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my favorite things 301-310

 

 my favorite things 301(2020年2月19日)から310(2020年5月28日)までの分です。 【最新ページへ戻る】

 

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 301. 1911年のヘンリー・P・ブイ『日本画の描法』(2020年2月19日)
 302. 1973年の『詩稿 25』と1976年の『詩稿 32』(2020年3月7日)
 303. 1976年の別役実『虫づくし』(2020年3月15日)
 304. 2010年の『ロンドン・パタフィジック協会会報』第1号(2020年4月4日)
 305. 1985年の『星空に迷い込んだ男 - クルト・ワイルの世界』(2020年4月14日)
 306. 1973年の「カンタベリー・ファミリー・ツリー」(2020年4月22日)
 307. 1933年の三笠書房の《鹿と果樹》図(2020年4月30日)
 308. 1993年のピート・フレイム『ロック・ファミリー・ツリー完全版』(2020年5月14日)
 309. 2000年の『map』(2020年5月28日)
 310. 1972年のエドワード・ゴーリー『アンフィゴーリー』(2020年5月28日)
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310. 1972年のエドワード・ゴーリー『アンフィゴーリー』(2020年5月28日)

エドワード・ゴーリー『アンフィゴーリー』01

 

エドワード・ゴーリー(Edward Gorey、1925~2000)の『アンフィゴーリー』シリーズ(1972年~2006年)も、充実の4巻本です。
日本では柴田元幸による翻訳が2000年以来毎年のように出ている、翻訳に恵まれた作家です。

『アンフィゴーリー』は、エドワード・ゴーリーの絵本作品を集めた作品集で、タイトルの「Amphigorey」は、「無意味な文、パロディー」を意味する「amphigory」に自分の名前「Gorey」を組みこんだ造語。
裏表紙の絵は、さらに「Amphigorey」の文字を組み替えたアナグラムになっています。
手もとにあるのは、ペーパーバック版で、せっかく工夫された表紙の1枚絵なのに、バーコードがほんとうに邪魔で、そこだけが難点です。

『AMPHIGOREY』(1972年)
『AMPHIGOREY TOO』(1975年)
『AMPHIGOREY ALSO』(1983年)
『AMPHIGOREY AGAIN』(2006年)

の4冊が出ています。

エドワード・ゴーリーの絵本を1冊ずつ手にすることができれば、もちろん言うことないのですが、この4冊にまとまめられた作品集も、もったいぶったところがない編集で素敵です。

 

エドワード・ゴーリーの魅力のひとつに、その手書き文字があります。

例えば、『ロック・ファミリー・ツリー』のピート・フレイム(Pete Frame)の手書き文字はびっしり版面を埋めつくして、余白がないため、膨大な仕事量の日本語での手書き作業がない限り翻訳が困難というか不可能なのですが、柴田元幸によるエドワード・ゴーリーの翻訳では、絵本自体に余白があるため、ゴーリーの手書き文字はそのまま残して、日本語訳を印刷用フォントで別に組むことができたのが幸いしています。

とはいえ、手書きという特性を、日本語翻訳にも付け加えたものを読んでみたい、という願望もあります。
印刷用の書体でなく、作家本人の手書きの文字を使い、本の隅々まで作家の個性が行きわたった魅力的な本があります。ただ、それがさまたげになって翻訳されない本も結構あるような気がします。

ゴーリー作品のように文字数が少ない場合、できれば、福音館書店のタンタンの冒険シリーズの大川おさ武の書き文字のように、原作の書き文字に寄せた日本語での翻訳でも読んでみたい気がします。いざ作るとなると、大仕事になるのでしょうが。

 

エドワード・ゴーリー『アンフィゴーリー』02

 

AMPHIGOREY(1972年、1981年)

AMPHIGOREY(1972年)
写真は、1981年のPERIGEE版ペーパーバック。
裏表紙のアナグラムは、「Gryphoemia」。

エドワード・ゴーリーの絵本を、15作品収録。

そのうち、8作品が、柴田元幸訳で、河出書房新社から出ています。

『ギャシュリークラムのちびっ子たち―または遠出のあとで』(The Gashlycrumb Tinies: or After the Outing)
『弦のないハープ またはイアブラス氏小説を書く。』(The Unstrung Harp: or Mr. Earbrass Writes a Novel)
『うろんな客』(The Doubtful Guest)
『むしのほん』(The Bug Book)
『不幸な子供』(The Hapless Child)
『蟲の神』(The Insect God)
『ウエスト・ウイング』(The West Wing)
『思い出した訪問』(The Remembered Visit)

 

AMPHIGOREY TOO(1975年)

AMPHIGOREY TOO(1975年)
写真は、1975年のPERIGEE版ペーパーバック。
裏表紙のアナグラムは、「Ophymirage」。

エドワード・ゴーリーの絵本を、20作品収録。

そのうち、3作品が、柴田元幸訳で、河出書房新社から出ています。

『敬虔な幼子』(The Pious Infant)
『題のない本』(The Untitled Book)
『失敬な招喚』(The Disrespectful Summons)

 

AMPHIGOREY ALSO(1983年)

AMPHIGOREY ALSO(1983年)
写真は、1983年のA HARVEST/HBJ BOOKS版ペーパーバック。
裏表紙のアナグラムは、「Impyroghea」。

エドワード・ゴーリーの絵本を、17作品収録。

そのうち、8作品が、柴田元幸訳で、河出書房新社から出ています。

『まったき動物園』(The Utter Zoo)
『優雅に叱責する自転車』(The Epiplectic Bicycle)
『ずぶぬれの木曜日』(The Sopping Thursday)
『雑多なアルファベット』(The Eclectic Abecedarium)
『蒼い時』(L'Heure Bleue)
『華々しき鼻血』(The Glorious Nosebleed)
『おぞましい二人』(The Loathsome Couple)
『音叉』(The Tuning Fork)

 

AMPHIGOREY ALSO(1983年)

AMPHIGOREY AGAIN(2006年) 写真は、2007年のA HARVEST BOOK/ Harcourt版ペーパーバック。
裏表紙のアナグラムは、「Hagimorpey」。

エドワード・ゴーリーの絵本や小品を、29作品収録。

そのうち、3作品が、柴田元幸訳で、河出書房新社から出ています。

『キャッテゴーリー』(CategorY)
『憑かれたポットカバー: クリスマスのための気落ちした気色悪い気晴らし』(The Haunted Tea-Cosy)
『狂瀾怒濤: あるいは、ブラックドール騒動』(The Raging Tide: Or, the Black Doll's Imbroglio)

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈


エドワード・ゴーリーの絵本をもとに作られた音楽作品があります。

The Hapless Child

Michael Mantler『The Hapless Child』(1976年、WATT)

エドワード・ゴーリーの『The Sinking Spell』『The Object-Lesson』『The Insect God』『The Doubtful Guest』『The Remenbered Visit』『The Hapless Child』の6作品をもとにマイケル・マントラー(Michael Mantler)が作曲。
ロバート・ワイアット(Robert Wyatt)が朗唱風に、エドワード・ゴーリーのテキストを省略なしで歌います。参加ミュージシャンは、カーラ・ブレイ(Carla Bley)、スティーヴ・スワロウ(Steve Swallow)、テリエ・リピタル(Terje Rypdal)、ジャック・ディジョネット(Jack de Johnette)という強いメンバー。声というかガヤで、アルフリーダ・ベンジ(Alfreda Benge)、アルバート・カルダー(Albert Caulder)、ニック。メイソン(Nick Mason)らが参加しています。プロデュースはカーラ・ブレイ。
写真は、CDにクレジットがなくて、いつ出たのかはっきりしませんが、2000年頃にでたCDです。

「The Sinking Spell」(1964年)未訳。
「The Object-Lesson」(1958年)未訳。
「The Insect God」(1963年)邦訳は、柴田元幸訳『蟲の神』(2014年、河出書房新社)
「The Doubtful Guest」(1957年)邦訳は、柴田元幸訳『うろんな客』(2000年11月30日初版発行、河出書房新社)
「The Remenbered Visit」(1965年)邦訳は、柴田元幸訳『思い出した訪問』(2017年、河出書房新社)
「The Hapless Child」(1961年)邦訳は、柴田元幸訳『不幸な子供』(2001年9月20日初版発行、河出書房新社)

いずれも『AMPHIGOREY』(1972年)に収録されている作品なので、『AMPHIGOREY』1冊があれば、より楽しめるアルバムです。

というより、このアルバムを聴くには、『AMPHIGOREY』は必須です。

 

The Evil Garden01

The Evil Garden02

Max Nagl『The Evil Garden』(2001年、November Music)

紙製のすてきなCDジャケットです。デザインは、Cheng-Hung Wang。
参加ミュージシャンも、マックス・ナグル(Max Nagl)、ノエル・アクショテ(Noël Akchoté)、ロル・コックスヒル(Lol Coxhill)、ジュリー・ティペッツ(Julie Tippets)、パトリス・ヘラル(Patrice Heral)、ジョセフ・ノヴォトニイ(Josef Novotny)と、曲者ぞろいです。
プロデュースは、Shu-Fanf Wang。
ライナーノーツは中国語訳〈簡化字でなく正体字(繁体字)のもの〉も併記されています。

12曲収録され、「Swinging Herring」「Hiccup」「D.M.G.」「Saragashum」「Quoggenzocker」「Eplipetic」「Qxiborick」の7曲は、インストゥルメンタル。5曲で、エドワード・ゴーリーのテキストが使われています。ジュリー・ティペッツとロル・コックスヒルの2人がヴォーカルです。

「The Lavender Leotard」(1973年)未訳。
 テキストの一部抜粋をロル・コックスヒルが朗読。
「The Disrespectful Summons」(1973年)邦訳は、柴田元幸訳『失敬な招喚』(2018年、河出書房新社)
 テキスト全編を省略なしで、ジュリー・ティペッツが歌唱。
「The Evil Garden」(1966年)未訳。
 題辞を除くテキスト全編を省略なしで、ジュリー・ティペッツとロル・コックスヒルが歌唱。
「The Doubtful Guest」(1957年)邦訳は、柴田元幸訳『うろんな客』(2000年11月30日初版発行、河出書房新社)
 テキスト全編を省略なしで、ロル・コックスヒルが朗読。
「The Iron Tonic 」(1969年)未訳。
 テキスト全編を省略なしで、ジュリー・ティペッツが歌唱。

「うろんな客(The Doubtful Guest)」以外の4作品は、『AMPHIGOREY TOO』(1975年)に収録されています。


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309. 2000年の『map』(2020年5月28日)

2000年の『map』

 

前回取り上げたピート・フレイムの『ロック・ファミリー・ツリー』(1980年~2011年)は、最初から意図して4冊になったわけではないのですが、4冊の本というのは、まとまりとして、良い感じに所有欲を満たす充足感があります。
1冊の本という最小単位が本という小宇宙の最小単位になるのはもちろんですが、1冊ではおさまりきれなかった、2巻本、3巻本、4巻本という形にも、また、独特の世界観・宇宙観があるような気がします。

【2】二巻本、二部作、上下巻
【3】三分冊、三巻本、三部作、上中下巻、Three Decker、いろは、序破急、3号雑誌
【4】四分冊、四巻本、四部作、起承転結、甲乙丙丁 、地火風水

いろんなくくりで語れそうですが、5巻本以上だと、最小のまとまり感は薄れて、小ささが持つ魅力はなくなります。

本棚をひっくり返していると、3冊のまとまり、4冊のまとまりが、いくつか目について、3号雑誌的な失敗の意味合いも含めて、この最小のまとまりが持つ魅力は何だろうと思いました。

 

『map』は、2000年~2002年に、年1冊刊行されていた雑誌です。

前々回紹介した『ミツザワ通信増刊号』(2020年4月)にも寄稿していた、福田教雄と小田晶房が編集していた雑誌で、結果として「3号雑誌」になってしまい続かなかったのが、ほんとうに残念でした。

2006年に『Sparks GUIDE BOOK』が出たとき、これは『map』の第4号じゃないかと、うれしかったものです。

 

『map』 issue #1 summer 2000

『map』 issue #1 summer 2000 マップ 創刊号
2000年7月15日発行
編集/発行 福田教雄
編集&デザイン 小田晶房
表紙 小田島等
The Coctailsの特集。

判型は、166×256ミリ。

 

『map』 issue #2 summer 2001

『map』 issue #2 summer 2001 マップ 創刊第2号
2001年7月10日発行
editors 福田教雄 小田晶房
translator 藤田亜希子
cover art 小田島等
ハロー!赤ちゃん:レイモンド・スコット特集

 

『map』 issue #3 summer 2002

『map』 issue #3 summer 2002 マップ 第3号
2002年8月31日発行
editors 福田教雄 小田晶房
cover 小田島等 オブジェ・日谷啓
特集は「アタ・タック・レコーズ訪問記」

ピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)へのインタビュー「AMATEUR MAN WITH A FULL OF AMOR」 を収録。
ピーター・ブレグヴァドが自ら名のる「アマチュア」という言葉は、創作におけるキーワードであり続けます。

 

1971-2006 Sparks GUIDE BOOK The Ultimate Guide

1971-2006 Sparks GUIDE BOOK The Ultimate Guide CD

『1971-2006 Sparks GUIDE BOOK The Ultimate Guide』
2006年10年20日 初版第1刷発行
制作 岸野雄一
企画・編集 岸野雄一 小田晶房
発行所 マップ
CDとCD-R、ポスターが付属。

スパークスといえば、 もうかれこれ50年も、スパークスというジャンルとしか言いようのない音楽を届け続けてくれているのですが、2017年のアルバム『HIPPOPOTAMUS』に収録されていた「When You're A French Director (feat. Leos Carax)」が前触れだったのでしょうか、レオス・カラックス監督の新作映画『Annette』は、監督初めてのミュージカル映画で、音楽がスパークスなのだそうです。
主演が、『スターウォーズ』でカイロ・レン役のアダム・ドライバー。
ものすごく楽しみですが、とんでもない作品になるかもしれません。

 

     

本棚や積読本をひっくり返していて、出てくる3冊本、4冊本を見ていると、ソロや大がかりな編成ではなく、バンドのまとまり、3人編成・4人編成のまとまったバンドのような気がしてきました。

いくつか並べてみます。

 

『スウィート・ドリームス』

『map』の福田教雄が出した雑誌『スウィート・ドリームス』
4号で止まっているのが残念です。

『スウィート・ドリームス』 第1号
Sweet Dreams Issue #1 Winter 2007
2007年12月12日発行
Editor & Publisher: 福田教雄
Cover Art: ニキ・マックルーア
判型は、127×188ミリの四六判。

『スウィート・ドリームス』 第2号
Sweet Dreams Issue #2 Summer 2008
2008年7月14日発行
Editor / Publisher: 福田教雄
Cover Art: ニキ・マックルーア

『スウィート・ドリームス』 第3号
Sweet Dreams Issue #3 Summer 2009
2009年5月15日発行
Editor / Publisher: 福田教雄
Cover Artist: ニキ・マックルーア

『スウィート・ドリームス』 第4号
Sweet Dreams Issue #4 Summer 2010
2010年9月25日発行
編集と発行: 福田教雄
表紙: ニキ・マックルーア

 

『nu』

『nu』 01号
2004年8月25日発行
発行・編集人 戸塚泰雄

判型は、130×188ミリの四六判。

『nu』 vol.02
2008年6月25日2版発行(2006年6月25日初版発行)
発行・編集・装丁 戸塚泰雄
発行所 nu

『nu』 vol.03
2008年6月25日初版発行
発行・編集・造本 戸塚泰雄
発行所 nu

『nu』は3号で終わり、『なnD』という後継誌があるようですが、未見。

 

音盤時代

『音盤時代』 vol.0 2011年春号 創刊準備号
2011年4月25日発行
編集人 浜田淳
発行所 ディスクユニオン
特集 南国気分

判型は130×180ミリ。

『音盤時代』 vol.1 2011年夏号 創刊号
2011年8月31日発行
編集人 浜田淳
発行所 ディスクユニオン
特集 音とことば

『音盤時代』 vol.2 2012
2012年4月27日発行
編集 浜田淳
発行所 フィルムアート社
特集 ユーモア考――音楽の構造と力

『音盤時代の音楽の本の本』
編著 『音盤時代』編集部
2012年2月25日初版
発行所 カンゼン
編集・ブックデザイン 浜田淳

雑誌で3冊、単行本で1冊。発行所を渡り歩いているところに、編集者の意志を感じます。

 

Richie Unterberger

リッチー・ウンターバーガー(Richie Unterberger)の4冊の音楽紹介本。

『Unknown Legends of Rock'N Roll: Psychedelic Unknowns, Mad Geniuses, Punk Pioneers, Lo-Fi Mavericks & More』
1998年、Backbeat Books
CD付属。

『Urban Spacemen and Wayfaring Strangers: Overlooked Innovators and Eccentric Visionaries of '60s Rock』
2000年、Backbeat Books
CD付属。
ローファイ宅録ポップのマーティン・ニューエル(Martin Newell)をきちんと紹介し、ロバート・ワイアットで本を締めくくるという構成だけで、すでに良本です。

『Turn! Turn! Turn!: The '60s Folk-Rock Revolution』
2002年、Backbeat Books

『Eight Miles High: Folk-Rock's Flight from Haight-Ashbury to Woodstock』
2003年、Backbeat Book

どうしようもなく「ポップ」でありながら、ポピュラーになりきれない多様なミュージシャンを取り上げる Richie Unterberger の音楽紹介本は、ミュージシャンへのインタビュー取材を軸にした、良質な読み物になっていましたが、続けていけば深い森にさまよいこんでしまうことになりそうです。続きはないのでしょうか。
こうした分野で、紙の本を作ることが、難しくなっているような気もします。

すぐれた「ポップ」ミュージックを作りながら、その聴き手が世界中に300人ぐらいしかいないような「ポップ」ミュージックが、世界各地にばらばらに存在しているような気がします。そんな少人数の聴き手しかいないのに「ポップ」というのは矛盾なのですが、300人の心には確実に届く音楽を届ける存在たちです。『Unknown Legends of Rock'N Roll』と『Urban Spacemen and Wayfaring Strangers』は、その世界への入口を垣間見せてくれる本でした。

 

喜国雅彦の本棚探偵01

喜国雅彦の本棚探偵02

喜国雅彦の本棚探偵03

喜国雅彦の本棚探偵シリーズ。

『本棚探偵の冒険』(2001年12月10日第1刷発行、双葉社)
 月報「本棚趣味1」
『本棚探偵の回想』(2004年10月5日第1刷発行、双葉社)
 月報「本棚趣味2」・エクスリブリス・ステッカー  
『本棚探偵の生還』(2011年8月7日第1刷発行、双葉社)
 「バスカヴィルへの旅/恐怖の旅」
 月報「ほんだなしゅみ3」
『本棚探偵 最後の挨拶』(2014年4月20日第1刷発行、双葉社)
 月報「ほんだなしゅみ4」

