●my favorite things 456-460
my favorite things 456(2026年6月30日)から460(2026年9月8日)までの分です。 【最新ページへ戻る】
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456. 1934年の城左門『槿花戯書(はちすざれがき)』(2026年6月30日)
457. 1976年の『城左門全詩集』(2026年7月1日)
458. 1958年~1960年の『宝石』掲載の小沼丹その1(2026年7月31日)
459. 1958年~1960年の『宝石』掲載の小沼丹その2(2026年8月1日)
460. 1950年の『宝石』4月号(2026年9月8日)
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460. 1950年の『宝石』4月号(2026年9月8日)

前回に引き続き、手もとにある『宝石』誌を何冊か並べてみます。
どれも鹿児島中央駅近く都通にあったあづさ書店で買い求めたものです。
鹿児島で、こうした古雑誌を手に取って見られる古本屋さんがなくなって、行き場所がなくなり困っております。
『宝石』は、1946年、岩谷書店から創刊されます。
発行人の岩谷満は、鹿児島の隈之城(薩摩川内市)出身で、明治のたばこ王と言われた岩谷松平(1850~1920)の縁者なので、鹿児島ともゆかりがあります。
岩谷書店は、『詩学』の前身『ゆうとぴあ』も創刊。
1951年から『詩学』は詩学社に、1956年から『宝石』は宝石社に、いずれも稲並昌幸(城昌幸・城左門、1904~1976)が代表となって引き継いでいます。
■『宝石』4月号 創刊四周年記念特大号(1950年4月1日發行、岩谷書店)
編輯兼發行人 岩谷滿
表紙・中尾進 目次・田中晋 扉絵・山名文夫

目次で目をひくのは、300枚を超える2編。
魔子鬼一「牟家(むうちゃあ)殺人事件」新人力作三百枚 秋吉照國・ヱ
岡田鯱彦「王朝殺人 薫大将と匂(におう)宮」330枚 鈴木朱雀・画
「びっくり箱殺人事件」の配役が楽しいです。
横溝正史原作、武田武彦脚色「探偵劇 びっくり箱殺人事件」
登場人物(配役。順不同)
深山幽谷(江戸川亂歩)
蘆原小群(木々高太郎)
顎十郎(城昌幸)
柴田樂亭(香山滋)
半紙晩鐘(山田風太郎)
灰屋銅堂(武田武彦)
紅花子(宮野叢子)
柳ミドリ(柴田早苗)
熊谷久摩吉(水谷準)
細木原龍三(大下宇陀兒)
田代信吉(島田一男)
野崎六助(高木彬光)
等々力警部(椿八郎)
解説(黒部龍二)
座談会「翻訳小説の新時代を語る」江戸川乱歩・水谷準・城昌幸
(画・イラスト) 小島功 南船北馬 永田力 久保よしひこ 丸茂文雄 濱野雅雄 藤澤正夫 山崎一敏 村上枩(松次郎) 山名文夫 イカニ・セン 恒美 中尾進

グラビア「私の好きな女性」
江戸川乱歩/ルミちやん
大下宇陀児/グリア・ガースン
木々高太郎/杉村春子
この江戸川乱歩が選んだ横溝正史の娘「ルミちゃん」については、野本瑠美『父、正史 母、孝子 日本ミステリの巨匠・横溝正史と家族、仲間、そして末娘』(2025年9月26日発行、角川書店)で、本人が言及しています。写真を撮られたことは記憶していたそうですが、『宝石』の誌面を見たのは、80歳を過ぎてからだったということです。

「編輯部だより」(武田)(城)
表3の広告の統一感のなさが1950年を感じさせます。
『宝石』(昭和25年4月号、岩谷書店)の読者欄の「赤鉛筆」に載っていたものです。
◆
「寶石」二月號の表紙は近來になく感じのいいものです。寶石クラブの頁數がふえてきたことは我々クラブ會員にとつては實に親しみがもてます。なお小生は「寶石」が毎號長編をのせるようになつてから入會した男です。新年號のクレイグの長篇、三月號クイインのそれなど完全に我々長編愛好家を滿足させてくれます。これらの長篇は推理小説が決して單なる謎解きの論理的快樂だけにあるものでなく、人間と生活と感情とが同時によくえがき出されていることが必要だということを教えてくれる點でも有望です。獄門島の成功もまたその點にあると思います。最後に小生は新制大學の教師で、國語の科學的研究を志しているもので、學者推理小説愛好家説に大いに共鳴するものであることを申しそえます。(盛岡市 見坊豪紀)
◆
見坊豪紀が『宝石』の読者欄に投稿するタイプだったのは意外でした。
見坊豪紀にミステリーを書かせる編集者がいたら、結構すごいものが生まれたんじゃないかと妄想しました。


みんな江戸川乱歩の新作を待っていたのでしょう。
この特報のしおりに、グッときます。
■『宝石』9月号(1950年9月1日發行、岩谷書店)
編輯兼發行人 岩谷滿


「カルピス」の文字の力強さ。

飜訳權独占長篇本格探偵小説
コーネル・ウールリッチ 黒沼健訳「黒衣の花嫁 前編」
飜訳怪奇小説
フィツ=ジエームズ・オブライエン 長谷川修二譯「手に觸れたもの」
座談會「中國の探偵小説を語る」
(出席者)江戸川亂歩 島田一男 椿八郎 魚返善雄 辛島驍 グーリック
表紙・中尾進 目次・藤澤正夫 口繪 村上松二郎
(画・イラスト)村上松次郎 久保よしひこ 赤川童太 関野準一郎 江久須清澄 三輪秀 秋吉巒 森厄男 小島功 Amon Shirakawa 中尾進 鈴木厚 川瀬成一郎

