ぐらくひしぎ
行くてにはこんなに幅ひろく展げられた舗道(「白い呪縛」)
空だけは例のようにくもっているが
それもあの青のそれよりもいっそ意地悪い白の呪縛
内側から胸苦しい汗をにじませる
罪の花ぐもりなのだ(「白い呪縛」)

すべてが静止していた
動かなかった そらにも道にも
ぼさぼさした黄土の霧が呑みきれないほどたちこめて
そのまま底知れずぼくを侵していた(「わが時の挽歌」)
霧よりもつめたく眼の剥片が凍りつき――(「わが時の挽歌」)

舗石はときどき海よりも透きとおり(「あなたのめのむこうにも」)

 

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157. 初夏の七郎すもも(2015年7月24日)

七郎すもも01

 

鹿児島の初夏の味というと、ちょうどオギオンサアのころに出回っていた、赤い果肉の七郎スモモの甘酸っぱい味が、いちばんに思い出されます。

ほんの短い期間に出回る七郎スモモは、鹿児島市内では、丸屋地下にあった果物屋さんぐらいしか扱っておらず、そこでは1玉300円ぐらいしていました。すももとしては大粒ですが、すももは果物の位付けではそんなに高い位置にあるわけではないので、値段の高さもあって、売れている様子もありませんでした。でも、わたしは大好きで、この季節がくるのが楽しみで、この時期になると、丸屋に寄り道したものでした。

丸屋で扱っていたのは、垂水の関谷道直さんが丹精込めてつくった七郎すももでした。

育てるのが難しい品種らしく、関谷さんがつくったものでも味にばらつきがあったのですが、出来のよい当たりの七郎すももは、これはもう「くだもの」というものの完成形ではないかと思っていました。例えば、一流の菓子職人が、いろいろな材料を組み合わせてこんな味を出せたら本望だと夢想するような理想的な味・食感を、一個の七郎すももが、なにも足さないまま、ただ一個で体現している、そんなふうに思わせてくれるのです。 個人的には、当たりの七郎すももこそ「果物の王様」でした。

七郎すももには、単に甘酸っぱいというだけでない、奥行きのある小味があったのですが、それがどういうふうに生まれるものだったのか、今となっては分かりません。

関谷さんが亡くなって、七郎すももが店頭に並ぶことはなくなりました。

 

七郎すもも02

 

関谷さんは、旧制七高で、父の2年先輩にあたる方で、父と年賀状のやり取りをしていることを知って、一度、父と一緒に、垂水の関谷さんの家まで訪ねていったことがあります。1990年ごろでしょうか。七郎すももの収穫はほぼ終わりかけていましたが、果樹園のあちこちにまだ実をつけていました。美しいと思いました。写真はそのときのものです。ピンぼけ気味のフィルムしか残ってないのが残念です。

鹿児島はすももの在来種の宝庫だったとか、七郎すももは在来種ではなく、関谷さんのおじいさんかお父さんが手がけた改良品種だとか、梅雨が終わってじゅうぶんに日を浴びさせタイミングを計って出荷するとか、肥料の与え方に手間と工夫を惜しまないとか、関谷さんからいろいろうかがったのですが、詳しい内容はほとんど忘れてしまいました。丸屋の値段は暴利だなと笑っていました。

父が編集した七高史研究会『七高造士館で学んだ人々(名簿編)』訂正原本を見てみると、関谷さんのところに、2008年1月に亡くなったと書き加えられていました。

 

果物の味の描写というと、まず谷崎潤一郎『吉野葛』(1931年『中央公論』1・2月号、1938年『吉野葛』創元社)の「ずくし」の描写が思い浮かびます。その部分を引用します。

 私たちが辞して帰ろうとすると、
 「何もお構い出来ませぬが、ずくしを召し上って下さいませ」
と、主人は茶を入れてくれたりして、盆に盛った柿の実に、灰の這入っていない空の火入れを添えて出した。
 ずくしはけだし熟柿であろう。空の火入れは煙草の吸い殻を捨てるためのものではなく、どろどろに熟れた柿の実を、その器に受けて食うのであろう。しきりにすすめられるままに、私は今にも崩れそうなその実の一つを恐々手のひらの上に載せてみた。円錐形の、尻の尖った大きな柿であるが、真っ赤に熟し切って半透明になった果実は、あたかもゴムの袋の如く膨らんでぶくぶくしながら、日に透かすと琅玕の珠のように美しい。市中に売っている樽柿などは、どんなに熟れてもこんな見事な色にはならないし、こう柔かくなる前に形がぐずぐずに崩れてしまう。主人がいうのに、ずくしを作るには皮の厚い美濃柿に限る。それがまだ固く渋い時分に枝から捥いで、なるべく風のあたらない処へ、箱か籠に入れておく。そうして十日ほどたてば何の人工も加えないで自然に皮の中が半流動体になり、甘露のような甘みを持つ。外の柿だと、中味が水のように融けてしまって、美濃柿の如くねっとりとしたものにならない。これを食うには半熟の卵を食うようにへたを抜き取って、その穴から匙ですくう法もあるが、やはり手はよごれて、器に受けて、皮を剥いでたべる方が美味である。しかし眺めても美しく、たべてもおいしいのは、丁度十日目頃の僅かな期間で、それ以上日が立てばずくしも遂に水になってしまうという。
 そんな話を聞きながら、私は暫く手の上にある一顆の露の玉に見入った。そして自分の手のひらの中に、この山間の霊気と日光とが凝り固まった気がした。昔田舎者が今日へ上ると、都の土を一と握り紙に包んで土産にしたと聞いているが、私がもし誰かから、吉野の秋の色を問われたら、この柿の実を大切に持ち帰って示すであろう。
 結局大谷氏の家で感心したものは、鼓よりも古文書よりも、ずくしであった。津村も私も、歯ぐきから腸の底へ沁み徹る冷たさを喜びつつ甘い粘っこい柿の実を貪るように二つまで食べた。私は自分の口腔に吉野の秋を一杯に頬張った。思うに仏典中にある菴摩羅果もこれほど美味ではなかったかも知れない。

思えば、関谷さんの七郎すももも、谷崎のこうした描写に価する果物だったと思います。「ずくし」はねっとりしすぎていますが、七郎すももは梅雨明けの初夏の日差しを体現した甘さをもつ、とっておきの果実でした。

 

七郎すもも03

いちど、関谷さんのつくったものではない七郎すももが店頭にならんでいて、お、七郎すももだと買ってみたのですが、関谷さんがつくる七郎すももの、うれしい小味はありませんでした。失われてしまった味なのかもしれません。

 

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156. 1979年のPeter Gabriel「Here Comes The Flood」(2015年7月23日)

1979 Peter Gabriel Here Comes the Flood

 

鹿児島では、梅雨が明けたといいますが、雨と湿気の日々が続いています。そのせいでしょうか、このところ、ついつい頭に浮かぶのがPeter Gabrielの歌「Here Comes The Flood」の一節です。

