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my favorite things 341-350

 my favorite things 341(2021年3月7日)から350(2021年6月24日)までの分です。 【最新ページへ戻る】

 

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 341. 2003年の『幻想博物館(The Phantom Museum)』(2021年3月7日)
 342. 2006年の『Variantology 2』(2021年3月14日)
 343. 2006年の『想像のメディアの本(Book of Imaginary Media)』(2021年3月21日)
 344. 2011年のピーター・ブレグヴァド『漂白する流れ(The Bleaching Stream)』(2021年3月28日)
 345. 2014年の『キュー・ローン(Kew. Rhone.)』の本(2021年4月5日)
 346. 2014年~2017年の『Uniformagazine』(2021年4月24日)
 347. 2019年のBjorn d'Algevey『THE MARVELOUS MOO / MILANO EAGLES』(2021年4月25日)
 348. 1946年の『思索』夏季號(2021年5月27日)
 349. 1953年のレイノルズ・ストーン編『トマス・ビュイックの木口木版画』(2021年6月1日)
 350. 1955年のアイオナ&ピーター・オピー編『オックスフォード版ナーサリーライムの本』(2021年6月24日)
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350. 1955年のアイオナ&ピーター・オピー編『オックスフォード版ナーサリーライムの本』(2021年6月24日)

1955年のアイオナ&ピーター・オピー編『オックスフォード版ナーサリーライムの本』ダストラッパー

 

個人的な好みもありますが、1950年代の英国の本には、しっかりした好ましいつくりのものが多い、という印象があります。

戦中戦後の物資不足から抜けだしたことや、活版印刷という産業の終わりを前にした成熟、ということもあるのでしょう。

『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』(1955年、Oxford University Press)も、1950年代の本らしく、丁寧に編集制作されていて、2021年の今、手にしても、丈夫で読みやすくて魅力的な本です。

アイオナ・オピー(Iona Opie、1923~2017)とピーター・オピー(Peter Opie、1918~1982)夫妻の、ナーサリーライム(童歌)、子ども遊び、子どもの伝承など,イギリスの児童文化についての歴史研究は、濃厚な時間を約束する本を産み出しています。

『オックスフォード版ナーサリーライムの本』は、1952年の『オックスフォード版ナーサリーライム辞典』(THE OXFORD DICTIONARY OF Nursery Rhymes)と対になっていて、収録された図版やテキストは、オピー夫妻の博捜と収集の成果です。
いずれも、刊行から60年過ぎた現在も版を重ねて、価値を減じることのないロングセラーになっています。

『オックスフォード版ナーサリーライムの本』の挿絵図版は、すべてモノクロですが、小さな図版がもつ魅力がつまっています。
オピー夫妻が収集した18・19世紀の図版と、木口木版の名手ジョアン・ハッサル(JOAN HASSALL、1906~1988)が新たに作成したものが、絶妙にまじっていて、小さなものたちの楽しみがいっぱい詰まった本です。

ジョアン・ハッセルについては、「第13回 1937年のフランシス・ブレット・ヤング『ある村の肖像』(2012年10月21日)」でも少し言及しています。
『ある村の肖像(PORTRAT OF A VILLAGE)』(WILLIAM HEINEMANN、1937年)は、ジョアン・ハッセルの最初期の木口木版を挿絵にしていますが、すでに達人です。

 

【2022年2月22日追記】
『オックスフォード版ナーサリーライムの本』の図版を「木版図版」としていましたが、ジョアン・ハッサルが作成したもののうち、木版は15点ほどで、約150の図版は「scraperboard drawing」(「スクラッチボード」とも呼ばれ、白地の陶板などに黒インクの膜をはり、それを刻みとることで完成する技法。木版のように刷る工程を含みません)なので、表現を改めました。
1951年から関節炎を患い、木版の彫刻作業が長く続けることが難しくなり、強い力をいれずに作業が可能な「scraperboard drawing」での創作をはじめたようです。

 

『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』ダストラッパーのそで

▲『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』ダストラッパーのそで

 

『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』表紙

▲『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』表紙

 

『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』扉

▲『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』扉

 

『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』刊記

▲『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』刊記
冒頭の図版は、1835年の『The Amusing History of Mother Goose』から。
手もとにある本は、1957年の一部修正したリプリント版(REPRINTED WITH CORRECTIONS 1957)です。

 PRINTED IN GREAT BRITAIN
 AT THE UNIVERSITY PRESS, OXFORD
 BY CHARLES BATEY, PRINTER TO THE UNIVERSITY

大学出版局が、印刷を外注せず、自前で印刷しているものが好きです。
自主独立にかかわることでもあります。

 

『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』のページから01

▲『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』のページから
「BABY GAMES AND LULLABIES」(赤ちゃんのゲームと子守唄)の扉絵
ジョアン・ハッセルの図版。

 

『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』のページから02

▲『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』のページから
「JINGLES」
ジョアン・ハッセルの図版。

 

『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』のページから03

▲『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』のページから
「Sing a Song of Sixpence」(6ペンスの唄を歌おう)
ジョアン・ハッセルの図版。

 

『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』のページから04

▲『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』のページから
「The Tragical Death of A, Apple Pie」(A-アップルパイの悲劇の死)
図版は、1860年の『The History of an Apple Pie』から。

 

『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』のページから05

▲『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』のページから
「MOUSE AND MOUSER」と「DILLY DILLY」
ジョアン・ハッセルの図版。

 

『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』のページから06

▲『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』のページから
「Ten Little Nigger Boys」や「Ten Little Indians」のように差別と結びついた歌もあります。
ジョアン・ハッセルの図版。

 

『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』のページから07

 『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』のページから08

▲『オックスフォード版ナーサリーライムの本(The Oxford Nursery Rhyme Book)』のページから07
本文の最後のページに、アイオナ&ピーター・オピーとジョアン・ハッセルのポートレイト。
ジョアン・ハッセルの木口木版(縦30×横60ミリ)。
輪廓がくっきりしていて、ジョアン・ハッセルの作品だと、ひと目で分かります。

 

小さなものがいっぱい詰まった本は、それだけで、わくわくします。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

前回のBillie Bottleに続いて、今回もPledgeMusicがらみのCDを。

音楽ファンがクラウドファンディングで出資し、ミュージシャンにCDを制作してもらうというPledgeMusicは、当初はうまくいって面白い作品を生み出していましたが、PledgeMusicが破産すると、企画が中途のままの作品をたくさん生み出し、出資していた人にも何の見返りもないことも多かったようで、こうした仕組みの難しさを感じます。

それでも、新たな支援を得て、CDの制作までこぎつけることのできたものもありました。
例えば、ニール・イネス(Neil Innes、1944~2019)の遺作となった『NAERLYREALLY』もそうしたCDの1枚でした。

 

Neil Innes『NAERLYREALLY』(2019年)

Neil Innes『NAERLYREALLY』(2019年) 02

▲Neil Innes『NAERLYREALLY』(2019年)

 

     
PledgeMusicで制作資金を集めていて、宙ぶらりんになっていたことには気づいていませんでしたが、It’s Immaterialの30年ぶりの新譜がでたときは驚きました。

 

It's Immaterial『House For Sale』(2020年、It's Immaterial) 01

It's Immaterial『House For Sale』(2020年、It's Immaterial) 02

▲It's Immaterial『House For Sale』(2020年、It's Immaterial)
「売家」というタイトルも苦労を感じさせます。
30年前の『Song』から地続きの音です。

 

It's Immaterial『Life's Hard And Then You Die』(1986年、Siren) 01

It's Immaterial『Life's Hard And Then You Die』(1986年、Siren) 02

▲It's Immaterial『Life's Hard And Then You Die』(1986年、Siren)
写真は2016年の2枚組再発CD(Caroline Records)

 

It's Immaterial『Song』(1990年、Siren、Virgin Japan)

▲It's Immaterial『Song』(1990年、Siren、Virgin Japan)
このセカンドアルバムは、ブルーナイル(Blue Nile)の『Hats』(1989年、Linn Records)と一緒によく聴いていました。

 

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349. 1953年のレイノルズ・ストーン編『トマス・ビュイックの木口木版画』(2021年6月1日)

1953年のレイノルズ・ストーン編『トマス・ビュイックの木口木版画』ダストラッパー

 

洋古書で、図書館から「withdraw」された本、廃棄本というと、言葉が強いですが、リサイクルにだされた本があります。

見返しに貸出票が貼られていたり、図書館のスタンプがいろんなところに押されていたり、書き込みもあったりして、まっさらなミント・コンディションをのぞむ人には向きませんが、ほとんど送料だけのような価格で売られているものがあって、時々手をだします。

この『トマス・ビュイックの木口木版画』(『Wood Engravings OF THOMAS BEWICK』1953年、Rupert Hart-Davis)は、木口木版技法で本のイラストの歴史を変えたトマス・ビュイック(Thomas Bewick、1753~1828)の1巻本選集ですが、そうした図書館から放出された本を入手しました。

ネット通販だったので、状態は手に取ってみるまでわからなかったものの、届いた本はダストラッパーもしっかり残っていて、図版の状態も良い本で、拾いものでした。

個人の感想ではありますが、あの人が関わっていたなら、いい本に違いないという人が何人かいて、編者のレイノルズ・ストーン(Reynolds Stone、1909~1979)は、そういう人の一人。
木口木版の複製を集めた本として、とてもよい仕上がりです。

図版は、状態のよい刷りのものを吟味して、コロタイプ印刷によって複製(Reproduced in Collotype)。
コロタイプは、モノクロ図版を、もっとも繊細に再現できる印刷方法です。


1巻本で、たくさんの図版が入った本は好物です。
それには個人的な好みもあって、このサイトでも、

第99回 1977年の『レイノルズ・ストーン木版画集』(2013年3月24日)
第100回 1959年の『グウェン・ラヴェラの木版画』(2013年3月26日)

など、いずれもレイノルズ・ストーンがらみのものを少し紹介しています。

光沢のあるアート紙を使わないというのも、好みのひとつでしょうか。

この『トマス・ビュイックの木口木版画』も、そうしたたくさんの図版が好ましく印刷された本のひとつです。

 

『トマス・ビュイックの木口木版画』ダストラッパーの耳

▲『トマス・ビュイックの木口木版画』ダストラッパーのそで
「£5:5:0 net」とあります。1953年だと、かなり高い価格設定という気がします。

 

『トマス・ビュイックの木口木版画』表紙

▲『トマス・ビュイックの木口木版画』表紙
本のサイズは、縦250×横190×幅27ミリ。
テキスト56ページ、図版108ページ。
ナンバリングされた図版は351点を収録。

 

『トマス・ビュイックの木口木版画』扉

▲『トマス・ビュイックの木口木版画』扉
中央のトマス・ビュイックの楕円肖像は、レイノルズ・ストーンによる木口木版。

 

『トマス・ビュイックの木口木版画』目次

▲『トマス・ビュイックの木口木版画』目次

 

『トマス・ビュイックの木口木版画』「GAY'S FABLES」「SELECT FABLES」のページから

▲『トマス・ビュイックの木口木版画』「GAY'S FABLES」「SELECT FABLES」のページから
Mr Gray『Fables』(『寓話』1779年、1797年)
『Selected Fables』(『寓話選』1784年、1820年)


『トマス・ビュイックの木口木版画』「QUADRUPEDS」のページから

▲『トマス・ビュイックの木口木版画』「QUADRUPEDS」のページから
『A General History of Quadrupeds』(『獣類総誌』、1790年、1824年)

 

『トマス・ビュイックの木口木版画』「BIRDS」のページから

▲『トマス・ビュイックの木口木版画』「BIRDS」のページから
『History of British Birds』(『イギリス鳥類誌』)
 Vol.I:Land Birds(第1巻『陸鳥編』、1797年、1826年)
 Vol.II:Water Birds(第2巻『水禽編』、1804年、1826年)

 

『トマス・ビュイックの木口木版画』「AESOP'S FABLES」のページから

▲『トマス・ビュイックの木口木版画』「AESOP'S FABLES」のページから
『The Fables of Aesop, and Other, with Designs on Wood, by Thomas Bewick』(『イソップ寓話』1818年)

 

『トマス・ビュイックの木口木版画』「TAIL-PIECES FROM THE QUADRUPEDS」のページから

▲『トマス・ビュイックの木口木版画』「TAIL-PIECES FROM THE QUADRUPEDS」のページから
『A General History of Quadrupeds』(『獣類総誌』)の章末などに、埋め草的に入れられた挿絵を集めたもの。
メインの獣類図鑑の図版とは違い、独立した物語性の感じられる絵が多く、それを読み解くのもページをめくる楽しみになっています。

tailpiece(尻尾飾り)をもじって、talepiece(お話飾り)という人もいます。

 

『トマス・ビュイックの木口木版画』「DESIGNS FROM THE CHASE」のページから

▲『トマス・ビュイックの木口木版画』「DESIGNS FROM THE CHASE」のページから
ウィリアム・サマヴィル(William Somervile)の詩「追跡(Chase)」(1796年)ための木版画。

 

『トマス・ビュイックの木口木版画』「TAIL-PIECES FROM THE BIRDS」のページから

▲『トマス・ビュイックの木口木版画』「TAIL-PIECES FROM THE BIRDS」のページから
『History of British Birds』(『イギリス鳥類誌』) のTail-Pieces(巻末飾りの絵)を集めたもの。
この本でいちばん充実している章ですが、『イギリス鳥類誌』元版のすべての図版を網羅しているわけではありません。

 

『History of British Birds』(『イギリス鳥類誌』) は、シャーロッテ・ブロンテ(Charlotte Brontë、1816~1855)の『ジェイン・エア(JANE EYRE)』(1847年)の冒頭部分でも印象的に使われています。

 A breakfast-room adjoined the drawing-room, I slipped in there. It contained a bookcase: I soon possessed myself of a volume, taking care that it should be one stored with pictures. I mounted into the window-seat: gathering up my feet, I sat cross-legged, like a Turk; and, having drawn the red moreen curtain nearly close, I was shrined in double retirement.

 Folds of scarlet drapery shut in my view to the right hand; to the left were the clear panes of glass, protecting, but not separating me from the drear November day. At intervals, while turning over the leaves of my book, I studied the aspect of that winter afternoon. Afar, it offered a pale blank of mist and cloud; near a scene of wet lawn and storm-beat shrub, with ceaseless rain sweeping away wildly before a long and lamentable blast.

 I returned to my book—Bewick’s History of British Birds: the letterpress thereof I cared little for, generally speaking; and yet there were certain introductory pages that, child as I was, I could not pass quite as a blank. They were those which treat of the haunts of sea-fowl; of “the solitary rocks and promontories” by them only inhabited; of the coast of Norway, studded with isles from its southern extremity, the Lindeness, or Naze, to the North Cape—

  “Where the Northern Ocean, in vast whirls,
  Boils round the naked, melancholy isles
  Of farthest Thule; and the Atlantic surge
  Pours in among the stormy Hebrides.”

Nor could I pass unnoticed the suggestion of the bleak shores of Lapland, Siberia, Spitzbergen, Nova Zembla, Iceland, Greenland, with “the vast sweep of the Arctic Zone, and those forlorn regions of dreary space,—that reservoir of frost and snow, where firm fields of ice, the accumulation of centuries of winters, glazed in Alpine heights above heights, surround the pole, and concentre the multiplied rigours of extreme cold.” Of these death-white realms I formed an idea of my own: shadowy, like all the half-comprehended notions that float dim through children’s brains, but strangely impressive. The words in these introductory pages connected themselves with the succeeding vignettes, and gave significance to the rock standing up alone in a sea of billow and spray; to the broken boat stranded on a desolate coast; to the cold and ghastly moon glancing through bars of cloud at a wreck just sinking.

 I cannot tell what sentiment haunted the quite solitary churchyard, with its inscribed headstone; its gate, its two trees, its low horizon, girdled by a broken wall, and its newly-risen crescent, attesting the hour of eventide.

 The two ships becalmed on a torpid sea, I believed to be marine phantoms.

 The fiend pinning down the thief’s pack behind him, I passed over quickly: it was an object of terror.

 So was the black horned thing seated aloof on a rock, surveying a distant crowd surrounding a gallows.

 Each picture told a story; mysterious often to my undeveloped understanding and imperfect feelings, yet ever profoundly interesting: as interesting as the tales Bessie sometimes narrated on winter evenings, when she chanced to be in good humour; and when, having brought her ironing-table to the nursery hearth, she allowed us to sit about it, and while she got up Mrs. Reed’s lace frills, and crimped her nightcap borders, fed our eager attention with passages of love and adventure taken from old fairy tales and other ballads; or (as at a later period I discovered) from the pages of Pamela, and Henry, Earl of Moreland.

 With Bewick on my knee, I was then happy: happy at least in my way. I feared nothing but interruption, and that came too soon. The breakfast-room door opened.