もっとも、このシリーズは、『本棚探偵の事件簿』が続くと思われますから、4巻本であるのは暫定的なことなのでしょう。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

 

『map』詩の表紙絵を描いていた小田島等による1999年の「レコード付き漫画」。
ほんとうに読みながら聴くことのできるレコードでした。

「夢 FOR SALE」01

「夢 FOR SALE」02

「夢 FOR SALE」04

「夢 FOR SALE」04

小田島等  レコード付き漫画「無 FOR SALE」
A. 読みながら聴く「無 FOR SALE」
B. テーマ・ソング「無 FOR SALE」

これもまた、ブライアン・ウィルソンの音楽への夢の残影が響いている楽曲でした。

 

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308. 1993年のピート・フレイム『ロック・ファミリー・ツリー完全版』(2020年5月14日)

1993年のピート・フレイム『ロック・ファミリー・ツリー完全版』4冊


第306回 1973年の「カンタベリー・ファミリー・ツリー」(2020年4月22日)」で紹介した、ピート・フレイム(Pete Frame)のロック・ファミリー・ツリー本4冊を引っ張り出して見ていたら、飽きることがありません。

イギリスやアメリカのロックに関心がない人には、膨大な徒労にしか見えない系図の束なのでしょうが、10代半ばにその音楽を浴びてしまったものには、ご褒美のような本です。

複雑に入り組んだ人間関係が整理されて、こんなつながりもあったのかという「発見」が楽しいのはもちろんですが、このシリーズを魅力あるものにしているのはピート・フレイムの手書き文字の力です。これが活字で組まれた図表だと、情報であることが勝ちすぎて魅力が薄れると思います。
すべてを細かく書き込むピート・フレイムの手書きの文字だからこそ成り立っています。

きちんとした取材で、歴史と現況を俯瞰できるようにしている一方、 ロットリングの製図ペンで、書籍の見開き・綴じ込みに合うように描き込まれたツリーは、度を超した集中力で1枚1枚書き込まれています。
ラジオDJのジョン・ピール(John Peel、1939~2004)が「...almost lunatic scholarship(ほとんど狂気を帯びた学者気質)」と評したこともうなずけます。

真似のできない手書きゆえに、他者(編集者)が手を入れることができず、ピート・フレイムの意思を一字一句すみずみまで押し通すことができた、というメリットもあったようです。

 

ピート・フレイムのロック・ファミリー・ツリー本は、手もとに4冊あります。並べてみます。

 

『The Complete Rock Family Trees』(1993年、Omnibus Press) 表紙

▲『The Complete Rock Family Trees』(1993年、Omnibus Press) 表紙
『Rock Family Trees』(1980年、Omnibus Press)、1983年、Pete Flame『Rock Family Trees Volume 2』(1983年、Omnibus Press)2冊を合本にしたもの。 判型242×333mm。折り込みで横333×縦470mm。 索引もしっかりついています。両面にファミリーツリーが印刷されています。
【判型242×333ミリ】1枚分のもの6。
【判型242×333ミリ】2枚分のもの55。
【判型242×333ミリ】4枚分のもの2。1955年1月から1964年12月まで10年のChronology(年表)になっています。

個人的なお気に入りは、「Resolving The Fairport Convention」「Soft Machinery」「Crimson And Roxy」や「The ‘Pub Rock’ Afterglow」「Children Of The Revolution」「Ian Dury And The Blockheads」「The Art School Dance Goes On Forever」「Liverpool 1980: Eric’s Progeny」でした。

リヴァプールのバンド、デフ・スクール(Deaf School)から分岐する「Liverpool 1980: Eric’s Progeny」に登場するグループは、聴くことができたものもありますが、聴いてみたかったグループも多くて(たぶん「サブスク」にもない音源が多数なのではないでしょうか)、見ているだけで空想時間旅行になります。

 

Pete Frame『The Beatles and Some Other Guys: Rock Family Trees of The Early Sixties』(1997年、Omnibus Books)

▲Pete Frame『The Beatles and Some Other Guys: Rock Family Trees of The Early Sixties』(1997年、Omnibus Books)
判型242×333mm。折り込みで横333×縦470mm。 索引つき。ファミリーツリーの裏面には主にミュージシャンの写真を掲載。
【判型242×333ミリ】1枚分のもの2 。
【判型242×333ミリ】2枚分のもの15。
【判型242×333ミリ】4枚分のもの1。

4枚ものは「LIVERPOOL 1963 CAVERN KIDS 6」。

ビートルズを中心とする1960年代のグループのファミリー・ツリーを集めたもの。特に「Cavern Kids」はリヴァプールの音楽シーンをたどるNo.1からNo.7までの連作になっていて、その続きのような形で、「Liverpool 1980: Eric’s Progeny」も再録されています。

 

Pete Frame『More Rock Family Trees』(1998年、Omnibus Books)

▲Pete Frame『More Rock Family Trees』(1998年、Omnibus Books)
判型242×333mm。折り込みで横333×縦470mm。 索引つき。
【判型242×333ミリ】1枚分のもの8。
【判型242×333ミリ】2枚分のもの16。
【判型242×333ミリ】4枚分のもの4。

4枚ものは「SABBATH BLOODY SABBATH」「CROSBY STILLS & YOUNG: SUPERGROUP!」「THE FOLK MUSIC REVOLUTION IN GREENWICH VILLAGE」「FROM WOODY TO LOVIN'SPOONFUL...FOLK TO FOLK ROCK; A CHRONOLOGY 」 。

 

Pete Frame『Even More Rock Family Trees』(2011年、Omnibus Books)

▲Pete Frame『Even More Rock Family Trees』(2011年、Omnibus Books)
判型242×333mm。折り込みで横333×縦470mm。 索引つき。
【判型242×333ミリ】1枚分のもの26。
【判型242×333ミリ】2枚分のもの6。
【判型242×333ミリ】4枚分のもの2。

4枚ものは「PRIDE AND JOY OF THE SOUTH: THE ALLMAN BROTHERS BAND」「SURF CITY, HERE WE COME!」。

この巻に収録されているものでは、フェアポート・コンヴェンション(Fairport Convention)の1963年から2002年までの人の流れをまとめたツリー(333×472ミリ)を何度も見返してしまいます。
もともと、2002年にリリースされたボックスセット『Fairport Unconventional』(Free Reed)の付録として、制作されたツリー(420×594ミリ)で、2006年には、フェアポート・コンヴェンション関連のグループを集めた2枚組編集盤『The Fairport Companion』(Castle Music)のCDジャケットにも使われています(241×358ミリ)。
フェアポート・コンヴェンションは1972年に出した最初のベスト盤『The History Of Fairport Convention』(Island Records)でも、ジャケットにピート・フレイムのファミリー・ツリーを使っていましたから、長い付き合いです。

 

『The Fairport Companion』(2006年、Castle)01

『The Fairport Companion』(2006年、Castle)02

『The Fairport Companion』(2006年、Castle)03

▲『The Fairport Companion』(2006年、Castle)のパッケージとジャケットに使われたファミリー・ツリー
2002年3月に完成したツリーで、右下隅に、次のようなコメントが書き込まれています。

As I lie here, exhausted and spent, nerve-wracked and red-eyed, I have just one thing to say to the band... if you bastards change your line-up one more time, you can find yourselves another fucking genealogist!
《試訳:私はここに横たわり、身も心も疲れ果てて、神経をずたずたにされ目をまっ赤にしています。私はバンドの諸君にひとこと言っておきたい・・・もし君たち馬鹿野郎どもがバンドメンバーをもう一度変更するというのなら、自分たちで誰か別のクソ系図学者を見つけるしかないよ! 》

 

ピート・フレイムのロック・ファミリー・ツリー本4冊(1980年本と1983年本を2冊とすれば5冊)は、索引もしっかりついていて、参照もしやすいのですが、イギリスやアメリカのロックについての網羅的な系図になっているかというと、そうでもなく、だいぶ偏りがあります。
例えば、わたしが好きな、ピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)やXTCのアンディ・パートリッジ(Andy Partridge)、そしてマーティン・ニューエル(Martin Newell)といった面々は登場しませんし、ケイト・ブッシュ(Kate Bush)の姿もありません。依頼と縁がなかったということなのでしょうが、そうした偏りがあることを知った上でも、飽きのこない本です。

 

ピート・フレイムのロック・ファミリー・ツリーで本の形になっているのは、この4冊ですが、ほかにサッカークラブのマンチェスター・ユナイテッドについてまとめた『Manchester United Family Tree』(1996年、Andre Deutsch) もあります。
これには手を出していませんが、積読になっているピーター・フレイム本も何冊かあります。これも並べておきます。

 

Pete Frame編『THE ROAD TO ROCK: A zigzag BOOK OF INTERVIEWS』(1974年、CHARISMA BOOKS)

▲Pete Frame編『THE ROAD TO ROCK: A zigzag BOOK OF INTERVIEWS』(1974年、CHARISMA BOOKS)
カリスマ(CHARISMA RECORDS)レーベルのトニー・ストラットン・スミス(Tony Stratton-Smith、1933~1987)が立ち上げた出版社。
カリスマのマッドハッターのロゴは共通です。
1969年創刊のイギリスの音楽専門誌『zigzag』は、ピート・フレイム編集で、ファミリーツリーというフォーマットも生み出し支持者の多い音楽誌でしたが、1973年から1974年にかけて、トニー・ストラットン・スミスに買収されます。その買収後、カリスマ・ブックスから出た本です。zigizag誌掲載のインタビュー記事をまとめたもの。

フー(WHO)のピート・タウンシェンド(Pete Townshend)、ピンク・フロイド(Pink Floyd)のロジャー・ウォーターズ(Roger Waters)とニック・メイソン(Nick Mason)、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)のジミー・ペイジ(Jimmy Page)、フェイセス(Faces)のロッド・スチュアート(Rod Stewart)、そして、ジェフ・ベック(Jeff Beck)、エルトン・ジョン(Elton John)、それから、ファミリー(Family)のロブ・タウンセンド(Rob Townsend)とチャーリー・ホイットニー(Charlie Whitney)と、自分が読みたいものが載った音楽誌がないと『zigzag』を立ち上げたピート・フレイム自身が選んだ記事が収録されています。

 

『PETE FRAME'S ROCKIN' AROUND BRITAIN: ROCK'N'ROLL LANDMARKS OF THE UK AND IRELAND』(OMNIBUS BOOKS)

▲『PETE FRAME'S ROCKIN' AROUND BRITAIN: ROCK'N'ROLL LANDMARKS OF THE UK AND IRELAND』(1989年、OMNIBUS BOOKS)
ピート・フレイムによるイギリス地方別音楽名鑑。
日本にあてはめれば、県別に、音楽に関わる場所、アルバムジャケットの撮影場所、ミュージシャンをまとめた一冊。
1989年の情報で止まっていることで、タイムカプセルになっています。

 

Pete Frame『THE RESTLESS GENERATION: How rock music changed the face of 1950s Britain』(2007年、ROGAN HOUSE)

▲Pete Frame『THE RESTLESS GENERATION: How rock music changed the face of 1950s Britain』(2007年、ROGAN HOUSE)

ピート・フレイムは1942年生まれなので、15歳の時1957年。
ロックンロールが世界を席巻した1955~57年に、ちょうど10代なかば。いわゆる「中2」であたり「15の夜」にロックンロールに直撃された世代です。ロックンロールは、生涯頭の中で鳴りつづけていたのでしょうか、自分が多感な10代だった時代を振り返る500ページの大冊。

この5月9日に、リトル・リチャード(Little Richard、1932~2020)の訃報がありました。
チャック・ベリー(Chuck Berry、1926~2017)、ファッツ・ドミノ(Fats Domino、1928~2017)と ロックンロールの創始者として名前をあげられる3人が皆逝ってしまいました。 エルヴィス・プレスリー(Elvis Presley、1935~1977)を加え、彼らの音楽が「How rock music changed the face of 1950s Britain〈いかにロックが1950年代イギリスの顔(見た目)を変えたか〉」という本のようです。

表4に、当時の『メロディーメイカー(Melody Maker)』誌に掲載された、ジャズ系軽音楽のピアニストでコラムニスト、 後に音楽クイズ番組の司会で有名になる、スティーヴ・レイス(Steve Race、1921~2009)の、ロックンロールへの否定的な言葉が引用されています。

Viewed as a social phenomenon, the current craze for rock and roll is one of the most terrifying things ever to have happened to popular music.The promotion and acceptance of this cult is a monstrous threat... let us oppose it to the end.
(社会現象として考えると、現在のロックンロールの流行は、ポピュラー音楽に起こった最もひどいできことの1つだ。 このカルト広められ受け入れられることはぞっとするような脅威だ・・・最後まで反対しなければならない。)
Steve Race, Melody Maker, May 1956

こうした言葉への、当時10代半ばだった少年が、その落とし前として書いた本なのかもしれません。

振り返ってみると、10代半ばで聴いた音楽は、生涯ついてまわります。
これはレコードのような録音メディアがあって反復して聴いたことから、より強められたような気がします。

今の「サブスク」や動画サイトから非歴史的な音楽の聴き方をする若い人たちにとって、音楽はどんな寄り添い方をすることになるのでしょうか。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

 

2020年3月下旬以降の「外出自粛」の流れのなかで、ウェブ上にいろんな配信があふれはじめて、夜中に配信のはしごをしたりします。

そんないくつかの配信の中から、3月の末に「はて、どうすればいいのだろう?」という初期設定のとまどいの第一声ではじまった、細馬宏通(かえるさん)のツイキャス(TwitCasting)「かえるさんの沼ヴィジョン」を視聴するのが習慣になりました。

おしゃべりも歌も好きな人が、COVID19で「会話」を奪われたことで、はじめた試みなのでしょう。
日付の変わる深夜、缶ビール飲みながら、「声」を出すことを主眼とした、整理しないままの30分の思索語り。
穏やかだけれど、ちゃんと考える人が語っているという安心感があり、深夜にふさわしい配信になっています。
洋楽を和訳して歌うという技をお持ちで、その選曲に同世代感があって、今夜は何を歌うのだろうかと楽しみになっています。

第20回 1982年のロバート・ワイアット『シップビルディング』(2012年10月30日)」で紹介した「Shipbuilding」を、「造船所」として歌った日もありました。
日本語歌詞で聴いたのは初めてです。
この曲は、スコットランド・グラスゴーの造船所を主題にしたスタンレイ・スペンサー(Stanley Spencer、1891~1959)の絵画作品がもとになっているので、日本語化するとき、造船所のあった長崎や、広島の呉のことば遣いにすれば、歌詞の世界が生きるのではないかとも思いました。いろんな可能性を感じます。

 

ある晩、小冊子のZINEについて、野中モモや小田晶房について語っている回があって、 「note」――noteというのは、長文が書けるtwitterのようなものなのでしょうか? SNSをやっていないので無知です――に掲載されている 「触れること、触れられないこと。」 という小田晶房の文章を紹介していました。

小田晶房が編集していた『map』という雑誌は、スパークス本を含めても4冊だけでしたけど、 ピーター・ブレグヴァドをきちんと紹介してくれた、とてもスマートな良い雑誌でした。 東京・渋谷でヴィーガン向け食堂を開いて、そのことを書いた本も読みました。

「note」に書かれた文章で、去年、京都に拠点を移し、「hand saw press」というリソグラフの印刷所を始めていたことを知りました。

「触れること、触れられないこと。」では、「hand saw press」で印刷された『ミツザワ通信増刊号』(2020年4月)について、書かれていました。
『ミツザワ通信』は、東京・高円寺でレコード屋さん「円盤」(「黒猫」に改名)を営んでいる田口史人が出している郵便形式の雑誌。
その田口史人もちょうど、この4月に拠点を長野の伊那に移したばかりのところに、このcovid19での自粛。(東京でサブカル的なものを担っていた人たちの地方移行が進んでいるのでしょうか?)

そんな先行き不透明なゴタゴタの中、この4月以降に作られた音楽やちらしを全国から集めてビニール袋につめてまとめ上げられた「雑」誌が 『ミツザワ通信増刊号』(2020年4月)。

この4月に、ちゃんと何かを始めて、「もの」を作っている人たちがいるんだな、と注文しました。

 

『ミツザワ通信増刊号』(2020年4月)表紙

『ミツザワ通信増刊号』(2020年4月)裏表紙

『ミツザワ通信増刊号』(2020年4月)CD

『ミツザワ通信増刊号』(2020年4月)内容

三ツ谷(横浜市)、高円寺(東京)、伊那谷(長野県)、鳥取、高知、姫路、福岡、奈良、札幌、鎌倉、金沢、 八丁堀七針(東京)、富山、京都、羽茂大崎(新潟県佐渡市)、広島、泡瀬(沖縄)、五輪(仙台)、神戸、多摩などなど、いろんな土地の声があって、2020年4月のドキュメントになっています。

CD-RでなくプレスCDが2枚入っていて、1枚は入船亭扇里の落語「ざこ八」、1枚は「四月の音楽~三ッ沢、高円寺、伊那谷、円盤、黒猫~」、この4月以降に作られた作品を中心に16曲が日本各地から集められています。

それは、 春の明るい日差しを浴びた屋外の空気をいっぱい吸っている音楽というより、4月の夜、少し息苦しいけれど親密さのある部屋で奏でられた音楽が集まっている、という第一印象でした。

日本のあちこちで、いい音楽が生まれていることが分かる良盤です。

 

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307. 1933年の三笠書房の《鹿と果樹》図(2020年4月30日)

1933年の三笠書房の《鹿と果樹》図


昭和8年(1933)9月20日発行の、アンドレ・ジイド著・竹内道之助訳『ドストエフスキイ研究』を、最初の本として創業した三笠書房の1年めは、秋朱之介(西谷操、1903~1997)が、執筆・編集・装幀・製本と、文字通り八面六臂の仕事をした1年でした。
秋朱之介が三笠書房にかかわったのは最初の1年だけでしたが、秋朱之介が残したものが、実は今も残っていると思われます。

現在の三笠書房のホームページを見ると、トップに、ちょっと小さくて見えにくいのですが、何かのマークと清朝体の「三笠書房」の文字があります。

三笠書房ロゴ(三笠書房ホームページより)

この図柄は、三笠書房のプリンターズマークのようなものになっている鹿と果樹の図です。
1933年から三笠書房の刊行物に使われたものが原型になって、それを縮小したものが三笠書房ホームページのトップに使われています。
1933年の三笠書房と2020年の三笠書房とでは、刊行書に共通するものを見出すのは難しいですが、この図柄だけは、三笠書房が創業した1933年から使われています。
この図を、仮に《鹿と果樹》図と呼ぶことにします。
この図の誕生には、秋朱之介が関わっていたと思われます。そして、清朝体も秋朱之介が三笠書房在籍時に積極的に採用した活字でした。

 