 Lord here comes the flood
 We'll say goodbye to flesh and blood

直訳すれば、「神様、洪水がきた わたしたちは、肉体と別れを告げるんだ」といった感じなのでしょうか、「flood」と「blood」が韻を踏む陳腐な組み合わせから生まれた歌詞なのかもしれませんが、「おらは死んじまっただ 」と笑いに走るわけでもなく、何やら深刻そうに「洪水が来た」と歌い上げています。でも、考えれば、私たちは実際に洪水が来たとき、そのことを歌ったりはしません。ただただ渦中にいるだけです。「Here Comes The Flood」という歌い上げには、渦中の人の描写ではなく、どこか離人的なよそ事の気配があって、居心地の悪いところがあります。実のところ、この歌詞全体が何を意味しているのか、はっきりとは見えていません。

文字通り「洪水」がきて、死んでしまうことを言っているのか、あるいは、「洪水」が「死」や「臨死体験」の例えになっているのか、あるいは、Peter Gabielが得意とする物語的設定のなかで、物語の細部が未完成まま放置されたため意味の関連づけをとらえるのが難しくなっただけで、歌詞の前後から類推すると「洪水」は人類が次の段階に進んだことを表しているのかもしれない・・・・・・など、いろいろな読み方ができそうなので、一義的な解釈はあきらめています。

1970年代のPeter Gabrielは、確かに「見者(Voyant=ヴォワイアン)」の趣がありましたから、意味より先に言葉を見てしまったのかもしれないという気もします。

1977年発表のPeter Gabriel最初のソロアルバムB面最後の曲として、初めて聴きました。ボブ・エズリン(Bob Ezrin)プロデュースの賑やかな、そのヴァージョンには、今ひとつピンとこなかったのですが、1979年のRobert Frippのアルバム『Exposure』に収録されて、Peter Gabrielのピアノ、Enoのシンセ、そして、Robert FrippのFrippertronics(ギターとテープループを使った装置)の音数を抑えたアレンジで聴いたとき、この曲はひたひたと体にしみわたりました。

1979年に待望の新譜として購入しました。これは米国盤LPのレーベルB面。今なら英国盤を優先して買うのでしょうが、このアルバムはアメリカ録音ということもあって、米国盤を選んだ記憶があります。


「Here Comes The Flood」の詩〔テキストはRobert Fripp『Exposure』(1979)に掲載されたもの〕と、粗訳を掲載してみます。

 

   「Here Comes The Flood」 by Peter Gabriel

 When the night shows the signals grow on radios
 All the strange things they come and go, as early warnings
 Stranded starfish have no place to hide
 Still waiting for the swollen easter tide
 There's no point in direction
 We cannot even choose a side

  夜になって 電波の感度が高まる
  風変わりなものすべて それらが行き交う、手はじめの警告みたいに
  浜辺に打ち上げられたヒトデは隠れるところもなく
  復活の大波を待ち続けている
  どこにも向かうこともできない
  私たちはどちらに行くか選ぶことさえできない

 Lord here comes the flood
 We'll say goodbye to flesh and blood
 If again the seas are silent in any still alive
 It'll be those who gave their island to survive
 Drink up, dreamers, you're running dry

  ああ 洪水だ それがあふれてくる
  私たちは肉体にさよならを告げるんだ
  もし、その海々が再び静寂に包まれ 息をするものが残っていれば
  それが生き残るための新しい島を与えられたものたちなのだろう
  飲み干せ 夢見るものたちよ 君たちはカラッカラだ

 I took the old track
 the hollow shoulder, across the waters
 On the tall cliffs
 they were getting older, sons and daughters
 The jaded underworld was riding high
 Waves of steel hurled metal at the sky
 and as the nail sunk in the cloud
 The rain was warm and soaked the crowd

  私はその古い道を進んだ
  うつろな路肩、いくつもの川や湖を越えて
  その高い崖々の上に
  年老いていった、息子たち娘たち
  衰えた地下世界は高くせり上った
  鉄筋の波が空に金属を投げかけた
  そして、その釘が雲を貫くと
  雨は暖かく、群がるものを濡らした

 When the flood calls
 You have no home, you have no walls
 In the thunder crash
 You're a thousand minds, within a flash
 Don't be afraid to cry at what you see
 The actors gone, there's only you and me
 And if we break before the dawn
 They'll use up what we used to be

  その洪水が来たとき
  君には家もなく壁もなくなる
  雷鳴とどろくなかで
  きみは一瞬にして、千の心になってしまう
  きみは目にするものに泣き叫ぶ そのことを恐れないで
  役者たちは去った ここには君と私だけだ
  もしわたしたちが夜明け前にとぎれたら
  彼らが、私たちであったものを使い尽くすのだろう

 

ノアの洪水やバベルの塔のような聖書的なイメージも感じられます。ただ、そのことばが,自分の中でイメージとして結晶化していないので、訳としては中途半端なままです。1979年からずっと全体像が見えず、もやったままですが、頭を離れることのない曲のひとつです。

Robert Fripp『Exposure』(1979)版の「Here Comes The Flood」には、世界がすべて水でおおわれてしまったあとの静寂のような終末感が漂っていました。「終末感」というのも1970年代的です。 その「終末感」も含めて好きだったのかもしれません。

 

Robert Fripp『Exposure』(1979)

▲Robert Fripp『Exposure』(1979)米国盤LPのジャケット
今では、こういうデザインは「ダサい」の一言で片付けられそうです。このアルバムジャケットのデザインはクリス・スタイン(Chris Stein)です。今ではミュージシャンというより写真家として知られているのかもしれません。
1970年代後半、パンク・ニューウェーブ的なDIYの流れで、ゼロックス・ヴィデオ様式とでも言えそうなグラフィックの花盛りでした。このアルバムジャケットもその様式の中にあると言えそうです。

 

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155. 1940年の松崎明治『ANGLING IN JAPAN (日本ノ釣)』(2015年6月18日)

1940 ANGLING IN JAPAN Cover

 

第9回で『釣技百科』を紹介した松崎明治の別の本を古本屋さんで入手しました。『ANGLING IN JAPAN / 日本ノ釣』という、昭和15年(1940年)に刊行された英語の本です。

昭和9年(1934年)から昭和17年(1942年)にかけて、國際觀光協會が40冊刊行した「TOURIST LIBRARY」という、日本への外国人観光客誘致を目的に、芸術文化から子どもの遊びまで日本に関するさまざまなトピックを英文で紹介する叢書の1冊で、その第32巻になります。「TOURIST LIBRARY」は1冊が100ページ前後の小冊子(brochure)で、『ANGLING IN JAPAN / 日本ノ釣』はちょうど100ページです。

表紙の絵は、伊東深水(1898~1972)。貼り込みになっています。

 

1940 Angling in Japn Titlepage

▲『ANGLING IN JAPAN / 日本ノ釣』口絵とタイトルページ
タイトルページでは、発行元は、BOARD OF TOURIST INDUSTRY (国際観光局) とJAPANESE GOVERNMENT RAILWAYS (日本国有鉄道)になっています。

著者名は、Meizi Matuzakiとあり、本文では「松崎明治」という日本語名は登場しません。英語翻訳者は、R. Okadaとだけあります。たぶん岡田六男かと思われます。