 

吉田健一訳『ジェイン・エア』(1979年、集英社文庫)から、その部分を引用します。

 応接間の隣に朝の食事をするための小さな部屋があって、私はそこへ行った。この部屋には本棚があり、私はそこから挿絵がたくさんはいっている本を一冊取って窓腰掛けにあがり、トルコ人のようにあぐらをかいて赤いラシャのカーテンをぴったりと引きよせたので私がどこにいるか人にわかりにくくなった。
 私の右側はその赤いカーテンで視界を遮られ、左側は窓ガラスでその寒々とした十一月の一日の外が眺められた。私は本のページをめくりながらときどき外の景色のほうに眼をやって、遠くは霧と雲でただ白くて何も見えず、庭はぬれた芝生を囲む茂みの木が風に打たれ、降りしきる雨も風に吹きまくれて荒れくるっていた。
 私はビュイックの『英国の鳥類』にもどって、その本文にはあまり興味がなかったが、それでもその初めのほうには私のような子供でも見のがすわけにはゆかないところがあった。それは海鳥の住処である「人気のない岩や岬」をあつかった部分で、たとえば南の端のリンデネス岬から北の岬まで鳥がならんでいるノルウェーの海岸があり、その北の岬には、
  北極洋が巨大な渦を巻いて
  世界の果ての木も何もない寂しい鳥の群れのまわりに
  押し寄せ、大西洋のうねりが
  嵐が狂うヘブリデス諸島に雪崩れこむ
 また私はラップランド、シベリア、スピッツベルゲン、ノヴァ・ゼンブラ、アイスランド、グリーンランドなどの荒れた海岸のことも読まないではいられず、そこは「荒涼たる北極圏の広大な領分で霜と雪が無尽蔵に貯えられ、何十世紀もの冬が堆積した固い氷原が氷の山脈になって北極をとりまき、幾重にもひどい寒さを囲っている」。そういう死の色をした地域について私は私自身の見方をし、それは子供にまだよくわかっていないことのすべてと同様に漠然としたものではあったが、それでも私は非常に深い印象を受けた。またこの記述がそれにつづく挿絵と結びついて、波としぶきに洗われた岩や、荒涼たる海岸にうちあげられたこわれたボードや、沈みかけている船に雲間から差している月の青ざめた冷たい光に意味をあたえた。
 ひっそりとした墓場に文字を刻んだ墓石が一つあり、門と二本の木と低い遠景が見え、墓場をこわれた石の塀が囲んでいて、出たばかりの三日月でそれが夕暮れの時刻であることがわかる絵には、何かえたいが知れない感情がつきまとっていた。
 凪いだ海の上に動けなくなっている二艘の船は、私は海の妖怪のつもりで見た。
 泥棒がしょっている荷を悪魔が押えつけている絵は、こわいので私はすぐほかのとこに眼を移した。
 遠くで群衆が絞首台をとりまいているのを、岩の上に腰をおろして眺めている、角を生やした黒い化けものの絵も同様だった。
 どの絵にも何か話があるようで、理解力も情操もまだ未熟な私にはよくわからないことが多かったがそれでもいかにもおもしろそうであることに変わりはなくて、その点でどうかすると冬の夜、ベッシーが機嫌がいいときに私たちにいろいろと聞かせてくれる話に似ていた。そういうとき、ベッシーはアイロン台を子供部屋の炉の前に持ってきて私たちをそのまわりにすわらせ、リード夫人の服のレースや寝帽(ナイトキャップ)の縁にアイロンを掛けながら、むかしのお伽噺や民謡、あるいは――これはあとからわかったことだが、――『パミラ』や『モアランド伯ヘンリー』などの小説からの冒険や恋愛の話で私たちを夢中にさせるのだった。
 私はビュイックの本を膝の上に開いて、幸福だった。すくなくとも私なりに幸福だった。ただじゃまをされさえしなければよかったのだったが、それがあまりにも早く起こって、部屋の戸があいた。

 

ジェイン・エア_ビュイック01

▲「ひっそりとした墓場に文字を刻んだ墓石が一つあり、門と二本の木と低い遠景が見え、墓場をこわれた石の塀が囲んでいて、出たばかりの三日月でそれが夕暮れの時刻であることがわかる絵には、何かえたいが知れない感情がつきまとっていた。(I cannot tell what sentiment haunted the quite solitary churchyard, with its inscribed headstone; its gate, its two trees, its low horizon, girdled by a broken wall, and its newly-risen crescent, attesting the hour of eventide.)
図版のサイズは、縦36×横79ミリ。

 

▲「遠くで群衆が絞首台をとりまいているのを、岩の上に腰をおろして眺めている、角を生やした黒い化けものの絵も同様だった。(So was the black horned thing seated aloof on a rock, surveying a distant crowd surrounding a gallows.)
図版のサイズは、縦21×横43ミリ。
絵の小ささは、素材である版木の大きさによるものかもしれません。

「Tail-Piece/Tale-Piece」は、章末の埋め草として配置されていますが。その小ささも魅力にもなっています。

 

『ジェイン・エア』にある「泥棒がしょっている荷を悪魔が押えつけている絵は、こわいので私はすぐほかのとこに眼を移した。(The fiend pinning down the thief’s pack behind him, I passed over quickly: it was an object of terror.) 」などの挿絵は、レイノルズ・ストーン編『トマス・ビュイックの木口木版画』には収録されていませんでした。
これはちょっと残念。

 

『トマス・ビュイックの木口木版画』「TAIL-PIECES FROM THE FABLES」のページから

▲『トマス・ビュイックの木口木版画』「TAIL-PIECES FROM THE FABLES」のページから
『Fables(寓話)』のTail-Pieces(巻末飾りの絵)を集めたもの。

 

『トマス・ビュイックの木口木版画』「TAIL-PIECES FROM THE MEMOIR」のページから

▲『トマス・ビュイックの木口木版画』「TAIL-PIECES FROM THE MEMOIR」のページから
『A Memoir of Thomas Bewick, written by Himself』(『トマス・ビュイック自身による回想』、1862年)のTail-Pieces(巻末飾りの絵)を集めたもの。

 

『トマス・ビュイックの木口木版画』「JOBBING WORK」のページから

▲『トマス・ビュイックの木口木版画』「JOBBING WORK」のページから
トマス・ビュイックの単発的な依頼仕事の作品から。

 

『トマス・ビュイックの木口木版画』刊記

▲『トマス・ビュイックの木口木版画』刊記
1000部限定本。コロタイプ印刷だと1000部ぐらいが限界のようです。
本来なら、限定1000部のうち何番かのナンバリングとレイノルズ・ストーンによるサインがあるはずですが、ありません。
これは余りの本のようです。

本文図版のコロタイプを担当しているのは、ロンドンのガニメド・プレス(Ganymed Press)です。
1947~1963年にコロタイプ印刷を行っていました。

もともとは、ベルリンで、「Ganymed Graphische Anstalt」として美術印刷を専門にしていた印刷所です。ナチス政権以降、優秀なユダヤ系の技術者がドイツ国外へ移り、ガニメド・プレスのベルンハルト・バウア(Bernhard Baer、1905~1983)もロンドンにたどり着いた、そうした印刷技術者のひとりだったようです。
戦後のロンドンで、コロタイプを「collographs」 と称して、信頼の置ける印刷物を制作していました。

 

ガニメド・プレスの歴史を考えると、この典雅な『トマス・ビュイックの木口木版画』もまた、まぎれもなく20世紀の刻印を押された本だと思います。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

Billie Bottle & The Multiple『The Other Place』(2021年) 01

Billie Bottle & The Multiple『The Other Place』(2021年) 02

▲Billie Bottle & The Multiple『The Other Place』(2021年)

今、音楽制作やCD制作で、クラウドファンディングでパトロンを募る方法があります。
その音楽制作のクラウドファンディングの大きな会社であったPledgeMusicが2019年に破産して、多くのCD制作が中途で終わってしまいました。

Billie Bottle & The Multipleも、5年ぐらい前、PledgeMusicで音楽制作資金を募っていましたが、PledgeMusicのはさんで、アルバムのリリースが宙づりになっていました。

カンタベリーとジャズの系譜の少数派的音楽性のグループだと、CDを制作するに到るまではなかなか大変です。
それでも、いろんな人たちがお蔵入りにはさせまいと、かけずり回ったのでしょう。

そのリリースが延期されていたアルバムが、bad elephant musicから、2021年5月にリリースされ、わたしのもとにも届きました。

今後の活動のためにも、もう少し売れてほしいです。

 

ビリー・ボトルの近影を見ると、ジェンダー不明になって、そこでも自分を解放したのかなと思います。

 

新作『The Other Place』は、前2作とくらべると、「カンタベリー」色は希薄に感じます。
「カンタベリー系」というノスタルジーのかかったフィルターをとおして聴くことはやめて、「現在」のグループとして聴いた方がいいのだろうと、聴く側としての身体を微調整中です。

 

Billie Bottle & The Multiple『Unrecorded Beam』(2014年) 01

Billie Bottle & The Multiple『Unrecorded Beam』(2014年) 02

▲Billie Bottle & The Multiple『Unrecorded Beam』(2014年、Leo Records)
アメリカの作家ヘンリー・デヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau、1772~1862)の詩を歌う、とても文学的な作品。

何をもって「カンタベリー系」というかはともかく、「O Nature」は、とても「カンタベリー系」的と感じられる楽曲です。
耳の奥に残るキャッチーさもあって、あるとき、頭の中でふいに流れ始め、これ何て曲だっけと、自問し、しばらく記憶の小径をさまよったこともありました。

こじつければ、「O Nature」の「O」は、「O Caroline」の「O」と、脳内シナプスでつながっているのかもしれません。

 

Billy Bottle『Message From...』(2010年)

▲Billy Bottle『Message From...』(2010年)
キャラヴァン(Caravan)のジミー・ヘイスティングス(Jimmy Hastings)やデイヴ・シンクレア(Dave Sinclair)が参加しています。
ダウンロード版のmp3で聴きました。CD-R版も存在するようです。

ビリー・ボトルのような人は、カテゴライズされるのを嫌がるかとも思いますが、カンタベリー系の系譜にある音です。

ビリー・ボトルは、デイヴ・シンクレアのソロアルバムや、マイク・ウェストブルック(Mike Westbrook)のUncommon Orchestra、ケイト・ウェストブルック(Kate Westbrook)のグラナイト・バンド(Granite Band)にも参加しています。

個人的に、ながらく期待の人なのですが、アルバムはまだ3枚です。

 

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348. 1946年の『思索』夏季號(2021年5月27日)

1946年の『思索』夏季號表紙

 

村次郎(石田實、1916~1997)の詩「風の歌」については、「第300回 1954年ごろの村 次郎自筆『風の歌』ほか6つの異版(2020年2月15日)」でも紹介しましたが、「風の歌」を読もうとして、今、いちばん手にとりやすいのは、それらの版より、「風の歌」が最初に掲載された『思索』夏季號(1946年、青磁社)かもしれません。

終戦―敗戦の翌年の夏、片山修三編集の、季刊『思索』第二號(1946年7月15日発行、青磁社)に掲載された村次郎「風の歌」は、清新な風として読んだ者の心を吹きぬけたようです。

もっとも、わたしは、児玉達雄(1929~2018)の旧蔵書を通して、初めて村次郎の存在を知ったので、1946年夏の読者のように、新鮮に「風の歌」に接することができませんでした。
最初から「死者」がそこに立っていて、ページに影を落としていました。

 

圓子哲雄編『村 次郎先生のお話(文学篇)』(1999年、朔社)表紙

▲圓子哲雄編『村 次郎先生のお話(文学篇)』(1999年、朔社)表紙

村次郎への圓子哲雄による聞き書き『村 次郎先生のお話(文学篇)』(1999年、朔社)には、さまざまな人物評が記録されていて、そのなかの「児玉達雄」評に、次のようにあります。

詩もうまいが、評論の方がもっとうまい。京大の哲学科時代、同室に三人がいて、俺のファンの一人が自殺したのに大分ショックを受け、それから俺に手紙を寄越して友人となった。俺もショックを受けた。彼の友人の自殺の原因を聞いて、もう一人の同室の友人が高橋和巳で、彼は俺の詩を「四季」で読んで、好きだと云っていたという。

手もとにあるのは、児玉達雄旧蔵本で、この部分に児玉達雄は「◎さっぱり不明 高橋たか子にあっているから、たかこがいったのか?」と書き込んでいます。
事実関係は村次郎が理解していたものとは違うようですが、村次郎の詩を好きだった友人が伊吹山で自殺したというのは、ほんとうの話だったようです。

俺えの評論「『風の歌』の方へ」は、あれは村次郎の方法論だ。俺の方法論は画期的だと自分でも思うが、彼も一つの方法論をしっかり持っている人だ。彼とは戦後からの付き合いだが、彼は作品を批評しているのではなく、現実を批評しているのだ。「風の歌」や「鴎の歌」の中の「お前」を追求せねばならないと、そのような「お前」に目をつけたのは嬉しい。「お前」の解説は非常によくやってくれた。俺は誰が一番最初に気がつくかと思っていた。詩人であり評論家である人からの批評は最も聞きたいのだ。彼の村論は村次郎の内部に入って来ている。他の人は外部の情景だけに逃げている。彼の批評には俺の作品を超えるものがある。(略)

村次郎は、自分の詩の解釈で、児玉達雄を高く評価していました。

 

     

村次郎の「風の歌」が、1946年の発表後、どのように受容されたか、 圓子哲雄編『村 次郎先生のお話(文学篇)』(1999年、朔社)から、いくつか抜き書きしてみます。

「白井浩司」の項に、次のようにあります。

彼とは多分慶応の本科に入ってからの付き合いと思う。卒業後うんと仲良くなった一人だ。白井が慶応でストライキをやったのは、好き出ないフランス文学の先生のことだよ。応召することになったとき、何んとかして「風の歌」を遺したくて、当時は十五篇だけだったが、戦後帰って来てから二十篇として、それを定本としたのだが、その「風の歌」を三部書き纏め、一部は死んだ妹に託し、一部は白井浩司に預け、一部は自分で持って中国に征った。敗戦、中国からの帰国の際持ち帰れないと知って、全部暗記しようとしたが駄目だった。でも二部残してあるので若しやと思って帰国したら、白井が無事に保管して呉れていて全作品が発見して嬉しかった。それで「風の歌」を発表したとき「白井浩司に」と献呈したのだ。妹の方は駄目だった。

「風の歌」は、中国への出征で死を覚悟していた村次郎の「遺稿」のような側面も持っていました。

また、「小池光」の項に、〈中村真一郎が俺の「風の歌」を綺麗に書いてくれたものを、小池が戦時中、紛失してしまった。〉とあって、仲間が筆写する詩でもあったようです。

 

「会田綱雄」の項。

会田綱雄は、詩を当り前のように、起承転結をほどほどに纏めて書く人だった。初対面は上京の際、加藤周一と中村真一郎に筑摩書房に用があるから一緒に行こうと誘われて行ったときだ。二人が席を外したとき会田綱雄が居ると紹介され、それで話を交わした。向うではもう俺のことを知っていると言った。当時俺は「思索」に『風の歌』を発表して有名になっていたから、うんと賞められた。城左門も片山修三も凄い賞め方だったよと言っていた。(略)

 

「佐藤朔」の項。

学位取得祝賀会の集まりで、朔さんから、俺のことを「幻の詩人」と紹介され参ってしまった。俺のファンだと云った。何故かと言うと、白井浩司や中村真一郎の講義の時「お前等の詩より、村次郎の詩の方がいい。」といつも言うので、皆がどんな人かと思っていたと云うのだ。「伝説の人ですな」と言はれ俺は紅くなった。当時中村(真一郎)が慶応の講師をしていたからだ。

 

「宗左近」の項。

新宿のバーで、多分「新世界」という名だったと思うが、そこに彼と一緒に入った。マダムが俺の詩が好きだと言っていた。俺は酒もタバコも全く駄目だが、付き合いだけはしていた。其処のバーに入り浸っていたのが堀田善衛。若しかすると、彼とは「ランボオ」という喫茶店で逢ったのが初めてかな。夜半雪に変った日だった。

 

「新藤千恵」の項。

三好達治の高弟で、「思索」に新人として、俺と二人載った。俺は「風の歌」を載せた。丸山薫、三好選だった。それから「四季」が解散したら、二人共「歴程」に入っているんだ。あれは草野心平さんが好きな詩人達を集めて作ったんだ。俺が慶応の後輩でもあったからだろう。原稿依頼があれば皆出していたから、割合多く載った。それもどうもピンチ・ヒッターだったようだ。「思索」でも何んでも原稿が無いと俺の所に来たから。

 

『思索』夏季號(1946年、青磁社)目次

▲『思索』夏季號(1946年、青磁社)目次
160ページ
編輯者 片山修三

片山敏彦・渡邊一夫・家永三郎・金子武藏・柳田謙十郎・古川哲史・中島健藏・田中美知太郎・阿部六郎の評論、横光利一1945年夏の日記、小説では橋本英吉「傍觀者」・上林暁「女戒」が掲載されています。
この夏季號には、詩の小特集があり、

 ■三好達治「春の日の感想」  6ページ
 ■菱山修三「敗北詩 二章」  2ページ
 ■丸山 薫「高い村」「獨居」 3ページ
 ■村 次郎「風の歌」 9ページ
 ■新藤千恵「空間」 7ページ

三好達治・菱山修三・丸山薫の三人の中堅と、村次郎・新藤千恵の2人の新鋭の詩が掲載されています。

詩で使われている人称は、三好達治では「われら」「君ら若い娘たちも」、菱山修三は「彼」「僕」、丸山薫は「わたし」で、「私」が「私」であることを疑わない、安定した余裕のある主体が、ことばを発しています。

一方、村次郎では、「おまへ」と「僕」の間で揺れながら「風」が主体ゆえの不安定さがあり、新藤千恵は人称をさけ、「花」が「花」の形を選ぶ瞬間を切りだそうとする緊張があり、中堅3人の一人称が発することばとは、違う詩のことばを読むことができます。

 

村次郎の「風の歌」は、村次郎の周辺人脈だけでなく、村次郎が多分想定していなかった、京都の児玉達雄周辺にも届いていたようです。

 

『思索』夏季號(1946年、青磁社)編輯後記・奥付

▲『思索』夏季號(1946年、青磁社)編輯後記・奥付
『思索』の編輯者、片山修三についても、圓子哲雄編『村 次郎先生のお話(文学篇)』に「慶応の同級だった。俺は二年遅れたので二年先輩になるな。関西の財閥の息子で、出版社の社長も知っていた。」とあるので、 そのことも、いきなり9ページの長詩が掲載された理由のひとつだったかもしれません。

 

『思索』夏季號(1946年、青磁社)掲載の「風の歌」

▲『思索』夏季號(1946年、青磁社)掲載の「風の歌」最初のページ
「序・I~XI・終」の13編の詩で構成されています。

「風の歌」は、その後も、改稿され、おおまかに、次の3つのヴァリエーションがあります。

昭和23年(1948)あのなっす・そさえて版 村 次郎詩集『風の歌』
 「序、I― XV、終」の17編の詩より構成。

昭和29年(1954)ごろ児玉達雄に贈られた村 次郎自筆の『風の歌』・昭和48年(1973)ごろ圓子哲雄が筆写したと思われる村 次郎『風の歌』
 「序、I― XX、終」の22編の詩より構成。

『村 次郎全詩集』(2011年9月24日発行、村 次郎の会、青森県八戸市)収録の「風の歌」
 村次郎の没後刊行されたもの。「序、I― XX、終」の22編の詩より構成。