昭和8年(1933)10月1日、三笠書房での秋朱之介の大きな仕事のひとつ、「秋朱之介編輯」の月刊書物趣味襍志(ざっし)『書物』創刊号が刊行されます。

この《鹿と果樹》図がどのように使われていたか、手もとにある『書物』誌などで調べてみると、最初に登場するのが、昭和8年(1933)11月1日発行の『書物』第2号。
その扉と、『田園交響楽』と『ランボオ詩集』いずれも秋朱之介が装釘した本の広告に登場します。

この号に掲載された《鹿と果樹》図には、その後のものと違う大きな特徴があります。下部に「アキ」と記されているのです。
この「アキ」は、秋朱之介のことだと思われます。

では、この図を描いたのも秋朱之介かというと、そこは確言できません。
秋朱之介は、何かを流用することに長けた人で、この図にも元になるものがあったのではないか、ということも考えられるのです。
それでも、現在も三笠書房で使われている、この《鹿と果樹》図の発案者は、秋朱之介だということは間違いないと思います。


手もとにある三笠書房の本は、秋朱之介編輯の『書物』や、秋朱之介が装幀した何冊かぐらいで、《鹿と果樹》図の使われ方の変遷をたどることは到底できないのですが、1951年に創刊された三笠文庫の表紙では、ある意味、奇跡のような使われ方をしていて、驚いたことがあります。

 

野田宇太郎『パンの會』(1952年9月10日第1刷、三笠文庫)表紙

▲野田宇太郎『パンの會』(1952年9月10日第1刷、三笠文庫)表紙
表4の中央に《鹿と果樹》図が三笠書房のプリンターズマークとして配置されています。
古本屋さんで入手した手もとにある文庫本には、帯がついていませんでしたが、三笠文庫は、帯に《鹿と果樹》図を大きく配しているのが特徴でした。

表1には、三笠文庫のしるしとして弓の図が配置されています。
この弓は、どう見ても、「第274回 1930年のエリック・ギル旧蔵『THE FLEURON』第7号(2019年6月18日)」で紹介したイギリスのエリック・ギル(Eric Gill、1882~1940)が、ジェイムズ・ジョイス(James Joyce、1882~1941)の『ユリシーズ(ULYSSES)』のイギリスでの初版(1936年)ボドレイヘッド(The Bodley Head)版のために描いた弓そのままです。
エリック・ギルの許諾を得たものか模作なのか、どういう経緯で、この弓のデザインが文庫全体に使われる表紙に採用されたのか、興味深いものがあります。

何はともあれ、三笠文庫の表紙では、秋朱之介とエリック・ギルが並んでいるわけです。
この2人に関心のあるものにとって、ありえないような奇観が、文庫のかたちで展開されていました。

 

野田宇太郎『パンの會』(1952年、三笠文庫)巻末の文庫の書目01

野田宇太郎『パンの會』(1952年、三笠文庫)巻末の文庫の書目02

▲野田宇太郎『パンの會』(1952年、三笠文庫)巻末の文庫の書目
教養主義的ですが、魅力的な書目です。
『風と共に去りぬ』の翻訳の成功が、三笠文庫発刊のきっかけになったと言われています、

 

手もとにある1933年~1934年の『書物』など三笠書房刊行物に掲載された《鹿と果樹》図をチェックしてみました。

 

昭和8年(1933)10月1日發售 月刊襍志『書物』第一年第一冊 小春號

創刊号には、《鹿と果樹》図は使われていません。 雑誌でなく襍志、発行でなく発售(はっしゅう)という言葉を使っています。

 

昭和8年(1933)11月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第一年第二冊 葭月號

昭和8年(1933)11月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第一年第二冊 葭月號扉

冒頭に掲げた『田園交響楽』と『ランボオ詩集』の広告のほかに、扉で「アキ」つきの《鹿と果樹》図が使われています。
「アキ」とあることで、「アキ」の手になるものであり、「秋朱之介編輯」であるという主張が前面に出ていて、この段階では、まだ三笠書房のプリンターズマークではありません。

 

昭和8年(1933)12月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第一年第三冊 臘月號

昭和8年(1933)12月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第一年第三冊 臘月號 紀元

三笠書房刊の内田百閒『百鬼園随筆』再版と、三笠書房の文芸誌『紀元』についての、秋朱之介による告知。
ここで、「アキ」ぬきの《鹿と果樹》図が登場します。

昭和8年(1933)12月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第一年第三冊 臘月號 広告

『書物』2号に続いて、3つめの「アキ」の入った《鹿と果樹》図。
『書物』誌において、「アキ」の入った《鹿と果樹》図は、3つだけです。

 

昭和8年(1933)12月10日發行 中原中也譯『アルチユル・ランボオ詩集 学校時代の詩』三笠書房

この本は手もとにありませんが、扉に《鹿と果樹》図が配されています。
「アキ」の字のないものが使われています。

 

昭和9年(1934)1月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第一冊 はつはる瑞月號

昭和9年(1934)1月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第一冊 はつはる瑞月號 広告01

秋朱之介が装幀した『ランボオ詩集』と『お前と私』の広告。
ここで、中原中也訳『ランボオ詩集』の広告に、《鹿と果樹》図でなく、長谷川潔(1891~1980)の木口木版画を使っています。
この木口木版は、『日夏耿之介定本詩集』(1925年、第一書房)の第1巻の「エキスリブリス」として使われていたもので、それを秋朱之介は流用しています。図版のこういう使い方があるので、《鹿と果樹》図も何かからの流用の可能性も否定できません。
この長谷川潔の木口木版画は、版を第一書房から買っていたのでしょうか、『書物』誌で何度か使われています。

秋朱之介の仕事を振り返るにあたって、何か軸になる視点があるかと考えたとき、この使い回しの姿勢は1つの軸になるような気がします。 今の著作権ビジネス的には引っかかりがあるようなことでも、無頓着に、身の回りにあるものから好きなものを集めて、貼り合わせていく姿勢、ありもの(レディメイド)からものづくりをする姿勢、カササギのように、拾い集めたもので巣を作り上げる姿勢、言ってみれば「アマチュア」の姿勢です。

箱のオブジェやコラージュを作り続けたアメリカの芸術家ジョセフ・コーネル(Joseph Cornell、1903~1972)が、秋朱之介と同じ1903年生まれと知ったとき、 秋朱之介もコーネルもシュルレアリストのコラージュを20歳代に知った世代だったかと、なんとなく納得しました。
第一次世界大戦が終わりスペイン風邪が大流行した1918年に15歳だった世代(秋朱之介の場合、関東大震災を20歳のとき体験した世代)です。

瓦礫になった世界から、ありあわせのものを拾い集めて再構築する子どもたち。もっとも、第一次世界大戦は、アメリカと日本にとって自国は戦場でなく、参戦はしていても「海の向こうの戦争」で、瓦礫の生々しさは戦場だった国々の子どもたちとは違うのですが、出来合いのものを組み替えて何か違ったものを作り出そうとする姿勢は、20世紀初頭に生まれたその世代に共通のものを感じます。

秋朱之介も本の装幀家ということだけでなく、20世紀に産まれるべくして産まれた様式「コラージュ」から詩を作り出そうとした世代の1人だったという見ることもできるわけです。そうした視点から秋朱之介の仕事を振り返ると、新たな固有名詞で構成される20世紀芸術の見返しもできるような気がします。

なんだか話が大きくなってしまいました。小さな差異をひとつずつ見極めていくほうがよさそうです。

 

『お前と私』については、「第194回 1934年のポオル・ジェラルデイ著・西尾幹子訳『お前と私』(2016年12月19日)」を参照ください。
秋朱之介を経由して、西尾幹子(石邨幹子)の存在を知ることができたのは、思いがけない喜びでした。

 

昭和9年(1934)1月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第一冊 はつはる瑞月號 広告02

昭和9年(1934)1月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第一冊 はつはる瑞月號 広告03

昭和9年(1934)になると、「アキ」と刻まれた《鹿と果樹》図は使われなくなり、《鹿と果樹》図は、三笠書房のプリンターズマークとしての性格を帯びはじめます。

そもそも、なぜ《鹿と果樹》という図柄と三笠書房とが結びついたのでしょうか。
妄想に近い推測ですが、果樹はザクロで、鹿とザクロといえば奈良、奈良と言えば三笠山ということなのかな、と考えたりします。
そうなると、奈良と関係があるから三笠書房なのか、という話になりますが、そういう結びつきがあったのかは分かりません。

 

昭和9年(1934)2月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第二冊 花月號

昭和9年(1934)2月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第二冊 花月號 目次

昭和9年(1934)2月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第二冊 花月號 広告01

昭和9年(1934)2月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第二冊 花月號 広告2

昭和8年の『ランボオ詩集』広告と同じ構成ですが、《鹿と果樹》図から「アキ」の字はなくなっています。
「三笠書房」の文字が、明朝体から清朝体になっています。この時期、秋朱之介は清朝体活字を積極的に使っています。

昭和9年(1934)2月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第二冊 花月號 告知

三笠書房では「鹿のマーク」の入った原稿用紙を使っていたようです。
「鹿のマーク」=《鹿と果樹》図が、三笠書房のマークとして定着しはじめているようです。

 

昭和9年(1934)2月20日發行 ポオル・ジユラルデイ 西尾幹子譯・佐藤春夫序『お前と私』 三笠書房

装釘・秋朱之介

昭和9年(1934)2月20日發行 ポオル・ジユラルデイ 西尾幹子譯・佐藤春夫序『お前と私』 三笠書房 箱背 昭和9年(1934)2月20日發行 ポオル・ジユラルデイ 西尾幹子譯・佐藤春夫序『お前と私』 三笠書房 箱01

外箱に、《鹿と果樹》図が使われています。

 

昭和9年(1934)2月20日發行 ポオル・ジユラルデイ 西尾幹子譯・佐藤春夫序『お前と私』 三笠書房 愛読者カード

愛読者カードにも《鹿と果樹》図が使われはじめています。

 

昭和9年(1934)2月20日發行 大内秀麿 『白月歌集』 三笠書房

装釘・秋朱之介
昭和9年(1934)2月20日發行 大内秀麿 『白月歌集』 三笠書房 箱背 昭和9年(1934)2月20日發行 大内秀麿 『白月歌集』 三笠書房 箱

日焼けして見えにくくなっていますが、外箱に、《鹿と果樹》図が使われています。


昭和9年(1934)3月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第三冊 桐月號

昭和9年(1934)3月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第三冊 桐月號 広告01

昭和9年(1934)3月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第三冊 桐月號 広告02

 

昭和9年(1934)3月20日發行 片岡良一『現代作家論叢』三笠書房

序・藤村作 装釘・秋朱之介

昭和9年(1934)3月20日發行 片岡良一『現代作家論叢』三笠書房 箱背 昭和9年(1934)3月20日發行 片岡良一『現代作家論叢』三笠書房 扉

外箱の背と扉に、《鹿と果樹》図が使われています。

 

昭和9年(1934)4月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第四冊 余月號

昭和9年(1934)4月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第四冊 余月號 広告

 

昭和9年(1934)5月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第五冊 蒲月號

昭和9年(1934)5月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第五冊 蒲月號 広告

昭和9年(1934)5月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第五冊 蒲月號 愛読者カード

読者通信を編集部に送った読者にもれなくプレゼントされた手摺木版画は、どんなものだったのでしょう。

 

昭和9年(1934)6月1日發售 『書物』 特輯ドストイエフスキイ研究 第二年第六冊 茘月號

4月の号から広告のレイアウトが少し変更され、この号から《鹿と果樹》図が使われなくなります。

 

昭和9年(1934)7月1日發售 『書物』隨筆特輯號 第二年第七冊 七月號

昭和9年(1934)8月1日發售 『書物』鎖夏隨筆特輯號 第二年第八冊 八月號

昭和9年(1934)9月1日發售 『書物』 第二年第九冊 九月號 ロシア文學特輯

『書物』終刊号。秋朱之介の編集後記の前にある『書物』最後のテキストは内田百閒の「今朝冬」。
広告文からも「(秋)」「(秋朱之介)」の名前が消えていることに、秋朱之介と三笠書房の蜜月が終わったことを感じます。

 

秋朱之介と結びついた《鹿と樹木》図が、その後も三笠書房を象徴するものとして使われ続けるようになった経緯は、手もとにある乏しい資料からは知ることができません。
それでも、最初の1年だけ在籍した秋朱之介のものが、知られないままとはいえ、80年過ぎた今も残されているということに、感動します。

 

【2022年10月20日追記】

1935年創刊の恩地孝四郎編輯の書物研究誌『書窓』(アオイ書房、発行人・志茂太郎)に、各出版所のマークの由来や意味を紹介する「出版所マーク集」という連載があります。
第二巻第一号(1935年10月10日発行)に掲載された「出版所マーク集 5」では、竹村書房・三笠書房・岡倉書房・新小説社が紹介されています。
三笠書房については「由来と意味、三笠山ですから鹿が出るのです。作者は分りません。」とのみありました。
興味深いのは、その「出版所マーク 5」の右ページには、秋朱之介の「季節と詩心」が掲載されていることです。
「作者は分りません」の横に、そのマークの発案者が並んでいるのは、偶然だったのでしょうか、意図したものだったのでしょうか。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

 

XTCの「DEAR GOD」(1987年、Virgin)を。

xtcの「DEAR GOD」ジャケット

xtcの「DEAR GOD」ラベル

だじゃれですね。
日本には、鹿神(Deer God)もいます。

 

【2020年5月1日追記】

1987XTC_Dear God CD

「DEAR GOD」のシングルには、CD版もありました。
1987年は、まだアナログ盤とCDが共存していました。

このCDには、いろんなシングル盤のB面曲だったインストゥルメンタル作品「HOMO SAFARI」シリーズ6曲がまとめて収録されていて、 まだCDプレイヤーを持っていないのに購入しました。

ジャケットは、写真の発色も含めて、12インチのアナログ盤のほうが断然良いです。

グラフィックはThe Design Clinic、写真はGavin Cochrane。当時のVirginレーベルでよく使われてた人たちです。
Gavin Cochraneは、ピーター・ブレグヴァドの最初のソロアルバム『The Naked Shakespeare』(1983年、Virgin)のジャケット写真を撮った人でした。


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306. 1973年の「カンタベリー・ファミリー・ツリー」(2020年4月22日)

1973 THE INCESTUOUS TALES OF CANTERBURY HEADS and sundry country cousins, urban ‘erberts, and Australian nomads

 

4月10日にリリースされたばかりのZoppというグループの最初のアルバムを聴いていると、カンタベリー系の音が今も生き続けていると感心してしまいます。
1970年代の10代のころから「カンタベリー系」といわれる音楽が好きでしたから、多分にノスタルジーも入っているのでしょうが。
もっとも、1970年代には「カンタベリー系」とは言わなかったと思います。
言ったとしても「カンタベリーもの」「カンタベリー・ロック」だったと思います。

イギリス南東の地方都市カンタベリーで生まれた、ワイルド・フラワーズ(Wilde Flowers、野生の「ワイルド」でなくオスカー・ワイルドの「ワイルド」)、ソフト・マシーン(Soft Machine)、キャラヴァン(Caravan)から枝分かれした、ジャズとロックが入りまじった音楽を総称して、今はカンタベリー・シーン(Canterbury Scene)とかカンタベリー・サウンド(Canterbury Sound)とかカンタベリー系というようになりましたが、特に1980年代から90年代にかけてでしょうか、「カンタンベリー・ツリー」と呼ぶこともありました。

その「カンタンベリー・ツリー」という呼び方は、イギリスの音楽誌『zigzag』の編集長ピート・フレイム(Pete Frame、1942~ )がロットリングの製図ペンで描いていたファミリー・ツリーがもとになったのだと思います。

ピート・フレイムは、ソフト・マシーンを中心とするカンタベリー系のミュージシャンのファミリー・ツリーを、少なくとも3つ描いています。

上の写真は、 1973年2月の『zigzag』28号に掲載された、カンタベリーの重要ミュージシャン、ケヴィン・エアーズ(Kevin Ayers、1944~2013)へのインタビュー記事に添えられた、見開きの「カンタベリーの頭たちの近親相姦的物語(THE INCESTUOUS TALES OF CANTERBURY HEADS and sundry country cousins, urban ‘erberts, and Australian nomads)」と題されたファミリー・ツリー。

これがたぶん、最初に描かれた「カンタベリー・ファミリー・ツリー」だと思います。

見開きで295×432mm。
1964年ごろのワイルド・フラワーズから1973年初めまでの複雑な人物相関をファミリー・ツリー化したもの。「オーストラリアの放浪者(Australian nomads)」ことデヴィッド・アレンの人脈とともに枝分かれして平行する複雑なゴング(GONG)の系図があるのですが、ここでは大幅に省略されています。
リサーチはアル・クラーク(Al Clark)とピート・フレイム。
このファミリー・ツリーは、キース・ティペット(Keith Tippet)やニュークリアス(Nucleus)など、ブリティッシュ・ジャズ/ジャズロックのミュージシャンを含めた、より巨大なものの「プロトタイプ」として作成したと注記しています。


1970年代の半ば以降、カンタベリーものを同時代のものとして聴き始めたので、1973年初頭に書かれた、細かい注記には、心躍ります。

ゴング(Gong)について『キャマンベール・エレクトリック』がイギリスでは新しくできたヴァージン・レーベルからリリース予定であるとか(Then came ‘CAMEMBERT ELECTRIQUE’ (allegedly recorded during the full moon of June July & Sept 71) released on Byg 529-353 in France and probably to be released here soon on new Virgin Records label.) 、マイク・オールド・フィールド(Mike Oldfield)について、まだタイトルが記されていないソロアルバムがヴァージンからまもなくリリースであるとか(Recorded solo album - out soon on Virgin label.) 、この時点ではキーボードがデイヴ・シンクレア(Dave Sinclair)のハットフィールド・アンド・ザ・ノース(Hatfield & the North)について、いくつのもレーベルから引き合いあるとか(Nice band which grew out of Steve Miller’s front room. Currently seducing various record labels)、1973年5月にヴァージン・レーベルから最初のレコードが出る直前の世界です。


思えば、鹿児島の少年が、はじめて同時代のものとしてカンタベリーがらみの音楽に触れたのは、マイク・オールドフィールドの『チューブラー・ベルズ(Tubular Bells)』(1973年5月25日、Virgin)ではないかと思います。
私が聴いたのは、間章(1946~1978)がライナーノーツを書いていた日本盤(1974年)でした。
その間章のライナーノーツで、「アッサンブラージュ」「コラージュ」「ミュージック・コンクレート」といったカタカナ言葉を、はじめて目にしたのでした。


『zigzag』28号(1973年2月)表紙

▲ 『zigzag』28号(1973年2月)表紙
表紙は、バーズ(Byrds)。
1969年4月創刊の『zigzag』誌は、読みごたえのあるインタビュー記事をメインにした、読ませる音楽誌のさきがけで、ピート・フレイム(Pete Frame)描く情報過密で精細なロック・ファミリー・ツリー(rock family trees) が名物でした。