広告の大きさからすると、映画『羅生門』は、公開時あまり期待されていなかったのでしょうか。

「編輯後記」(武田)(城)
■江戸川乱歩編集『宝石』10月号(1957年10月1日発行、宝石社)


編集兼発行人 稲並昌幸
表紙画・棟方志功


連載 横溝正史「悪魔の手鞠唄」第三回
C・ウールリッチ特集
鼎談「樽の中に住む話」佐藤春夫・城昌幸・江戸川乱歩
座談会「現代のスリルを語る」石原慎太郎・谷川俊太郎・黛敏郎・山村正夫・江戸川乱歩
伊藤逸平編「スリラー漫画―チャールズ・アダムズ―」
春山行夫の連載「宝石の文化史」
59ページに「クレイグ・ライス死す」というニュース。
(画・イラスト)村上松次郎 三芳悌吉 土井栄 金子三蔵 都竹伸政 高井寬二 市川禎男 斎藤三郎 霜野二一彦 久米宏一 松野一夫 高井寬二 アユカワマン 徂徠匡男 油野誠一

表紙で「江戸川乱歩編集」をうたっていますが、編集実務は谷井正澄。
グラビア「スリラー・ショウ誌上展」のキャプションでは、「江戸川乱歩氏」「谷井編集長」

「編集後記」(乱歩)
■江戸川乱歩編集「宝石」11月号(1962年11月1日発行、宝石社)
第17巻第14号
編集兼発行人 稲並昌幸



表紙 粟津潔
題字 和田誠
目次 井上敏雄
扉絵 加納一朗
イラストレーション
三井永一 山本甚作 松野一夫 土井栄 和田誠 やなせ たかし 長新太 中野淳 市川禎男 津神久三 山野辺進 湯野誠一 秋山和男 鳴海慎吾 宇野亜喜良
長新太 久里洋二
ある作家の周囲 その18 戸坂康二編
植草甚一「フラグランテ・デリクト」
1960年代に入ると、ヴィジュアルに、粟津潔、和田誠、やなせたかし、長新太、
久里洋二、宇野亜喜良といった面々が常連になります。

澁澤龍彦「毒薬の手帖」のイラストは、宇野亜喜良。

「編集者より」(大坪直行)
◆




〉〉〉今日の音楽〈〈〈
Perils Of Plasticが出した3枚のシングル盤から、「Ring A Ding Ding」の次にリリースされた2枚。
手もとにあるのは、12インチの45回転盤です。
■Perils Of Plastic「Womanhood」(1986年、WEA)



SIDE 1 Womanhood (Dance Mix)

SIDE 2 1 Womanhood (Extended Mix)
SIDE 2 2 Moth Music
■Perils Of Plastic「The Love I Love」(1987年、WEA)



SIDE 1 The Love I Love (Un Homme Et Une Femme Mix)

SIDE 2 1The Love I Love
SIDE 2 2 What Love Can Do For You
ちょっと「Everytime You Go Away」を思わせる「What Love Can Do For You」のような路線で、アルバムも聴きたかったものです。
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459. 1958年~1960年の『宝石』掲載の小沼丹その2(2026年8月1日)

前回からの続きで、小沼丹の推理小説が掲載された『宝石』誌です。
1960年代に入りました。
1960年1月号です。
表紙は、斎藤清です。
■江戸川乱歩編集「宝石」1月号(1960年1月1日発行、宝石社)
第15巻第1号
EDOGAWA RAMPO’S MYSTERY MAGAZINE


目次 真鍋博
扉絵 島田一男
本文カット 吉原澄悦 富田百秋 高木雅章 小林泰彦
(画・イラスト)三芳悌吉 中野淳 都竹伸政 吉原澄悦 坂口光男 池田仙三郎 松野一夫 大歳克衛 金子三蔵 三井永一 土井栄 真鍋博 長新太 久里洋二 中野淳
1960年の「詩人特集 ショートショート集」に原稿を依頼されたのは、谷川俊太郎、寺山修司、関根弘でした。

小沼丹「みちざね東京へ行く」
金子三蔵・画 3点

「編集者より」(江戸川乱歩)
編集兼発行人 稲並昌幸
■江戸川乱歩編集「宝石」9月号(1960年9月1日発行、宝石社)
第15巻第11号
EDOGAWA RAMPO’S MYSTERY MAGAZINE

表紙 斎藤清

このチューイングガムの価格設定は高いのか安いのか。


目次 真鍋博
扉絵 邸永漢
さしえ・カット
永田力 小林久三 市川禎男 太田大八 鈴木初男 峯梨花 小林泰彦 金子三蔵 中野淳 真鍋博 霜野二一彦 吉原澄悦 高木雅章 金森馨 やなせ・たかし 長新太 久里洋二
渋沢竜彦の連載「黒魔術の手帖」は第2回。
河野典生の短編「八月は残酷な月」や「作曲家ショート・ショート特集」の武満徹、林光が目をひきます。
翻訳では、大木澄夫訳「ベネット・サーフ怪談ショート・ショート集」、P・G・ウッドハウス、村上啓夫訳「ジーヴズとしまりや公爵」にわくわくします。