圓子哲雄編『村 次郎先生のお話(文学篇)』(1999年、朔社)では、「改稿癖」について次のように語っています。

室生犀星ばかりではない。三好達治でも朔太郎でもみんな年を取れば直すようになる。年を取れば、文法が違ったり、変な文章を見ると、とても我慢ならないんだ。だから直したくなる。所が若い時のことを考えれば、文法を知らないのではなく、ここはわざと変えてやれと書いているんだ。正しい文章で書くのを逆にずらして書いている。「忘魚の歌」もその後直したものもあるが、それは中味ではなく、若さと言うのは、そういう気障(きざ)なことをやったのは許せなくなく。所がみんなそういうのを直せば怒られるんだよ。直さない人はいないようだ。見られないもの。(略)若い時のままが良いというのも、若い時の風貌がいいと言うのと同じだ。作品も、ただただ修辞学的に、文法的に合っていないといけないと言う風に。文章にと言っても、今は詩ぐらいかな、文法無視をやるのは。

どれが決定稿というより、1946年の「風の歌」、1948年の「風の歌」、1954年の「風の歌」と、それぞれが作品として生きているのだと思います。

 

     

「風の歌」の特徴は、「おまへ」ということばの使い方です。

現在の感覚だと、「お前にお前と呼ばれる筋合いはない」と「上から目線」の言葉と忌避される面があり、「おまへ」という人称は抵抗があるものになっているので、読みにくくしている面もあります。

では、ほかに適切な人称があるだろうかと考えてみても、冒頭「序」の

 風よ おまへは
 確に人間だけを吹いてゐる時がある

を「きみ」「あなた」「やつ」など、他のことばで置き換えても、しっくりしません。
「おまへ」=「風」が、この詩の要になっています。

 

「おまへ」は、充足した全一なはずの「僕」から手のとどかないところを、自由に吹きぬけています。
「僕」が「おまへ」を希求して、「おまへ」の世界に踏み出すと、「僕」は全一な「僕」であることをやめることを選ぶこともできます。

わたしが、自殺した者が好きだった詩というところから、「風の歌」を読みはじめたからかもしれませんが、ある精神状態の人間が読んだら、「風」になるという「遺書」のような言葉にひかれて、「ウェルテル効果」のように、何かの引きがね、トリガーになる気配も感じます。

もっとも、これらは少ない材料から、全体象をつかめないままの、単なる妄想です。

 

忘れ去られてしまったほうが、いい話なのかもしれません。
でも、他力本願ですが、青森・東京・京都・鹿児島を結んで、「風の歌」の物語を紡ぎ出す膂力のある人が現れないかとも思います。

 

     

「風の歌」には、

  風の三郎よ 又三郎よ

という一節もあります。
「風の三郎」「風の又三郎」を主題にしたアンソロジーと作れば面白いかも知れません。


     

児玉達雄にとって、村次郎の詩が好きだった友人の自死は、生涯整理することのできなかったことだったようです。

『詩稿』や『児玉達雄詩十二篇』など、公刊された作品にも、その友人が登場しています。

『詩稿14』(1967年)表紙

▲『詩稿14』(1967年10月15日、編集・発行・印刷 井上岩夫)表紙
児玉達雄旧蔵本。

 

『詩稿』掲載の児玉達雄の詩「炎」から

▲『詩稿14』掲載の児玉達雄の詩「炎」のページから。
朱の書き込みは児玉達雄のもの。

  十七年前 二十三才で自殺した友よ
  十七年長期の欠席の 窓辺の
  お前は知らないな、ひえびえと笑ったまま。
  遠ざかりつつ近づくお前へのこの歩みを。
  例えば 自からの客観に安心している間は
  どこからも血が流れなかったという歩みを。

 

『児玉達雄詩十二篇』(1992年、弥生書肆)表紙

▲『児玉達雄詩十二篇』(1992年、弥生書肆)表紙

 

『児玉達雄詩十二篇』収録の「小庭のラカンチュウ」から

▲『児玉達雄詩十二篇』収録の「小庭のラカンチュウ」から。
この詩には、「自殺した友」が「稲葉博之」という名で登場します。
「稲葉博之」という名前を残すために、詩集をださなかった児玉達雄が、この小さな詩集をだしたのではないかと思ったりもします。
詩の一部を用します。ルビは( )にいれました。

  蔓薔薇が翳(かざ)す白馬の群 青い宙に輝き
  九州南部に光る空中線(アンテナ)は何を伝えてくるのか
  その下に白馬をやめた薔薇薔薇雪崩の姿で
  翳(かげ)さす薔薇蔭に黒猫眠り卓上の皿は冷たい。
  私は生きて半眼に四半世紀昔に自殺した友の
   稲葉博之と低声で語り 頷いたり顔をしかめ
   たり 共に薔薇を餐(くら)っては空腹も飽食も
   ない。つまり薔薇裂き肉切(ナイフ)と薔薇刺し肉刺(フォーク)
   と現(うつつ)には不機嫌な沈黙。(ナンダカ手が毛ム
   クジャラデ犬ノ手ニナリ ソレデモフォー
   クガニギレテ ウムト又薔薇ヲノミコンデ)
   (ナ・・・・・・稲葉 オレハ犬ダ 犬ノ王様)
   そして又一人の想念に返り 出来ない小説
   をうっちゃらかし 出来る空想で次々心に
   造形する 自ら生き始めた架空の人面は白
   雲の中に遠く北東の山際にまで
   白雲と並ぶ。飽きもせず
  藍色(インジゴ)の大気よ、嗚呼、こんな日曜日にも
  薔薇薔薇 頭上を飾り 仰ぐ
   銀の蓬髪の裏 又薔薇燦燦
   荏苒二周星 紙上の残夢虚空の堂堂巡り
    實に長い長い不覚不首尾

 

「稲葉博之」が村次郎の詩が好きだったこと以外、どういう人物だったか、まったく分かりません。
「稲葉博之」は、児玉達雄の詩に、自ら声を発することはありませんが、思い出したように現れます。

ただ、今まで読んだ範囲では、児玉達雄が「稲葉博之」と真正面から向き合った作品はないようです。
生涯、解けなかった謎だったのか。その謎を解くことを放棄したのか。

 

髙橋和巳の長篇小説『憂鬱なる党派』(1965年、河出書房新社)に登場する、放送局勤務の蒔田のように、世間知で対応していれば、また、違ったのかもしれません。
蒔田の言葉を引用してみます。

「そう、忘れんうちに連絡しときたかったことを言っておく」蒔田は続けた。「実はね、君も覚えているだろうが、まる七年前の夏、大学の裏山で自殺した古志原直也の七回忌が近くある。案内するから、ぜひ君も行ってやってほしいんだ。位牌に向かって合掌したからといって、死人が甦るわけではないが、今回限りで今まで法事に行っていた連中も打ち切りたがっているようだし、仏教の方の習慣としても、七回忌を過ぎれば次の法事まで相当な間隔があく。これより後は、すみやかに死者をして死者を葬らしめよだ。だが、今度もう一度だけ、手のすいている奴らを仏壇の前に集めて、両親を慰めてあげようと思うんだ。いまだに、秀才だった息子の美しいイメージを温めている両親や、何も知らない姉妹の前であまり露骨にことの真相をあばくわけにもいかんがね。古志原が、大学裏の雑木林で首をくくって死んだ経緯については、君もいくらか知っているはずだし、あるいは案外、君だけしか知らぬ秘密があったかもしれんしね」
「その時まだこの都市におれば、出席させてもらってもいい」西村は言った。
「お互い恥部をさらけあうようなもんだからな。今までもこの町にいる者の全部が集まっていたわけじゃないんだ。第一、古志原を死に追いやった直接の責任者である岡屋敷は、一度も顔を出したことがない。しかし、今度は有無をいわせず、全員かき集めたいと思っている。ヨーロッパのある作家も言っていた。ふと気づいてみると、人は三十の坂を越しているってね。何でもない言葉だが、現にその境遇にいるわれわれ軽薄男子には、その痛切な意味は身にしみてわかるわけだ。闘争するにせよ、最後には社会に甘えかかり、最後の逃げ道を残しておけるといった年代はもう終った。近所の子供でもそうだ。今までなら、兄ちゃん、なんでそんなに酔っぱらってばかりいるの? と可愛い目をうるませて問いかけたもんだ。ところが最近では、おのおっさん、ほんまに阿呆やなあ、に変った。子供の目は正直だからね、欺けない。下腹にボテがはいりだし、やがて直接行為よりは、目や指だけで撫でまわすような情事を好むようになるだろう。女に対してだけじゃなしに、政治に関してもね。いや、皆が皆、そうとは限らないにしても、人生の一つの転換期が迫っていることは事実だ。古志原の亡霊、あの〈典型的状勢における典型的〉悲劇に対しても、ここらで、一つ、区切りをつけてもいい頃だ。奴とは大学に入る前、外語で一しょだった因縁で、最初、葬儀委員をつとめたために、ずっとおれが法事の世話役みたいなことをしている。だが、もう死者にかかわるのはあきあきした。幸い死の詩人も来あわせとるんだから、古志原の怨念だけじゃなく、過ぎ去ったわれわれ軽薄男子の青春の歎きも、ここらで成仏させてはと思ってね」

 

死んだ者とのつきあい方を考えます。

児玉達雄は、「稲葉博之」を「成仏」させず、それが自身の一部を壊そうとも、自身の一部にして、生きたのでしょうか。

 

 

     

村次郎について書かれた文章は、あまり見かけません。

『詩学』1990年5月号に、藤田晴央「幻の詩人・村次郎と現代詩」が掲載されていました。

 

『詩学』1990年5月号表紙

▲『詩学』1990年5月号(1990年4月30日発行、詩学社)表紙

 

藤田晴央「幻の詩人・村次郎と現代詩」(57~63ページ)

▲藤田晴央「幻の詩人・村次郎と現代詩」(57~63ページ)

現代詩に、小説の村上春樹のようなポピュラリティーを持った存在が現れなくなり、そうした1990年の現代詩の袋小路のような現状で、村次郎(当時、74歳)の詩を、今の言葉として読んでみようと呼びかける論考です。
藤田晴央は、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を作品名としてあげていますが、ほんとうに作品名をあげたかったのは別の作品だったのではないかと思います。

野暮を承知で、その作品の名をあげれば、村上春樹の最初の小説『風の歌を聴け』だったと思います。

 

     

『思索』の片山修三は、その後、思索社という人文書の出版社を立ち上げます。

思索社の本というと、「ダブルバインド」という概念をうちだした、グレゴリー・ベイトソンの『精神の生態学』などが思い浮かびます。

調べてみると、 1992年に倒産、その後、新思索社に引き継がれますが、その新思索社も2016年に倒産していました。

 

本棚をひっくり返して、思索社の本がないか調べてみたら、思索ナンセンス選集の『タイガー立石のデジタル世界』がありました。

『タイガー立石のデジタル世界』(1985年、思索社)

▲『タイガー立石のデジタル世界』(1985年、思索社)

 

思索社版『虎の巻』(1983年)の広告ちらし

▲思索社版『虎の巻』(1983年)の広告ちらし
当時、この本は、欲しかったのですが、工作舎版の『虎の巻』(1982年)を持っていたので、後回しにして、そのまま忘れてしまっていたことに気づきました。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

ニコラス・フンベルト、ヴェルナー・ペンツェル(Nicolas Hunbert and Werner Penzel)の1990年監督作品、映画『ステップ・アクロス・ザ・ボーダー(Step Acros The Border)』は、フレッド・フリス(Fred Frith)の音楽の越境者を追ったドキュメンタリーです。

東京、大阪、京都、ヴェロナ(イタリア)、サン・レミ・ド・プロヴァンス(フランス)、ライプツィヒ(ドイツ)、ロンドン、ヨークシャー(イギリス)、ニューヨーク(USA)、チューリヒ、ベルン(スイス)と越境しつづけるフレッド・フリスの、1979年6月から1989年12月までの音楽の旅を記録しています。

87分の白黒映画。DVD版では30分のボーナストラックがある一方、本編は84分と少し省略されているので、完全版も見てみたい作品です。

山道で息苦しいときに、酸素を吸ったときのような気持ちになる映画です。

 

1990年の映画『Step Across The Border』DVD(2003年、Winter & Winter)

1990年の映画『Step Across The Border』DVD(2003年、Winter & Winter)02

▲1990年の映画『Step Across The Border』DVD(2003年、Winter & Winter)
ドイツ製のDVDですが、DVDの字幕は、フランス語・ドイツ語・日本語・ポルトガル語・スペイン語が選択できます。

 

『Step Across The Border』サントラCD日本盤(1990年、WAVE)

『Step Across The Border』サントラCD日本盤(1990年、WAVE)02

▲『Step Across The Border』サントラCD日本盤(1990年、WAVE)

このサントラ盤は、フレッド・フリスの作品では、いちばん聴いたような気がします。

 

『Step Across The Border』サントラCD(2002年、Fred Records/ReR Megacorp)

『Step Across The Border』サントラCD(2002年、Fred Records/ReR Megacorp)02

▲『Step Across The Border』サントラCD(2002年、Fred Records/ReR Megacorp)
Fred Recordsの再発盤の流儀で、ジャケットが変更されています。

『Step Across The Border』のCDには、

THIS MUSIC IS DEDICATED TO THE MEMORY OF MARY W. FRITH (1921 - 1989)
〈この音楽をメアリー・W・フリス(1921~1989)の思い出に捧ぐ〉という献辞があります。

この映画には、1989年のフレッド・フリスも撮影されています。
それは、母親を亡くしたばかりの子供の姿でもあったのかな、と思います。

 

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347. 2019年のBjörn d'Algevey『THE MARVELOUS MOO / MILANO EAGLES』(2021年4月25日)

『THE MARVELOUS MOO』表紙

 

もう1冊、ピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)の本を紹介します。

ブレグヴァドとジェリー・ジョイナー(Jerry Joyner)の共作絵本です。
作者名のBjörn d'Algeveyは、2人の名前の文字(B・L・E・G・V・A・D・J・O・Y・N・E・R)を再構成したペンネームです。

『THE MARVELOUS MOO』(すばらしきモー)と『MILANO EAGLES』(ミラノの鷲)の2つの物語が収録されていて、左右どちらの表紙からも読みはじめられる絵本です。
2つの絵物語にはさまれた中央に、Juan Deutschの解説「Milano Eagles & The Marvelous Moo」を収録しています。

写真は『THE MARVELOUS MOO』側の表紙です。

2019年、「An Amateur Production」の刊行。

実際に出回ったのは、2020年になってからだったと思います。
長年のブレグヴァド・ファンにとっても、突然あらわれた謎の絵本でした。

縦174×横232×幅12ミリ。ハードカヴァー。

 

そもそもの共作の始まりは、一種の自動筆記の絵描きゲームみたいなもので、1978年ごろには、始まっていたようです。
交換日記ならぬ交換絵本みたいな形で、交互に絵や言葉を描き足し書き足していって、作り上げられていった絵本です。

普通の作業工程なら、6か月なり1年なりの工程で、完成まで持っていくのですが、2人が時々しか会えないので、原稿の入った茶封筒の交換のペースが非常にゆったりしていて、本の形になるまで、40年の月日がたってしまいました 。

40年越しの大作ではなく、40年越しの小品です。

短い時間で読めてしまいますが、40年の時間が堆積した夢のような絵本です。
何を示しているのかぼんやりしていて、収拾のつかない夢のようなだけど、夢の世界を読みとく手がかりは散りばめられているようで、魅かれ続ける本です。


Peter Blegvad +Jerry Joyner = Björn d'Algevey

▲Peter Blegvad +Jerry Joyner = Björn d'Algevey
300部限定。

 

Björn d'Algevey『THE MARVELOUS MOO / MILANO EAGLES』の刊記

▲Björn d'Algevey『THE MARVELOUS MOO / MILANO EAGLES』の刊記
ポーランドで印刷されているのが意外でした。
uniformbooksのコリン・サケット(Colin Sackett)も制作に関わっています。

 

『THE MARVELOUS MOO』扉

▲『THE MARVELOUS MOO』(すばらしきモー)扉
少女ノラ(Nora)の牛との冥界めぐり。

 

『THE MARVELOUS MOO』のページから

▲『THE MARVELOUS MOO』のページから
ブレグヴァドの『リヴァイアサン(Leviathan)』でもおなじみの猫も登場します。


『MILANO EAGLES』表紙

▲『MILANO EAGLES』(ミラノの鷲)表紙

 

『MILANO EAGLES』ページから

▲『MILANO EAGLES』扉

 

『MILANO EAGLES』のページから

▲『MILANO EAGLES』のページから
ゼペット(Gepetto)少年の変身冒険譚。
ゼペットという名前から『ピノキオ』の変奏譚でもあります(ピノキオでGeppettoは)

 

2人の間を行き交った『THE MARVELOUS MOO』茶封筒

▲2人の間を行き交った『THE MARVELOUS MOO』茶封筒
『THE MARVELOUS MOO』は、ピータ・ブレグヴァド主導。

最初はニューヨークではじまった交換絵本は、郵送交換もあったようですが、その後、ナッシュヴィルやロンドンで2人が実際に会ったとき、交換されたようです。
そして、40年。

 

2人の間を行き交った『MILANO EAGLES』茶封筒

▲2人の間を行き交った『MILANO EAGLES』茶封筒
『MILANO EAGLES』は、ジェリー・ジョイナー主導。
「REMEMBERED」のシールが貼られています。

この『THE MARVELOUS MOO / MILANO EAGLES』も『Imagine Observe Remember』も、1970年代にはじまったことが、40年を過ぎて本という形になったわけです。

1976年の夏を回想した、John Greaves/Peter Blegvadの曲「The Song」に、

 「Life is a dream we are phantoms.(人生は夢、ぼくらは幻。)」

という歌詞がありましたが(そして、頭の中ではロバート・ワイアットの歌声がつぶやきかけています)、これらもまた、1970年代の「まぼろし(phantom)」が、本の形になったものではないかと思います。