この号では、ケヴィン・エアーズのインタビュー「シドカップで切手収集 ― ケヴィン・エアーズが自分の曲について語り、わたしたちは彼〈とその仲間〉の系図をたどる(Stamp Collecting In Sidcup in which Kevin Ayers talks about his songs and we trace his [and his mates’] Family Tree)」 のほかに、ジミー・ペイジ(Jimmy Page)、 ニッティ・グリッティ・ダート・バンド(The Nitty Gritty Dirt Band) 、 キム・フォーリィ(Kim Fowley) 、スティーラーズ・ホィール(Steelers Wheel)、バーズ(Byrds)、そして作家のJ.P.ドンリーヴィ(J.P.Donleavy)の記事など掲載されています。

この号に掲載されたファミリー・ツリーを参考にしたと思われる記事が、翌年の『音楽専科』にありました。

 

『音楽専科』1974年6月

「ソフト・マシーンの周辺を探る」構成/保科ヨシヒロ

▲『音楽専科』1974年6月(音楽専科社)
1974年6月1日発行
三好伸一「幻の大物 ソフト・マシーン&ゴングの正体」
「ソフト・マシーンの周辺を探る」構成/保科ヨシヒロ
雑誌の判型はB5判182×257mm。
見開きで257×364mm。
「ソフト・マシーンの周辺を探る」は、間違いなく『zigzag』28の、ピート・フレイムのファミリーツリーをもとにしたものですが、ピート・フレイムが書いていない、1959年と1960年の高校生ジャズバンドのこともつけ加えているのが目をひきます。

 

日本で「カンタベリー・ツリー」という言い方が出るようになったのは、1977年にリリースされたソフト・マシーンの10年を総括した3枚組編集盤『TRIPLE ECHO』のブックレットに見開きで掲載されたファミリー・ツリー以後のような気がします。

 

SOFT MACHINE『TRIPLE ECHO』(1977年、HARVEST) 外箱

SOFT MACHINE『TRIPLE ECHO』(1977年、HARVEST) Family Tree

▲SOFT MACHINE『TRIPLE ECHO』(1977年、HARVEST)
カンタベリーの代名詞のようなグループ、ソフト・マシーンの1967年のデビューシングル「Love Makes Sweet Music」から、1976年オリジナルメンバーのいなくなったアルバム『SOFTS』の「The Tale of Taliesin」まで、時代順にまとめたLP3枚組。
294×294mm、8ページのブックレット。

ファミリー・ツリーは、294×588mm見開き。
アル・クラーク(Al Clark)とピート・フレイム(Pete Frame)がリサーチし(1976年のクリスマス前後)、1977年2月~3月にピート・フレイムによって作成されています。
1963年(年・月が1973年『zigzag』版より詳しくなっています)のワイルド・フラワーズから1976年まで。
ソフト・マシーン、キャラヴァン、ケヴィン・エアーズが3本の柱になっているのは1973年版と変わりませんが、ここでは、ゴングの変遷についても場所が少し確保されていて 、「ファミリー・ツリーは、疲れを知らない事実愛好家に、楽しい博捜のひとときを提供(the family tree provides hours of fun and erudition for the indefatigable facts fetishist.)」と謳っています。

 

ファミリー・ツリーの類は、音楽の本筋とはあまり関係のない、余興のようなものですが、ピート・フレイムの描くファミリー・ツリーは、文字は小さいですが読みやすい手書きの魅力もあり、取材力と構成力もあいまって、1970年代に生まれたロック関連の読み物のなかで、もっとも楽しいものになっています。

 

日本の音楽雑誌にも、ミュージシャンの系統図は、ときどき掲載されていました。

『FOOL’S MATE』第7号表紙

『FOOL’S MATE』第7号ブリティッシュジャズロックの系譜

▲『FOOL’S MATE』第7号
1979年1月25日発行
クレ・アトール企画
編集長/北村昌士 発行人/高石源太
EURO ROCK MAGAZINE「特集 Rock!Avant-Garde・Jazz!」
「ブリティッシュ・ジャズ・ロックの系譜」制作:三津間功
B5判182×257mm。

系統図は見開きで257×364mm。
右上がカンタベリー系に割り当てられています。

 

ピート・フレイムは、それまで描いてきたロック・ミュージシャンのファミリー・ツリーをまとめて、1980年、『Rock Family Trees』(Omnibus Press)を刊行し、続けて1983年、Pete Flame『Rock Family Trees Volume 2』(Omnibus Press)を刊行します。
1993年には、その2冊を合本にして『The Complete Rock Family Trees』(1993年、Omnibus Press) を刊行しています。
これは、時間つぶしの王様のような本です。続編も3冊でています。

 

1980年に刊行された『Rock Family Trees』には、ピート・フレイムが描いた3つめのカンタベリー・ファミリー・ツリーとなる「Soft Machinery」を収録しています。

Pete Frame「Soft Machinery」(1979年)

▲Pete Frame「Soft Machinery」(1979年)
判型242×333mm。折り込みで横333×縦470mm。
1979年6月に作成されたものと思われます。
1963年のワイルド・フラワーズから1977年まで。
長方形の枠に収めることを優先したのか、ここではGONGのために場所をさくことをあきらめています。

 

『The Complete Rock Family Trees』(1993年、Omnibus Press) 表紙

▲『The Complete Rock Family Trees』(1993年、Omnibus Press) 表紙

ピート・フレイムは、1979年をもって、カンタベリー系のファミリー・ツリーを書き継ぐのはやめてしまいます。
人脈を拡大したより大きなファミリー・ツリーはあきらめたようです。これはちょっと残念でした。

 

その続きがほしかったのでしょう。
カンタベリー系の音楽のファンジン『FACELIFT』でも、補遺的にファミリーツリーが描かれていました。

 

『FACELIFT』Issue One(1989年6月、Phil Howitt編) 表紙

『FACELIFT』Issue One(1989年6月、Phil Howitt編) ツリー

▲『FACELIFT』Issue One(1989年6月、Phil Howitt編)
A5判148×210mm。見開きで210×296mm。
「Caravan/Alan Gowen/National Health 1975-1982」

 

『FACELIFT』Issue 3(1990年3月、Phil Howitt編) 表紙

『FACELIFT』Issue 3(1990年3月、Phil Howitt編) ツリー

▲『FACELIFT』Issue 3(1990年3月、Phil Howitt編)
A5判148×210mm。見開きで210×296mm。
「HUGH HOPPER/ELTON DEAN: the whole story」

 

そこへ現れたのが、日本のマーキー別冊『ブリティッシュ・ロック集成(ENCYCROPEDIA OF BRITISH ROCK)』 の付録です。

CANTERBURY FAMILY TREES

▲「CANTERBURY FAMILY TREES」
構成・制作◎坂本理(Soft Weed Factor)
427×600mm2枚をつなげて、427×1200mmの大きさに広がったファミリー・ツリーです。
写真は、参考のため、どんな形のものかを示すだけのものです。

 


▲マーキー別冊『ブリティッシュ・ロック集成(ENCYCROPEDIA OF BRITISH ROCK)』 (1990年9月20日第一刷、マーキームーン社)

ピート・フレイムの場合、本や雑誌に綴じるという制約のなかで制作されていたのですが、その制約をはずした、この坂本理の労作にして大作「CANTERBURY FAMILY TREES」以降、新たにカンタベリーのファミリー・ツリーが作りづらくなってしまったのではないかという気もします。
このファミリー・ツリーがカンタベリーの音楽を総括し、その歴史を終わらせたような印象さえあります。

 

坂本理「CANTERBURY FAMILY TREES」が1990年。
それから30年たっています。
今「カンタベリー・ファミリー・ツリー」を更新するとしたら、どんなことになるのでしょう。
その系譜は、間違いなく続いていたわけで、そのこんぐらがり具合を想像するだけでくらくらします。

これは確かに「音楽」そのものの楽しみではありませんが、その軌跡は、自分のようなその音楽のファンが聴き続けてきた体験の道すじになっているのだろうなと思います。

そのツリーの末端に、Zoppというグループが書き加えられて、その続きがあればいいなと思います。


〉〉〉今日の音楽〈〈〈

 

輸入物とは縁遠い田舎の少年でしたが、レコードやそのライナーノーツから、いろんな言葉を知ったのだと思います。
パタフィジック('Pataphysics)という言葉は、ソフト・マシーンの曲名で知りました。

その曲「Pataphysical Introduction」が収録されたソフト・マシーンの1969年のセカンド・アルバム『Volume Two』ではなく、編集盤の『TRIPLE ECHO』(1977年、HARVEST)のほうで知りました。

個人的には、ソフト・マシーンは同時代の音楽と感じたことはなく、1973年以降の初期ヴァージン・レーベルのマイク・オールドフィールド、ロバート・ワイアット、ハットフィールド・アンド・ザ・ノース、ヘンリー・カウなどで、カンタベリー系の音楽を10代に吸収したくちです。

ソフト・マシーンはちょっと遠い存在で、はじめて買ったソフト・マシーンのアルバムが『TRIPLE ECHO』でした。
そのとき購入したのは中古盤で、肝心の8ページブックレットが欠けていたので、安かったのです。
結局、ファミリー・ツリーの載っているブックレットが欲しくて、買い直すことになりましたが。

ソフト・マシーンには、膨大な音源が残されていて、充実したボックスセットがあってもおかしくないのですが、歴史を俯瞰できる編集盤は、今のところ、この『TRIPLE ECHO』だけなのが不思議です。多くのミュージシャンがかかわり複数のレーベルにまたがっているので、ライセンスをクリアするのが難しいのでしょうか。

CDでも、総括的なボックスはありません。
ただ、ソフト・マシーンの評伝、Graham Bennett『Soft Machine: Out-Bloody-Rageous』(2005年、SAF)が出たとき、同じタイトルで、CD2枚組の『OUT-BLOODY-RAGEOUS: AN ANTHOLOGY 1967-1973』(2005年、SONY/BGM)も出て、こういう本とCDの連動の仕方は面白いなと思いました。

 

『TRIPLE ECHO』(1977年、HARVEST)のラベル01

『TRIPLE ECHO』(1977年、HARVEST)のラベル02

▲『TRIPLE ECHO』(1977年、HARVEST)のラベル
「Pataphysical Introduction」が、英和辞典では分からなかった記憶があります。


Soft Machine『Volume 2』の2009年の再発CD(Polydor、Universal UMC)

▲Soft Machine『Volume 2』の2009年の再発CD(Polydor、Universal UMC)
オリジナルは、1969年のProbe盤。

ソフト・マシーンは、そのグループ名をウィリアム・S・バロウズ(William S Burroughs、1914~1997)の小説『The Soft Machine』(1961年)からとっています。フリーな方向に進むジャズに夢中になり、ルイス・キャロル(Lewis Carroll、1832~1898)、アルフレッド・ジャリ(Alfred Jarry、1873~1907)、トマス・ピンチョン(Thomas Pynchon、1937~ )、ビートニクの小説を読んでいた高校生たちが作り上げたようなバンドでした。

今の高校生がバンド名に流用したくなるような魅力的な文学作品というと、何になるのでしょうか。

 

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305. 1985年の『星空に迷い込んだ男 - クルト・ワイルの世界』(2020年4月14日)

1985年の『Lost In the Stars - The Music of Kurt Weill』


ニューヨークの音楽プロデューサー、ハル・ウィルナー(Hal Willner)の訃報がありました。
1956年4月6日~2020年4月7日。
COVID-19感染にともなう合併症で、64歳の誕生日の翌日に亡くなっていました。

ハル・ウィルナーのプロデュース作品でいちばん記憶に残るのは、1985年のアルバム『Lost In The Stars - The Music Of Kurt Weill』(A&M Records)。
日本盤のタイトルは『星空に迷い込んだ男 - クルト・ワイルの世界』でした。
ちょうどLPとCDの共存期で、CDの方が4曲多く収録されていました。
当時はまだCDプレイヤーを持っていませんでしたので 、購入したのは、アメリカ盤のLPでした。
最も好きな歌い手、ダグマー・クラウゼ(Dagmar Klause)が参加していたので、それだけで入手する理由になります。
ダクマー・クラウゼの歌う「スラバヤ・ジョニー(Surabaya Johnny)」は素晴らしいです。

ハル・ウィルナーが、音楽の録音に関してどういう特徴のあるプロデューサーだったか、はっきり言うことはできないのですが、すぐれた選曲家であり、企画もので魅力的な音楽家を集めて座を組むことができる人だったことは確かです。

訃報を知ってから、ハル・ウィルナーの作品を聴こうと、棚を調べてみたら、ハル・ウィルナーが関わったLPやCDが10枚以上出てきました。
40年近く、お世話になってきたのだなと、改めて思いました。
『アマルコルド』トリビュートはじめ、まだまだあったはずなのですが、整理されていない棚をうらむばかり。
見つかった分だけでも、故人をしのびながら、並べてみます。

 

『Lost In The Stars - The Music Of Kurt Weill』(1985年、A&M Records)のレコード盤ラベル01

『Lost In The Stars - The Music Of Kurt Weill』(1985年、A&M Records)のレコード盤ラベル02

▲『Lost In The Stars - The Music Of Kurt Weill』(1985年、A&M Records)のレコード盤ラベル
Executive Producers Hal Willner and John Telfer
Produced by Hal Willner and Paul M.Young

 

The Neville Brothers『 Fiyo On The Bayou』(1981年、A&M Records)01

The Neville Brothers『 Fiyo On The Bayou』(1981年、A&M Records)02

The Neville Brothers『 Fiyo On The Bayou』(1981年、A&M Records)03

▲The Neville Brothers『 Fiyo On The Bayou』(1981年、A&M Records)
Production Associate: Hal Willner
ハル・ウィルナーがこのアルバム制作でどんな役割を果たしていたか分かりませんが、その後のハル・ウィルナーの企画盤で、アーロン。ネヴィル(Aaron Neville)がよく起用されるきっかけになったのでしょうか。

写真は1987年の日本盤LPのジャケットとレコード盤ラベル。
ニューオリンズのファンク・バンド、ネヴィル・ブラザースの2枚目のアルバム。前身バンドのひとつ、ミーターズ(The Meters)に『Fire On The Bayou』(1975年、 Reprise Records)というアルバムがあって、まぎらわしいのですが、「Fire」から「Fiyo」へなまりが強くなったということでしょうか。

 

Gary Windo『DOGFACE』(1982年、Europa Records)01

Gary Windo『DOGFACE』(1982年、Europa Records)02

Gary Windo『DOGFACE』(1982年、Europa Records)03

▲Gary Windo『DOGFACE』(1982年、Europa Records)
Produced by Hal Willner and Gary Windo
ゲイリー・ウィンド(1941~1992)はイギリス出身のサックス奏者。ロバート・ワイアットの『Rock Bottom』(1974年、Virgin)や『Ruth Is Stranger Than Richard』(1975年、Virgin)での演奏が記憶に残りますが、拠点をアメリカに移してから作られた最初のソロ・アルバム。アメリカの長寿テレビ番組『サタデイ・ナイツ・ライヴ(Saturday Night Live)』の仕事もしていて、そこで番組の選曲担当のハル・ウィルナーとつながりができたんじゃないかと推測しています。

 

『Stay Awake - Various Interpretations Of Music From Vintage Disney Films』(1988年、A&M Records)

▲『Stay Awake - Various Interpretations Of Music From Vintage Disney Films』(1988年、A&M Records)
Produced by Hal Willner
写真は日本盤CD(A&M Records、ポニーキャニオン)
ハル・ウィルナーの企画盤は、最初はニーノ・ロータのフェリーニ映画音楽へのトリビュート盤『Amarcord - Nino Rota』(1981、Hannibal Records)、2番目は、ジャズ・ピアノのセロニアス・モンクへのトリビュート 盤『That's The Way I Feel Now - A Tribute To Thelonious Monk』(1984、A&M Records)、3番目が『Lost In The Stars - The Music Of Kurt Weill』(1985年、A&M Records)で、4番目が、このディズニーの映画音楽へのトリビュート盤『眠らないで(Stay Awake)』でした。リンゴ・スター、ジェームス・テイラー、ハリー・ニルソンら大物も参加する一方、イマ・スマックやサン・ラも引っ張りしています。
ボニー・レイット(Bonnie Raitt and Was [Not Was])の歌う「Baby Mine」が良いです。

 

Marianne Faithfull『Blazing Away』(1990年、Island Records)

▲Marianne Faithfull『Blazing Away』(1990年、Island Records)
Produced by Hal Willner
写真は日本盤CD(Island Records、ポリスター)
1989年11月、ニューヨーク、セントアン大聖堂でのライブ録音。

 

『Weird Nightmare - Meditations On Mingus』(1992年、Sony Records)

▲『Weird Nightmare - Meditations On Mingus』(1992年、Sony Records)
Produced by Hal Willner
ハル・ウィルナーのトリビュート企画盤の5番目は、ジャズ・ベースのチャールズ・ミンガスへのトリビュート。

 

『The Music Of Raymond Scott - Reckless Nights And Turkish Twilights』(1992年、Columbia)
▲『The Music Of Raymond Scott - Reckless Nights And Turkish Twilights』(1992年、Columbia)
Executive Producer: Hal Willner
当時再評価されはじめていた作曲家レイモンド・スコット(1908~1985)作品の編集盤。1930~40年代のワーナー漫画映画に使われた音楽を集めたもの。

 

三宅純『星ノ玉ノ緒 ENTROPATHY』(1993年、Sony Records)

▲三宅純『星ノ玉ノ緒 ENTROPATHY』(1993年、Sony Records)
PRODUCED BY JUN MIYAKE & HAL WILLNER


Hal Willner『Whoops I'm An Indian』(1998年、Pussyfoot Records)
Hal Willner『Whoops I'm An Indian』(1998年、Pussyfoot Records)
ハル・ウィルナー名義の唯一のアルバム。スコットランドのDJ、ハウイーB(Howie B)の音楽レーベルPussyfoot Recordsから。
サンプリングを多用したエレクトロニカ。例えて言えば、Brian Eno/David Byrneやヤン富田らと同じ棚にあるタイプの音楽。
そうした先達がつくりあげたサンプリングの様式にならって、ハル・ウィルナーがサンプル元を選ぶセンスを垣間見せたアルバムです。
才人のファーストアルバムに期待されるものとしては、ものたりないものがあったのも確かです。

このソロアルバムがハル・ウィルナーのなかでどういう位置を占めているのか、よく分からないままなのですが、このアルバムは、1990年代に亡くなった次の人たちの思い出に捧げられています。
Kathy Acker、Jeff Buckley、William A. Burroughs、Chris Farley、Allen Ginsberg、Michael O'Donoughue、Harry Nilsson、Terry Southern、Joel Tonabene、Marvin Worth、Heather Zahl。