この「TOURIST LIBRARY」の特徴の一つは、日本語のローマ字表記が現在のものと違うことです。
当時の日本政府が出した日本語のローマ字表記方針に従って、旧来の(あるいは現在一般的な)下の( )内に表した表記でなく、次のようなもので統一されています。

 si (shi)
 ti (chi) tu (tsu)
 hu (fu)
 zi (ji)
 sya (sha) syu (shu) syo (sho)
 tya (cha) tyu (chu) tyo (cho)
 zya (ja) zyu (ju) zyo (jo)

ですので、例えば「藤井」は現在なら「Fujii」と表記するのが一般的ですが、「TOURIST LIBRARY」では「Huzii」と表記されています。

1940 Angling in Japan pages

▲『ANGLING IN JAPAN / 日本ノ釣』の見開きページ例。

 

1940 Angling in Japan okuduke

▲『ANGLING IN JAPAN / 日本ノ釣』奥付
宮部幸三という人が「TOURIST LIBRARY」 の編集を担当していたのでしょうか。

定價金五拾錢。右側に貼られた黄色のシールには、
 MITSUKOSHI.LTD
 BOOK DEPARTMENT
 TOKYO JAPAN
とあります。三越でも取り扱っていたのでしょう。

 

1939 日本の釣 cover

▲昭和14年(1939年)三省堂から刊行された松崎明治『寫眞解説 日本の釣』のカヴァー。写真は、昭和54年(1979年)のアテネ書房復刻版のもの。『ANGLING IN JAPAN / 日本ノ釣』とタイトルは共通していますが、内容や写真図版は別物でした。ただ「千葉県大東岬の棚釣」のように同じときに撮ったと思われる写真も使われていて、続き物のようになっています。

 

1939 千葉県大東岬の棚釣

▲『寫眞解説 日本の釣』に掲載された千葉県大東岬の棚釣

 

1940 千葉県大東岬の棚釣

▲『ANGLING IN JAPAN / 日本ノ釣』に掲載された千葉県大東岬の棚釣

 

1940 TOURIST LIBRARY catalogue

▲『ANGLING IN JAPAN / 日本ノ釣』に掲載されている「TOURIST LIBRARY」の刊行目録

昭和9年(1934年)から昭和17年(1942年)にかけて40冊刊行された「TOURIST LIBRARY」の書名と著者名を掲載しておきます。この執筆陣の中に松崎明治もいたのかと改めて思わせる、なかなか豪華な布陣です。戦争渦中の1942年、寿岳文章と長谷川如是閑で終わるというところも編集者の心意気を感じます。刊行予定にある『HISTORY OF JAPANESE COMMUNICATIONS(日本交通史)』Takaharu Mitui(三井高陽、1900~1983)は、「TOURIST LIBRARY」には収められなかったようです。
今、こういう叢書を起こすとしたら、どういった執筆者たちになるのでしょうか。

1. TEA CULT OF JAPAN
 by Yasunosuke Hukukita 福喜多靖之助(1874~1944)
 1934年

2. JAPANESE NOH PLAYS
 by Toyoitiro Nogami 野上豊一郞(1883~1950)
 1934年

3. SAKURA (Japanese Cherry)
 by Manabu Miyosi  三好学(1862~1939)
 1934年

4. JAPANESE GARDENS
 by Matunosuke Tatui 竜居松之助(1884~1961)
 1934年

5. HIROSIGE AND JAPANESE LANDSCAPES
 by Yone Noguti  野口米次郎(1875~1947)
 1934年

6. JAPANESE DRAMA
 by the National committee of intellectual co-operation of the International association of Japan
 1935年

7. JAPANESE ARCHITECTURE
 by Hideto Kisida 岸田日出刀(1899~1966)
 1935年

8. WHAT IS SINTO
 by Genti Kato  加藤玄智(1873~1965)
 1935年

9. CASTLES IN JAPAN
 by N. Orui and Masao Toba
 大類伸(1884~1975)
 鳥羽正雄(1899~1979)
 1935年

10. HOT SPRINGS IN JAPAN
 by Koiti Huzinami  藤浪剛一(1880~1942)
 1936年

11. FLORAL ART OF JAPAN
 by Issotei Nisikawa 西川一草亭(1878~1938)
 1936年

12. CHILDREN'S DAYS IN JAPAN
 by Tamotu Iwado 岩堂保
 illustrated by Takewo Takei 武井武雄(1894~1983)
 1936年

13. KIMONO (Japanese Dress)
 by Ken-iti Kawakatu 川勝堅一(1892~1979)
 1936年

14. JAPANESE FOOD
 by Kaneko Tezuka 手塚かね子
 1936年

15. JAPANESE MUSIC
 by Katumi Sunaga 須永克己(1900~1934)
 1936年

16. ZYUDO (ZYUZYUTSU)
 by Zigoro Kano 嘉納治五郎(1860~1938)
 1937年

17. FAMILY LIFE IN JAPAN
 by Syunkiti Akimoto 秋元俊吉
 1937年

18. SCENERY OF JAPAN
 by T. Tamura  田村剛(1890~1979)
 1937年

19. JAPANESE EDUCATION
 by K. Yosida and T. Kaigo
 吉田熊次(1874~1964)
 海後宗臣(1901~1987)
 1937年

20. FLORAL CALENDAR OF JAPAN
 by T. Makino and Genziro Oka
 牧野富太郎(1862~1957)
 1938年

21. JAPANESE BUDDHISM
 by Daisetu Suzuki 鈴木大拙(1870~1966)
 1938年

22. ODORI (Japanese Dance)
 by Kasyo Matida 町田嘉章(1888~1981)
 1938年

23. KABUKI DRAMA
 by Syutaro Miyake 三宅周太郎(1892~1967)
 1938年

24. JAPANESE WOOD-BLOCK PRINTS
 by S. Huzikake 藤懸静也(1881~1958)
 1938年

25. HISTORY OF JAPAN / 日本歴史
 by Koya Nakamura 中村孝也(1885~1970)
 1939年

26. JAPANESE FOLK-TOYS
 by Tekiho Nisizawa 西沢笛畝(1889~1965)
 1939年

27. JAPANESE GAME OF “GO”
 by Hukumensi Mihori 三堀覆面子(1910~1996)
 1939年

28. JAPANESE COIFFURE
 by R. Saito 斎藤隆三(1875~1961)
 1939年

29. JAPANESE SCULPTURE
 by Seiroku Noma野間清六(1902~1966)
 1939年

30. JAPANESE POSTAGE STAMPS / 日本ノ郵便切手
 by Yokiti Yamamoto 山本与吉
 1940年

31. JAPAN'S ANCIENT ARMOUR
 by Hatiro Yamagami  山上八郎(1902~1980)
 1940年

32. ANGLING IN JAPAN / 日本ノ釣
 by Meizi Matuzaki 松崎明治(1898~1950)
 1940年

33. JAPANESE PROVERBS
 by Otoo Huzii 藤井乙男(1868~1945)
 illustrated by Senpan Maekawa 前川千帆(1888~1960)
 1940年

34. SUMO (Japanese Wrestling)
 by Kozo Hikoyama 彦山光三(1893~1965)
 1940年

35. JAPANESE BIRDS
 by Nobusuke Takatukasa 鷹司信輔(1889~1958)
 Illustrated by Z. Kobayasi
 1941年

36. AINU LIFE AND LEGENDS
 by Kyosuke Kindaiti 金田一京助(1882~1971)
 cover and cuts by S. Sugiyama
 1941年

37. JAPANESE FAMILY CRESTS / 日本ノ紋章
 by Yuzuru Okada 岡田譲(1911~1981)
 1941年

38. JAPANESE INDUSTRIAL ARTS / 日本ノ工芸
 by Seiiti Okuda 奥田誠一(1883~1955)
 1941年

39. HAND-MADE PAPER OF JAPAN / 日本ノ手漉紙
 by Bunsyo Zyugaku 寿岳文章(1900~1992)
 1942年

40. JAPANESE NATIONAL CHARACTER / 日本ノ国民性
 by Nyozekan Hasegawa 長谷川如是閑(1875~1969)
 1942年

 