ピーター・ブレグヴァドが自称として使う「アマチュア(Amatuer)」の原義は「愛する人」です。
その意味のとおり「アマチュア」の仕事であり、「アマチュア」だからこそ作れた書です。
その愛の対象が何なのか、判然とせず、実は対象は存在せず、無目的な「愛する」という行為だけがあるような気配もあります。

1970年代の「まぼろし(phantom)」を、今ここで、目の前にして、なんだか、あり得ないことに立ち合っているような気持ちになります。

 

     

Jerry Joynerの絵本『THIRTEEN(13)』(1975年)が手もとにあります。
図書館放出本で、だいぶ痛んでいます。
たくさん読まれて愛された本だったようです。

13尽くしの本で、1つの見開きに、13の物語が描かれていて、それが13見開き続いていくという趣向になっています。                                       

Remy Charlip & Jerry Joyner『THIRTEEN』(1975年、Parent's Magazine Press)表紙

▲Remy Charlip & Jerry Joyner『THIRTEEN』(1975年、Parent's Magazine Press)表紙

 

Remy Charlip & Jerry Joyner『THIRTEEN』(1975年、Parent's Magazine Press)最初の見開き

▲Remy Charlip & Jerry Joyner『THIRTEEN』(1975年、Parent's Magazine Press)最初の見開き

 

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

ものを増やさない、買い控えるようにと、心掛けているのですが、フレッド・フリス(Fred Frith)の音楽には心残りがあって、Fred Recordsの作品を3つのボックスにまとめた『Fred Records Story』が出ると知って、これは例外と予約していました。

そのブツが、ReR Megacorpから届きました。

 

The Fred Records Story

 

フレッド・フリスの作品は、
 Fred Frith『Gravity』(1980年、Ralph Records)
 Massacre『Killing Time』(1981年、Celluloid)
 Fred Frith『Speechless』(1981年、Ralph Records)
を、かつて新譜レコードとして買い、Fred Frith『Guitar Solos』(1974年、Caroline Records)を中古盤で買い、よく聴いていました。
ただ、その量産性に恐れをなして、ちょっと遠ざかっていました。
また、LPからCDに切り替える時期に、レコードも売ってしまいました。

それでも、気にはなっていて、この機会に改めて聴いてみようと、『Fred Records Story』を予約しました。
Fred Recordsは、フレッド・フリスの旧譜やライブ音源をリリースするため、2001年に、ReR Megacorp内に立ち上げられたレーベルで、この20年に1年に1枚を超えるペースで作品を発表しています。

この3つのボックスに、それらの作品が収録されているのですが、新プレス盤ではなく、リリース当時のままのCDが入っていました。
言ってみれば、在庫処分のようなボックスです。

2000年代に入ってからのリマスターですので、音も繊細です。 私のように新たに揃えたいものにとっては、ありがたいボックスです。

それでも、気になった点がひとつ。
Fred Recordsのアルバムの初回盤は帯付きが基本のようなのですが、在庫のアルバムをボックスに振り分けているためか、すべての盤に帯が付いているわけではないようです。
すべての盤に帯付きを求めるコンプリ―ティストには向かないボックスになっています。

ReR Megacorpでは、CDをすでにすべて揃えているような熱心なファンに向けて、3つの箱と4枚のボーナスCD、3冊のブックレットのセットを別売していました。

 

3つのボックスで、28枚のCD。通して聴く集中力はありませんが、聴き始めると、目が覚めます。しびれます。

遅ればせながら、フレッド・フリスの、これもまた40年を超える音楽の履歴を吸収しています。

 

『The Fred Records Story Volume 1』(2021年、Fred Records、ReR Megacorp)01

『The Fred Records Story Volume 1』(2021年、Fred Records、ReR Megacorp)02

▲Fred Frith『The Fred Records Story Volume 1 : 2001 - 2020 Rocking the Boat』(2021年、Fred Records、ReR Megacorp)
ブックレットは、まとめて1冊の本にしてほしい、インタビューです。

日本で言えば、「東京」を通過しない、非「東京人」の音楽履歴。
イギリスの田舎で、インテリの家庭に育って、大学(ケンブリッジ)に入ってからポップスや現代音楽を一気に吸収し、ロンドンとは距離をおく感性。

フレッド・フリスをニューヨークに呼び寄せた、ジョルジョ・ゴメルスキ(Giorgio Gomelsky、1934~2016)の音楽シーンをつくる力を改めて感じました。

あるとき、フレッド・フリスのところに、オーネット・コールマンから電話がかかってきて、驚いたら、ロバート・フリップと勘違いしていたとか、そうした挿話が次々出てくるインタビューです。

 

『The Fred Records Story Volume 2』(2021年、Fred Records、ReR Megacorp)01

『The Fred Records Story Volume 2』(2021年、Fred Records、ReR Megacorp)02

▲Fred Frith『The Fred Records Story Volume 2 : 』(2021年、Fred Records、ReR Megacorp)

 

『The Fred Records Story Volume 3』(2021年、Fred Records、ReR Megacorp)01

『The Fred Records Story Volume 3』(2021年、Fred Records、ReR Megacorp)02

▲Fred Frith『The Fred Records Story Volume 3』(2021年、Fred Records、ReR Megacorp)

フレッド・フリスのサインとナンバリングの入ったカード

▲フレッド・フリスのサインとナンバリングの入ったカード

28枚のCDだけでも十分ヘヴィーですが、フレッド・フリスのアーカイヴには、CD1500枚分の音源が今も世に出るのを待っているそうです。

 

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346. 2014年~2017年の『Uniformagazine』(2021年4月24日)

『Uniformagazine』第1号

 

『Imagine Observe Remember』のための書誌 その11

 

『Uniformagazine』は、Peter Blegvad『Imagine Observe Remember』(2020年)の版元、Uniformbooksが、2014年~2017年に出していた、アートを中心にしたリトルマガジンです。

Uniformbooksは、デヴォン(Devon)州アックスミンスター(Axminster)で、コリン・サケット(Colin Sackett)が営んでいる出版所です。
2011年開業。
限定本的なアプローチはとらず、地域やアート関連の書籍を、適正な価格で提供しています。

気になる本を手にしたら、コリン・サケットの仕事だったということが何回かありました。
このサイトで紹介してものでは、ブレグヴァド関連の書籍だけでなく、ローレンス・スターンの本があります。

写真は、2014年秋に刊行された第1号の表紙を広げたところ。裏表紙が目次になっています。
表紙をふくめて32ページ。ステープル綴じ。縦214×横146×幅2ミリの小冊子です。全号このフォーマットです。

ブレグヴァドは、1号、3号、9号に寄稿しており、そのうち、1号と9号が、Peter Blegvad『Imagine Observe Remember』(2020年、Uniformbooks)の「Selected Bibliography」に選ばれており、次のように書かれています。

【21】
Uniformagazine No.1, Autumn
2014, ed. Uniformbooks
The three views from the South Tower of the World Trade Center (p.49 above) are reproduced as a three-page spread with a caption announcing the imminent publication of the Kew. Rhone. book.

【試訳】
世界貿易センター南タワーからの三景(2020年版49ページ)を3ページにわたって掲載。キャプションには『キュー・ローン(Kew. Rhone.)』本近刊の告知。

(【21】【22】【23】【24】の番号は、年代順になっている「Selected Bibliography」の掲載順です。)

 

『Uniformagazine』第1号のブレグヴァドのページから

▲『Uniformagazine』第1号のブレグヴァドのページから。
p23~p25 Peter Blegvad「Imagined, Observed, Remembered」

 

【22】
Uniformagazine No.9, Spring
2017, ed. Uniformbooks
24 images, ‘Imagined, Observed, Remembered’ (pp.169 - 171 of the present volume) are reproduced as a three-page spread, preceded by a brief text on method accompanied by the photo on p.167 of the present volume.
The prediction in a footnote the present volume would be published in 2017 was off by three years.

【試訳】
24の図像。「想像して、観察して、記憶して」(2020年版の169~171ページ)は、3枚続きで掲載。2020年版167ページ掲載の、周囲の環境に影響されない想像画制作方法の写真に、描く方法・手順について短いテキストを添えています。
付記にある『Imagine Observe Remember』2017年刊行の予告記事から、3年の時を待たねばなりませんでした。

 

『Uniformagazine』第9号の表紙(裏表紙は目次)

▲『Uniformagazine』第9号の表紙(裏表紙は目次)
2017年春。表紙をふくめて32ページ。

 

『Uniformagazine』第9号のブレグヴァドのページから

▲『Uniformagazine』第9号のブレグヴァドのページから。
P7~p10 Peter Blegvad「Imagined, Observed, Remembered」
ブレグヴァドの、周囲の環境に影響されない想像画制作方法の写真掲載。

 

また、Uniformbooksの年誌『Uniformannual Twentyeighteen』(2017年、Uniformbooks)も、「Selected Bibliography」に紹介されています。

【23】
Uniformannual Twentyeighteen
Axminster: Uniformbooks,
2017
Five of the ‘Hypnagogic Roundels Imagined, Observed, Remembered’ are reproduced accompanied by a brief essay.
Opening salvo of the latter: “When Marshall McLuhan observed that ‘the medium is the message’ he was talking about technological hardware, but could this also apply to messages passing between areas of neurological ‘wetwave’ - the brain and the mind?”

【試訳】
「想像され、観察され、記憶され」の、入眠時的円形作品のうち5つが、短いエッセイとともに掲載されています。
その冒頭の但し書き「マーシャル・マクルーハンが《メディアはメッセージである》と述べたとき、彼は機械的なハードウェアについて話していましたが、これは神経学的な《さざ波》の領域間を通過するメッセージ、つまり脳と心にも当てはめられるのでしょうか?」

 

『Uniformannual』(2017年、Uniformbooks)表紙

▲『Uniformannual』(2017年、Uniformbooks)表紙
縦244×横170×幅14ミリ。124ページ。ハードカヴァー。
継続を期待していたのですが、刊行された年誌はこの「2018年版」だけです。

 

『Uniformannual』(2017年、Uniformbooks)目次

▲『Uniformannual』(2017年、Uniformbooks)目次
Ken Worpole「John Berger」という、ジョン・バージャー文・Jean Mohr写真の本『A Fortunate Man』についての エッセイも収録。

ジョン・バージャー(John Berger、1926~2017)の『A Fortunate Man』(しあわせな人)は、地方の生活に根づいた医師の、理想的でありながら苦みのあるドキュメンタリーです。
邦訳が出ていることに、遅ればせながら気づきました。

 ジョン・バージャー著、ジャン・モア写真、村松潔訳『果報者ササル――ある田舎医者の物語』(2016年、みすず書房)

かつては、鹿児島の本屋さんの棚にも、みすず書房のコーナーがあって、新刊をチェックできたのですが、今は、みすず書房のコーナーはなくなったのだなあと思いました。

 

『Uniformannual』(2017年、Uniformbooks)のブレグヴァドのページから

▲『Uniformannual』(2017年、Uniformbooks)のブレグヴァドのページから
p24~p29 Peter Blegvad「Imagined, Observed, Remembered」
円形図の「Bird(鳥)」「Rotunda(円形建物)」「Corridor(回廊)」「Poul ladder(プールはしご)」「Vanishing Point(消失点)」を掲載。

 

     

2020年の「Selected Bibliography」の24番目にある本は、未見です。

書影はありませんが、その文章を引用しておきます。

【24】
Brixton Review of Books, Issue 9, Spring 2020
ed. Michael Caines, Alice Wadsworth
An excerpt from ‘Disjecta Membra’ (pp.9-23 of the present volume) is repuroduced as a four-page spread.

【試訳】
「断簡(Disjecta Membra)」(2020年版の9~23ページ)からの抜粋を4ページ続きで掲載。

 

Peter Blegvad『Imagine Observe Remember』(2020年、Uniformbooks)の「Selected Bibliography」に掲載されていた本や雑誌の紹介は、以上です。

 

     ◆

2020年版「Selected Bibliograpy」に含まれていませんが、『Uniformagazine』誌のほかの号の表紙(裏表紙が目次)を並べておきます。

 

『Uniformagazine』第2号の表紙(裏表紙は目次)

▲『Uniformagazine』第2号の表紙(裏表紙は目次)
2015年冬-春。表紙をふくめて32ページ。

 

『Uniformagazine』第3号の表紙(裏表紙は目次)

▲『Uniformagazine』第3号の表紙(裏表紙は目次)
2015年春-夏。表紙をふくめて32ページ。

 

▲『Uniformagazine』第3号のページから

▲『Uniformagazine』第3号のページから
p16~p17 Peter Blegvad & Paul Bowles「Time/Space: 4 Metaphor」(時間/空間:4つのメタファー)
ブレグヴァドが、ポール・ボウルズのテキストに想を得た作品を収録。

 

『Uniformagazine』第4号の表紙(裏表紙は目次)

▲『Uniformagazine』第4号の表紙(裏表紙は目次)
2015年秋。表紙をふくめて32ページ。

 

『Uniformagazine』第5号の表紙(裏表紙は目次)

▲『Uniformagazine』第5号の表紙(裏表紙は目次)
2016年冬-春。表紙をふくめて32ページ。

 

『Uniformagazine』第6号の表紙(裏表紙は目次)

▲『Uniformagazine』第6号の表紙(裏表紙は目次)
2016年春-夏。表紙をふくめて32ページ。

 

『Uniformagazine』第7号の表紙(裏表紙は目次)

▲『Uniformagazine』第7号の表紙(裏表紙は目次)
2016年秋。表紙をふくめて32ページ。

 

『Uniformagazine』第8号の表紙(裏表紙は目次)

▲『Uniformagazine』第8号の表紙(裏表紙は目次)
2016-2017年冬。表紙をふくめて32ページ。

 

『Uniformagazine』第10号の表紙(裏表紙は目次)

▲『Uniformagazine』第10号の表紙(裏表紙は目次)
2017年夏。表紙をふくめて32ページ。

 

     

ピーター・ブレグヴァドについては、次の回でも書いています。

19. 2000年のピーター・ブレグヴァド『リヴァイアサンの書』(2012年10月29日)
205. 1985年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 1』の予約購読者へのおまけ(2017年6月27日)
207. 2016年の『SELECTED SONGS by SLAPP HAPPY』 ILLUSTRATED by PETER BLEGVAD(2017年8月17日)
219. 1983年のピーター・ブレグヴァド『The Naked Shakespeare』(2018年1月20日)
220. 1990年のピーター・ブレグヴァド『King Strut』(2018年1月20日)
221. 2017年のピーター・ブレグヴァド『GO FIGURE』(2018年1月20日)
242. 2018年の『PETER BLEGVAD BANDBOX』(2018年8月10日)
248. 1984年のNovember Books『The Christmas Magazine』(2018年11月12日)
250. 1986年の『Rē Records Quarterly Vol. 1 No. 3』予約購入者へのおまけ(2018年12月5日)
288. 1989年のアルフレッド・ジャリ『DAYS AND NIGHTS』(2019年11月1日)
296. 1993年~1996年の『THE PRINTED HEAD』第3巻(2019年12月30日)
304. 2010年の『ロンドン・パタフィジック協会会報』第1号(2020年4月4日)

 

     

『Imagine Observe Remember』のための書誌は、とりあえず今回でお終いです。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

庄野潤三の『文学交友録』(1995年・新潮社、1999年・新潮文庫)を読んでいたら、「ティペラリー(Tipperary)」という、第一次大戦のころのイギリスの愛唱歌(軍歌)を歌う先生が登場します。

「ティペラリー(Tipperary)」といえば、第一次世界大戦を時代背景にしたドラマや映画で時代を象徴する曲としてよく使われますが、モーガン・フィッシャー(Morgan Fisher)編集の、1分のミニチュア曲のアンソロジー『minitures』(1980年)では、イギリスの精神科医R・D・レイン(R. D. Laing)がピアノで演奏していました。R・D・レインも、1970年代のみすず書房の棚に、必ず置いてあった存在でした。

モーガン・フィッシャー(Morgan Fisher)の、1分のミニチュア曲でアンソロジーを作るというのは、良くできたアイデアで、2000年には、『miniatures 2』も作られました。モーガン・フィッシャーが東京在住なので、そこでの人のつながりなのか、加藤登紀子や宮沢和史、おおた静流といった人たちもミニチュア曲を提供しています。

 

そして、そのアルバムの発案者モーガン・フィッシャーへのトリビュートという形で、『minitures 2020』がリリースされました。
最初の『miniatures』から40年たったわけです。
リリース元は、The 62nd Gramophone Company。製造・販売は、ReR Megacorp。
Alan Davis、Barry Lamb、William Hayterらが、COVID19のロックアウト環境で、モーガン・フィッシャー、マーティン・ニューエル(Martin Newell)、クリス・カトラー(Chris Cutler)らとSNSでつながり、具体化して、ロックアウト環境ということもあって、124組から曲が集まりました。

 

『minitures 2020』01

CD2枚組です。
1分と短いため、聴き流しができず、集中力が必要な2枚組です。
LP3枚組を意識した構成になっています。

1980年・2000年・2020年の3枚に皆勤賞なのは、発案者モーガン・フィッシャーのほかに、David Cunningham。
ペンギン・カフェ・オーケストラを含めれば、Geoffrey Richardson もでしょうか。

また、ロックアウト環境下で、毎週日曜日に、パートナーのトヤー(Toyah)と「Toyah And Robert's Sunday Lunch」という、夫婦漫才のような愉快な動画をYouTubeにあげ続けているロバート・フリップも、
 1980年は、Robert Fripp「MINIATURE」
 2000年は、Robert Fripp & Trey Gunn「Blast」
 2020年は、Toyah With Simon Darlow And Bobby Willcox
3枚とも参加しています。

『minitures 2020』02『minitures 2020』03

『minitures 2020』04『minitures 2020』

▲『minitures 2020』ジャケット
1980年版に参加していた、Ollie Halsall、Simon Jeffes、Lol Coxhill、Steve Miller、Neil Innes、Ivor Cutler、Kevin Coyne、Pete Seegerといった人たちも、生きていたら参加していただろうなと思います。


『minitures 2020』ブックレット

▲『minitures 2020』ブックレット
64ページ・フルカラー。
文字は小さいですが、70年代・80年代の音楽で育った人間には懐かしい名前がいっぱいで、読みごたえがあります。