小沼丹「王様」
金子三蔵・画 3点
『宝石』誌で、小沼丹の挿絵画家が、決まった組み合わせでなく、三井永一、中野淳、永田力、伊藤明、金子三蔵と変わっていくところも面白いです。

「編集者より」(江戸川乱歩)
編集兼発行人 稲並昌幸
◆
2022年に中公文庫からでた小沼丹推理小説集『古い画の家』には収録されていませんが、1959年10月の『宝石』秋季増刊号には、書物をめぐる殺人をあつかった歴史小説「バルセロナの書盗」が掲載されています。
「バルセロナの書盗」は『宝石』誌が初出ではなく、初出は1949年5月の『文學行動』です。
小沼丹の最初の短編集『村のエトランジェ』(1954年、みすず書房)に収録されています。
■『宝石』秋季増刊号 文壇作家推理小説代表作集(1959年10月10日発行、宝石社)
第14巻12号

表紙・本文目次カット 伊藤明

発行人 稲並昌幸
作家のプロフィールには住所も記載。
加田伶太郎の写真には、福永武彦の目に黒線が入っています。

アルフレッド・ヒッチコックス・ミステリー・マガジンの広告コピーに
《探偵小説と酒 それがぼくらの鎮静剤だ ―フランス映画「いとこ同志」より》とあります。

「編集後記」は大坪直行。

小沼丹「バルセロナの書盗」 画・伊藤明 1枚
■『文學行動』五月號(1949年5月1日發行、文學行動社)
第12號。第三巻第五號。

小沼丹「バルセロナの書盗」の初出誌『文學行動』1949年5月号。

カットは、ボナール・赤松俊子。

小沼丹「バルセロナの書盗」
ピエール・ボナール(1867~1947、Pierre Bonnard)がリトグラフを提供した楽譜集『Petites scènes familières』から「Quadrille」の挿絵を流用しています。

1949年5月1日發行
編集人 武田繁太郎
發行所 文學行動社
『小沼丹全集』第一巻(2004年6月25日初版発行、未知谷)の「バルセロナの書盗」には《「文学行動」昭和二十四年四月》(p.741)とあり、講談社文芸文庫の小沼丹『村のエトランジェ』(2009年7月10日第1刷発行)の「バルセロナの書盗」にも《「文学行動」昭和二十四年四月》(p.82)とあります。
5月でなく、4月なのは何か理由があったのでしょうか。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈

江戸川乱歩編集「宝石」9月号(1960年9月1日発行、宝石社)に掲載された、10インチ盤『黒い足音』の広告。
『黒猫』(ステレオ録音)とカップリングで、CD再発されています。
再発CDでは山下毅雄の作品であることが強調されています。
この1960年の広告で、
【近日発売】
■モルグ街の殺人~E・A・ポーのミステリー・ムード
と予告されていたものは、アメリカのバディ・モロウ楽団の作品『Poe for Moderns』の日本盤で、日本でも1960年にビクターからリリースされています。
その好評もあって、山下毅雄の『黒猫』(1961年、ビクター)も制作されたのでしょうか。


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458. 1958年~1960年の『宝石』掲載の小沼丹その1(2026年7月31日)

小沼丹の推理小説が掲載された『宝石』誌が揃いました。
そろったといっても、6冊しかないのですが、嬉しいものです。
そのうち何冊かは、あづさ書店で購入しました。
あづさ書店がなくなって、鹿児島で古い雑誌を手軽に求められる古本屋さんがなくなってしまい、行き場所もなくなりました。
書影を並べてみます。
■江戸川乱歩編集「宝石」3月号(1958年3月1日発行、宝石社)


ヴィジュアルについての情報は、目次ページにあります。
表紙写真 杉木直也
(画・イラスト)土井栄 村上松次郎 霜野二一彦 高木清 鈴木清衛 亀山博 池田仙三郎 金子三蔵 都竹伸政 中野淳 三井永一 笠井一 高井寬二 太田大八 市川禎男
連載に、松本清張「零の焦点」横溝正史「悪魔の手鞠唄」があります。
花森安治・江戸川乱歩の対談「本格もの不振の打開策について」も注目です。

小沼丹「クレオパトラの涙」
三井永一・画 3点

「編集後記」は(乱歩)。
編集兼発行人 稲並昌幸
■江戸川乱歩編集「宝石」6月号(1958年6月1日発行、宝石社)
第13巻第8号
EDOGAWA RAMPO’S MYSTERY MAGAZINE

表紙写真 杉木直也


座談会「推理小説早慶戦」といった、のどかな企画もあります。
慶大 木々高太郎・川村尚敬・磯野英樹・桑田穣一
早大 鈴木幸夫・田中潤司・寺島正展・持丸容子
司会 江戸川乱歩
(画・イラスト)土井栄 山崎百々雄 村上松次郎 中野淳 都竹伸政 鈴木清衛 笠井一 市川禎男 霜野二一彦 金子三蔵 高井寬二 高木清 長沼岬 日下弘 鮎川万 松野一夫 油野誠一 斎藤三郎

小沼丹「古い画の家」
中野淳・画 3点

「編集後記」は(江戸川乱歩)
編集兼発行人 稲並昌幸
■江戸川乱歩編集「宝石」4月号(1959年4月1日発行、宝石社)
第14巻第4号
EDOGAWA RAMPO’S MYSTERY MAGAZINE

表紙 斎藤清


目次マンガ 真鍋博
(画・イラスト)高井寬二 永田力 池田仙三郎 三井永一 金子三蔵 斎藤三郎 三芳悌吉 土井栄 霜野二一彦 長新太 油野誠一 吉原澄悦 松野一夫

