■スワロウデイル
編集工房SWALLOW-DALEのアーカイヴ準備室です。ときどき更新します。
●平田信芳文庫
平田信芳(1930年9月15日 - 2014年2月15日)の思い出に、
「平田信芳文庫」を開設しました。(2014年10月28日)
●SWALLOW-DALE
不定期刊小冊子『SWALLOW-DALE』をPDFで公開していく予定です。おもに鹿児島についてのテキストになります。忘れられている、忘れ去られている話題を取り上げていく予定です。時代遅れというか、時代とずれた話が続く予定です。
●my favorite things
しばらく「20世紀書店」が続きます。ほかの世紀にもお邪魔します。
394. 1997~1998年に斎藤敏栄がまとめた木下逸雲関係資料(2023年3月26日)
同級生の訃報を遅れて知りました。
心が沈みます。
同級生からの便りに、斎藤敏栄さんが昨年の夏に亡くなったとありました。
斎藤敏栄さんは、私より20歳ほど年上で、河鍋暁斎(1831~1889)のことを研究したいという強い意志をもって、藝大に進まれた方でした。
そのころ、1970年代後半だと、「河鍋暁斎」といっても、だれもピンとこなかったはずです。
鹿児島から出たばかりの私にとっては、まるで未知の存在で、話し相手にもなれませんでした。
現在、「河鍋暁斎」は海外での再評価もあって、だいぶ知られるようになっていますが、斎藤敏栄さんは、「河鍋暁斎」再評価の先駆けの1人だったのではないかと思います。
学校を離れたあと、便りを交わすこともなかったのですが、1998年、斎藤さんから『長崎談叢』(長崎史談会編)が送られてきました。
『長崎談叢』第八十六輯(1997年5月31日発行)に掲載された斎藤敏栄「保存されていた幕末の長崎三大南宗文人画家の書状(一)」(p118~158)のコピーと、斎藤敏栄「保存されていた幕末の長崎三大南宗文人画家の書状(二)」(p129~196)が収録された『長崎談叢』第八十七輯(1998年5月31日発行)でした。