1940 Sea-shore angling

▲『ANGLING IN JAPAN / 日本ノ釣』に「Sea-shore angling」(磯釣り)というキャプションで掲載された写真

『ANGLING IN JAPAN / 日本ノ釣』のページをめくっていて、鹿児島人的にびびっときた写真です。
これは、松崎明治の故郷である、薩摩半島南部の頴娃の海岸から見た開聞岳を写したものかと思われます。不穏な国際情勢のなか、世界に日本をアピールする冊子で、単に「磯釣り」というキャプションだけのところに、そっと故郷の風景を忍びこませていました。

密かな故郷への目配せに、75年経って、ようやく気付いたような、そんな気持ちになりました。

 

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154. 2000年のクリンペライ『不思議の国のアリス』ジャケット(2015年4月25日)

2000 Klimperei Alice au Pays des Merveilles

 

今年はルイス・キャロル『不思議の国のアリス』が刊行されてから150年です。
ということで、フランスの音楽グループ、クリンペライ(Klimperei)が2000年に出したCDアルバム『Alice au Pays des Merveilles(不思議の国のアリス)』のジャケットです。クリンペライは、ジャンルとしては、トイポップとかアヴァンポップとか言われています。おもちゃのピアノなど、身近にある楽器を使って、エリック・サティの言う「家具の音楽」の系譜に連なる音楽を、もう30年作り続けています。

このアルバムはタイトル通り、ルイス・キャロルの作品に想を得た架空の劇伴というか、標題音楽・描写音楽です。「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」「スナーク狩り」の3部構成で、41の小品で構成されています。

CDを出したインポリサン(IN POLY SONS)レーベルは、Robert Wyattのトリビュート盤も出しています。何か縁もあったのでしょうか、このアルバムジャケットの絵は、Robert WyattのアルバムジャケットでおなじみのAlfreda Bengeが描いています。
クリンペライの音楽にというより、Alfreda Bengeの絵に魅かれたというのが正直なところです。

 

2000 Alfie Benge Wonderdance

▲『不思議の国のアリス』CDのクレジットではALFIE BENGE、絵のタイトルは「WONDERDANCE」です。 「ALFREDA」より、ワイアットが「Alfie my love」と歌っていた「ALFIE」のほうが、なじみます。

 

2015 Alfreda Benge Wonderdance

▲『不思議の国のアリス』150年記念ということもあって、その『WONDERDANCE』のジクリー版が作られていたので、手に入れました。ジクリー(giclee)というフランス語が使われていると何だろうと思ってしまいますが、要は、顔料インクによるインクジェットプリント版です。一応、Alfreda Bengeの直筆サインが入って、画家公認のプリントになっています。
うちに掛けておくには可愛いすぎるかもしれません。

ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』が刊行された150年前の1865年は、薩摩藩から初めての英国留学生が派遣された年です。もしかしたら1865年の英国で『不思議の国のアリス』を手にした薩摩隼人がいたのではないかと想像するだけで、その水と油のような組み合わせに目が回りそうになります。「黄金の昼下がり(The Golden Afternoon)」に思いをはせた薩摩隼人がいたとしたら話は面白くなるのですが、やはり、それはフィクションの世界の話ということになるのでしょう。
鹿児島でも今年、薩摩藩英国留学生150年ということで、いろいろ企画があるようですが、この英国留学生15人のうち、鹿児島に戻って鹿児島で何かを起こした人は1人もいないようです。そういう意味では鹿児島という地域にとって失敗だったのかもしれません。西南戦争前後の鹿児島は帰りにくい場所ではあったでしょうが、例えば新井奥邃のように、戻って私塾を開くような変わり者が1人でもいたら、違う道筋も生まれたのではないかと思ったりもします。

 

FABLES OF AESOP Charles Bennett

▲19世紀のアリス本には手をだしていませんが,テニエルのアリス本挿絵に影響を与えたという説のあるチャールズ・ベネット(CHARLES H. BENNETT、1828~1867)の「イソップ」は手もとにあります。正式なタイトルは、
『THE FABLES OF AESOP AND OTHERS TRANSLATED INTO HUMAN NATURE BY CHARLES H. BENNETT』
版元はW & KENT & Co、彫版はスウェイン(SWAIN)です。
確かに、表紙に使われた裁判の場面は、テニエルが描く不思議の国のアリスの裁判の場面に、特に書記たちが似ています。

上部に値段が印刷されていますが、モノクロ版が「6s.」、カラー版(たぶん多色刷木版ではなく手彩色版)が「10s. 6d.」とあります。手もとにあるのはモノクロ版です。

 

▲ベネットが描く擬人化された動物たちは目が笑っておらず、強力なキャラクター揃いです。これは「ウサギとカメ(THE HARE AND THE TORTOISE)」の挿絵。

 

1857 long s

▲チャールズ・ベネットの「イソップ」の本文テキストを見ると、小文字の「s」が現代では使われないロングエス「ſ」です。小文字の「f」と混同しそうで、ここは1857年を感じます。

 

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153. 2012年のデヴィッド・アレン『サウンドバイツ 4 ザ レヴェレイション 2012』(2015年3月18日)

soundbites 4 tha reVelation 2012_cover

 

デヴィッド・アレン(Daevid Allen)が亡くなったとニュースで知りました。
1938年1月13日生まれ、2015年3月13日没、享年77歳。末期癌ということで治療を続けていて、今年の2月に余命6か月と公表していましたが、その6か月の余命もありませんでした。
このオーストラリア・メルボルン生まれのビートニク詩人、ヒッピー、ミュージシャンが、ふらっとイギリスやフランスの街に現れなければ、ソフトマシーン(Soft Machine)やゴング(Gong)の音楽は、間違いなく生まれなかったのだと思います。
1940年代~1960年代生まれにとって、違う世界があることを教えた「年長者」の一人でした。一生自由人だった稀有な存在でした。

ソフトマシーンのメンバー、ケヴィン・エアーズ、ヒュー・ホッパー、エルトン・ディーンと亡くなって寂しくなるばかりです。

写真は、デヴィッド・アレンが2011年に出した詩集『soundbites 4 tha reVelation 2012』(「啓示のための音片々 2012」2011年刊, Bracketpress)の表紙です。