小沼丹「リヤン王の明察」
永田力・画 3点

「編集後記」(乱歩)
編集兼発行人 稲並昌幸
■小沼丹『小沼丹推理短編集 古い画(え)の家』(2022年10月25日初版、中公文庫)

『宝石』誌に掲載された小沼丹の推理小説のうち5編は、2022年に中公文庫からでた小沼丹推理小説集『古い画の家』で、江戸川乱歩の紹介文も含めてすべて読むことができます。
とはいえ、雑誌初出のものは、単行本・文庫本掲載のものとは別の、同時代の空気感を真空パックしたような面白さがあります。
古い画の家(「宝石」1958年6月/『小沼丹全集』補巻、未知谷、2009年」)
クレオパトラの涙(「宝石」1958年3月/『全集』補巻)
ミチザネ東京に行く(「宝石」1960年1月/『全集』補巻)
王様(「宝石」1960年9月/『全集』補巻)
リャン王の明察(「宝石」1959年4月/『全集』第三巻、2004年)
「バルセロナの書盗」も、『宝石』に掲載されていますが、再録だからでしょうか、選ばれていません。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
■Perils Of Plastic「Ring A Ding Ding」(1986年、WEA)


Perils Of Plasticは、デフ・スクールのSteve AllenとアトラクションズのSteve Nieveの2人が組んだということで、期待値もものすごく高かったのですが、
シングル盤3枚だけをリリースして終わりました。
Perils Of Plasticというグループ名は「プラスチックごみ」をイメージさせるものですから、それがよくなかったのかもしれません。
当時のシンセサイザーなどの機材の音がします。スティーヴ・アレンの歌とステーヴ・ニーヴのピアノだけで十分なのですが。当時のシンセポップの流れの中で、ダンスミュージックとして売れそうなものを作りたいという意志を感じます。兵どもの夢の跡ですが、時々思い出して聴き返すと、これはこれで悪くありません。
残念ながら、まだCDにはなっていません。
デフ・スクール周辺のものは、ベティー・ブライトのソロ作をはじめCDになっていない作品が多いような気もします。
1986年のリリースなので、シングル盤も45回転7インチ盤だけでなく、45回転12インチ盤も出していました。手もとにあるのは12インチ盤だけです。
1970年代後半から1980年代にかけて、シングル盤といえば、45回転12インチ盤が目立っていました。
45回転12インチ盤は、まず音がいいのです。
しかし、アルバム収録バージョンでなくExtended Versionでリリースされることが多くて、今思えば、B面でいいから、アルバム収録バージョンを45回転12インチ盤の音で収録しておいてほしかったです。
例えば、Kate Bushの『Hounds Of Love』(1985年、EMI)から次々リリースされた45回転12インチ盤のシングルに、The Organon Re-mixとかAlternativeとかMeteorological MixとかExtended Versionだけでなく、アルバムヴァージョンも一緒に収録しておいてくれたらどんなによかったかと、それらのレコードを聴くたびに思います。

SIDE ONE Ring A Ding Ding (Extended Mix)

SIDE TWO 1 Ring A Ding Ding (7" Remix)
SIDE TWO 2 Debile Matin (Recorded Live At Avenue La Grande Armee, Paris)
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457. 1976年の『城左門全詩集』(2026年7月1日)

秋朱之介(西谷操、1903~1997)とかかわりのあった人という興味から、詩人・城左門(1904~1976)の城昌幸名義の作品で、わりと最近、創元推理文庫から出ていた3冊を読みました。
『菖蒲狂い 若さま侍捕物手帖』(2020年9月25日初版)
『みすてりい』(2024年10月18日初版)
『のすたるじあ』(2024年10月18日初版)
この順番に読ましたが、『のすたるじあ』『みすてりい』『菖蒲狂い』の順に読んだほうが、読みやすかったのかもしれません。
詩人・城左門、小説家・城昌幸は、ミステリー誌『宝石』と詩誌『詩学』の編集兼発行人・稲並昌幸でもあります。
いわばエドガー・アラン・ポーの流れをくむ詩とミステリーの人なのだから、ミステリーだけ再発・再評価されるというのはバランスが悪いです。
ということで、1976年に刊行された『城左門全詩集』(牧神社)を引っ張り出しました。



詩作品の制作年次順に掲載。次の詩集が収録されています。
『槿花戯書』1934年 三笠書房
『近世無頼』1930年 第一書房
『二なき生命』1935年 版画荘
『終の栖』1942年 臼井書房
『月光菩薩』1944年 私家版
『日日の願ひ』1946年 臼井書房
『恩寵』1955年 昭森社
『遊化』単行本未収録

『城左門全詩集』奥付
1976年2月15日初版発行
牧神社
1975年秋に記されたあとがきの「城左門全詩集・覺書」に、
「本詩集が刊行の運びに至ったのは、偏に、鶴見大教授井村君江氏の御盡力と、牧神社菅原貴緒氏の情熱とに負ふ次第である。記して兩氏に心から謝意を表する。」
と謝辞があります。
井村君江と菅原貴緒がかかわったこともあって、幻想文学と親しい詩集です。