 

『Finding Forrester: Music From The Motion Picture』(2000年、Columbia)01

『Finding Forrester: Music From The Motion Picture』(2000年、Columbia)02

▲『Finding Forrester: Music From The Motion Picture』(2000年、Columbia)
Soundtrack Album Producer HAL WIILLNER
映画『小説家を見つけたら』のサントラ。
マイルス・デイヴィスの楽曲が効果的に選曲されています。
写真は日本盤(2000年、SME Records)。

 

Lou Reed『Ecstasy』(1999年、Reprise Records)01

Lou Reed『Ecstasy』(1999年、Reprise Records)02

▲Lou Reed『Ecstasy』(1999年、Reprise Records)
Produced by Lou Reed & Hal Willner
写真は、ライブ音源のボーナスCDのついた、2000年のWarner Music Australia盤。


Gary Lucas『Improve The Shining Hour』(2000年、Knitting Factory Works)

▲Gary Lucas『Improve The Shining Hour』(2000年、Knitting Factory Works)
Captain Beefheartのバンドのギタリスト、ゲイリー・ルーカスの1980~2000の作品集。
ハル・ウィルナーの「Harry Smith's Project」のための曲「Judgement」と「Indian War Whoop」を収録(Produced by Hal Willner)。

 

『Stormy Weather - The Music Of Harold Arlen』(2003年、Sony Classical)01

『Stormy Weather - The Music Of Harold Arlen』(2003年、Sony Classical)02

▲『Stormy Weather - The Music Of Harold Arlen』(2003年、Sony Classical)
Music Produced by Hal Willner
「虹の彼方に(Over the Rainbow)」「ペイパームーン(It's Only A Paper Moon)」などで知られるアメリカの作曲家ハロルド・アーレン(Harold Arlen、1905~1986)の伝記ドラマ『Stormy Weather - The Music Of Harold Arlen』〈ラリー・ワインスタイン(Larry Weinstein)監督〉のための音楽。

 

Lou Reed『The Raven』(2003年、Sire)01

Lou Reed『The Raven』(2003年、Sire)02

Lou Reed『The Raven』(2003年、Sire)03

Lou Reed『The Raven』(2003年、Sire)04

▲Lou Reed『The Raven』(2003年、Sire)
Produced by Lou Reed & Hal Willner
エドガー・アラン・ポーの詩「大鴉」をもとにした2枚組。

 

『Rogue's Gallery - Pirate Ballads, Sea Songs, & Chanteys』(2006年、Anti-)01

『Rogue's Gallery - Pirate Ballads, Sea Songs, & Chanteys』(2006年、Anti-)02
▲『Rogue's Gallery - Pirate Ballads, Sea Songs, & Chanteys』(2006年、Anti-)
A HAL WILLNER PRODUCTION
海賊や船乗りの古謡を、Bono、Sting、Bryan Ferry、Nick Cave、Lou Reed、Antonyらが歌う2枚組。
ちょうど、ジョニー・デップが海賊役で当たりをとったときに便乗した気配もありました。

 

ハル・ウィルナーは、アルバムのライナーノーツの最後に、いつも「I'll be seeing you.(また会いしましょう)」と書いていました。
その挨拶が、1週間の急変で、唐突に途切れてしまいました。
次の企画がない、というのは、ほんとうに残念です。

ハル・ウィルナーのtwitterを見てみると、最後のツイートは、3月30日、COVID-19で重態のシンガーソングライター、ジョン・プライン(John Prine、)を見舞うものでした。
そのジョン・プラインも、ハル・ウィルナーと同じ4月7日に亡くなったそうです。
1946年10月10日~2020年4月7日。

ジョン・プラインのCDも2枚だけですが、手もとにあります。

John Prine『Sweet Revenge』(1973年、Atlantic)

▲John Prine『Sweet Revenge』(1973年、Atlantic)
写真は1990年の米盤CD(Atlantic)

 

John Prine 『Prime Prine - The Best Of John Prine』(1976年、Atlantic)

▲John Prine 『Prime Prine - The Best Of John Prine』(1976年、Atlantic)
写真は1990年の米盤CD(Atlantic)

 

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304. 2010年の『ロンドン・パタフィジック協会会報』第1号(2020年4月4日)

2010年の『ロンドン・パタフィジック協会会報』第1号


鹿児島も、楠の若葉がいっせいに萌え出でて、恋するツバメが飛び交う、いつもと変わらぬ春がめぐってきたようにみえます。
それでも、この3月、4月は、後の世に、そこで歴史の歯車が変わったと振り返る、そんな時代の変わり目なのかもしれません。

 

「前衛」(アヴァンギャルド、Avant-garde)ということばは、もともと軍事用語から来ていて、男の子の戦争ごっこや昔の男子高の軍事教練のような印象がして、個人的には居心地が悪くて積極的に使いたくない言葉なのですが、近代の「前衛芸術」の起源のひとつに、アルフレッド・ジャリ(Alfred Jarry、1873~1907)のユビュ王が君臨していることは間違いなくて、「All avant-garde. All the time.(すべての前衛芸術を、常に)」を標榜するアヴァンギャルドのアーカイヴ・サイトが「UbuWeb」と命名されているのも、ふさわしい命名だとは思います。

アルフレッド・ジャリがはじめたもののひとつに〈パタフィジック(仏語で'Pataphysique、英語で'Pataphysics。冒頭にアポストロフィ「'」を付けるのが表記の決まり)〉という考えがあります。
形而上学(Métaphysique)が扱えない領域を扱う科学や哲学のこと、といっても何のことやらですが、その名のもとに今も継承され、現代科学の作法に従いつつ、ノンセンスの領域、空想の領域に重きを置いた作品群を生み続けています。
綺想の系譜に連なるもので、人によっては疑似科学同様まったくの役に立たないものとしか思えないでしょうが、少なくとも、パタフィジックには詩とユーモアがあります。

パタフィジックが、ポピュラーになったということは、今までのところないようですが、イギリスにも、ロンドン・パタフィジック協会(The London Institute of 'Pataphysics、ラテン語でINSTITVTVM PATAPHYSICVM LONDINIENSE)があって、ピーター・ブレグヴァド(Peter Blegvad)がその会長に就任して、2010年から『ロンドン・パタフィジック協会会報(The Journal of the London Institute of ’Pataphysics)』を刊行しています。
今までのところ20号まで出て、「パタフィジック」関連文献の英訳や英語で書かれた作品を紹介しています。
基本的に60ページほどの小冊子なので、小品の紹介が中心です。
判型は縦240ミリ×横160ミリで、表紙の型は決まっていて、刊行年月やタイトルや協会の「LIP」ロゴ、そして、ユビュのシンボルであるうずまきの位置は各号そろっています。

『ロンドン・パタフィジック協会会報』は、その刊行年月の表記が、ちょっと特異です。

最初の第1号は、「Sable 138 EP(December 2010 vulg)」
最新の第20号は、「Phalle 146(August 2019v.)」

要するに、パタフィジック暦を使っています。

パタフィジック暦とは何かというと、アルフレッド・ジャリの誕生日、1873年9月8日が紀元になるという、とてもアヴァンギャルドな暦です。
はじまりの日は、「1 Absolu 1 EP」になります。「Absolu(絶対)」は、パタフィジック暦の「1月」で、西暦の9月8日から10月5日にあたります。EPは、「Ère 'Pataphysique」の略で、西暦のBCやADのようなものです。

1年が13月、1か月が28日で、毎月1日は日曜日と決まっているので、毎月必ず「13日の金曜日」があります。ある意味、とても合理的な暦です。

第1号の「Sable(砂)」は、パタフィジック暦では4月、西暦では12月1日から12月28日に相当します。「Sable 138 EP(December 2010 vulg)」は、パタフィジック暦138年4月(西暦2010年12月)ということ。
第20号の「Phalle(ファロス)」は、パタフィジック暦では13月、西暦では8月11日から9月7日に相当します。 「Phalle 146(August 2019v.)」は、パタフィジック暦146年13月(2019年8月)になります。

『ロンドン・パタフィジック協会会報(The Journal of the London Institute of ’Pataphysics)』扉

▲『ロンドン・パタフィジック協会会報(The Journal of the London Institute of ’Pataphysics)』扉

『ロンドン・パタフィジック協会会報』は、
 「294. 1990・1991年の『THE PRINTED HEAD』第1巻(2019年12月26日)
 『295. 1992・1993年の『THE PRINTED HEAD』第2巻(2019年12月27日)
 「296. 1993年~1996年の『THE PRINTED HEAD』第3巻(2019年12月30日)
 「297. 1996年~の『THE PRINTED HEAD』第4巻(2019年12月31日)
で紹介した『THE PRINTED HEAD』シリーズ同様、アトラス・プレス(ATLAS PRESS)から刊行されています。ページ数は最小8ページ(CD2枚付)から194ページまで、だいたい100ページ弱、発行部数は201部から501部で、基本的に限定版です。

第1号は、345部刷られ、ローマ数字のI~XXXXIVには会長印が押され、それ以外にはアラビア数字の1~301がナンバリングされています。

今思えば『THE PRINTED HEAD』同様、定期購読しておけばよかったのですが、『ロンドン・パタフィジック協会会報』は、刊行されるごとに購入していったので、手もとにある会報各号のナンバリングはバラバラになっています。

 

『ロンドン・パタフィジック協会会報(The Journal of the London Institute of ’Pataphysics)』目次

▲『ロンドン・パタフィジック協会会報(The Journal of the London Institute of ’Pataphysics)』刊記と目次

会報第1号の目次は、

 ■Introduction
 ■Dr.Mises(Gustav Theodor Fechner)「The Comparative Anatomy of Angels」Translated by Malcolm Green
 ■Alfred Jarry「Filiger」Translated by Dennis Duncan
 ■Robert Irwin「Extract from 『The Book of the Astrolabe』」

挿絵には、ピーター・ブレグヴァドの作品も使われています。

グスタフ・テオドール・フェヒナー(Gustav Theodor Fechner、1801~1887)は、ドイツの科学者、哲学者。フェヒナーが「ドクトル・ミゼス」の変名で発表した「天使の比較解剖学」の英訳が、第1号の作品に選ばれています。
アルフレッド・ジャリが高校生のとき、哲学者のアンリ・ベルグソン(Henti Bergson、1859~1941)が先生で、その講義でフェヒナーについて言及して、ジャリのパタフィジックの発想源になったとされています。

ジャリの「フィリジェ(Filiger)」 は、フランスの画家シャルル・フィリジェ(Charles Filiger、1863~1928)についての文章。
1894年、ジャリがフランスのポン=タヴァン(Pont-Aven)の芸術家共同体に暮らすフィリジェとポール・ゴーギャン(Paul Gauguin、1848~1903)を訪ねたときのことを書いたもので、その中でフェヒナーの「天使の比較解剖学」について、言及しています。

『ロンドン・パタフィジック協会会報』第1号の刊記によれば、
会報の編集委員(Editorial Committiee)は、Peter Blegvad、Alastair Brotchie、Robert Irwin、Kevin Jacksonの4人。
校閲・編集(Proofing and copy-editing)は、Chris Allen。 追加協力(additional contribution)は、Tara Woolnoughとあります。

ピーター・ブレグヴァドは、このサイトで何度も取り上げていますがミュージシャンで画家。
アラステア・ブロッチー(Alastair Brotchie)は、アトラス・プレスの編集者で、アルフレッド・ジャリの研究者。
ロバート・アーウィン(Robert Irwin)とケヴィン・ジャクソン(Kevin Jackson)は共に作家で、パタフィジシャンです。

第1号では、会報編集委員ロバート・アーウィンの未発表作品『アストラーべの書(The Book of the Astrolabe)』からの抜粋を掲載しています。

ロバート・アーウィンのアラビアン・ナイトについての本は邦訳もあります。
最初、ロンドン・パタフィジック協会会報の編集委員ロバート・アーウィンと同一人物とは、すぐには気づきませんでした。


ロバート・アーウィン 西尾哲夫・訳『必携アラビアン・ナイト―物語の迷宮へ』 (1998年、平凡社)

▲ロバート・アーウィン 西尾哲夫・訳『必携アラビアン・ナイト―物語の迷宮へ』 (1998年1月14日初版第1刷発行、平凡社)

 

ロバート・アーウィン 若島正・訳『アラビアン・ナイトメア』(1999年、国書刊行会)

▲ロバート・アーウィン 若島正・訳『アラビアン・ナイトメア』(1999年9月30日初版第1刷発行、国書刊行会)

 

『ロンドン・パタフィジック協会会報(The Journal of the London Institute of ’Pataphysics)』第1号巻末の近刊予告

▲『ロンドン・パタフィジック協会会報(The Journal of the London Institute of ’Pataphysics)』第1号巻末の近刊予告

第1号巻末の次号の予告では、ピーター・ブレグヴァドによる「科学」的テキストと、ケヴィン・ジャクソンとロバート・アーウィン編になるヴィクトリア期・エドワード期の科学者についてのテキスト2冊を準備中とありましたが、後に刊行されたものを見ると、予定通りにはいかなかったようです。

 

『ロンドン・パタフィジック協会会報』20号〈Phalle 146(August 2019v.)〉に挟まっていたおまけ冊子

▲『ロンドン・パタフィジック協会会報』20号〈Phalle 146(August 2019v.)〉に挟まっていたおまけ冊子
本に挟まっているちらしや冊子が、思いがけず役立つときがあります。
20号には、『Calendier Pataphysiqve PERPETVEL』〈1 Absolu 147(2019年9月8日のジャリの誕生日に刊行)〉という、パタフィジック暦についての冊子(16ページ)が挟まっていて、西暦とパタフィジック暦を比べることができます。

今日、西暦2020年4月4日(土)は、パタフィジック暦では、147年8月(Clinamen)13日にあたるようです。
ということは、今日は、13日の金曜日でもあります。用心が必要な日です。

 

 

四月、鹿児島のクスノキ01

四月、鹿児島のクスノキ

4月2日 鹿児島のクスノキ

 

鹿児島のカンザクラ

4月2日 鹿児島のカンザクラ 

 

鹿児島のソメイヨシノはまだつぼみ

4月2日 鹿児島のソメイヨシノは、まだつぼみ

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

 

新型コロナウィルス、covid-19のニュースで、懐かしい名前が去って行ったことを否応なく知らされます。


アラン・メリル(Alan Merrill、1951~2020)。
アラン・メリルのバンド、アローズ(Arrows)のCDを1枚持っていたような気がするのですが、探しても出てきません。
コンピレーション盤に入っているアローズの曲でしのびます。

『The Best GLAM ROCK Album in the World...Ever!』

▲『The Best GLAM ROCK Album in the World...Ever!』(1998年、EMI/Virgin)
1990~2000年代のEMI/VirginのCDコンピ「The Best... Album in the World...Ever!」シリーズの1枚から
Arrows「I Love Rock 'n' Roll」(1975年)を。
このコンピ盤のクレジットでは「I Love Rock And Roll」となっていますが、やはり「I Love Rock 'n' Roll」でしょう。

 

『甘美のロックン・ロール(B級)』

▲『甘美のロックン・ロール(B級)』(1995年、東芝EMI)
ローリー寺西セレクションのコンピ盤から
アローズ「町一番のブギ・バンド」/Arrows「The Boogiest Band In Town」を。
このコンピ盤は、ジャケットのイラストに、長く沈黙していた『マカロニほうれん荘』の鴨川つばめを引っ張り出したことも画期的でした。

 

そして、ファウンテンズ・オブ・ウェイン(fountains of wayne)のアダム・シュレシンジャー(Adam Schlesinger、1967~2020)。

ファウンテンズ・オブ・ウェイン(fountains of wayne)『ユートピア・パークウェイ(Utopia Parkway)』

▲ ファウンテンズ・オブ・ウェイン(fountains of wayne)『ユートピア・パークウェイ(Utopia Parkway)』(1999年、ワーナーミュージックジャパン) ファウンテンズ・オブ・ウェインの2枚目のアルバムから、タイトル曲の「ユートピア・パークウェイ(Utopia Parkway)」を。

Gonna brace myself for the big attack (大きな攻撃に備えよう)
And they'll never what hit them when I'm gone (みんなは何が襲ってきたのか分からないだろう、私がいなくなったとき)

という歌詞が違った意味にも聴こえてきます。

 

このアルバムを手にしたのは、『ユートピア・パークウェイ(Utopia Parkway)』というタイトルが理由でした。

アメリカ、ニューヨークのクイーンズ区にあるユートピア・パークウェイ(Utopia Parkway)は、1920年代に農地を造成してできた住宅分譲地で、そこには、箱の芸術家、ジョセフ・コーネル(Joseph Cornell、1903~1972)も住んでいました。
もっとも、ジョセフ・コーネルと、ファウンテンズ・オブ・ウェインのアルバム『ユートピア・パークウェイ』に結びつきはなかったのですが。


ジョセフ・コーネルの評伝、 デボラ ソロモン著 林寿美・太田泰人・近藤 学=訳『ジョゼフ・コーネル — 箱の中のユートピア』(2011年、白水社)の原題は、『UTOPIA PARKWAY: The Life and Work of JOSEPH CORNELL』で、そのジョセフ・コーネルが暮らした町の名前がタイトルになっていました。

 

Deborah Solomon『UTOPIA PARKWAY: The Life and Work of JOSEPH CORNELL』

▲Deborah Solomon『UTOPIA PARKWAY: The Life and Work of JOSEPH CORNELL』(1997年、Farrar,Straus and Giroux)

「UTOPIA PARKWAY」、直訳すれば「理想郷公園道」。
20世紀に生まれた「自由が丘」「美しが丘」のような造成地と同じようなセンスでつけられた地名なのでしょう。
そういう場所からジョセフ・コーネルのようなアーティストが生まれたのは、20世紀の救いだと思います。

 

 

コロナウィルスのことから離れて、大好きなカンタベリー系の音楽のことを検索していたら、Bandcampで、Zoppという新しいグループを見つけて、一聴、好きになりました。絵に描いたようなカンタベリー系の音です。
デビューアルバムが、2020年4月に出たばかりで、BandcampでCDを注文。
このご時世、CDはいつ届くか分かりませんが、WAVファイルもデジタルダウンロードできるので、繰り返し聴いています。
ノスタルジーという悪徳にだいぶ傾いているのかもしれませんが、コロナウィルスがもたらす憂鬱とは違って、この、ここちよい憂鬱には、ほっと一息つくことができます。
これでヴォーカルがリチャード・シンクレアだったりしたら、Hatfield and the Northの新譜かと思ってしまいそうです。

鍵盤と弦楽器の Ryan Stevenson と打楽器の Andrea Moneta の2人組。未知の人でした。イギリス、Nottinghamのグループですので、実際の「カンタベリー」系というのは無理がありますが、木管楽器のゲストとして Theo Travis の名があるので、カンタベリー・ファミリー・ツリー2020年増補版があるとしたら、つなげて書き足せそうです。