初めて見る名も多かったのですが、David Jackson(ヴァンダーグラフ)、Sonja Kristina(カーヴドエア)、Martin Newell(ほとんどのアルバムと詩集を持っています)、David Thomas(ペルユビュ)、Chris Cutler(CDと本)、Adrian Sherwood(CDいくつか)、Ric Sanders(フェアポートコンヴェンション)、Dylan Howe(CDあり)、Bob Drake(CDいくつか)、Geoff Leigh(CDたくさん)、Tom Robinson(CDいくつか)、Yumi Hara(CDいくつか)、Fred Frith(今度のボックスを入手)、Henry Priestman(イッツイマテリアル、クリスチャンズ)、Boo Hewerdine(バイブル、エディー・リーダー)、John Greaves(ほぼ揃えています)、Henry Kaiser(CDいくつか)、R. Stevie Moore(CDいくつか)、Stuart Moxham(ヤング・マーブル・ジャイアンツ・・・)、THE BEVIS FROND(CDたくさん)、UKULELE ORCHESTRA OF GREAT BRITIAN(CDあり)、Mitch Friedman(CDいくつか)、Billy Bragg(ほとんどのCD)、David Cross(キングクリムゾン)・・・と、CDやレコードを持っている人たちや懐かしい名前との再会もたくさんありました。
こんなに面白くていいのかと思います。

ピーター・ブレグヴァドも参加しています。
意外なことに今回が初参加。
新録音ではなく、第343回で紹介した、2004年2月4日木曜日、アムステルダムのカルチャーセンター「デ・バリィ(De Balie)」での舞台作品『想像のメディアについて(On Imaginary Media)』のためのデモ音源「Amputated Twin(切り離された双子)」を提供しています。

 

1980年版『miniatures』のCD-R

▲ReR Megacorpで予約購入したときのおまけ。
1980年版『miniatures』のCD-R。ナンバリング入りで、200枚作られたようです。

 

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345. 2014年の『キュー・ローン(Kew. Rhone.)』の本(2021年4月5日)

『キュー・ローン(Kew. Rhone.)』(2014年、uniformbooks)表紙

 

『Imagine Observe Remember』のための書誌 その10

 

2014年、イギリスのデヴォン州、アックスミンスターに拠点を置くuniformbooksから刊行された本です。

1977年にリリースされた、ジョン・グリーヴス(John Greaves)、ピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)、リサ・ハーマン(Lisa Herman)のアルバム『キュー・ローン(Kew. Rhone.)』(Virgin、作詞ピーター・ブレグヴァド、作曲ジョン・グリーヴス)について、多角的に語られている本です。

192ページの本で、前半は、収録された11の曲を作詞したピーター・ブレグヴァドによる自作解説、 後半は、アルバム制作に関わった人や聴き手の文章や、当時の資料を集めています。

1枚のレコード・アルバムを1冊の本で語る本として、理想的な構成ではないかと思います。
アルバムの持つ力を押し広げてくれます。

 

『キュー・ローン(Kew. Rhone.)』は、一聴、ノンセンスな詩が歌われるジャズ・キャバレー風な作といえば、それで通ります。
ピーター・ブレグヴァドの歌詞は、ことば遊びに淫して、喜怒哀楽といった感情の世界の対極にあるように見えます。

例えば、アルバム・タイトルになっている、SIDE 1 の4曲目「Kew. Rhone.」は、イギリスの地名「キュー(Kew)とフランスの地名「ローヌ(Rhone)」が重なって、ありえない多層的な場所を示しています。
歌詞の前半は、その「K」「E」「W」「R」「H」「O」「N」の7文字だけが使われたアナグラムで、「Kew. Rhone.」という場所を導き出す構成になっており、後半は、詩がだんだん回文になっていく構成になっています。
その回文は、アルバムのジャケットに再構成して使われた、アメリカの画家ジョン・ピール(Charles Willson Peale、1741~1827)の作品「アメリカで最初のマストドンの化石を発掘する(Exhuming the First American Mastodon)」(1806~1808年)を参照しています。

そのまま聴けば、意味は通じるけど不思議な内容の詩ということになりますが、ノンセンスを超絶技巧で展開した歌詞です。
人に気持ちを直接的に表現した歌詞を求める人には、役に立たない詩です。

でも、そうすることでしか表現できないものがあるのだと思います。

このアルバムに分かりやすい主題があるとしたら、ものごとは1つの面だけでは把握できない、ということになるでしょうか。
それは、ものごとを「想像・観察・記憶」で記述する方法ともつながっています。

また、作品をノンセンスという単一的解釈の地層にとどめるだけでなく、死者の世界から帰還するオルフェウスの冥府巡りの痕跡を読み取ったり、この作品が制作された1976年の夏、25歳を過ぎて詩人であり続けることを考える年齢だったピーター・ブレグヴァドの試行錯誤を見出したり、多面的な解釈にも開放された作品だと思います。

 

Peter Blegvad『Imagine Observe Remember』(2020年、Uniformbooks)の「Selected Bibliography」には、次のようにあります。

【20】
Kew. Rhone.
192pp, Axminster: Uniformbooks in association with Amateur Enterprises, 2014
The books about the album of songs by John Greaves, Lisa Herman and PB, recorded in 1976 with Andrew Cyrille, Michael Mantler and Carla Bley. Several of the lyrics anticipated the I. O. R. project, and the book takes things further. See for instance the diagram on p.73 from The Museum of Lost Wonder by Jeff Hoke - phenomenology in a nutshell. Or the three views from the South Tower of the World Trade Center (p.49 of the present volume) on p.40.

【試訳】
シリル、マイケル・マントラー、カーラ・ブレイらが参加して1976年に録音された、ジョン・グリーヴス、リサ・ハーマン、ピーター・ブレグヴァドのアルバム『キュー・ローン(Kew. Rhone.)』についての本。
Uniformbooksが、Amateur Enterprises(アマチュア・エンタープライズ)と共同で2014年に刊行。
詩のいくつかは、「想像・観察・記憶」プロジェクトを予期するもので、この本ではさらに踏み込んで推し進めています。例えば、73ページのジェフ・ホークによる「失われた不思議博物館」の図を見てください。簡潔な現象論図解になっています。あるいは、40ページの世界貿易センター南タワーからの三景(2020年版の49ページ)。

(【20】の番号は、年代順になっている「Selected Bibliography」の掲載順です。)

 

『キュー・ローン(Kew. Rhone.)』(2014年、uniformbooks)の表紙を広げたところ01『キュー・ローン(Kew. Rhone.)』(2014年、uniformbooks)の表紙を広げたところ02

▲『キュー・ローン(Kew. Rhone.)』(2014年、uniformbooks)の表紙を広げたところ
縦233×横142×16ミリ。

 

『キュー・ローン(Kew. Rhone.)』(2014年、uniformbooks)目次01

『キュー・ローン(Kew. Rhone.)』(2014年、uniformbooks)目次02

▲『キュー・ローン(Kew. Rhone.)』(2014年、uniformbooks)目次
寄稿者は、Amy Beal、Carla Bley、Franklin Buruno、Sheridan Coakley、Jonathan Coe、Jane Colling、Andrew Cyrille、François Ducat、John Greaves、Doug Harvey、Lisa Herman (Cunningham)、Jeff Hoke、Dana Johnson、Andrew Joron、Glenn Kenny、Frank Key、Simon Lucas、Karen Mantler、Michael Mantler、Harry Mathews、Tonya Peixoto、Benjamin Piekut、Margit Rosen、Philip Tagney、Robert Wyatt、Rafo Zabor、Siegfried Zielinski らです。

このサイトでも何度か言及した、ジョナサン・コー、ジェーン・コリング、フランソワ・ドゥカ、フランク・キイ、ハリー・マシューズ、ロバート・ワイアット、ジーグフリード・ツィリンスキーらの名前があります。

 

『キュー・ローン(Kew. Rhone.)』(2014年、uniformbooks)見開き

▲『キュー・ローン(Kew. Rhone.)』(2014年、uniformbooks)見開きから
1枚のレコード・アルバムを1冊の本で語るというのは珍しくありませんが、『Kew. Rhone.』が、その見本のような本です。

 

     

1977年のアルバム『Kew. Rhone.』のアナログ盤や、再発CD盤を並べてみます。

 

『Kew. Rhone.』(1977年、英Virgin)

『Kew. Rhone.』(1977年、英Virgin)ジャケット表

『Kew. Rhone.』(1977年、英Virgin)ジャケット裏

▲『Kew. Rhone.』(1977年、英Virgin)ジャケット表裏

 

『Kew. Rhone.』(1977年、英Virgin)ラベル01

『Kew. Rhone.』(1977年、英Virgin)ラベル02

▲『Kew. Rhone.』(1977年、英Virgin)ラベル

 

『キュー・ローン』(1981年、ビクター)

『キュー・ローン』(1981年、ビクター)ジャケット表

『キュー・ローン』(1981年、ビクター)ジャケット裏

▲『キュー・ローン』(1981年、ビクター)ジャケット表裏

 

『キュー・ローン』(1981年、ビクター)日本盤帯表   『キュー・ローン』(1981年、ビクター)日本盤帯裏

▲『キュー・ローン』(1981年、ビクター)日本盤帯表裏

 

『キュー・ローン』(1981年、ビクター)ラベル01

『キュー・ローン』(1981年、ビクター)ラベル02

▲『キュー・ローン』(1981年、ビクター)ラベル
1981年日本盤LPのライナーノーツは、竹田賢一。

 

『Kew. Rhone.』(1997年、Voiceprint)CD

『Kew. Rhone.』(1997年、Voiceprint)CD01

『Kew. Rhone.』(1997年、Voiceprint)CD02

 

1997年のVoiceprint盤は、エンハンストCD仕様になっていて、パソコンで「インタラクティブ」に閲覧できる「Kew.Rom.」が収録されています。

アルバム制作に関わった人に「Kew. Rhone.」とは何か尋ねて得た返答集、Side 1 の5曲目「Pipeline」の解釈アニメーション、ブレグヴァドのコミック「リヴァイアサン(Leviathan)」からの引用、収録曲の解釈ヒント集、アルバム未収録の「Actual Frenzy」の図解など、いろいろ仕掛けが工夫されています。

『Kew. Rhone.』本にも寄稿しているFrançois Ducatらが制作した、よくできたCD-ROMプログラムでしたが、当時のCD-ROMの常で、対応ディスプレイは「640×480、256 colors (8-bit)」、QuickTime2やWindows95など旧タイプのパソコン対応なので、現在のPCなどで気軽に見ることができないのが残念です。


『Kew. Rhone.』(2004年、harmonia mundi、Le Chant Du Monde)CD

『Kew. Rhone.』(2004年、harmonia mundi、Le Chant Du Monde)01

『Kew. Rhone.』(2004年、harmonia mundi、Le Chant Du Monde)02


現在はフランスの harmonia mundi レーベル傘下の Le Chant Du Monde レーベルから、2004年にリリースされたジョン・グリーヴス(John Greaves)の再発CD中の1枚。ブックレットに、ジョン・グリーヴスによる各曲への短いコメントがあります。
Gilles Olivesiによる2004年リマスター。
ボーナストラックとして、2曲収録。
 12. lisa peter & john practice bad alchemy
 13. and almost get it right

 

『Kew. Rhone.』(2015年、ReR Megacorp)CD

『Kew. Rhone.』(2015年、ReR Megacorp)CD01

『Kew. Rhone.』(2015年、ReR Megacorp)CD02

 

     

2020年版「Selected Bibliograpy」に含まれていませんが、ブレグヴァド関連図書から、2015年の『THE QUARTERLY.』誌を並べておきます。

 

『Quarterly』(VOLUME ONE NUMBER ONE FALL 2015、DESIGN OBSERVER)表紙

▲アメリカのデザイン専門誌『THE QUARTERLY.』(VOLUME ONE NUMBER ONE FALL 2015、DESIGN OBSERVER)表紙

 

『Quarterly』(VOLUME ONE NUMBER ONE FALL 2015、DESIGN OBSERVER)掲載ブレグヴァド・インタビュー冒頭

▲ 『Quarterly』(VOLUME ONE NUMBER ONE FALL 2015、DESIGN OBSERVER)掲載ブレグヴァド・インタビュー冒頭

88~101ページに、Steven Hellerによるピータ・ブレグヴァドへのインタビュー「Peter Blegvad: Art + Music」掲載。
Andy Partridge & Peter Blegvad『Gonwards』(2012年、Ape House)のグラフィックを大きく取り上げています。

「想像・観察・記憶」についても触れられているので、2020年版の書誌に追加したいインタビューです。

 

『Imagine Observe Remember』のための書誌は、次回に続きます。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

『Kew. Rhone.』収録の曲を、別の歌手が歌うと、また違う世界がひろがります。
ジョン・グリーヴスの1994年のアルバム『Songs』では、「Kew. Rhone.」と「Gegenstand」をロバート・ワイアットが歌っています。
ことば遊びの歌詞に、本質的な哀しみが加わって、曲の表情がふくよかになっています。

 

ジョン・グリーヴス『ソングス』(1995年、idyllic、TOY'S FACTORY)

▲ジョン・グリーヴス『ソングス』(1995年、idyllic、TOY'S FACTORY)
日本盤CD、原盤は1994年リリース。
1995年日本盤CDのライナーノーツは、赤岩和美。訳詩は、AKIYAMA SISTERS INC.

 

John Greaves『Songs』(2004年、Le Chant du Monde、harumonia mundi)

▲John Greaves『Songs』(2004年、Le Chant du Monde、harumonia mundi)
Made in Germany のフランス盤CD。

 

John Greaves『Songs』(2016年、Dark Companion Records)

▲John Greaves『Songs』(2016年、Dark Companion Records)
限定生産のイタリア盤CD。

 

『SONGS』(1994年、Resurgence)には、「The Song」という「Music by John Greaves, words by Peter Blegvad」の新曲が収録されています、

「The Song」は、アルバム『Kew. Rhone.』のことで、40歳を過ぎた詩人が、25歳の夏を回想する、ちょっと感傷的な詩になっています。

 

    The Song

 Town in the shadow of a mountain
 Crown of the mountain came avalanching down
 All summer long
 We were stalking what
 We come to call THE SONG.

 THE SONG was a kind of eruption ―
 Mover of mountains,
 Avalanches of crowns
 When we were young
 We sought the laws
 We thought would cause
 THE SONG.

 Life is a dream we are phantoms.
 Man is the union of Divinity and Dust.

 All summer long,
 When we were young
 Before we’d sung THE SONG.

 No mere machine
 Made of music
 Of words and music
 As other songs are ―
 This was THE SONG,
 A recipe, a remedy a cure.

 THE SONG would be sung
 On the border
 Sung by us standing
 Straddling the line
 Between two words
 Unified only by THE SONG.

  【試訳】

 山かげの町、
 山のいただきが崩れ落ちてきた。
 夏の間ずっと、
 ぼくらは「歌(Kew. Rhone.)」と呼ぶことになるものに
 忍び寄ろうしていた。

 「歌」は噴火のようなもの――
 山を動かすもの、
 山のいただきが崩れ落ちたもの。
 ぼくらは若い頃、
 法則を探した。
 ぼくらは「歌」を産み出すものを見つけられると考えていた。

 人生は夢、ぼくらは幻。
 人は神性と塵のまざりもの。

 長い夏、
 ぼくらが若い頃、
 「歌」を歌ってしまう前。

 単なるからくりではない――
 ほかの曲のように、
 言葉と音楽で作られた歌。
 これが「歌」、
 調理法で、薬で、治療法。

 「歌」は境界で歌われる。
 ぼくらは立ちあがって歌った。
 「歌」だけが結びつけられる
 2つの言葉の境界線に
 またがって歌った。

 

「The Song(Kew. Rhone.)」は、自分を超えるような作品をつくる試みだったのだと思います。

この「The Song」は、ロバート・ワイアットが歌っていて、ワイアットの声が作り出す世界がひろがっています。

ワイアットは「人は神性と塵のまざりもの(Man is the union of Divinity and Dust.)」という部分に、「愚かさと欲望(Inanity and lust)」とコーラスをつけてはどうかと提案したそうです。

ロバート・ワイアットも、ことば遊びの先輩でした。


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344. 2011年のピーター・ブレグヴァド『漂白する流れ(The Bleaching Stream)』(2021年3月28日)

2011年のピーター・ブレグヴァド『漂白する流れ(The Bleaching Stream)』表紙

 

『Imagine Observe Remember』のための書誌 その9

 

2010年、ピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)は、ロンドン・パタフィジック協会(The London Institute of ‘Pataphysics)の会長になります。
役職とは無縁の自由人というイメージの人でしたが、この肩書きははまっています。

ピーター・ブレグヴァドが会長になった2010年から、『ロンドン・パタフィジック協会会報(The Journal of the London Institute of ’Pataphysics)』の刊行が始まります。

第304回 2010年の『ロンドン・パタフィジック協会会報』第1号(2020年4月4日)」でも少し書いていますが、 『ロンドン・パタフィジック協会会報』の既刊分については、改めて書く予定です。

今までのところ22号まで出て、そのうち「Number 3」と「Number 16」が、ピーター・ブレグヴァドの本です。

写真は、2011年刊行のロンドン・パタフィジック協会会報第3号、ピーター・ブレグヴァド『漂白する流れ(The Bleaching Stream)』の表紙です。

 

Peter Blegvad『Imagine Observe Remember』(2020年、Uniformbooks)の「Selected Bibliography」には、次のようにあります。

【18】
The Bleaching Stream
Journal of the London Institute of ‘Pataphysics, number 3
80pp, London: London Institute of ‘Pataphysics, 2011
PB in conversation with Kevin Jackson. The book is an unreliable memoir, and I. O. R. is duscussed (e.g. pp31, 46, 78).