「城左門全詩集・別刷解説」目次
堀口大學、日夏耿之介、木下杢太郎、佐藤春夫、中桐雅夫の文章が掲載されています。
「堀口大學、日夏耿之介、木下杢太郎、佐藤春夫」の4人は、詩人・城左門にとっては、理想の人たちだったのでしょう。
そして、そのことは、秋朱之介にとっても言えると思います。
日夏耿之介の「詩集槿花戯書序」は、秋朱之介が制作・装釘した昭和9年(1934)の三笠書房版には収録されていません。序文執筆の日付は「大正丙寅春日」とあるので、大正15年(1926)春ということになります。
10代に書かれた詩を中心にした作品集を、22歳の時、日夏耿之介に序文をもらい、大正15年あるいは昭和元年に上梓していたら、それは時代的な意味をもつアイコンになっていたかもしれないなと思います。
小谷剛(1924~1991)が名古屋で主宰した同人雑誌『作家』の200号(1965年8月1日発行、作家社)に、最初期からの同人、亀山巌(1907〜1989)の「省みて漠々」という文章が掲載されていて、次のような記述がありました。 ()はルビです。
新富町でかき溜めた書類箱にいっぱいあった作品はプーシキン研究の中山省三郎のところへおいてきた。三浦朱門が「このごろおやじはボケて、時間観念がだめですよ」という逸雄といっしょにもっていった。叔父の店が分散をして名古屋へ帰るほかに身のおきどころがなくなり、せめて絵だけは東京へ残しておきたいと考えて預けにいった記憶だ。そのなかの若干が岩佐東一郎の「文芸汎論」の表紙に使われた。なかの一枚、花魁(おいらん)の絵をみた城左門が、詩集「槿花戯書はちすざれがき」の装本を考えてくれといってきたが、新聞の仕事に憑かれかかっていたので「みんな昔のことなので忘れて下さい」という返事をだした。
このことがいつのことだったか正確にはわかりませんが、1926年に22歳だった詩人の第一詩集『槿花戯書』が、1934年、秋朱之介の手で仕上がるまでには、いろいろ曲折があったようです。
◆
■城昌幸『菖蒲狂い 若さま侍捕物手帖』(2020年9月25日初版、創元推理文庫)

『菖蒲狂い』は、城昌幸の若さま侍もの250編のうち、25編を選んだもの。
毎回の登場人物や決まり文句の型が決まった世界になじんでくると、神田生まれの書き手による江戸ことばや作家特有のことば遣いが楽しくなってきます。 ( )はルビです。
○「茫(ぼう)ッと」「ちょッくら頼む」「泥ンこ道」「これア御造作(ごぞうさ)になります」といった江戸ことばの促音・撥音・拗音の片仮名表記とか。
○「丑満(うしみつ)」「機構(からくり)」「五時(ななつはん)」「心算(つもり)」「お侠(きゃん)」「入魂(じっこん)」「頭(かぶり)」「新年(はる)早々」「消魂(けたたま)しい」「共謀(ぐる)」「白痴(こけ)にされますよ」「」「縹緻(きりょう)よし」「強(た)っての頼み」「唐出来(からでき)」「遠近(おちこち)」 といったルビの使い方。
○「強意見(こわいけん)」「出養生(でようじょう)」「烏金(からすがね)」「櫺子(れんじ)窓」「トンだ茶人(ちゃじん)だなア」「これア御造作(ごぞうさ)になります」「惚れぼれするような尤物(ゆうぶつ)」「小捲巻(こがいまき)」「五月闇(さつきやみ)」「幽的」 といった、ほぼ使われなくなったことば。
■城昌幸『みすてりい』(2024年10月18日初版、創元推理文庫)

■城昌幸『のすたるじあ』(2024年10月18日初版、創元推理文庫)

城昌幸の幻想譚から星新一が生まれたというのは分かる気がします。
これらの創元推理文庫凡も、城左門の詩作品と一緒に読むと、より楽しめるのではないかと思います。
◆
詩人・城左門、小説家・城昌幸は、出版人としても、戦後の詩とミステリーに大きな位置を占めた『詩学』と『宝石』の編集兼発行人でした。
そのときは、本名の稲並昌幸を使っていました。


詩学社と宝石社の住所は同じです。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈
キーボード奏者、千野秀一の『ユク・エフ・メイ』(1981年、BOOGIE WOOGIE)
「ユクエフメイ」を「ユク・エフ・メイ」と区切るだけで、不思議な世界になります。

ライナーノーツのクレジットには、次のようにあります。
A-1 シネマ
A-2 ロオマ
A-3 テレンコ
B-1 ヘヴン
B-2 ホテル
B-3 ライフ
drums 村上“PONTA”秀一
bass 川端“DOYOON”民生
horn 梅津和時・原田依幸・松風鉱一
chorus 行方不明
guitar 吉田健 [A-2・B-2]
和田静男 [A-1]
杉本“TENCHO”喜代志 [A-3]
words & music, key坊主, vocal & voices, and responsibility 千野秀一
except: [B-3] music 朝鮮民謡 密陽アリラン words 阿木燿子 1st part
ジャケット裏に次の謝辞があります。
thanks to everybody! very special ARIGATO to M “ohayo” Ogw H “dreamy” Tnym I “dotsuma” Hshmt
M “ohayo” Ogwは小川美潮、H “dreamy” Tnymは谷山浩子、I “dotsuma” Hshmtは橋本一子。
chorusの「行方不明」でしょうか。
ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンドのためにEPIC・ソニーがつくったレーベル、BOOGIE WOOGIEからリリース。
千野秀一は、1976年~1981年、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド(ダウン・タウン・ファイティング・ブギウギ・バンド)のメンバーで、このレーベルからのリリースとしては、変わり者の1枚だったようです。
千野秀一は、坂田明のWha-ha-haや仙波清彦のはにわにも参加していました。
ダウン・タウン・ブギウギ・バンドというよりも、その流れの一枚。
1981年でも、45年後の2026年でも、国籍不明、行方知れずの音楽です。