本棚からデヴィッド・アレンの本や小冊子を引っ張り出してみました。

 

soundbites 4 tha reVelation 2012

▲『soundbites 4 tha reVelation 2012』(2011年, Bracketpress)の外袋。
本文はデジタル製版ですが、袋とダストラッパーは活版印刷でした。

 

soundbites 4 tha reVelation 2012_CD

▲『soundbites 4 tha reVelation 2012』(2011年, flamedogrecords)CD盤

 

1964IF WORDS WERE BIRDS

▲Daevid Allen 『IF WORDS WERE BIRDS』(「ことばが鳥なら」1964年)24ページの小冊子。最初の詩集。Planet Gongサイト再刊版。

 

1966A BOOK OF CHLOROFORMS

▲Daevid Allen 『A BOOK OF CHLOROFORMS Poetry Of The Sleeping Life』 (「クロロフォルムの本 眠る人生の詩」1966年ごろ)Planet Gongサイト再刊版。

 

1969The Curious Story Of WOT HAPPENED TO WALTER

▲Daevid Allen『The Curious Story Of WOT HAPPENED TO WALTER When He Got Into Scuttles With A Doggerel A Banana Book for Helen & Walter The Travellin Allens』(「ウォルターがへぼ詩でスキャットルに入ったとき何が彼に起こったのか奇妙な物語 旅するアレン一家ヘレンとウォルターのためのバナナ本」1969年)Planet Gongサイト再刊版。

 

1971WORDS FROM CAMEMBERT ELECTRIQUE

▲Daevid Allen『WORDS FROM CAMEMBERT ELECTRIQUE』(キャマンベール・エレクトリーク歌詞集、1971年)ゴングのアルバム『 CAMEMBERT ELECTRIQUE』(1971年, BYG)に付属していた8ページブックレット。Planet Gongサイト再刊版。

 

1981Mother Gong - GONG MOVING ON

▲GAS(THE GONG APPRECIATION SOCIETY)『GONG MOVING ON』
ゴング関係者が出していた定期小冊子。1981年秋。

 

1982GAS

▲『WHATS GOING ON GAS 1982』
ゴング関係者が出していた定期小冊子。1982年。

 

1990FREE MOTHER ROMANIA

▲Daevid Allen 『FREE MOTHER ROMANIA Open diaries of Daevid Allen's Transylvanian Adventures July 1990』(「自由にして母なるルーマニア 1990年7月デヴィッド・アレンのトランシルヴァニア冒険日記」1990年、INVISIBLE OPERA COMPANY )Planet Gongサイト再刊版。

 

1992SHAPESHIFTER The Book

▲Daevid Allen『SHAPESHIFTER The Book』(「シェイプシフター」1992年, THE GONG APPRECIATION SOCIETY) Planet Gongサイト再刊版。

 

2003POET FOR SALE

▲Daevid Allen 『POET FOR SALE』(「詩人売ります」2003年 )

 

2007GONG DREAMING 1

▲Daevid Allen『GONG DREAMING 1 From Soft Machine To The Birth Of Gong』(「 デビッド・アレン自伝1」2007年, SAF Publishing)正確な記録の回想ではなく、幻視者、ヴィジョンを見てしまう者の回想です。初版は1994年のGAS版。

 

2009GONG DREAMING 2

▲Daevid Allen『GONG DREAMING 2 The Histories & Mysteries Of Gong From 1965-1979』(「デヴィッド・アレン自伝2」2009年, SAF Publishing)

 

2014you me & us『poesy at play』

▲you me & us『poesy at play』
daevid allen chris cutler yumi hara
2014年
2013年10月・11月の日本でのライブ盤CD。

 

2013you me & us

▲you me & us
2013年
2013年4月・5月のロンドンでのライブ盤CD-R
デヴィッド・アレンは「Dada」とサインしています。生涯DADAです。

 

2014Gong_I SEE YOU

▲2014年11月にリリースされたゴングのアルバム『I SEE YOU』が遺作ということになるのでしょうか。このアルバムは、こんなに突っ走っている76の爺さん見たことないというくらい、DADA ALIことデヴィッド・アレンが全開しています。

 

デヴィッド・アレン追悼記事のなかに、デヴィッド・アレン最後の詩の朗読と思われる2015年2月27日の映像がありました。
亡くなる2週間前です。こんな詩を朗読していました。

 For what is it to die but to stand naked in the wind and to melt into the sun?
 And what is it to cease breathing but to free the breath from its restless tides,
 that it may rise and expand and seek God unencumbered?
 Only when you drink from the river of silence shall you indeed sing.
 And when you have reached the mountaintop, then you shall begin to climb.
 And when the earth shall claim your limbs, then shall you truly dance.

 【粗訳】
 死ぬって、身ひとつで風にさらされて立ち、太陽に溶けこんでしまうことかな?
 そして、息が止まるって、せわしなく寄せては返す波から息を解き放って、
 その息が、高く昇って、拡がって、じゃまされずに神様を探してしまうことかな?
 きみが、沈黙の川から沈黙を飲みほしたとき、はじめてほんとうに歌うことができる。
 そして、きみが山の頂上に達したとき、はじめて登りはじめることができる
 そして、大地がきみの四肢を求めたとき、はじめてほんとうに踊ることができる。


何かがはじまるとき、デヴィッド・アレンのような「よそ者」「流れ者」が街には必要、というか、現れる。
そんなことを思いました。

 

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152. 2012年のダンカン・ヘイニング『トラッドダッズ、ダーティボッパー、そしてフリーフュージョニアーズ』(2015年3月16日)

Trad Dads, Dirty Boppers And Free Fusioneers

 

Duncan Heining『Trad Dads, Dirty Boppers And Free Fusioneers: British Jazz 1960 – 1975』(Equinox, 2012年)、粗訳するとすれば『トラッドジャズ親父、ビバップ野郎に、フリーなフュージョン小僧――英国ジャズ 1960年~1975年』といった感じでしょうか。ヴァル・ウィルマー(Val Wilmer)が撮影したロニースコットのジャズクラブの写真が決まっています。

2年半ほど前に出た本ですが、最近入手しました。「British Jazz, 1960 – 1975」という副題に、負けました。決して「ジャズ好き」に分類されるタイプの人間ではありませんが、1960年~1975年のブリティッシュジャズには負けてしまいます。 大好物です。

内容はというと、マルクーゼ、アドルノ、ベンヤミン、グラムシの社会批評流儀で書かれたブリティッシュジャズ史概説で、階級・植民地・人種・性差・地域差などの観点から、アメリカのジャズとも違うブリティッシュジャズがこの時期に生まれたのかを俯瞰した硬派な本です。とはいえ、作者ダンカン・ヘイニングのコレクター的(しかも正しく偏りのある)音楽熱があちらこちらであふれ出ていて、読むほうもあれこれLPやCDに手を出したくなる、困ったタイプの本です。ぱらぱら拾い読みしただけですが、CDとLPが増えてしまいました。

扱っている時期が1960年~1975年ということで、イギリスのジャズトランペット奏者イアン・カー(Ian Carr, 1933~2009)が書いた 『MUSIC OUTSIDEーCONTEMPORARY JAZZ IN BRITAIN(圏外の音楽ー今日の英国ジャズ)』(1973年初版)と通じるところがあります。