【試訳】
『漂白する流れ(The Bleaching Stream)』
ロンドン・パタフィジック協会会報第3号。2011年。80ページ。
2010年のピーター・ブレグヴァドのロンドン・パタフィジック協会会長就任をうけての、作家ケヴィン・ジャクソンとの対話。この本で、ブレグヴァドはこれまでの自身の履歴を語るも、信頼の置ける回想とは言いがたい。「想像・観察・記憶」についても言及(例えば、31・46・78ページ)。

(【18】の番号は、年代順になっている「Selected Bibliography」の掲載順です。)

 

ピーター・ブレグヴァド『漂白する流れ(The Bleaching Stream)』(2011年、London Institute of ‘Pataphysics / Atlas Press)表紙を広げたもの

▲ピーター・ブレグヴァド『漂白する流れ(The Bleaching Stream)』(2011年、London Institute of ‘Pataphysics / Atlas Press)表紙を広げたもの
縦234×横158×幅6ミリ。
501部発行。
「Absolu 139 EP(September 2011 vulg.)」とある刊行年月は、アルフレッド・ジャリ(Alfred Jarry、1873~1907)の生年を起点としたパタフィジック暦と西暦の併記で、「パタフィジック暦139年1月(西暦2011年9月)」ということになります。

表紙のミルクの入ったコップの図は、「P」と「B」の組合せで構成され、ピーター・ブレグヴァドのモノグラム(monogram)、しるし、シンボルになっています。

裏表紙の渦巻きは、ユビュ王のしるしです。

 

ピーター・ブレグヴァド『漂白する流れ(The Bleaching Stream)』(2011年、London Institute of ‘Pataphysics / Atlas Press)扉

▲ピーター・ブレグヴァド『漂白する流れ(The Bleaching Stream)』(2011年、London Institute of ‘Pataphysics / Atlas Press)扉
『会報』は予約購読しなかったのですが、著者のサインとコップ印、会長印の押された版を入手できました。

 

ピーター・ブレグヴァド『漂白する流れ(The Bleaching Stream)』(2011年、London Institute of ‘Pataphysics / Atlas Press)目次

▲ピーター・ブレグヴァド『漂白する流れ(The Bleaching Stream)』(2011年、London Institute of ‘Pataphysics / Atlas Press)目次もし、『ピーター・ブレグヴァド大全』のような1巻本を編むとしたら、このインタビューによる回想は、巻末に収めたいところです。

 

ピーター・ブレグヴァド『漂白する流れ(The Bleaching Stream)』(2011年、London Institute of ‘Pataphysics / Atlas Press)刊記と冒頭

▲ピーター・ブレグヴァド『漂白する流れ(The Bleaching Stream)』(2011年、London Institute of ‘Pataphysics / Atlas Press)刊記と冒頭
ピーター・ブレグヴァドが誕生したとき、父親のエリック・ブレグヴァドが作成したカードが掲載されています。すてきなお父さんです。

 

ピーター・ブレグヴァド『漂白する流れ(The Bleaching Stream)』(2011年、London Institute of ‘Pataphysics / Atlas Press)ミルクグラス

▲ピーター・ブレグヴァド『漂白する流れ(The Bleaching Stream)』(2011年、London Institute of ‘Pataphysics / Atlas Press)見開き
ブレグヴァドのモノグラムになっている、ミルク入りの発光するコップは、一度死に、復活して再生した自己の象徴になっているようです。

 

     

2020年の「Selected Bibliography」の19番目にある雑誌は、未見です。

書影はありませんが、その文章を引用しておきます。

【19】
Strapazin No.109, ‘Reading Visuals’, December 2012
ed. Christopher Badoux, M. Vänçi Sitrnemann, Pierre Thomé
Features ‘Wie Doc Mich Sehen Lerte’, a translation of ‘How Doc Learned Me To See’, a picture story by PB re pareidolia (seeing images in blots). Cf. p.182 of present volume.

【試訳】
ドイツおよびスイスのコミック専門誌「Strapazin」
パレイドリア現象(シミに何かの像を見出す現象)についてのブレグヴァドの絵物語「先生がぼくに教えてくれた見方」ドイツ語訳を収録。
2020年版の182ページ参照。

『Strapazin』のWEBサイトで、小さいサイズのものですが、閲覧可能です。

 

     

2020年版「Selected Bibliograpy」に含まれていませんが、2015年前後のブレグヴァド関連図書から、手もとにあるものを並べておきます。

 

Peter Blegvad『PETRUS BLEGVADUS SE IPSE EFFINGEBAT(ペトラス・ブレグヴァダス自画像集)』
Journal of the London Institute of ‘Pataphysics, number 16
40pp, London: London Institute of ‘Pataphysics, 2017
299部。 縦239×横160×幅3ミリ。
ピーター・ブレグヴァドの「想像・観察・記憶」による自画像集。
まさしく「想像・観察・記憶」を扱った本なので、2020年版の書誌に含めておいたほうがよいと思われる本です。
17の自画像のサイズは、縦148×横105ミリ。

 

Peter Blegvad『PETRUS BLEGVADUS SE IPSE EFFINGEBAT(ペトラス・ブレグヴァダス自画像集)』表紙01

▲Peter Blegvad『PETRUS BLEGVADUS SE IPSE EFFINGEBAT(ペトラス・ブレグヴァダス自画像集)』表紙
『ロンドン・パタフィジック協会会報(The Journal of the London Institute of ’Pataphysics)』16号表紙。

 

Peter Blegvad『PETRUS BLEGVADUS SE IPSE EFFINGEBAT(ペトラス・ブレグヴァダス自画像集)』表紙02

▲Peter Blegvad『PETRUS BLEGVADUS SE IPSE EFFINGEBAT(ペトラス・ブレグヴァダス自画像集)』表紙を広げたもの

 

Peter Blegvad『PETRUS BLEGVADUS SE IPSE EFFINGEBAT(ペトラス・ブレグヴァダス自画像集)』扉

▲Peter Blegvad『PETRUS BLEGVADUS SE IPSE EFFINGEBAT(ペトラス・ブレグヴァダス自画像集)』扉

 

Peter Blegvad『PETRUS BLEGVADUS SE IPSE EFFINGEBAT(ペトラス・ブレグヴァダス自画像集)』目次

▲Peter Blegvad『PETRUS BLEGVADUS SE IPSE EFFINGEBAT(ペトラス・ブレグヴァダス自画像集)』目次
ブレグヴァドの自画像は、「観察(Observed)」が6点、「想像が(Imagined)」が4点、「記憶(Remembered)」が6点。
多色版が4点、モノクロ版が12点。

 

Adam Dant「Presidential Framing Apparatus(会長用額装)」

▲A4サイズのAdam Dant「Presidential Framing Apparatus(会長用額装)」が挟み込まれています。
中央の空きは、ブレグヴァド自画像を5ミリの余白をつけてはめ込めるように、縦158×横115ミリになっています。

 

Peter Bauhuis『ABECEDARIUM: Schmuck. Gefäß. Gerät.(入門書:宝飾・容器・道具)』
ARNOLDSCHE, Stuttgart
2012年2月

Peter Bauhuis『ABECEDARIUM: Schmuck. Gefäß. Gerät.(入門書:宝飾・容器・道具)』 クロス表紙

▲Peter Bauhuis『ABECEDARIUM: Schmuck. Gefäß. Gerät.(入門書:宝飾・容器・道具)』表紙
ドイツ・ミュンヘンの金属鋳造造形作家ペーター・バウホイスのモノグラフで、アルファベット順の事典形式になっているのが特徴です。
1人の作家の全体像を辞書形式で1冊に落とし込んだ、とても魅力的な構成の本です。
表紙クロスと見返しの紙に力をいれたら、もっと魅力的な本になったのではないかとも思いました。

 

Peter Bauhuis『ABECEDARIUM: Schmuck. Gefäß. Gerät.(入門書:宝飾・容器・道具)』 見開き

雲の想像・記憶図をはじめ、ブレグヴァドのイラスト5点 を収録しています。

 

『Imagine Observe Remember』のための書誌は、次回に続きます。


 拾い読み・抜き書き

2021年3月、マーティン・ニューエル(Martin Newell)のポッドキャスト「Martin Newell Oddcaste」105回で、モーガン・フィッシャー(Morgan Fisher)編のミニチュア曲アンソロジー『miniatures』の特集をしていたのですが、そのコメント欄に、モーガン・フィッシャーが書き込んでいました。

そのスクリーンショット。

Newell Fisher

そう、間違いなく、オリー・ハルソールは、「guitar god」です。
1974年6月1日、ケヴィン・エアーズ「May I ?」でのオリー・ハルソールのギターソロ。
マーティン・ニューエル21歳の夏。

いろんな思いがこみあげてきます。

 

【2021年3月30日追記】

1974年6月1日の「May I ?」のことを書いたら、やはり『JUNE, 1 1974』を聴きたくなります。

KEVIN AYERS - JOHN CALE - ENO - NICO『JUNE 1, 1974』(1974年、Island)

▲KEVIN AYERS - JOHN CALE - ENO - NICO『JUNE 1, 1974』(1974年、Island)
写真は1990年の日本盤再発CD。
『JUNE 1, 1974』のレコードは持っていなくて、友人の所で聴かせてもらうレコードでした。
『悪魔の申し子たち』という邦題には、昔も今もなじめませんが。

正規のライブ盤は、まだこの46分の盤だけです。

 

この盤に収録されなかったコンサートの他の曲を集めた『JUNE 1, 1974 OUTTAKES』という海賊盤もあります。

『JUNE 1, 1974 OUTTAKES』

▲『JUNE 1, 1974 OUTTAKES』
この海賊盤の音は残念なものですが、いろいろ工夫して、2時間のコンサートを再構成して聴いたりしました。
ぜひ全曲収録した正規音源をリリースしてほしい盤です。

 

この『JUNE 1, 1974』のライブ盤について、1冊の本も書かれています。

Dave Thompson『JUNE 1st 1974』

▲Dave Thompson『JUNE 1st 1974 KEVIN AYERS, JOHN CALE, NICO, ENO, MIKE OLDFIELD AND ROBERT WYATT ― THE GREATEST SUPERGROUP OF THE SEVENTIES』(2014年)
333ページの力作です。
1965年から1977年までのクロニクル形式で、別々に行動していた4人のミュージシャンが、1974年6月1日一夜限り結ばれて、また分かれていく、という構成になっています。

人生の結節点のような、その人の生涯を象徴するような、本のタイトルにもなるような、日付があるのかもしれません。

自分の日付は、何年何月何日だろうと考えてしまいます。

 

そういえば、ケヴィン・エアーズがらみで、日付をタイトルにした本が、ほかにもありました。

Susan Lomas『KEVIN AYERS August 16th 2013 Deià』(2014年)

▲Susan Lomas『KEVIN AYERS August 16th 2013 Deià』(2014年)
102ページ。

ケヴィン・エアーズは、2013年2月18日に亡くなりました。
その年の8月16日、ケヴィン・エアーズの69回目の誕生日に、ケヴィン・エアーズが愛したスペイン・マヨルカ島のデヤに、家族・友人・知人・ファンが集まって、ケヴィン・エアーズをしのぶ会を開いたときの記録です。

ケヴィン・エアーズは、デヤの高台にある教会の一角に、オリー・ハルソール(Ollie Halsall、1949~1992)と並んで眠っているそうです。

天国で最高のバンドを組んでいるのだろうな。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

失われたメディアというと、1990年代の「インタラクティブ」な「CD-ROM」が思い浮かびます。
すぐれた面白い作品もあるのに、いざそれを見ようとすると、古いPCがなければ、もう見ることもできません。
「CD-ROM」の失速に、デジタル・メディアは、100年、1000年単位で残すことを考えないメディアなのだなと感じます。

 

ヤン富田『MUSIC FOR LIVING SOUND』01

ヤン富田『MUSIC FOR LIVING SOUND』02

ヤン富田『MUSIC FOR LIVING SOUND』03

1998年といえば、ヤン富田『MUSIC FOR LIVING SOUND』(フォーライフ)は、4枚組の大作で、すばらしいCDでした。
この作品こそワールド・スタンダードだと思いました。

ただ、マクロメディア社のソフト「ディレクター」で作られ、QuickTime2が必要なCD-ROMのディスク4を、今、簡単に見ることできません。

ためしに、ネットに接続していないWindows XP搭載のノートパソコンに、QuickTime2をインストールして、画面の設定を変えてみたら、CD-ROMのディスク4を動かすことができることを確認しました。よかった。

このWindows XP機は、大切にしないといけません。

 

    

 

川内まごころ文学館の「郷土を彩る芸術家たち」表

川内まごころ文学館の「郷土を彩る芸術家たち」裏

 

川内まごころ文学館の「郷土を彩る芸術家たち」の展示(3月9日~5月9日)をのぞいてきました。
久し振りに川内行きのJRに乗ったら、車窓から、平均して五分咲きの桜と、レンゲ畑、楠の若葉が次々見えて、春を感じました。

今回の展示のメインは、1960年代に、川内文化ホールの緞帳のために山口長男(1902~1983)が制作した水彩(ガッシュ)「総親和と躍進」で、明澄な精神を感じ取ることができる作品でした。珍しいところでは、当時の川内市長横山正元に宛てた山口長男の手紙も展示されていました。
武満徹(1930~1996)は、宇佐見圭司のリトグラフをともなった『時間の園丁』私家版限定特装本が、有島生馬(1882~1974)は墨書や墨絵が展示されていました。
展示された作品数は多くはありませんが、4人の強い個性を感じることができました。

この山口長男・武満徹・有島生馬の3人と並んで、秋朱之介(1903~1997)の装釘本も、しっかり展示されていました。

秋朱之介の編集・制作・装釘した本で、今回、展示されていたのは、
佐藤春夫『魔女』、プルースト『若き娘の告白』、西尾幹子訳『お前と私』、池田圭『詩集 技巧』特装版、『戀人へおくる』、『花のある隨筆』、中原中也訳『アルチュル・ランボオ詩集』、『イザベル』、『ヴェニュス生誕』、棟方志功画『ヴェニュス生誕 別冊画譜』、『百鬼園隨筆』、『續百鬼園隨筆』、佐藤春夫『霧社』手彩色版、『ウィンの裸体倶楽部』、太宰治『信天翁』、『美貌処方書』、『惡の華詩抄』、『向ふ山』、『オダリスク』、秋朱之介『書物游記』特装版・自装版、 などなど。

3つのケースに収められて展示されていました。

のぼりのような大きな紙に、秋朱之介のことば
「芸術家にとって創作は自分の身のように、自分の子供のように可愛いものでなければならぬと私は思っている」
が印刷され、壁面に掲げられていました。

山口長男、武満徹、有島生馬らは、父親が川内出身ということですが、川内生まれの秋朱之介(西谷操)の17歳まで暮らした川内時代が、いちばん分かっていないというのが、不思議というか、調べることの難しいところです。


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343. 2006年の『想像のメディアの本(Book of Imaginary Media)』(2021年3月21日)

2006年の『想像のメディアの本(Book of Imaginary Media)』表紙

 

『Imagine Observe Remember』のための書誌 その8

 

iPhoneの第一世代が登場したのが2007年。
iPhone前後では、メディアについての想像や夢も、形を変えたのかも知れません。
iPhone登場前夜に、想像されたメディア、夢見られたメディアについてのテキストを集め、オランダで刊行されたアンソロジーです。
写真は英語版。オランダ語版(2006年)とラトヴィア語版(2011年)もあります。

『想像のメディアの本(Book of Imaginary Media)』(2006年、NAi)は、2004年2月、アムステルダムの文化総合施設「De Balie」で開催されたイヴェント「想像のメディアの考古学(An Archaeology of Imaginary Media)」から生まれた本で、「De Balie」のメディア部門の責任者だったEric Kluitenbergが編集しています。
ちょっとデザインが入りすぎて目がちらちらするページ構成で、内装を新しくしようとして、入りづらくなった骨董品店といった趣もあります。

その2004年のイヴェントで、ピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)は、『On Imaginary Media』という舞台作品を発表しています。その記録映像が、本に付属のDVDに収録されています。

ブレグヴァドは本文には参加していませんが、『Book of Imaginary Media』執筆者は、ブレグヴァドの『On Imaginary Media』を触媒にして「想像のメディア」について論を深めています。


Peter Blegvad『Imagine Observe Remember』(2020年、Uniformbooks)の「Selected Bibliography」には、次のようにあります。

【14】
Book of Imaginary Media: Excavating the Dream of the Ultimate Communication Medium
ed. Eric Kluitenberg, Rotterdam: NAi, 2007
Includes PB’s DVD: ‘On Imaginary Media’. In 2004 PB was commissioned by De Balie, a cultural centre in Amsterdam, to write, design and direct On Imaginary Media, a performance piece for three actors with projected images and live music performed from behind a scrim by PB, Chris Cutler and john Greaves. In 2005 a recording of the piece in which PB performed all the parts was released on DVD as part of the book of Imaginary Media. A new version of this was broadcast by BBC Radio 3 in 2017 featuring Emma Powell, John Ramm and PB, produced by Iain Chambers.