手もとにあるのは、中古で入手した見本盤です。
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456. 1934年の城左門『槿花戯書(はちすざれがき)』(2026年6月30日)

『槿花戯書』(1934年、三笠書房)は、詩とミステリーの人、城左門(城昌幸、稲並昌幸、1904~1976)の第二詩集です。
刊行年では、『近世無頼』(1930年、第一書房)に次ぎますが、執筆順では、『槿花戯書』が先になります。
編年順に構成された『城左門全詩集』(1976年、牧神社)では、冒頭に置かれています。
『槿花戯書』(1934年、三笠書房)の装釘は、秋朱之介(西谷操、1903~1997)。
アオイ書房の書物誌『書窓』(1935年)のアンケート「御藏書中特に御愛藏の書物」に、秋朱之介は《「ヂンタ以來」「槿花戯書」其他堀内大學、日夏耿之介、佐藤春夫諸先生の著書》と答えているので、『槿花戯書』は秋朱之介にとっても大切な仕事だったのでしょう。
1976年の『城左門全詩集』には、『槿花戯書』のあとがき、《詩集「槿花戯書」覺書》が掲載されていないので引用します。詩集の成り立ちが分かります。 ( )はルビです。
詩集「槿花戯書」覺書
一、「詩集槿花戯書(はちすざれがき)」は、僕、城左門の、詩的精神成長上に於るその第一期、つまり、既刊「詩集近世無賴」以前の歳月時に係る作品集である。
一、「詩集槿花戯書(はちすざれがき)」は、卽ち、既刊「詩集近世無賴」覺書に記せる如く、――「その第一、少年期が憂愁と羅曼(ろをまん)と野心とを詠ひ出でたものは、多く此れを、世に出づ可くして遂に出でざりし、處女詩集「槿花戯書(はちすざれがき)」を編輯した。」ところの、その發行順序こそ違へ、僕の所謂「處女詩集」に該當するのものである。
一、「詩集槿花戯書(はちすざれがき)」に集めた詩は、全部、曾つて、雜誌「奢㶚都(サバト)」自大正十三年八月至昭和二年三月及び、雜誌「ドノゴ・トンカ」自昭和三年五月至昭和五年六月に發表したものである。
一、「詩集槿花戯書(はちすざれがき)」は此れを七章に分ち、總數十七篇の詩と、散文詩二作とより成る。僕の、1920年頃より、1924・5年に渉る間の作品で、此の裡(うち)、「七十三枚の骨牌(トランプ)」を最も早しとする。
昭和九年 早春
城 左門 識
城左門の16歳から21歳ぐらいまでの作品を集めた詩集ということになります。
詩のエピグラフとして引用されるのは、Walter Pater、コリント前書、隆達小唄、堀口大學、アルチユウル・ラムボオ、ジオルジユ・ロオデンバツハ。
この人選だけで、どういう詩世界か想像できそうです。

外箱の背

表紙には1932年に秋朱之介が装幀した池田圭『詩集技巧』と同じように、墨流しの木目模様の意匠が使われています。

装釘 秋朱之介
カットは、Chung W Kim. Bym H. Li300部限定。
本文は和紙。

タイトルの活字は宋朝体。

1934年4月5日發行
三笠書房
初版三〇〇部限定出版
◆
この詩集を制作・装釘した三笠書房時代の秋朱之介は、三笠書房の『書物』誌でも、『槿花戯書』広告のため、筆をふるっています。
■1934年2月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第二冊 花月號
三笠書房
秋朱之介編輯
編輯兼發售印刷人 竹内富子

最初は1934年2月刊行の予定でした。
■1934年3月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第三冊 桐月號
三笠書房
秋朱之介編輯
編輯兼發售印刷人 竹内富子

此春は花にまさりし君待ちて
靑栁のいと亂れ候 ―隆達小唄
詩集 槿花戯書
城 左門著 秋朱之介装 和紙刷
三百部限定版 定價一圓五十錢
堀口大學氏夫人が城さんの詩集を早く出して下さいね。とおつしやつた。城さんの處女詩集ほど私の好きな詩集は他にない。かつて雜誌奢覇都にこの詩集のために、日夏耿之介先生が長い序文を發表された。日夏先生が他の詩人の序文にこれ程の長い序文を認められたことはいまだかつてない。その一事でも知れるやうに、之は實に美はしい詩集なのだ。かつて私は城さんに話してこの詩集の刊行をくはだてたが失敗した。今ここにこの世にたぐひない詩集を自分の装幀で刊行する。私はいまどの本よりもこの本を出せることをよろこんでゐる。
花がこぼれる 月光(つき)の夜 窓の薄玻璃に
泣いてこぼれる さめざめと夜もすがら
この詩集をよんでゐると私の胸はいつぱいになる、さうしてたれでもいい美しい女と戀をしてみたくなる、さめざめと泣いてみたくなる、みもよもなくくづをれてみたくなる。
槿花よ そなたは淋しくないか
槿花よ 涙がからんでおちる
これはせつない胸をいだいて泣きながら認めた戯書だ、これはソロモンが榮華も及ばなかつた清淨な百合の花だ、私はこの美しい書を一時も早く、堀口先生の奥様に、ハイ只今出來ました、とおとどけしたいと思ふ。 秋朱之介
ここでの「堀口大學氏夫人」は遠山英、通称・高代のことでしょうか。