 

2020Zopp01

2020Zopp02

▲Zopp『Zopp』(2020年、Bad Elephant)

 

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303. 1976年の別役実『虫づくし』(2020年3月15日)

1976年の別役実『虫づくし』表紙


3月3日に別役実さんが亡くなったというニュースがありました。1937~2020。
本棚から別役実さんの本を引っ張り出して、その「ぼくのおじさん」的な語りをしのんでいます。

多くの人にとって、「劇作家・別役実」だったのでしょうが、わたしの本棚に並んでいるのは「ものづくし」シリーズなどの随筆に偏っていて、わたしにとって別役実は、なにより「随筆家」です。それも「人を食った」随筆家です。
本の内容は、読んだ先から忘れてしまっているのですが、その語り口ゆえに、お話をねだるように新刊が出るのを楽しみにしていました。
別役実も、天沢退二郎、児玉達雄と同様、満州育ち。個人的に、1945年から1946年を満州で過ごした子どもだった書き手に魅かれるという面もあったのかなと思います。

最初は『虫づくし』でした。
本が先ではなく、NHK-FMの『ふたりの部屋』という番組で放送された、常田富士男(1937~2018)が朗読する『虫づくし』全10回(1979年)が毎晩楽しみでした。
それがきっかけで本を探しました。『虫づくし』は、なかなか見つからない本だった記憶があります。

『ふたりの部屋』では、別役実の『道具づくし』(1984年、大和書房)をもとにした『別役実の道具箱』も放送されましたが、朗読はすまけい(1935~2013)で、その語りは、話を嘘と知りながら、もっともらしく語るスタイルだとしたら、『虫づくし』の常田富士男は、話の真偽はさだかでなく、もしかしたら本当かもしれないと感じさせる語り口で、常田富士男の朴訥な語りが好みでした。

1980年には、『虫づくし』をもとにした朗読劇『日本昆虫学会特別講演』が上演されていて、中村伸郎(1908~1991)が演じています。
どんな語りだったのでしょう。これは見て聴いてみたかったです。

写真の右側は、『虫づくし』1976年の初版、左側は1982年の第8刷。
第8刷が出ているということは、相当売れたということなのでしょう。今思うと、どうして見つけにくい本だったのか、不思議です。
表紙カバーは両方とも日焼けしているということもありますが、かなり色味が違います。

 

別役実『虫づくし』(烏書房) 上は1976年の初版、下は1982年の第8刷の表紙カバー。

▲別役実『虫づくし』(烏書房) 上は1976年の初版、下は1982年の第8刷の表紙カバー。

 

別役実『虫づくし』(烏書房) 1976年の初版表紙

別役実『虫づくし』(烏書房)1982年の第8刷の表紙

▲別役実『虫づくし』(烏書房) 上は1976年の初版の表紙、下は1982年の第8刷の表紙。
初版の製本所は美成社で、表紙は布クロス。
第8刷の製本所は岩佐製本で、表紙は紙クロス。

 

別役実『虫づくし』(烏書房) 1976年の初版の奥付

別役実『虫づくし』(烏書房) 1982年の第8刷の奥付

▲別役実『虫づくし』(烏書房) 上は1976年の初版の奥付、下は1982年の第8刷の奥付。
1976年1月10日発行の初版第1刷
1982年4月1日発行の第8刷
Design. Illustration ― 川島行雄

初版奥付では、発行所が「烏山書房」となっていますが、ほかはすべて「烏書房」。住所の烏山が由来となっているようです。

 

『虫づくし』のときは、虫についてのテキストの書き手として「ユージンキナミ」というキャラクターがいたのですが、「づくし」ものが書き継がれるなかで、「ユージンキナミ」はいつの間にか消失しました。そういえば、いつ失踪したのでしょうか。

 

『虫づくし』には、次のようなテキストが収録されています。

「虫は虫である」
「水虫」「たむし」「さなだ虫」「ごきぶり」「みみず」「なめくじ」「けじらみ」「回虫」「うじむし」「だに」「ナンキン虫」「くも」「精虫」「げじげじ」「へっぴり虫」「かたつむり」「いもむし」「蚊」「ごきぶり(再)」「あり」「はち」「はりがね虫」「はえ」「アオムシ」「いなご」「長虫」「きくむし」「オドリバエ」「が」「こおろぎ」「あり(再)」「尺取り虫」
「虫的兆候について」

 

初版にあった虫の羽の口絵

初版にあった虫の羽をモチーフにした口絵が、手持ちの第8刷には入っていません。
初版と第8刷では、だいぶ本の作りに違いがあります。

 

別役実のづくしもの

別役実のエッセイで、まず「づくし」がタイトルにあるものを並べてみます。
ここには含めていませんが『当世もののけ生態学』(1993年、早川書房)は、文庫化されるとき『もののけづくし』と改題しています。

 

『けものづくし 真説・動物学大系』(1982年、平凡社)

『けものづくし 真説・動物学大系』(1982年、平凡社)
1982年9月25日初版第1刷
絵=玉川秀彦 装丁=遠藤勁

「いるか」「らくだ」「猿人」「蛇」「猫」「ユニコーン」「コヨーテ」「ボンゴ」「チーター」「虎」「犬」「ライオン」「牛」「ぬえ」「きりん」「亀」「アメンシット」「にわとり」「くま」「アイアイ」「コウモリ」「狒狒」「もぐら」「象」「にんげん」「動物園」

 

『道具づくし』(1984年、大和書房)

『道具づくし』(1984年、大和書房)
1984年2月25日初版発行
手もとにあるは、1984年4月20日発行の第3刷。
装画 御狂言楽屋本説より
装幀 菊地信義

「おいとけさま」「くちおし」「ゆこい」「みがきおび」「たんげ」「とぜんそう」「しだりを」「ほぞ」「はなじごく」「かねたたき」「じだんだ」「したすさび」「うどんげ」「あなまどい」「こだま」「はだなだめ」「あじけ」「ふんどし」「ほとふたげ」「はし」「わらいげら」「おひねり」「ゆびぬき」「もののけ」「じゃのめ」「したまゆ」「くさめまねき」「けぬき」「おくれおけ」「ごまみそずい」「はなぎせる」「てげた」「つみつまみ」「たしなみぶえ」「ゆびしるべ」「さいなみそう」「にーちょん」「はらがけ」「はなこそぎ」「めみずうけ」「しらみひも」「ゆびいれ」「あがりがまち」「かわやだんご」「うしろめ」「あうんじゃく」「うしろがみ」「しみずぶくろ」「しょうじめ」「じだんだ」「まんきんたん」

 

『鳥づくし 続真説・動物学大系』(1985年、平凡社)

『鳥づくし 続真説・動物学大系』(1985年、平凡社)
1985年7月10日初版第1刷発行
絵=玉川秀彦 装丁=遠藤勁

「鳥は鳥であるか」「カンガルーは鳥ではない」「鳥はほとんど鳥である」「はととは」「よたかはよたか」「すずめとうまずめ」「鳴いて血を吐くほととぎす」「雉も鳴かずば」「ぶっぽうそうと電信柱」「つるとかめとすべった」「威風ドードー」「白鳥の歌」「番がちょう」「ふくろふくろう」「帰るつばめ」「もずが枯木で」「とんびにあぶらげ」「梅にうぐいす」「こうのとりの贈り物」「トキに感じて花に涙を」「唄を忘れたかなりや」「うみねこのひげ」「鳳凰群鶏と争わず」「あびで鯛を釣る」「鶏の空音」「バード・ウォッチングの正しいはじめ方」

 

『魚づくし 続々真説・動物学大系』(1989年、平凡社)

『魚づくし 続々真説・動物学大系』(1989年、平凡社)
1989年1月28日初版第1刷発行
絵=玉川秀彦 装丁=遠藤勁

「序 中庸の道」「ひょうたんなまず」「河童の川流れ」「はつがつを」「たつのおとしご」「すずき」「さめ」「なまこ」「どじょう」「おおさんしょううお」「ふぐ」「いわし」「きんぎょ」「いせえび」「こい」「ごんずい」「シーラカンス」「ちかめきんとき」「さんま」「おたまじゃくし」「たこ」「ふな」「あんこう」「にんぎょ」「さば」「にしん」「くらげ」「てれすこ」

 

2001さんずいづくし

『さんずいづくし』(2001年、白水社)
2001年4月10日発行
装幀 江口称弘

「はじめに」「落ちる」「流れる」「溶ける」「滑る」「消える」「泣く」「泳ぐ」「洗う」「決める」「浮かぶ」「演ずる」「満たす」「汚す」「漂う」「治める」「潜る」「浴びる」「渡る」「滞る」「泊る」「測る」「塗る」「潰す」「添う」「漏れる」「潤う」「浚う」「減る」「没する」「溢れる」「滴る」「漁る」「清める」「汲む」「混じる」「渇く」「湧く」「注ぐ」「染みる」「濁る」「温める」「沸かす」「済む」「渋る」「涸れる」「漉す」「湿る」「あとがき」

 

こうした「~づくし」は、日本的な様式なのでしょうか。
フランスの研究者が書いた『物尽し』という本もあります。

ジャクリーヌ・ピジョー 寺田澄江・福井澄訳『物尽し 日本的レトリックの伝統』(1997年、平凡社)

ジャクリーヌ・ピジョー 寺田澄江・福井澄訳『物尽し 日本的レトリックの伝統』(1997年、平凡社)
1997年11月19日初版第1刷
装幀 東幸央

 

別役実エッセイ

続いて、タイトルに「~づくし」はありませんが、スタイルとしては同じ別役実のエッセイを並べてみます。

 

『別役実の名画劇場 パロディ・シアター』(1985年、王国社)

『別役実の名画劇場 パロディ・シアター』(1985年、王国社)
1985年9月30日初版発行
装幀 ― 菊地信義

「はじめに」「二幕の田園風景―ミレー画」「画家とモデル―ゴヤ画」「そして誰もいなくなった―ゴッホ画」「神とその妻―ブリューゲル画」「食前の祈り―ルソー画」「王子と侍従―ルノアール画」「王女の成長―ベラスケス画」「トゥルプ博士の解剖学講義―レンブラント画」「ヴィーナスと医者―ボッティチェルリ画」「愚者の石―ボッス画」「手紙を読む女―フェルメール画」「旅路の涯て―ロートレック画」「知らなかった男―ファン・アイク画」「成長―フラゴナール画」「愛とリアリズム―ルーベンス画」「こんにちは、クールベさん―クールベ画」「ナポレオンの十五年―ダヴィッド画」〈「モナ・リザ」を克服する―ラファエロ画〉「うすれ日―あとがきに代えて」

 

『当世・商売往来』(1988年、岩波新書)

『当世・商売往来』(1988年、岩波新書)
1988年1月20日第1刷発行

「総会屋」「セールスマン」「地見師」「両替屋」「お笑いタレント」「ペット・ショップ」「保険金取得業」「探偵」「ダフ屋」「カメラマン」「押し屋」「料理評論家」「自動販売機」「こえかい」「喫茶店」「示談屋」「有名人」「やくざ」「行列屋」「銭湯」「宗教家」「電話の時間貸し屋」「俳優」「緑の小母さん」「動物園」「当り屋」「主婦」「つなぎや」「いたこ」「君主」「あとがき」

 

『別役実の当世病気道楽』(1990年、三省堂)

『別役実の当世病気道楽』(1990年、三省堂)
1990年1月20日第1刷発行
装幀=春井裕

「病気の時代」「風邪」「腹痛」「花粉症」「歯痛」「水虫」「梅毒」「不眠症」「しゃっくり」「すり傷」「脱毛症」「拒食症」「腎虚」「病気病」「肥満症」「便秘」「痛風」「チブス」「エイズ」「疝気」「寡黙症」「ポックリ病」「がん」「出産」「鼻痛」「馬鹿」「粘視」「天然痘」「夜尿症」「寄生虫」「喫煙症」「同性愛」「開放症」「はしか」「痔」「あとがき」

 

『イーハトーボゆき軽便鉄道』(1990年、リブロポート)

『イーハトーボゆき軽便鉄道』(1990年、リブロポート)
1990年1月10日初版第1刷発行
挿画 織田信生
装幀 平野甲賀

「イーハトーボ探索の旅―まえがき」「来なかったはがきの謎―どんぐりと山猫」「空白の六日間の謎―セロひきのゴーシュ」「振り返った世界―注文の多い料理店」「語られなかった事実―オツベルと象」「順おくりの不幸―なめとこ山の熊」「失われた十枚の幻燈―やまなし」「後方の疑惑との闘い―北守将軍と三人兄弟の医者」「批評しない批評―洞熊学校を卒業した三人」「小さな組織の力学―猫の事務所」「不条理の団長―カイロ団長」〈「むこう」と「こちら」をつなぐ日―水仙月の四日〉「汽車の中の月夜―月夜のでんしんばしら」〈「お化け」の世界の息づかい―ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記〉「平行する二つの時間と空間―グスコーブドリの伝記」「レコーノ・キュースト氏の五つの冒険―ポラーノの広場」「名づけようもないものへの回路―よだかの星」「後姿が語るもの―鹿踊りのはじまり」「王様へのとめどもない方向―双子の星」「ホモイの転落―貝の火」「違いと共有―ざしき童子のはなし」〈「カンカラカンのカアン」の世界―かしはばやしの夜〉「すりかえ自由の世界―タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」〈「黒坂森」の哀しい「分別」―狼森と笊森、盗森〉〈「高田三郎」は「風の又三郎」か―風の又三郎 その1〉「鉱山技師と山師―風の又三郎 その2」「うちわと木の葉―風の又三郎 その3」「人が神を必要とする時―ひかりの素足」「ベーリング行の不思議な旅―氷河鼠の毛皮」「四月の不安―山男の四月」「情景としての死―二十六夜」「謎のイーハトブへの案内書―毒蛾」「二つの世界の出合い―雪渡り」「複合体としての生命体―烏の北斗七星」「ベゴ石の悲劇―気のいい火山弾」〈「ツェねずみ」の戦術―ツェねずみ〉「三角関係のドラマ―土神ときつね」「ガドルフと曖昧な犬―ガドルフの百合」「自然の善意と悪意―よく利く薬とえらい薬」〈「だましだまされ」話―とっこべとら子〉「おわりからはじめる―銀河鉄道の夜 その1」〈「父なるもの」と「母なるもの」―銀河鉄道の夜 その2〉〈「母なるもの」からの独立―銀河鉄道の夜 その3〉「父への旅―銀河鉄道の夜 その4」「父としての鳥捕り―銀河鉄道の夜 その5」〈「大いなる父親」―銀河鉄道の夜 その6〉「二つの三角関係―銀河鉄道の夜 その7」「ぼんやりと白いもの―銀河鉄道の夜 その8」「カムパネルラの中立―銀河鉄道の夜 その9」「もうひとつの三角関係―銀河鉄道の夜 その10」

 

『日々の暮し方』(1990年、白水社)

『日々の暮し方』(1990年、白水社)
1990年2月10日発行
装幀=長新太

「正しい退屈の仕方」「正しいお散歩の仕方」「正しい亀の飼い方」「正しい煙草の喫い方」「正しい風邪のひき方」「正しい笑い方」「正しい家族のあり方」「正しい誘拐の仕方」「正しい狩猟生活の仕方」「正しい待ちあわせの仕方」「正しい自転車の乗り方」「正しい黙り方」「正しいあいさつの仕方」「正しい夢の見方」「正しい夏休みの過し方」「正しいお別れの仕方」「正しいファッションのあり方」「正しい座持ちの仕方」「正しい電信柱の登り方」「正しい死体の取り扱い方」「正しいものの捨て方」「正しい休息の仕方」「正しいお花見の仕方」「正しいものもらい方」「正しい身の隠し方」「正しい禿げ方」「正しい癖のあり方」「正しい手術の仕方」「正しい死別の仕方」「正しい地下鉄の乗り方」「正しいつねり方」「正しい歯痛の痛がり方」「正しい小指の曲げ方」「正しい目の覚め方」「正しい日記の書き方」「正しい盲腸の使い方」「正しいあくびの仕方」「正しい鉢植の飼い方」「正しい調髪の仕方」「正しい笑い方」「正しい歌の歌い方」「正しい風の吹き方」「正しいジャンプの仕方」「正しい立小便の仕方」〈正しい「あとがき」の書き方〉「あとがき」

 

別役実・玖保キリコ『現代犯罪図鑑』

別役実・玖保キリコ『現代犯罪図鑑』 シリーズ【物語の誕生】(1992年、岩波書店)
1992年1月30日第1刷発行
装丁◎鈴木一誌

「ありのままの事件」「四畳半の故意」〈「関係」の死角〉「リレーされた犯罪」「夫婦の事件」「行為なき犯罪」「バラバラ事件考」「噂の犯罪」〈「無言」による攻撃〉「船の犯罪」〈「劇中劇」の中の「死」〉〈「安全な場所」の不条理〉「一日延ばしの事件」「永遠の予備軍」「冗談による脅迫」「安楽死」「切れた共謀関係」「わかっている事件」「切れ切れの事件」「大胆な事件」「弱者の犯罪」「アリバイのある犯人」

 

『教訓 汝、忘れる勿れ』(1993年、王国社)

『教訓 汝、忘れる勿れ』(1993年、王国社)
1993年4月30日初版発行
装幀 ― 本山吉晴

〈[教訓]の物理学〉〈「徳目」を身につける〉「黙る勿れ」「しゃんとする勿れ」「展望する勿れ」「我に返る勿れ」「笑う勿れ」「メモする勿れ」「ちょっと待つ勿れ」「健康たらんとする勿れ」「くしゃみする勿れ」「私たる勿れ」「とどまる勿れ」「読む勿れ」「リラックスする勿れ」「忘れる勿れ」〈「メディア」を読みとる〉「メディアという同時代が語りかける」「メディアという劇場で演じられる」〈博物館の「狂気」を見学する〉〈「時流」をあやつる〉「家庭という関係の病気」「対人関係のバランス感覚」「伝言ダイヤルによる架空の定点」「四万人の子供たちの拒絶反応」「耳栓と朝シャンと潔癖性」「何もしないでもいい中間地帯」「ニッポンダンジとニホンナンジが混在する」〈「現実」が「亜現実」によって侵食される〉〈「メルヘン」を味わう〉「宴の一瞬」「かぼちゃ島百貨店」

 

『別役実の人体カタログ』(1993年、平凡社)

『別役実の人体カタログ』(1993年、平凡社)
1993年7月19日初版第1刷発行
絵=玉川秀彦 装丁=遠藤勁

〈序「福笑い」の時代〉「鼻」「眼」「耳」「口」「髪」「舌」「首」「肘」「骨」「心臓」「手」「背中」「首」「角」「INAH3」「しゃれこうべ」「肺」「尻」「胃」「脳」「臍」「肝臓」「腸」「膵臓」「泌尿生殖器」「肉」「たましい」「血」「あとがき」