「ジャズ」というとアメリカですが、アメリカからの移入物が、海を渡ったイギリスで、いわばガラパゴス進化を遂げて、独自の輝きを放った時期が1960~1975年でした。何か確実に違ったものが生まれていました。それは日本での海外から移入されたものに起こることとも通じるものがあるような気がします。

もっとも、わたしがそうした音楽を好きなのは、わたしが1970年代の音楽によって脳に永久に残る刻印を受けたようなタイプの人間ということもあって、多分にノスタルジーも入っているのかもしれません。

それでも、なぜこの時期が面白いのか、琴線に触れてしまうのか、改めて考えてしまいます。 何かが混じり合うことによって、否応なしに何かが生まれてしまう、そんな時だったのでしょうか。どうしたら、そのいわく言いがたい何かが生まれてしまうのか、知りたいところです。

ダンカン・ヘイニングは、冒頭で「もしあなたが60年代のことを覚えているとしたら、あなたはその現場にほんとうはいなかったのよ(If you remember the sixties, you weren't actually there.)」というグレイス・スリック(Grace Slick)のものとされる言葉を引用しています。
夢中になって渦中に巻き込まれなければ、時代は創り出せないということでしょうか。傍観者のままでいると、時代を動かす力を感じられず、見過ごしてしまうことも確かにあります。観察者のようでいて実は傍観者になりがちな歴史家の自戒でしょうか。


Ian Carr MUSIC OUTSIDE

▲Ian Carr 『MUSIC OUTSIDEーCONTEMPORARY JAZZ IN BRITAIN(圏外の音楽ー今日の英国ジャズ)』(Northway Publications. 2008年増補版)初版は1973年(Latimer New Dimentions)で、イアン・カーのテキストは1973年当時のものです。ここには、まだ希望と期待が漂っています。

 

ダンカン・ヘイニングの『トラッドダッズ、ダーティボッパー、そしてフリーフュージョニアーズ』は、カナダの発掘CDレーベル、リール・レコーディングス(Reel Recordings)から出ていた同名のコンピ盤と連動していました。同じヴァル・ウィルマーの写真をジャケにしています。

このリール・レコーディングスは、ロバート・ワイアットのクロニクル『wrong movements: a robert wyatt history』(1994年、SAF。邦訳は藤本成昌訳『ロング・ムーヴメンツ―ロバート・ワイアットの足跡』マーキームーン社、1997年)の著者として知られるマイケル・キング(Michael King)が2007年に起こしたCDレーベルです。ミュージシャンの棚の奥に眠っていたオープンリールテープやカセットテープなど未発表音源を発掘して、それを補修してCD化するというレーベルです。 ビジネスモデルとしても面白いなと思っていましたが、残念ながら2012年に店じまいしていたことに、最近、遅まきながら気付きました。がっかりしました。難しかったのかなあ。

『Trad Dads, Dirty Boppers And Free Fusioneers: British Jazz 1960 – 1975』はリール・レコーディングスが出した20組のアルバムのなかで、最後の1枚でした。

リール・レコーディングスが2007~2012年に出した20組のアルバムを並べてみます。CDジャケットはテープをイメージした半円が目印で、レーベル面には、発掘したテープそのものの写真を使っていました。見てすぐリール・レコーディングスのものと分かるデザインでした。

 

Reel Recordings 1-3

R001 Pam & Gary Windo『AVANT GARDENERS』(CD) 2007年
1974年2月のLondon、1976年秋のMaidstone録音。
【演奏者】Pam Windo~Piano, Gary Windo~Tenor Saxophone & Bass Clarinet, Harry Miller~Bass, Louis Moholo~Drums, Frank Perry~percussion

RR002 Kevin Ayers And The Whole World『HYDE PARK FREE CONCERT 1970』(CD) 2007年
1970年のLondon録音。
【演奏者】Kevin Ayers~electric guitar/vocals, David Bedford~electric piano/organ, Lol Coxhill~tenor soprano saxophone/Gibson maestro/slide whistle/percussion, Mike Oldfield~bass guitar, Robert Wyatt~drums

RR003 G.F. Fitz-Gerald & Lol Coxhill『ECHOES OF DUNEDEN THREE FAIRY DANCR DUETS FOR ELECTRIC GUITAR & SOPRANO SAXOPHONE』(CD) 2007年
1975年9月のEdinburugh録音。
【演奏者】G.F. Fitz-Gerald~Electric Guitar, Lol Coxhill~Soprano Saxophone

 

Reel Recordings 4-6

RR004 Ken Hyder's TALISKER『Dreaming Of Glenisla』(CD) 2007年
1975年6月14・15日のWorthing, 1976年2月24日のLondon録音。Caroline盤のレコード起こし。
【演奏者】Davie Webster~alto saxophone/penny whistle/voice, John Rangecroft~tenor saxophone/clarinet/voice, Lindsay Cooper~bass(right channel)/voice, Marc Meggido~bass(left channel)/voice, Ken Hyder~drums/percussion/voice

RR005 Ray Russell『Secret Asylum』(CD) 2007年
1973年録音。
【演奏者】Ray Russell~Electric/Acoustic Guitars & Piano, Harry Beckett~Trumpet & Flugelhorn, Gary Windo~Tenor Szxophone & Flute, Daryl Runswick~Bass, Alan Rushton~Drums

RR006 Mike Osborne『Force Of Nature』(CD) 2008年
1980年10月17日Koln録音。
【演奏者】‘Ozzie’~Alto Sax, Dave Holdsworth~Trumpet, Marcio Mattos~Bass, Brian Abrahams~Drums
1981年4月27日London録音
【演奏者】‘Ozzie’~Alto Sax, Dave Holdsworth~Trumpet, Paul Bridge~Bass, Tony Marsh~Drums

 

Reel Recordings 7-9

RR007 Steve Miller Trio Meets Elton Dean『Steve Miller Trio Meets Elton Dean』(CD) 2008年
1985年11月18日London録音
【演奏者】Steve Miller~Piano, Tony Moore~Bass, Eddie Prevost~Drums, Elton Dean~Saxello
1976年12月Sawbridgeworth録音。
【演奏者】Steve Miller~Piano, Elton Dean~Alto Sax, Pip Pyle~Drums

RR008 Soft Heap『Al Dente』(CD) 2008年
1978年11月22日London録音。
【演奏者】Hugh Hopper~Bass, Elton Dean~Alto Sax/Saxello, Alan Gowen~Electric Piano/Synth, Pip Pyle~Drums

RR009 Kevin Ayers『What More Can I Say』(CD) 2008年
1970年代初期のデモ音源。
【演奏者】Kevin Ayers~Guitars/Voice/Piano & Organ/Words/Music

 

Reel Recordings 10-12

RR010 Command All Stars『Curiosities 1972』(CD) 2008年
1972年2月1・2・3日のLondon録音。
【演奏者】Keith Tippet~piano/electric piano, Elton Dean~electric piano/alto & soprano saxophone, Nick Evans~trombone/valve trombone, Mark Charig~cornet, Harry Miller~bass/African flute, Johnny Dyani~bass, Leith Bailey~drums
1972年12月11日のLondon録音。
【演奏者】Elton Dean~alto saxophone, Nick Evans~trombone, Mark Charig~cornet, Jeff Green~electric guitar, Neville Whitehead~bass, Louis Moholo~drums