2月に緑色のケイが朱に変更。
■1934年4月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第四冊 余月號
三笠書房
秋朱之介編輯
表紙 小村雪岱 木版 岩田泰治
編輯兼發售印刷人 竹内富子

清く、すゞしく、美しく、かをりゆかしく、なつかしい、眞の詩を求めんとほつする者は、すべからく、槿花の苑にその華を摘め。
その内容は、(槿)花戯書他一篇、七十三枚の骨牌他四篇、䔥銀薄暮他四篇、春幾春他二篇、忘却の伽藍、女王の秘密、散文詩二篇
今日の詩壇に於て、之は荊棘の中の百合のやうに美しい詩集だ。
かの熱地、日にやけた沙漠のキヤラバンが、さうして今日の日本の詩壇がさうではないか、はるかかなたにオアシスを發見したよろこび、槿花戯書こそはそのなみなみと湧き出づる熱地の樂苑オアシスだ。
これは日本詩壇のエルサレムだ。詩の巡禮者達が一度は訪はねばならぬ聖地だ。
清くすずしく美しくかをりゆかしくなつかしい、眞の詩を求めんと欲する者は、すべからく、槿花の園にその花を摘め、 秋朱之介
秋朱之介が広告で「槿花の園にその花を摘め」と昂ぶっていますが、『槿花戯書』の詩にあらわれる植物相を見ると、10代の想像力とは思えないような花園が見えてきます。( )はルビです。
「槿花(はちす)の葩(はな)」「白い槿花」「青い槿花」「花がこぼれる」「花祭」「まつり花」「茉莉花の葩(はな)」「菩提樹の影」「薔薇(うばら)の葩(はな)」「銀柳の雨」「廢園(あれぞの)の紅薔薇」「さくら踊り」「鬱金(うこん)櫻がひらりほろり」「櫻ん坊」「戀暮流しや紅薔薇」「ほの咲く花のいろ」「造花の褪せたいろどり」「薔薇(うばら)」「雛菊」「白百合」「櫻草」「紫陽花(あぢさゐ)」「銀杏(ぎんなん)の葉」「白い山査子(さんざし)」「青い花の青い葩(はなびら)」「白さうび」「春のはつ花」「みもざは、黄に花を、發(ひら)けり」「なよ竹」「野薔薇(のうばら)」「連翹」「苧環(をだまき)」「矢車草(やぐるま)」「瑞枝小枝(みづえこえだ)」「壺菫(ひとよぐさ)」「おもひの花」「紅(あけ)なる花」「花の心」「春の花」「じぎたりすの葉」「黄褐色に暗紫色に迷眩する樹皮」「黄ばんだ杏」「温室(むろ)出來の葡萄の紫房(しぶさ)」「桐の花」「百合の花」「月夜蕈」「薔薇の騎士達」「通草(あけび)の花」「槐(えんじゅ)の花」「花の蘂(ずい)」「黒い花」「凋んだしねらりあの花」「芍薬の花」「薔薇が褪せ」「龍膽の花」「スヰトピイ」「蘭の花」「永遠(とは)に休みなく散つてゐる花々」「茉莉花の花」「枯れ果てし薔薇」「相共に槁(か)れゆく薔薇(うばら)の花」
■1934年5月1日發售 月刊書物趣味襍志『書物』第二年第五冊 蒲月號
三笠書房
秋朱之介編輯
表紙 小村雪岱 木版 岩田泰治
編輯兼發售印刷人 竹内富子

4月の広告の配色を変更。
◆
城左門の最初に刊行された詩集『近世無賴』の書影も載せておきます。


1976年の『城左門全詩集』には、『近世無賴』のあとがき、「詩集近世無賴」覺書 が掲載されていないので、これも引用します。詩集の成り立ちが分かります。20歳から26歳までの詩を収めた詩集です。( )はルビです。
一、「詩集近世無賴(きんせいぶらい)」は、正しくは、僕、城左門の、その詩心發展上に於ての第二期に屬する詩品である。その第一、少年期が憂愁と羅曼(ろをまん)と野心とを詠ひ出でたものは、多く此れを、世に出づ可くして遂に出でざりし、處女詩集「槿花戯書(はちすざれがき)」に編輯した。
一、「詩集近世無賴(きんせいぶらい)」には、それ故、ことさら、「槿花戯書(はちすざれがき)」以後の作品を以つてし、その再錄するものを僅かに三篇に止めた。即ち、「月すずろかに牕をしのび」「墓銘」「煉金方士」之れである。
一、「詩集近世無賴(きんせいぶらい)」に集錄した詩の多くは雜誌「パンテオン」――自昭和三年四月、至昭和四年二月――及び雜誌「ドノゴトンカ」――自昭和三年五月、至昭和五年六月――に發表したものであつて、他(ほか)に、雜誌「奢㶚都(サバト)」――自大正十三年八月、至昭和二年三月――より三篇を採(と)つた。
一、「詩集近世無賴(きんせいぶらい)」は此れを九章に分ち、總數二十二篇の詩作より成る。僕の1924年頃より1930年に至る作品で、此の裡(うち)、「鳥羽繪」最も早く、「月よおまへは」最近に屬する。
昭和五年 夏
城 左門 識