 

『思いちがい辞典』(1993年、リブロポート)

『思いちがい辞典』(1993年、リブロポート)
1993年8月10日第1刷発行
装幀・・・菊地信義

「アネサンニョウボウ 姉さん女房」「ウマズメ 石女」「オカメチンコ おかめちんこ」「オテンバ お転婆」「オバサン おばさん」「オンナグセ 女癖」「カマトト 蒲魚」「カンサツヘキ 観察癖」「キセイチュウカン 寄生虫館」「キョゲンヘキ 虚言癖」「キロクヘキ(1)(2) 記録癖(1)(2)」「キンロウヘキ 勤労癖」「ケイコウトウ 蛍光灯」「コウイッテン 紅一点」「コウシュウベンジョ 公衆便所」「コウモリガサ 蝙蝠傘」「コクハクヘキ 告白癖」「ゴケ 後家」「コーヒー 珈琲」「ゴム 護謨」「サトウ 砂糖」「ジテンシャ 自転車」「ジャガイモ 馬鈴薯」「シャシンキ 写真機」「シュウシュウヘキ 蒐集癖」「ショウガ 生姜」「セイケツヘキ 清潔癖」「センプウキ 扇風機」「タオヤメ 手弱女」「タバコ 煙草」「チクオンキ 蓄音機」「ツチフマズ 土踏まず」「テ 手」「デモドリ 出戻り」「テレビ てれび」「デンキュウ 電球」「デンシンバシラ 電信柱」「デンワキ 電話機」「ドウガラシ 唐辛子」「トウヘキ 盗癖」「トウモロコシ 玉蜀黍」「トマト 蕃茄」「ハシラドケイ 柱時計」「バナナ 実芭蕉」「ヒコウセン 飛行船」「ビコウヘキ 尾行癖」「ビジン 美人」「ホウカヘキ 放火癖」「ホウロウヘキ 放浪癖」「マジョ 魔女」「マヨウイヌ 迷う犬」「マンネンヒツ 万年筆」「ミミ 耳」「ムシメガネ 虫眼鏡」「ヤシ 椰子」「ユキオンナ 雪女」「ラッカセイ 落花生」「レイゾウコ(1)(2) 冷蔵庫(1)(2)」

 

『当世もののけ生態学』(1993年、早川書房)

『当世もののけ生態学』(1993年、早川書房)
1993年10月31日発行
本文イラスト―玉川秀彦
装幀―原研哉
ハヤカワ文庫に入るとき『もののけづくし』と改題して、「づくし」タイトルものに。

一 妖怪ウォッチングの心得―感性を研ぎ澄ませ 「ろくろくび」「ざしきわらし」「つめかみは」
二 進化の徒花―環境に過剰に適応したもの 「あずきわらい」「ねこまた」「かげろう」
三 高度な戦略―淘汰に勝ち抜くもの 「のっぺらぼう」「ひとつめこぞう」「さとり」
四 利己的行動―人間に寄生するもの 「ふんべつ」「これくらい」「かいせん」
五 いるような、いないような―擬態を使うもの 「どろたぼう」「じんめんじゅ」「いちもくれん」「うたかた」
六 人間やめますか?―近づかないほうがよいもの 「なみはぎ」「てもちぶさた」「こだまのあとだま」
七 きしみあったり、押しつけあったり―対人関係のあわいに生息するもの 「すなかけばばあ」「どうも」「あまんじゃく」
八 夜のあいつは朝のそいつか?―管理情報化社会に生息するもの 「あさぼらけ」「まくらがえし」
九 世界の熱いまなざし―経済界に生息するもの 「もったい」「ぎゃおす」
十 IUCY(国際妖怪保護連盟)指定の天然記念物怪―保護が必要なもの 「くだん」「けうけげん」「とりとめ」
あとがき

 

『カナダのさけの笑い』(1994年、弥生書房)

『カナダのさけの笑い』(1994年、弥生書房)
1994年9月10日初版発行
これは「~づくし」ものではない、普通のエッセイ集です。

I〈「死への関心」は要らざる口出し〉「放っといて協会」「生命に対する覚悟」「雲水行」「世界一の長寿、どこがめでたい」「物語りと関係」
II〈「匂い」ブーム〉「サングラス」「ぬいぐるみ文化」「嫌煙権運動」「コーモリ傘をさした人」「電話アレルギー」〈「お茶する?」〉「病気なしではやっていけなくなる」「万年筆と栄光」「散歩」「地図の思想」「湯とプライバシー」
III「犯罪評論家として」「犯罪を語る」〈「ファジー犯罪」の時代〉「やさしい犯罪」〈真の「誰か」を探して〉「抑圧―おびえる十四歳」「二つの事件」「ナメコ問題」「五十五億円のファンタジー」「犯罪における文体とレトリック」
IV「風が運ぶメッセージ」「原っぱと街」「向う横丁のお稲荷さん」「あさひやま」「人形町の末広」「卓袱台からテーブルへ」「電車とそうでないもの」「停車場は消えた」「街と塔」
V「アベベと円谷」「どうやら不況」「《素》」「何もしてない時間」〈今、「家族」が大きなテーマに〉「家族の表情」「智恵の継承」「子供は大人である」「サラリーマンという名乗り」「季節感と仕事」「鼻と暗闇」「恐竜時代」「本物そっくり恐竜ブーム」「猿まね」「装身具幻想」「カナダのさけの笑い」
「あとがき」

 

『左見右見(とみこうみ) 四字熟語』(2005年、大修館書店)

『左見右見(とみこうみ) 四字熟語』(2005年、大修館書店)
2005年11月1日初版第1刷
装丁者 山崎登

「焼肉定食」「謹厳実直」「豊年満作」「八方美人」「白河夜船」「七転八起」「天変地異」「一病息災」「巧言令色」「温故知新」「天地無用」「右往左往」「閑話休題」「一望千里」「夜郎自大」「不老長寿」「付和雷同」「隔靴掻痒」「前虎後狼」「牛飲馬食」「有為転変」「百鬼夜行」「荒唐無稽」「優柔不断」「無我夢中」「不言実行」「我田引水」「一宿一飯」「飛耳長目」「多生之縁」「日常茶飯」「羽化登仙」「軽佻浮薄」「色即是空」「鶏口牛後」「支離滅裂」「意馬心猿」「震天動地」「暗中模索」「画竜点睛」「あとがき」

 

『さんずいあそび』(2006年、白水社)

『さんずいあそび』(2006年、白水社)
2006年11月10日発行
装丁 石江延勝
『さんずいづくし』の続編。

「はじめに」「濃」「潔」「浅」「淋」「渋」「涼」「淡」「激」「清」「汚」「薄」「淒」「深」「漸」「汁」「汗」「油」「泡」「湯」「港」「池」「海」「洞」「波」「法」「沼」「滝」「渦」「源」「汽」「潮」「涯」「酒」「溝」「渋」「涎」「淑」「滋」「注」「汝」「涼」「没」「染」「梁」「泊」「淫」「汐」「洟」「津」「派」「泥」「酒」「漫」「漢」「洋」「潜」「活」「洪」「浪」「浄」「水」「あとがき」

 

別役実の演劇作品の演者であった中村伸郎のエッセイも好きです。
劇場の中村伸郎を知らないので、思い浮かぶの小津安二郎の映画での中村伸郎ばかりなのですが、
中村伸郎の朗読する別役実の『虫づくし』を聴いてみたかったです。

中村伸郎『おれのことなら放つといて』『永くもがなの酒びたり』

中村伸郎『おれのことなら放つといて』(1986年、早川書房)
1986年2月28日発行
装画 中村伸郎

中村伸郎『永くもがなの酒びたり』(1991年、早川書房)
1991年8月15日発行
装画 中村伸郎
装幀 多田進

『永くもがなの酒びたり』に収録された「別役さんと私」に、次のようにありました。

 別役さんと会食をすると、彼はコップ一杯のビールを少しずる飲む、うまくなさそうな顔をして・・・・・・。私はビール一本が適量で、弱いからそれだけで酔ってしまう。
 雑談のあい間に、たまには私も一寸むずかしい質問をしてしまい、別役さんが答えて下さるが、あとで思い出してみて正確に覚えていないことが判り、酔余とは言えこれでは失礼に当ると気がつき、以来忘れていい話しかしないことに決めている。

別役実のエッセイもまた、酒の席の「忘れていい話」みたいなものだったかもしれません。
だからといって、価値がないもの、ということではありません。
その共にいた時間の、語りの余韻は、ずっと残っています。

 

 

鹿児島市の滑川通りを通ると、店頭で気持ちよさそうに昼寝している猫がいました。
その猫、マロンちゃんがなくなったそうです。店頭に祭壇がつくられていました。

2020マロンちゃん

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

 

『miniatures(ミニチュアーズ)』(1980年、Pipe。写真は1994年のVoiceprint盤のCD)

モーガン・フィッシャーの企画で、いろんなアーティストに1分未満の曲を依頼し、51曲集めた編集盤『miniatures(ミニチュアーズ)』(1980年、Pipe。写真は1994年のVoiceprint盤のCD)からアンディ・パートリッジの「ザ・ヒストリー・オブ・ロックン ・ロール」を。
1分に濃縮された壮大なロック史。

 

『miniatures(ミニチュアーズ)』(1980年、Pipe。写真は1994年のVoiceprint盤のCD)

2000年に続編の『miniatures(ミニチュアーズ)2』が出ています。

ということは、それから20年経った今年、『miniatures(ミニチュアーズ)3』が出ても、おかしくありません。

 

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302. 1973年の『詩稿 25』と1976年の『詩稿 32』(2020年3月7日)

1973年の『詩稿 25』と1976年の『詩稿 32』


古本屋さんに見なれない古雑誌の束があると、わくわくします。

先日、古本屋さんの棚をのぞいていたら、1950年~1960年代の鹿児島の文芸同人誌『南日本文学』の束があって、そのなかに、井上岩夫編集の『詩稿』の17号、25号、32号もまじっていました。「第258回 1966年の『詩稿』10号(2019年2月22日)」「第259回 1961年の『詩稿』1号(2019年2月24日)」で紹介した、児玉達雄旧蔵の『詩稿』は、1、2、3、10、11、13、14、17、20、22、23号の11冊。
鹿児島の古書店でもなかなか見かけない雑誌なので、ありがたく分けてもらいました。

この『詩稿』17号、25号、32号の旧蔵者は、『南日本文学』同人だった佐藤剛氏のようです。
『詩稿』25号には、佐藤剛の『詩稿』への最初の作品「鎮魂歌」が掲載されています。

『南日本文学』の束をはじめて見た日は、その『詩稿』3冊と、児玉達雄の作品が掲載された1958年10月の『南日本文学』復刊一号だけを分けてもらって帰ったのですが、別の日に古本屋さんに行ってみると、その『南日本文学』の束は、ほとんどなくなっていました。
こうしたものに関心を持たれる方がいらっしゃるんだと、ほっとしました。

まだ少し残っていたので、残っていたものを分けてもらいました。

 

『詩稿』25

昭和48年(1973)12月27日印刷発行
印刷 やじろべ工房
詩稿社

大山芳晴・詩「げた」「居間で」、井上岩夫「入院日記より」・詩(四篇)「点滴を受ける女」「大学病院の秋」「神様がかくしてしまわれたのさ」「日記」、中山朋之「中原中也論」・詩(三篇)「にわとり」「妹」「魂迷」、児玉達雄「煙」・詩「二重窓」、真木登代子「雑詠五十首」、夏目漠「ゆめへの幽閉」・詩(二篇)「海の旅」「光こそ」、佐藤剛「鎮魂歌」、井上岩夫近刊詩集「荒天用意」

児玉達雄「煙」は、従兄の今給黎至の詩についてのエッセイ。

『詩稿』32

昭和51年(1976)12月5日発行
編集・発送人 中山朋之
発行人 井上岩夫
印刷 やじろべ工房
表紙・カット 井上岩夫

児玉達雄・詩「ガス室」「ガラス室」、夏目漠・詩「秋深まれば」「冬の朝」、羽島さち・詩「灯」、藤井令一・詩「地唄舞」・随想「沈黙との対峙」、大山芳晴・詩「挽歌」、茂山忠茂・詩「アスファルトの空」、中山朋之「詩集評」・詩「バンザイ・クリフ」、井上岩夫・詩「義足」、岡田哲也・詩「草木黄落の歌」、酒井学・詩「噴水」、大島遙「衛門」

『詩稿』17 浜田遺太郎遺作特集

昭和43年(1968)8月25日発行
編集 児玉達雄
印刷・発行 井上岩夫
佐藤剛のものと思われる鉛筆の書き込みがあります。

この「浜田遺太郎遺作特集」については、「第261回 1971年の『浜田遺太郎詩集』(2019年2月26日)」でも書いています。

 

あまりものにも、福あるのでしょうか。

南日本文学・鹿児島雑筆

『南日本文学 4 短篇小説特集』以外は、今回入手した雑誌です。

 

『南日本文学 4』の表紙3

▲『南日本文学 4』の表3。
鹿児島でいちばんのデパート、山形屋の広告なので、同人誌とはいえ営業力はあったのでしょう。
山形屋の営業時間が「開店9時30分 閉店5時30分 土、日曜は6時迄營業」だったことに驚いてしまいます。

『南日本文学』4 短篇小説特集

昭和28年(1953)5月15日発行
編集兼発行人 有馬繁雄
発行所 南日本文学社
印刷所 久保印刷
表紙 梶塚莊三郎
この号は、今回購入したものではなく、以前に入手していたものです。

有馬繁雄「キノサルゲスの優等生」、天野薫「冒険」、堀公也「呂地の場合」、森山十四夫「紙ぎれ」、山路又八郎「白いえり布」。佐藤剛「失はれた季節(その1)」、岩下豊「たばこ」、宮木方郎「おれははたちを」、鮫島義一郎「たびのたより」、野間長門「第三の悲歌」、浜崎博司「母親になった元子」、牧瀬傳三郎「郷土詩壇の回想―私的交友などを中心として―」

牧瀬傳三郎「郷土詩壇の回想―私的交友などを中心として―」 には、次のような記述がありました。

岡山の「たてがみ」は間野捷魯の編集で当時高く評価されており藤田文江は有力な唯一の女流メンバーとして健筆をふるった。これによって彼女を全国的な存在としたと云へるであろう。その藤田文江は昭和十年(?)そのユニックな詩集「夜の声」一本を残して若い生涯を自ら断った。このことは昨日のことの様に鮮明によみがへる。仝氏がわれわれとの交友に示した好意も又忘れ得ぬことの一つである。このことについても他日書出してみたいと思う。

このころは、詩人・藤田文江(1908~1933)のことを鮮明に記憶している方がいらっしゃったのだと思いました。

 

『南日本文学 VI』表紙とガリ版のちらし「南日本文学友の会会報 No.1」

▲『南日本文学 VI』表紙とガリ版のちらし「南日本文学友の会会報 No.1」
この号には「南日本文学友の会会報 No.1」がはさみこまれていました。ガリをきったのは、鹿児島市平之町の「文化プリント社」。

『南日本文学』VI

昭和28年(1953)12月5日発行
編集人 堀公也
発行人 佐藤剛
発行所 南日本文学社
印刷所 日南印刷
表紙 堀公也

佐藤剛「失はれた季節(その二)」「作家と人間(前田純敬さんを迎えて)」、浜崎博史「塵芥」、浜元博「永遠の隣人」、堀公也「ウオーターメロン」、岩下豊「お山を越えて」、前田純敬「プレジデントクリーヴランド号にて」、新田頴健「前田純敬さんとのゆかり(特別寄稿)」、芝原豊「呪咀(A君の遺書から)」、西田博之「阿蘇登山と家村先生」、志賀愛子・越山正三・森山十四夫・古屋三四郎・松室加奈也・小林ひろ子「随想と小品」、有馬繁雄「バトンをゆずる」

 

『南日本文学 7』の表紙1と表紙4

▲『南日本文学 7』の表1と表4
「MBC ラジオ南日本」の広告。地上波テレビ放送は1953年に開始されていますが、まだまだラジオの時代です。

『南日本文学』7

昭和29年(1954)3月1日印刷発行
編集人 堀公也
発行人 佐藤剛
発行所 南日本文学社
印刷所 日南印刷

佐藤剛「都志子とその周圍」、三樹青生「赤道飛行」、西田博之「蔓草」、越山正三「深海魚」、堀公也「長崎鼻」、有馬繁雄「二つの土地」「遍路」、岩下豊「日本の青春」、古屋三四郎「渡し守り」、前野敬良「奄美大島の文学」、崎尾秀「大分縣文壇の現況」、前田純敬「六号雑記」

佐藤剛は、前田純敬に『南日本文学』6号の講評を依頼して、それが「六号雑記」です。

『南日本文学』8

昭和29年(1954)9月1日発行
編集人 堀公也
発行人 佐藤剛
発行所 南日本文学社
印刷所 文進社印刷
表紙 越山正三

黒木良子「老衰族」、浜元博「無力な神」、定栄利雄「願望(詩劇風に)」、土橋純孝「枯松」、古屋三四郎・西田博之・芝原豊・坂下詩泉・森千恵・津崎美義「小品」、梶原宇良・有村冬樹・上原幸之介・佐藤いつよ・柳田哲郎・田頭洋子「詩6篇」、崎尾秀・酒井学・鎮守一穂・前埜敬良「随想」

この時の編集同人は、椋鳩十・面高散生・曽山直盛・佐藤剛・浜元博・森山十四夫・堀公也・有馬繁雄・蟇左衛門(井上岩夫)の9名。

 

『南日本文学 10』の表紙裏

▲『南日本文学 10』の裏表紙。
春苑堂書店の広告。
鹿児島市の書店といえば、春苑堂書店、金海堂、吉田書店だった時代がありました。
それが、ジュンク堂、丸善、紀伊國屋、ブックスミスミに変わり、今また、ジュンク堂の縮小で、鹿児島の書店事情も新たなフェーズに入りそうです。

『南日本文学』同人の佐藤剛は鹿児島市の武町で「佐藤書店」を営んでいたようです。そこが「南日本文学社」の住所にもなっていました。

『南日本文学』10 現代詩特集号

昭和30年(1955)9月15日発行
編集人 堀公也
発行人 佐藤剛
印刷所 文進社印刷
井上岩夫による現代詩特集。
中村隆子・原田種夫・川畑淑子・河野正彦・福島和男・杢田瑛二・大野耕一・小野和之・箕輪昭文・首藤三郎・宮木方郎・有村冬樹・寺田みどり・梶原宇良・安部一郎・岩下豊・羽島さち・板橋謙吉・西田玲子・井上岩夫の詩。
麻生久「九州詩人懇話会について」、蟇左衛門「九州詩集へのお世辞」
三樹青生「銃口は何処へ(2)」、広瀬一子「生活の輪」、浜元博「黒衣と白い路」、堀公也「(同人雑語)批評ということ」、佐藤剛「編集後記」