【試訳】
『想像のメディアの本:究極のコミュニケーション・メディアの夢を掘り下げる』
エリック・クルイテンベルク編。ロッテルダム。版元はNAi。2007年(刊記には2006年とありますが、実際に刊行されたのは2007年。)
本文にはピーター・ブレグヴァドの作品掲載はありませんが、付属のDVDに、ブレグヴァドの映像作品『想像のメディアについて(On Imaginary Media)』を収録。2004年、ブレグヴァドはアムステルダムのカルチャーセンター「デ・バリィ(De Balie)」の依頼をうけて、脚本・デザイン・監督をした舞台作品『想像のメディアについて(On Imaginary Media)』を制作。3人の俳優が舞台にたち、プロジェクターにブレグヴァドの作画を含め想像のメディアについてのイメージが映し出され、音楽は、ブレグヴァド、クリス・カトラー、ジョン・グリーヴスが 幕裏で生演奏した。デ・バリィでのパフォーマンスは撮影され、その映像を収録したDVDは、『想像のメディアの書(Book of Imaginary Media)』の一部として発表された。『想像のメディアについて(On Imaginary Media)』の新版が、2017年 、BBCのラジオ3で放送沙された。出演は、エマ・パウエル、ジョン・ラム、ピーター・ブレグヴァドほか。プロデュースはイアン・チェンバース。

(【14】の番号は、年代順になっている「Selected Bibliography」の掲載順です。)

 

『想像のメディアの本(Book of Imaginary Media)』(2006年、NAi)の表紙を広げたところ

▲『想像のメディアの本(Book of Imaginary Media)』(2006年、NAi)の表紙を広げたところ
p.296。縦239ミリ×横160ミリ×幅16ミリ。

 

『想像のメディアの本(Book of Imaginary Media)』(2006年、NAi)扉

▲『想像のメディアの本(Book of Imaginary Media)』(2006年、NAi)扉

 

『想像のメディアの本(Book of Imaginary Media)』(2006年、NAi)目次

▲『想像のメディアの本(Book of Imaginary Media)』(2006年、NAi)目次

前回とりあげたジークフリート・ツィリンスキー(Siegfried Zielinski)は、アタナシウス・キルヒャー(Athanasius Kircher、1602~1680)が考案した想像と現実をつなぐ装置について、サイバーパンク・スチームパンクを知らしめたSF作家のブルース・スターリング(Bruce Sterling)は、かつて栄えたものの廃れたメディアや想像されたメディアを記録する古生物学的視点の重要さについて書いています。
ほかにも、のぞき穴とのぞくメディアの歴史、ニコラ・テスラとトマス・エディソンの発明と想像のメディア、死者・幽霊・骸骨の映像化への欲求、メディア・アートに見る想像の未来、1964年のニューヨーク・ワールド・フェアで提示された未来、アフロ・フューチュアリズムなどについて論考が収録されています。

また、本の上部欄外に、古代ギリシャから2005年までのメディア史の小コラムが時代順に掲載されています。

 

『想像のメディアの本(Book of Imaginary Media)』(2006年、NAi)DVD

▲『想像のメディアの本(Book of Imaginary Media)』(2006年、NAi)付属のDVD『The DVD of Imaginary Media』
三部構成になっていて、ピーター・ブレグヴァド作の舞台作品『On Imaginary Media』、François Ducatの短編映像『Aqua Micans』、8組の作家による『Imaginary Media Cartoons』を収録。

Peter Blegvad『On Imaginary Media』
2004年2月4日木曜日、ブレグヴァドはアムステルダムのカルチャーセンター「デ・バリィ(De Balie)」の依頼をうけて、脚本・デザイン・監督をした舞台作品『想像のメディアについて(On Imaginary Media)』を上演。
その記録映像、35分29秒を収録。
3人の俳優が演じ、プロジェクターにイメージが映し出され、音楽は、ブレグヴァド、クリス・カトラー、ジョン・グリーヴスが幕裏で生演奏した。

1930年代の「duplicating typewriter」のように職場で普通に使われていたのに完全に廃れたものや、存在したことがないが、将来普及するかも知れないメディア、エディソン、テスラが想像していたメディア、ラジオのホワイトノイズに死者の声を聞き取るメディア、岩石・鳥・ジャガイモの思考を翻訳・投影するメディア、脳に直結するメディア、ヴァーチャルな死後を体験できるゴーグルなど想像のメディア・装置に触れながら、あり得たかも知れないメディアと実際のメディアの境界を巡る、思索的な舞台作品です。

音楽的には、ブレグヴァドの曲「God Detector」を、リーヴァイ(Levi)君主演の紙芝居化しているものが、作者の絵解きとして面白いものになっています。
また、ブレグヴァドのソロだけでなく、スラップ・ハッピー(Slapp Happy)でも歌われた「Let's Travel Light」は、別の世界とのつながりへと誘います。

2004年「デ・バリィ(De Balie)」上演版とは違うものですが、ワーウィック大学(Warwick)のアーカイヴで、 2009年8月25日火曜日に行われた 「On Imaginary Media」の映像記録を見ることができます。

ピーター・ブレグヴァドがワーウィック大学(Warwick)で行った「Imagine, Observe, Remember」ワークショップの成果として、新しい「On Imaginary Media」を参加者とともに演じています。

さらに、2017年6月24日土曜日には、BBC Radio3で、30分のラジオドラマとして、新版の「On Imaginary Media」が放送されています。
BBC Radio3 のサイトでストリーミングで聞くことができます。

 

François Ducat『Aqua Micans: Hommage à Raymond Roussell(きらめく水:レイモン・ルーセル讃)』
女性が潜水している映像に図像・音声がオーヴァーラップする5分21秒。
この作品はFrançois Ducatが動画サイトで公開しているものを見ることができます。

François Ducatは、John Greaves, Lisa Herman, Peter Blegvadのアルバム『Kew. Rhone.』(1977年)が、1997年にVoiceprintからCD化されたとき、そのCDにエンハンストされたCD-ROM「Kew. Rom」の制作者でした。

『潜水の旅:報告としてのドローイング(Tauchfahrten, Zeichnung als Reportage / Diving Trips, Drawing as Reportage)』(2004年)でも「潜水」が使われていて。潜ることが、歴史を探ることの比喩になっているようです。

 

『Imaginary Media Cartoons』
想像のメディアについてのコミック作品(静止画)

 Peter Blegvad(2作品)
 Ben Katcher
 Thomas Zummer
 Gary Panter
 Jonathan Rosen
 Neal Fox & Les Coleman
 Sasa (aka Aleksandar Zograf)
 Dick Tuinder


    

2020年版の「Selected Bibliography」の15番目と16番目にある雑誌は、紙の本としては未見です。

書影はありませんが、その文章を引用しておきます。

【15】
Standpoint (magazine)
ed. Daniel Johnson
From issue 2 (July 2008) to 9 (February 2009) the comic strip ‘How to be a seer’ (pp.152-165 of the present volume) appeared in monthly instalments.

【試訳】
2008年7月の2号から2009年2月の9号までコミックの月刊連載「見者になる方法」(2020年版152~165ページ掲載)。

【16】
The Believer, November/December 2009, Vol. 7, No.9
ed. Heidi Juvavits, Vendela Vida.
Interview with PB by Franklin Bruno. The I. O. R. project is discussed in some detail.
An excerpt is on p.52 of the present volume. The whole thing was online at time of writing: believermag.com/an-interview-with-peter-blegvad/

【試訳】
フランクリン・ブルーノによる、ピーター・ブレグヴァドへのインタビュー。「想像・観察・記憶」プロジェクトについて少し詳しく論議しています。2020年版52ページ掲載のものの抜粋。インタビュー全文は『The Believer』のWEBサイトで閲覧可能。

 

    

2020年版「Selected Bibliograpy」に含まれていませんが、2010年ごろのブレグヴァド関連図書から、手もとにあるものを並べておきます。

 

『POETRY』(JULY/AUGUST 2006)

▲『POETRY』(JULY/AUGUST 2006)
Volume 188, Number 4
Poetry Foundation
「The Humor Issue(ユーモア特集)」
p.275~p.380。縦228ミリ×横140ミリ×幅7ミリ。
ハリエット・モンロー(Harriet Monroe)によって、 1912年にシカゴで創刊された、アメリカで最も古くから続く詩誌。
Peter Blegvadは1ページ、10コマのコミック「POET!」(p285)を寄稿。
使ったら筋肉もりもりになり女性にもてるといった内容の、健康器具広告マンガを、詩に置き換えたもの。

 

『Design Disasters: Great Designers Fabulous Failures & Lessons Learned』 表紙

▲『Design Disasters: Great Designers Fabulous Failures & Lessons Learned』
Edited by Steven Heller
Allworth Press
ニューヨーク
2008年
p.216。縦228ミリ×横152ミリ×幅14ミリ。
Peter Blegvad「Memory Failure and Imagination(記憶のしくじりと想像)」を収録。

 

『Design Disasters: Great Designers Fabulous Failures & Lessons Learned』ブレグヴァドのページ冒頭

▲『Design Disasters: Great Designers Fabulous Failures & Lessons Learned』ブレグヴァドのページ冒頭
p.82~91
Peter Blegvad「Memory Failure and Imagination」
2020年版にはない、「1観察」「2間をおく」「3記憶」「4間をおいて想像/記憶」と「想像・観察・記憶」の手順についての記述など、異同がかなりあります。2020年版の「Selected Bibliography」に含まれておかしくない本です。

 

『Objects of Knowledge, of Art and of Friendship ― For Siegfried Zielinski』表紙

▲『Objects of Knowledge, of Art and of Friendship ― For Siegfried Zielinski(知識、芸術、友情のオブジェ ― ジークフリート・ツィリンスキーのために)A Small Technical Encyclopaedia(小技術百科』
Edited by David and Nils Röller
Institut für Buchkunst Leipzig
2011年。
p.192。縦215ミリ×横144ミリ×幅19ミリ。

ジークフリート・ツィリンスキーの60歳記念に、友人や知人83人が寄稿した、ABC順に編まれた、81項目の小技術百科風エッセイ集。
私でも知っている名前では、ハイナー・ゲッペルス(Heiner Goebbles)やクェイ兄弟(Brothers Quay)の寄稿もありました。

ピーター・ブレグヴァドとアンソニー・ムーアも寄稿。
 p21 「Bull Roarer(うなり板)」Peter Blegvad
 p162 「Tele-Caster(テレキャスター)」Anthony Moore

ピンク・フロイド(Pink Floyd)からロジャー・ウォータース(Roger Waters)脱退後の『A Momentary Lapse of Reason(鬱)』 (1987年) と『 The Division Bell(対/TSUI)』(1994年)の2枚のアルバムで、アンソニー・ムーアは作詞を一部担当していて、そのなかのひとつ「Learning To Fly(幻の翼)」の詩が一部が、アンソニー・ムーアの寄稿「Tele-Caster(テレキャスター)」で引用されています。

 

『Objects of Knowledge, of Art and of Friendship ― For Siegfried Zielinski』刊記

▲『Objects of Knowledge, of Art and of Friendship ― For Siegfried Zielinski』刊記

Illustrations: Peter Blegvad

Big thanks and κῦδος! go out to Peter Blegvad, for sketching everything on earth, even the light of benevolence.《地球上のあらゆるものをスケッチし、慈善の光までも描いてくれたピーター・ブレグヴァドに、大きな感謝と礼賛(kudos)を。》」との謝辞。

 

『Objects of Knowledge, of Art and of Friendship ― For Siegfried Zielinski』イラスト

▲『Objects of Knowledge, of Art and of Friendship ― For Siegfried Zielinski』のページから
各項目にピーター・ブレグヴァドの挿絵。「観察」スタイルの挿絵がはいっています。

Avital Ronell「DRIED FOOD Yammy(乾き物 おいしい)」には、花かつおを律儀に「観察」写生したイラストが使われていました。
この本の日本との関わりというと、ほかに、YIKIKO SHIKATA(四方幸子)「Object B」の寄稿がありました。

 

    

『Imagine Observe Remember』のための書誌は、次回に続きます。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

「潜る」イメージから、Anthony MoreのシングルB面曲「Diving Girls」を。

Anthony Moore『World Service / Diving Girls』(1981年、DO IT)01

Anthony Moore『World Service / Diving Girls』(1981年、DO IT)02

Anthony Moore『World Service / Diving Girls』(1981年、DO IT)03

Anthony Moore『World Service / Diving Girls』(1981年、DO IT)04

Anthony Moore『World Service / Diving Girls』(1981年、Do it Records)
ドラム・Charley Charles、ベース・Norman Watt-Royと、イアン・デューリー&ブロックヘッズのリズム隊です。
それが期待させるものからすると、アンソニー・ムーアが、そのリズムの上に、好みの手駒の音を即席で並べたような曲でした。

A面の「World Service」は、アルバムに収録されたものとは別のヴァージョン。
カヴァー写真担当のディーター・マイヤー(Dieter Meier)は、Yelloのヴォーカルでコンセプチュアル・アーティストのディーター・マイヤーです。

1981年、ほんとうによく「World Service」は聴いていました。

 

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342. 2006年の『Variantology 2』(2021年3月14日)

2006年の『Variantology 2』表紙

 

『Imagine Observe Remember』のための書誌 その7

 

ブレグヴァドの特徴のひとつである書画一体彩色図が使われた『Variantology 2』の表紙です。

1990年代の『Leviathan』連載が終わり、2000年代になると、ピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)に、芸術系の大学と関わる仕事も増えてきます。そのなかで、『Variantology』に提供した作品をはじめ、ドイツのメディア論研究者、 ジークフリート・ツィリンスキー(Siegfried Zielinski)の仕事と関連する作品がいくつか生まれています。

『Variantology』は、ツィリンスキーが中心になって編集し、2005年から2011年にかけて5冊の英語版が刊行された、芸術・科学・技術の歴史や多様性についての論文・作品集です。
正統から置き去りにされたもの、忘れられたもの、オルタナティヴなものなどに焦点をあてているため、見慣れないものが並んだ「骨董品店」の品揃え的な様子ですが、今当たり前で主流なものとは別の、可能性の過去・現在・未来を想像させる内容です。

版元は、ケルンの美術書出版社、ワルター・ケーニッヒ書店(Verlag der Buchhandlung Walther König)。
その「美術史図書館(Kunstwissenschaftliche Bibliothek)」叢書の「31」「35」「37」「45」「49」巻が『Variantology』シリーズになっています。

 

編集の中心人物、ツィリンスキーは、Academy of Media Arts Cologne(ケルン・メディア芸術大学)やBerlin University of the Arts(ベルリン芸術大学)で、「media studies(メディア研究)」や「archaeology & variantology of the media(メディアの考古学及び変体学)」の講座を持っていました。
大学で「Variantology」の国際的な研究会が開かれるようになり、最初の3回はケルン・メディア芸術大学、4回目はベルリン芸術大学、5回目はナポリの国立図書館で開かれ、その成果が、5巻の『Variantology』にまとめられています。

「variantology」は造語です。「変体、変型、変種、異体、異文、多様体、変異体」などを意味する「variant」と「~学、~論」を意味する「~logy」を組み合われたものです。メディア(media、medium)というのは、 正体の知れないヌエみたいなところがありますが、それを「variant」から探究する方法として、考えだされたもののようです。

ツィリンスキーはまた、「メディア考古学(archaeology of the media、Archäologie der Medien)」の提唱者で、ここでの「考古学」は、ミシェル・フーコー(Michel Foucault、1926~1984)が「知の考古学(L'Archéologie du savoir、1969年)」で使ったものです。その系譜にある研究です。

 

なぜブレグヴァドが起用されるようになったか、はっきり分かりませんが、1つの物事を「想像・観察・記憶」の3つの「variant」で描く作品は、「Variantology」のある側面を表すものだったのでしょう。

Slapp Happyでブレグヴァドの作曲のパートナーだったアンソニー・ムーア(Anthony Moore)が、ケルン・メディア芸術大学で「Art and Media Studies」の教授(2000年~2004年は学長、前学長はツィリンスキー)になっていたということも、ブレグヴァドの関わりのきっかけになっていたのかもしれません。

また、ツィリンスキーが、ブレグヴァドと同じ1951年生まれの同世代、ということもあったのでしょうか。

 

『variantology』の「1」「2」「5」巻にピーター・ブレグヴァド、「1」「3」「4」「5」巻にアンソニー・ムーアの寄稿がありますで、スラップ・ハッピー好きなら、手に取りたくなる論叢です。

 

Peter Blegvad『Imagine Observe Remember』(2020年、Uniformbooks)の「Selected Bibliography」には、次のようにあります。

【13】
Variantology 2: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies
ed. Siegfried Zielinski and David Link, Cologne: Walther König,2007
Includes ‘Bilder Variations (A Special Archaeology)’ by PB, fifteen illustrations, the Eye I. O. R. (p10 of the present volume) among them. The cover shows ‘angel trap stationary’―designed to test if/how colour, imagery and smell influence automatic writing. (In 2005 Variantology 1, ed. Siegfried Zielinski and Silvia M. Wagnermaier, featured the Grasshoppers I. O. R. as frontispiece.)