RR011 Bob Downes Open Music『Crossing Borders』(CD) 2009年
1978年・1979年のLondon録音。
【演奏者】Bob Downes~alto & tenor saxes/flute/Columbian pan flute/bass flute/Bahian cowbells/vocalizing, Barry Guy~bass, Denis Smith~drums, Brian Godding~electric guitar, Mark Meggido~bass, John Stevens~drums, Paul Rutherford~trombone, Paul Bridge~bass

RR012 Harry Miller's Isipingo『Full Steam Ahead』(CD, Album) 2009年
1975年2月のLondon録音。
【演奏者】Stan Tracey~piano, Mongezi Feza~pocket Trumpet, Nick Evans~trombone. Mike Osborne~alto saxophone, Harry Miller~bass, Louis Moholo~drums
1976年のLondon録音。
【演奏者】Keith Tippett~piano, Mark Charig~trumpet, Malcom Griffiths~trombone, Mike Osborne~alto saxophone, Harry Miller~bass, Louis Moholo~drums
1975年11月のLondon録音。
【演奏者】Frank Roberts~piano, Mark Charig~trumpet, Malcom Griffiths~trombone, Mike Osborne~alto saxophone, Harry Miller~bass, Louis Moholo~drums
1976年8月15日のLondon録音。
【演奏者】Keith Tippett~piano, Mark Charig~trumpet, Paul Neiman~trombone, Mike Osborne~alto saxophone, Harry Miller~bass, Louis Moholo~drums

 

Reel Recordings 13-15

RR013 Splinters『Split The Difference』(CD) 2009年
1972年5月22日のLondon録音。
【演奏者】Edward ‘Tubby’ Hayes~tenor sax & flute, Trevor Watts~alto saxophone, Kenny Wheeler~trumpet & flugelhorn, Stam Tracey~piano, Jeff Clyne~bass, John Stevens~drums, Phil Seamen~drums

RR014/015 Soft Machine『Live At Henie Onstad Art Centre 1971』(2×CD) 2009年
1971年2月28日のノルウェー録音。
【演奏者】Michael Ratledge~Lowrey Holiday deluxe organ/Hohner pianet/Fender Rhodes stage piano mark I, Elton Dean~Selmer alto sax/Saxello/Hohmer pianet, Hugh Hopper~Fender Jazzman bass guitar, Robert Wyatt~Ludwig maple drums/cow bell/voice

RR016 Don Rendell Ian Carr Quintet『Live At The Union 1966』(CD) 2010年
1966年12月12日のLondon録音。
【演奏者】Don Rendell~flute/tenor & soprano saxophone, Ian Carr~trumpet/flugelhorn, Michael Garrick~piano, Dave Green~bass, Tony Reeves~bass, Trevor Tomkins~drums

 

Reel Recordings 16-18

RR017 Radar Favourites『Radar Favourites』(CD) 2010年
1974年秋のLondon録音。
【演奏者】Geoff Leigh~soprano & alto saxophone/flute/oboe, Cathy Williams~piano/keyboard/glockenspiel/vocal, G. F. Fitz-Gerald~electric guitar/baby binson echorec, Jack Monck~bass guitar, Charles Haywards~drums, With special guest Colin McClure~double bass

RR018/019/020 Dreamtime『Double Trouble』(2×CD + DVD-V) 2010年
1984年7月7日のBracknell録音。
【DREANTIME 5】Nick Evans~trombone, Gary Curson~alto saxophone, Jim Dvorak~pocket trumpet/voice, Roberto Bellatalla~bass, Jim Lebaigue~drums
1991年7月2日のLondon録音。
【DREAMTIME 5 PLUS】Paul Rutherford~trombone, Paul Dunmall~tenor & Baritone sax, Kevin Davy~trumpet, Marcio Mattos~bass, Mark Sanders~drums
2006年5月9日のLondon録音。
【DREAMTIME 6】Keith Tippett~piano

RR021/022/023 G.F. Fitz-Gerald & Lol Coxhill Featuring Ian Hinchcliffe『The Poppy-Seed Affair』(DVD + 2×CD) 2011年
1981年Ian Hinchcliffe出演映像作品。
【The Matchbox Purveyors: The Poppy Seed Afair】Soundtrack by Lol Coxhill, soprano & Tenor saxophone, voice, electronics. With Archie Leggett~bass, Robert Wyatt~drums/chicken clucks
1981年10月22日のNewcastle upon Tyne録音。
【An Intimeate Concert】G. F. Fitz-Gerald~electric guitar, Lol Coxhill~soprano saxophone
1969年~1970年代録音。
【G. F. Fitz-Gerald: Solo Electric Guitar, Tape Collage & Loops】

 

Reel Recordings 19-20

RR024/025 Elton Dean's Ninesense『The 100 Club Concert 1979』(2×CD) 2012年
1979年3月5日London録音。
【演奏者】Elton Dean~alto sax/saxello, Alan Skidmore~tenor & soprano saxes, Mark Charig~cornet/tenor horn, Harry Beckett~flugelhorn/trumpet, Nick Evans~trombone, Radu Malfatti~trombone, Keith Tippett~piano, Harry Miller~bass, Louis Moholo~drums

RR026 Various『Trad Dads, Dirty Boppers And Free Fusioneers: British Jazz 1960 – 1975』(CD) 2012年
1961 Mike Taylor Quintet
1964 Henry Lowther – Lyn Dobson Quintet
1965 John Stevens Seve
1966 Mike Osborne – John Surman Quartet
1968 Joe Harriott Quintet
1969 Amancio D’Silva with Don Rendell – Ian Carr Quintet
1971 Gary Windo’s Symbiosis
1974 Lol Coxhill & Steve Miller
1975 Graham Collier Music

 

Radar Favouritesの音源があるなんて、リール・レコーディングスの発掘ではじめて知りました 。
感謝するには遅すぎますけれど、いろんな発掘音源を紹介してくれて、リール・レコーディングス、ありがとう。

 

【2015年3月31日追記】マイケル・キングは、3月はじめに亡くなったそうです。自殺、だったそうです。とても、とても残念です。

 

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151. 1976年のキリル・ボンフィリオリ『Something Nasty In The Woodshed』(2015年1月29日)

1976Bonfiglioli_Something Nasty

 

今から30年前の1985年3月3日、ひとりの作家が肝硬変で亡くなりました。56歳でした。
作家の名前はキリル・ボンフィリオリ(Kyril Bonfiglioli、1928~1985)。美術商をなりわいとし、1960年代にイギリスの『Science Fantasy』誌や『Impulse』誌の編集長をつとめ、1970年代に、食えない美術商チャーリー・モルデカイ(Charlie Mortdecai)を主人公としたピカレスク小説を書いた小説家です。すれっからしの読者に愛された作家ですが、生前はそれほど名の知られた存在ではありませんでした。