 

『南日本文学』復刊一号の表紙

▲『南日本文学』復刊一号の表紙。

『南日本文学』復刊一号の目次

▲『南日本文学』復刊一号の目次。
兒玉達雄が「小説詩」と冠して「青年・その街」を寄稿。
児玉達雄が鹿児島で発表した最初期の作品と思われます。
編集後記に「前後数回に及んで自宅を会合の場所として提供下さった児玉氏御一家にも深く謝意を表しておきたい。」とありました。
3年の間を空けて復刊。その編集会議の場が平之町の「かごしま文化学院」だったと推測され、『南日本文学』復刊には、児玉達雄も関わっていたと思われます。

『南日本文学』復刊一号の裏表紙

▲『南日本文学』復刊一号の裏表紙。
磯公園の広告。このころは「磯庭園」「お猿の国」「尚古集成館」の三本柱だったようです。

『南日本文学』復刊一号

昭和33年(1958)10月10日発行
編集人 浜崎博司
発行人 岡本順
発行所 南日本文学社
印刷 モリ印刷
表紙 入来天

酒井学「日常から文学へ」、田中仁彦「私小説の一限界」、兒玉達雄「小説詩 青年・その街」、上畑敏男「たぬきの子」、広田亮一「桜島が爆發した」、曽山直盛「すんたらず」、堀公也「琉球(連載第一回)」

復刊巻頭は、小説や詩でなく、酒井学「日常から文学へ」、田中仁彦「私小説の一限界」という、2つの評論で始めています。
兒玉達雄の「小説詩 青年・その街」を掲載。(この号では「兒玉」と「児玉」両方あり、統一されていません。)
昭和30年(1955)夏以来の復刊。

 

『南日本文学』復刊号 VOL.1

昭和41年(1966)8月30日発行
編集人 堀公也
発行人 吉国八束
発行所 南日本文学社
印刷 南日本新聞社印刷局
表紙 上原正作

有馬繁雄「流木」「南日本文学創刊のころ」、佐藤剛「死の影」、大隅半弥「黒塚」、新田格「霧」、井上岩夫「マツの記憶」、広田亮一「悲しい七月」、福石忍「鹿児島のイメージ」、堀公也「百発百中」、吉国八束「日日是好日」、酒井学「作品創造になにが必要か」

福石忍「鹿児島のイメージ」は、「第260回 1971年の福石忍詩集『遠い星』(2019年2月25日)」で紹介したエッセイの初出でした。

 

『南日本文学』復刊2号 VOL.2

昭和42年(1967)10月10日発行
編集人 堀公也
発行人 佐藤剛
発行所 南日本文学社
印刷 南日本新聞社印刷局
表紙 堀由貴子

有馬義雄「水の記憶」、池田隆明「岐路」、はしま・さち「宴のはて」、福石忍「遠い星」、井上岩夫「声」「せき平温泉」、酒井学「薩摩中心の歴史観とその代弁者」、堀公也「コマーシャルのための十三夜」「人間万才」、佐藤剛「自由の尊厳さについて」「ある夜の無法松」、巽寒平「泡沫の一本」「団欒処置なし」、広田亮一「サヨナラだけが」

1950年~1960年代の鹿児島の謄写版印刷所としてよく名前を見かける「かんぺい工房」は、巽寒平の名前からとられたものと知ることができました。

 

『南日本文学』VOL.VI No.13

昭和44年(1969)10月15日発行
編集人 堀公也
発行人 佐藤剛
発行所 南日本文学社
印刷 南日本新聞社印刷局
表紙 堀公也

井上岩夫「戯詩二題」「ゴムのつっかけ草履が出てくる話」、有馬義雄「あるハブ取りの死」、大隅桜「春駒譚」、佐藤剛「サングラス」、酒井学「孕んだ男」、ほり・こうや「少女に」、羽島さち「手」、福石忍「詩二篇」、三宅加寿子「赤と緑」

 

ほかにも、佐藤剛が寄稿していた『月刊 鹿児島雑筆』が2冊ありました。

『月刊 鹿児島雑筆』第2巻第1号

昭和45年(1970)1月5日発行
編集人 川崎栄蔵
発行人 小出真由
発行所 鹿児島雑筆社
印刷所 鹿児島県教員互助会印刷部

佐藤剛の随筆「ジテンシャヤロウ」

『月刊 鹿児島雑筆』第2巻第10号

昭和45年(1970)10月15日発行
編集兼発行人 川崎栄蔵
発行所 鹿児島雑筆社
印刷所 鹿児島県教員互助会印刷部

佐藤剛の随筆「あの人・この人交遊録④ 雁多連屋の息子」

「故海老原画伯特集」で小牧才二(小牧建設会長)へのインタビュー、入来天(美術文化協会委員)、桜井之一(南風病院長)、大嵩礼造(画家・県社会教育課)らの寄稿で、「エビさん」を回想。

 

 

桜島フェリーに乗っていたら、イルカの群れが見えました。鹿児島本港から磯海岸、重富あたりを回遊しているようです。

イルカの存在に気づいたときには、だいぶ離れてしまったので、遠景の写真になってしまいました。

鹿児島港のイルカ01

鹿児島港のイルカ02

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

 

3月というと、さくら学院のアルバムが出る季節です。今年は10枚目のアルバムということで、はじめてアナログ盤でもリリースされました。
2019年度の新曲4曲、2010年度~2013年度の再演曲9曲、インスト1曲という構成。

「さくら学院 2019年度 ~STORY~」(2020年、Amuse)アナログ盤ジャケット

「さくら学院 2019年度 ~STORY~」(2020年、Amuse)アナログ盤ジャケット
2枚組でゲートフォールドになっているので、31×63センチのサイズを生かしたデザインも可能だったのではないかと、ないものねだりもしたくなります。

「さくら学院 2019年度 ~STORY~」(2020年、Amuse)アナログ盤のラベル

「さくら学院 2019年度 ~STORY~」(2020年、Amuse)アナログ盤のラベル
簡潔なラベルで、曲名クレジットなし。 さくら学院のロゴはほしかった。

 

とはいえ、手もとにある初級編のMMカートリッジでも、聞き比べは楽しかったです。

まずは、使い勝手の良い Grado の Prestige Gold。

Grado の Prestige Gold

さくら学院の楽曲は、ダンス曲でもあって、ドラムとベースの比重が大きくて、アコースティックの繊細な音が得意なこのカートリッジとは、今ひとつ相性がよくないようです。

続いて、昔使っていたレコードプレーヤーに付属していた、SHURE の M75B。カモメのマーク付き。

SHURE の M75B

40年以上前のカートリッジですが、今もちゃんと鳴っています。
今のパソコンや携帯が40年後に使えるかと考えると、この耐久性はウソのようです。
中庸ですが、良い感じで聴けます。

続いて、SHURE の M44G。

SHURE の M44G

これはベースやギターがぶんぶん鳴って、さくら学院が暴れん坊です。嫌いではありません。

最後に、JICO の JR-645SE。

JICO の JR-125S

手もとにあるカートリッジでは、これがさくら学院といちばん相性がいいようです。

 

今年は、コロナウィルスで、3月の行事がキャンセルされています。
さくら学院2019年度の卒業メンバー4人に、その集大成を披露する場があればいいのですが。
「クロスロード」を4人で歌うことができるのでしょうか。

 

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301. 1911年のヘンリー・P・ブイ『日本画の描法』(2020年2月19日)

1911年のヘンリー・P・ブイ『日本画の描法』


1911年、アメリカのサンフランシスコで印刷刊行された、ヘンリー・P・ブイ(Henry Pike Bowie、1848~1920)の『日本画の描法』(Paul Elder)です。英語タイトルは、

      ON THE LAWS OF

  JAPANESE PAINTING

      AN INTRODUCTION
  TO THE STUDY OF THE ART OF JAPAN

です。明治の「日本画」を知る上で、英語圏の読者だけでなく、日本の読者にとっても、とても役に立つ実用的な本です。
芸能がらみで言えば、いつもテレビ番組で元気にブイブイ言わせてる料理研究家、平野レミのおじいちゃんが書いた本です。

20世紀初頭、職人の国でもあったアメリカらしく、本作りは簡潔で、軽薄なところがなく、しっかりしています。
角背・天金。
確か購入したとき、アンカットの状態で切られていないページもあって、紙の状態は100年以上たったとは思えないほど良好です。
職人の質実さ、手堅さを感じます。

 

Henry P. Bowie『On the Laws of JAPANESE PAINTING』1911年英語版初版カヴァー

Henry P. Bowie『On the Laws of JAPANESE PAINTING』1911年英語版初版表紙

Henry P. Bowie『On the Laws of JAPANESE PAINTING』1911年英語版初版扉

ヘンリー・P・ブイ著、平野威馬雄訳『日本画の描法』(濤書房、1972年)奥付

▲Henry P. Bowie『On the Laws of JAPANESE PAINTING』1911年英語版初版の表紙カヴァー(ダストラッパー)とクロス表紙・扉・巻末の奥付

手もとにある本には、表紙カヴァー(ダストラッパー)が残っています。ちょっと珍しいです。
文字と梅の花の線画だけの簡潔なデザインで、今のように本の顔というより、まだ本を保護するものという性格のほうが強めです。
第一次大戦以前の本になると、表紙カヴァー(ダストラッパー)のない裸本が多く、なくても気にならないのですが、やはり、あるものを手にすると嬉しいです。

表紙カヴァーのそでに、ペン字で「£50」と書いてあります。たぶん刊行時に書かれたもののように思われます。
英国圏に輸出され、英貨「£50」で売られていた本ということでしょうか。

序文は巌谷小波(IWAYA SAZANAMI、1870~1933)と平井金三(HIRAI KINZA、1859~1916)の二人が書いています。

 

日本語翻訳は、1972年に、ヘンリー・P・ブイの息子、平野威馬雄(1900~1986)が出しています。

 

ヘンリー・P・ブイ著、平野威馬雄訳『日本画の描法』(濤書房、1972年)

▲ヘンリー・P・ブイ著、平野威馬雄訳『日本画の描法』(濤書房、1972年)外箱・表紙(写真は1974年の第2刷)

帯に「フェノロサを凌ぐ洞察」とあります。
ブイの長男・平野威馬雄にとって、念願の翻訳だったようですが、1911年初版の表紙にあった梅の花はこの版では使われいませんし、久保田米僊(1852~1906)への献辞や、エピグラフとして掲げられていた「KEN WAN CHOKU HITSU」(懸腕直筆)という言葉も省かれているのが気になります。

 

1911年英語版と1972年日本語版のいちばんの違いは、図版の精度です。

ともに図版はすべてモノクロで、1911年英語版も、できればコロタイプや当時のフォトグラビア印刷であれば理想的だったのでしょうが、それでも、1911年ハーフトーン印刷の図版のほうが、1972年の日本版より、はるかにいいのです。

せっかく日本版を出す機会だったので、もう少し図版に重きをおいて奢ってもらえたら嬉しかったのですが、残念です。

比較のため、1911年英語版と1972年日本語版の図版をいくつか並べてみます。
上が1911年英語版、下が1972年日本語版です。

 

Henry P. Bowie『On the Laws of JAPANESE PAINTING』1911年英語版初版図版01

ヘンリー・P・ブイ 平野威馬雄訳『日本画の描法』(1972年10月30日第一刷、濤書房)図版01

 

Henry P. Bowie『On the Laws of JAPANESE PAINTING』1911年英語版初版図版02

ヘンリー・P・ブイ 平野威馬雄訳『日本画の描法』(1972年10月30日第一刷、濤書房)図版02

 

 

Henry P. Bowie『On the Laws of JAPANESE PAINTING』1911年英語版初版図版03

ヘンリー・P・ブイ 平野威馬雄訳『日本画の描法』(1972年10月30日第一刷、濤書房)図版03

 

Henry P. Bowie『On the Laws of JAPANESE PAINTING』1911年英語版初版図版04

ヘンリー・P・ブイ 平野威馬雄訳『日本画の描法』(1972年10月30日第一刷、濤書房)図版04

技法説明の図版は、島田雪湖(1865~1912、生没年は確認が必要)が描いています、同じくサンフランシスコのPaul Elderから上梓され、雪湖が戯作的な挿絵を描いた、David Starr Jordanの絵本『Eric's Book Of Beasts』(1912年)とともに、島田雪湖の早い晩年の作になります。

島田雪湖の弟、島田墨仙(1867~1943)も、ブイの絵の師匠のひとりです。

1911年版の図版のほうが、1972年版より精度が高いです。
このころはまだ、写真を使った版づくりの草創期で、草創期ならではの魅力的な図版の多い時期だということも確かです。
当時の印刷物を見ると、思っていた以上の精度と美しさを持った図版に出会うことがあります。

1911年版の図版が美術作品の複製図版として最良のものとは言いませんが、実用書にふさわしい堅実な版が作られています。

 

息子の平野威馬雄によれば、ヘンリー・P・ブイは、「名器ストラディヴァリアス(ヴァイオリン)で、ベトーベンのクロイツェルソナータを流れるように奏でたり、ピアノをたたいて、新しいコードをつくったりしながら、水墨にうつつをぬかす、珍しい人だった」そうです。

フランス系のスコットランド人で、法律家・日本研究者として、アメリカのカリフォルニアと日本の東京・京都・金沢を行き来していました。1905年(明治38年)に創設された「Japan Society of Northern California」の初代会長でもあります。

もしかしたら、1875年から宗教家トマス・レイク・ハリス(Thomas Lake Harris,1823~1906)とともに、カリフォルニアのサンタローザに移り、ワイン造りと印刷出版を行っていた、長澤鼎(磯永彦輔、1852~1934)や新井奥邃(新井常之進,1846~1922)らと同じ、北カリフォルニアの文化圏にいて、どこかで交差していた人だったのではないかとも思います。
新井奥邃については、「第108回 1982年のアン・テイラー『ローレンス・オリファント 1829-1888』(2013年5月26日)」でも少し書いています。

 

ところで、前から気になっていることがあります。

ヘンリー・P・ブイ(Henry Pike Bowie)の雅号は、「武威」で、「威」の字は、息子の平野威馬雄にも引き継がれています。
武威という雅号は、この本で序文を書いている巌谷小波の父で、ブイの師匠の一人、書家・漢詩人・官僚の巌谷一六(1834~1905)につけてもらったものです。

イギリスのロック・スター、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)を象徴する衣装のひとつ、「出火吐暴威」と書かれたマントがあります。
このマントを制作した山本寛斎らは、Henry P. Bowieの存在のこと、その著書『On the Laws of Japanese Painting』(1911年、Paul Elder)と、その翻訳のヘンリー・P・ブイ 平野威馬雄訳『日本画の描法』(1972年10月30日第一刷、濤書房)のことを把握していたのでしょうか?

「暴威」も「威」の字が共通しているので、前から気になっています。
単なる偶然でしょうか?

同じ「Bowie」ですが、デヴィッド・ボウイも、「デヴィッド・ブイ」と読まれていたら、あまり日本受けしなかったような気もします。

 

 

桜島に雪。

桜島に雪01

桜島に雪02

カワヅザクラ01

その一方で、カワヅザクラは散りかけ、その蜜を、メジロがむさぼっていました。


桜島に雪03

桜島の雪もみるみる消えていきます。

 

〉〉〉今日の音楽〈〈〈

 

ニール・イネス(Neil Innes)が昨年の暮れ、12月29日に亡くなりました。1944 - 2019。
それに続くように、テリー・ジョーンズ(Terry Jones)も1月21日に亡くなりました。1942 - 2020。
モンティパイソン人脈も、この世界から退場していきます。

ニール・イネスは、道化師の仮面をはずしませんでしたが、ポップ職人の鑑のようなミュージシャンでした。

テリー・ジョーンズについては、ケネス・グレアムの『たのしい川べ(The Wind In The Willows)』を1996年に映画化して、ものすごく期待していたのですが、残念な仕上がりで、それに関しては、せっかくの機会をと、今も無念な気持ちが残っています。

 

ニール・イネスのラスト・アルバムになってしまった、Neil Innes『NEARLY REALLY』(2019年)を。

 

Neil Innes『NEARLY REALLY』(2019年)01

Neil Innes『NEARLY REALLY』(2019年)02

Neil Innes『NEARLY REALLY』(2019年)03

このアルバムも、作るのが大変だったようです。

音楽レーベルと友好な関係が続くタイプのミュージシャンではなく、自分のサイトで自主制作したCDを直販するタイプでした。
ですから、この最後のアルバムも Amazon などでは売られておらず、今のところニール・イネスのサイトでの通販のみのようです。

この『NEARLY REALLY』は、最初、音楽制作のクラウドファンディング PledgeMusic で、前払いの予約者を募る形で制作資金をまかなおうとしていました。十分な予約者が集まっていたのですが、PledgeMusic の破産で、集まっていた制作資金が消えてしまい、いったん頓挫しました。
やっとのことで、リリースされた新録音のアルバムですが、ニール・イネス本人が、あっけなく去って行きました。

そんなことがウソのような、極上のポップ・アルバムです。


ネットの時代になって、ミュージシャンからダイレクトにCDを購入できるようになりました。
それでも、ミュージシャンが運営するのはなかなか難しく、CDもオールド・メディアと見なされ、なかなか売れないようです。

 

ブリテッィシュ・ジャズのマイク・ウェストブルック(Mike Westbrook)も、ここ数年、前払いの予約者を募って、CDに支援者の名前を記載するというやり方をしています。

マイク・ウェストブルックにハズレはないと思っているので、予約してみたら、CDがサイン入りのカードとともに届き、ほんとうに、アルバムに自分の名前「Yoshiki Hirata」が記載されていました。

 

Mike Westbrook『PARIS』01

Mike Westbrook『PARIS』02

Mike Westbrook『PARIS』03

▲Mike Westbrook『PARIS』(2016年10月)

 

Mike Westbrook『In Memory Of Lou Gare Tenor Saxophon』01

Mike Westbrook『In Memory Of Lou Gare Tenor Saxophon』(2018年5月)02

Mike Westbrook『In Memory Of Lou Gare Tenor Saxophon』(2018年5月)03

 

▲Mike Westbrook『In Memory Of Lou Gare Tenor Saxophon』(2018年5月)

Mike Westbrook Orchestra『Catania』(2018年10月)02

Mike Westbrook Orchestra『Catania』(2018年10月)03

▲Mike Westbrook Orchestra『Catania』(2018年10月)

Mike Hodges や Dave Holland と自分の名前が並んでいると、ミーハーな気持ちになります。

こんなサービスをしても、いわばマイナーなジャンルなので、なかなかCDの売り上げにはつながらないようです。
普通のCDの値段の前払いだったのですが、思ったほど人数は集まっていないようです。

ミュージシャンを支援・応援する、良い方法がないものでしょうか。

 

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