【試訳】扉にブレグヴァドによる「画像ヴァリエーション(特別考古学)」15点。そのうち、眼の「想像・観察・記憶」図を含む(2020年版10ページに掲載)。表紙絵は、「天使捕獲装置」。色や心像、匂いが自動筆記に影響を及ぼすか、テストするためにデザインされた装置。(2005年刊の『Variantology 1』の巻頭口絵には、バッタの「想像・観察・記憶」図。 )

(【13】の番号は、年代順になっている「Selected Bibliography」の掲載順です。)

 

『Variantology 2: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』目次

『Variantology 2: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』目次02

▲『Variantology 2: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』目次
Verlag der Buchhandlung Walther König
2006年
英語版
Edited by Siegfried Zielinski and David Link
with Eckhard Fuerlus and Nadine Minkwitz
460ページ、縦229×横155×幅33ミリ

副題の「Deep Time(深層時間)」というのも、地質学の「地質年代(Geologic time)」を援用した独特の概念で、大きな時間の流れのなかに、成功したメディア、失敗したメデイア、衰退したメディア、想像されたメディア、未知のメディアが地球規模で堆積している、そんな感じかなとイメージしています。

掲載されたテキストの主題は次のようなもの。
「1806年の芸術としての物理学」「1950年代コンピューターが書くラブレター」「13世紀ラモン・リュイの計算理論」「啓蒙期の音楽記号とその変種」「『世界図絵(Orbis Pictus)』の図版」「数学の鏡」「平面の球体(アストロラーベ)」「ゲーテの色彩論」「神の修辞学:事実にもとづく寓意の履歴」 「電話と聴覚理論」「革命後ロシアの芸術文学教育のシステム」「フレブニコフの時間:H・G・ウェルズとカーラチャクラ(時輪タントラ)の間」「総合芸術としての理論」「科学技術史における失敗と成功の解釈」「十字架の類型学」「啓蒙から聖なる暗黒へ」


『Variantology 2: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』ブレグヴァドの扉絵から

▲『Variantology 2: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』ブレグヴァドの扉絵から
眼の「想像・観察・記憶」

ブレグヴァドは、15の扉絵を寄稿。
表紙同様、15点のブレグヴァドの扉絵もカラーだったら言うことなかったのですが、そこは残念。

 

     

『Variantology』残りの4冊の書影も並べておきます。

 

『Variantology 1: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』表紙

▲『Variantology 1: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』表紙
Verlag der Buchhandlung Walther König
2005年
英語版
Edited by Siegfried Zielinski and Silvia M.Wagnermaier
384ページ、縦229×横155×幅33ミリ

 

『Variantology 1: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』口絵

▲『Variantology 1: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』口絵
『Variantology 1』の最初のページに、ブレグヴァドのバッタ「想像・観察・記憶」図(1987年)が配されています。
バッタ図は、『Imagine Observe Remember』2020年版の37~38ページに掲載されています。

このユーモアが、『Variantology』の姿勢と宣言しているようです。

 

『Variantology 1: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』目次

『Variantology 1: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』目次02

▲『Variantology 1: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』目次
掲載されたテキストの主題は次のようなもの。
「ジョン・ケイジのキノコ研究」 「18世紀の電気」「神話とキリスト教における雷の歴史」「事実を証明するメディア、幻影を生み出すメディアとしてのプロジェクション」「古いテキストを学ぶことについての、新たなセオリー」「バロック期のパラケルシス信奉者たちのイメージの型」「19世紀の精神物理学的タイムマシーン」「時間構造と模型の存在論序説」「聴取目的のタイプライター」「情報ツールとしての近代の教訓詩」「サイボーグの魔法技術秘史」「考古学をイメージし直す」「ヘーゲル・ゲーデル・テュリングにおける記号の流動性」「哲学の道具としての数学的表記」「12世紀の否定神学におけるイメージ」

 

『Variantology 1: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』アンソニー・ムーアのページ

▲『Variantology 1: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』アンソニー・ムーアのページ
Anthony Moore「Musical Yardstick(音楽のものさし)」p185~192
ロバート・フラッドの天球の音楽をもとにした手記。

 

『Variantology 3: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies In China and Elsewhere』表紙

▲『Variantology 3: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies In China and Elsewhere』表紙
Verlag der Buchhandlung Walther König
2008年
英語版
Edited by Siegfried Zielinski and Eckhard Fürlus
in cooperation with Nadine Minkwitz
480ページ、縦228×横153×幅30ミリ

『Variantology 3』は「中国特集」です。
中国語の表記で『Variantology』は「変体学之巻」、Siegfried Zielinski は、「西格佛里徳・麒麟斯基」、Eckhard Fürlus は、「艾可哈尓徳・佛尓路斯」となっています。

「変体学」という訳語が、日本語の訳語としても適切か、悩ましいところです。

 

『Variantology 3: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies In China and Elsewhere』目次01

『Variantology 3: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies In China and Elsewhere』目次02

▲『Variantology 3: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies In China and Elsewhere』目次

掲載されたテキストの主題は次のようなもの。

「17世紀アタナシウス・キルヒャーによる光と影の大いなる芸術」「世界最高の花火:近代初期ヨーロッパにおける中国花火」「空気と天気の魔術:風とは何か、なぜ吹くか」「中国の治水:1590年刊・潘季馴『河防一覽』」「清の女性医学」「電気と磁力と古代中国文化」「文化的多様性:相反するものの相補性」「肉体・姿勢・道具:中国の民衆芸術での、肉体描写と人工物の関係についての人類学的考察」「横浜トリエンナーレで、ドイツの作家インゴ・ギュンター(INGO GÜNTHER)がソナー技術を使って横浜湾をスキャンして作った作品《U》」「17世紀中国の王夫之と宋應星の説く感応」「古代中国の音調システム・楽律」「反射する光:神話と科学における月光」「17・18世紀インドにおけるイエズス会の史料編集」「道具の考察:カントのコンパスの例」「4世紀における世界同時の書字革命」

 

『Variantology 3: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies In China and Elsewhere』アンソニー・ムーアのページ

▲『Variantology 3: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies In China and Elsewhere』アンソニー・ムーアのページ
Anthony Moore「Transactional Fluctuations 1: Towards an Encyclopedia of Sound」p295~304
「交流波動1 音百科のために」

 

『Variantology 4: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies In the Arabic-Islamic World and Beyond』表紙

▲『Variantology 4: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies In the Arabic-Islamic World and Beyond』表紙
Verlag der Buchhandlung Walther König
2010年
英語版
Edited by Siegfried Zielinski and Eckhard Fürlus
in cooperation with Daniel Irrgang and Franziska Latell
520ページ、縦229×横154×幅34ミリ

『Variantology 4』は「アラビア・イスラム特集」です。

 

『Variantology 4: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies In the Arabic-Islamic World and Beyond』目次

『Variantology 4: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies In the Arabic-Islamic World and Beyond』目次02

▲『Variantology 4: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies In the Arabic-Islamic World and Beyond』目次

掲載されたテキストの主題は次のようなもの。

「光は東方より(Ex Oriente Lux)」「ハルン・アル・ラシドよりシャルルマーニュに贈られた時計:時計復元の試み」「西洋の透視画法に、アルハゼンの視覚論が果たした役割」「17・18世紀の結晶の生成」「本文の風景と経典の視覚的形態」「イメージとテキスト(絵と文)」「IRIT BATSRYの写真作品《書くイメージ(Writing Images)》」「《詩編29番》その翻訳とウガリット語版との比較」「10世紀のアンワ文書」「古代からアラブ中世かけての、機械技術の理論的伝統と実際的発明」「思考の物質的かたちとしての回転文字盤」「ことばは花になることを夢見、鳥は言語の夢を見る:アラビアの装飾」「18世紀南アジアの旅人が見た西洋近代科学の印象」「新しい数学と変数の問題」「曖昧な境界―科学・文化・芸術の交わるところで」「アリストテレスからアヴェロエスにいたる、魂の宇宙論のスケッチ」「アラブ音楽の創造性へのパラダイム的・個別的アプローチ」「自動音楽機械についてのアイルハルト・ヴィーデマンの研究」「どう人は見るのか 中世アラビアから近代ヨーロッパの視覚論」「イスラムの科学と技術の歴史」

 

『Variantology 4: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies In the Arabic-Islamic World and Beyond』アンソニー・ムーアのページ

▲『Variantology 4: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies In the Arabic-Islamic World and Beyond』アンソニー・ムーアのページ
Anthony Moore「Transactional Fluctuations 2」
「交流波動2」アルファベット、テープレコーダー、コンピューターメモリー

 

『Variantology 5 Neapolitan Affairs: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』表紙

▲『Variantology 5 Neapolitan Affairs: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』表紙
Verlag der Buchhandlung Walther König
2011年
英語版
Edited by Siegfried Zielinski and Eckhard Fürlus
in cooperation with Daniel Irrgang
608ページ、縦229×横155×幅42ミリ

『Variantology 5』は「ナポリ特集」です。

 

『Variantology 5 Neapolitan Affairs: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』目次01

『Variantology 5 Neapolitan Affairs: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』目次02

▲『Variantology 5 Neapolitan Affairs: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』目次

掲載されたテキストの主題は次のようなもの。

「ヴェスヴィオ火山の日記」「印刷された映画」「初期コンピューターが制作した詩」「自動人形の詩」「ナポリ生まれ『アルカディア』の詩人ヤコポ・サンナッポロとその読者」「ジョン・バージャーのエッセイ《その間に(Meanwhile)》」「ルネサンス期のナポリ人ジョバン・バティスタ・デラ・ポルタの魔術と、その人間的気象学」「メディアとしてのパピルス」「パピルスの贋作」「記数法・アルゴリズム・微分:古代中国の数学(程貞一)」「モンテヴェルディの歌曲をもとにした、FM EINGHEITの作品」「地中海」「ナポリ―大きな愛を」「《数》を愛したナポリの詩人ニコロ・ジャンネッタシオ」
「ルネッサンス期のマドリガル歌曲とドナ・サマー」「アルゴリズムを用いた人工物の考古学序章」「絵の背景にある絵」「18世紀フランスの天文学者ルジャンティのインド洋航海」「不思議な石:コンパスの歴史に見られる匿名性」「アインシュタイン-ボーア論争は、エヴェレットの永遠なるものを確認する」「ヨーロッパとイスラム世界:互いの影の上に立つ」「ジョルダーノ・ブレンターノとフラクタル幾何学」「アタナシウス・キルヒャーの有史前との闘い」「言語の起源への音楽の関わり:8世紀アラビアの錬金術師ジャービル・イブン・ハイヤーンの理論によって」「秘密の解釈学:ポンペイの秘儀荘からテキサスのロスコ・チャペルまで」「世界の南部の近代についての学術組織のために」

 

『Variantology 5 Neapolitan Affairs: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』ピーター・ブレグヴァドのページ

▲『Variantology 5 Neapolitan Affairs: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』ピーター・ブレグヴァドのページ
ピーター・ブレグヴァドの絵物語「2羽の鳥/石の詩人(TWO BIRDS/POET OF STONE)」p87~103
図版はモノクロ。

ブレグヴァドの前のページは、ジョン・バージャーのエッセイ「その間に(Meanwhile)」です。

 

『Variantology 5 Neapolitan Affairs: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』ピーター・ブレグヴァドのページ

▲『Variantology 5 Neapolitan Affairs: On Deep Time Relations of Arts, Sciences and Technologies』アンソニー・ムーアのページ
Anthony Moore「Transactional Fluctuations 3」 REFLECTIONS ON SOUNDS p347~359
「交流波動3」音についての考察

 

『Variantology』に「日本特集」あったら、どんなものになったのでしょう。

考えてみれば、鹿児島はナポリの姉妹都市です。
「ナポリ特集」の怪奇骨董音楽箱のような目次を見て、「鹿児島」で特集を組むとしたら、その目次はどんなものになるのでしょう。

 

    

『Imagine Observe Remember』のための書誌は、次回に続きます。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

1976年に英Virginレーベルで制作され、プロモ用のカセットも配られ、ヒプノシスがデザインしたアルバムジャケットもできていたにもかかわらず、お蔵入りになってしまった、アンソニー・ムーア(Anthony Moore)のアルバム『OUT』が、2020年11月、はじめてアナログ盤として正式にリリースされました。
これは、うれしかったです。

アメリカ・シカゴのDrag Cityレーベルから。
とても丁寧なつくりのアナログ盤でした。

Anthony Moore『OUT』(1976年、2020年、Drag City)01

Anthony Moore『OUT』(1976年、2020年、Drag City)02

Anthony Moore『OUT』(1976年、2020年、Drag City)03

Anthony Moore『OUT』(1976年、2020年、Drag City)04

Anthony Moore『OUT』(1976年、2020年、Drag City)05

 

『OUT』のリリースは、はじめてではなく、1997年にVoiceprintレーベルから、CDがリリースされていました。
ジャケットを変えて、曲順も変更された、変な盤でした。

Anthony Moore『OUT』(1976年、1997年、Voiceprint)01

Anthony Moore『OUT』(1976年、1997年、Voiceprint)02

 

アンソニー・ムーアの作品は、アナログ盤とCDで、音源やミックスが違う異版になっていたりします。

今回の『OUT』は、「variant」ではなく、45年目にして初めておおやけになった「正規盤」です。

 

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341. 2003年の『幻想博物館(The Phantom Museum)』(2021年3月7日)

2003年の『幻想博物館(The Phntom Museum)』表紙01

 

『Imagine Observe Remember』のための書誌 その6

 

Peter Blegvad『Imagine Observe Remember』(2020年、Uniformbooks)の「Selected Bibliography」には、次のようにあります。

【10】
The Phantom Museum and Henry Wellcome’s Collection of Medical Curiosities
ed. Hildi Hawkins, Danielle Olson, London: Profile, 2003
Includes PB’s ‘Milk’, a thirty-six-page illustrated story concerning an imaginary Milk Exhibition, “a constellation of synapses, a collage of images projected on to an interior screen...”

【試訳】ピーター・ブレグヴァドの「ミルク(Milk)」収録。 空想の「ミルク展」――すなわち「シナプスが結ぶもの、内なるスクリーンに投影されたイメージ群のコラージュ...」――にまつわる36ページの絵物語。

(【10】の番号は、年代順になっている「Selected Bibliography」の掲載順です。)

製薬業で成功した実業家ヘンリー・ウェルカム(Henry Wellcome、1853~1936)は、医療・医学・薬学に関連するものを、呪術的なものから科学的なものまで、膨大な収集をしていました。そのコレクションは2007年から博物館兼図書館の「Wellcome Collection」で一般公開されています。

それに先立ち、2003年、大英博物館で半年にわたり、「MEDICINE MAN: The forgotten Museum of Henry Wellcome(呪術医:ヘンリー・ウェルカムの忘れられた博物館)」展が開催されました。

そのとき、展覧会カタログの『MEDICINE MAN』 (2003年、The British Museum Press)と、創作集『The Phantom Museum』(2003年、Profile Books)が作られました。

Hildi Hawkins, Danielle Olson編の『The Phantom Museum and Henry Wellcome’s Collection of Medical Curiosities(幻想博物館とヘンリー・ウェルカムの医療骨董収集品)』は、ヘンリー・ウェルカムの医療コレクションを題材にして、Peter Blegvadはじめ、A. S. Byatt、Helen Cleary、Tobias Hill、Hari Kunuzru、Gaby Woodらに、新たな「true and imagined――真実にして想像の」作品をつくってもらった創作集です。

 

『The Phantom Museum』(2003年、Profile Books)表紙を広げたもの01『The Phantom Museum』(2003年、Profile Books)表紙を広げたもの02

▲『The Phantom Museum』(2003年、Profile Books)表紙を広げたもの

 

『The Phantom Museum』(2003年、Profile Books)扉

▲『The Phantom Museum』(2003年、Profile Books)扉

 

『The Phantom Museum』(2003年、Profile Books)目次

▲『The Phantom Museum』(2003年、Profile Books)目次

 

『The Phantom Museum』(2003年、Profile Books)Blegvad「Milk」冒頭01

『The Phantom Museum』(2003年、Profile Books)Blegvad「Milk」冒頭02

▲『The Phantom Museum』(2003年、Profile Books)Blegvad「Milk」冒頭
p104~p141に、本文36ページ。

 

『The Phantom Museum』(2003年、Profile Books)図版解説

▲『The Phantom Museum』(2003年、Profile Books)図版解説
p198~p202には、ブレグヴァドがウェルカムのコレクションから使用した40点の図版解説5ページ。

36ページの本文と5ページの図版解説を抜き刷りしたものを綴じて冊子にすれば、立派な「ミルク展」図録になります。

 

     

『The Phntom Museum(幻想博物館)』と対になって出された『MEDICINE MAN(呪術医)』にはブレクヴァドは関わっていませんが、その書影も並べておきます。

『The Phntom Museum(幻想博物館)』の本文図版はすべてモノクロでしたが、『MEDICINE MAN(呪術医)』はカラー図版も豊富で、500を超える図版が掲載されています。

『MEDICINE MAN』 (2003年、The British Museum Press)表紙

▲『MEDICINE MAN』 (2003年、The British Museum Press)表紙

 

『MEDICINE MAN』 (2003年、The British Museum Press)表紙を広げたもの01『MEDICINE MAN』 (2003年、The British Museum Press)表紙を広げたもの02

▲『MEDICINE MAN』 (2003年、The British Museum Press)表紙を広げたもの

 

『MEDICINE MAN』 (2003年、The British Museum Press)刊記・目次

▲『MEDICINE MAN』 (2003年、The British Museum Press)目次

 

    

2020年の「Selected Bibliography」の11番目と12番目にある本は、未見です。

書影はありませんが、その文章を引用しておきます。

【11】
Tauchfahrten, Zeichnung als Reportage / Diving Trips, Drawing as Reportage
ed. Stefan Berg, Ulrike Groos, Hannover / Düsseldorf: Kunstverein Hannover / Kunsthalle Düsseldorf, 2004
Catalogue which accompanied the exhibition (27 November 2004 - 30 January 2005) in which the ‘12Ls’ were shown. Includes the essay ‘Imagined, Observed, Remembered’ from Picture Story and Atlas Anthology III, plus a version of ‘Memory Failure and Imagination’ from Conduit No.11.

【試訳】『潜水の旅:報告としてのドローイング』ステファン・ベルグ、ウルリケ・グロース編。ハノーファー芸術協会・デュッセルドルフ美術館。2004年。
2004年11月27日から2005年1月30日まで開催された展覧会の目録。そこでピーター・ブレグヴァドの「想像・観察・記憶」の「12L」連作が展示された。カタログには、『Picture Story』と『Atlas Anthology III』に掲載された「Imagined, Observed, Remembered」、加えて、『Conduit』11号に掲載された「Memory Failure and Imagination」を再録。

この本は、手もとにあると思っていたのですが、見当たりません。
表紙の潜水している男性の写真に見おぼえがあったような気がして、記憶ではソフト表紙の本だったですが、調べてみるとハードカヴァーの本です。勘違いだったのでしょうか。

 

【12】Conductors of the Pit
ed. and trans. Clayton Eshleman, Brooklyn, New York: Soft Skull Press, 2005
The cover features the Anatomical figure (male) Imagined/Remembered, 1978 (p.34 of the present volume).

この本は手もとにありません。
『ピットの指揮者(Conductors of the Pit)』(2005年)の表紙に、ブレグヴァドの解剖学的男性像の「想像されたもの/記憶されたもの」(1978年)を使用。2020年版の34ページに掲載されている作品です。

    

『Imagine Observe Remember』のための書誌は、次回に続きます。

 

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John Greaves『Accident』(1982年、Europa Records)表

John Greaves『Accident』(1982年、Europa Records)裏

John Greavesの最初のソロアルバム『Accident』(1982年、Europa Records)から「Milk」を。
作詞Peter Blegvad、作曲John Greaves。

手もとにあるレコードは、1982年の初回盤でなく、1984年の再発盤です。

 

John Greaves『Accident』(1982年、Europa Records)ラベル01

John Greaves『Accident』(1982年、Europa Records)ラベル02

 

「Milk」の歌詞は、「Milk」についての言葉を、いろいろ引用して、それを組み合わせて、作られています。

John Greaves『Accident』(1982年、Europa Records)「Milk」

▲『Accident』の内袋に刷られた歌詞から「Milk」の歌詞。
この曲は、John Greaves、Peter Blegvad、Kristopher Blegvad、Jakko Jakszyk、Anton FierのグループThe Lodgeの唯一のアルバム『Smell Of A Friend』(1988年、Antilles New Directions)を締めくくる曲にもなっています。

技を凝らして、神秘的なものと結びつこうとし、不思議なものを生み出そうとする、呪術師のようです。

 

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