『詩集近世無賴(きんせいぶらい)』 奥付
昭和五年十二月二十日發行
第一書房
刊行者 長谷川巳之吉
印刷者 萩原芳雄
製本者 橋本久吉

巻末の「今日の詩人叢書」広告
初版特製壹千部限定
りっぱなラインナップですが、1人の女性詩人も見出せなかったのかとも思います。

この『近世無賴』には、外箱の背がありません。
鹿児島の古書店、あづさ書店の店じまいのとき入手しました。
見開きに「渋谷宮益上 中村書店」の書店票が貼ってありました。
本も旅をするのだなと思います。
『近世無賴』『槿花戯書』『二なき生命』は、国会図書館の送信サービスでPDFをダウンロードできます。
『槿花戯書』はクロスに改装されていて、残念ながら秋朱之介の表紙装釘を見ることはできません。
◆
国会図書館蔵が所蔵する、日夏耿之介鑒修『游牧記』は、どうやら秋朱之介(西谷操)旧蔵の本です。
平井勲纂輯所刊
昭和己巳(昭和4年・1929年)第拾貳月貳拾五日拝印了第參拾日發售
游牧印書局發兌
襍誌 游牧記 第壹巻 第肆・伍册
是書拝印不過陸百拾陸部
載局紙本肆拾部寄贈本參拾玖部
竝未漂白木炭紙本伍百參拾漆部
此則其木炭紙本第 伍百拾壹 本而
西 谷 操 藏儲册子也
と、会員番号511番の西谷操の名前がありました。
《拾い読み》
「第266回 1947年の『詩學』11・12月號(2019年3月7日)」でも少し書きましたが、『詩學』誌編集の中心的存在だった城左門は、詩集『槿花戯書』については何度か言及しています。
「第一期の作品集、これ一册で死んでもよい、と、幼く考へた眞の意味の處女詩集『槿花戯書』が世に現れたのは、後れて、昭和九年、三笠書房からであった。」(『詩學』1949年5月号、「わが詩歷」)
「詩集は、今日まで、飜譯まで入れて十二册ほど出版してゐる。皮切りは、昭和五年、第一書房から出した『近世無賴』だ。九年に『槿花戯書』十年に『二なき生命』――この本は、出版主が、装幀を僕の思ふままにしてくれたので、甚だ豪奢な詩集となった。」(『詩學』1953年6月号、「我が詩歴」)
ただ秋朱之介(西谷操)の名前までは言及していません、
城左門の詩集『二なき生命』は、最初1934年に秋朱之介の裳鳥会からの刊行を予告されています。
裳鳥会が立ちゆかなくなったあと、秋朱之介が版画荘に持ち込んだ企画だとされています。
版画荘版『二なき生命』の装釘者は、恩知孝四郎(1891~1955)です。
『詩学』第24巻第3号(昭和44年4月30日発行、詩学社)の「編輯後記」で、秋朱之介のひとこと言及していました。
○昭森社の森谷均氏が亡くなった。惜しい人を死なせた、というのは常套句だが、この人の場合は文字通り、そうだったと思う。何故なら彼は仕事を継続中だからだ。開店休業でも老年退職でもなく、意欲的に次ぎから次ぎへと企劃を樹て実行に移していたからである。この執念とも云うべき仕事好きの所有者を失ったことは、惜しいことをした、と嘆ずるに価するだろうと思う。
○森谷氏との交りは、随分、久しいものである。昭和五六年ごろまで遡るのではなかろうか。彼は造本の魅力に取りつかれたらしい。その頃の斎藤昌三氏の書物展望社に、月給なしの社員として入社して、製本、印刷、紙などのことを初歩から覚えた。そして一本立ちすると、昭森社を興し、確か銀座二丁目裏の小さな処で出版を開始した。重に、絵画についての所謂、美術書か多かった。それも世間一般的なものではなく、彼一流の凝りに凝った美しい本だった。その頃、これも後に、限定出版ものを手がけた秋朱之介氏が、社員として働いていたことを思い出す。
○森谷氏が、詩集、及び詩誌を専門的に手がけ初めたのは戦後である。自費出版詩集の数でも百を超すのではなかろうか、月並な言葉だが、彼が最近の詩壇の推進力を努めていたことは、われわれの感謝すべきことだろう。
○酒好きの彼を思い出す。彼と合えば、いつも酒を飲んだものだ。故人の冥福を祈って今宵、盃を挙げよう。 (城 左門)
「これも後に、限定出版ものを手がけた秋朱之介氏」とありますが、秋朱之介のほうが森谷均より先に限定出版ものを手がけています。
秋朱之介(西谷操)が三笠書房をやめ、1934年末、新宿で裳鳥会として『書物倶楽部』を刊行したものの続かず、銀座2丁目へ移り住んだところに森谷均が訪ねてきて昭森社が始まったと、秋朱之介の視点では見えています。
秋朱之介は、『書物倶楽部』で金銭的な失敗をし、執筆者に不義理をして、表に出にくいということもあったようです。
〉〉〉今日の音楽〈〈〈


Akiba Tatsu / Tatsu Akiba(2026年、INSENSE)
どこを切り取っても、カンタベリー系の音楽にしか聴こえません。
おおいにごちそうですが、体調によっては実が詰まりすぎているとも感じてしまいます。
咀嚼する体力が無くなったというか、もう若くないのだなあと感じさせる罪なアルバムです。
そっと『Miller / Coxhill』のレコードを引っ張り出します。