生前に出ていた日本語訳は、この『Something Nasty In The Woodshed』(MACMILLAN、1976年)の翻訳『深き森は悪魔のにおい』(藤真沙訳、サンリオSF文庫、1981年)ぐらいでした。

30年たって事情が変わったようです。キリル・ボンフィリオリのチャーリー・モルデカイものが、ジョニー・デップ主演で映画化されてしまいました。その『チャーリー・モルデカイ――華麗なる名画の秘密――』(原題はシンプルに『Mortdecai』)の日本公開にあわせて、ボンフィリオリの作品もまとめて4冊翻訳出版されました。ジョニー・デップ恐るべし、です。モルデカイもの4冊を翻訳させただけでも、映画化にも価値はあろうというものです。

映画については、2月公開なので未見で、そもそもボンフィリオリを映像化できるスタッフが集まったのか危惧していますが、せめてモンティパイソンの面々が出演した映画『ワンダとダイヤと優しい奴ら(A Fish Called Wanda)』(1988年)のような仕上がりになっていれば、と淡く期待しているところです。

少なくとも、映画の出来不出来を超えたところに、ボンフィリオリの小説はあるということで、その作品を並べてみます。

ボンフィリオリの長編小説は5作品あります。発表順に並べると次の通りです。
『Don't Point That Thing At Me』(1973年)第1作。チャーリー・モルデカイもの。
『Something Nasty In The Woodshed』(1976年)第2作。チャーリー・モルデカイもの。
『All The Tea In China』(1978年) 第3作。チャーリー・モルデカイの先祖を主人公とした外伝もの。
『After You With The Pistol』(1979年)第4作。チャーリー・モルデカイもの。設定として第1作と第2作の間の話になります。
『The Great Mortdecai Moustache Mystery』(1999年)第5作。チャーリー・モルデカイもの。没後出版。未完作にCraig Brownが書き足して完成させたもの。

 

The Mortdecai Trilogy

▲『The Mortdecai Trilogy』(Black Spring Press、1991年)ペーパーバック版。表紙デザインはJohn Hamilton。
『Don't Point That Thing At Me』(1973年)
『After You With The Pistol』(1979年)
『Something Nasty In The Woodshed』(1976年)
3作をストーリーの時系列順に配列し、1巻本にしたもの。いい本です。
本来なら第1作の書影を飾りたいところですが、『Don't Point That Thing At Me』(Weidenfeld & Nicolsn、1973年)初版は持っていません。

 

Don't Point That Thing At Me_Penguin

▲1976年に出た『Don't Point That Thing At Me』ペンギン版のペーパーバック。もうちょっと工夫がほしかった表紙イラストです。

 

深き森は悪魔のにおい

▲第2作『Something Nasty In The Woodshed』の日本語版『深き森は悪魔のにおい』(藤真沙訳、サンリオSF文庫、1981年、解説・野口幸夫)カバーは藤居正彦。このジャケットが正解なのか分かりません。

 

1978All The Tea In China

▲『All The Tea In China』(Secker & Warburg、1978年)表紙写真はBill Richmond。

 

1991All The Tea In China

▲『All The Tea In China』(Black Spring Press、1991年)ペーパーバック版。表紙デザインはJohn Hamilton。

 

After You With The Pistol

▲『After You With The Pistol』(Secker & Warburg、1979年)表紙写真はBill Richmond。

 

The Great Mortdecai Moustache Mystery01

▲『The Great Mortdecai Moustache Mystery』(Black Spring Press、1999年)表紙デザインはScarlet Scardanelli。

 

The Great Mortdecai Moustache Mystery02

▲『The Great Mortdecai Moustache Mystery』(Black Spring Press、1999年)の見返し。ボンフィリオリのメモが使われています。

 

The Great Mortdecai Moustache Mystery03

▲ 『The Great Mortdecai Moustache Mystery』(Black Spring Press、1999年)の見返し。

 

The Mortdecai ABC

▲Margaret Bonfiglioli編『The Mortdecai ABC――A Bonfiglioli Reader』(Penguin/Viking、2001年)
ボンフィリオリの短編や『Science Fantasy』誌や『Impulse』誌に書いた編集後記や書簡を収録。ボンフィリオリ夫人が編集。表紙絵はPeter Stemmler。いい本です。

 

ある魔術師の物語

▲ヒラリイ・ワトスン編/中村保男・他訳『ある魔術師の物語 イギリス・ミステリ傑作選’76』(ハヤカワミステリ文庫、1980年)表紙は山田維人。
キリル・ボンフィグリオリの短編「風邪をひかないで」(Catch Your Death、中村保男訳)を収録しています。これも生前の数少ない翻訳でした。

 

角川文庫版モルデカイ4部作01

▲映画公開にあわせて刊行された角川文庫版モルデカイ4部作。帯付きで。
三角和代個人全訳です。この凝ったテキストを全訳ですから、その膂力に感心するのみです。
『チャーリー・モルデカイ1 英国紳士の名画大作戦』(三角和代訳、角川文庫、2015年)『Don't Point That Thing At Me』
『チャーリー・モルデカイ2 閣下のスパイ教育』(三角和代訳、角川文庫、2015年)『After You With The Pistol』
『チャーリー・モルデカイ3 ジャージー島の悪魔』(三角和代訳、角川文庫、2015年)『Something Nasty In The Woodshed』の新訳、
『チャーリー・モルデカイ4 髭殺人事件』(三角和代訳、角川文庫、2015年)『The Great Mortdecai Moustache Mystery』

 

角川文庫版モルデカイ4部作02

▲映画公開にあわせて刊行された角川文庫版モルデカイ4部作。帯なしで。『The Great Mortdecai Moustache Mystery』
カバーイラスト/フジモト・ヒデト、カバーデザイン/bookwall

ボンフィリオリのモルデカイものでは、固有名詞が説明もないまま乱れ撃ちされるのですが、その個々の固有名詞を拾い上げれば1970年代的なものが浮かび上がってきます。時間も限られていたのでしょうが、校正でもう少し固有名詞の表現を突き詰めていってほしかった気もします。

角川文庫版第1巻『チャーリー・モルデカイ1 英国紳士の名画大作戦』の31ページ
「ついにマートランドが驚くほど軽やかに優雅にエトセトラの感じを漂わせてすっくと立ち上がり、ターンテーブルにレコードを置いてクワッド・ステレオスピーカーの音量を入念に調整した。」(Martland at last lumbered to his feet with surprising grace etc. and put a record on the turntable, fastidiously balancing the output to the big Quad stereo speakers.)
と訳されていましたが、「Quad」はイギリスのオーディオメーカー名なので、一般に使われている「クオード」あるいは「クォード」でよかったのでないかと思います。
ここではクオードの大きなコンデンサー式スピーカーをいじっているオーディオマニアもどきの嫌らしさが絵として浮かんできます。
むかしむかし1970年代、「クォード」といえば、ピンクフロイドが使っているオーディオ機器だと、雑誌の記事だかで田舍の少年も読みかじっていて、「クォード」のステレオでピンクフロイドを聴くと、どんなふうだろうと想像したものでした。「クワッド」ではちょっと違う気がします。

 

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